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2009年5月31日

日本の景気はいつ回復するのか

須田慎一郎氏(経済ジャーナリスト)

 日本の景気は“いつ”回復するのか──、結論を先に言うならば、米国経済の回復待ち、もっと噛み砕いていうならば、米国の個人消費の回復待ちということになろう。 91年1月のバブル経済崩壊、そしてそれに続く「失われた10年」を経て、日本経済の構造は劇的に変化したと筆者は見ている。

 これまでこうした指摘はほとんどと言っていいほどされていなかったと思うが、“それ”以前と“それ”以降では、日本経済のあり様は全くの別物となってしまった観がある。 この“変化”について具体的に述べていくことにしよう。

>>続きは「THE JOURNAL×Infoseekニュース」で

2009年5月30日

細野豪志:この人に訊く! 小沢一郎の功と罪と民主党に残された課題

 解散総選挙間近となり、緊張感の高まる永田町。一事は混乱していた民主党も、鳩山新体制がスタートしたことで勢いを取り戻した。一方、民主党の若手議員は「小沢一郎」という男をどのように捉えているのか。また、政権奪取後、民主党は何をやろうとしているのか。細野豪志衆院議員に訊く。

2009年5月29日

【著者インタビュー】玉木正之:『ロマン派の交響曲~『未完成』から『悲愴』まで』

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『ロマン派の交響曲~『未完成』から『悲愴』まで』
2009年5月、講談社

■共著者の金聖響(きむ・せいきょう)さんとの出会い
玉木:金さんとは、かれこれ十年以上の付き合いになります。北海道でPMFが行われたときに、彼はアシスタントの指揮者として参加していて、そこから話をするようになって、すぐに意気投合しました。何より、彼も大阪人で阪神タイガースのファンですからね(笑)。まぁ、それで仲良くなって一緒に本を出そうと。彼は当時の演奏形態を再現する「ピリオド奏法」という昔の演奏法を用いてベートーヴェンやブラームスの録音を行っていて、06年にリリースされた『ベートーヴェン:交響曲第6番《田園》』を聞いたら、すごくおもしろくて、それに関する本を出さないかとなりました。

■タイトルの『ロマン派の交響曲』について
玉木:一冊目のベートーベンの本(ベートーヴェンの交響曲/講談社現代新書)が出版されて、次は「ブラームスだ!」となったんですが、出版社が「ブラームスは売れない」と(笑)。本当はブラームスだけで一冊出す予定だったから、金さんは文句を言ってました(笑)。ただ、僕はこれまで「売れる」「売れない」という世界で仕事をしてきた経験があるから、それも大事だという思いもあった。正直なところ、僕はあまりブラームスが好きじゃないんです。ブラームスを好きな方には理屈家が多くて、どちらかというと聞いている人間よりも、演奏している人間が好む傾向にある。ブラームスの演奏会に行くと、よく分かるんですが、もう男ばっかりだしね(笑)。もちろんブラームスの音楽が悪いといってるのではなく、ものすごくいいんですよ。とにかく、一冊目のベートーヴェンが売れて、『ロマン派の交響曲』というタイトルにして入り口を広くしたことで、出版社が「それは面白い」となって決まりました。

■読者に伝えたかったこと
玉木:とにかく音楽の面白さを伝えたかった。日本のクラシックファンというのは本当に理屈家が多いもんですから。たとえば、木管楽器が2管編成なのか、4菅編成なのかだとか、演奏についてもだれだれの演奏はどうだとか。とくに演奏に対しての評論家、上から目線の評論は本当にどうでもいい。理屈家の一方では、理屈抜きに単純に「ええなー」という程度で音楽を楽しんでいるファンもいるわけです。そういう方々が入り込めないような世界があるわけで、そういう世界が主流になりつつある。本来、あるべき姿として、音楽を単純に楽しむ方々が主流にあるべきだと僕は思うんです。ブラームスもシューベルトもベートーヴェンも理屈抜きに楽しめばいいと。それでいいんですよ。僕はオペラの本(オペラ道場入門/小学館)も書きましたが、全て「音楽はおもろい」ということを伝えたかっただけなんです。

■著書に対しても評論家からの声が届いているようですね
玉木:無視する方もいれば叩く方もいます。音楽評論家の主流からは疎んじられているようですね(笑)。金さんが行っている録音に対しても音楽評論家は同じような反応を示しています。僕が聞くと、生き生きとしていて面白いと思うのにね。「こんなにきたない音の演奏は初めてだ」とかね。金さんは、ベートーヴェンの音楽を当時の演奏法で再現するという狙いを持って録音をしていますから、どうしても、きれいな音にはならないんです。技術が発達している現代では、きれいで大きな音が響くようにヴァイオリンなんかも進歩していますからね。金さんは当時の作曲家が耳にしていた音を追求するというところからはじまっていますから、彼の録音した音楽を聴いてみると驚きがあって非常に面白いんですよ。たとえば、有名なベートーヴェンの『運命』の出だし部分もずいぶんと早い。金さんに言わせると「あれはベートーヴェンのテンポに忠実に従っているだけ」となる。そういう新しいことをやると叩かれやすい。理屈家はどの世界にもいますからね。野球の世界でも、腰が回っていないだとか、手首の返しがどうのとか、配球がどうだとか、いろいろと語る方がいますが、観客はそんなとこを見てないでしょう。投手と打者の対決にしても、4種類の知識さえあればいい。「投手がすごいか、ミスったか。打者がすごいか、ミスったか」、この4つの結果からヒットが出るかで出ないかが決まるんです。フォークがどうのとかスライダーがどうのとか、そんなこと言っても仕方がない。『最低限の知識を持って、あとは楽しもう』、これが僕のスタンスなんです。スポーツにしても音楽にしても変わりません。

■そういった玉木さんのスタンスを元に本が作られた
玉木:僕のそういった思いを受け止めてくれたのが金さん。当然のことながら、彼はプロですから、知識も理屈もたくさん持っているんですよ。正直に言うと、僕だって相当知っているんです(笑)。だけど、「そんなこと言ってもしゃーない」というのが二人の思いなんです。あくまでも、この本は音楽を楽しみたいと願う人のために書いたわけで評論家のためではありません。純粋に音楽を楽しむうえで、理屈なんか何の助けにもなりませんからね。理屈は文章のへたくそな音楽評論家の助けになるだけ(笑)。うちの嫁さんもオペラが大好きで知識もそれなりにあるけども、別にそのレベルとオペラの評論家たちを比較しても音楽を楽しむという面で差異はありません。だけど、どちらが楽しんでいるかといえば、分かりません。かわいそうですよね、ある意味で(笑)。

■三冊目のテーマとは
玉木:これは、もうマーラーです。特別な音楽家ですからね。売れるかどうかは分かりませんが、金さんとも「次は必ずマーラー」と話しています。だけど、出版社はその前に「モーツァルトをやってくれ」といってます(笑)。売れる、売れないを考える出版社の気持ちも分かりますからね、もしかしたらモーツァルトになるかも(笑)。ただ2011年はマーラーの没後100年という節目の年なんですね。それに合わせて出すというのもいいかもしれません。これは金さんが言い出したことで「玉木さん、没後100年に出したらええで、売れるでー」とね(笑)。売れる、売れないは冗談にしても、金さんはそういう言い方をするタイプの人間で、だから僕は大好きなんですよ。テーマが何であれ、我々の本が少しでも音楽を楽しみたいと願う方々の助けになれば幸せです。

わがリベラル・友愛革命

鳩山由紀夫氏(民主党代表)

 高野さんには、私の言う「愛」「友愛」について本サイトで解説して頂きありがとうございます。

 その中で言及されている、私が『論座』96年6月号に寄稿した論文「わがリベラル・友愛革命」は、当時、新党さきがけの代表幹事を務める一方で、その約半年後の旧民主党結成に結実する新党運動に邁進していた中で執筆したもので、副題に「若き旗手の政界再々編宣言」とあるように、私の新党への思いの丈を表して多くの心ある方々に結集を呼びかける檄文の意味を持つものでした。それから13年、ご承知のような経緯で図らずも民主党代表の責を負い、目前に迫った総選挙で必ず政権交代を果たすべく戦いを進めている今、私の持論である「リベラル・友愛革命」について広く国民の皆様にご理解頂くことが何より大切なことだと考えております。

 その後13年間の経験や思索を踏まえて、近々改めて友愛精神についてより発展した形で論ずるつもりでおりますが、ここでは取り敢えず、13年前の論文のうち当時の政治状況や政策課題について触れた部分を出来るだけ除外し、「友愛」について原理的に語っている部分を取り出して、要約を作成しました(資料1)。またその私の考えの元となっているのは祖父・鳩山一郎の「友愛革命論」で、それを示す祖父が1952年に書いた短文も添えますので(資料2)、併せてご一読の上、ご意見等お寄せ頂ければ幸いです。

 なお、《資料1》の……は1〜数行省略、*は1〜数段落省略、●小見出しは原文のままです。《資料2》では旧漢字を新漢字に置き換えました。

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《資料1》わがリベラル・友愛革命——鳩山由紀夫(『論座』96年6月号より、要旨)

 リベラルは愛である。私はこう繰り返し述べてきた。ここでの愛は友愛である。友愛は祖父・鳩山一郎が専売特許のようにかつて用いた言葉である。自由主義市場経済と社会的公正・平等。つきつめて考えれば、近代の歴史は自由か平等かの選択の歴史といえる。自由が過ぎれば平等が失われ、平等が過ぎれば自由が失われる。この両立しがたい自由と平等を結ぶかけ橋が、友愛という精神的絆である。

 世界の多くの国々に比べ、はるかに経済的に恵まれた環境にあるにもかかわらず、口を開けば景気の話ばかりする日本人は、最も大切なものを失っている気がしてならない。多種多様な生命が自由に往来する時代に、相手との違いを認識し許容する友愛精神は共生の思想を導く。弱肉強食と悪平等の中間に位置する友愛社会の実現を目指して、そして精神的なゆとりが質の高い実のある「美」の世界をもたらすと信じつつ、政治家として青臭いとの批判をあえて覚悟の上で一文を認めることにした。

 スペースシャトル「エンデバー号」で宇宙を飛んだ若田光一飛行士は、地球を眺めながら何を思ったことだろう。そして日本を見付けたとき何を感じただろうか。地図には国境があるが、実際の地球には国境が存在しないということを、どのように実感しただろうか。宇宙意識に目覚めつつあるこの時代に、国とは何なのか、私たちは何のために生きているのかを、いま一度考え直してみるべきではないか、政治の役割をいま見つめ直す必要があるのではないかと思う。とくに昨今、言論の府であるべき国会が自ら言葉を放棄してしまうなかで、国会議員の一人であることに痛烈な恥ずかしさを覚えながら、それでも政治家であり続ける覚悟であるならば、いかに行動すべきかを厳しく問いただしてみたい。

          *

 政治家が政治家であり続けたいという執着から解放され、政治家を捨てる覚悟で臨むならば、そして自分が今何をなすべきかを純粋に問い直すとき、恩讐を超え、政党間の壁を越えることは決して難しいことではないと信じている。問題は政治家を捨てる覚悟ができるかであるが、あとで申し上げる友愛革命の原点は、政治家にとってはまさに政治家を捨てる覚悟にほかならない。

 初中からとは残念ながら言えないが、私も職業上、空から日本の国土を眺め下ろす機会は多い。そのようなとき、ふと日本はだれのものかと考えることがある。何げなく私たちは、日本は日本人の所有物だと考えている気がするし、その暗黙の了解のもとに各種政策が遂行されているように思われてならない。

 しかし、思い上がりもはなはだしいと言うべきだろう。日本には現在、135万人の外国人が住んでいる。日本の人口の1パーセント強である。内訳は、韓国・朝鮮人が約半数の68万人、中国人が増えて22万人、ブラジル人も4年間で3倍近くの16万人、以下フィリピン人、米国人、ペルー人と続く。

 まず、他の国々に比べて外国人の比率がかなり低いこと自体が大いに問題である。これは外国人にとって、日本は住みにくい国であることを物語っている。米国に留学した経験から、米国は異邦人に住みやすい国だと実感している。外国人は必ずしも米国人のホンネに深く入り込むことはできないし、潜在的な差別意識もないとは言えないが、それでも基本的に「開かれた社会」であることが外国人を米国びいきにするのだろう。語学習熟の困難さも手伝っているが、日本に来ている主としてアジアの留学生が、概して日本嫌いとなって母国に帰るのと大きな違いである。国際化といっても形式にしか過ぎず、日本人の心はけっして外国人に開かれていない。

 この環境のもとで、高知県の橋本大二郎知事が一般事務職員の採用に国籍条項をはずすことを主張されているのは、誠に注目に値する。案の定、自治省が強く抵抗していると聞く。閉じた日本の風土からは当然の反応なのだろうが、地方分権の声が泣く。また新党さきがけの錦織淳議員が中心となって、定住外国人に対して地方参政権を与える問題に取り組んでいる。これに対しては自民党からの反発が強く、議論が停止した状況になっている。

 私などはさらに一歩進めて、定住外国人に国政参政権を与えることも真剣に考えても良いのではないかと思っている。行政や政治は、そこに住むあらゆる人々によって運営されてしかるべきである。それができないのは畢竟、日本人が自分に自信がないことの表れである。日本があらゆる人々の共生の場となるために、日本人の自己の尊厳が今こそ尊重されなければならない。

 実は、人間中心主義の考え方そのものが思い上がりであり不遜なのである。この世の中には人間だけでなく、動植物などの生命体と水や空気や鉱物などの非生命体が存在している。人間以外を自然とか環境とかひとくくりにして、自然保護とか環境保護とかを唱えているが、その言葉自体がおこがましいのである。

 まず、自然の有するエネルギーがしょせん人間には計り知れない規模であることに畏怖の気持ちを抱き、自然と共に生かされているという感謝の気持ちで行動する原点に戻らなければならない。人間が物質的豊かさの虜になり、自然を制圧し都合良く自然をデフォルメするために英知を駆使するようになって以来、自然のバランスは破壊された。天然記念物はそれなりに大事にするが、そこいらに咲く草木は切ってもいいという発想は間違いである。むしろ、どこにでもある種ほど、エコロジーのサイクルのなかで役割を担っているとも言えよう。

 不可逆過程の行き着く先は命なき世界であることを認識するならば、経済社会活動にいかにエコロジカルな意味での可逆過程を組み入れていくかにこそ、最大の英知が注がれなくてはならない。国内的には、国民意識の啓発上からも環境税の導入が検討されるべきであり、地球的には南北間の調和が図られなければならない。地軸が南北両軸を結んでいる以上、東西問題は人為的、刹那的であり、南北問題は自然的、永久的である。したがって南北間の対立は今後さらに熱を帯びてくるが、この解決にあたっては南が経済的に北に追随する速度以上に、北が環境において南を支えていくことが不可欠となる。人間と自然との共生は、また南北間の共生でもある。

●美の国・日本を復興したい

 私がゴルフをあまり好まないせいかもしれないが、機上から眺め下ろしていくつものゴルフコースが視界に入るとき、バブルの爪で国土が抉り取られてしまったような誠に悲しい心持ちになる。……別にゴルフに恨みがあるのではなく。象徴的に目に入るので申し上げたのだが、国土が経済活動の食い物になってしまった顕著な実例である。もっと遡って考えれば、戦後日本の経済成長が歴史的に日本人が最も大切にしてきたもの、すなわち美徳を奪ってしまったのではないかと感ずるのである。

 私は、日本の政治が、そして日本人が呼び戻さなければならない最大の価値は「美」だと信じている。友愛の提唱者でもあるクーデンホーフ・カレルギー伯は、日本を美の国と呼んだ。彼の著『美の国』には次のようなことが記されている。

 古代ギリシャ・ローマ時代の道徳は美を基盤としていた。そして神学に基盤を有する「善と悪」の対立の代わりに、美学を基盤とする「気高さと卑俗」という対比が生まれた。プラトンは倫理的な価値と美学的な価値を一致させていった。一方で、孔子の儒教は理の原理を基盤としており、それは調和、換言すれば美を基盤としていることになる。孔子の理想も気品の高い人間にあった。ところがヨーロッパでは、キリスト教の布教とともに宗教的、神学的倫理観が勝るようになり、中国では共産党の思想が儒教を破った。結果として、日本が儒教に基づく美的倫理観を有する唯一の大国となったのである。

 日本をほとんど書物のみで理解されたクーデンホーフ伯のことゆえ、やや美化されすぎているきらいもあるが、日本には少なくともかつて武士道に見られるように、「美」を尊ぶ精神が強く存在していたことは事実である。

 第2次世界大戦に勝利した米国が日本の武士道精神の復活を恐れたこと、そして敗戦後の日本を急速に立ち直らせるために導入された欧米型経済合理主義が実に見事に機能したことにより、経済的価値が美的価値を浸食し、「美」に対する倫理観が日本社会から消失してしまったのではないかと考える。経済合理性から外れた価値が捨象され形骸化してしまったことが、日本の今日的不幸ではないかと想像する。

          *

 議会制民主主義の基本である論争という美的倫理が欠如している現在の日本の国会の現状は、きわめて重症と言わざるを得ない。美的倫理観の欠如は、しかしながら何も政治に限らず、卒業より入学重視・知識偏重の学校教育、責任回避の論理渦巻く官僚制度、住専に見られる常軌を逸した金儲け主義の業界など見渡す限りである。私は日本を今一度「美の国」に戻すため、美の心と友愛の精神を基軸に、日本の政治を根底から見つめ直して参りたい。

 過日、「フォーラム日本の進路」で講演された隅谷三喜男先生は、日本人に哲学がなくなったと慨嘆されていた。確かにそのとおりだと思う。厳しい政治不信のなかで、一見甘すぎると批判を覚悟のうえで、あえて私は美的倫理観と友愛精神を自分の人生の原点、いわば哲学と捉えて行動していきたいと考えている。

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●さきがけの否定も恐れない

 私たちは3年ほど前、武村正義を代表とする新党さきがけをたち上げた。一人ひとりの決断による結集であったが、共通する心は、四方が保身的な政界のなかで、自分たちは保身的行動から解放されたいという願いであった。政財官の甘えの構造にぬるま湯のごとき心地よさを感じながら、必死に誘惑と闘い、そこから抜け出す決心であった。身動きの取れない日本の政治・経済・社会・行政に一石を投じ、機構改革のさきがけにならんとの覚悟であった。新党さきがけ結党の日に、10人の同志が見せた満面の笑みは、しがらみから解放された喜びであった。この日の喜びの表情を、再び取り戻さなければならない。

 私は今でも、社会全体の根本的な改革を期待している国民は多いと信じている。否、ますます潜在的には増えていると思っている。では、なぜ国民の期待感が伝わってこないのか。なぜ私たちから喜びの表情が消えてしまったのか。それは、事実であるかどうかはともかく、改革を唱える国会議員の声は純粋に国民のことを思って発されているものでなく、結局のところ自分たちの政権獲得のため、選挙のためであり、本気で行動する覚悟などない、と国民に確信されてしまったことに尽きる。

           *

 私は、党の存在が否定されることを恐れない。……この3年間の総括として政治家の信頼回復のために政治家がなすべきことは、一片の政策を示すことではなく、選挙を恐れず信念に音付いて行動する勇気、覚悟を示すことであると確信している。

●政治家を捨てる覚悟

 すでにさまざまなところで述べたことだが、私は友愛精神の本質は自己の尊厳の尊重にあると説いている。宇宙の中で生かされていることに感謝し、偶然ではなく必然としてこの世に生かされている自分自身の可能性に目覚め、自己の尊厳を高めることに最大の努力を払う。自己を高めて始めて他者に優しく振る舞うことができる。自愛が利他を生む。意見を異にしてもそれを許容し、品格を信頼し友情を結ぶことができる。これが友愛精神である。

 日本人は議論下手である。それが議論のない形骸化した国会を生んでいる。政治家はしばしば、議論が合わないと相手の品性を疑い、憎悪の感情を持つ。政党や派閥の離合集散が、政策よりも愛憎の感情でなされるゆえんである。相手を許すことができないのは、自分に自信が欠如しているからである。55年体制という言葉が批判的響きを持つようになったころから、最も自己の尊厳を喪失した職業は、残念ながら政治家であったのだろう。

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 今政治家に最も求められているのは、自己の尊厳の回復である。端的に言えば、政治家を捨てる覚悟である。この覚悟を持った同志の結集が日本の明るい未来を開くと信じたい。これが友愛革命である。

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 戦後50年の経済発展の陰で蓄積されてきた膿とツケを後世に残さぬために、私たちは膿をかい出して治療し、ツケを支払うよう最善の努力をせねばならぬ時期にいる。美的倫理観に基づき先憂後楽の発想で臨むことが、今に生きる政治家の務めである。この作業は、選挙を恐れていては叶うはずがない。ややもすると近視眼的になりがちな人の心に、その人々に選挙の洗礼を受ける者が、より遠くを見、視野を広げることを勧めることは容易ではない。しかし、自己を高め、そこの正義を見いだし、政治家を捨てる覚悟さえあれば、自然体のまま歴史の変曲点で舵をとることができよう。

●リベラル合同を成し遂げる

 今ここに新たな政治潮流を起こさなければならないと決意している者が、個の自由と責任のもとに一人ひとりの決断によって党派を超えて集合、協力するシステムの構築が、保身的行動との対比において求められているのである。それは個の自由による連合であり、リベラルを友愛、すなわち自己の尊厳の尊重と解すれば、「リベラル合同」と呼ぶことがふさわしいであろう。

           *

 戦後50年の延長上に、私たちは日本の未来を見いだすことができない。その鍵は、この50年間の経済発展とともに固定化されてきた政財官の相互もたれ合い構造から脱却しうるか否かにあり、それは政治の場からの解決しかあり得ない。したがって政治が未来の扉を開き得るかは、政策の善し悪し以前に国民に厳しい選択を強いる「志」を政治家が持つか否かにかかる。

 かつて、さきがけが試みたように、いま一度私たちは「志」の確認を図っていかねばならない。新たな政治の流れは自己の尊厳の確立と共生、すなわち自愛と利他というデュアルメッセージに基づく友愛リベラリズムであり、その形成は保守合同に対比して「リベラル合同」と呼ぶことができよう。

「リベラル合同」への道程は、基本的に一人ひとりの決断によって拓かれていくべきであり、それは単に政党の構成員を規定するばかりでなく、政党のあり方や政策、さらには政党間の連携も規定していくことになる。個の自由がより保証される姿として、柔軟性のあるネットワーク構造が求められていく。そのことによって人間は、人為的な国益、省益、企業益といった既得権益の壁を乗り越え、市民益と地球益の重要性に気づくことになろう。この友愛リベラリズムが科学的論理性という美意識も含めて、日本が失っていた美的倫理観に裏打ちされるとき、真に日本人らしい政治が生まれるものと確信する。▲


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《資料2》友愛革命論——鳩山一郎『ある代議士の生活と意見』(1952年刊所収、全文)

 歴史というものは、よく味わってみなければならない。時によってはにがく、時によっては厭な舌ざわりを感ずる場合もある。が、眼をおおってはだめだ。よくあじわう必要がある。味わって、再びあやまちを犯さないようにすれば良薬である。

 私たちの過去は、一たび外交と内政のよろしきを誤れば、その結果がおそろしいことになる——という事実を雄弁に物語っている。これは貴重な歴史の教訓である。これからの外交と内政のなかに、十二分に生かして行かなければならない。そうしてゆく責任もある。

 大体、日本を破局におとしいれた原因はかずかずある。一つに止まるものではない。しかし、その大きな原因として、政党政治が国民の信頼をうしなったこと、そのために軍閥政治が台頭したこと、ついに議会政治が没落したことを、私は大きな原因であると考えている。だからこれからは、なにはおいても、政党も健全な発達による議会政治を中心に、外交と内政を展開してゆかなければならないと思う。一口にいえば、デモクラシーの堅持である。だがこれにも方法がある。なぜ、戦時中日本が、デモクラシーをまもりえなかったかをしらねばなるまい。英国をみるがいい、長い議会政治の伝統が、おのおのの生活のなかに、自然に浸透し、融合しているのだ。だから現実に足のついたものになっている。そうなればけっして、全体主義・共産主義の理屈にごまかされはしない。決して簿婦緑野専断の入りこむよちはあたえないのだ。

 したがって私は、これからは現実の生活にゆきわたったデモクラシーを主張したい。デモクラシーというものを、現実の生活のすみずみにまでも滲透させたい。

 なるほど今の日本を考えてみれば、米軍の占領期間中、民主主義の洗礼は受けた。いろいろな制度が、デモクラチックに改革はされ、形だけはととのえることができた。しかしそれが、現実の生活に即した、身についたものになっているかというと、けっしてそうとはいいきれない。意識するしないは別として、まだ生活のある断面には、昔のさめはてぬ悪夢のあとがのこっている。アンシャンレジウムの痕癖がある。もちろんアンシャンレジウムの好さはのこしておいてよい。美しい伝統としてとどめておくべきだ。が、悪いものは払拭しなけばなるまい。そのぬぐいさらなければならないはずの悪いものがまだのこっている。それをのぞくことが大切だ。そしてデモクラシーを、生活のはしばしにまで滲ませて、身についたものにしなければならない。これが日本にあたえられた、これからの宿題であると思う。

 宿題をはたすために——まず私たちは、身の周辺のことをみつめたい。私は追放中に、友情の尊さ、ありがたさというものを、しみじみと感じた。追放中といえば、私の逆境時代である。よい環境にいるあいだは、巧いことをいって、寄ってくる人が多いが、一たび逆境におかれると、離れていく人が多い。手を翻せば雨となり、手を翻せば風となる——である。遂にこれ悠々行路の心と、「長安主人の壁に題す」という中国の詩もうたっている。こんなのは、いうまでもない非人情である。人でなしの世界である。しかし、こういうことでは民主主義をつくりあげることはできない。民主主義の基礎は友情である。友情の一つ一つを、煉瓦のように、しっかりとつみ重ねてこそ、立派な民主主義の殿堂が築きあげられるのである。

 友情というもの——私はこう思っている。人間誰しも、自分をいとおしむ気持がある。そうした自分にたいするのとおなじ愛情をもって、他の人に接触してゆくこと——これが友情である。読書する時間もあまりない私だが、時にふれ折にふれ、「孟子」を読む。孟子はこんなことをいっている。

 ——人は誰でも、人に忍びざる心がある。たとえば今、井土に落ちようとする赤ン坊がいるとすれば、誰でもがこれを救おうとする。その時の心は、べつに赤ン坊を救って、人に感謝されようなどという気持はない。ほめられようなどという名誉欲もない。つまり真心があるがゆえに、赤ン坊を救うことになったのである。つまり人には忍びがたい真情があるのである。——

 孟子はこの真情を惻隠の心といっている。惻隠の心は仁の端である。言葉は違うけれど、こと真情が友情にもつうじている。友情にもやはり、利害打算があってはならない。自愛と愛他、わけへだてない感情が友情の真髄である。丁度、エマースンが、人間と人間の交際を、独立国と独立国との交際のように考えたらいい——といっているとおりである。この友情がなくては、現実の生活にぴったりした民主主義は、とてもできないのだ。

 さらに民主主義を身についたものにするためには、智がなくてはいけない。知識を欲し、知識をもとうという気持がなくてはならない。それがないとしたら、これは衆愚政治の世のなかになってしまう。知らしむべからず、依らしむべし——という、民の愚かさのうえに立っていたのは、徳川幕府の政治、つまり封建政治であった。智がなくては、封建的な政治が横行する。また、独裁政治をまねく。戦時中はどうだったろうか。国民はアメリカの軍事力や経済力の知識をもたなかった。日本の軍事力や経済力にたいする知識もあたえられなかった。無智にされていたのである。この無智のうえに、独裁政治がなり立っていたわけだ。

 どうしても民主主義には、智が必要である。だから私は一時、健康がゆるすならば、全国をひろく遊説して歩きたいと思ったことがある。いろいろな世界の情勢その他をしらせ、国民のめいめいに、知識をもってもらいたいと思ったからである。

 とまれこの友情と智がありさえすれば、民主主義的な楽しい生活ができる。そうした生活ができさえすれば、そこの社会にはおのずから、音色の高い民主主義のハーモニイが鳴りひびくことになるであろう。

 先だっての8月12日、私は日比谷公会堂で、政界復帰後はじめての公式演説をした。たまたま立候補の演説会にもなった。その冒頭、私は友愛革命ということをいった。

 ——新日本は、新憲法のいしずえたる民主主義が理想としてかかげる自由主義をよく理解し、同胞たがいに相愛して友愛革命に一致結束して邁進すれば、政治は明朗となり、産業は振興し、職なき者なく、働きえざる人には社会保障の十分な施設をなしえて、日本はかつての日本よりもさらに明朗な繁栄した国になると信じている。

 と話したが、こと友愛革命ということも、要するに友情と智の問題である。友情と智を両輪とした民主主義政治の確立、このための改革を目ざして、私は友愛革命というのである。べつにむずかしい言葉ではない。私の日頃思うところの現実的な考え方を、そう呼んだのである。▲

2009年5月28日

追悼 小野善邦さん

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『本気で巨大メディアを変えようとした男―異色NHK会長「シマゲジ」・改革なくして生存なし』
2009年5月、現代書館、小野善邦著

西城鉄男氏(INSIDER編集部・メディアプロデューサー)

 陽気な儒者のようなドキュメンタリスト・小野善邦さんが5月24日未明亡くなりました。訃報は共同通信も流し、毎日新聞など数紙に載りました。享年73歳、大阪芸大で教授・放送学科長・図書館長など勤めたNHK出身のジャーナリストです。というより、私も少し出版のお手伝いをした今月発刊の元NHK会長・島圭次の評伝『本気で巨大メディアを変えようとした男ー異色NHK会長「シマゲジ」・改革なくして生存なし』(現代書館刊)の著者です。

 91年7月、国会での虚偽発言を契機にHNK会長を辞任した「シマゲジ」の側近として、長く付き合ってきた見聞を元に、新たに70名に及ぶ関係者の取材を敢行し、“異色”“型破り”と言われた毀誉褒貶の激しい人物像をありのままに、またその卓抜な先見性と実行力に焦点をあてて、悪名高い「シマゲジ」のめざしたメディアの真の姿を描こうとした渾身のドキュメントです。

 小野さんは、シマゲジ辞任当時、まさにその記者会見をセットした広報室長でした。強烈な個性で「シマゲジ」と呼ばれた島会長の「君子豹変で何が悪い!」に、振り回されながら、陰に表に付き合い続けたいつも笑顔の参謀です。ちなみに、この出版のために島さんと小野さんのツーショットを探した時、一枚だけ発見したのが、本文293Pに使った「朝日ジャーナル」に掲載された辞任会見写真です。辞任を発表しながら、鋭い目線で記者を睨み付ける「シマゲジ」、その脇で放心したように無念の表情を浮かべる小野さん。

 角顔で寄らば切るぞと怒鳴るシマゲジに対して、おっとりと丸顔で笑み絶やさぬ小野さん。同じ東北大文学部卒で9歳違いの先輩後輩。しかし性格はまっるきり違うし、配属も政治部と社会部という水と油関係。方や永田町を根城に政治家との蜜月が自慢のうるさ型。一方、「NHK特集」や「新日本紀行」など現場を這う取材を得意とするドキュメンタリスト。それが報道局で上司と部下になり、いつしか切っても切れない関係に。「怒鳴る!喚く!とにかく五月蠅(うるさ)いひとだったけど、先見性と行動力は抜群、その存在意義がわかったんだ」と、小野さんは生前いつもの笑みで語ったことがありますが、俄には信じられないひともいるでしょう。

 平成に入ってのシマゲジ会長時代には、「次の次はお前らの天下だ!」「10年後20年後を脳みそ絞って死ぬ気で考えろ!」とシマゲジ得意の煽りに乗せられ、消費者広報室長という“ほとんど苦情処理係“を任され、外から内からサンドバックにされたといいます。それでも小野さんは笑みを絶やさなかったって、ほんとですか! マジですか? 五つ子のヤマシタさん! 確かに、機嫌のいい島さんは、生前口を開けば「小野のヤローは頭がいいんだ・・」と愉しげに小野さんを評していましたね。

 しかし、小野さんは口にも顔にも出しませんが、思い込んだらどこまでものひと。「絶対に諦めない」が信条だった家康と同じ三河生まれの、信を貫く闘士だったと思います。島さんの足跡を辿りながら、その目指した改革の本質とは何だったのか、志半ばで倒れたシマゲジの構想したメディアの未来像とは何だったのか、それを書き残すため執念で病魔と闘ったひとでした。

 家族や仲間の誰もが知る長患いの肝硬変は、とっくに大変な状況に追い込まれていました。「日本人のサイコー記録かなあ」と照れ笑いで、さらりと10数回の手術と入退院を繰り返す凄みを持ったひとでした。08年11月、同じ歳の、信頼するジャーナリストのひとりだった筑紫哲也さんを見送って、「僕もそろそろかなあ。急がなきゃなあ」と原稿推敲のため、パソコンに向かう小野さんの背中は壮絶な闘いの青白い炎に包まれているようでした。

 NHKの大先輩でかつて文藝春秋誌の名物コラム”赤坂太郎”の執筆者だった渡部亮次郎氏は、小野さんの遺稿を評して、「実に丁寧に取材し、島さんの実像をきわめて的確にえがいている」と絶賛したといいます。

 この評伝の熱い檄文のようなプロローグ「危機の時代ー20年前の予言」とエピローグ「改革者からのメッセージ」を読んで思うのは、「玉木先輩に頼まれたからなあ」と遠回しの言い方ながら、実は島さんの言葉を借りて、ジャーナリスト・小野善邦さん自身が、不祥事続きで改革どころか自浄能力さえ失った古巣NHK へ、地球規模で始まったデジタル情報革命への対応に戸惑うニッポンのメディアへ、危機的に劣化したジャーナリズムへ発した叱咤激励であり、「脳みそ絞って死ぬ気で考えろ!」という最後の警告に違いありません。その命を賭けた遺言を真摯に受け止めねばならないと思います。

 小野さん、ほんとにお疲れ様でした。ゆくりとおやすみください。あちらで島さんと一杯、愉しんでください、仲良く・・。合掌。

●通夜:5月27日(水)18時〜、
●告別式:5月28日(木)11時〜
●会場:東京都練馬区練馬3−22−6「千代田豊島園会館」
●電話:03−3991−2234
●喪主:長女小谷瑞江様

*西武池袋線「豊島園駅」徒歩5分
*都営大江戸線「豊島園駅」A1出口 徒歩4分

2009年5月27日

【麻生vs.鳩山】初の党首討論開催

 27日午後、麻生首相と鳩山民主党代表による初めての党首討論が国会で行われた。

 具体的な政策論争は聞かれず、麻生総理は西松建設の巨額献金事件を持ち出し、鳩山代表は麻生政権を「官僚主導の上から目線」と批判。衆院選を見据えてのネガティブキャンペーンに終始した。

 昨年11月に麻生首相と小沢前代表が行って以来の党首討論。《THE JOURNAL》コラムニストたちは、どのように見たのか。

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田中良紹氏(政治ジャーナリスト)
「絶望的」(5/27)

 私は前回のコラムで、「麻生総理に『民意とのねじれ』と言わせては元も子もない」と指摘した。ところが・・・です。昨年末からこれまで民意を無視しっぱなしの張本人が、国会で記録に残る場で「民意とのねじれ」を口にする行為の愚かさに気づいていない。本気で心配になりました。「やってはいけないことをやってしまった」という思いを持ちました。

 そもそも説明責任とは、税金を払っている納税者に対して行政府は税金の使い道をきちんと説明しなければならないということです。つまり、今回の西松問題にすれば第一義的に説明責任が求められるべきは行政府、検察です。ところが、検察は裁判で説明するから今は説明しないと拒否したわけです。そうなると、すべての民主主義の考え方は裁判になってしまうわけで、一方の当事者である小沢前代表が裁判になる前に自らの説明をする必要はまったくない。それは裁判で行えばいい。つまり、検察のほうが「裁判で」といった以上は、小沢前代表のほうも裁判で説明責任を果たせばいい。それ以前にやる必要はまったくない。それが民主主義の考え方です。

 説明責任や民主主義の本質をまったく理解していないマスコミも問題ですが、最高責任者である一国の総理が、理解していない状態で発言をすることに対して、呆れるどころか本気で心配しています。

 今日の党首討論を見ていると、麻生総理はそうとう振付けられています。用意してきた言葉を一生懸命に話していますから、かみ合っていないところもずいぶんありました。振付けているのは官僚です。となると、官僚もその程度だという話になる。官僚が民主主義を理解せず、さらに政治家も理解していない。これでは絶望的というほかありません。

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山口一臣氏(週刊朝日編集長)
「言語道断」(5/27)

 軍配を上げるとしたら鳩山代表でしょう。圧勝ではありませんでしたが、やはり麻生総理の小物感が目立ちました。正しいかどうかは別にして、野党が細かいところを攻めても総理大臣は大きな理念やビジョンを語るというのが党首討論のイメージとしてあります。それが、まったくの逆で麻生総理が西松建設問題を多用して細かく攻めた。唯一の攻めどころだったのかもしれませんが、二度も三度も繰り出して攻め立てたところに麻生総理の小物感が漂っていました。

 さらには、一番最後の麻生総理の言葉ですね。
「意味のない答弁をされて時間を潰してしまっては国民に申し訳ない」(鳩山代表)
「答弁が長すぎるというお話でしたが、これは討論であって答弁ではありませんので、今後とも討論をさせていただくためには答弁を求めるというような形ではなく討論を申し込んでいただくようにお願いを申し上げます」(麻生総理)

 本当に時間がもったいない・・・。というのが一般的な感想です。

 私は、これまで西松建設問題について、ずっとこだわってきました。そのスタンスから言うと、麻生総理は行政の長として聞き捨てならないことを言いました。日本の刑事司法の大原則は推定無罪です。起訴されて公判前にある被告は原則、無罪扱いをしなければなりません。裁判員制度が始まろうという段階で、今の日本では「逮捕された容疑者が犯人で、起訴された被告は有罪である」という刷り込みができています。本来であれば、それが間違いであることを広めなければならない立場の最高責任者が、起訴された人間は罪人であるかのような発言をするとは言語道断です。そういった麻生総理の稚拙な物言いが裁判員制度に影響を及ぼし、「検察が逮捕した人間は有罪に違いない」という認識から裁判がスタートしたら大変なことになります。

 こういった麻生総理の発言に対して、鳩山代表にはもっと強い言葉で対応してほしかった。「聞き捨てならない発言をされました。(中略)政治資金規正法に犯した人がいる?決まったわけじゃないですよ、これは。これから裁判で決着がつく話ですよ」(鳩山代表)と答えたところまでは良かったのですが、刑事司法の大原則、さらには裁判員制度に関わる問題までを含んだ強い言葉で反論できなかった。そこが鳩山代表の圧勝と見られなかった理由です。

2009年5月26日

二見伸明:燕雀安(いずく)んぞ鴻鵠の志を知らんや

二見伸明氏(誇り高き自由人、元衆議院議員)

 「小沢問題」の本質が矮小化されつつある。検察の捜査は、多くの識者が指摘しているように、民主主義の根幹を崩す問題である。マスコミは、そのことを知りながら黙過、黙認しようとしている。

 私は改めて、3月4日の各紙朝刊を読みなおしてみたが、読者に「小沢=悪」「代表辞任」「議員辞職」を強烈に擦り込み、「世論」化しようとする文字で溢れている。だが、「巨額な脱税、あっせん利得、贈収賄ならともかく、『なぜ、この時期』に、単なる形式犯に過ぎない政治資金規正法違反で、次期総理の呼び声の高い野党第一党の代表の秘書を、しかも、事前に任意の事情聴取をするという捜査の常道を無視して、逮捕したのか。検察は、麻生政権の救いの神になったのか。政権交代を阻止する検察ファッショではないのか」という、国民の素朴な疑問にこたえた論説、解説、論調、記事・情報は皆無であった。「検察ファッショ」に目をつぶったマスコミ各社は、いまでは「小沢院政」「小沢傀儡体制」と、金太郎飴のような論調で煽りたて、「小沢問題」の本質を、国民の目からそらし、問題の本質を矮小化している。私が、もっとも奇怪に思っているのは、軍国政権に弾圧された歴史をもつ日本共産党や宗教団体が、検察の捜査を容認していることである。

 二つには、マスコミ各社が、「小沢問題」による「国のかたち」と国民生活への影響を検証しようとしないこと、である。一般の人々は「どうも検察はおかしい。マスコミも偏っているのでは」と肌で感じている。私は、いろいろな機会に「自公の狙いは、小沢を潰し野党連立政権を阻止することにある。『年金改革、農業改革などは出来なくなり、より厳しい格差社会になる』」と説明している。検察は「新しい国のかたち」を否定したのである

 政党政治では「野党の最も重要な仕事」は、衆議院を解散に追い込み、政権を奪取することである。しかし、戦後の日本政治史で、本気で政権を狙う野党は存在しなかった。自民党の長期政権を暗黙のうちに是認し、与野党は「呉越同舟」という名の舟に、仲良しクラブよろしく同乗し、「泰平の眠り」をむさぼっていた。それを覚ましたのが「小沢丸」という蒸気船である。

 民主党と自由党が合併する以前の旧民主党の幹部が、私に「民主党は『や(野)党でもなければ、よ(与)党でもない。ゆ党だ』」と自嘲気味に語ったことを思い出す。民主党の全国会議員と秘書に選挙応援することを指示・命令し、勝利した千葉、山口の衆議院補欠選挙は、民主党の「ぬるま湯文化」を打ち壊し、政権獲得に執念を燃やす小沢の凄さを内外に示したのである。自身の秘書団を全国に派遣し、自らも先頭に立って政権交代を訴え、支持者獲得に東奔西走する野党党首は、小沢が「最初で最後」であろう。

 小沢が自民党を飛び出したとき「小沢に何ができるか」と高をくくっていた自民党と「霞ヶ関」は、細川護煕を担いで連立政権を樹立し、自民党を下野させた小沢の手腕と力量に恐怖心を抱き、さらに、一昨年の参院選で完敗させられて、骨の髄まで「小沢憎悪」と「小沢恐怖」で凝りかたまった。小沢を政治的に抹殺することは、いまや、自民党が生き延びるための至上命題になっている。石原伸晃氏が「小沢が選挙担当の代表代行に就任したのはおかしい。議員辞職すべきだ」と、5月24日のNHKテレビの日曜討論で発言したのも、その典型である。今後、6月19日の西松建設の初公判に的を絞って、小沢攻撃を仕掛けてくることが予想される。彼らが恐れているのは、民主党ではなく、小沢なのである。

 健全野党という耳あたりのいい言葉がある。「政局=解散を優先するのではなく、政府をチェックし、政策で競い、政府案を修正させるのが健全野党」だというのである。しかし、それは、野党の副次的な役割であって、耳あたりのいい言葉は、一歩間違えば、野党を政権の補完勢力化する、「民主ファシズム」になりかねない、危険な理論である。野党は、自己の政策・理念を実現するために、隙あらば解散と政権奪取を狙うのが、政党政治の王道である。解散を狙う手強い野党の存在は与野党間に緊張をもたらし、どちらが国の将来、国民の生活に利するか、競わざるを得なくなる。「モノわかりのいい『ゆ党』はファシズムの温床」なのである。

 世界大不況である。私は、「世界不況は、人間の身体にたとえれば、使い慣れた下痢止めでは効果がなく、体質を抜本的に改善する、新しい薬でなければ根治できない新型の悪性の下痢」と認識している。世界不況こそ「国のありかた、仕組み、しきたりを抜本的に見直し、人々がやすらかに生きられるようにせよ」という天の啓示だと受け止めるべきである。オバマ米大統領は、核廃絶や弱肉強食の新自由主義・ネオコン路線との決別を表明し、不況から脱却しようとしている。日本も、「15兆円のばらまき予算」程度の知恵しかない麻生自公政権との決別を宣言してもいいのではないだろうか。

 私の、九十六歳になる母の「七十の手習い」で始めた短歌『地に伏して機銃掃射を逃れたる戦の日々もはるかとなりぬ』が、3月26日の朝日新聞埼玉版の「歌壇」に入選した。選評に「六十数年前の出来事。遥かな事だが現実だった」とあった。母は助産婦の資格をもつ看護婦(師)だった。日中戦争に突入し、父が赤紙一枚で戦地に駆り出されたとき、官憲が母に、お国のために従軍看護婦として「支那」に行くようにと、強制しようとした。母は「非国民」のレッテルを貼られる恐怖を抑えながら、「夫は戦地にいます。私は乳飲み子(注:私のこと)を育てなければなりません」と拒否した。

 私は一国平和主義者ではない。かつて、自衛隊の将官と懇談したとき、彼らは異口同音に「死ぬかもしれない紛争に『行け』と命令するのは、外務省ではなく私たちだ」と語っていた。世界恐慌を機に日本は、二・二六事件、日中戦争、日独伊防共協定、太平洋戦争突入の道を転がり落ちた歴史をもっている。金融恐慌の最中、北朝鮮の「核の脅威」を口実に、「自衛のための先制攻撃」「日本も核武装」を声高に言いはじめた輩が悪夢のような歴史と二重写しになってくる。いまの自民党には,加藤紘一などほんの一握りの人々を除いて、タカ派ばかりで、しかも、「きのうのハト、きょうはタカ」のコウモリである。

 小沢は、多くの欠点を抱えた「The Man Who Wants To Save Japan」(タイム)である。しかし、小沢の生命とも言える民主党の旗印が、敵の毒矢で灰塵に帰するかもしれないと直感した時の小沢の憤りは、想像を絶するものがある。「ぬるま湯文化」の味が忘れられない一部の議員に、小沢は深い失望感も覚えたであろう。にもかかわらず、全身に槍キズ、刀キズを受けながら、敵陣に切り込む小沢に、私情を超えて、本物の政治家、サムライを見る思いがする。「平成維新」を待望する私たちは、広い視野、大きな度量で小沢を見る必要があるのではないだろうか。さもなければ、「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」である。

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【プロフィール】 二見伸明(ふたみ・のぶあき)
1935年2月10日生まれ。69年12月の衆院選に初当選し、以後8期23年。小沢一郎、羽田孜、石井一、森喜朗と同期。公明党政策審議委員長、副委員長、運輸大臣を経て、94年、新進党。97年暮の新進党解体により、小沢の自由党結党に参加。総務委員長、国対委員長。2000年春、自由党分裂に際し、小沢と行動を共にする。小沢対羽田の一騎打ちの新進党党首選では「四海波穏やかなときは羽田がベストだが、激動期は小沢の豪腕がベスト」と表明し、小沢の推薦人になる。

2009年5月25日

速報:小沢氏秘書・大久保隆規氏の保釈が決定

【追記】 09.5.26 17:00
大久保氏が本日にも保釈 東京地裁が検察の準抗告を棄却

 東京地裁は26日、大久保隆規氏の保釈許可決定に対する検察側が申し立てた準抗告を棄却し、保釈を認める決定をした。これを受け、大久保被告は早ければ同日中にも保釈される見通し。
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 西松建設による偽装献金事件で、東京地裁は25日、小沢一郎前民主党代表の秘書である大久保隆規氏の保釈を決定した。保釈保証金は1500万円。大久保氏は3月3日に逮捕されたが、5月21日に初めて保釈請求をしていた。なお、東京地検は決定を不服として準抗告している。

 報道によると、大久保氏は逮捕された後は一貫して容疑を否認していて、現在も公設第一秘書の職についている。

《THE JOURNAL》SPECIAL【ほろ酔い談義】

西松建設問題勃発から小沢辞任に至るまで、ジャーナリストの高野孟が一連の騒動を総括する「ほろ酔い談義」(5月16日・都内某所)。読者の皆さんも、お酒を飲みながらご視聴ください。

《THE JOURNAL》SPECIAL 【ほろ酔い談義】:高野孟①

話題は小沢辞任問題からロッキード事件、検察の本質、ネット世論の確立、《THE JOURNAL》読者からのコメントに関することまで尽きることなく、明日はサンデープロジェクト(テレビ朝日)だというのに第一回目の【ほろ酔い談義】は深夜まで続きました。

《THE JOURNAL》SPECIAL 【ほろ酔い談義】:高野孟②

次回収録日、ゲストはまったくの未定ですが、今後もブロガーの方々にご参加いただき、ほろ酔いつつも熱く中身の濃いトークを繰り広げていきたいと考えております。

2009年5月24日

《THE JOURNAL》の原型をつくった男 ── 島桂次の業績伝える評伝刊行

『本気で巨大メディアを変えようとした男―異色NHK会長「シマゲジ」・改革なくして生存なし』(小野善邦著、現代書館)
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 歴代NHK会長のなかで最も型破りな男といわれた島桂次(通称シマゲジ)の評伝『本気で巨大メディアを変えようとした男─異色NHK会長「シマゲジ」・改革なくして生存なし』(小野善邦著)が、現代書館から刊行された。

 島は記者時代から「政局を動かせる実力者」として知られていたが、本書でもNHK受信料の値上げ案を国会で通過させるため、島が創価学会の池田大作会長に公明党への説得を依頼したことなど、これまで知られていなかった事実が生前の島の証言を含めて明らかにされている。

 また、本書の最終章では島がNHKの会長職を辞任した後、インターネットを使った日本初のニュースサイト「SMN」(島メディアネットワーク)を立ち上げたことも紹介されている。島は、日本のジャーナリストの中でもいち早くネットジャーナリズムの可能性に着目していて、「SMN」にはインサイダー編集部(編集長:高野孟)も深く関わっていた。その後、島が急逝したことで「SMN」の事業は縮小せざるをえなくなったが、島の遺志は現在でも《THE JOURNAL》に引き継がれている。

 本書で紹介される異色ジャーナリストの言葉は、沈没寸前の昨今のメディアの状況を20年前にすでに予見し、警告していたと思わせるものも多い。現代のメディアを考えるための必読書である『本気で巨大メディアを変えようとした男』は全国の書店で発売中。

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著者:小野善邦
「危機の時代──二十年前の予言」
(本気で巨大メディアを変えようとした男 プロローグより)

 日常の生活をおくるうえで内外のニュースや重要な出来事など情報を伝えてくれるマスメディアの存在は欠かせない。いろいろなマスメディアの中でも、現在テレビが最も影響力のあるメディアであることを否定する人はいないだろう。生まれたときからテレビに囲まれている若い人は何をいまさらと言うかも知れないが、テレビがリーディング・メディアになってからの歴史は意外に短い。せいぜいここ四十年間に過ぎない。
 それ以前は長期間にわたって新聞が圧倒的な影響力を誇っていた。それを映像と音声による分かりやすさ、速報性が広く国民に受け入れられ、一九六〇年代に電波メディアがリーディング・メディアの座を活字メディアから奪ったのである。
 “わが世の春”を謳歌するテレビだが、いつまでもその座にいられるとは限らない。情報技術の進歩は日進月歩である。地球規模で情報の受信だけでなく発信も自在にできるインターネットの時代を迎え、このままではテレビは王座どころか生き残りも危ないという声が高まっている。

 東京渋谷区神南に威容を誇る地上二十二階建てのガラスの城。日本のテレビを代表するNHK (日本放送協会)の本拠である。外観は、十年前、二十年前に比べて、いまも少しも変わっていない。だが、その内部は荒廃し、職員の士気は低下して本格的デジタル化、放送と通信の融合という激動の時代を目前にしているのに、いまだデジタル時代の公共放送はどうあるべきかのビジョンも描けないなど“迷走”を続けている。時代に対応できないNHKは相次ぐ不祥事もあって内外の批判にさらされ、“生き残れるかどうか”の岐路に立たされているといわれる。
 実は、NHKがこうした危機に瀕することを二十年近くも前に予測し、警鐘を鳴らしていた一人の放送人(ブロードキャスター)がいた。政治記者時代は、日本の政治に影響力を持つ敏腕記者として政治家や他社の記者から一日置かれる存在。経営に携わるようになってからは広く世界に目を向けマードック、マックスウエル、ターナーなどと並んで、放送の革新を推進した人物の一人としていまも名前が挙がる。日本が生んだ世界に通用する唯一の放送人ともいえよう。
 NHKの歴代会長の中で、“異色”、“型破り”と言われたシマゲジこと島桂次、その人である。
 しかし、島について人びとが懐いている人物像は、どんなものだろう。マイナス・イメージが多いのではないか。
 いわく、「乱暴で威圧的な口調と横柄な態度」、「他人の迷惑を考えず深夜、早朝を問わず電話をかけまくる電話魔」、「シマゲジと呼ばれゲジゲジ虫のように周りの人びとに嫌われている男」、「記者の枠を超えた永田町のエージェント」、「改革の名の下に大風呂敷を広げNHKの組織を目茶目茶にしたリーダー」、果ては「出張を名目に女性連れで海外を豪遊した人」まで。数え上げればきりがない。
 それにしても、こうしたマイナスの島イメージだけが、広く一般の人びとの間に定着してしまったのはなぜか?
 その多くは島が国会での虚偽発言をきっかけにNHK会長を辞任した一九九一年六月前後に新聞やテレ、週刊誌などマスコミが、会長辞任の経緯などを連日のようにスキャンダル絡みでマイナスの側面を強調して報道したことに起因する。あることないこと、とまでは言わないが、いまのマスコミはこれと的を絞った人物の周りにわっと群がり、特定の視点──スキャンダル絡みが多い──でその人に関わる話題を針小棒大に取り上げ、あれこれ批判する。当人の反論や他の視点にはほとんど興味を示さない。
 また、一般の人びとも実際に記事を読んだ人はまだよいほうで、テレビのワイドショウや車内の中吊り広告の週刊誌の見出しを見ただけで、その人物のイメージを作ってしまう人も少なくない。つまり、現代社会では、事実と違っていてもマスコミに報道されることによって、それが事実として一人歩きを始めるのだ。今はやりの言葉で言えば、国家の罠ならぬ“マスコミの罠”とも言うべき現象である。マイナス・イメージの島が世間に定着してしまったのは、まさにこの罠にとらわれた結果と言うしかない。これによって、私たちは日本の放送やメディア界にとって大きなマイナスになる“負の遺産”を背負わされてしまった。つまり、島が積極的に展開しようとしていた将来に向けての放送の可能性をも失ってしまったのではないだろうか……。

 確かに島桂次の個性は強烈で、多くのマスコミが指摘した“負”の部分があったことは否定できない。しかし、それを補って余りある抜群のリーダーとしての先見性・実行力があった。世間にはそうした“正”の面があまり理解されていない。
 一九九〇年四月、NHKは受信料を改定した。前年の衛星放送受信料新設に続く二年連続の料金改定であり、しかも二八%という大幅値上げだった。会長の島が陣頭指揮をし、郵政省(現総務省)、国会の了承を得たものである。島の豪腕振りを内外に示した出来事であった。
 値上げを実現した島は思いのほか謙虚で、NHKの将来を見据えて幹部・職員に再三こう警告していた。

●NHKにとって、この値上げは恐らく最後のものになるだろう。少なくとも向こう十年間はこの値上げで財政上の心配はない。だが、財政が安定すれば、親方日の丸のNHKのこと、規律が緩んで組織の腐敗が起こり、不祥事が続発するようになるだろう。

●それを防ぐためには、組織に緊張関係をつくっておかねばならない。組織の不断の見直し、創造的破壊(島は友人のジェネラル・エレクトリック社GE会長ジャック・ウエルチのこの言葉が気に入りよく使っていた)が必要である。メディアの世界はいま大転換期にある。多メディア・多チャンネルから通信・放送の融合といった流れである。また、官から民への流れもある。こうした状況下にあっても、NHKは従来どおりいわば新幹線が走っているのに箱根の山を駕籠で越えるような経営をしている。こんな時代後れで親方日の丸的、ノー天気な経営がいつまでも許されるわけがない。
 ニューメディア(デジタル)時代にふさわしい公共放送はどうあるべきかというビジョンを自ら率先して示す。そして、誰もが“あっ”と驚くような大胆な改革を実行しなければ、NHKは視聴者・国民にそっぽを向かれ受信料の不払いが増えるだろう。

●自分は長年政治記者を務め組織のために泥水もかぶってきたが、記者としての一線は守ってきたつもりだ。率直に言って「皆さまのNHK」は、政治家、官僚に食い荒らされる伏魔殿だ。政治の圧力からNHKをいかに守るか。自主独立、編集権の確保が公共放送にとって今後ますます必要になる。それが失われれば、視聴者の信頼も失われるだろう。公共放送としてのジャーナリズムの確立が何にも増して重要である。

●グローバリゼーションの時代というのに、日本のマスコミは「井の中の蛙」だ。日本は経済大国だが、情報発信力では小国。もっと世界に目を向け情報発信力を強化しなければ駄目だ。特にテレビは“衛星中継”という技術的条件をすでに整えている。一日も早く日本やアジアのニュース、番組を世界に向けて発信するシステムをつくらねばならない。

 島の予測の何と的確なことか。二十年近くも前の発言とはとても思えない。いまのNHKを取り巻く状況、問題点をそのまま映し出している。
 歴代のNHK会長の中で島が他の会長と異なるのは、幹部・職員を叱咤激励するだけでなく、自ら時代の一歩先を読んだ構想を常に持ち、それを実現するための意志と実行力も備えていたことだ。事無かれ主義者の多いNHK幹部の中にあっては異例である。島の思いは、日進月歩の技術革新、時代とともに変化する視聴者のニーズに合わせて、組織や職員の意識を改革し、公共放送ならではの質の高い放送番組を提供し続ける。これなくしては、公共放送NHKは崩壊するという“危機感”である。
 二十年近くも前に、島はなぜNHKの将来に危機感を懐いたのか。島がNHKの経営を担った八〇年代から九〇年代初頭にかけてのテレビ界は、多メディア・多チャンネル時代を迎え、グローバリゼーションの波が急速に押し寄せていた。さらに、放送と通信が融合するデジタル時代の到来を間近に控えていた。
 メディアはかつて経験したことのない地殻変動期を迎える。テレビでいえば、チャンネル数は数百に増え、海外のニュース、放送もどんどん入ってくる。放送と通信の壁がなくなり、放送は双方向になり、視聴者は放送を受けるだけでなくインターネットを通じて発信もできる。受信料に頼る公共放送、コマーシャルの商業放送のほか、見たい番組にお金を払う有料放送も続々生まれてくるだろう。
 こうした時代状況の中では、公共放送といえども従来型の経営を漫然と続けていたのでは長期的には受信料の不払いが増え、立ち行かなくなることは必至だ。しかし、NHKは改革からは最も遠い位置にあり、経営陣の危機意識も極めて低い。誰も手をつけないのであれば、自分が経営変革の原動力にならざるを得ない。島の時代への洞察力に基づく責任感が、危機意識の基盤になっていたことは間違いない。
 島は、トップの座に就くと改革に向けて走り出した。組織改革のプロジェクトや将来ビジョンを検討する審議会をスタートさせたほか、民間の協力を得て関連会社を次々に立ち上げた。これは受信料以外の収入を少しでも増やすとともに、番組制作を効率化し、NHK本体をスリム化することが大きな狙いだった。島自身も、グローバルなテレビ・ネットワークの構築などのため世界を飛び回っていた。
 こうした島の変革への動きに、民放各社、郵政省、政治家などは、「NHKの商業化、肥大化だ」、「島個人の独断専行だ」などと一斉に反発した。これに対し、島は「時代や技術の流れを読めば、このままでは“お先真っ暗”なことが分かるはずだ。それなのに彼らは事態を直視せず、人がやることに文句ばかり言う。世界に目を向ければ嫌でも危機感を持たざるを得なくなるだろうに。時代が読めない奴らばかりだ」と歯牙にもかけなかった。こうした言動が、また各方面の反感を増幅させる。どちらを向いても敵ばかり。まさに四面楚歌である。
 経営トップとして相手を無闇に刺激・反発させるのは如何なものかと思うが、島はどうも意識的にそれをやっていたふしがある。島にとっては、危機意識が薄い関係者への刺激・毒舌は放送界が迎えつつある事態にもっと関心を持てという分かりやすいメッセージだったのだ。
 島の危機感はNHKだけにとどまらず、日本のマスコミ全体に及んでいた。
「ニューメディア時代を迎えた日本のジャーナリズムの現状は、目を覆うばかりである。週刊誌は売らんかなのスキャンダルをただ追うイエローペーパーと化し、新聞は大部数と引き換えに主張を失った。いわんや放送メディアに至っては、放送行政の庇護のもと保身に徹して思考放棄、視聴率なるマカ不思議な商法に振り回されて視聴者に迎合する。安かろう悪かろうの低俗番組のたれ流しだ。これでは日本の民主主義は愚民主義になってしまう」
 島の真意は、「地殻変動はNHKだけの問題ではない。商業放送・新聞・雑誌などすべてのメディアに及ぶ。どのメディアも、真実の追求によって国民に奉仕するというジャーナリズムの原点に戻って抜本的改革をしなければ新しい時代を生き抜けない」ということだろう。

 島が目指したのは、突き詰めていえば「デジタル時代にふさわしい新しい公共放送像」である。それには、少しオーバーに言えば古いNHKをぶっ壊してまったく新しいNHKとして再生させ、名実ともに世界をリードする放送機関にするという島の“壮大な夢”が込められていた。この目標に向かって島は猛烈な勢いで走り出した。しかし、島にとっては時代の流れで当然なことであっても、放送関係者、郵政省、国会議員などの多くにとっては島がなぜ改革を急ぐのかが理解できなかった。それでも島は強引ともいえるリーダーシップを発揮して内外を説得し、組織を改革の方向に引っ張っていった。
 着々と布石を打ち、NHK改革がいよいよ本格始動という段階になって島桂次の身に思わぬ出来事が起こった。国会での虚偽発言が引き金になってNHK会長の座を辞任せざるを得なくなったのである。島の大胆なNHK改革プランは、ここで頓挫してしまう。会長在任は、一九八九年四月から一九九一年六月までの二年二カ月に過ぎない。島にとっては、志半ばの無念の退任であった。
 残念なことに島の後を継いだ会長川口幹夫は、「組織を駄目にした放漫経営だ」として島路線を全否定しただけで、六年間の任期中、将来に向けての方策は何も示さず、無為のまま従来路線に終始した。
 また、その後の会長海老沢勝二も改革を実行に移す前に職員の番組制作費の着服、不正経理・流用、カラ出張などの不祥事が相次いで表面化し、組織腐敗、職員のモラル低下が進行していることが明白になった。これに怒った視聴者は、“視聴者の反乱”とでもいうべき受信料の支払い拒否という挙に出た。不払いは燎原の火のようにあっという間に全国に広がり、NHKの経営基盤である受信料制度を根本から揺すぶる事態を招いた。NHKの貴重な財産である視聴者。国民の信頼を大きく損ねたわけで、海老沢はその責任を取って任期途中の二〇〇五年一月会長を辞任した。
 後任には技師長・専務理事の橋本元一が就任した。が、批判は内部規律の弛緩のみならず、「受信料制度や公共放送の在り方」にまで広がった。橋本は三年の任期中にNHK改革の道筋をつけられず、二〇〇八年一月降板し、バトンを放送には経験のないアサヒビール相談役福地茂雄に渡した。NHK問題は、視聴者だけでなく国会や総務省なども巻き込んで、事態はますます混迷の度を深めている。
 島が真っ先に手掛けようとした“創造的破壊”とも言うべき組織改革を伴う「多メディア・デジタル時代にふさわしい公共放送のビジョン」が島退任後二十年近く経つというのに未だ作成されないのだ。NHKという巨大船は舵が故障したままマスコミという荒海を目的地もないまま浮遊しているともいえよう。
 いまの.NHKを取り巻く状況は、島が二十年近くも前に予測し警鍾を鳴らしたことの“最悪の結果”に他ならない。
「このままではNHKは大変なことになるぞ、どうすれば生き延びられるか。脳みそを絞って死ぬほど考えろ!」と机を叩いて叫んでいた島の声が私の耳にはいまもはっきり残っている。
 皮肉なことだが、最近になって島の主張・提言を現実の問題として理解し、その先見性を評価する声が、放送関係者や企業人の間からちらほら聞こえてくるようになった。「島にせめてもう二年間NHKのトップとして改革の道筋をつけておいて欲しかった。そうすればNHKは時代に適合した新しい組織に生まれ変わり視聴者の信頼を損なうこともなかったし、世界の有力放送機関としてメディア改革の先導的役割も果たせたことだろう」という声も少なくない。
 また、NHKの現状と再生案、メディア界の将来をどう考えるかを“時代の流れを読む目”を持つ島に聞いてみたいと思うのは私だけではないだろう。

 人は一つだけでなく、いくつもの顔を持っている。その人のどの顔に焦点を当てるか、どの側面を見るかによってその人の評価は大きく異なるだろう。島は「君子豹変」という言葉が好きでよく使っていた。そして、「時代はいつも大きく動いている。それなのにいつまでも一つの考え方、発想にとらわれていては駄目だ。時代に合わせて自分の考えを転換し、他に先駆けて実行する。それにはあくまで“公共のため”という筋が通っていなければならない。これが現代の君子豹変だ」と言っていた。島の思考、行動も時代の流れに対応するかのように起伏が見られる。とても一面的とは言えない。
 ここで、島桂次と本書の筆者である私との関係をごく簡単に述べておこう。私は、島より八年後輩で、もともとはNHK社会部記者だった。島が報道局次長兼報道番組部長になったとき、突如プロデューサーに担務変更を命じられ、ドキュメンタリー、NHK特集のチーフ・プロデユーサー、ニュースセンター9時(NC9)の編集責任者などを務めた。その後、海外業務、広報の責任者として、日常的に島に接した。この間、島は理事から専務理事、副会長、会長へと昇りつめた時代であった。島の退職後も、しばしば会う機会があり、現職時代には聞けなかった話を聞くことができた。
 私が地方局勤務を終えて東京に戻って来たのは、一九七二(昭和四二年)七月。二度の大阪局勤務はあったが、関連団体を含めると二八年間東京で過ごした。この間、数多くのNHK人に会ったが、島ほど強烈な個性と行動力を持ち、その優れた先見性で“本気”でメディアを変革しようとした人はいなかった。

 本書は、私の見聞、関係者へのインタビューなどを通じて、毀誉褒貶の激しい島桂次という人物を、その卓抜な先見性・実行力に重点を置きつつ多面的にアプローチし、功と罪を含め可能な限りありのままに描き出す。それによって、日本だけでなく世界を視野に入れた一人のブロードキャスターの“壮大な夢と志”を浮き彫りにしようとする試みである。同時に、メディアの歴史に新しいページをめくろうと苦闘した島桂次という異色の経営者を通じて現代のマスコミの中で最大の影響力を持つNHKという巨大組織の戦後の軌跡を辿ってみたい。
 メディア激変の時代にあって、将来ビジョンも描けず浮遊しているいまのNHK及び他のマスコミにとって、島の大胆な発想、行動力に基づくメディア戦略は大いに参考になるはずである。

2009年5月23日

盧武鉉前大統領が死亡 自殺の可能性が濃厚

 韓国の聯合ニュースは23日、盧武鉉(ノムヒョン)前大統領が自宅近くの山を登山中に滑落死したことを伝えた。頭を強く打っていたとされるが、自殺を図ろうとしたとの見方も出ている。

 盧武鉉氏は、不正資金疑惑に関する疑惑で捜査を受けており、今月1日には最高検察庁の事情聴取も受けていた。

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辺真一氏(コリア・レポート編集長)
「あまりにも盧武鉉前大統領は潔癖すぎた」(5/24)

 「盧武鉉前大統領死亡」との速報を目にしたとき、正直、間違いではないかと驚きました。健康状態が悪かったとか、入院していたという話ではなかったので、次の瞬間、死亡ならば自殺だろうと思いました。

 これまで、韓国では現政権の正当性や道徳性、清潔さを強調するために前政権の不正腐敗を暴き、叩くことが一種の政治風土として繰り返されてきました。前政権と現政権の差別化を図るために、象徴的存在である前大統領を叩く。こういった歴史はこれまで何十年も繰り返されてきています。

 さらに、韓国は血縁主義、地域主義、学閥主義という三つの要素で社会が成り立っている国です。そのため親族や同郷者、同窓生から成功者がでると、それぞれがおこぼれを求めて権力者の周りに群がるという悪しき風土が存在します。当然のことながら、盧武鉉前大統領にしても自分ひとりの力で大統領になれたわけではありませんから、恩返しという形でお友達を大統領補佐官にしたことにはじまり、半官半民の団体や機関などのトップにを据えるわけです。官僚を含めた全ての人事権を持つ大統領ですから、おこぼれを狙う恩人たちの数も相当な数に上ります。そういったシステムにも問題があるのだと思います。

 日本とは違って、韓国には「不徳のいたすところで命を絶つ」という国民気質が存在せず、歴代大統領の自殺の例もありません。それだけに盧武鉉前大統領の自殺は衝撃的でした。命を絶った理由については、あくまでも盧武鉉前大統領にしか分からないことですが、彼は貧しい境遇で幼少期を過ごし、人権弁護士、庶民派弁護士として金とは無縁の世界にいた。そういう人間が、気が付けば泡沫候補から一転して大統領候補への階段を上り詰め、大統領の椅子に座った。就任時に前政権の不正腐敗を含めて癒着、金銭スキャンダルとの是正を宣言するような潔癖な人間が、結局のところ、周囲の人間が、大統領のあずかり知らないところで、懐に金をいれてしまっていた。気付いてみれば奥さんも、お兄さんも息子も娘もと。しかし、国民は奥さんや息子たちが行っていたことを彼が知らなかったはずがないと考えます。彼はそういった噂や自分に向けられた汚名の声に耐えられなかったのだと思います。潔癖であるがゆえに自らの死を持って責任を取る道を選んだのではないかと。彼はあまりにも潔癖すぎました。もう少し、全斗煥や盧泰愚、金大中のような政治家としての、あるいは軍人としての気骨、ふてぶてしさを持っていれば、自ら命を絶つことはなかったのかもしれません。

2009年5月21日

石川嘉延静岡県知事が辞表を提出

「点数はともかく、悔いは残っていない。幸運な人間だと思える状態に来させていただいた支持者、県民の皆様に感謝したい。」(5月19日辞表提出後の記者会見で16年間の自己評価を問われて)
 静岡県の石川嘉延知事は19日、航空法の制限表面を超える立ち木の伐採完了を受け、宣言通り県議会議長に辞表を提出した。
 石川嘉延知事は93年から4期16年にわたって県政のトップであり続けた。前知事が計画した社会資本の整備を着実に進めてきたが、皮肉なことに任期切れ前の辞職の引き金となったのは初当選から県最大の事業として力を注いできた富士山静岡空港(以下、静岡空港)の問題だった。

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相川俊英氏(ジャーナリスト)
「責任をとったのでなく、やめざるをえなくなった」(5/21)

Q:任期途中の辞職となりますがどのように感じましたか?

 任期が7月末までだからお辞めになる日が1ヶ月早まっただけでしょう。
 今回の辞表提出は、責任をとったという感じではない。5選を目指しても支持も集まらない、立ち木問題も収拾つかない。それで辞表を提出したのであって、県政運営における大きなミスがあったから責任を取ったという意識ではないと思います。
 と言うのも、立ち木問題においては測量ミスが発覚してから一貫して隠蔽して解決に向けた取り組みもありませんでした。また、3回も開港を延期しているのですから、本当に責任を感じているのであれば、そのときに何とかすべきでした。

Q:辞職に追い込まれた要因は?

 知事の体質です。隠蔽して責任逃れし、ものの言い方をころころ変える。知事のそういった手法が、在任中の16年間で県庁自体の体質になってしまった。静岡県庁は官官接待のための裏金問題が発覚した所ですが、当時は何度も「裏金問題は解決しました」と言いながら、その後もポロポロと問題が発覚しました。なぜきちっと処理出来なかったというと、知事自体が責任を取らなかったからです。
 知事が責任を下に取らせるから、知事が怒るような情報を県庁職員が上げない。情報が集まらない中で問題が発覚するから、隠蔽に走る。
 その象徴が立ち木の問題でした。内々で処理しようとしたけど、内々でできるような問題ではなかった。その結果、ズルズルと時間が経って問題が露呈しました。本来であれば、その時にちゃんと責任を取るべきでした。

Q:5月19日の会見において「(地方空港はすべて無駄という)ステレオタイプの頭に凝り固まっている人たちが外の世界に多かった」と東京を中心とするメディアに対する批判がありました。

 地方空港を全否定していることは全くなく、赤字だからいけないという単純なものでもありません。ゴリ押ししてまで作る必要性があったか疑問はありますが、それより静岡空港の必要性の根拠が途中でコロコロ変わったことがおかしいのです。
 廃港にすべきとも思いませんし、出来上がった空港を地域に活かすことはできるでしょう。ただ、これだけ大きな設備は1〜2年で成果が出るものではないし、最初は赤字だとしても20〜30年先を見た上で、地域にどれだけのメリットがあるのかというように冷静に客観的に言うべきだったと思います。

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【特集:静岡空港問題】

(1)"虚構"の静岡空港 県民に知らされていない大問題
 ─ジャーナリスト・相川俊英氏が静岡空港の問題点を語る(09.1.26)

(2)続 "虚構"の静岡空港 県がひた隠す開港延期の本当の理由
 ─立ち木所有者・大井寿生氏が県の無責任体質を明らかにする(09.2.5)

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2009年5月20日

鳩山民主党の原点をどこに求めるべきなのか?——96年旧民主党の結成宣言とその背景

takanoron.png 前稿で、鳩山由紀夫代表の「友愛」「愛」という言い方に対してマスコミが間抜けとしか言いようのない低レベルの批評をしていることに腹を立てて、96年に旧民主党が創立された際の結党宣言の該当部分を引用したところ、「日本の政治風土の中で、こんな美文名文が存在していたのかと初めて知り感動した」とか「何度も何度も読み返しています」とか、過分なほどの感想を寄せて頂いたので、改めてその全文を紹介することにする(《資料1》)。

 私がそれを前稿で部分的引用に止めたのは、それを執筆したのが私であることを当時もその後も公にしてきてはいるものの、いよいよ民主党が政権を獲ろうかというこの時期に、またぞろそれを持ち出して、「民主党を作ったのは私です」と自慢しているかのように受け取られるのが嫌だったことが1つ。もう1つには、98年4月に羽田孜グループ、細川護煕両元首相、旧民社党系の人々など新進党離脱組の合流を得て「再結成」した際に民主党はこの文書をあっさりと廃棄しアーカイブとしてさえ残そうとはしなかったので、その時点で私の同党への興味と関心は半減し、以後、政策形成などに主体的に関与することは一切止めてしまったという経緯がある。従って、今ではこの文書は単に、96年当時に私と鳩山が共有した同党結成への思い入れを記念するだけの意味しか持っていないが、しかしこの決戦前夜にたまたま鳩山が代表に復帰するという巡り合わせになって、さて彼が何を思想的な原点として政権獲りに挑むだろうかと考えた場合に、間違いなくこれがその1つだと想像される。その意味では、鳩山民主党への理解を助ける歴史的資料として参考になるのではないか。

 この文書が生まれた背景の1つをなすのは、鳩山が月刊『論座』96年6月号に書いた「わがリベラル・友愛革命——若き旗手の政界再々編宣言」で、ここではそれを紹介したINSIDER同年5月15日号(旧No.362)の記事を再録する(《資料2》)。さらに、この記事が言及しているINSIDER同年3月1日号(旧No.357)「司馬遼太郎の読み方・総特集」の前書きの一節も付け加える(《資料3》)。この2つは、当時鳩山と私の間で行われていた議論を反映したもので、ここで使われている表現が上記の結成宣言にそのまま流れ込んでいることが分かる。

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《資料1》96年旧民主党結成時の理念文書・全文

 私たちがいまここに結集を呼びかけるのは、従来の意味における「党」ではない。

 20世紀の残り4年間と21世紀の最初の10年間をつうじて、この国の社会構造を根本的に変革していくことをめざして行動することを決意した、戦後生まれ・戦後育ちの世代を中心として老壮青のバランスに配慮した、未来志向の政治的ネットワークである。

●社会構造の100年目の大転換

 明治国家以来の、欧米に追いつき追いこせという単線的な目標に人々を駆り立ててきた、官僚主導による「強制と保護の上からの民主主義」と、そのための中央集権・垂直統合型の「国家中心社会」システムは、すでに歴史的役割を終えた。それに代わって、市民主体による「自立と共生の下からの民主主義」と、そのための多極分散・水平協働型の「市民中心社会」を築き上げなければならない。いままでの100年間が終わったにもかかわらず、次の100年間はまだ始まっていない。そこに、政治、社会、経済、外交のすべてがゆきづまって出口を見いだせないかのような閉塞感の根源がある。

 3年間の連立時代の経験をつうじてすでに明らかなように、この「100年目の大転換」を成し遂げる力は、過去の官僚依存の利権政治や自主性を欠いた冷戦思考を引きずった既成政党とその亜流からは生まれてこない。いま必要なことは、すでに人口の7割を超えた戦後世代を中心とする市民のもつ創造的なエネルギーを思い切って解き放ち、その問題意識や関心に応じて地域・全国・世界の各レベルの政策決定に参画しながら実行を監視し保障していくような、地球市民的な意識と行動のスタイルをひろげていくことである。

 政治の対象としての「国民」は、何年かに一度の選挙で投票するだけだった。しかし、政治の主体としての「市民」は、自分たちがよりよく生きるために、そして子どもたちに少しでもましな未来をのこすために、自ら情報を求め、知恵を働かせ、別の選択肢を提唱し、いくばくかの労力とお金をさいてその実現のために行動し、公共的な価値の創造に携わるのであって、投票はその行動のごく一部でしかない。私たちがつくろうとする新しい結集は、そのような行動する市民に知的・政策的イニシアティブを提供し、合意の形成と立法化を助け、行動の先頭に立つような、市民の日常的な生活用具の1つである。

●2010年からの政策的発想

 私たちは、過去の延長線上で物事を考えようとする惰性を断って、いまから15年後、2010年にこの国のかたちをどうしたいかに思いをめぐらせるところから出発したい。するとそこでは、小さな中央政府・国会と、大きな権限をもった効率的な地方政府による「地方分権・地域主権国家」が実現し、そのもとで、市民参加・地域共助型の充実した福祉と、将来にツケを回さない財政・医療・年金制度を両立させていく、新しい展望が開かれているだろう。

 経済成長至上主義のもとでの大量生産・大量消費・大量廃棄の産業構造と生活スタイル、旧来型の公共投資による乱開発は影をひそめて、技術創造型のベンチャー企業をはじめ「ものづくりの知恵」を蓄えた中小企業経営者や自立的農業者、それにNPOや協同組合などの市民セクターが生き生きと活動する「共生型・資源循環型の市場経済」が発展して、持続可能な成長とそのもとでの安定した雇用が可能になっているだろう。

 国のつごうに子どもをはめ込む硬直化し画一化した国民教育は克服され、子どもを地域社会で包み込み自由で多様な個性を発揮させながら共同体の一員としての友愛精神を養うような、市民教育が始まっているだろう。

 そして外交の場面では、憲法の平和的理念と事実にもとづいた歴史認識を基本に、これまでの過剰な対米依存を脱して日米関係を新しい次元で深化させていくと同時に、アジア・太平洋の多国間外交を重視し、北東アジアの一角にしっかりと位置を占めて信頼を集めるような国になっていなければならない。

 私たちは、そのようなあるべき未来の名において現在を批判し、当面の問題を解決する。そしてたぶん2010年までにそれらの目標を達成して世代的な責任を果たし、さらなる改革を次のもっと若い世代にゆだねることになるだろう。

 私たちは、未来から現在に向かって吹きつける、颯爽たる一陣の風でありたい。

●友愛精神にもとづく自立と共生の原理

 私たちがこれから社会の根底に据えたいと思っているのは「友愛」の精神である。自由は弱肉強食の放埒に陥りやすく、平等は「出る釘は打たれる」式の悪平等に堕落しかねない。その両者のゆきすぎを克服するのが友愛であるけれども、それはこれまでの100年間はあまりに軽視されてきた。20世紀までの近代国家は、人々を国民として動員するのに急で、そのために人間を一山いくらで計れるような大衆(マス)としてしか扱わなかったからである。

 実際、これまでの世界を動かしてきた2大思想である資本主義的自由主義と社会主義的平等主義は、一見きびしく対立してきたようでありながら、じつは人間を顔のない大衆(マス)としてしか扱わなかったということでは共通していた。日本独特の官僚主導による資本主義的平等主義とも言うべきシステムも、その点では例外でなかった。

 私たちは、一人ひとりの人間は限りなく多様な個性をもった、かけがえのない存在であり、だからこそ自らの運命を自ら決定する権利をもち、またその選択の結果に責任を負う義務があるという「個の自立」の原理と同時に、そのようなお互いの自立性と異質性をお互いに尊重しあったうえで、なおかつ共感しあい一致点を求めて協働するという「他との共生」の原理を重視したい。そのような自立と共生の原理は、日本社会の中での人間と人間の関係だけでなく、日本と世界の関係、人間と自然の関係にも同じように貫かれなくてはならない。

 西欧キリスト教文明のなかで生まれてきた友愛の概念は、神を愛するがゆえに隣人を愛し、敵をも愛するという、神との関わりにおいて人間社会のあり方を指し示すもので、そこでは人間と自然の関係は考慮に入っていない。しかし東洋の知恵の教えるところでは、人間はもともと自然の一部であって、一本の樹木も一匹の動物も一人の人間も、同じようにかけがえのない存在であり、そう感じることで自然と人間のあいだにも深い交流が成り立ちうる。そのように、自然への畏怖と命へのいつくしみとを土台にして、その自然の一部である人間同士の関係も律していこうとするところに、必ずしも西欧の借り物でない東洋的な友愛の精神がある。

●「一人一政策」を持って結集を

 私たちの 政治のスタイルも、当然、未来社会のあり方を先取りしたものになる。中央集権的な上意下達型の組織政党は、すでに問題解決の能力を失って20世紀の遺物と化している。私たちは、各個人やグループが自立した思考を保ちながら、横に情報ネットワークを張りめぐらせ、だれかが課題を発見して解決策を提示すればそこに共感する人々が集まって結節点が生まれ、問題が解決すればまた元に戻っていくような、人体における免役システムのような有機的な自立と共助の組織をめざしている。

 したがってまた、この結集にあたっても、後に述べるようにいくつかの中心政策を共有するけれども、それは時の経過と参加者の幅によって常に変化を遂げていくはずだし、また細部に立ち入れば意見の違いがあるのは当然だという前提に立つ。意見の違いこそが創造的な議論の発端であり、それぞれが知的イニシアティブを競い合うことで新しい合意をつくりあげていく、そのプロセスを大事にしたい。

 また私たちは、世界に向かって開かれたこの政治ネットワークの運営に当たって、電子的な情報通信手段をおおいに活用したい。私たちは電子的民主主義の最初の世代であり、地球市民の世代である。

 この「党」は市民の党である。いまから21世紀の最初の10年間をつうじて、この「100年目の大転換」を担おうとする覚悟をもつすべての個人のみなさんが、「私はこれをやりたい」という「一人一政策」を添えて、この結集に加わって下さるよう呼びかける。■

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《資料2》リベラルは愛である——リベラル論ノート(3)

 このシリーズは別に系統立てた研究をしようというのではなく、リベラルという曖昧模糊とした言葉についていろいろなイメージを重ねながらその今日的な意味を探っていくことを企図しているので、今回はいきなり最近話題になった鳩山由紀夫の月刊『論座』6月号の論文「わがリベラル・友愛革命——若き旗手の政界再々編宣言」を採り上げる。

●友愛と共生

 「リベラルは愛である」と彼は事実上の新党結成の呼びかけであるこの文を書き出している。愛とはラブではなくフラタナティつまり友愛で、その言葉遣いを彼は祖父の鳩山一郎元首相から引いている。

「つきつめて考えれば、近代の歴史は自由か平等かの選択の歴史といえる。自由が過ぎれば平等が失われ、平等が過ぎれば自由が失われる。この両立しがたい自由と平等を結ぶかけ橋が、友愛という精神的絆である」

 弱肉強食と悪平等の中間に位置する友愛社会を実現することが、リベラルの目標だと彼は言う。さらに、友愛とは、多種多様な生命が自由に往来するこの時代に「相手との違いを認識し許容する」ことであり、その意味で「共生の思想」につながるとも彼は言う。

 自由・平等・友愛とひとまとめにして言うが、その中で何となしに付け足しのように扱われてきた友愛を、そのように積極的な価値として位置づけ直すという論点はなかなかおもしろい。そして私はNo.357本欄でも触れたように[下記《資料3》参照]、そこに時間軸を導入して、20世紀の中心思想であった資本主義的自由主義も社会主義的平等主義も、地を這うようにして生きる人々を顔のない大衆として——政治的にも経済的にもひと山いくらで計量できるような存在としてしか扱ってこなかったという点では実は同質であり、その両者を超えて21世紀の中心思想であろうとするリベラリズムは、1人1人の人間の個としてのかけがえのなさを認め合うことを通じて初めて、自分の自由が他者の自由でもあるような共生的な市民社会の実現が可能であると主張するところに、その最大の特徴があるのではないかと考えている。

 人間だけではなしに、個々の地域がやはり限りなく多様な個性を持つことを尊重しようとすれば、それが「分権」ということになり、また生命体としての地球上に存在するすべてがまたそうであると認識すれば、それが「エコロジー」となる。

●多国籍国家=日本

 人間の共生の1つの例として、鳩山は「定住外国人に国政参加権を与えることを真剣に考えてもよいのではないか」と提唱している。

 日本には現在人口の1%に当たる135万人の外国人が住んでいるが、「まず、他の国々に比べて外国人の比率がかなり低いこと自体が大いに問題で」、これは外国人にとって日本が住みにくい国であることを物語っている。そのことは在日外国人にとって問題であるだけではなくて、「日本人の心はけっして外国人に開かれていない」こと、つまり多様な文化を持った他者の自由を認めて受け入れようとしないその程度に応じて実は日本人自身の自由が制約されているのだということに気がつかないことを意味している。

 そのような考えから鳩山は、地方自治体の職員採用に国籍条項をはずすこと、定住外国人に地方参政権を与えることから、さらに進んで国政参政権についても検討すべきだと言う。「行政や政治は、そこに住むあらゆる人々によって運営されてしかるべきである。それができないのは畢竟、日本人が自分に自信がないことの表れである」

 しかし共生すべきは人間同士だけではないはずで、自然に対して「畏怖の気持ちを抱き、自然と共に生かされている感謝の気持ちで行動する原点に戻らなければならない」のであり、その意識を啓発する上からも彼は国内的には「環境税の導入」が必要であり、また国際的には「南が経済的に北に追随する速度以上に、北が環境において南を支えていく」ような南北関係の調和を求めるべきだと主張する。

●個のネットワーク

 新しい政治勢力は既存の政党同士の合併のような形では結集し得ないと鳩山は言う。リベラルが個の自由の尊重であるとすれば、政治家1人1人が個の自由と責任のもとに自分自身の決断として集合しなければならない。

「したがって個の自由によってつくられる政党は、旧来のヒエラルヒー型政党とは必然的に異なる。人体の器官の有機的結合において脳と心臓のどちらが大切か問われても答えられないように、構成する個が有機的なネットワークで結ばれる政党が誕生する」

 その政党は当然、党議拘束から原則的に自由であり、また続々と誕生しているローカル・パーティも含めて他党との間で特定の政策単位で政治契約を結んで協力し合う姿をとるだろう。さらに「このような多層多元的ネットワーク構造を生かしつつ政策決定をするには、政党がシンクタンクを持つことが必須の要件となる」

 官主導から民主導の政治を取り戻すには、議員立法が重要になるが、そのための情報、人材、予算の制約が大きい。そこで、研究者を予め抱え込むようなシンクタンクではなくて「個別課題ごとに有識者をネットワークさせ、自らは編集機能のみを持つシンクタンクが望まれる。またその政策立案の過程では、より多様な意見を反映させる手段として、マルチメディアを活用すべきである、と彼は言う。つまりシンクタンクもまた、専門家や市民の多様な意見を集約するネットワーク型のものでなければならないとイメージされている。それをさらに普遍化すれば「電子技術を用いた国民投票的行為」も可能になる。

●リベラル合同

 鳩山一郎は1955年の「保守合同」の立役者だった。その祖父から友愛という言葉を借りながらそれに新しい意味を見いだそうとしている鳩山由紀夫は、いま自らがなそうとしていることを、今度は「リベラル合同」だと呼んでいる。

「新たな政治の流れは自己の尊厳の確立と共生、すなわち自愛と利他というデュアルメッセージに基づく友愛リベラリズムであり、その形成は“保守合同”に対比して“リベラル合同”と呼ぶことができよう」

 その組織原理は上述のような意味での1人1人の志を基礎にしたネットワークであり、「そのことによって、人間は人為的な国益、省益、企業益といった既得権益の壁を乗り越え、デュアルメッセージである市民益と地球益の重要性に気づくことになろう」

 この一文の冒頭で鳩山は「青臭いとの批判をあえて覚悟のうえで」これを書くと断っている。しかしこの閉塞の中で必要なのはむしろ青臭さであるのかもしれない。■

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《資料3》「司馬遼太郎の読み方・総特集」前書きより

 司馬さんは、日本では数少ない天性のリベラル人だったのではないでしょうか。鳩山由紀夫さんがよく「リベラルは愛だ」なんて言いますが、その意味は、自由は行き過ぎれば放埒と弱肉強食の獣性に行き着きかねず、平等もまたそれだけでは統制の下での画一しかもたらさない。その両者のバランスをとる役目は友愛にあるというのです。

 実際、資本主義的自由主義と社会主義的平等主義という20世紀の2つの主義は、しかし、どちらも地を這って生きる人々を顔のない大衆としてしか扱わなかったことでは一緒で、ただその両者のバランスをとればいいのではなくて、両者を超えて1人1人の個人や1つ1つの地域の個性を限りなく大事なものとして、その違いをこそ尊重し合うような社会にしていくことが、たぶん今日的な意味でのリベラルということなのでしょう。

 司馬さんを今度少し読み直してみて、いろいろな個性が自由闊達に活動して独創性を発揮できる社会が理想だというのでなく、日本はもともとそういう歴史を持った国なのだということを懸命に論証しようとしていたのだなということがよく分かりました。それだけに戦前の軍部と戦後の大蔵省の行いに本気で腹を立ててもいたのです。バブルの果てのこの結末を、太平洋戦争の敗北よりもっと深刻だと言い切る時の司馬さんの無念さを想うと胸が詰まるものがあります。■

2009年5月18日

特集:革命闘争第二幕!小沢代表辞任とその行方

 凄絶なる権力闘争の第二幕がはじまった。

 《THE JOURNAL》では、今年3月に発覚した西松献金事件を政権交代をめぐる権力闘争の第一幕と位置づけ、『小沢一郎秘書逮捕!西松献金事件の真相と深層』との特集を発信してきたが、11日夕に小沢一郎代表が辞任の意向を示したことで、ドラマは劇的な展開をはじめた。

 小沢一郎はいま何を考えているのか。解散総選挙はどうなるのか。激動する永田町を『革命闘争第二幕!小沢代表辞任とその行方』としてまとめ、徹底分析する!

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【関連特集】
■特集:小沢一郎秘書逮捕!西松献金事件の真相と深層

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【記事一覧】
■高野孟:鳩山民主党は「小沢院政」批判に惑わされるな!(5/18)
■田中良紹:「世論が大事」と言うデタラメ(5/17)
■二見伸明:「剛腕・小沢」は≪公共財≫だ(5/17)
■速報!民主新代表に鳩山由紀夫氏(5/16)
■山口一臣:小沢院政で何が悪い?(5/16)
■岡田vs.鳩山 民主党代表選討論会が開かれる!(5/16)
■『この人に訊く!』小沢代表辞任騒動:渡部恒三氏(民主党最高顧問)(5/15)
■田原総一朗、堀江貴文ほか:小沢一郎が代表辞任を表明(5/16)
■山口一臣:第3の候補 擁立工作失敗!(5/15)
■山口一臣:【特報】民主党代表選 第3の候補が急浮上!(5/14)
■『この人に訊く!』小沢代表辞任騒動:鈴木宗男氏(新党大地代表)(5/14)
■平野貞夫:民主党の国会議員よ、政治の本質を学べ(5/14)
■『この人に訊く!』小沢代表辞任騒動:石井一氏(民主党副代表)(5/13)
■山口一臣:小沢代表が辞任しても検察の「罪」は消えない(5/13)
■二見伸明:「言論テロ」のツケは、結局、庶民生活の破壊につながる(5/13)
■二木啓孝:小沢一郎と七人の侍(5/12)
■田中良紹:元気はつらつ辞任会見(5/12)
■小沢辞任会見を公開(5/11)
■山口一臣:速報! 小沢辞任会見の全文(5/11)

鳩山民主党は「小沢院政」批判に惑わされるな!——戦術的後退と戦略的前進

takanoron.png 13日付の「朝日川柳」欄に一句あって「なぜ辞任白々しくも各メディア」と。

 「小沢辞めろ!」の大合唱を繰り広げた末に、辞めたら辞めたで「なぜ今辞めるのか?」と言うのがマスコミである。で、急遽代表選が行われるとなれば、その延長線上で「親小沢か反小沢か」という虚妄の争点をデッチ上げて、親小沢の鳩山由紀夫では「小沢院政」くらいならまだしも「小沢傀儡」になるとまで言って、反小沢の岡田克也を支援する論説やら世論調査やらを繰り出してのまたまた大合唱である。

●マスコミの虚妄

 それにめげずに鳩山が予想以上の差をつけて代表選に勝利すると、翌日の例えば朝日は「そこで問われたのは、小沢依存体質からの脱却」であり「親小沢vs非小沢の構図が鮮明になった」が「選ばれたのは幹事長として小沢氏を支え、辞任に至るまで深く関わった鳩山氏だった」と、いかにも悔しそうに言い、そして「鳩山氏はまず『小沢院政』の疑念を明確にぬぐわなければならない」と、今後とも朝日が鳩山が小沢の操り人形にならないかを監視していくという報道姿勢を宣言した(17日付1面の前田直人解説)。同日付の社説でも、「『親小沢か、非小沢か』といった点が注目された」(されたんじゃないでしょう、朝日はじめマスコミはそこだけが注目されるよう世論誘導したんでしょうに)けれども、鳩山では「『刷新』という点で疑問符がつきまとうのは避けられない」といちゃもんを付けている。

 マスコミはこぞって、「小沢では選挙に勝って政権交代を果たすことは出来ない」と言い続けてきたのではなかったか。それでいて鳩山になると「鳩山では勝つのはおぼつかない」かのように言い出して、だったら岡田ならどれだけ勝てるのかについて検証もないままに単に気分で「岡田の方がよかった」と言っている。すべてが馬鹿げているのである。

 私は依然として、小沢は辞めるべきでなかったと思っていて、その理由は(これとて検証材料がある訳ではなく直観的判断にすぎないが)小沢代表で戦っても他の代表で戦っても選挙結果には大した違いがないはずで、そうであれば小沢を代表に担いだまま正面突破を図って自民党だけでなく検察とマスコミにも鉄槌を下すべきだからである。前にも書いたように、この総選挙を通じての政権交代の中心争点が、自民党=金権政治に対する民主党=クリーン政治にあるのであったとすれば、小沢代表のクリーン度にいささかでも疑念があれば戦えない。もちろん政治はいつでもクリーンであるべきで、小沢がその点を疑われるような過去を清算し切れていなかったのは残念極まりないことではあったけれども、そのことは少なくとも中心争点ではなく、そうであれば、この事件を逆手にとって民主党が自民党では絶対に受け容れられない「企業・団体献金の禁止」をマニフェストに盛り込んで副次的争点の1つに仕立て上げれば十分に戦うことは出来たはずである。

 なのにマスコミがまるでそれこそが中心争点であるかに騒ぎ立て、それに煽られて、政権交代のための革命的な権力闘争に命懸けで身を投ずる覚悟もない民主党のピーチク議員が「小沢では戦えない」などと、自分がマスコミの虚妄の論調と戦って有権者を説得し抜くだけの力量がないのを棚に上げて全部を小沢のせいにすり替えてパーチク言って、そういうマスコミと議員の連動性の知的レベルにウンザリして小沢は辞めたのだろうが、それはやっぱりプッツンであって、本当は小沢はそのピーチクパーチク連中を全員集めて徹夜でも何でも討論集会を開いて、彼らを革命的戦士に鍛え上げるべきだった。そういうことを「面倒くさい」と思ってしまうところが小沢の最大欠陥であって、鳩山はそこに関しては小沢を見倣うべきでない。

 話を戻して「院政」論だが、17日のサンプロで田原総一朗が鳩山に対して「小沢院政で操り人形になっているんじゃないかと言われているから、これからはいかに小沢さんが深く関わっていないと思わせないと総選挙で勝てない」という趣旨のことを言ったのに対して、私は「それには反対です」と挙手をして、おおむね次のようなことを言った。

「誰がやっても『小沢院政』になるんですよ、岡田さんになったって。小沢の力を十分に活用して政権を獲りにいくという今の戦略局面は変わっていない。それをマスコミが『親小沢・反小沢』という架空の対立軸を作って(引っかき回してきた。)仮に岡田になっても小沢の力を使って選挙をやるんですよ、そんなことは誰もが分かっているじゃないですか」と。

●「愛」について

 もう1つマスコミの虚妄を示す例は、鳩山が代表選の中で「愛」という言葉を口にし、「自立と共生」、その両者をつなぐものとしての「友愛」という価値観を提起したのに対し、お馬鹿な記者が「今時、愛なんて女学生も言わない」とケチをつけたことである。不勉強が過ぎる。たぶんこの記者は、愛がloveだと思っていて、fraternityという言葉を知らない。

 96年の旧民主党結成時の宣言は、4章のうち1章を「友愛精神にもとづく自立と共生の原理」に充て、次のように述べていた。

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 私たちがこれから社会の根底に据えたいと思っているのは「友愛」の精神である。自由は弱肉強食の放埒に陥りやすく、平等は「出る釘は打たれる」式の悪平等に堕落しかねない。その両者のゆきすぎを克服するのが友愛であるけれども、それはこれまでの100年間はあまりに軽視されてきた。20世紀までの近代国家は、人々を国民として動員するのに急で、そのために人間を一山いくらで計れるような大衆(マス)としてしか扱わなかったからである。

 実際、これまでの世界を動かしてきた2大思想である資本主義的自由主義と社会主義的平等主義は、一見きびしく対立してきたようでありながら、じつは人間を顔のない大衆(マス)としてしか扱わなかったということでは共通していた。日本独特の官僚主導による資本主義的平等主義とも言うべきシステムも、その点では例外でなかった。

 私たちは、一人ひとりの人間は限りなく多様な個性をもった、かけがえのない存在であり、だからこそ自らの運命を自ら決定する権利をもち、またその選択の結果に責任を負う義務があるという「個の自立」の原理と同時に、そのようなお互いの自立性と異質性をお互いに尊重しあったうえで、なおかつ共感しあい一致点を求めて協働するという「他との共生」の原理を重視したい。そのような自立と共生の原理は、日本社会の中での人間と人間の関係だけでなく、日本と世界の関係、人間と自然の関係にも同じように貫かれなくてはならない。

 西欧キリスト教文明のなかで生まれてきた友愛の概念は、神を愛するがゆえに隣人を愛し、敵をも愛するという、神との関わりにおいて人間社会のあり方を指し示すもので、そこでは人間と自然の関係は考慮に入っていない。しかし東洋の知恵の教えるところでは、人間はもともと自然の一部であって、一本の樹木も一匹の動物も一人の人間も、同じようにかけがえのない存在であり、そう感じることで自然と人間のあいだにも深い交流が成り立ちうる。そのように、自然への畏怖と命へのいつくしみとを土台にして、その自然の一部である人間同士の関係も律していこうとするところに、必ずしも西欧の借り物でない東洋的な友愛の精神がある。
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 これは、旧民主党結成に向かう1年がかりの理念・政策討論の中で鳩山と私が議論し、私が文章としてまとめたもので、西欧的な概念である友愛を東洋的・日本的な八百万の神的な観念に置き換えたところに面白みがあった。これに対しては、当時、キリスト教関係者から「キリスト教を批判するのか」とクレームがあったが、「いや、批判でなく、キリスト教に学びつつそれを日本的に捉え直したんですよ」と言い返すという一幕もあったりした。それはともかく、このような意味での「友愛」こそ、来るべき民主党=鳩山政権の哲学的基礎であって、それをキーワードとして資本主義的自由主義、社会主義的平等主義およびその変種としての日本の明治以来の官僚主義的資本主義の限界を一気に超えていこうとする意欲の表現である。

 こうして、小沢辞任は、民主党全体が一丸となって検察の専横とそれに同調するマスコミの虚妄と戦い続けることを避けたという意味で戦術的な後退ではあるけれども、だからといって、小沢の“剛腕”を十分に活用しつつ総選挙に勝って政権交代を実現するという戦略局面には何ら変わりはなく、その戦術的後退を戦略的前進に転化していくことが鳩山に課せられた使命である。マスコミの虚言に囲まれながらも、彼が小沢を堂々と代表代行・選挙担当に据えたことがその第一歩である。▲

2009年5月17日

小沢落語:「剛腕・小沢」は≪公共財≫だ

二見伸明氏(誇り高き自由人、元衆議院議員)

「ご隠居。民主党の新しい顔が決まったね」

「顔じゃない、頭が決まったのだ。天下分け目の一戦で勝てば、日本国の将軍になる人を、顔で選ぶバカがいると思うか。どこかの美人コンテストとは違うのだ。言葉遣いに気をつけろ。だけど、二人とも、いい顔、していたな。しかし、問題はこれからじゃ」

「小沢大将の扱いですか」

「そうよ。勝敗の分かれ目は、新代表を先頭に、小沢を核にした総合力をつくれるかどうかだ。自民党には、手練手管に長けた、百戦錬磨の古強者がいる。それに太刀打ちできるのは、小沢だけ。大阪の陣で、豊臣が負けたのは、臆病で嫉妬深い重臣たちが、眞田幸村、後藤又兵衛など英雄、豪傑をソデにしたからだ。幕府軍が最も恐れているのは、一声上げれば、「おー」と応える三百万、五百万の仲間がいる『剛腕・小沢』だ。幕府は瓦版屋と紙芝居屋を、またぞろ、抱き込んで、「小沢追出し」の陰謀を企んでくると思う。いやな言葉だが、選挙とは権力闘争そのものなのだよ」

「ご隠居。瓦版屋や紙芝居屋は『反小沢』『親小沢』って、騒いでいて、朝に晩に『詰め腹切らされた小沢大将が院政を敷く』と言い触らしているよ」

「それは、幕府が流している、どす黒い噂話だ。人気凋落の麻生幕府が狙っていたのは、民主党のお家騒動さ。そのために、瓦版屋や紙芝居屋を嘘っぱちのネタと脅しで抱き込んでいるのだが、最近の民草(注:人民)は賢いから、お上の思うようにはいかないだろうけどな」

「でも、どうせ宣伝するなら、民主党も二十日間くらい、お披露目興行すればよかったのに」
 
「歌舞伎役者や噺家とは違うのだよ。プロ野球の監督がシーズン途中に辞任した場合、後任の監督を決めるのに、十日も二十日もかける球団があるか。そんなことをすりゃ、最下位まちがいなし。まして、明日にも宣戦布告されるかもしれないときに、のん気なことを言っていられるわけがない。しかも、顔も気質も知っている仲間から大将を選ぶんだから、その気になれば二、三日で決められるはずだ。日にちをかければ、敵の密偵に入り込まれるだけだろう」

「だけど、専業の議員さんがブツブツ不満を漏らしているらしいよ」

「どこの党にも、不満分子は居るさ。決まるまでは、なに言ってもかまないが、決まった以上、従うのが、民主主義ってやつのイロハじゃ」

 アメリカの高級週刊誌・「タイム」は、小沢一郎を「マーベリック」と評価した。(注:マーベリックとは、十九世紀後半のテキサスの開拓者、サミュエル・マーベリックに由来する。昨年のアメリカ大統領選では、共和党の候補でありながら、ブッシュ政権を批判するマケイン氏をマスコミは「政治改革者・マーベリック」と呼び、「マーベリック」という名が有名になった。いい意味での「異端者」のことをさす)。

 中国は一、二年後には日本を抜いて、アメリカに次ぐGDP世界第二位になるとの予測もある。小沢の外交路線は、日米、日中等距離外交、いわゆる、二等辺(あるいは、正三角形)外交である。これは米中超二大国に挟まれた日本の国際戦略を考えた外交理念だろう。クリントン国務長官との会談のやりとりや「第七艦隊」発言は、日本がアメリカのポチではなく、対等に話し合うことの出来る存在であることを示す、アメリカからの自立宣言だと思う。小沢は、中国の要人には「一党独裁は破綻する」と平然として苦言を呈する。タイムは、小沢の率いる日本は、「アメリカにとって、やっかいな仲間」と述べているが、まさに、「マーベリック」の面目躍如である。

 民主党の旗印「霞ヶ関改革」「年金の一元化、基礎年金の財源は消費税」「地方分権、補助金を一括して地方に交付」などは、新進党時代、小沢一郎のもとで議論し、小沢自由党の基本理念、政策になり、民主・自由合併で、新しい民主党の基本理念・政策に昇華したものである。国の在り方を抜本的に組み替える小沢構想は壮大すぎて、理解されず、猛反撃を受けた。にもかかわらず、ひたむきに、その実現を目指し、自由党時代には、自自連立をしたが、自民党に騙された。自由党が連立を離脱するとき、小渕恵三総理が「イッちゃんの『改革」』は良く判るし、イッちゃんと一緒にやりたい。しかし、自民党がそれを許さない」と語ったことが、私には忘れられない。
 
 小沢は「剛腕」である。それも決められたルールの中での剛腕であって、マスコミが言うような横紙破りではない。彼は国の根幹に関わるような議論は大好きである。元外務総括政務次官の東祥三氏が、かつて、小沢に安全保障問題で論戦を挑んだことがある。小沢の論理は理路整然としていて「名人が豪刀を振りかぶる、ド迫力があった」と、東は語っている。若手政治家は小沢に、胸を借りるつもりで論戦を挑み、政治家としての力量を養うといい。

 2004年、民由合併直後の参院選のとき、小沢は無冠の一議員として、山間僻地、過疎中の過疎の大分県千歳村でビールケースに乗って応援演説をした。目撃した私の友人は「ヒトが五百人ほど、地から湧いてきた」と言った。訥々とした岩手弁が心に沁みたそうである。

 パフォーマンスは心に残らない。政治家は、演説の「技術」を身につける前に、心に残る真実の叫びを心がけるべきだ。

 小沢ほどポストに執着しない政治家はいない。民主党内の反小沢派は「政権交代こそ我が生命」を額面どおり受けとめる度量をもつべきだ。

 私は、小沢を、「古く腐ったものを壊し、新しいものを創る」ための≪公共財≫だと思っている。「改革」が出来なければ、政権交代が実現しても、意味がない。

2009年5月16日

速報:民主党の新代表に鳩山由紀夫氏

 民主党は16日、両院議員総会による代表選挙を行い、鳩山由紀夫氏が岡田克也氏を得票数で上回り、新代表に選出された。

 得票数は有効投票数220票、鳩山氏が124票、岡田氏が95票、無効票が1票。

 鳩山氏は選出後の決意表明で「代表選挙が終った瞬間から(岡田陣営とは)ノーサイド。これからは民主党が中心となって大きな日本の大掃除をやろうじゃありませんか」と出席した民主党の全議員に訴えた。

岡田vs.鳩山 民主党代表選討論会が開かれる!

 民主党代表選に立候補した岡田克也副代表と鳩山由紀夫幹事長は15日午後、東京内幸町の日本記者クラブでの公開討論会に出席し、16日の投票日を目前にして、熱い議論を交わした。

 討論会の模様は各メディアが詳報を伝えている。主な報道は下記の通り。

■民主党代表選候補 討論会動画(videonews.com)
http://www.videonews.com/press-club/0804/000995.php

■民主党代表選 日本記者クラブ討論会詳報(MSN産経ニュース)
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090515/stt0905151652012-n1.htm

■民主党代表選 公開討論会詳報(毎日新聞)
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20090516ddm005010022000c.html

2009年5月15日

この人に訊く!:小沢代表辞任騒動(渡部恒三氏 民主党最高顧問)

辞任については「潔く爽やか」と評価しつつも、そのタイミングについては大久保秘書が起訴された24日がベストだったと指摘。辞任支持派の立場をとった理由には中堅・若手議員たちからの「退陣を求める声」などを挙げた。

『この人に訊く!』第三弾は、民主党最高顧問の渡部恒三(わたなべ・こうぞう)氏です。

■小沢代表辞任:渡部恒三氏:民主党最高顧問(撮影日09.5.15)

小沢一郎が代表辞任を表明

 民主党の小沢一郎代表は11日午後、辞任の意向を固めた。16日に開かれる次期代表を選ぶ選挙には、鳩山由紀夫幹事長と岡田克也副代表が立候補を表明。16日15時ごろに新代表が選出される予定。

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田原総一朗氏(ジャーナリスト)
「自民党は次のリーダーに舛添要一を担ぐ可能性も」(5/15)

 自民党としては、小沢さんが辞任しない方がよかった。小沢さんが代表続投をしていれば、麻生内閣の支持率はさらに上がったかもしれないからだ。

 だが、小沢さんは代表を辞任した。今後、自民党はどうするのか。これ以上は支持率の回復は見込めず、逆に落ちる可能性もでてきた。実は、麻生内閣の支持率が上がってきたのは、新しい自民党の支持者が増えたわけではない。自民党支持者の多くは、ここ数年で民主党支持にまわっていたのだが、それが西松事件の発覚以降、民主党に一回行ってしまった支持者が自民党に戻ってきた。現在でもすべての支持者が戻ってきたわけではないが、この流れが今後も続くのかどうか。小沢さんが辞めたことで、これらの支持者は再び民主党に戻ってくるかもしれない。ここのあたりが微妙なところだ。

 そのため、これから民主党が優勢になり、「麻生さんでは総選挙に勝てない」という空気になってくると、与党内で別の動きが出てくる可能性もある。一時、麻生さんの支持率が10%近くになったとき「次の首相は誰がいいか」という動きがあったが、そのような動きが再び出てくることもあるだろう。

 現在、自民党の候補者のポスターには麻生さんではなく、他の人と一緒に撮影しているものが多い。その中でも一番多いのは厚労大臣の舛添要一さんだ。となると、ここで「舛添さんを次の首相に」という声が出る可能性もある。また、舛添さん自身にも野心が十分にある。おそらく、彼は今度の選挙までに自民党総裁にはならなくても、参議院から衆議院に変わるだろう。そうなると、党内から舛添さんを首相に推す声が出てくるだろう。

 自民党というのは何でもアリの政党だ。過去には、自民党の一番の天敵であった社会党の村山富市委員長を総理大臣にしたこともあるほどだ。政権を守るため、自民党内にそういう動きがおきる可能性は十分にある。
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堀江貴文氏(元ライブドア社長)
「最後の役目として検察改革を含めた司法制度改革をやってほしい」

 そもそも、民主党が旧社会党と自民党脱藩組の寄合政党的な側面を持つので、小沢氏の汚点に対する批判に耐えられなくなり、分裂の危機となったのであろう。だから、辞任を決意したのだろうが、決意するならば本来はもっと早くやるべきだった。

 これをきっかけにして、小沢氏には最後の役目として検察改革を含めた司法制度改革をやってほしい。特捜部ありきではなく、その存在意義も含めてこの不透明な刑事司法の現状をクリアにしてほしいものである。その他の政治資金規正法とか、ネット選挙とかそういうのは次期民主党執行部がやってくれるだろう。

 が、民主党が選挙に勝てるかというと非常に微妙になってきた。

 これから、まだまだ爆弾が出てきそうだし。このまま自民党+公明党がギリギリで逃げ切るんじゃないか?本来なら、これで分裂して自民党の改革派と合流して政界再編の流れができれ ばよかったのだけど。景気が回復してくるまでは、当面バラマキ派が実権を握りそうだ。
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二木啓孝氏(ジャーナリスト)
「政権交代後に民主党は破壊力を持てるのか」(5/11)

Q:小沢辞任についてどのように感じましたか?

 辞任の理由は、今日発表された読売の世論調査などでも「小沢辞任」を求める声が多く、小沢代表も会見で話していましたが、今回の騒動が民主党の議員に不安を与えているからでしょう。そこで、政権交代のためには選挙に勝つためには身を引いた方がいいという判断をしたということです。

 問題は、政権交代が実現した後に、小沢さんがどういう位置にいるかということです。つまり、小沢さんの突破力というのは選挙だけではなく、選挙後の突破力、特に霞ヶ関に与える破壊力についての期待があるわけです。ここで小沢さんが身を引いたことで政権交代が実現できても、民主党は(日本の)形を変えられるのかどうか。

Q:なぜ、このタイミングで辞任したのでしょうか?

 辞任のタイミングは連休中に決めていたのでしょう。ここでのポイントは、小沢辞任が補正予算の衆議院通過後で、その後に代表選をやるということです。

 これで補正予算が通過した後、メディアは代表選一色になる。参議院は野党が多数派なので、採決はいくらでも引き延ばせます。小沢さん自身は意中の人がいるのでしょうが、それを名言しないことで代表選がみんなの話題になる。そして、誰が代表になっても選挙の前ということもあり、民主党の結束は固まる。その意味では、衆議院通過後に辞任するという決断はやはり「策士」ですよね。

2009年5月14日

この人に訊く!:小沢代表辞任騒動(鈴木宗男氏 新党大地代表)

辞任会見が行われた5月11日に小沢代表から直接、電話をもらったという鈴木宗男氏。

辞任については「政権交代を考えての決断。小沢さんらしく潔い」と評価したうえで、辞任の背景にあるメディアの過剰な『やめろ報道』について「フェアじゃない」と怒りをあらわにした。

『この人に訊く!』第二弾は、新党大地代表の鈴木宗男(すずき・むねお)氏です。

■小沢代表辞任:鈴木宗男氏:新党大地代表(撮影日09.5.13)

■≪THE JOURNAL≫読者に向けてのメッセージ

民主党の国会議員よ、政治の本質を学べ

平野貞夫氏(元参議院議員)

 五月四日、私は徳島市の市民集会で講演し、次の要旨のことを「結び」とした。

「小沢代表は政治資金規正法を尊重して、模範的に収支報告する政治家として知られている。これを脱法行為というなら、自民党・国民協会のやっていることは、違法で許されることではない。明らかに『野党に政権を渡さないための政治捜査』だといえる。
 これを民主主義、議会政治の危機と捉える意見がどうして民主党の党論とならないのか。『週刊朝日』五月十五日号には『いま小沢が辞めたら民主主義の敗北だ』という高野孟の文章が載っている。ぜひ読んでほしい。
 平成二一年という時期『国民の生活が第一』『日本型セーフティーネット』をつくろうという小沢代表。その国民がつくる政権を目前にして『政治捜査』を行ったのは、七五年前の昭和九年『帝人事件』の歴史の繰り返しだ。『正常な国に戻そう』という斉藤実内閣を総辞職に追い込み軍事体制をつくった『検察ファッショ』を繰り返してはならない。
 奇しくも、斉藤実首相と小沢一郎民主党代表は岩手県の水沢の出身である。人間の宿命とは不可思議なものだ。小沢代表の天命は斉藤実首相の悔しい思いを七五年経た平成二一年、民主主義を怖そうとする勢力に勝利して、日本に真の民主主義を確立することだ」

 ところが一週間後の五月十一日、小沢代表は「挙党一致」のためという理由で、突如退陣を表明した。私は「小沢代表公設秘書逮捕は民主主義と議会政治の危機という認識を、民主党の基本方針として、小沢代表で総選挙を闘うべし」との意見であった。これが実現できなかったことは残念である。

 問題は、小沢代表が退陣して政権交代ができるのか。そして民主主義や議会政治の危機が避けられるかどうかにある。

 小沢代表の後継を選ぶ代表選挙の日程をめぐって民主党内の議論をみるに、「そんな見識で国会議員が勤まるか」と、私は怒っている。政治の本質、議会政治の基本に無知な発言が、マスコミ出身者や政策論議で知られている議員から出たことに抗議したい。

 議会政治の基本は「有権者を代表することだけではない。有権者を説得し教育する」という両輪で機能する。「次の首相になるかもしれない代表に誰がふさわしいか。国民の声、開かれた代表選挙を」とはあきれはてる。

 なんのために国会議員になったのか。四ヶ月以内総選挙があり、いつ解散がという緊急事態だ。自分で決められないようでは、国会議員を辞めるべきだ。真実の世論は議会政治の生命だが、現在の日本にそれがないのが悲劇だ。一部の新聞やTVで流されている世論が、いかに民主主義を害しているのかわからないのか。多くの政治報道が昭和九年の「帝人事件」時代と同じ、権力の手先であることを知るべきだ。

2009年5月13日

この人に訊く!:小沢代表辞任騒動(石井一氏 民主党副代表)

5月11日に代表辞任の意向を固めた小沢一郎代表。

辞任会見では「挙党一致体制」と何度も繰り返し、政権交代に向けて吹っ切れた様子だった。

今回の辞任について《THE JOURNAL》読者からは、「民主主義の敗北」との声が多数寄せられたが、小沢代表に近しい、この方々はどのように見たのか。

《THE JOURNAL》では、西松建設事件に端を発した一連の小沢代表辞任騒動について、関係者たちに“ネットメディアならでは”の切り口で質問をぶつけていきます。

『この人に訊く!』第一弾は、民主党副代表の石井一(いしい・はじめ)氏です。

■小沢代表辞任:石井一氏:民主党副代表(撮影日:09.5.11)

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Q:代表辞任については、小沢氏とどのような話をしましたか?
 
 連休に入る前の4月28日の昼に一時間ほど、夕方に30分ほど話をしました。彼は「連休中に(進退を)考える」と。しかし、僕は「プッツンしたらあかんぞ」と言った。以前、大連立のときにプッツンして辞表を書いたことがありましたからね。小沢は地位と名誉や役職や財産ということを度外視している政治家ですから、扱いにくい面もあるわけです。

 その後、「連休中に連絡するかもしれないから、居所をちゃんとしておいてくれ」と言われたので、ひょっとすると連休中に相当厳しい決断をするのかもしれないという不安を感じていました。そして、連休があけたあと、辞任発表の前に連絡をしてきました。「いろいろ心配もかけたし、本当に申し訳ないけど、辞意を固めた。了承してくれ。ピンちゃん(石井氏の愛称)、本当にすまん。許してくれ」と言っていました。僕は彼が辞意を固めた以上、これはもはやなだめても無理だと思いました。それから彼は辞任会見に向かっていきました。

Q:辞任についてはどのように思いますか?

 私の考えとしては、続投したほうがはるかに良かったと思う。今回の政権交代は、平時の淡々としたものではない。革命的な大改革をやらなきゃいかん。だから、小沢でないとやれないところがたくさんあったと思う。

 ただ、この三年間、民主党の地方組織も強くなった。特に、彼と反対の立場にあるはずの連合などの旧社会党系との関係も非常に強くなった。また、旧自由党系の、本来なら保守系で自民党支持という部分を民主党は取り入れていった。だからこそ、07年の参院選において第一党にのし上がったという実績があるわけです。

 それだけに、政権交代目前まできていたこの時点で、西松事件がおこったことは本当に不幸で、小沢にとって不幸だとか、民主党にとって不幸というよりも、日本の政治全体にとって不幸です。これによって喜んでいるのは自民・公明党や、いわゆる既得権を持った官僚ですよ。彼らにとってプラスであったかもしれないけど、国民にとっては大きなマイナスだったと思う。

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Q:小沢氏が代表を辞任した理由は?

 「小沢が辞めることが民主党にとって有利だ」というふうにあそこまでマスコミで宣伝されたら、それは国民だって同調します。私は、これは、マスコミ主導の過剰な情報操作だと思う。

 マスコミ主導の世論操作と党内の一部の不満分子、といっても10人もいないだろうと思うけど、200人以上の民主党議員は続投支持がほとんどですよ。しかし、(小沢氏は)その一部の声と世論を真摯に受け止め、彼は代表の地位を辞して、裸一貫で戦う方がプラスという判断をした。それは彼なりの立派な決断だと思う。

Q:今後の民主党はどうなるのでしょうか?

 どのように民主党が総選挙を戦うのかということについては、大きな障害を乗り越えなきゃいかんと思いますが、小沢を犬死させることのないようにしたい。彼が辞したことにより、党は甦ったという体制をつくる以外に方法はありません。

 やはり、自民党の政治が悪すぎるから、まだ民主党に対する期待が残っている。一部の世論調査では、民主党の代表が変われば民主党の支持が持続できるというものもあります。ただ、100年に一回の大改革ということを考えてみると、平時ではなく乱世のときだから、小沢のリーダーシップの方がいい。ですが、本人がそういう形で辞意を固めたなれば、次のエースを出し、次善がなければ三善、それがなければ四善でもいいから、党は結束してここを乗り切る以外に方法はない。これがこれからの仕事です。

Q:小沢氏は次の党首をどうサポートしていくのでしょうか?

 小沢は、選挙にこだわって(党の体制を)つくってきましたから、「選挙についての責任は持つ」という気持ちはあると思う。ただ、何かの役職についてということはないと思うが、たとえば、選挙対策本部長として「選挙のことは任せてくれ」ということになるかもしれない。無役のまま全体のことをやるということになるかもしれない。これからしばらく見ないととわからない。

Q:次の代表には誰がふさわしいのでしょうか?

 議員が誰を(代表に)選ぶのかというのは、議員個人の意志の集結で決めてくれればいい。体制ができ、この人間にはこれが足りないからここを補う、という形で強化して挙党体制をつくる。小沢は挙党体制を大切にしますから、昨日の会見でも何回もその言葉を使ったわけです。そういう形以外に、党を立て直す方法はない。

Q:《THE JOURNAL》には多数の小沢擁護論が寄せられているが

 世論はいくつもあるということだよね。ネット上の世論というのは、知識のある、時間のある、余裕のある人々ではないかな。そういう人たちこそが、オピニオンリーダーといえそうです。一般の世論調査というのは、各紙が毎月一回ほど定期的にやっていて、きいてみると、(回答の)ほとんどは電話で受けた答えだけでやっている。しかもそれが固定電話ですから、在宅でないと通じない。携帯電話に世論調査している新聞社はない。

 固定電話に出られるのはごく限られた人で、朝ゆっくりおきて、テレビのモーニングショーを見て、そこで「小沢は悪者だ。西松から金をもらっている」というのを見て、そこで電話がかかってきたら答える。電話で答えてもらうのに、500円の図書券を出す会社もあるらしい。

 忙しい人ならいちいちそんなことに答えないから、切ってしまう。しかも、朝10時から夕方5時ごろまでしか電話をかけないらしい。それはなぜかというと、アルバイトが多いから。だとすると、そこに集まる世論というのは限定された人々なんですよ。それが世論だと思っていたら、現在はインターネットの世論と大きな差が出てきた。そういう状態だと思う。

Q:読売新聞社の世論調査では、小沢氏の続投に「納得できない」が71%だった

 本来は党がそれを理論的に跳ね返せばよかった。世論調査はこういう方法でやっているからおかしい。ネットではこういう調査が出ている。2つはどう違うのかと。

 しかし、表に出ているのは新聞の調査だけで、朝のテレビに出るのは検察のリークとかだけで悪いイメージをつくるということが作用しているから、「小沢は辞めろ」という声があそこまで集まってしまったということが非常に残念。

 わが党も政権交代が目前だということで、有頂天になっていたところがあった。もっと引き締まった形で政局に対応しなければならんということは、反省材料として今は思います。

「小沢おろし」は平成版帝人事件だ──「言論テロ」のツケは、結局、庶民生活の破壊につながる

二見伸明氏(誇り高き自由人、元衆議院議員)

 前回「旧友、遠方から小沢一郎を擁護する−序論」を投稿し「横浜開港から150年の今年、小沢は荒海に船出しようとしている。頑張れ!! 戦え!!」とエールを送った。しかし「代表」「総理」というポストに執着しない小沢の性格を知っているだけに、私は「辞任」するのでは、という予感を払拭できなかった。

 小沢一郎が絶妙なタイミングで辞任した。国会の会期末まで23日しかなく、補正予算案の審議中なので、麻生総理は衆議院を解散したくても出来ない。民主党もお家芸の党内抗争をしている余裕はない。一日も早く新代表を決め、挙党一致で衆院選に臨まなければならないのである。辞任が一か月早かったら、自民党は、私が現職の衆議院議員だった平成6年に細川内閣が総辞職したとき、連立与党内に手を突っ込み、社会党を連立から離脱させたように、民主党内に手を突っ込み、党内を混乱させた上で衆議院を解散し、大将不在の民主党を木っ端微塵にしたであろう。政治の世界に「宋襄の仁」はないのだ。そんなイロハもわからずに騒ぎ立てた議員は、水鳥の「羽音に驚いて逃げた平氏の軍勢」か、さもなければ、何らかの意図をもった者たちである。「辞めろ、辞めろ」と騒ぎ立てたマスコミは「幼児性」と「確信犯性」が同居した存在である。

 大久保秘書が不当逮捕された翌日、小沢の関係者から私に「代表は、進退については政権交代を最優先にして判断する」と連絡があった。小沢は「言葉」を神経質なくらい大事にする政治家で、私は「『裏があるのでは』『本音は違うのだろう』と余計な詮索を嫌い、『額面どおり、受けてもらいたい』」というのが小沢の本心だと信じているので、「ベストタイミングで辞める」と、密かに覚悟はしていた。私は、小沢が麻生総理の解散権を事実上、封じ、民主党を、新しい体制で、「霞ヶ関支配の解体」「地方分権」「社会保障制度の抜本的改革」など、彼が政治生命を賭けてきた「革命的改革」を実現する時間的余裕を作り出したと理解している。

 私は、「小沢問題」は「小沢個人」対「検察」の闘いではなく、民主主義を守る闘いだと確信している。「歴史は繰りかえす」というが、昭和9年の帝人事件の平成版である。帝人事件とは、時の斉藤実内閣の≪陸軍予算の削減、国際連盟への復帰検討≫など「バック・トゥ―・ノーマルシー(常態への回帰)」路線に危機感を抱いた右翼勢力と軍部が、司法官僚(現在の法務・検察官僚)と結託し、斎藤内閣つぶしを目的として、事実無根の疑獄事件をでっち上げ、財界人や政友会の代議士を汚職で逮捕、起訴した事件である。斎藤内閣は昭和9年7月3日に総辞職した。新聞は検察のリークを誇大に報道して世論を煽り、国民は検察に拍手で応えた。しかし、昭和12年12月、「起訴は虚構によるもので、犯罪の事実はない」として被告全員が無罪になった。その間、日本は二・二六事件、日中戦争と破局への道を転がり落ち、太平洋戦争に突入したのである。せめて、政治家、マスコミ、言論人、学者たちはこの程度の歴史認識はもってもらいたいと思う。

 平成元年4月、衆議院予算委員会でリクルート事件に関連して、高辻法務大臣は「検察ファッショ」について「特定の政治目的のために検察権が乱用されたとき、検察ファッショという。たとえば、検察当局が何らかの目的で検察情報をマスコミに漏らすこと、それでもって、犯罪事実があったような世論をつくる。秘密厳守の義務違反となり、指揮権発動を促すことにもなり、検察ファッショといえる」と答弁している。

 今回のマスコミ報道の「スクープ」は3月3日の朝日新聞夕刊の最終版(4版。私の住む茨城県は3版なのでこの記事はない)である。検察は、13時20分という原稿締め切り時間に間に合うように、手柄を立てたくてウズウズしていた朝日の若手記者に、大久保秘書逮捕と「数日中に、小沢を収賄かあっせん利得で逮捕する」と暗示してリークをしたのである。さらに、「特落ち」で、あわてふためくマスコミ各社に、おいしそうな毒入り饅頭をばらまいたのである。

 週刊朝日編集長の山口一臣氏は、各紙の論評を、間違った前提をもとに組み立てた「アバウトな論理構成」と辛辣に指摘した。私も同感だが、それ以上に問題なのは、「検察・霞ヶ関」の狙いを見抜けない、見抜こうとしない、あるいは、ことの本質を知りながら問題点をそらす、恐るべきマスコミの劣化である。

 マスコミの上層部の大部分は、現役時代は、首相官邸、各省庁、自民党の記者クラブ経験者だ。だから、知らず知らずのうちに「洗脳」されて、体制化し、本音では現体制の維持・継続を望んでいるのではないだろうか、と私は疑っている。マスコミが独自に調査し、正確だと確信できる事実をもとに、小沢批判をすることは、当然であり、賛成でもある。しかし、「小沢おろし」「民主党の弱体化」を策す自公政権の意を熟知している検察の意図的なリークをそのまま垂れ流したマスコミに、多少なりとも反省はあるのだろうか。

 朝日新聞4月11日のコラム「天声人語」は、週刊新潮が掲載した朝日新聞襲撃事件の「実名告白手記」を取り上げ、「しっかり調べもせず、この人物の話を4週続けて字にした責任は重い。いい加減に語られるのは許しがたい言論テロだ」と激しく非難している。その昔、「天声人語」といえば、質の高い名文として名高かったと記憶しているので、私はそっくりそのまま、その言葉をマスコミに献上し、「小沢問題」での報道姿勢を問いただしたい。

 マスコミは権力に擦り寄るのではなく、権力を真っ向から批判し、チェックする本来の機能と健全性を取り戻すべきである。こういう異常な報道が繰りかえされれば、巡り巡って犠牲にされるのは、庶民であることを予知する想像力が必要である。

 斉藤実も小沢一郎も岩手県水沢の出身である。これは、小沢の「天命」か。それとも、時空を超えた「権力」の魔性か。

2009年5月11日

小沢辞任会見を公開!

 小沢辞任の第一報を受け、THE JOURNAL編集部は急遽民主党本部に駆けつけた。会場は質疑応答中で、小沢氏は記者の質問に皮肉を交えて答えながらも、最後には「(政権交代が)政治家としての本懐」と語った。

■なお、会見の全模様はVideonews.comで放送されています。
http://www.videonews.com/press-club/0804/000986.php

2009年5月 9日

IMAWANO KIYOSHIRO AOYAMA ROCK'N ROLL SHOW 2009★5★9

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5月9日(土)午後2時過ぎ:編集部撮影

5月2日(土)に「がん性リンパ管症」のため58歳で亡くなった忌野清志郎(いまわの・きよしろう)さんの告別式が、5月9日(土)に青山葬儀所(東京都港区)で営まれました。

会場までは、多くのファンが青山墓地周辺道路を埋め尽くしていました。

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当日配布されたメニュー(表)

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当日配布されたメニュー(裏)

「IMAWANO KIYOSHIRO AOYAMA ROCK'N ROLL SHOW 2009★5★9」と題された告別式では、代表曲が終始かかっており、メニューのRCサクセションの「トランジスタ・ラジオ」を見て、タバコを吸い始めた頃を思い出しました。

また、「バッテリーはビンビンだぜ(雨あがりの夜空に)」と言われても、当時よく意味は分かりませんでしたが、この曲のギターリフを弾くとモテました。

個人的にも、気持ちのいい時間を与えていただいた忌野清志郎さんに、あらためて「感謝します!」。

[関連記事]
速報:忌野清志郎さん、ありがとう(金平茂紀)
http://www.the-journal.jp/contents/ny_kanehira/2009/05/post_11.html

2009年5月 8日

ネットから生まれた小沢への激励の手紙76通が書簡集に

 政治問題を討論するインターネット掲示板「平成海援隊」「TOKYOCALLING 行動へ向けての準備室」が、西松献金事件の影響で劣勢に立たされている小沢一郎氏を激励する手紙を募集したところ、4月19日からわずか5日間で76通もの手紙が届き、それが一冊の本となったことが話題となっている。

 この激励書簡集のタイトルは、「拝啓、小沢一郎様」。総ページ数は101ページにおよび、小沢ファンだけではなく、無党派層からも多数の手紙が寄せられていることが特徴だ。

■リンク:「拝啓、小沢一郎様」

 なかでも目立つのは、検察による異例の逮捕劇やマスコミの偏向報道に嫌気がさし、はじめて政治に目覚めたとする一般市民の声だ。書簡集の冒頭には、「攻撃されているのは小沢氏ではない。歴史上初めてまっとうな手段で民衆の手による大変革が実現する、その最後の段階で仕掛けられた、権力による民衆の希望への攻撃なのです」と書かれており、おさめられた手紙には「自分たちが民主主義を守るんだ」という強い意気込みが感じられる。

 この書簡集はすでに小沢事務所に届けられており、小沢氏もすでに目を通しているという。小沢氏が代表続投に強い意欲をみせているのも、こういった草の根市民から届けられた声が影響を与えているものと思われる。

 なお、TOKYO CALLINGでは現在、3月3日に逮捕・拘留された大久保隆規氏への手紙も募集している。
http://www2.realint.com/cgi-bin/tarticles.cgi?Tcalling0904+1003

2009年5月 5日

雑誌『選択』が示す「小沢続投論」への異常な反感——名指し批判には答えない訳にはいかない

takanoron.png 会員制月刊誌『選択』5月号の連載コラム「政界スキャン」は、「『小沢続投』支持論に異議あり」と題して、民主党機関紙『プレス民主』4月17日号で田中康夫=新党日本代表と高野が並んで「小沢一郎代表続投」論を書いたことに対し、手厳しい批判を展開している。このコラムの筆者「地雷53」は大手新聞の政治記者の大御所であることが知られているから、新聞マスコミのあり方の問題として反批判させて頂く。

●マスコミは何故「ゼネコン献金」を総ざらいしないのか?

 コラムは、「田中の主張は…極端な小沢礼賛に終始しており、論争の材料にはなりにくい」と片づけた上で、「高野論文は一応は筋が通っている」として(有り難うございます、「一応は」と留保が付いているものの「筋が通っている」というのは書き手にとって最良の褒め言葉です)、次のように述べている。

「第1は検察ファシズム批判で、公権力の乱用に屈せず民主党全体で闘うべきだ、と[高野は]訴えている。検察批判はわからないではなく、今回も検察の悪い癖がでた面があるかもしれない。だが、検察が捜査している秘書の政治資金規正法違反事件と別に、いま問われているのは小沢による巨額の企業献金・蓄財に対する疑惑だ。それは、『何のために政治をやっているのか』という根源的な不信につながっている」

「検察批判はわからないではなく、今回も検察の悪い癖がでた」というなら、これは民主主義の根本に関わることなので、マスコミはまず検察批判を徹底すべきではないのか。ところがコラムはその「面があるかもしれない」と逃げた上で、そのようにちょっと問題がある検察が取り上げている小沢「秘書の政治資金規正法違反事件」と、「小沢による巨額の企業献金・蓄財に対する疑惑」は別のものだと規定し、前者よりも後者のほうが「根源的な不信」につながる重大問題だと言っている。その後者のほうを重視しない高野は間違っているという訳だ。

 マスコミが検察批判をしていないとは言わない。小沢秘書起訴の翌25日付毎日が社会部長名で「検察は説明責任果たせ」という解説を載せたのは画期的なことだった。が、目立ったのはそれ1つくらいで、マスコミが全体としてこの検察の横暴に立ち向かうという姿勢は見たことがない。

 検察が事件化した問題は言わば瑣末なことで、それと小沢が巨額な企業献金を受けて蓄財していた問題とは別だと?

 別扱いするのは構わないが、それだったらマスコミは、民主党だけでなく自民党などを含めて、「巨額な企業献金」を未だに受けている議員のランキング、その中で特に「ゼネコン」から、そして「西松建設」から、献金を受けている議員のランキングを示して、その個々に何か問題がないか総点検して貰いたい。その中で、小沢が企業献金、ゼネコン献金、西松献金それぞれについてランキング何位なのか、またその中身について疑惑の度合いはどれほどなのか、私も知りたいと思う。私は本当はそういうことを自分でシコシコ調べたいがそれだけのゆとりもない。マスコミは何千人も記者を抱えているのだから、普段からそういうことをやって、検察が何を(恣意的に)取り上げるかとは無関係に、警世するのが仕事なのではないのか。それをサボッていて、検察がたまたま小沢秘書の問題を取り上げたとたんに弾かれたように、巨額の企業献金を貰ってけしからんなどと言い募れば、小沢だけがゼネコンを含む企業から怪しい金を持っているかの印象を振りまくことになるのであり、そういう風だから検察の都合に合わせて誰かを(恣意的に)攻撃ターゲットにして捜査に協力する岡っ引き的な癒着体質を指摘されることになるのではないか。

 付け加えると、コラムが「企業献金・蓄財」と言っている、「蓄財」とはどういうことだろうか。言葉のニュアンスは「個人的蓄財」と受け取られる。私は小沢は個人的な蓄財には関心がないと思う。悪名高き小沢の師匠=田中角栄もさんざん「金権」と叩かれたが、彼も個人的な蓄財には関心がなかったと思う。恐らくこれは、小沢が政治資金として集めた金を使ってマンションを購入し、事務所や秘書の住宅として使っていたということを指すのだと思うが、そのマンションを貸したり転売したりして個人として利殖していたというならともかく、広義での政治目的のためにマンションを買って、それを政治資金団体の名義には出来ないから代表者である小沢の名前で登記することがあったとしても、それを「蓄財」と言うことは出来ない。コラムが「蓄財」と言うのは何を指してのことなのか。

●マスコミの「小沢辞めろ」の大合唱

「高野は『辞任せよ』の大合唱が続いている、と世間の付和雷同性に反発しているふうだが、合唱なんかしていない。この場面での小沢の挙動を世間はじっと凝視しているだけだ」とコラムは書いている。

 これは私の筆が足りなかった。「『辞任せよ』のマスコミの大合唱」と書くべきであった。確かに、世間は(後述のようにネット上は別にして)合唱なんかしておらず、むしろ醒めているが、独りマスコミだけは狂ったように反小沢の合唱を歌い続けている。それが問題なのだ。例えば、小沢秘書の起訴後、3月25日付各紙の社説の見出しはこうだ。

朝日:小沢代表は身を引くべきだ
毎日:説得力のない会見だった/検察は与野党問わず捜査を
読売:小沢代表続投後のイバラの道
産経:小沢氏続投は通らない
日経:小沢氏続投は有権者の理解得られるか

 毎日だけ取り出せば、同紙はさらに6日後の31日付社説「千葉・民主大敗/早く不信をぬぐい去れ」で、千葉県知事選の結果を「政治資金規正法違反事件と、小沢氏の続投表明など、その後の対応が影響したとみて間違いなかろう」と一方的に断定した上で、「やはり、ここは小沢氏が身を引き、早急に新体制を作ることではないか」と辞任を勧告している。4月5日付「社説ウォッチング」では「千葉県知事選などを受け、各紙は改めて社説で民主党を取り上げた。立場は異なるが総じて民主党への目は厳しく、小沢氏の続投を容認している社説は一つもない」と分析しつつ、「小沢氏は早くけじめをつけた方がいいというのが、毎日の基本的な立場だ」と強調した。

 社説以外でも、毎週月曜日掲載の山田孝男=専門編集委員のコラム「風知草」は4月に入って3週間続けて、「よほど恨みがあるのか…と冷やかされることがあるが」と自分でも断りながら小沢批判を繰り返している。20日付の松田喬和=専門編集委員の「政治の“いろは”」 も「『政治家小粒論』に拍車」と題して「小沢の続投は政権交代の好機を逸しかねない」と書いた。岩見隆夫は『サンデー毎日』4月19日号のコラムで「再びぶざまな姿見せるな、小沢さん」と呼びかけた。

 こういうのを大合唱と言うのではないのか。大合唱しているのはマスコミであって、そのことをマスコミ自身が「変だ」と自覚していないことが危機的である。

●ネットでは「小沢辞めるな」の声が圧倒

 世間は反小沢の合唱なんかしておらず、ネットで見る限り、反小沢どころか親小沢の合唱が起きている。しかもそれは「親小沢」という単純なものではなく、小沢の限界を百も承知の上で、それでも小沢を押し立てて政権交代を実現すべきであるという、極めて質の高い意見の集積で、世論の健全さはむしろネットに表れていると言える。

 それはTHE JOURNALの高野、田中、山口などの記事に対して書き込まれた読者コメントを見れば一目瞭然だが、他にも例えば「小沢一郎ウェブサイト」の中の「掲示板・投稿」→「ご意見・投稿」には、「小沢さんを支持している国民は本気で、というより必死で、応援していると思います。絶対にあきらめないで下さい」(茨城、自営業、40歳代)といった熱い支持が2万通以上も集中している。

※小沢一郎ウェブサイト:https://www.ozawa-ichiro.jp/

 他方、政治に関心ある比較的若い層が集まる「Yahooみんなの政治」でも、小沢頑張れ論は主流で、4月30日に始まった「主な民主党議員の中で、これからの同党のリーダーとして最もふさわしいと思うのは?」というアンケートには5月5日現在2805人が投票し、57%が「小沢一郎」と答えている。

※Yahooみんなの政治:http://seiji.yahoo.co.jp/

 このように言うと、ネットで書き込みをするのは若い層が中心で、しかもマニアックな連中が多いんだろうと言った偏見に満ちた声が聞こえてきそうだが、小沢サイトに投稿している人々の年齢層を見ると、50〜60歳代が中心で70歳以上も少なくない反面、40歳代はそう多くなく30歳代は稀である。小沢支持者に高年齢層が多いことが分かるが、それにしても、60歳代や70歳以上の人たちまでがネットを通じて「小沢負けるな」の意見を競い合うように表明している様子は新鮮に映る。

 またこれは、THE JOURNALなどへの投稿にも共通することだが、この事件が起きるまで「特に政治に関心がなかった」り、「小沢はむしろ好きではなかった」りした人たちの投稿も少なくない。小沢サイトへの投稿の中に「小沢さんは分かっていると思いますが、今となっては、インターネットでの書きこみは無党派層の人たちも参加しています。マスコミの小さい範囲での世論調査などより民意が読み取れるのです」と書いた人がいるが(北海道、会社役員、40歳代)、そのように、必ずしも前々からの小沢ファンでも民主党支持者でもなく、無党派ないし政治的無関心層までもがが、検察の横暴とマスコミの堕落に危機感を持ってネット世論の形成に参加してきていることが窺える。

●世論の“量”と“質”

 上の投稿者が「ネットでの書き込みは…マスコミの小さな範囲での世論調査などより民意が読み取れるのです」と書いているが、ここが1つのポイントである。

 マスコミの世論調査は、それなりに学問的に裏付けられた(と思われている)方法によって行われるけれども、そのサンプル数は数千程度にすぎない場合が多い上に回収率が低く、また別に答えたい訳でもなくその準備もない人にいきなり質問を浴びせて無理にでも答えさせるのであって、そこで採集できるのは言わば「受動的な世論」である。しかも、前稿でも述べたように、設問の表現や配列、質問前の説明の仕方、念押し・重ね聞きなどによる無理矢理の括り方等々によってマスコミにとって都合のいいようにバイアスをかけられやすい。そういうことが仮になかったとしても、しょせん世論調査が示すのは「賛成?%、反対?%」という“量”であって、例えば「小沢続投賛成」と言っても、それぞれの思いや微妙なニュアンスは一切反映されない。

 それに対してネットの掲示板では、投稿者は自分から意見表明に相応しいサイトを探してアクセスし、単なる賛成・反対でなく自分なりの論理を立てて思いを込めて書き込むのであって、それは「能動的な世論」であると言える。しかもサンプル数は、サイト管理者が制限でもかけない限り、事実上、無限である。またネットの書き込みの1つの特徴として、例えば「小沢辞めるな」という論調がひとたびサイトの一角に出来るとそれに賛同する似たような意見が殺到して、それに対する反論が出て大討論になることは滅多にない。誰もが自分の思いを書き込むのに相応しく、また話が通じやすいレベルのたくさんの人たちに読んで貰えそうな場所を探し求めているし、反対論の人はそこで口を挟んで袋叩きに遭うようも、別の自分と似たような意見が多い場所に行って発言した方が盛り上がるから、見ただけで黙って去っていくので、そういうことが起こりやすい。それはそれで問題で、もっと普通にネットの各所で生産的な議論が湧き起こるようにならないものかとは思うけれども、それはともかく、その特徴のためにネットでは世論は“量”として%で把握されにくい反面、“質”を汲み取ることが出来る。

 こうして、マスコミ世論調査では「小沢辞めろ」が60〜70%に達するのに、ネット世論ではむしろ正反対の意識の流れが表現されることになる。サンプル数が少なく限定された中から汲み出された受動的な世論を“量”として掴むのと、サンプル数が事実上無限である書き込みの中から能動的な世論を“質”として捉えるのと、どちらが正しいかと言い切ることはまだ出来ないが、少なくともネット世論の“質”を無視すると致命的に状況判断を間違えかねない時代が到来しつつあるのは事実である。検察もマスコミの大勢も民主党内の反小沢派もみなそこで判断が狂ってしまった。

 余談ながら、このマスコミ的世論とネット世論のギャップに、さすがの新聞も「このままではまずい」と思い始めたのかと思わせる兆候が、朝日の投書欄に現れている。4月27日付に出た「西松献金巡る4つの疑問」という東京都八王子市、61歳の投書は、朝日の21日付の小沢辞任を促した社説に「反対である」として、(1)検察の強引な捜査、(2)マスコミの権力批判を忘れた「大本営発表」的な報道、(3)それをうのみにした国民が「ワルの小沢」と思ったこと、(4)ゼネコン献金というが自民党は企業や業界から民主党の10倍も貰っている、の4点を疑問として提出、「私は28%の小沢続投の意見に賛同する」と結んでいる。5月4日付には「新聞の軸足は市民に置いて」と題した岩手県陸前高田市、68歳の投書が載り、上述の投書に同感しながら、この問題で朝日新聞は独自の調査で本質をえぐるような記事を見受けなかったと批判、「それに比べて、親子関係にある週刊朝日は当初から検察の強引な捜査に疑問を呈する論陣を張った。…権力に迎合しない編集姿勢は市民の側に軸足を置いているからだ」と週刊朝日に拍手を送った。いずれも、ネットでは当たり前の議論だが、それを新聞が投書欄とはいえ載せるようになったのは、1つの進歩かも知れない。

●何のための「改革」なのか?

 『選択』に戻って、コラムは次に、高野が「検察が粗暴な行動に出た背景には、『明治以来100年間の官僚支配を打破する革命的改革』を呼号する小沢代表への恐怖心があるに違いない」と書いていることについて、次のように言う。

「確かに官僚機構は政権交代に不安感を抱いているだろうが、小沢続投に反対する世間は官僚とほとんど無縁だ。小沢は改革者の資格があるか、と世間は疑っている」

 うーん、ここはちょっと論理が混濁していてよく理解できない。いま政権交代を通じて行われるべき革命的改革とは、明治以来100年余の、官僚が実質的な権力を握ってこの国を動かし政治家はただそれに随伴しておこぼれ頂戴のような無様な態度を演じてきた、発展途上国丸出しの支配体制を爆砕することである。世間の大勢は、そのような革命的改革の端緒を切り開くのは、資金面でクリーンかも知れないが屁理屈ばかり言っているようなヤワな指導者では到底無理で、仮にその面でクリーンかどうかは疑わしくとも官僚体制の表も裏も知り尽くして一流の剛腕を用いてダイナマイトを連発で仕掛けてくれるはずの小沢こそ「改革者の資格」があると思っている。

 ところがこのコラムは、まず「世間は小沢続投に反対している」と誤解している。その原因はたぶん、上に述べたような意味での世論の“質”が読めていないからだろう。その上で、世間が反小沢なのは、別に官僚に頼まれたり吹き込まれたりしてそうなっているのではなくて、何よりも資金面でクリーンでないと改革者は務まらないという基準で純粋にそして正しく判断しているからだと言いたいらしい。繰り返すが、世間は反小沢ではなく、官僚体制を爆砕して貰いたいと思っている人ほど親小沢であって、その際クリーンかどうかなどと言う判断基準を少なくとも最優先する人はいないのではないか。

 コラムはさらに、高野が「そもそも小沢一郎という政治家を清廉潔自のクリーンな人だと思っている人は、失礼ながら、誰もいない。田中金権政治の直系の秘蔵っ子という過去については誰知らぬ者もない。しかし、過去の政治を知り尽くしているがゆえにそれを最もラディカルに否定できるというのが小沢という政治家の面白さであり、そこにこそ彼の破壊的なエネルギーの源泉があるのであって、そのことを民主党の皆さんはもちろん国民の多くも百も承知で、彼に政権交代への道を切り開く役目を託してきたのではなかったのか」と述べている部分を引用して、次のように言う。

「小沢の『面白さ』について異論がある。過去を知り尽くしているがゆえに、と言うが、知り尽くすことと過去の体質を引きずっていることとは根本的に違う。引きずりながら破壊的なエネルギーを発揮できるとは到底思えない。過去を知っているのは結構だが、過去と訣別するけじめと勇気がなければ、次のステップは程度が知れている。今回の衝撃は、小沢の引きずり方が並みでないのを初めて知ったことだった。高野はそこを軽視している」

●小沢における弁証法

 確かに、過去の体制を知り尽くすことと過去の体質を引きずっていることとは違う。私も、出来れば小沢がここへ来るまでにその引きずりを清算しておいてくれれば(マスコミがブレて世間を惑わすようなことも起きずに)どんなによかったかとは思う。しかし、革命的改革のための政権交代が実現するかどうかの瀬戸際という今の戦略局面において、そのことは「根本的」でも何でもない。むしろ、過去を知るが故に何ほどか過去を引きずっているであろうことは多くの人々にとって想定内であって、コラムがその「引きずり方が並みでないのを初めて知った」とウブなようなことを言っているのは分からない。誰が「並み」で小沢の何が「並みでない」と言うのだろうか。

 これが93年で、自民党一党支配が金権腐敗の汚濁の中で自壊し、次に金権腐敗を打破して政治改革を推進する政権を作らなければならないという戦略局面であれば、そのことは「根本的」で、小沢のようなその点で疑いの残る人物を総理にする訳にはいかなかったし、小沢もそれを知っているからクリーンそうで爽やかムードの細川護煕を担いで自分は裏に回った。今はそれを争点とした政権交代をしようという場面ではないから、そのことは、出来ればそんな紛れの要素は予め除去しておいて貰いたかったけれども、しかし「根本的」ではない。「そこを軽視している」と言われればその通りで、私は重視しているポイントが違う。戦略局面の認識が狂うと、根本的なこととそうでないことの見分けが付かなくなって、このコラムのような判断軸の大きなブレが生じるのである。

「過去を引きずりながら破壊的なエネルギーを発揮するとは思えない」と言うが、それはやってみなければ分からない。現に既に小沢は、過去を引きずってきたことの非を悟ったためだろう、ゼネコンからの献金禁止という民主党の過去の及び腰のテーゼを一挙に乗り越えて「企業・団体献金の禁止」を選挙公約に盛り込むよう党に指示した。自民党政権では全く起こりえないこのような決断は「けじめと勇気」ではないのだろうか。過去の引きずりが重いだけにそのフックが外れた時に前へ飛んで行く弾け方もまた大きい、というふうに、弁証法的ダイナミズムにおいて小沢を捉えることは出来ないのだろうか。そのように見れば、政治はもっと「面白く」なると思うのだが。▲

特集:小沢一郎秘書逮捕!西松献金事件の真相と深層

 3月3日午後、小沢一郎代表の秘書である大久保隆規氏が、西松建設からダミー政治団体を通じて企業献金を受け取ったとして、政治資金規正法違反の疑いで逮捕された。

 第一報が報じられた直後から「国策捜査ではないか」との意見がさかんに交わされるなど、今回の事件はこれまでの政治汚職とはまったく異なる様相を見せている。

 THE JOURNALでは、これまで掲載された記事を『小沢一郎秘書逮捕!西松献金事件の真相と深層』としてまとめ、揺れる永田町の“今”と“これから”を徹底分析します!
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【記事一覧】
■ネットから生まれた小沢への激励の手紙76通が書簡集に(5/8)
■山口一臣:民主党に民主主義を守る気はあるのか(5/7)
■高野孟:雑誌『選択』が示す「小沢続投論」への異常な反感(5/5)
■高野孟:小沢が応援した河村がなぜ名古屋市長選で圧勝したのか?(4/30)
■田中良紹×田中康夫:「日本の民主主義を破壊する東京地検特捜部」(4/28)
■政治資金規正法の罰則適用は検察の気分次第? 総務省は判断できず(4/27)
■「モー娘。」所属事務所から麻生首相に疑惑の献金1100万円が発覚!(4/22)
■田中康夫・高野孟:小沢代表の交代は愚の骨頂だ!(4/20)
■民主党が「政治資金問題第三者委員会」を立ち上げ(4/15)
■山口一臣:迷走する検察と新聞(4/4)
■田原総一朗:検察の言いなりになるメディア(4/4)
■岸井成格:小沢秘書逮捕と見るに堪えない政局(4/1)
■田中良紹:小沢辞任論の『公』と『私』(3/31)
■鈴木宗男×田中良紹×高野孟:小沢一郎は辞任するな!(3/31)
■田中良紹×高野孟:世にも不思議なニッポンの民主主義(3/31)
■高野孟:こんなところで辞任してはダメですよ、小沢さん!(3/31)
■世論調査の“怪” 国民は本当に小沢の辞任を望んでいるのか?(3/30)
■山口一臣:「捜査ミス」を「政治とカネ」にすり替えるな!(3/29)
■田中良紹:ガセネタ溢れる日本(3/28)
■二木啓孝:小沢おろしの陰でささやかれる民主党の戦略(3/27)
■田中良紹:これじゃオバマは生まれない(3/25)
■西松献金事件 問われる民主党の見識(3/25)
■山口一臣:検察に正義を求め過ぎるのは気の毒だ(3/21)
■宮崎学:まだまだ油断はできない(3/21)
■二木啓孝×高野孟「小沢一郎と民主党が沈没する前にやるべきこと」(3/20)
■山口一臣:小沢秘書逮捕と「検察の裏金」(3/19)
■高野論説:いきなり「企業・団体献金の全面禁止」に踏み込んだ小沢(3/19)
■高野論説:小沢一郎というパラドックス(3/18)
■山口一臣:ガダルカナル化する検察捜査(3/17)
■山口一臣:西松建設事件 検察批判はつつしもう!(3/16)
■「青年将校化する東京地検特捜部」緊急集会の模様を配信!(3/16)
■中村美彦:一連の小沢関連献金疑惑劇場型へ変容(3/16)
■田原総一朗:続・視界不良の西松献金事件(3/14)
■特捜批判集会がインターネット生放送決定!15日19:30〜(3/14)
■田原総一朗:視界不良の西松献金事件(3/13)
■中村美彦:10日の小沢民主党代表記者会見は想定内に終始(3/11)
■田中良紹:更迭できない理由(3/10)
■田中良紹:政治とカネの本当の話(2)(3/9)
■山口一臣:「小沢辞めろ」コールはマスコミの怠慢(3/9)
■田中良紹:記者の資格(3/9)
■田中良紹×田中康夫「西松献金事件から見える“この国の病”」(3/9)
■小沢氏「辞任を」が半数以上 各紙世論調査一覧(3/9)
■宮崎学:また原稿が遅れてしまいそうだ(3/9)
■山口一臣:納税者の視点で検察の捜査を監視しないと(3/8)
■井上トシユキ:西松建設の違法献金事件(3/8)
■田中良紹:政治とカネの本当の話(1)(3/8)
■宮崎学:青年将校化する東京地検特捜部(3/8)
■田中良紹:プーチンの真似も出来ない(3/7)
■西松献金事件 政治家は何を語る?(3/7)
■天野礼子:ダムと小沢と加藤紘一(3/7)
■やっぱり国策捜査? 漆間巌官房副長官が捜査情報を暴露(3/7)
■検察の狙いはあっせん利得処罰法か 西松献金事件(3/6)
■二木啓孝:小沢代表だけ捜査するのはおかしい(3/5)
■田中良紹:予言が現実になった(3/4)
■二木啓孝:小沢一郎が辞任を拒否した理由(3/4)
■田原総一朗:小沢氏側団体に強制捜査 西松建設から違法献金の疑い(3/4)

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News Spiral
「ネットから生まれた小沢への激励の手紙76通が書簡集に」
(5/8)

 政治問題を討論するインターネット掲示板「平成海援隊」と「TOKYOCALLING 行動へ向けての準備室」が、西松献金事件の影響で劣勢に立たされている小沢一郎氏を激励する手紙を募集したところ、4月19日からわずか5日間で76通もの手紙が届き、それが一冊の本となったことが話題となっている。

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山口一臣氏(週刊朝日編集長)
「民主党に民主主義を守る気はあるのか」(5/7)

 新聞の解説記事などによく出ている話ですが、ホンネを言えば、民主党の国家議員で小沢一郎代表の続投を支持しているのは2割ほどで、残り8割は辞任が妥当だと考えているそうです。腐った政党だと思いました。そんなに自らの保身が大切なのか。

「辞任すべき」の理由は、「小沢が代表のままでは選挙に勝てない」ということのようです。それはついこの間まで自民党議員が言っていた「麻生おろし」の論理とまったく同じではないでしょうか。自民党政治を否定して、政権交代を目指そうという政党の言うこととは思えません。

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高野孟氏(THE JOURNAL編集主幹)
「雑誌『選択』が示す「小沢続投論」への異常な反感——名指し批判には答えない訳にはいかない」(5/5)

 会員制月刊誌『選択』5月号の連載コラム「政界スキャン」は、「『小沢続投』支持論に異議あり」と題して、民主党機関紙『プレス民主』4月17日号で田中康夫=新党日本代表と高野が並んで「小沢一郎代表続投」論を書いたことに対し、手厳しい批判を展開している。このコラムの筆者「地雷53」は大手新聞の政治記者の大御所であることが知られているから、新聞マスコミのあり方の問題として反批判させて頂く。

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高野孟氏(THE JOURNAL編集主幹)
「小沢が応援した河村がなぜ名古屋市長選で圧勝したのか?——千葉と秋田の県知事選は小沢のせいで負けたはずなのに…」(4/30)

 マスコミの挙国一致的な論調によれば、あらゆる世論調査で「小沢一郎代表は辞任せよ」の声が6〜7割を占めていて、にもかかわらず小沢が辞めずに居座っていることが民主党に影を落としていて、千葉と秋田の県知事選で同党推薦候補が“連敗”したのはそのせいだということになっていた。だとすると、26日投開票の名古屋市長選に小沢を先頭に鳩山由紀夫幹事長や菅直人代表代行がこぞって応援に入って河村たかし=前民主党衆院議員が圧勝したのはどういう訳なのか。

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田中良紹×田中康夫
「日本の民主主義を破壊する東京地検特捜部」(4/28)

 THE JOURNALブロガーである田中良紹氏と新党日本代表の田中康夫氏が、民主主義と検察の関係の“あるべき姿”について語ります。検察OBからの批判もやまない西松献金事件、その理由はなぜなのか。多くの人が感じている「なぜ?」を、明快に解説します。

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News Spiral
「政治資金規正法の罰則適用は検察の気分次第? 総務省は判断できず」
(4/27)

 民主党が有識者を集めて立ち上げた「政治資金問題第三者委員会」が17日に開いた公開ヒアリングが、注目を集めている。

 2回目の会合にあたるこの日、同委員会は総務省行政企画局政治資金課課長補佐の市川靖之氏を招いてヒアリングを行った。そのなかで、同委員会の「資金の拠出者と実際に寄附を行った者とが相違する場合に、資金の拠出者を記載することが求められているのか」との質問に対し、市川氏は「会計責任者が法の趣旨に則り実態を把握して記載してください」と述べるだけで、逮捕された小沢代表の秘書である大久保隆規氏の行為が「違法である」との見解を示すことができなかった。

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田中康夫・高野孟
「小沢代表の交代は愚の骨頂だ!」(4/20)

 新党日本の田中康夫代表と高野孟編集主幹による小沢一郎代表交代論を批判するコラムが、民主党の機関誌「プレス民主」09年4月17日号に掲載された。

 両氏は西松献金事件発覚後、新聞やテレビが「小沢辞任やむなし」との報道を続けるなか、「小沢は続投せよ」との意見を表明し続けており、他メディアではみられない異色のコラムとなっている。

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News Spiral
「民主党が「政治資金問題第三者委員会」を立ち上げ」
(4/15)

 小沢一郎代表秘書の起訴を受けて、民主党が「政治資金問題を巡る政治・検察・報道のあり方に関する第三者委員会(政治資金問題第三者委員会)」を立ち上げ、4月11日にその第1回会合を開くと共に、専用のホームページを立ち上げた。

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山口一臣氏(週刊朝日編集長)
「迷走する検察と新聞」(4/4)

 田原総一朗さんのブログに書いてあったとおり、確かに民主党の石川知裕議員の事情聴取のときは新聞が大きく取り上げたにもかかわらず、自民党候補予定の高橋嘉信氏の聴取はほとんど気づかないような記事だった。これはやはり、他の人も指摘しているように、高橋氏が検察のネタ元の一人ということなのだろうか。なんてことを思わせるだけでも、今回の捜査がいかに異常かを気づかされる。

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田原総一朗氏(ジャーナリスト)
「検察の言いなりになるメディア」(4/4)

 今回の小沢問題で、はからずもメディアはその欠陥を露呈した。

 たとえば、3月3日に小沢さんの公設秘書である大久保隆規氏が逮捕されたが、その日の夕刊から大久保氏に関する情報がどんどん流れた。そのほとんどは検察のリーク情報であり、事件発覚当初から、新聞やテレビは検察からのリーク情報にのせられて報道していた。

 ところが、ある時期から検察が情報の出し方にブレーキをかけるようになった。しかも、メディアに「書くな」という圧力をかけ、メディアもそれに従うようになった。
 
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岸井成格氏(毎日新聞特別編集委員)
「小沢秘書逮捕と見るに堪えない政局」(4/1)

 安倍、福田と総理大臣が2代続けて政権を投げ出して、その後総選挙が近づいているので「勝てる顔」ということで与党自民党が麻生総理を選んで半年。その時期に未曽有の世界経済・金融危機が起き、麻生は何度か解散総選挙に踏み切りたいとも考えたが、結局やりきれずに経済状況を理由に総選挙を先送りにしてきた。

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田中良紹氏(ジャーナリスト)
「小沢辞任論の『公』と『私』」(3/31)

 幕末維新に生きた勝海舟は「公」と「私」を峻別した政治家である。「公」とは天下国家の見地から政治を行なうことであり、「私」とは自らの利益を優先して政治を行なうことである。

 勝は徳川幕府の幕臣でありながら、徳川家を守る事は日本国全体の利益、すなわち「公」にはならないと考え、坂本龍馬ら尊皇攘夷を叫ぶ反体制の若者を周囲に集めて指導した。幕府打倒の先頭に立つ薩摩藩の西郷隆盛に対しても幕藩体制より「共和制」政治の実現が必要だと説いた。徳川家を守ろうとする人々から見れば「裏切り者」だが、勝にすればそんな考えこそが「私」の政治という事になる。

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鈴木宗男×田中良紹×高野孟
「小沢一郎は辞任するな!」(3/31)

 THE JOURNAL編集主幹・高野孟が“時代のキーパーソン”を迎えてお届けする動画企画「檄論檄場」。第四回は新党大地代表の鈴木宗男さんとジャーナリスト田中良紹さんをお迎えしました。

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田中良紹×高野孟
「世にも不思議なニッポンの民主主義」(3/31)

 檄論檄場第4回「小沢一郎は辞任するな!」収録後、引き続き田中良紹氏と高野孟編集主幹に西松献金事件の問題点を語ってもらいました。

 検察の正義とは何なのか、日本の民主主義は一体どうなってしまうのか。新聞やテレビでは報じることのできない「正論」を世に問います!

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高野孟氏(THE JOURNAL編集主幹)
「こんなところで辞任してはダメですよ、小沢さん!」(3/31)

 民主党の小沢一郎代表は、24日の大久保隆規秘書の起訴を受けて 25日に会見を開き、「代表の地位や政権をとって総理になるという類のことに何の未練も執着もない(が)……私が代表を続けることがプラスかマイナスか、私に判断することは出来ない。すべて国民の受け取り方次第だ」と述べて、少なくとも今の時点で辞任するつもりがないことを言明した。引き続き27日には衆参それぞれ の同党議員総会でその趣旨を繰り返した。

 当然である。こんなタイミングでこんな理由で辞任したのでは、何としても「政権交代」を阻止しようとする自民党と検察はじめ官僚機構の中の既得権益死守勢力の思う壺であって、麻生官僚支配政権の延命に手を貸すだけである。そんな選択はあり得ない。

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「世論調査の“怪” 国民は本当に小沢の辞任を望んでいるのか?」(3/30)

 ずさんな捜査や意図的なリークによる世論誘導が批判を受け、すでに「検察の歴史的敗北」とまで言われている西松献金事件だが、その政治的影響をたずねる主要各紙の世論調査が発表された。
 
 調査では各紙とも小沢氏の辞任を求める世論の声が6割以上を記録、支持政党や次の首相に誰がふさわしいかをたずねる項目でも自民と民主の数字が接近するなど、小沢民主党にとって厳しい結果となった。(※回答結果は下記表を参照)

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山口一臣氏(週刊朝日編集長)
「『捜査ミス』を『政治とカネ』にすり替えるな!」(3/29)

自分自身もよくわかっていなかったのですが、3月3日の小沢秘書逮捕以降、いくつものマターがゴッチャになって議論され、ことの本質を見失っていたような気がします。それぞれの人がそれぞれの関心の強い領域でものを考えているので、ときどき議論がかみ合わないという現象が起きていました。ぼく自身も「何でこんな簡単なことが理解されないんだろう」と困惑した時期がありましたが、要はそういうことだったのかと思います。

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田中良紹氏(ジャーナリスト)
「ガセネタ溢れる日本」(3/28)

 私が「報道特集」のディレクターをしていた頃、プロデューサーから「売り込みネタがあるから話を聞いて番組にしろ」と言われた。某地方局からの「売り込み」で、「広島と長崎の両方で被爆をした珍しい人物がいる。その人物を取材してドキュメンタリー番組を作ったら、ローカル局の大会で優秀賞を取った。出来ればこの話を全国ネットで放送して欲しい」と言う「売り込み」だった。

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二木啓孝氏(ジャーナリスト)
「小沢おろしの陰でささやかれる民主党の戦略」(3/27)

 辞任を要求している人の顔ぶれは今まで通りなので、小沢おろしの動きは驚くほどのことではない。

 むしろ、朝日新聞が反小沢に回ったと感じる。朝日は26日の朝刊で「非主流派が『沈黙』を破る号砲となった」と記事に書いていたが、号砲を鳴らしたのは朝日。(非主流派が)本当に小沢さんを代表からおろすつもりであれば、24日になる前に、何かしらのグループを作っている。

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田中良紹氏(ジャーナリスト)
「これじゃオバマは生まれない」(3/25)

 2年前の参院選直後に、「権力にとって小沢民主党代表はスキャンダル攻撃の最大ターゲットになった」と傍観者の私が思ったぐらいだから、当の本人はもっと分かっていた筈である。現実の問題として攻撃に備え、対策を考えていたに違いない。そうでなければとても政治家など務まらない。すると小沢代表は福田政権に大連立を仕掛けた。

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山口一臣氏(週刊朝日編集長)
「西松献金事件 問われる民主党の見識」(3/25)

いつも他人のふんどしで恐縮ですが、前に紹介した郷原信郎さんが日経ビジネスオンラインに投稿した、新しい論考です。

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山口一臣氏(週刊朝日編集長)
「検察に正義を求め過ぎるのは気の毒だ」(3/21)

 民主党・小沢一郎代表の秘書の勾留期限があと3日に迫った。さらなる「悪事」での再逮捕があるとすれば、このタイミングしかない。はたして「東北の業者一斉聴取」の成果は出るのだろうか。「出ない」という意見が強い。だが、もしいわれている政治資金規正法違反の起訴だけで終わっても、「検察の敗北だ!」などと囃し立てることは慎んだ方がいいと思う。プライドの高い検察が批判に耐えきれず、さらに戦線を拡大する可能性があるからだ。そうするとまた、税金が無駄に浪費される。今回の捜査では、すでに地方検察庁から多数の応援検事が呼び寄せられているとの報道がある。その人たちの旅費、滞在費、出張日当などの経費はすべて税金なのだ。ぼくたちは、そのことをもっとしっかり認識しておく必要がある。

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宮崎学氏(作家)
「まだまだ油断はできない」(3/21)

 本日、夕方頃から東京地検特捜部が民主党小沢代表への事情聴取を断念したというメディアの報道を受けて、私の携帯に「良かったですね」「検察が負けたね」といった内容の電話が殺到した。

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二木啓孝×高野孟

小沢一郎が絶体絶命か、それとも検察の敗北か・・・ 
予測不可能な事態になっている西松献金事件は、いまどうなっているのか。
そこで、今週16日にTHE JOURNALはJFNと協同で二木啓孝氏と高野孟編集主幹の対談を実現。取材に東奔西走しているジャーナリストの目からいったい何が見えるのか。西松献金事件を大胆に解説する!

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山口一臣氏(週刊朝日編集長)
「小沢秘書逮捕と『検察の裏金』」(3/19)

民主党の小沢一郎代表の秘書をめぐる政治資金規正法違反事件のいかがわしさについては、多くの人が指摘してくれるようになってきた。今回の捜査は簡単に言うと、まず「小沢秘書逮捕」がありきで、「別件」で逮捕してしまってから「逮捕」に見合う「罪」を探しているという状況だ。つまり、最初に「罪」があったのではなく、捜査の目的は「小沢排除」にあったと言われても仕方ない。後から「バランスを取るため」に付け加えられそうな二階俊博氏の関係者はいいトバッチリというものだ。

検察のターゲットはあくまで「小沢」であったことは間違いない。だが、このまま政治資金規正法違反だけでは「検査の敗北」(by田原さん)になる。

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高野孟氏(THE JOURNAL編集主幹)
「こういう独断専行は大歓迎だ!」(3/19)

 民主党の小沢一郎代表は17日の定例会見で、「企業・団体献金を全面的に禁止すべきだ」との考えを表明、翌18日には鳩山由紀夫幹事長に対して「岡田克也党政治改革本部長に言って実現してほしい。分かりやすい仕組みにしないといけない」と述べ、党として検討するよう正式に指示した。
 私は17日付の論説で、民主党がまず「公共事業受注企業からの献金禁止」条項をマニフェストに復活させ、その後、企業献金を減らし、政党交付金も減らし、個人献金中心の政治資金制度に段階的に進むべきだと提唱した。そのように段階論を採ったのは、そうでもしないと小沢一郎が到底納得しないだろうとの“配慮”からだったが、小沢はそんな私の気遣いなど飛び越えてもっと先へ突き進んでしまった。

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高野孟氏(THE JOURNAL編集主幹)
「小沢一郎というパラドックス」(3/19)

 民主党の仙谷由人元政調会長は15日のTV朝日「サンデー・プロジェクト」に出演して、西松建設の違法献金事件で小沢一郎代表の秘書が逮捕されたことについて、「無理筋を事件にしようとしている形跡もある。こんな大捕物帳をするような事件ではない。政治資金規正法の虚偽記載容疑に止まらない事件として成立させないと、検察の大失態になるが、なかなか有罪立証は難しい」と述べた。同番組を司会する田原総一朗も同日夜に都内で開かれた、この事件が「国策捜査ではないのか」を問うシンポジウムに出席して、「事件は民主党代表に深刻なダメージを与えた。政治資金規正法だけでの起訴なら検察の敗北だ」と語った。

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山口一臣氏(週刊朝日編集長)
「ガダルカナル化する検察捜査」(3/17)

桐蔭横浜大学法科大学院教授で、コンプライアンス研究センター・センター長の郷原信郎さんが、「日経ビジネスオンライン『ニュースを斬る』に寄稿しています。
大変参考になるので、西松建設事件に関心のある人は読んでみてください。

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山口一臣氏(週刊朝日編集長)
「西松建設事件 検察批判はつつしもう!」(3/16)

小沢一郎民主党代表の秘書の政治資金規正法違反捜査はいよいよ混迷を深めているように見える。すでに多くの専門家が指摘しているように、いまいわれている逮捕容疑は軽微な形式犯で、人ひとりの身柄を拘束(逮捕)するような事件ではない。検察OBや政界関係者の誰に聞いても、「なぜ、この時期に、あんな微罪で逮捕したのか?」と首をかしげる、異常な捜査であることは間違いない。

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「青年将校化する東京地検特捜部」緊急集会の模様を配信!

 宮崎学氏や二木啓孝氏が中心となって開催された緊急シンポジウム「青年将校化する東京地検特捜部~小沢第一秘書逮捕にみる検察の暴走~」が15日に都内で開かれ、会場には立ち見客を含む約400人が集まった。

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中村美彦氏(ジャーナリスト)
「一連の小沢関連献金疑惑劇場型へ変容」(3/16)

 一連の小沢関連献金疑惑、なにか歪なポピュリズムが啓蟄を機に劇場型へと変容し拡大化もしてはいないだろうか。

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田原総一朗氏(ジャーナリスト)
「続・視界不良の西松献金事件」(3/14)

 小沢代表の秘書である大久保氏がいきなり逮捕されたときは誰もが驚いただろう。だが、その日の夕刊には小沢氏の献金の集め方が詳細に報道されていた。その後も大久保氏が西松建設の常務と直接取引をやり、ダミー団体を通して献金と要求し、請求書までで出していたという報道が連日のように続いた。
 
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特捜批判集会がインターネット生放送決定!15日19:30〜
「視界不良の西松献金事件」(3/14)

 田原総一朗氏、佐藤優氏、宮崎学氏、二木啓孝氏らが15日(日)19時30分から開く緊急シンポジウム「青年将校化する東京地検特捜部~小沢第一秘書逮捕にみる検察の暴走~」が、フォーラム神保町のHP上でインターネット生放送されることが決定しました!

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田原総一朗氏(ジャーナリスト)
「視界不良の西松献金事件」(3/13)

 小沢さんの公設第一秘書である大久保隆規氏が突然逮捕されたことに対し、事件発覚の翌日に小沢さんが怒りの記者会見を行った。

 私は、小沢さんが怒ることは当然だと思う。多くの国民は、次の選挙で民主党が勝つことはすでにわかっていただろう。それはつまり、次の首相は小沢さんになるということだ。ところが、その矢先に検察は小沢さんの秘書を逮捕し、小沢さんにも民主党にも大ダメージを与えた。

 そこで、今回の逮捕劇は“国策捜査”だと言われるようになってきた。実は、私も当初は国策捜査を疑っていた。ところが、事件の経過を眺めているうちに、今回の事件は検察のやり方がいつもと違って乱暴すぎると感じるようになってきている。
 
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中村美彦氏(フリージャーナリスト)
「10日の小沢民主党代表記者会見は想定内に終始」(3/11)

政治資金収支報告書の事務処理に端を発した小沢民主党代表周辺への違法献金疑惑、10日の同代表記者会見は国民に向けた明確な謝罪を口にしつつ、進退は今後の捜査の行方と総選挙の勝算に依拠すると、想定内に終始。

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田中良紹氏(ジャーナリスト)
「更迭できない理由」(3/10)

 漆間官房長副官は記者との懇談で発言した事を「記憶にない」と言い出した。麻生総理も一時は「誤報」とまで言ったから、この謀略コンビは報道機関に「シラを切り通せば何とかなる」と思っているのだろう。日本のメディアは「舐め切られて」いる。

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田中良紹氏(ジャーナリスト)
「政治とカネの本当の話(2)」(3/9)

 眉間にしわ寄せキャスターの番組は、昔から「もっともらしい嘘」を振りまくのが得意なのに何故か「報道番組」と称している。この前も某名誉教授が小沢秘書逮捕事件の感想を聞かれて、「政治に金がかかるのが問題だ。政治家はお金を使わずに節約をして生活することが出来ないのか」という趣旨の発言をしていた。そしてスタジオみんなが頷いた。「おかあさんといっしょ」程度の番組なら許される。しかし「報道番組」での発言である。これでは日本の政治は救われないと暗澹たる思いになった。

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山口一臣氏(週刊朝日編集長)
「『小沢辞めろ』コールはマスコミの怠慢」(3/9)

週明けの新聞各紙の世論調査で、
民主党の小沢一郎代表は辞めるべきだ、という意見が半数を超えていた。
さらに、小沢氏の記者会見の説明が、
「納得できない」
という意見が8割前後にのぼっていた。

これを受けて、民主党の党内までが揺れ始めたという。
曰く「小沢氏の秘書が起訴されたら、辞任は避けられないだろう」などなど…。

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田中良紹氏(ジャーナリスト)
「記者の資格」(3/9)

 この国では頭が悪くないと新聞やテレビの記者にはなれないのだろうか。
「政治の読み方」というコラムでも書いたが、権力者を取材する際、言った言葉を鵜呑みにするバカはいない。発言の裏にどういう意図が隠されているかを「読み解かなければ」記者をやる資格はない。

 権力闘争は情報戦である。敵を不利にし、味方を有利にする情報を振りまく事が最も重要である。そういう目で政治を読み解いていかなければ記者は仕事をした事にならない。権力者の言う事を右から左に伝えるだけならただの「御用聞き」だ。私が指摘したように、今回の麻生政権の仕掛けは「小沢代表を代表の座から引きずりおろす」事にある。引きずりおろす事さえ出来れば検察は事件の責任を問わない可能性がある。

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田中良紹×田中康夫
「西松献金事件から見える“この国の病”」(3/9)

 THE JOURNALブロガーである田中良紹氏と新党日本代表の田中康夫氏が、小沢一郎民主党代表の秘書が逮捕された西松献金事件について語ります!

 日本の政治献金の問題は何か、小沢氏秘書逮捕事件から見えてくるものとは・・・ ベテランジャーナリストが抉り出すこの問題の“本質”をぜひご覧ください!

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News Spiral
「小沢氏「辞任を」が半数以上」(3/9)

 主要新聞社が実施した全国緊急世論調査で、西松献金事件に関する小沢氏の説明に回答者の7割〜8割が「納得できない」と答え、半数以上が民主党代表職の辞任を求めていることがわかった。

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宮崎学氏(作家)
「また原稿が遅れてしまいそうだ」(3/9)

宮崎学である。

例の「政府高官」が漆間であることが報道されて、いろいろ興味深い情報が来ている。以前から聞いていた話も含めて、いくつか記しておく。
ちなみに、ある謀略マニアは「今回の発言といい、漆間は官邸を内側から崩壊させているのではないか。ひょっとして、漆間は潜入したサヨクなのかもしれない」と言ってきた。ワシは「さすがにそれは違うだろう」と答えておいたが、なんとなくそんな気もしないではなくなってきた。

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山口一臣氏(週刊朝日編集長)
「納税者の視点で検察の捜査を監視しないと」(3/9)

今回の捜査が「国策捜査」だとは思いませんが、
あまりに世間の空気が読めていないことは間違いありません。

それが何より証拠には、
ふつう、東京地検特捜部が政治家に手を着けようとすれば、
世間は拍手喝采したものなのに、今回はそんな雰囲気ではありません。
新聞に「国策捜査」なんて文字まで踊る始末です。
少しでも知識のある人は、検察の捜査に疑いのまなざしを向けています。
(あくまで疑いですが……)

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井上トシユキ氏(ITジャーナリスト)
「西松建設の違法献金事件」(3/9)

漆間氏の実名公表した官房長官「説明責任果たすべき」
http://www.asahi.com/politics/update/0308/TKY200903080038.html

 ここへきて急展開の西松建設違法献金事件。
 元警察庁長官の漆間巌官房副長官が「自民党議員に容疑が及ぶことは
ないと思う」と、オフレコ懇談で発言したことが問題となっています。

 折しも、二階俊博経済産業相への捜査波及が話題となっていますが、
僭越ながら漆間官房副長官の真意を忖度してみましょう。

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田中良紹氏(ジャーナリスト)
「政治とカネの本当の話(1)」(3/8)

 企業献金は「悪」だと言う。なぜなら企業は「見返り」を求めるはずで、政治が企業の利益に左右され、公共の利益を損ねるからだと言う。一見もっともらしく聞えるが、なぜ企業献金が全て公共の利益に反すると断定できるのか。こうした考えは「民主主義の根本」を犯す事になりかねない。世界の民主主義国でこんな事を言う国はない。

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宮崎学氏(作家)
「青年将校化する東京地検特捜部」(3/8)

宮崎学である。

久しぶりにホームページで俺の今考えていることを明らかにする。

フォーラム神保町は3月15日、「青年将校化する東京地検特捜部」と題する集会を急遽開催する。それは、どういう問題意識に基づくものか。

今回の民主党代表小沢一郎の第一秘書逮捕事件は、二つの点で、これまでにない異常な相貌を示している。

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田中良紹氏(ジャーナリスト)
「プーチンの真似も出来ない」(3/7)

 民主党のスキャンダルを暴露するために麻生総理が起用したと私が見ていた官房副長官は、自分が仕組んだ「爆弾」が麻生政権を救ったと自慢したかったのだろう。懇談で余計な事をしゃべって問題になった。日本の官僚がこの程度にレベルダウンしているから、この国を官僚に任せては置けない。

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News Spiral
「西松献金事件 政治家は何を語る?」(3/7)

 故・鳩山一郎元首相の没後50年の式典が7日、都内のホテルオークラで開かれ、鳩山由紀夫民主党幹事長や鳩山邦夫総務相のほか、中曽根康弘元首相、公明党の太田昭宏代表ら角界の著名人が約600人出席した。

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天野礼子氏(アウトドアライター)
「ダムと小沢と加藤紘一」(3/7)

民主党の代表として選挙の顔となってきた小沢一郎さんの、西松建設からの献金が「違法」であったかどうかが問われています。一方、3月6日の朝日新聞は「自民党側の立件は無理。西松から献金を受けた認識があるという傍証がない限り難しい」との政府高官の声を載せ、問題となっています。

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News Spiral
「やっぱり国策捜査? 漆間巌官房副長官が捜査情報を暴露」(3/7)

 警察官僚出身の官房副長官として知られている漆間巌氏が、捜査情報を記者に語るという大失態を犯したことが波紋を呼んでいる。

 5日に行われた記者との懇談で小沢代表の秘書逮捕に言及した漆間氏は、東京地検特捜部の捜査が自民党にまで拡大することはないとの見通しを示した。その根拠として、小沢氏の秘書は西松建設に請求書を発行していたことを挙げた。

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News Spiral
「検察の狙いはあっせん利得処罰法か 西松献金事件」(3/6)

 小沢代表の公設第一秘書である大久保隆規氏が政治資金規正法容疑で逮捕された問題で、東京地検特捜部の真の狙いは政治資金規正法による立件ではなく、あっせん利得処罰法ではないかとの見方が広まっている。

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二木啓孝氏(ジャーナリスト)
「小沢代表だけ捜査するのはおかしい」(3/5)

 どうやら検察側は自民党の森喜朗氏、藤井孝男氏、尾身幸次氏らを捜査する気はないようだ。

 検察側の記者会見によると、小沢代表側を強制捜査した理由は「金額が突出している」ということだった。とはいうものの、法の原則から言えば、額が小さいからといって他の議員を見逃すことは法の適用の公平性を欠く。

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田中良紹氏(ジャーナリスト)
「予言が現実になった」(3/4)

 麻生政権誕生時に私が予言したことが現実になった。「麻生政権は民主党の小沢代表をターゲットにスキャンダルを暴露する以外に生き延びる術はない」と言った事がその通りになった。

 実は07年の参議院選挙惨敗以来、政府与党は民主党の小沢代表を失脚させる事に専念してきた。小沢代表さえいなくなれば、仮に政権交代が起きたとしても民主党は少しも怖くない。なぜなら小沢代表以外に「権力」の裏表を知る人間が民主党にはいないからだ。

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二木啓孝氏(ジャーナリスト)
「小沢一郎が辞任を拒否した理由」(3/4)

 小沢さんがなぜ代表を辞任しなかったのか。その理由は07年11月の大連立騒動のときと比べるとわかりやすいと思う。

 小沢さんと当時の首相である福田康夫さんが大連立で合意したとき、民主党内にその話を持ち帰ったら幹部から総スカンをくらった。その後、小沢さんは会見を開いて「俺がいらないんだったらもういい」という言い方で一度は代表を辞任しようとした。ところが、今回は昨日夕方に開かれた役員会議や本日朝に開かれた緊急役員会では「いま辞められては困る」という雰囲気だった。党としてはこの時期に代表が代わってしまったら選挙に影響があるから困る。それでみんなで小沢さんを支えようという結論になったのだろう。つまり、民主党の役員会に必要と言われれば小沢さんは頑張る。それが大連立騒動のときと違うところだった。

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田原総一朗氏(ジャーナリスト)
「小沢氏は代表を辞任せざるをえない」(3/4)

 これまでも西松建設は、小沢さん以外にも(自民党の)多数の政治家に多額の献金をしていた。ところが、小渕政権時代に企業献金が規制されたため、その対策として社員の給料をかさあげし、それを個人献金として小沢さんに寄付していた。もちろん、このような形態の献金は、他の大企業も行っている。

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2009年5月 1日

「核のない世界」への第一歩を踏み出した米大統領——オバマ政権最初の100日間・その1

takanoron.png オバマ米大統領が就任して100日間が過ぎ、政権当初の仕事ぶりの評価をめぐる議論がかまびすしいが、外交面で何と言っても最もインパクトが大きかったのは、4月1日メドベージェフ露大統領との初会談で新しい戦略核兵器削減条約について交渉を開始することで合意、続く5日のプラハでの演説で米国が「核兵器のない世界」の実現に向かって率先イニシアティブを発揮することを宣言したことである。

 もちろんオバマは選挙期間中から「核兵器のない世界」への取り組みを公約に掲げていたので、意外性こそないが、米外交政策マフィアや戦略家たちの間に意見対立があることもあり、誰もが第1期4年間の内には何とか手を着けるのが精一杯だろうくらいに思っていたこの人類史的課題を、最初の欧州訪問・米露首脳会談の目玉として打ち出した手腕と演出力は鮮やかである。とりわけ日本人にとっては、「核兵器を使用した唯一の核保有国として米国には行動する道義的責任がある」と、米指導者として初めて、原爆投下国としての責任に言及したことが強く印象に残った。

●プラハ演説の趣旨とその限界

 プラハ演説の主なポイントは次の通り(趣旨は《資料1》を参照。

▼「核兵器のない世界」への具体的措置として、我が国の国家安保戦略における核兵器の役割を低下させ、他の国にも同調を求める。ロシアとの間で新たな戦略兵器削減条約を交渉し、今年末までに合意を達成する。
▼我が政権は速やかにかつ果敢に、CTBT(包括的核実験禁止条約)の批准を追求する。また、核兵器用の核分裂物質の生産を検証可能な形で禁止する新たな条約を追求する。
▼NPT(核不拡散条約)を強化していく。国際査察の強化にはさらなる資源と権限が必要だ。また正当な理由なくルールを破り、条約からの脱退を試みる国は報いを受けなければならない。
▼北朝鮮が長距離ミサイルに使用可能なロケット実験によって再びルールを破ったことに対しては断固とした行動が必要だ。我々は一致協力して北朝鮮に路線変更を迫っていかなければならない。
▼イランはまだ核兵器を製造していないが、同国の核および弾道ミサイル活動の脅威は実在している。我が政権は相互利益・相互尊重の精神に基づいてイランへの関与を進め、同国が国際社会で正当な地位を占めつつ厳格な査察の下での平和的核エネルギー利用の権利を享受するのか、さらなる孤立と国際的な圧力の中で地域的な核軍拡競争に道を開くのか、その選択を迫る。
▼イランの脅威が存在する限り、チェコとポーランドへのミサイル防衛システムを推進する。
▼テロリストが核兵器を手に入れることは、グローバルな安全保障にとって最も緊急かつ危機的な脅威である。攻撃対象となりうる世界各地のすべての核物質の保安管理体制を4年以内に実現したい。

 一見して明らかな通り、これは、ヘンリー・キッシンジャー元国務長官、ジョージ・シュルツ元国務長官、ウィリアム・ペリー元国防長官、サム・ナン前上院軍事委員会議長の4人が07年1月と08年1月の2回にわたって米紙「ウォール・ストリート・ジャーナル」に寄稿した論文「核のない世界へ」の焼き直しである(《資料2》《資料3》を参照)。

 ただし、キッシンジャーらが、米国が率先して核廃絶に向かうことによって北朝鮮やイランの核を阻止するための交渉や核テロの防止策を効果的に進めることが出来るという、やや理想主義的なスタンスを採っているのに対して、オバマはそれに寄り添いつつも、次のように付け加えるのを忘れない。

「もちろん、核兵器が存在する限り、わが国は、いかなる敵であろうとこれを抑止し、同盟諸国に対する防衛を保証するために、安全かつ効果的な兵器を維持します」

 現職大統領としては当然とも言えるが、まさにここがディレンマの元で、核兵器をなくすことには誰もが賛成なのにそれがおいそれとは進まないのは、米露や米中の間で破滅的な核戦争が起きる可能性はゼロに近くなったけれども、米国vs北朝鮮をはじめインドvs中国・パキスタン、イスラエルvsイランなどの地域的な核対立の構図が解消されず、またその構図の中でテロリストが核兵器や核物質を手に入れて核テロを引き起こす危険がむしろ増大していて、それに対して米国が「核抑止力」によって対処しようとすれば、いつまで経っても核を手放すことが出来ず、そうすると米国からの直接の核の脅威にさらされていると思っている北朝鮮も、イスラエル経由で間接の脅威に直面していると感じているイランも、核開発の権利を手放そうとはしない。「核抑止力」論が地域的な核対立を煽るというディレンマをどう乗り越えていくのかの論理は、オバマ演説には示されていない。

 さらにその根底には、周知のように、NPTが国連常任安保理事国でもある5大核武装国の既得権益を保証する一方で、それ以外の国が新たに核保有することだけを禁じている差別条約であるという問題が横たわる。もちろんNPTは、5大国の特権を野放しに認めているのでなく、5大国が進んで核の削減に取り組むことを通じてこの差別を解消していくことを義務づけているのだが、彼らはこの義務を誠実に果たしているとは言えず、そうであるがゆえにインド、パキスタン、イスラエルは同条約に未加盟であり、北朝鮮は事あるごとに脱退を宣言するというのが現状である。それをそのままにして国際査察の強化や違反者への罰則強化をいくら叫んでも根本的解決にはならない。

 日本としては、北朝鮮核問題の「6者協議」を通じて“朝鮮半島の非核化”(ということは、北が米国の核に脅されていると思う根拠を除去することを含む)を達成しつつ、さらにその枠組みを発展させて米中露を含む「北東アジア非核地帯」の実現にイニシアティブを発揮すべき時である。5大国のうち3国が、少なくともこの地域で核の使用や核による恫喝を行わないことを保証すれば、北が核開発に取り組む口実はなくなる。ちなみに、イランの場合も同様で、米国の後ろ盾でイスラエルが核武装している現状をなくせばイランが核開発をする理由はない。

 こうして、オバマのプラハ演説は全体として画期的な意味があるものの、肝心要の問題については打開策を示唆さえもしておらず、彼に任せておけば「核のない世界」が実現するといった過剰な期待を持つことは禁物である。▲

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《資料1》オバマ大統領のプラハ演説(2009年4月5日)

 在日米大使館による仮翻訳のうち核に関する部分を省略・要約なしに以下に転載した。それ以外の部分を含む全文は次のURLを参照のこと。
http://tokyo.usembassy.gov/j/p/tpj-20090405-77.html
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今日私が重点を置いてお話しする課題のひとつは、この両国の安全保障にとって、また世界の平和にとって根本的な課題、すなわち21世紀における核兵器の未来、という問題です。

 何千発もの核兵器の存在は、冷戦が残した最も危険な遺産です。米国とソ連の間に核戦争が起きることはありませんでしたが、何世代にもわたり人々は、この世界が一瞬の閃光(せんこう)の下に消失してしまうこともあり得ると承知の上で生活していました。プラハのように何世紀にもわたって存在し、人類の美しさと才能を体現した都市が消え去ってしまう可能性がありました。

 今日、冷戦はなくなりましたが、何千発もの核兵器はまだ存在しています。歴史の奇妙な展開により、世界規模の核戦争の脅威が少なくなる一方で、核攻撃の危険性は高まっています。核兵器を保有する国家が増えています。核実験が続けられています。闇市場では核の機密と核物質が大量に取引されています。核爆弾の製造技術が拡散しています。テロリストは、核爆弾を購入、製造、あるいは盗む決意を固めています。こうした危険を封じ込めるための私たちの努力は、全世界的な不拡散体制を軸としていますが、規則を破る人々や国家が増えるに従い、この軸が持ちこたえられなくなる時期が来る可能性があります。

 これは、世界中のあらゆる人々に影響を及ぼします。ひとつの都市で1発の核兵器が爆発すれば、それがニューヨークであろうとモスクワであろうと、イスラマバードあるいはムンバイであろうと、東京、テルアビブ、パリ、プラハのどの都市であろうと、何十万もの人々が犠牲となる可能性があります。そして、それがどこで発生しようとも、世界の安全、安全保障、社会、経済、そして究極的には私たちの生存など、その影響には際限がありません。

 こうした兵器の拡散を抑えることはできない、私たちは究極の破壊手段を保有する国家や人々がますます増加する世界に生きる運命にある、と主張する人もいます。このような運命論は、極めて危険な敵です。なぜなら、核兵器の拡散が不可避であると考えることは、ある意味、核兵器の使用が不可避であると認めることになるからです。

 私たちは、20世紀に自由のために戦ったように、21世紀には、世界中の人々が恐怖のない生活を送る権利を求めて共に戦わなければなりません。そして、核保有国として、核兵器を使用したことがある唯一の核保有国として、米国には行動する道義的責任があります。米国だけではこの活動で成功を収めることはできませんが、その先頭に立つことはできます。その活動を始めることはできます。

 従って本日、私は、米国が核兵器のない世界の平和と安全を追求する決意であることを、信念を持って明言いたします。私は甘い考えは持っていません。この目標は、すぐに達成されるものではありません。おそらく私の生きているうちには達成されないでしょう。この目標を達成するには、忍耐と粘り強さが必要です。しかし今、私たちは、世界は変わることができないという声を取り合ってはいけません。「イエス・ウィ・キャン」と主張しなければならないのです。

 では、私たちが取らなければならない道筋を説明しましょう。まず、米国は、核兵器のない世界に向けて、具体的な措置を取ります。冷戦時代の考え方に終止符を打つために、米国は国家安全保障戦略における核兵器の役割を縮小し、他国にも同様の措置を取ることを求めます。もちろん、核兵器が存在する限り、わが国は、いかなる敵であろうとこれを抑止し、チェコ共和国を含む同盟諸国に対する防衛を保証するために、安全かつ効果的な兵器を維持します。しかし、私たちは、兵器の保有量を削減する努力を始めます。

 米国は今年、弾頭と備蓄量を削減するために、ロシアと、新たな戦略兵器削減条約の交渉を行います。メドベージェフ大統領と私は、ロンドンでこの作業を開始しました。そして今年末までには、法的拘束力を持ち、十分に大胆な新しい合意を目指す予定です。これは、さらなる削減に向けた準備段階となるものであり、この努力にすべての核兵器保有国を参加させることを目指します。

 全世界的な核実験の禁止を実現するために、私の政権は、米国による包括的核実験禁止条約の批准を直ちに、積極的に推し進めます。この問題については50年以上にわたって交渉が続けられていますが、今こそ、核兵器実験を禁止する時です。

 そして、核爆弾の製造に必要な物質の供給を断つために、米国は、国家による核兵器製造に使用することを目的とする核分裂性物質の生産を、検証可能な形で禁止する新たな条約の締結に努めます。核兵器の拡散阻止に本気で取り組むのであれば、核兵器の製造に使われる兵器級物質の製造を停止すべきです。これが初めの1歩です。

 第2に、私たちは共に、協力の基盤として、核不拡散条約を強化します。

 条約の基本的な内容は、理にかなったものです。核保有国は軍縮へ向かって進み、核兵器を保有しない国は今後も核兵器を入手せず、すべての国々に対し原子力エネルギーの平和利用を可能にする、という内容です。不拡散条約を強化するために私たちが受け入れるべき原則がいくつかあります。国際的な査察を強化するための資源と権限の増強が必要です。規則に違反していることが発覚した国や、理由なしに条約を脱退しようとする国が、即座に実質的な報いを受けるような制度が必要です。

 そして、私たちは、各国が、拡散の危険を高めることなく、平和的に原子力エネルギーを利用できるようにするために、国際燃料バンクなど、原子力の民生利用での協力に関する新たな枠組みを構築すべきです。これは、核兵器を放棄するすべての国、特に原子力の平和利用計画に着手しつつある開発途上国の権利でなければなりません。規則に従う国家の権利を拒否することを前提とする手法は、決して成功することはありません。私たちは、気候変動と戦い、すべての人々にとって平和の機会を推進するために、原子力エネルギーを利用しなければなりません。

 しかし、私たちは前進するに当たり、幻想を抱いてはいません。規則を破る国も出てくると思われます。いかなる国であろうとも規則を破れば、必ずその報いを受けるような制度を整備する必要があるのは、そのためです。

 今朝、私たちは、こうした脅威に対処するための新しい、より厳格な手段が必要であることを、改めて実感させられました。北朝鮮が再び規則を破り、長距離ミサイル用にも使うことが可能なロケットの発射実験を行ったのです。この挑発行為は、行動を取ることの必要性を浮き彫りにしています。それは、本日午後の国連安全保障理事会での行動だけでなく、核兵器の拡散を阻止するという決意の下に取る行動です。

 規則は、拘束力を持たなければなりません。違反は、罰せられなければなりません。言葉は、実際に意味を持たなければなりません。世界は結束して、核兵器の拡散を防がなければなりません。今こそ、国際社会が断固とした対応を取る時です。北朝鮮は、脅威と違法な兵器によって安全保障と尊敬を勝ち取る道を切り開くことは決してできない、ということを理解しなければなりません。すべての国家が、より強力な国際体制を築くために協力しなければなりません。私たちが協力して北朝鮮に圧力をかけ、方針を変更するよう迫らなければならないのはそのためです。

 イランは、まだ核兵器を製造していません。私の政権は、イランとの相互の利益と尊敬に基づき、イランとの関与を求めていきます。私たちは対話を信じています。しかし、対話の中で明確な選択肢を提示していきます。私たちは、イランが政治的にも経済的にも、国際社会の中で正当な位置を占めることを望んでいます。私たちは、厳しい査察の下で原子力エネルギーを平和的に利用するイランの権利を支持します。これこそ、イラン・イスラム共和国が取ることができる道です。一方で、イラン政府は、さらなる孤立と、国際的な圧力と、すべての国々にとって危険を高めることになる、中東地域における核軍拡競争の道を選ぶこともできます。

 はっきり言いましょう。イランの核開発・弾道ミサイル開発活動は、米国だけでなく、イランの近隣諸国および米国の同盟国にも真の脅威を及ぼします。チェコ共和国とポーランドは勇敢にも、こうしたミサイルに対する防衛システムの配備に同意してくれました。イランからの脅威が続く限り、私たちは、費用対効果の高い、実績のあるミサイル防衛システムの導入を続けていきます。イランの脅威がなくなれば、私たちの安全保障の基盤が強化され、ヨーロッパにミサイル防衛システムを配備する動機がなくなります。

 最後に、私たちは、テロリストが決して核兵器を入手することがないようにしなければなりません。これは、世界の安全保障に対する、最も差し迫った、かつ最大の脅威です。1人のテロリストが核兵器を持てば、膨大な破壊力を発揮することができます。アルカイダは、核爆弾の入手を目指す、そしてためらうことなくそれを使う、と言っています。そして、管理が不十分な核物質が世界各地に存在することが分かっています。国民を守るためには、直ちに、目的意識を持って行動しなければなりません。

 本日、私は、世界中の脆弱(ぜいじゃく)な核物質を4年以内に保護管理することを目的とした、新たな国際活動を発表します。私たちは、新しい基準を設定し、ロシアとの協力を拡大し、こうした機微物質を管理するための新たなパートナーシップの構築に努めます。

 また私たちは、闇市場を解体し、物質の輸送を発見してこれを阻止し、金融手段を使ってこの危険な取引を停止させる活動を拡充しなければなりません。この脅威は長期的なものとなるため、私たちは、「拡散に対する安全保障構想」や「核テロリズムに対抗するためのグローバル・イニシアチブ」などの活動を、持続的な国際制度に転換するために協力すべきです。そして、手始めとして、米国の主催による核安全保障に関する国際サミットを今後1年以内に開催します。

 私たちが、このように幅広い課題について行動を起こせるのかと疑問を持つ人もいると思います。国家間には避けられない立場の相違があるため、真の国際協力が可能であるかどうか疑問を持つ人もいます。そして、核兵器のない世界の話を聞き、実現不可能と思える目標を設定することに価値があるのかという疑問を持つ人もいます。

 しかし間違ってはいけません。そうした考え方の行き着く先は分かっています。国家や国民が、相違点によって特徴付けられることを良しとするとき、相互の溝は深まります。私たちが平和の追求を怠るときには、永久に平和をつかむことができません。希望ではなく恐怖を選んだときにどうなるかは分かっています。協力を求める声を非難し、あるいは無視することは、容易であると同時に、卑劣なことでもあります。戦争はそのようにして始まります。人間の進歩はそこで止まってしまうのです。

 この世界には暴力と不正があり、私たちはそれに立ち向かわなければなりません。その際に、私たちは、分裂するのではなく、自由な国家、自由な国民として結束しなければなりません。武器を捨てることを呼びかけるより、武器を取ることを呼びかける方が、人々の感情をかき立てるものです。だからこそ、私たちは団結して、平和と進歩を求める声を上げなければなりません。

 それは、今もプラハの街にこだまする声です。1968年の亡霊です。ビロード革命のときに聞こえた歓喜に満ちた声です。一度も発砲することなく、核を保有する帝国の打倒に貢献したチェコの人々の声です。

 人間の運命は、私たちが自ら切り開くものです。ここプラハで、より良い未来を求めることによって、私たちの過去に敬意を示そうではありませんか。私たちの間にある溝に橋を架け、希望を基にさらに前進し、これまでより大きな繁栄と平和をこの世界にもたらす責任を引き受けようではありませんか。共に手を携えれば、それを実現することができます。ありがとうございました。プラハの皆さん、ありがとうございました。■

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《資料2》キッシンジャーらの「核のない世界へ」論文(2007年1月4日付「ウォール・ストリート・ジャーナル」)

 NPOピースデポ機関誌「核兵器・核実験モニター」による抄訳を転載する。ピースデポのURLは…
http://www.peacedepot.org/
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今日の核兵器はすさまじい危険を呈しているが、それは同時に歴史的な機会をもたらしている。米国の指導者たちは、世界を新段階へと導くよう求められている。すなわち、潜在的危険を孕む者達への核拡散を防止し、究極的には世界の脅威である核兵器の存在に終止符を打つための決定的な貢献として、核兵器依存の世界的な中止に向かう確固たるコンセンサスへと導くことである。

 冷戦時代においては、核兵器は、抑止の手段として、国家安全保障の維持に不可欠なものであった。しかし冷戦の終焉によって、ソビエト連邦とアメリカ合衆国のあいだの相互抑止という教義は時代遅れのものになった。抑止は、他の国家による脅威という文脈においては、多くの国家にとって依然として十分な考慮に価するものとされているが、このような目的のために核兵器に依存することは、ますます危険になっており、その有効性は低減する一方である。

 北朝鮮の最近の核実験や、(兵器級物質生産の可能性もある)イランのウラン濃縮計画の中止拒否などによって、世界がいま、新らたな、そして危険な核時代のがけっぷちに立っているという事実が浮き彫りとなった。最も警戒を要することは、非国家のテロリスト集団が核兵器を手にする可能性が増大しているということである。今日、テロリストによって引き起こされる世界秩序に対する戦争においては、核兵器の使用は大規模な惨禍を招く究極的な手段である。そして、核兵器を手にした非国家のテロリスト集団は、概念上、抑止戦略の枠外にあり、そのことが解決困難な新しい安全保障上の課題を生み出している。

 テロリストによる脅威を別としても、緊急に新たな行動を起こさなければ、アメリカ合衆国は新たな核時代へと突き進むことを余儀なくされるであろう。それは、冷戦時代の抑止よりもいっそう不安定で、心理的な混乱を生み、経済的コストの高いものである。核兵器を所持しうる敵が世界中でその数を増す中で、核兵器使用の危険性を劇的に増大させることなく、かつての米ソ間の「相互確証破壊(MAD)」を再現して成功するどうかは極めて疑わしい。

 核兵器によって引き起こされる不測の事態や判断ミス、または無許可使用を回避する目的で、冷戦時代には段階的な保障措置が有効に働いていた。しかし、新たな核保有国はこうした長年の経験による利益を得ることはないだろう。アメリカ合衆国やソビエト連邦は、結果的には致命的とはならなかった数々の過ちから様々なことを学んだ。両国は、意図的にしろ、偶発的にしろ、核兵器が一発も使用されることのなきよう、冷戦時代に絶え間ない努力を積み重ねてきた。今後50年間、新たな核保有国にとって、そして世界にとって、冷戦時代のこのような幸運は望めるのだろうか。(中略)

 核不拡散条約(NPT)が描くものは、全ての核兵器の廃絶である。この条約は、(a)1967年の時点で核兵器を保有していない国家が核兵器を取得しないことに合意すること、及び(b)核兵器を保有している国家は、それを後々放棄することに合意することを定めている。リチャード・ニクソン米大統領以降の民主・共和両党の大統領は全員、この条約下の義務を再確認してきたが、非核兵器国は、核大国がどれほど条約の規定を誠実に遵守しているか、ますます懐疑的になってきた。

 核不拡散を推進する強力な取組みが進行中である。「協調的脅威削減(CTR)プログラム」、「地球的規模脅威削減イニシアチブ(GTRI)」、「拡散防止構想(PSI)」、そして国際原子力機関(IAEA)追加議定書などの取り決めは、NPT違反や世界の安全を危機にさらすような行いを探知する強力な新しい手段を提供する革新的なアプローチである。これらの取り決めは完全に履行されるべきものである。北朝鮮やイランによる核兵器拡散問題に対し、国連安全保障理事会の常任理事国に加え、ドイツ・日本を巻き込んだ交渉を行うことが極めて重要である。これらの手段を精力的に追求することを行わなければならない。

 しかしながら、これらだけでは、危機に対応する十分な措置とはいえない。レーガン大統領とゴルバチョフ書記長は、20年前のレイキャビクの会談において、核兵器の完全廃棄という、より大きな目標の達成を目指した。彼らのビジョンは、核抑止教義を信奉する専門家の度肝を抜いたが、世界中の人々の期待を膨ませるものであった。最大数の核兵器を保有する両国の指導者たちが、最も破壊力のある武器を廃絶しようと、議論を始めたのであるから。

 では、どのような手段がとられるべきだろうか。NPTにおいて取り交わされた約束や、レイキャビクで構想された可能性は結実することとなるのだろうか。堅実な段階を経て、めざす答えに行き着くためには、アメリカ合衆国が先導して最大限の努力を行うことが必要である、と私たちは確信している。

 何よりもまず、核兵器を所持している国々の指導者たちが、核兵器なき世界を創造するという目標を、共同の事業に変えていく集中的な取り組みが必要である。このような共同事業は、核保有国の体質を変容させることなどを含むが、これらによって、北朝鮮やイランが核武装国となることを阻止しようという現在進行中の努力にいっそうの重みが加えられることとなるだろう。合意を目指すべき計画とは、核による脅威のない世界を実現するための基礎作業となる、一連の合意された緊急措置で構成される。そのような措置には、次のようなものが挙げられる。

▼冷戦態勢の核兵器配備を変え、警告の時間を増やし、これによって核兵器が偶発的に使用されたり、無許可で使用されたりする危険性を減らすこと。
▼すべての核保有国が核戦力の実質的な削減を継続的に行うこと。
▼前進配備のために設計された短射程核兵器を廃棄すること。
▼上院と協力して超党派的な活動を始めること。たとえば、包括的核実験禁止条約(CTBT)の批准を達成するために信頼を深め定期的な審議の場を設けるという理解を得ること、当代の技術的な進歩を活用すること、他の重要な国家にもCTBTを批准するよう働きかけること。
▼世界中のすべての兵器、兵器利用可能なプルトニウム、および高濃縮ウランの備蓄を対象にした安全基準値をできるだけ高く設定すること。
▼ウラン濃縮過程を管理下に置くこと。その際、原子炉で使用されるウランが、まずは原子力供給国グループ(NSG)を通して、次に国際原子力機関(IAEA)やその他の国際的に管理された備蓄から、相応な値段で入手できるという保証が伴うべきである。また、発電用の原子炉で発生する使用済み燃料が原因となって生じる核拡散の問題に対応することも必要である。
▼兵器製造に使用される核分裂性物質の生産を地球規模で中断させること。具体的には、民間レベルでの高濃縮ウランの使用を段階的に廃止してゆくこと、世界中の研究施設から発生する兵器利用可能なウランを除去すること、核分裂性物質を無害なものに変質させること。
▼新たな核保有国の出現を許してしまうような、地域での対立や紛争の解決に向けた私たちの努力を倍加させること。

 核兵器のない世界という目標を達成するためには、いかなる国家や人々の安全をも脅かす可能性のあるあらゆる核関連行為を防止し、それらに立ち向かう、効果的な措置を講じる必要がある。核兵器のない世界というビジョン、ならびにそのような目標の達成に向かう実際的な措置を再び世に訴えることは、アメリカの道徳的遺産と一致した力強いイニシアティブとなるであろうし、またそのようなものと受け止められるであろう。このような努力を積み重ねれば、次世代の安全保障に極めて前向きな影響を与えることができるであろう。大胆なビジョンなくては、これらの行動が正しいことも、緊急であることも理解されないだろう。逆に、行動なくては、このビジョンは、現実的であるとも実現可能性であるとも思われないことであろう。

 私たちは、核兵器のない世界を実現するという目標を立て、その目的の達成に求められる行動を精力的に起こすことを支持する。その際、上記のような措置をとることからまず始めなければならないのである。■

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《資料3》キッシンジャーらによる「核のない世界へ」第2論文(2008年1月15日、ウォール・ストリート・ジャーナル)

 NPOピースデポ機関誌「核兵器・核実験モニター」による全訳を転載する。
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核兵器、核の知識、また核物質が加速して拡散した結果、私たちは今危うい核の崖っぷちに立たされている。歴史上発明された中で最悪の破壊兵器が、危険な者の手に落ちる現実の可能性に直面している。

 現在我々がこの脅威に対してとっている対処措置は適切ではない。核兵器が広く入手可能な現状においては、抑止はますます効果を失い、危険をますます増加させている。

 1年前、我々は、本紙のエッセイにおいて、核兵器への依存を減らし、潜在的に危険な者への手に渡ることを防止し、世界への脅威として究極的に核兵器を廃棄することを目指して世界的な努力をするよう呼びかけた。これらの問題に取り組むために昨年を通じて作り出された関心、勢い、そして政治的空間の増加は、特筆すべきものであり、世界中の人々から強い支持の反応を頂いた。

 07年1月、ミハイル・ゴルバチョフは、核兵器の実質削減をした最初の条約の署名者であった者として、我々の緊急行動の訴えを支持するのは自分の義務であると考える、と書いた。「核兵器はもはや安全保障を実現する手段ではないことが、ますます明らかになっている。事実、1年経つ毎に、核兵器は我々の安全保障を危ういものにしている。

 6月、英国の外務大臣マーガレット・ベケットは、次のように述べて英国政府の支持のシグナルを送った。「我々にはビジョン、すなわち核兵器のない世界のためのシナリオと、行動、すなわち核弾頭数の削減と安全保障政策における核兵器の役割の制限のための前進的措置の両方が必要である。これら2本のより糸は別々のものであるが相互に強化し合うものである。両方とも必要であるが、現在は極めて弱い」

 我々はまた、その他にも国務長官、国防長官、国家安全保障顧問などの経験豊富な米国の元高官から、このプロジェクトに対して一般的な支持表明を受けて勇気づけられてきた。その中には、マデレーン・オルブライト、リチャード・V・アレン、ジェイムス・A・ベイカー3世、サミュエル・R・バーガー、ズビグニェフ・ブレジンスキー、フランク・カールッチ、ウォレン・クリストファー、ウィリアム・コーエン、ローレンス・イーグルバーガー、メルビン・レアド、アンソニー・レイク、ロバート・マクファーレン、ロバート・マクナマラ、コリン・パーウェルなどがいる。

 この反応に鼓舞されて、2007年10月、我々は過去6代の政権の元高官に呼びかけて、他の多くの核問題専門家とともに、スタンフォード大学フーバー研究所で会議をもった。そこでは、核政策を考える指針として「核兵器のない世界」というビジョンが大切であること、核の危機から我々を引き離すような一連の措置が必要であること、について一般的な合意があった。

 世界の核弾頭の95%近くを保有する米国とロシアがリーダーシップを発揮すべき特別の責任と義務と経験を持っているが、他の国々も参加すべきである。

 現在進行している、長距離の、言い換えれば戦略的、爆撃機やミサイルに搭載される核弾頭数の削減など、すでに行われている措置もある。米国とロシアが2008年を起点として短期的にとることができる措置があれば、それ自身として、自ずと核の危機を劇的に減ずることができる。それには次のような措置が含まれる。

▼1991年の戦略兵器削減条約の重要条項を延長する!これらの条項の適用から、検証という決定的に重要な業務について多くを学んできた。条約は2009年12月5日に失効する。監視と検証という必須要件などこの条約の重要条項は延長されるべきであり、また、2002年の戦略攻撃力削減に関するモスクワ条約はできるだけ早期に完了すべきである。

▼すべての核弾道ミサイルの発射における警報・決定の時間を延長する措置をとり、偶発的あるいは無認可攻撃のリスクを軽減する!最高司令部が注意深く慎重な決定を下す時間の余裕を与えない発射手順は、今日の環境においては不必要かつ危険である。さらに、サイバー戦争の発展の結果、いずれかの核兵器国の指揮統制システムが、万一、愉快犯や敵ハッカーによって壊されたときに破滅的な結果を招くことになる。米ロ関係に信頼が増している現在、相互に合意され検証された物理的障壁を指揮統制の手順に導入することによって、早急に新しい対策を講じることが可能であろう。

▼冷戦時代から引きずって今も存在している大量攻撃のための作戦計画をすべて廃棄する!米国とロシアが対テロの同盟国であり、もはや相互に敵と見なさないと正式に宣言している今日の世界において、抑止のために相互確証破壊(MAD)が必要だと考えるのは時代遅れの政策である。

▼2002年のモスクワ首脳会談でブッシュ大統領とプーチン大統領が提案したように、協調的相互ミサイル防衛・早期警戒システムを開発するための交渉を開始する!これには中東からヨーロッパ、ロシア、米国に対するミサイルの脅威に対抗する計画に対する合意やモスクワに共同データ交換センターを設置する作業の完成などを含むべきである。ミサイル防衛を巡っての緊張を緩和することは、我々の安全保障にとって余りにも重要な、より広範な核問題について進展がもたらされる可能性を高めるであろう。これに失敗すると、広範囲の核協力ははるかに困難になるであろう。

▼テロリストが核爆弾を獲得することを阻止するために、世界中において核兵器および核物質に対する最高の保安基準を適用する作業を劇的に加速する!世界中の40カ国以上に核兵器材料が存在し、最近も東ヨーロッパとコーカサスで核物質を密輸しようとしたとされる事例が報告されている。米国、ロシアなどナン・ルーガー計画で活動してきた国々は、国際原子力機関(IAEA)と協力して、核の保安の改善に関する国連安保理決議154の履行を援助するのに中心的な役割を果たすべきである。核物質に対する適切で効果的な保安を定めたこの決議の義務を満たすよう、国と協力するチームを派遣することによって、この援助を行うことができる。アーノルド・シュワルツネッガー知事が我々の10月会議で述べたように、「人間の努力には誤りが付きものである。核兵器も例外であろうはずがない」。知事の発言を裏書きするように、2007年8月29日〜30日、核弾頭付きの巡航ミサイル6発が米空軍航空機に搭載され、我が国上空を横断飛行し、荷下ろしされた。36時間の間、誰も核弾頭の所在を知らず、行方不明であることすら分からなかった。

▼NATO内部、ロシアなどとの間で、核兵器の保安を高めるために、また正確な計量、さらには究極的な廃棄への第一歩として、前進配備用に設計された核兵器を統合するための対話を開始する!これらの比較的小型で持ち運びし易い核兵器は、その特質のために、テロリスト集団の獲得標的になりやすい。

▼先端技術の世界的な拡散への対抗手段として、核不拡散条約(NPT)遵守を監視する手段を強化する!この面での一層の進展が急を要しているが、IAEAによって作成された監視条項(追加議定書)をNPT署名国すべてに適用することを要求することによって達成できるであろう。

▼包括的核実験禁止条約(CTBT)を発効させるプロセスを採択する。これによってNPTは強化され、核活動の国際的監視が容易になる!このためには、第1に、CTBT違反の地下核爆発実験を検出し場所を特定する国際監視システムの過去10年にわたる改善を点検するために、第2に、米国の保有核兵器を、核実験禁止のもとで、その信頼性、安全性、および効果に高い信頼性を維持するという面における過去10年にわたる技術的進歩を評価するために、超党派の調査が必要である。CTBT機構は、核実験を検出するための新規の監視ステーションを設置しようとしている。米国はCTBT批准前においても緊急にこの努力を支援すべきである。

 米国とロシアによるこれらの措置と平行して、核保有国はもちろん非保有国も含んで対話は国際規模に広がらなければならない。

 中心課題の1つは、優先順位に関する国際的コンセンサスを構築するのに必要な政治意志を行使することによって、「核兵器のない世界」という目標を、国家間の実際的事業に転換することである。ノルウェー政府が、このプロセスに貢献するような会議を2月に主催する。

 もう1つの主題がある。それは、核燃料サイクルの危険性を管理する国際システムの開発である。核エネルギー開発への関心の増加と核濃縮能力が拡散する可能性の中で、核先進国と強化されたIAEAによって何らかの国際計画が創出されるべきである。その目的は、核燃料の信頼できる供給、濃縮ウランの備蓄、インフラストラクチャーの支援、金融、使用済み燃料の管理を提供すること、すなわち、核兵器の材料を作る手段が世界中に拡散しないことを確実にすることである。

 また、米国とロシアは、米ロ戦略攻撃力削減条約に記されている以上に核戦力の相当量の削減を行うことに合意すべきである。削減が進行すれば、他の核保有国も関与してくるであろう。

 「信頼せよ。しかし検証せよ」というレーガン大統領の格言を再確認すべきである。国家が兵器用核物質を生産することを防止する検証可能な条約を完成させることは、核物質の計量と保安のためのより厳密なシステムのために役立つであろう。

 我々は、また、合意違反を犯す国を抑止する、あるいは、必要なときには対応する、方法に関しても国際的な合意を形成しなければならない。

 我々の究極の目標を明瞭に述べることによって前進がより容易になるに違いない。実際、これこそが、今日の脅威に効果的に対処するのに必要な国際的信頼と広範な協力を構築する唯一の方法である。ゼロに向かうというビジョン無しには、我々の下降スパイラルを止めるのに必要不可欠な協力を得られないであろう。

 ある意味では、「核兵器のない世界」という目標は、極めて高い山の頂上に似ている。今日の困難な世界という立地点からみると、山の頂上は見ることさえできない。したがってここから頂上に行くのは不可能であると言いたくなるし、言うのは簡単である。しかし、山を下り続ける危険、あるいは現状を変えない危険は、余りにも現実的であり無視できない。山の頂上が見えるような、より高い地点への登山コースを描かなければならない。■

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『知らなきゃヤバイ!民主党─新経済戦略の光と影』
2009年11月、日刊工業新聞社

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