朝日新聞の世界の識者へのインタビュー・シリーズ「経済危機の行方」が30日付でフランスの歴史学者エマニュエル・トッドを登場させている。
「米国はもはや解決ではなく問題をもたらす――私は6年前の著書『帝国以後』でそう書いたが、今や誰の目にも明らかだ。米国の腐りきった金融業界は、世界中に何の価値もない証券を売りまくった。人類史上これに匹敵するひどい詐欺があっただろうか」
「皮肉なことに、資本主義がより優れたシステムだというのは、共産主義が存在している限りでの話だ。てんびんの反対側の重しだったソ連が崩壊し、市場原理を制御していたすべてが取り払われてしまったために、世界は極めてばかげた道を歩んだ。資本主義の悪い面ばかりが残った」
と手厳しい。米国嫌いの欧州知識人の代表格で、誰よりも早く米帝国の崩壊を予言していた人物だけに、傾聴に値する。
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高野孟氏(THE JOURNAL主幹)
「トッド『帝国以後』を再読しよう!」(10/31)
トッドは専門は人口統計学だが、広く現代的問題にも発言していて、シラク前大統領の顧問も務めていた。彼の『帝国以後』は、もちろん「米帝国が終わった後」という意味で、03年に邦訳が藤原書店から出た。私は当時、大いに共鳴するところがあったので、INSIDERの同年9月6日号でその要旨を紹介し、また2年前に出した自著『滅びゆくアメリカ帝国』(にんげん出版)でも彼を引用して論じた。彼自身が言うように、まさに今日の事態を言い当てており、この危機の意味を考えるにはこの本を再読することをお勧めする。
忙しい方のために、INSIDERでの要約をここに再録しておこう。
本書は、イラク戦争開幕直後に書かれた《日本の読者へ》に続いて、主張の全体を要約した前書きに当たる《開幕》が置かれ、以下第1章から第8章で各論が語られている。ここでは、《日本の読者へ》と《開幕》を要約することにしよう。
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《日本の読者へ》
つい最近まで国際秩序の要因であった米国は、ますます明瞭に秩序破壊の要因となりつつある。イラク戦争突入と世界平和の破棄はこの観点からすると決定的段階である。10年以上に及ぶ経済封鎖で疲弊した人口2300万の低開発国イラクに世界一の大国=米国が仕掛けた侵略戦争は「演劇的小規模軍事行動主義」のこの上ない具体例に他ならない。メディアを通じて華々しい戦闘が展開するだろうが、これによって根本的な現実、すなわち選ばれた敵のサイズが米国の国力を規定しているという現実が覆い隠されてはならない。
弱者を攻撃するというのは、自分の強さを人に納得させる良い手とは言えない。戦略的に取るに足りない敵を攻撃することによって、米国は己が相変わらず世界にとって欠かすことの出来ない強国であると主張しているのだが、しかし世界はそのような米国を必要としない。軍国主義的で、せわしなく動き回り、定見も なく、不安に駆られ、己の国内の混乱を世界中に投影する、そんな米国は。
ところが米国は世界なしではやっていけなくなっている。貿易赤字は、本書の刊行以来さらに増大し、外国から流入する資金フローへの依存もさらに深刻化している。米国がじたばたと足を掻き、ユーラシアの真ん中で象徴的戦争行動を演出しているのは、世界の資金の流れの中心としての地位を維持するためなのである。そうやって己の工業生産の弱体ぶり、飽くなき資金への欲求、略奪者的性格をわれわれに忘れさせようとしているのである。しかし戦争への歩みは、米国のリーダーシップを強化するどころか、逆にワシントンのあらゆる期待に反して、米国の国際的地位の急激な低落を生み出した。
まず米国経済がこの戦争に耐えられるのかどうか。第1次湾岸戦争とは違って“同盟国”が財政負担をしないので、米国の赤字は国内と対外とを問わず急激に膨張しつつある。冒険主義は軍事のみならず金融にも見られるのであり、今後数ヶ月ないし数年中に米国に投資したヨーロッパとアジアの金融機関は大金を失う だろうと予言することができる。
しかし米国の主たる挫折は、イデオロギー的かつ外交的なものである。ドイツが戦争に「ノー」と言ったのは、ヨーロッパの戦略的自律性への動きの始まりを宣言したに等しい。ドイツの戦争反対姿勢がなかったなら、フランスは何も出来なかったろう。このように回復された独仏カップルの有効性は、まさにヨーロッ パ人全体の感情を表現している。
本書の第2の予言、すなわちヨーロッパとロシアの接近も、その正しさが立証された。この接近は米国の不気味な軍事的行動様式によって必要となった。ロシアはこの危機をきっかけとして、冷戦の遺産たる外交的孤立から脱却した。
最も意外な離反は、トルコが米軍の領土通過を拒絶したことだった。この事例ほど米国の現実の弱体ぶりを具体的に例示したものはない。
この外交危機の間、ワシントンは同盟国の離反に反撃し強制力や報復力を行使することは出来なかった。その理由は簡単で、米国はもはや財政的に言って世界規模の栄光の乞食にすぎず、対外政策のための経済的・財政的手段を持たないのである。経済制裁や金融フロー中断の脅しは、もちろん世界経済にとって破滅的には違いないが、それで先ず最初に打撃を受けるのは、あらゆる種類の供給について世界に依存している米国自身なのだ。アメリカ・システムが段階を追って崩壊していくのはそのためである。その事態に対して米国は、弱小国への好戦的行動を増大させる以外に対処するすべがない。「超大国米国」というのは、習慣だけに支えられた神話にすぎない。どこかの国がゲームの規則を守るのを止めて、米国に「ノー」を言おうものなら、直ちに……と思いきや、何と一同が驚いたことに、何も起こりはしないのである。
日本はこの危機の間、あまり活動的ではなかったが、日本人の深層の感受性はおそらくヨーロッパ人のそれに極めて近いと思われる。日本と並ぶアメリカ・システムの戦略的支柱であるドイツは、米国の後見から独立しつつあるのに、日本はほとんど動かなかったが、その理由は日本の地政学的孤立によって大方説明がつく。米国との関係は日本人にとってかつてなく複雑なものとならざるを得ないが、もしかしたら、米国の戦費に日本が財政的協力をしないだけでも、アメリカ・システムの崩壊には十分な貢献となるかもしれない。
イギリスは、イラク戦争にアングロ・サクソンという奇妙な民族色を添えたが、ブレア首相の政策はイギリスの国際的立場を手ひどく破壊した。イギリスについてヨーロッパ人の側からとやかく言う必要はなく、逆に米国に好きなようにイギリスを振り回させておけばいいのだ。イギリスは自ずと倦怠に囚われ、自らの ヨーロッパ人としてのアイデンティティに立ち至るだろう。
ロシア、日本、ドイツ、そしてイギリスが外交的自由を取り戻した時に初めて、第2次大戦から生まれた冷戦の世界は決定的に終わりを告げ、イデオロギーと帝国の時代は終焉を迎えるだろう。複数の大国――ヨーロッパ、米国、ロシア、日本、中国――の間の均衡がシステムの規則となるだろう。これらの大国のうちどれ一つとして、自らをこの地上における“善”の独占的排他的な代表であると宣言することはなくなり、それによって平和はより確実に保証されるだろう。
《開幕》
米国は現在、世界にとって問題となりつつある。それまでわれわれはとかく米国が問題の解答だと考えるのに慣れてきた。米国は半世紀もの間、政治的自由と経済的秩序の保証人であったのが、ここに来て不安定と紛争を(それが可能な場所では)必ず維持しようとし、国際的秩序崩壊の要因としての様相をますます強めるようになっている。そして副次的重要性しか持たないいくつかの国が、攻め滅ぼすべき「悪の枢軸」をなすのだと、全世界が認めることを強要している。
サダム・フセインのイラクは、口数は多いが、軍事力としては取るに足らない。金正日の北朝鮮は、過去の遺物であり、外からの介入がなくともいずれ消滅すべき運命にある。イランは、戦略的には重要な国であるが、国内的にも対外的にも明らかに沈静化の過程に踏み入っている。
さらには、コソヴォ戦争の間の中国大使館爆撃、ロシアへの挑発(チェチェン語放送のスポンサー、グルジアに軍事顧問団派遣、中央アジアに基地建設)など、熱にうかされたような軍事的盲動によって、ワシントンは「狂人戦略」という古典的な戦略モデル――仮想敵をおびえさせるために何をしでかすか分からない無責任な者と思わせる戦略を適用しているが、これは大陸規模の大国にはいかにも不適切な戦略である。
アルカイダはサウジアラビアから出現した。ところが米国はアルカイダを世界的武装勢力のステータスにまで持ち上げることによって、地球規模の戦争状態を制度化しようとしている。
まず、米国は勢力過剰であるという標準化されたイメージを始末しておかなくてはならない。
●没落の問題系への回帰
ノーム・チョムスキーのような構造的反米派は、米国が本性からして悪質であるとするが、これは米国の全能の強さを前提としていて、現状を理解する助けにならない。解答は勢力の大きさでなく“弱さ”のほうにあるのであって、そうでなければ不規則で攻撃的な戦略軌道、“孤高の超大国”の酔っ払いのような足取 りを説明できない。
エスタブリッシュメントの分析――ポール・ケネディ、サミュエル・ハンチントン、ズビグニュー・ブレジンスキー、ヘンリー・キッシンジャー、ロバート・ギルビンを読むと、共通する米国のイメージがうかがえる。米国は無敵不敗というにはほど遠く、世界の人口が増大し益々発展する中で、米国の相対的勢力が減少するという容赦なき現実を管理していかなければならない、ということである。特にポール・ケネディの『大国の興亡』は「相対的経済力の低下から外交・軍事的過大拡張が派生する、“帝国的過大拡張(imperial overstretch)”の危険に曝されたアメリカ・システム」という有益なイメージを示してくれる。最も慧眼を示したはブレジンスキーの『大いなるチェスボード』[邦訳名『世界はこう動く』=日本経済新聞社刊]で、世界の人口と経済はユーラシアに集中しており、共産主義の崩壊でユーラシアが再統一され、米国は忘れられて独り新世界に閉じこもるという彼のイメージは、米国の本当の脅威への直観を表している。
●米国の勝利から無用性へ
フランシス・フクヤマ『歴史の終わり』は、自由民主主義国間には戦争は不可能であるというマイケル・ドイル(プリンストン大学国際関係研究所長)の法則を自分のモデルの中に組み込んでいる。
歴史の巡り合わせによって、ドイツ・ナチズム、日本の軍国主義、ロシアや中国の共産主義から民主主義の原則が脅かされていると思われた時、それを護ることが米国の全世界的な任務となり、第2次大戦や冷戦はこの米国の職務を制度化したものである。しかし民主主義が至る所で勝利するなら、軍事大国としての米国は世界にとって無用の存在になるというのが、米国にとっての最終的パラドックスである。この米国の無用性がワシントンの基本的不安の1つであり、米国の外交政策を理解する鍵の1つなのである。
●自律性から経済的依存へ
米国の孤立主義は、腐敗した旧世界からの決別という建国神話に始まる。19世紀には孤立は外交・軍事面だけで、経済面では欧州から資本と質の高い労働力が流入して世界最強となった(1945年に全世界の国民総生産の半分以上)。第1次大戦で少しだけ、そして第2次大戦で決定的に世界が米国を必要とし、外交・軍事面でもふさわしい地位を占めるに至った。冷戦を通じて米国の覇権が確立し、同時にまた米国の世界への依存関係が定着した(70年代初からの構造的貿易赤字)。共産主義の崩壊でそれが益々加速し、1990年の貿易赤字1000億ドルは2000年には4500億ドルとなった。米国は自分の生産だけでは生きていけなくなった。
米国は、相対的な経済力に関してはずいぶんと落ち込んだとしても、世界経済全体からカネを取り立てる能力を大量に増加させることに成功した。つまり米国は客観的には略奪をこととする存在となったわけで、これを強さの印と取るべきか、弱さの印と解釈すべきか。確かなことは、米国は、今後は自分の生活水準に とって不可欠となった世界への覇権を維持するために、政治的、軍事的に闘わなければならなくなるということである。
民主主義が増殖しつつあること、経済的に世界依存を深めていること、この2つの要因の組み合わせが、米国の奇怪な行動様式とそれによって全世界が陥っている精神的混乱を説明することが出来る。経済的には依存的で政治的には無用な超大国、これをどうやって管理したら良いのだろうか。
●米国民主主義の退化と戦争の可能性
フランシス・フクヤマの最大の誤りは、自由主義的民主主義の全般化から歴史の終わりを演繹したことである。自由民主主義の政治形態は完璧でないとしても安定的であって、一度それが実現されてしまえばその歴史はそこで停止するというのが彼の前提である。しかし、もし民主主義が文化の1段階、つまり初等教育[の普及による大衆識字化]の段階の政治的上部構造にすぎないとするなら、先進国になってさらに教育が進展して中等・高等教育が発展していくことは、かえって民主主義の不安定化をもたらすことにならざるを得ない[このメカニズムについては著者の『経済幻想』を参照]。
中等・高等教育は先進国の心的・イデオロギー的構造の中に再び不平等の観念を導入する。「高等教育を受けた者」は自分が本当に高等な人間だと思うようになり、彼らはやがて新たな階級を形成する。その階級は、単純化して言えば、人口の上では20%を占め、所有する富では50%を占める。そして次第に[誰もが同じ1票を持つ]普通選挙の拘束が耐えられなくなっていくのである。
民主主義がユーラシアに定着し始めたまさにその時に、それはその誕生の地である米国やフランスで衰弱しつつあって、民主主義が不平等な支配システムに変貌しつつある。エリート主義とポピュリズムが対決するこうした政治システムは、何とも奇妙な“民主主義”であり、普通選挙は存続しているが、右と左のエリートが不平等の縮小につながるようないかなる経済政策の方向転換をも禁じることで合意している。メディア上では大仰な対決が繰り広げられるが、選挙結果は現状維持に行き着き、表面上の政治システムが崩壊することは阻止される。
ブッシュは彼が勝ったとは断定できないような不透明な過程の末に米大統領に選ばれた。それからほどなくして、フランスはシラク大統領が得票率 80%で選ばれるという全く逆の事例を示した。フランスの事例は、上の方の20%が、差し当たり中間の60%をイデオロギー的に統御することによって、下の方の20%の願いを封じ込めた結果にほかならない。しかし米国もフランスも本質的には同じで、選挙プロセスはいかなる実際的重要性も持たず、棄権率は抗い難く上昇していく。
イギリスでも同じ文化的階層分化が進行しており、従って米国と同様、イギリスとフランスという2つの古くからの自由主義国は、寡頭制による衰退の過程に足を踏み入れている。ただ米国は、習慣に従って、相変わらず自由と平等の言辞を巧みに操っていて、民主制がその誕生の地である米国で衰退していることに、 世界は気が付いていないだけである。
この民主制が寡頭制を生むという逆転によって、ドイルの法則は米国に適用できなくなる。国民の統制の効かない指導集団が、より冒険的な軍事政策を採用し、民主主義国を攻撃するという戦略的仮定さえ排除できない。
●1つの説明モデル
私が展開しようとしている1つの説明モデルは次のように要約出来る。すなわち、世界に民主主義が行き渡り、政治的には米国なしでやっていくすべを学びつつあるまさにその時、米国の方はその民主主義的性格を失おうとしており、己が経済的に世界なしではやっていけないことを発見しつつある、ということである。世界はしたがって、二重の逆転に直面している。先ず世界と米国の間の経済的依存関係の逆転、そして民主主義の推進力が今後はユーラシアではプラスに向かい、米国ではマイナス方向に向かうという逆転である。
米国の経済力、軍事力、イデオロギー力は衰退の一途を辿っているのだから、それを以て広大な世界を支配することは不可能であり、ロシア、ヨーロッパ、日本という真の戦略的行為者を従わせることは到底不可能である。これらの行為者たちとは、米国は交渉しなければならず、大抵は要求に屈しなければならない。しかし不安の種である経済的依存には、何らかの解決を見つけなければならず、そのために、世界の中心に留まる“全能の力”であるかに演出しなくてはならない。そこで劇場的軍国主義が展開することになるわけだが、それは次の3つの本質的要素を含んでいる。
(1)問題を決して最終的に解決しないこと。これは地球規模の“唯一超大国”の際限ない軍事行動を正当化するためである。
(2)イラク、イラン、北朝鮮、キューバ等の小国に目標を定めること。政治的に世界の中心に留まる唯一の方法は、二流の行為者と“対決”し、米国の国力を誇示することである。それは、米国と共に世界の統制を分担するよう求められている主要大国、つまりヨーロッパ、日本、そして中期的にはロシア、長期的には中国が、自覚に至るのを妨げる、とまでは無理としても、せめて遅らせるために他ならない。
(3)決して終わるはずがない軍備拡張競争の中で米国を“ダントツ”にするはずの新兵器を開発すること。
このような戦略を持つとするなら、確かに米国は世界の平和に対する予期せざる新たな障害となる。しかしこの戦略は脅威となるような規模のものではない。仮想敵国のリストとその国力が、米国の国力の程度を客観的に規定している。つまり米国はせいぜい、イラク、イラン、北朝鮮、もしくはキューバに立ち向かう力があるにすぎないのだ。取り乱して、米国帝国の出現を告発する理由などこれっぱかりもない。実際はそれは、ソヴィエト帝国に10年遅れて、解体の一途を辿っているのだから。
世界の力関係についてこのようなイメージを抱くなら、米国の凋落というものをすべての国にとって最善のやり方で管理するためのいくつかの戦略的提案が必要となる。▲