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<3.11に思うこと> ──その7──

 3.11直後、海外のメディアの報道には「日本人は集団の規則を守る国民性だ。3.11のような大事故、大災害が発生しても「掠奪」や「暴動」が起きていない。これは日本以外の国では例の無いことだ」と伝えたものもあった。そして、日本人のこの「美徳」が今後の復興への源泉となろうと、日本のメディアも歯の浮くような言説を流した。

 ところが最近になって少し報道されることとなり明らかになったことに避難地域での空き巣がかなりの件数があったということだ。海外メディアが報道したことはある一面であり、逆の負の事実もあったのだ。

 ところでこうした「日本人性善説」が語られたのと同じ時期に「菅直人は、ヤメると言明してまだヤメないのはけしからん。海外であれば「暴動」が起こるようなことなのに。日本人はおとなし過ぎる、だらしない」とする意見も耳にした。

 これでは日本人は「規則正しい」のか「だらしない」のか、どちらなのかわからない。だいたい、復興のエネルギーの源泉を日本人の国民性一般に求めるのは明らかに間違いだと私は思う。私は、復興へのエネルギーの源泉は、日本とは限らず、人の世の中にある「猥雑」なエネルギーであると思う。そう思うに至ったのは、当ブログで既に紹介してある6月19日に届いた「被災地の友人からの手紙」を読んで、その思いを深くした。

 その「手紙」をその引用する。

 アメリカ・フランスの持ち込んだ長期稼働不可能な装置、小生は2・3日と見ましたが、5時間とは。しかも水処理のプロに言わせれば高濃度汚染水相手に動いたのが不思議だそうで、高濃度汚染水は段階に処理すべきであり、何度も進言したらしいのですが、皆耳が遠いらしく、結局あの始末、政府がメーカーと直取引したらしく、商社を通せば商社は責任上様々な意見を聞いたはず。
素人が口出しするとこんなもんですヨ。
4号建屋は震度6〜7、又は台風が来ると倒壊の恐れがあるそうです。せめて補強工事位すべきでしょう。
今第一原発の現場ではゼネコン・東電の社員一番キツい場所で仕事をしているらしく、私の同級生(65歳)迄現場作業を命ぜられ東京からいわき市へと戻って来ました。まさに末期であります。政府のおエライ様方、月に何日かは是非当地にてお過ごし下され。野菜も魚も絶品ですぞ。

 救援物資の集配所だった平競輪場がやっと本来の姿に戻りました。山積だった物資は小中学校で配ったり、スーパーのおまけになりました。
期限がある物は仕方ないとして缶詰は他に送るべきではと思うのであります。久々に会った競輪仲間と再会し、無事を確かめ合い、帰らぬ人となった人々の無念を思い、黒と白(2番4番車)を絡めて車券を買い、当然外れ。それでも「やっぱし競輪はエエのぉ」なのであります。
さて、いわきでは市が大半の空アパート・住宅を借り上げてしまったらしく民間人が困っております。湯本温泉のホテル・宿は大手ゼネコンの貸切りで一杯、他県ナンバーの車が数多く、居酒屋はホクホク、やはりこの町はよくも悪くも原発の町であります。

 以上が友人からの手紙だ。

 被災地の友人は、通い慣れた競輪場に行き、場外車券を買うという日常的習慣から、立ち直ろうとした。

「がんばろう東北」と言うような歯の浮くような「理念」からではなく、もはや以前の完全な形には戻れないことは、わかりながらも、かつて自分の居た日常を敢えて体現することで、立ち直ろうとしたのだ。友人にとってのその一歩が競輪であった。

 私は日常を取り返すのが市民主義的な「ボランティア」的発想や行動ではなかったのが、友人らしいと思う。

 またそこが微笑ましくも思う。

 私は、この友人の心の奥底には、放射線等の影響への恐怖がないわけはないと考える。しかし、それでも「日常」を選んだのだと思う。それはある意味、仏教的「諦観」と思われる。そこには、小学校のホームルームのような「がんばろう日本」的発想ではない「覚悟」を私は見た。

 私はこの友人に見られる「諦観」からスタートとした「猥雑」な、かつての日常生活への回帰の願望が復興のエネルギーの源泉ではないかと考えている。
  
(次回に続く)

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宮崎 様

仏教の「諦観」からスタートした「猥雑なエネルギー」には、納得できません。

仏教の「諦観」は、事象の真理の本質が、有無を超越した普遍的絶対性にあることを諦めることではないか。

「未来の夢を停止した、また未来の危険予知を停止した」依存的現実志向にすぎないのであって、国の支援にぶら下がる「猥雑なエネルギー」なのではないでしょうか。

人生を諦め、人生を切り開こうとするのではなく、現実に流される絶望的人生としか見られないのですが。

<雄と雌の違い>
宮崎親分こんにちは。私は、今回の原発事故による被曝について男性と女性の捉え方が大きく違うと最近は、深く考えさせられている。
それは「福島に生き福島で死ぬ」という希望の多くが男性から発信されている事です。
一方、母親は子供の被曝が1マイクロシーベルトでも低く抑えられます様にという願いの声を発している。
ここに生物学的な違いを感じる。私から言わせれば、男は黙っておれ!と思う。それは私が女だから…。
雄は子作りをして子孫を残せば、用済みが自然界。雌は、子供を守り育てる。
今物事を決めているのは残念ながら男性中心。政府も役人も県知事も市長村長もみんな男だ。だから出口が混沌とする。
男性の自己実現は社会性がなければ成り立たないからで、地位や名誉や地元の役員などが自己実現の満足感の指標になる。
男性陣が仏教的思想で放射能とともに生きてゆくのは止めないけれど、妻子までまご子まで巻き込むな、といいたい。
政府の放射能対策はメンズではなくウーマンズで考案して欲しいと願っている。

大変面白く拝見しました。
確かにそうですね。仏教的「諦観」というと何か大層な観念のように聞こえますが、行ってみれば「開き直りからくるあきらめ」もしくは「あきらめからくる開き直り」のようなものでしょうか?
ある意味、あきらめ、そこで踏ん切りを着けないと、次に進めない、ということでしょう。「猥雑な」エネルギー、と文学的に表現されていますが、「生物としての生きる意志」と、私は勝手に解釈しました。「諦観」も「猥雑さ」も、多分どちらも必要(復興ということに限らず生きていくうえで)なのでしょうね。
まあ、私は<雄>なので、どちらかと言えば「諦観」が強く、放射能の影響で、1000年後の人類が、三つ目であったり、指が6本あったりしても特に驚きません。それじゃいけないとは真面目に思いますが。。。
(最も、今の勢いで人類が地球を食い潰していけば1000年は持たないでしょう。なにせ指数関数的増殖ですので。)

 
 
> 「がんばろう東北」と言うような歯の浮くような「理念」からではなく、もはや以前の完全な形には戻れないことは、わかりながらも、かつて自分の居た日常を敢えて体現することで、立ち直ろうとしたのだ。

宮崎氏の“諦観&猥雑さ”に  同意します。。。

仏教は三蔵法師のもたらせた文字(言葉)で 中国語に変換されてから、更に日本語に変換され、現在に至っております。
それでも 現在の状態を文字で表現すれば、“諦観&猥雑さ”という表現は、妥当でしょう。
 諦観は“あきらめ”ではないと存じます。
決して 捨てきれないようなものがあって、それでも生きてるのではなく “生かされてる”現実を受け入れて行くには、過去(現実)を放棄しなければならない、そのようなもんではないのでしょうか?


 家族の視点が 抜けてます。
家族の中で 男は代表して 現地に残る。
そんでも 放射性物質による被爆という現実がある。
対処法はどなたも 教えてくれない。
それなら 自己防衛するしかない。
妊婦さん・子供さんを持つ家族で 緊急避難された方を多く報道されてます。
国は同心円を示しての 対処しかしませんでした。
各家族で個々に判断するしかありません。
男だけ・女だけのレベルではない、 家族以上のレベルです。。。
 
 

しかし、今マスゴミ、TVなどで東電の記者会見が全く報道されていません。何故なのでしょうか?当方のホテルには未だに、子供を抱えた若い親子たちが10組も避難しています。また10月まで延長になりました。先の見えないこの状況に、避難家族には情報だけが頼りでしょう。胸が痛みます。そして、マスゴミのみならず、政府も行政も東電の責任を口にしなくなりましたね。本来なら民間企業、差し押さえてでも財産の整理をし、賠償金の額をハッキリさせるべきではないのでしょうか。原発事故は、地震以上の被害を全国にバラマイているのです。国が補償するお金は、税金でしょ?東電の資産は国民から儲けた利益です。その全てを吐き出すのが道理ではないですか?JALだって、OBの年金までカットしているのです。何がその差なんでしょうか?東電は清水社長が辞任し、会長(実質権力者)勝俣氏は何故辞めないのでしょうか。マスゴミは全く情報隠蔽に回っている為に、海外の心配ほど国民は心配しなくなってしまっています。

心療内科系の持病も大分治り、最近は再就職活動しています。

今年の冬にパソコンが壊れてしまい、しばらくこのサイト見ていませんでした。
このサイトを見ていると、利用者が自分より年上の人が多いので、このサイトを利用すると、何だか自分が若い気でいられます(笑い)

私は諦観の思想は個人的には好きですね。だけど諦観の思想は個人の悩みを直接的に解決したり、夢を叶えてくれるわけではないので、そこが物足りない気がします。

宮崎さんは紳助の引退についてはどう思いますか?

コラム主旨違いかもしれませんが・・・。
先ほど、国交省において、三陸沿岸道路、、東北横断自動車道釜石秋田線(花巻~釜石間)及び東北中央自動車道(霊山~相馬間)のルートが発表された。いち早い対応に嬉しいニュースとも言える。
けれど、反面被災三県において、復旧・復興に差が出ている面も伺える。
復旧・復興において、人と物の物流の利便性、インフラ整備が欠かせない。こうした計画に基づき次の計画も進む。
こうした要望は地元の要望の結集であり、自分達で何をしたいのか決めなければ、計画も何もないのである。
余り政治的な批判はしたくないが、これまでに報道されている三県の知事の活動や発言を聞くにつけ、他力べったり、自己努力の差が余りにも歴然としていると思える。
確かに福島県は、他の県と被害内容の質が異なる。けれど、いかがなものであろうか。放射性物質の仮置き場についても唐突な発言の趣旨報道があった。暗に言えば、そうした問題が起こることを県側では、何も考えていなかったことの裏返しでもある。
何もかも、手取り足取りお願いしますといっているようなものでないだろうか?
各市町村で、住民のために何をしなければならないのか。最大限努力する。市町村でできないことは、県にお願いする。そして国政が、筋道でないだろうか。
これでは、逆でないだろうか。
国がしてくれないから何もできない。これでは、自己責任転嫁でしかない。
まず、国ありきがこれまでの自民党政治とも私は思っている。


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Profile

宮崎 学(みやざき・まなぶ)

-----<経歴>-----

1945年、京都のヤクザの家に生まれる。
早稲田大学法学部に進むが、学生運動に没頭して中退。
週刊現代記者として活躍後、京都に戻り家業を継ぐが倒産。
「グリコ・森永事件」ではキツネ目の男に擬され、重要参考人Mとして警察にマークされる。
自身の半生を綴った「突破者」で作家デビューを果たした。
2005年には英語版「TOPPA MONO」も翻訳出版された。
最近は、警察の腐敗追及やアウトローの世界を主なテーマにした執筆活動を続けている。

BookMarks

オフィシャル・ウェブサイト
http://miyazakimanabu.com/

魚の目(魚住昭責任編集)
http://uonome.jp/

-----<著書>-----


『ラスト・ファミリー 激論 田岡由伎×宮崎学』
2010年1月、角川書店


『談合文化論』
2009年9月、祥伝社


『近代ヤクザ肯定論―山口組の90年』
2007年6月、筑摩書房


『安倍晋三の敬愛する祖父 岸信介』
2006年9月、同時代社


『法と掟と』
2005年12月、洋泉社


『近代の奈落』
2005年12月、幻冬舎


『TOPPAMONO』
2005年9月、Kotan Pub


『万年東一(上)』
2005年6月、角川書店


『万年東一(下)』
2005年6月、角川書店



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