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年の瀬に考える「被害者」と「加害者」の関係
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年の瀬に考える「被害者」と「加害者」の関係

 宮崎学である。

 世間は28日で御用納めである。ワシはまだまだ納めきれんのだが、この際だから更新もがんばってみようと思う。

 この間、ワシはずっと刑事事件の「被害者」と「加害者」の概念について考えている。

 例えば小さな子どもが殺されて、その家族が嘆き悲しんで、犯人はものすごく悪いヤツ......というのが従来型の「被害者」と「加害者」のイメージだと思う。だが、国内の殺人事件は、1955年をピークに減り続けていて、こういうパターンは実は少ないのである。この凶悪事件の減少については龍谷大学の浜井浩一さんの『犯罪統計入門』(日本評論社)や『犯罪不安社会』(光文社新書)に詳しい。

 この従来型のパターンと違って最近目立ってきているのが、鈴木宗男さんの事件に見られる「被害者」と「加害者」そして「共犯者」の関係である。

 つまり「共犯者」が最初に「悪い人」にされるのだ。

 まず検察が「鈴木さんに贈賄したとされる業者」を引っ張り、「オマエは逮捕しないから、贈賄を認めろ」と迫ったのだ。詳しい経緯は鈴木さんの『汚名』(講談社)などに書いてある。

 小沢一郎さんと水谷建設の関係もまったく同じ構図である。

 そもそも密室で一対一になったら、たいていの人間はもうそこから逃げ出したい一心で、やってもいないことを認めてしまうそうである。人とは弱いものなのだ。

 また、自分だけはがんばるつもりでも「ウチで正月を迎えたいやろ?」とか「孫はこの件でいじめられてるらしいな」とか家族を巻き込まれてしまうと、どうしても負けてしまう。

 つい先日、恐喝事件の控訴審で有罪になった中国地方の某組織の親分の場合もまったく同じであった。県警は、まず組織の威光をカサに成長した地元業者を恐喝容疑でパクり、「お前の件は執行猶予にしたるから」と、親分に関する虚偽の供述を迫ったのである。業者は最初こそ認めなかったが、逮捕を繰り返されるうちに根負けしてしまい、とうとう世話になった組織の親分を売ってしまったというわけだ。

 これは、日本では認められていない「司法取引」である。

 「オマエのこの件は握ってやるから、あの件を認めろ」という、アメリカの映画やドラマではおなじみの手法である。実際には日本でも珍しいことではなくて、マル暴刑事がヤクザに「シャブは免責してやるから、拳銃を出せ。自首減免も適用してやる」とか言ったのがバレて、たまに問題になる。問題にならずに水面下で処理されているほうが多いことは、述べるまでもないことである。

 そういえば、09年の政権交代の際に就任した国家公安委員長が取り調べの全面可視化の"補填措置"として、「今後は司法取引の導入やおとり捜査の適用拡大もアリ」と発言して問題になった。当時興味深いと思ったのは、以下の産経新聞の記事(09年9月18日付け)である。

 「当局幹部は司法取引について、『すでに特捜検察の捜査では、犯罪の解明に役立つ供述をした容疑者について情状面をくむなど実質的な司法取引がある』と指摘。おとり捜査も『可視化で損なわれる捜査力の補填になるとはいえない』と話す」

 このように、「当局幹部」は、当然のこととして司法取引を認めているのだ。今でこそ例の大阪地検特捜のせいで検察捜査における「虚構のストーリーづくり」が問題になっているが、司法取引があるからストーリーが維持できたのだ。

 このからくりは、実はメディアもヤクザもみんなわかっていた。もちろん、一番わかっているのは裁判所そのものである。

「裁判所が検察からの捜索令状や逮捕状の請求にホイホイ応じる」

「メディアがリーク情報を真に受けて大騒ぎする(バッシングがキャンペーン的に行われる)」

「不起訴や無罪になっても、誰も責任を取らない」

「虚構のストーリーのターゲットはやってもいないことで人生の多くの部分をムダにされる」

というステレオタイプの構図がずっと続いてきたのである。これが続いた理由は、この国の国民はメディアが発信する「勧善懲悪型のストーリー」が好きだし、メディアは取材のコストダウンとリスクヘッジを考えて権力に擦り寄って生きていることなどによる。利益の共有体なのである。

 現在、猛烈な勢いで進んでいる山口組や二次団体の弘道会への取締まりにも同じことが言える。ひと昔前にはヤクザはやったことを認めることもあったのだ。今はあまりにもむちゃくちゃな逮捕が続いており、ヤクザだって抵抗するということは前回書いたとおりである。

 これからは、改めて司法とメディアのあり方を見直さなくてはならない時期に来ている。

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納得の論説に、改めて今の日本の状況が意かに修復が難しい事なのか。

既得権益から利権を取り戻す。国民の為に戦う行為が、権力側の圧倒的勢力の前では簡単に潰すことが出来てしまう現実を見せ付けられている。

すとんと、腑に落ちるお話が聞けました。ただ、大きな絶望感と共に。

私の高校生時代、昭和50年代では、悪ぶった不良と呼んだ友人は服装や持ち物、その行為等で簡単に見分けられました。

ボンタンに長ランや短ラン、そりを入れたリーゼント頭で鞄に鎖(笑)。たばこをトイレで吸い、カツ上げ、喧嘩を自慢していた。だから先生も目をつけるし、怒られてもいた。

しかし、今の学生には、そんな姿が無くなった。みんな同じ服装で、見分けがつかない。全てが良い子に見える。
着こなしに差が有る程度。見せパンなどダラシナイ格好をしている程度かな。(地方の市の話)

しかし内心は、当然ながら良い子・悪い子が存在する。

で、陰湿な虐めが起きるが、先生も判らず、悲惨な最期を迎える場合がある。

しかも、大半は誰が悪いのかも判らないまま校長先生が謝罪会見する・・・。
苛めていた子供は、責任を取ることも少ないらしい。将来、死ぬまで背負うであろう
良心の呵責に苛まれながら生きなければ成らないのに。

この二年の小沢事件と、検察、マスコミの誤報捏造リークをお手本にしているかのように。

間違った報道を繰り返し、それが冤罪だと確定しても、誰も責任を取らない西松事件。

捏造ビデオの水谷建設の裏金報道を必死にもみ消すTBS。それを問題視すら出来ないジャーナリスト。

そんな方々が、正義を振りかざし、無実の改革者を殺そうと次々と問題を企てる。
恐らく、この人達には後悔、懺悔、呵責などといった人間的な反省心は持っていないのでしょう。
あるのは、保身、利権、醜い欲望のみ・・・

この異常な事態を、真実の報道を多くの国民に知らせる方法は一つ。
マスコミを名誉毀損で訴えることです。小沢支持の議員や支持する後援会全てが一つになって。

でもその行動さえ、捏造もしくはスル~するのが、既得権益を守りたい御用マスコミだということです。
親分、良い方法をご教授していただきたい。

被害者・加害者ではなくて、攻守が所を変えそうです。

まだ確認しておりませんが、小沢さんは政倫審をOKしたらしいですね。
あいば達也じゃないけども、これで菅・仙谷は「困っちゃうな~、受け入れられちゃって~」ですね。

新年早々、仙谷切りが決定でしょうか。
次は、前原でしょう。
民主党が政権を取って以来、この男がやった事は、すべて中途半端か、日本の恥になっているかだ。
野党が、本当に日本の事を考えているなら、前原を攻撃しない手はない。
尖閣を持ち出してもいいし、いや持ち出すべきだし、ダムでも高速でも何でもいい。


今日のTV番組で次期首相は

 菅直人と挙げてたコメンテーターが2人もいたが何をか況や。

 国民目線で見ると国民のそのほとんどが加害者であり、その結果、被害者でもある。

 騙され続けてきた国民にその責任は転嫁され、国民を欺き通してきた悪の枢軸は何の罪悪感もなく、陰でほくそ笑んでいる姿が浮かんでくる今の日本である。

 諸悪の根源である旧大蔵省と財務省・ナカソネ一派を国民の眼の前に引きずり出し、

 何としてもその悪行を正さなければならない。

 やくざの悪さなどとはケタがあまりにも違いすぎるのである。

 さらし首ものである。

学校教育で、いじめなどの対策のために道徳の時間を増やすという。いわゆる立派な、権力をにぎっているボスが陥れようとターゲットにした政治家を検察などなどが、ストーリーを創り、ある日突然と逮捕や拘束の大人のいじめをする。子どもにいじめをするなと言えるのだろうか。そんな人権無視のいじわる社会を後押しをしているのがメディアである。そんななかで道徳授業で何を正しいと教えるのだろうか。新聞を授業の一環に利用するNEI教育に今は絶対反対を唱えたい。
人の情があるかどうかは、権力を手に入れたときの対応に現れる。
小沢氏はまったくの正論を言いながら、理不尽なわがままを最後は聴く大人である。わがままな子でも、責任ある仕事をやりとげる方法を示唆できるからだ。
そういう大人が政治を動かせば、世の中明るくなると思う。
クリーンクリーンという人にクリーンな人はいない。
政治とかねの問題があると声高々に言っている政党や個々の政治家たちが一番、汚い方法で集めていることも事実である。

宮崎さん、こんにちは(いま12月28日pm3:40頃です)

三権分立とか、教科書でいわれていることが全くウソになっていた。

立法は、自民党一党独裁。
行政は、ほぼ官僚の思うとおりに。
(自民との利権をシェア)
そして、司法もその流れに逆らわない。(簡単にスムーズに)
さらに、第4の権力といわれるマスメディアも同様。
おいしい水を飲んでいた。

そういう構図だったんですよね。

こんな構図を覆すのは、並なことではないし、
既得権益者はそれを手放しては
ならずと今も思ってる。

裁判所、検察、警察といった司法行政のひとも
今までの慣れ親しんだ「慣性の法則」
を覆すのは容易ではない。

それをいい方向にもって行くためには
相当のパワーが必要。
それを成し遂げるのは、自民党ではない政権で
なければならないのはいうまでもないでしょう。

つまり、民主党しかないのです。
民主党にパワーを与えようと思いませんか。
いまがチャンスです。

今年アイデンティティをもたされ便利に使われて加害者として大活躍した「国民(市民)目線」。

その代表格が「検察審査会」でした。

匿名性のもとでは矜持がなく無責任で恥知らずなことでもやってしまう一般性は2チャンネルに限らず匿名で投稿できる様々な掲示板を見ただけでもわかります。欺瞞的な性善説を前提にした「国民目線」は本当に嫌悪すべきものだと思いました。こんなものにオーソリティを与えず、意見があればそれぞれ自分の意見として言うべきです。特に政治家は。

宮崎 様

可視化の条件として司法取引を認めるような事があってはなりません。
これに共謀罪がきたら、捜査機関に必殺兵器を持たせることになります。
可視化と言っても、取り調べでないところでいくらでも罠は仕掛けられます。

三浦和義さんや山崎淑子さんを、日本人を平気でアメリカに献上する国です。

三浦さんの一審判決は問題ありとしてある雑誌に投稿した私への猛烈なバッシングを思い出した。

壮絶なる公開リンチ。
これが文明国のやることか。
菅直人を支持する人間の思考回路が分からない。

宮崎 様

小説のような世界が現実化し、共犯者=密告者=内部通報者が、日常化した生活は悲惨である。

権力が的を絞った組織に対して数年単位で組織破壊するため、数人組織にもぐらせることをしたら、ひとたまりもないであろう。

検察審査会などは、恣意的に強制起訴を可能にした組織であり、小沢氏に限らず大問題であるにもかかわらず、野党の共産党などが問題にしないのは、全く理解できない。

また、強制起訴は憲法違反が明らかであるのに同じ仲間である党が問題視しない。全く理解でないことである。

マスコミにとっても問題であるが、裏で手を握っているのかもしれない。民主主義の危機である暗闇の世界が始まっているのであろう。

一国の総理大臣が自分に近い議員を集めて、小沢氏の政治倫理審査会に、無条件で出席をさせるなどの話し合いをしたという。しかもそこには、政治倫理審査会の委員長まで出席している。これこそ何の意味もない会ではないか。それをNHKのニュースなどで繰り返し流させるというのは、日本国のトップリーダーすることだろうか。また、それを得意気にマスコミにバックアップしてもらうことが、良いことだと考えることのおかしさ、思い違いさえも理解できない総理であれば、近年もっとも人権問題の多い司法とメディアを改革できない。そんな日本は、決して発展しない。

「突破者」を読んだときからのファンです。
学生時代の当時、友達から名前だけは聞いていた「あかつき行動隊」の責任者だったとは・・・。
突然40年前の自分にタイムスリップしてしまいました。

ところで最近NHKを始めとして、TV等でしばしば耳にする「反社会的団体」という抽象的な、使用する者次第ではどのような団体やグループにも適用されうるような言葉に私は非常に危ういものを感じています。
権力側(植草氏の言う「悪徳ペンタコン」)にとって不都合とおもわれる人々にいつでも便利に適用できる、治安維持法的に使用する用語の匂いがしてなりません。

「反社会的団体」という言葉を使う側の最終的な目標はいわゆる「ヤクザ屋さん」などではないのではないでしょうか?

親分は顔は怖いが、正義の人なのですね。ファンになりそうです。

●ホリエモンと宗像紀夫の激論
29日のTBSテレビ「たけしのガチバトル」を見ていて、そろそろ寝ようと思ったら「検察は信用できるか?」とかで、出演者を見ると、堀江貴文、郷原伸郎、上杉隆氏なので、注目し、ソファに座りなおした。この顔ぶれがいい。
 ホリエモンの向かいには、宗像紀夫元特捜、横に平沢勝栄議員。堀江さんの意見は、特捜は、取り調べで、無理な自白の強要、検察作文、脅しがある、リクルート事件の江副さんも、立たされ、脅されたと本に書いてありました」と堀江さん。すると、宗像氏は「そんなことありません」と否定。「江副さんの本読んでいるんですか、あれはウソなんですか。うソなら訴えないのですか?」と堀江さんは質した。宗像氏は顔色が代わり、否定した。宗像氏はウソをついている、とぼくは確信した。うそは検察の始まりか。(やはり検察出身は組織への厳しい反省がない)ぼくは江副さんの本を読んだが、たしかに「ゆきすぎた取り調べのこと」は記していた。
 捜査から起訴まで、検察の手にゆだねられて、どこにも第三機関のチェックがないのが危うい。
「可視化法案」の必要性も痛感。
 検察改革は、単に「大阪地検」の厚労省文書偽造の問題だけが対象ではない。もう、過去の特捜が扱った事件をふくめても、疑問がつのるばかりなのだ。その多くの証言や記録がある。
 鈴木宗男氏の有罪も、供述書は検察の手で作られていたと山田哲社長の証言がある。「会社をつぶしてやる、取引先にも影響が及ぶ、と検察は脅した。島田社長も、供述書を否定しても、認めれと強要されている。リクルート事件の江副さんも無理な取り調べで、供述書がつくられ、その7割は裁判で証拠の洗い直しで、長い裁判期間を無駄に費やされた。
 先日、最高検の検察改革と反省の謝罪があった。所詮、身内が身内を検証する甘さがある。珍しく新聞も検察改革生ぬるいと書いていた。それも示しあわせたように、横並び記事なので驚いた。今後、「検察のありかた検討委員会」にゆだねられるが、捜査から起訴まで検察の手に事件がゆだねられて、そこに第3機関の監査が監査が必要。もちろん、密室取り調べのあやうさで「可視化法案」は必至だろう。
 宗像氏は詭弁、ごまかしであせっていた。ホリエモンが正義の主張していて共感。郷原氏、上杉氏も鋭い指摘で、朝のテレビ番組は偏向一方通行の意見ばかりだが、久しぶりで争点が鮮やかな議論を聞いた。

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Profile

宮崎 学(みやざき・まなぶ)

-----<経歴>-----

1945年、京都のヤクザの家に生まれる。
早稲田大学法学部に進むが、学生運動に没頭して中退。
週刊現代記者として活躍後、京都に戻り家業を継ぐが倒産。
「グリコ・森永事件」ではキツネ目の男に擬され、重要参考人Mとして警察にマークされる。
自身の半生を綴った「突破者」で作家デビューを果たした。
2005年には英語版「TOPPA MONO」も翻訳出版された。
最近は、警察の腐敗追及やアウトローの世界を主なテーマにした執筆活動を続けている。

BookMarks

オフィシャル・ウェブサイト
http://miyazakimanabu.com/

魚の目(魚住昭責任編集)
http://uonome.jp/

-----<著書>-----


『ラスト・ファミリー 激論 田岡由伎×宮崎学』
2010年1月、角川書店


『談合文化論』
2009年9月、祥伝社


『近代ヤクザ肯定論―山口組の90年』
2007年6月、筑摩書房


『安倍晋三の敬愛する祖父 岸信介』
2006年9月、同時代社


『法と掟と』
2005年12月、洋泉社


『近代の奈落』
2005年12月、幻冬舎


『TOPPAMONO』
2005年9月、Kotan Pub


『万年東一(上)』
2005年6月、角川書店


『万年東一(下)』
2005年6月、角川書店



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