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フィナンシャルタイムス記事の日本語訳を掲載します。

先日お知らせしたフィナンシャルタイムスのインタビュー記事の日本語訳を掲載します。

Lunch with the FT: Manabu Miyazaki

この人と昼食:宮崎 学
デイビッド・ピリング
Published: August 8 2008 18:02 | Last updated: August 9 2008 03:05

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その光景は日本以外では見られないものだった。我々が席についていたのは東京の高級レストランの一室である。落ち着き払った笑みを浮かべた着物姿の婦人が繊細極まりない手つきで我々の目の前に次々と並べているのは、極上の陶器に盛り付けられた奇跡ともいえる料理の数々である。彼女の表情や物腰は耳に入る会話の内容によって崩されることはないし、我々が喋っている一言一言は彼女にとって優雅と優美以外の何ものでもないとでもいうような雰囲気にも変化はみられない。

我々が話題にしていたのは、麻薬、恐喝、売春、銃器、抗争、殺人などである。おっとギャンブルもだ。私は、塗器の箱を物音一つたてずに卓上に置く彼女の顔をちらりと見上げた。その表情は、まるで彼女に耳に入ってくるものが生け花の微妙な美に関する話でしかないとでもいった様子である。

こうした光景は日本人の接客の仕方をよく表している。賓客はあくまで貴い賓客として遇されるのであり、それは彼の話がたとえ肉挽き器での死体処理といったものだったとしても変ることはない。しかし眼前の光景がもっと多くのことを教えてくれるのは、この社会が「ヤクザ」(日本の犯罪組織、暴力団)との間で保っているクールな関係(日本人は刺青を入れたヤクザとも比較的調和して生活している)について理解しようとするときであろう。

今日私が昼食に招いた客は、日本の闇社会での体験を書いて有名になった宮崎学だが、彼は厳密な意味では「ヤクザ」ではない。京都のヤクザ組織の組長の息子としてヤクザに囲まれて育ち、日本の犯罪史上で最も有名な事件の一つで警察から重要容疑者「キツネ目の男」と疑われたこともある。しかし、本人は自分のことを、ヤクザの一員になることに必然的に付随する擬制的家族の一部というよりも、「フリーランスのアウトロー」と定義するほうが気に入っているという。

日本版ジョニー・キャッシュともいえる宮崎氏(62歳)は、豊かな銀髪が強烈なコントラストをみせるほど上から下まで黒ずくめの服装だった。その筋肉質な体と握手の力強さからみて、必要とあれば今でもかなり立ち回りはいけるものと見受けられた。昼食の場となった京都風の高級懐石料亭「雲海」は氏がよく利用する店である。店に入った私を出迎えた気の利いたスタッフは、私が「宮崎様」(大きな尊敬を表す敬称)に会いに来たことをすでに承知していた。

「私にとってのアウトローの定義とは、次のようなものです」と、そのしゃがれ声とは裏腹に、ストリートファイターのそれというよりもどちらかと言えば学者的な口調で氏は語った。「つまり、たとえ現行の法律やルールに反する行為をしても、道義的責任など一切感じない人間のことです」

彼の本には、詐欺事件、銃撃戦、バットでの殴り合いやナイフを持った喧嘩、強盗、その他の軽犯罪などがいやになるほど数多く書かれている。私は思い切って言ってみた。あなたが書いておられることのなかには非合法なことも含まれているのではないですかと。すると彼は含み笑いをしながら答えた。「ほとんどが非合法ですよ。」

「ヤクザとアウトローの間には概念上の違いがあります。」指先ほどの大きさの焼き魚を頭付きのまま口に放り込みながら彼は言った。日本の慣習にしたがって我々は同じ料理を注文していた。それぞれが少量ずつ盛られた蒸し野菜、刺身、漬物、豆腐、一口大の牛肉と鶏肉が入った漆のお重に赤出汁とご飯が並んでいた。

「私の父親は寺村組の創設者であり組長でもありました。組の中ではニラミもきいていたし影響力もありましたから、私は親父の組には入らないことになっていました。それが昔からのヤクザのやり方です」と彼は言う。

宮崎氏自身は、ヤクザの忠誠心と組織の土台となっている「親分子分」と呼ばれる擬制的血縁関係(血は水よりも濃し)を固める契りの盃事を行ったことはないという。輝くつやの刺身を醤油につける前に紫蘇の実をていねいに泳がしながら「逮捕されたことは何回かありますが、刑務所に入れられたことはない。私は一人で闘います」と氏は語った。

身体一面に刺した刺青と、暗黒街の掟に反した自分に自ら課す罰である小指の切断で有名な日本のヤクザの数は、現在およそ10万人といわれる。この数は、イタリア系アメリカ人マフィアの25倍にあたり、しかも日本の人口はアメリカの半分でしかない。日本における人口当たりのヤクザ濃度が高く、あらゆる儲け話に(欠けた)指を突っ込み、企業や政治に実体的な影響力をいかに及ぼしていることが少しは理解できるであろう。

大手の銀行(外国資本のものも含む)でさえ、日本の闇社会とややこしい関係になりそうなおそれのある案件についてはヤクザ対策スタッフを雇って助言を得ている。日本の金融制度が抱えた不良債権の整理のために設立された某政府系組織では空手のエキスパートを雇っていた。つい最近までは、積極的株主に一番似ている存在として「総会屋」と呼ばれる恐喝専門家がいて、株主総会で醜聞がらみの質問をして経営陣から金を脅し取っていた。

およそ25の大手組織が存在する日本ヤクザは、1990年代の取締り強化後は以前に比べてより地下に潜る傾向が増しているとはいえ、アメリカのマフィアと異なり公然性をその特徴としている。「以前はヤクザはヤクザであることに誇りを持っていましたね。名刺を持ち、バッジをつけ、自分のベンツには代紋さえ付けてましたから」と、伝統的なヤクザらしさが失われつつあることを氏は残念がった。「日本のヤクザもグローバル・スタンダードを受け入れつつあるが、それは間違いだと思う。」

とは言うものの、どこの繁華街でもちょっと歩けば、日焼けサロンで焼いた肌に分厚いジュエリーをつけた暴力団員が通りを巡回したり、大型のアメ車を乗り回しているのを見つけるのは難しくない。ヤクザのイメージは変ってきているとしても、昔の京都と江戸を結ぶハイウェー(東海道)にルーツを持つロマンチックなイメージや、名誉を重んじる行動基準や一般市民に迷惑をかけないという誓約が、一般大衆の心情の中では特別な位置を占めていることも確かである。もちろん市民はヤクザが恐喝、高利貸し業、売春を生業としていることは承知している。それでも彼らは、ヤクザを現代のサムライ、一般市民の庇護者、かつての気高い時代の具象化と看做さずにはいられないのだ。

「日本にはヤクザの美点を謳った歌が数多くあります。では警察について同じように賛美する歌があるかというと、ゼロです。」と言って、自分の冗談に腹をへこませながら笑った。

宮崎氏の話はユーモアと社会分析で満ちており、その眼から茶目っ気にあふれた光が消えることはほとんどなかった。1945年に京都で生まれた氏の自伝は、ちょうどサルマン・ラシュディの『真夜中の子供たち』の主人公が独立後のインドの歴史を映しているように、戦後日本を映し出す鏡となっている。配給と貧困で始まった氏の人生は、長じて1960年には急進的な学生運動へとまい進し、金を持て余した客が何十万円もホステスにチップをはずんだ1980年代のバブルの熱狂でクライマックスを迎えた。

十代でマルキシズムに傾倒した氏は、1960年代には過激派学生となって警察や他のセクトとの戦闘部隊を組織する。一般的には右翼的な国家主義とのつながりが強い大半のヤクザと氏を隔てているのは、彼の左翼的傾斜である。しかし、彼はヤクザを左翼・右翼といった範疇に分けて考えず、むしろ少数民族や社会的に見捨てられた人たちと同じ背景を持つ人間としてとらえている。彼によれば、ヤクザの多くは在日韓国人や、先祖が屠殺や皮革業などの“不浄な”職業にかかわっていたとして社会から遠ざけられた「部落民」と呼ばれる人であるという。

「こうした虐げられた少数集団の人たちは、日本ではヤクザになることで一挙に自分の社会的地位を上げることができるのです」箸をつけた味噌汁の椀を口元に持っていきながら氏は言った。「『俺は今日からヤクザだ』と言うだけで、それまでの差別はウソのように消え失せるのです。それほどヤクザは恐れられています。解放されるには、ヤクザになるほうが、抵抗運動よりもはるかに早道で簡単な方法なのです」

学生時代を終えた宮崎は、京都に戻って家業の解体業にたずさわり、策略と荒事にうったえたとは言ううものの、なんとか倒産を免れようと必死に頑張る。それまで逮捕歴はいくつもあったが、1980年代央にはグリコ森永事件の最重要容疑者となった。17ヶ月にわたる企業恐喝スキャンダルとなったこの事件では、菓子メーカー社長が誘拐され同社の製品に青酸カリが混入された。

宮崎氏は、「キツネ目の男」と呼ばれた最重要容疑者—警察に送り付けられた愚弄の手紙で『怪人21面相』とも名乗った—に容貌があまりにも似ていたため、彼の母親さえ自分の息子が犯人なのではないかと疑ったという。しかし、熱烈な阪神ファンである氏は、それはあり得ないという。なぜなら目撃された『キツネ目の男』は読売ジャイアンツの野球帽を被っており、自分は死んでも巨人の帽子などかぶるなど考えられないからだという。

とはいうものの、彼はその類似性を逆手にとってもいる。同事件の時効が切れた直後に出版した自伝『突破者』の表紙に警察の作成した似顔絵をそのまま使ったのだ。「あれは本の売り上げにすごく役立った。本が飛ぶように売れたんだからね」と言って私のずんぐりした体を軽くたたいた。「この本のおかげで1億円(50万ポンド)以上は稼いだね。しかもなにより合法的なビジネスだから。法律の認める範囲内でこんなに金を稼いだのはあの時が初めてだった。またあんなことが起きないかと願っているんだけどね。」

私が調べ得る範囲では、現在、氏はその収入の大半を執筆業とコメンテーターとしての活動から得ている。今や社会の立派な一員になったと思うかという私の質問に対して、彼は「社会の一員にはなったけど、立派な一員かどうかは分からないね」と即答した。

漆器の椀から最後の飯粒をつまんで口にいれたので、コーヒーを頼んだ。彼はアイスで、私はホットだ。彼はタバコを1本取り出すと、それに火をつける前に長い透明なホルダーに差し込んだ。そして一口長く煙を吸込むと、自分はヤクザを美化しようとは思わないが、警察はヤクザより卑しいと言った。警察は、以前はヤクザが仕切っていた賭博場や売春宿—婉曲的に「ソープランド」と呼ばれる—に強引に割り込んできたのだと彼は非難した。

「ソープランドに認可を与えていたのは最初は地元の保健所だった。ところが70年代になって、その管轄権が警察に移されたのです。今では、許可を与えたり取締りをしないことの見返りに業者から賄賂を受け取ってます。」そういって彼は、コーヒーにシュガーシロップを入れから、プラスチックのストローで一口すすった。ヤクザの収入源を部分的に封じ、暴対法によって彼らを地下に追い込んだことで、警察は、それまで伝統的な体制を滑らかに動かす働きをしていたヤクザと市民の平和的共存関係をぶち壊してしまったのだ、と宮崎は語った。

「つい最近までは、ヤクザが人を殺した場合、犯行に使ったピストルを持って警察に自首したものです。それが男らしい行動だと思われていたのです。しかし、今ではそんなことはありません。」

「警察はもはやヤクザがどんな相手と手を結んでいるかも把握していません」そして最後にこう付け加えた。「以前、ヤクザは自分の責任というものを是認していました。この国の安全と安心が保たれていたのはそれがあったからです。しかし、今やそれも失われました」

………………………..
和食レストラン「雲海」
全日空インターコンチネンタル、東京
2 x和食弁当
(刺身、季節野菜の蒸し物、豆腐、牛肉、鶏肉、焼き魚、お新香、海苔)
2 x味噌汁
2 xご飯
1 xアイスコーヒー
1 xホットコーヒー
ルームサービス+税
計20,905円也(98.48ポンド)
デイビッド・ピリング  ザ・ファイナンシャル・タイムズ紙東京支局長
Copyright The Financial Times Limited 2008

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Profile

宮崎 学(みやざき・まなぶ)

-----<経歴>-----

1945年、京都のヤクザの家に生まれる。
早稲田大学法学部に進むが、学生運動に没頭して中退。
週刊現代記者として活躍後、京都に戻り家業を継ぐが倒産。
「グリコ・森永事件」ではキツネ目の男に擬され、重要参考人Mとして警察にマークされる。
自身の半生を綴った「突破者」で作家デビューを果たした。
2005年には英語版「TOPPA MONO」も翻訳出版された。
最近は、警察の腐敗追及やアウトローの世界を主なテーマにした執筆活動を続けている。

BookMarks

オフィシャル・ウェブサイト
http://miyazakimanabu.com/

魚の目(魚住昭責任編集)
http://uonome.jp/

-----<著書>-----


『ラスト・ファミリー 激論 田岡由伎×宮崎学』
2010年1月、角川書店


『談合文化論』
2009年9月、祥伝社


『近代ヤクザ肯定論―山口組の90年』
2007年6月、筑摩書房


『安倍晋三の敬愛する祖父 岸信介』
2006年9月、同時代社


『法と掟と』
2005年12月、洋泉社


『近代の奈落』
2005年12月、幻冬舎


『TOPPAMONO』
2005年9月、Kotan Pub


『万年東一(上)』
2005年6月、角川書店


『万年東一(下)』
2005年6月、角川書店



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