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2007年2月26日

都内暴力団抗争:組織内部への「深刻な影響」

このブログでアウトロー史観を書きはじめて間もなく、2月5日の六本木抗争事件が起きてしまった。

そのため「史観」の探求を中断せざるを得なくなった。

しかし、アウトロー史観ということであれば、今、この瞬間に起きている現象についての抗争事件等を検証することも、それはそれで重要な課題であることは明らかなので何回かにわたって「抗争の検証」を行ってきた。

そして今回の六本木抗争事件も、私が指摘したとおりの「結果」になってしまった。

それは、1987年の山口組対松田組のいわゆる「大阪戦争」以降、ヤクザの抗争事件は「組対組」型から「組内部」型へと変化したということ、そして抗争事件は相手側ではなく内部に深刻な影響を与えるという結果に終わらざるを得ないということ等々である。

さて、今回の六本木抗争事件は2月15日に一方の当事者である国粋会の工藤和義会長がピストル自殺をとげるという思わぬ展開となった。

これが、つまり私が指摘していた「深刻な影響」ということである。

ところで、この工藤和義会長の自殺についての報道も毎日新聞が他を一歩抜いている。

事実関係を確認するために、同紙の2月15日付ウェブ版記事を転載する。

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(以下、毎日新聞ウェブ版記事から転載)
15日午前9時20分ごろ、東京都台東区橋場2の指定暴力団山口組国粋会の工藤和義会長(70)の自宅で、工藤会長が頭から血を流して死んでいるのを通報で駆けつけた警察官が確認した。
近くに拳銃1丁が落ちており、警視庁は現場の状況などから拳銃で自殺したとみて詳しい経緯を調べている。
調べでは、工藤会長は2階居間のソファーで倒れていた。国粋会関係者から「会長が死んでいる」と浅草署に通報があった。
今月5日、港区で住吉会系幹部が射殺されたことを発端とし、住吉会側から山口組側への報復とみられる発砲事件が3件発生。国粋会系の事務所が入居するマンションにも銃弾が撃ち込まれた。連続発砲は8日に山口組と住吉会が争いを続けないことで和解した後、終息している。
一連の事件は国粋会と住吉会側の縄張りを巡るトラブルが背景にあったとされ、関係者によると和解後も工藤会長の処遇を巡る駆け引きが水面下でくすぶっていたという。工藤会長の自殺が一連の発砲の再燃にただちにつながる可能性は少ないとみられるが、後継や利権を巡り山口組系組織や国粋会内部で新たな争いが浮上する可能性は否定できず、警視庁は警戒を強めている。
国粋会は台東区に本部を置き準構成員を含め約1060人。工藤会長は91年に会長就任。05年、山口組傘下に入るとともに、山口組最高顧問に就いていた。

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この後、2月19日、20日には同氏の葬儀がとりおこなわれ、抗争は一応の終結にむかったかのように見える。

しかし、私はこの表面的な平静さは、よりドラマチックな状況への助走のような気がしてならない。

つまり、抗争がそれぞれの組内部に影響を与えるとするなら、今回の事態は、それぞれの組内部にどのような影響を与えたのかということを見る必要がある。

両者の内部では、より「原理」的な意見、つまり非妥協的な意見が生まれてくる。

それは、ある意味「深刻な影響」の結果としてはやむを得ないことと思われる。

つまり、「縄張り」問題を巡り、それを「返すべし」「守るべし」ということが両者間の議論として、今後鮮明に浮上してくる可能性が高いということである。

そうなれば、今回の六本木抗争事件のような展開とは違った、1987年以来の稀なケースとなって「組対組」型へと発展する可能性を含んでいると見るべきだろう。

さて、今月(2月)は、この六本木抗争事件が勃発したため、本題のアウトロー史観は書けなかったが、次回からは本題に戻ろうと思っている。

2007年2月15日

<速報>国粋会会長が自宅で死亡

今日、午前9時20分ごろ、山口組の最高顧問で国粋会の工藤和義会長(70)が自宅で頭から血を流して死亡していたことがわかった。

まず、この件に関する毎日新聞のネット記事を下記に転載する。

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暴力団:国粋会会長が自宅で自殺 先週発砲事件で和解

15日午前9時20分ごろ、東京都台東区橋場2の指定暴力団山口組国粋会の工藤和義会長(70)の自宅で、工藤会長が頭から血を流して死んでいるのを通報で駆けつけた警察官が確認した。

近くに拳銃1丁が落ちており、警視庁は現場の状況などから拳銃で自殺したとみて詳しい経緯を調べている。

調べでは、工藤会長は2階居間のソファーで倒れていた。国粋会関係者から「会長が死んでいる」と浅草署に通報があった。

今月5日、港区で住吉会系幹部が射殺されたことを発端とし、住吉会側から山口組側への報復とみられる発砲事件が3件発生。国粋会系の事務所が入居するマンションにも銃弾が撃ち込まれた。連続発砲は8日に山口組と住吉会が争いを続けないことで和解した後、終息している。

一連の事件は国粋会と住吉会側の縄張りを巡るトラブルが背景にあったとされ、関係者によると和解後も工藤会長の処遇を巡る駆け引きが水面下でくすぶっていたという。工藤会長の自殺が一連の発砲の再燃にただちにつながる可能性は少ないとみられるが、後継や利権を巡り山口組系組織や国粋会内部で新たな争いが浮上する可能性は否定できず、警視庁は警戒を強めている。

国粋会は台東区に本部を置き準構成員を含め約1060人。工藤会長は91年に会長就任。05年、山口組傘下に入るとともに、山口組最高顧問に就いていた。

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この件に関する細かい経緯は人の命に関わる微妙な問題であるので、今後、このブログ上で明らかにしていくつもりである。

2007年2月13日

都内暴力団抗争:「安定期」は過ぎ去った

まず、今回の暴力団発砲事件に関する毎日新聞のネット記事を下記に転載する。

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<暴力団発砲>3カ所を銃刀法違反容疑で家宅捜索 警視庁
2月8日11時26分配信 毎日新聞

◇両組幹部が会合、和解探る

山口組側への発砲が5~6日に相次いだ後、山口組と住吉会の幹部が7日に会合を持ったことを警視庁は確認している。和解に向けた会合だったが、山口組国粋会から住吉会側が借りている都内の縄張りを巡って話し合いがもつれ、和解にいたらなかったとの情報がある。今後の推移は不透明だ。

一連の発砲事件の発端となったのは、住吉会小林会系の杉浦良一幹部(43)が東京・西麻布で射殺された事件。小林会は複数の山口組系組織との間でいくつかのトラブルを抱えていた。射殺される前日の4日、杉浦幹部は、山口組太田会系の事務所を訪ねていた。太田会系組織が新たに事務所を設置しようとしていたことに対し、話し合いを持ったという。

射殺事件の約1時間後には太田会系の事務所に銃弾が撃ち込まれた。このためまず、両組織間のトラブルが事件の背景として浮上したが、捜査幹部は「前日の話し合いの状況は、射殺事件に結びつくような内容ではなかった」とみる。

山口組国粋会系事務所が入居するマンションで拳銃を発射したとして逮捕された小林会系幹部は、「国粋会を狙った」と供述。国粋会と小林会は小林会が国粋会から借りている縄張りの「賃料」引き上げを巡ってトラブルになっていたという。

都内の山口組勢力は95年に100人だったが、97年=250人▽00年=540人▽03年=800人▽05年=1650人と急増している。05年に傘下に収めた国粋会以外に、現在、山口組系組織の事務所は都内に数十はあるという。捜査幹部は「山口組の東京進出が背景にあることは間違いない」と話す。

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今回の事件についての報道では、この記事が最も正確で事実に迫っていると思われる。

ただし、記事内では都内の山口組勢力が1650人となっているが、実数はその倍であろう。

おそらく3000人は超えていると思われる。

こうしたヤクザの勢力図変移からも、今後は都内におけるヤクザ同士の小競り合いが続くであろうと思われる。

昨年、暴力団抗争事件が0件であったという前代未聞の「安定」は、いまや崩れ去ったのである。

2007年2月 8日

<沈静化>山口組VS住吉会西麻布抗争事件:沈静化に向かうも不安定要因は変わらず

2月7日の「手打ち」のための話し合いが不調に終わり、どのような展開となるのか心配していたが、本日、2月8日午後、両組織間で抗争を拡大しないということでの合意がなされたようだ。

しかし、今回の騒動の根本的原因である銀座・六本木の縄張り問題については解決しておらず、今後も不安定な状態が続くと思われる。

とはいえ、今はこの抗争が沈静化することを素直に喜びたい。

なぜなら今回の抗争が、もしかっての「山一戦争」や「大阪戦争」のような展開になっていたとしたら、国会が開かれている今、必ず共謀罪を成立させようという動きが現れる可能性があったからである。

自民党や権力側がその種の策動を考える前に手打ちが行われたことは非常に喜ばしい。

もうひとつ思うのは、今のヤクザの体質が、ここ20年変化してきているということだ。

その変化については、以前書いたとおりである。

今後も小さなトラブルは増えるかもしれないが、ヤクザの本格的な「戦争」が行われることはないだろう。

これが良いか悪いかということになると、一般的には良いとされるが、私は決してそうとは思わない。

その根拠として、日本の社会そのものが均質化しており、非常に閉塞的になってきていることがあげられる。

そのような状況が、社会全体としては「いじめ」や「格差」を生み、自殺に繋がっているのだ。

ヤクザ社会においても、やはりこの均質化現象が現れてきている。

つまり、ヤクザというものは宗教団体や過激派の政治党派と違って非常に社会そのものと密接不可分な関係の中で存在しているもので、ヤクザはヤクザなりに社会の動向による影響を受けているのである。

そして、この社会の均質化傾向というものが、間違いなくヤクザ社会にも押し寄せてきているのならば、抗争のあるなしや、市民が安全で良かったという小学校のHRのような話ではなくて社会全体の閉塞的な問題だと捉えていく必要があるだろう。

今回は突発的なことがあったので5回に渡って今回の抗争問題について書いた。

今後も変化があり次第、このブログ上で書くつもりだ。

次回は本題に戻って、アウトロー史観から見た現代史はこうなるということを書くこととする。

<収束>山口組VS住吉会西麻布抗争事件:「手打ち」の方向へ

私のもとに入った情報によると、本日午後に両者間で急遽、話し合いが行われたようだ。

両者間で衝突回避の意識が働いたようで、「手打ち」の方向で決着が着きそうである。

また、この情報は警視庁も確認している模様だ。

抗争そのものは、これにより収束の方向へ向かうだろう。

今回の事件に対する総括は後日、このブログ上にて書くつもりだ。

2007年2月 7日

<続報>東京・西麻布暴力団発砲事件:緊張の数日が続く

2月7日の山口組、住吉会の話し合いが「和解不成立」で終わった。

そして、3日後に再度話し合うこととなったとする情報がある。

この情報によると、

(1)銃撃による住吉会系小林会幹部の射殺事件については住吉会・山口組間でこれまでも何度か発生した際の方式にもとづいて和解することでおおよそ合意できる可能性があった。

しかし、

(2)昨年、山口組傘下となった東京に本部を置く国粋会の六本木、銀座の縄張りをめぐる問題については合意に達しなかった。
そのため、2月7日の「会談」は不調となった。

そして、

(3)3日後に再度話し合いを持つということを取り決めた。

こうなると、3日後の「会談」までの間は「休戦協定」のない戦争状態ということになり、何時、何が起こってもおかしくない不安定な状態となったということである。

1987年以降、20年間比較的平穏な状況であったヤクザ社会が少しキナ臭くなってきた。

明日は、新しく入るであろう情報と、警察はこうした抗争事件では何故無力なのかを書く予定だ。

<速報>東京・西麻布暴力団発砲事件:「手打ち」交渉決裂!!

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今回の騒動について語る宮崎氏

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厳戒態勢がしかれる六本木
photographs by Ryosuke Takeuchi

本日、2月7日13時頃、住吉会系小林会事務所を山口組幹部2名が訪れ、今回の抗争の「手打ち」に向けての話し合いが行われた。

しかし、本日17時頃、私の元に交渉決裂の情報が届いた。

数日後に、両組間で話し合いを持つ可能性が残されているものの、今後は予断が許されない状況が続きそうだ。

この騒動に関する詳細は本日中に、このブログ上で続報として書くつもりである。

2007年2月 6日

緊急分析!!『東京・西麻布暴力団発砲事件』

2月5日、東京西麻布で発生した銃撃射殺事件以降、東京都内で発砲事件が相次いでいる。

この事件を、私のアウトロー史観では次のようなポイントで見ることとしている。

全面戦争と手打ちの可能性

日本の大きなヤクザの組対組がその存亡をかけた「抗争」は、1975年から1979年の足かけ4年間40ヶ月に渡って勃発した山口組対松田組のいわゆる「大阪戦争」がピークであった。

その後、1985年から始まり1987年に終結した、いわゆる「山一戦争」は組対組というよりも内部抗争のカテゴリーに入るものである。

その後に1987年の「山口組」と「東組」との抗争が6ヶ月続いたということはあっても、実態としては、近年はなくなってきている。

そして、最近の抗争の傾向としては山口組に限らず「山一戦争」のように同一の組の中のポジションを争うというように変化してきている。

また、ここ20年くらいの在りようとしては、組対組という抗争が起きても、執行部間ですぐに話し合いが行われ「手打ち」となることが多くなっている。

これは、1989年に暴対法が施行されるようになり、「暴力団」に対する取締りが強化されたことと、その後の裁判での判決が重罰化していることが影響していると思われる。

そうしたことから、今回の西麻布の事件も傾向からすると「手打ち」の可能性は高いと思われる。

しかし、2月6日の今日の段階では「実行犯」が特定されておらず、「手打ち」の型がまだ整ってはいない。

こうしたことから散発的な銃撃は、まだ続くものと思われる。

この「緊急分析」は明日、2月7日も続けます。

アウトロー史観(其の三)『縦と横の北朝鮮対策』

アウトロー史観は、現実の問題を解決する方法としては、「横」より「縦」を重視する方法を採る。

これを現実の問題に当てはめて説明すると、こういうことになる。

わが国における、北朝鮮による拉致家族の救出方法については、現在いろいろな団体によって行われているが、これは主として「横」型である。

つまり広く世論に訴えて、その結果日本政府を動かし、北朝鮮と交渉、それも強硬姿勢の交渉をすることによって救出するという型である。

これは世論を味方に付けることが問題を解決するという典型的な方法論である。

これが「縦」型だと次のようになる。

北朝鮮問題に限らず、この世の中で問題を解決する有効な手段は「金」である。

北朝鮮問題による拉致も同様で、「金」で解決する。そのためには「金」を誰に、どれくらい、そしてどのようにして渡すのかということをシミュレーションし、全てを水面下で行うことを原則として、相手方と接触する。

現に森元首相の頃までは、この方法が模索されていたとされる。

そして、この「縦」型で問題解決後に公表される情報は、相手方の「顔」を立てたものとし、「成功の結果」だけを人知れず得るということを作風としている。

さて、アウトロー史観では、この「縦」型と「横」型の関係を次のように考える。

つまり、問題の解決に当たって「縦」と「横」は存在しないし、両方から進むのが効果的だとする方法は採らない。

むしろ「縦」型と「横」型は、往々にして矛盾することがあるという考え方に立つ。

そして、徹底的に「縦」型を深化させてゆく。

例えば最終的に、前述のケースでは「金」をつかませる相手にたどり着くまで追いかけるということになる。

この作業を進めてゆく過程では、「横」型は明らかに相手側を萎縮させる効果がある。

そうなると相手を「交渉」の場から遠ざけてしまう結果を招来する。

「まあ大丈夫だろう」と相手側に油断させるのがポイントである事は言うまでもない。

「横」型に内在する「清く、正しく、美しい」作風を好む人は多く、その結果北朝鮮対策の方針は「対話と圧力」と、何とかの一つ覚えのように言う。

しかし、これはアウトロー史観から見ると明らかに間違いである。

「対話」という表現は大いに使うべきであるが、しかし「圧力」という表現は使うべきではなく、むしろ黙って行うべきであろう。

その方が、相手側に1の圧力を5倍にも10倍にも感じさせることが出来るのではないだろうか。

さて、次回は本題に戻って、アウトロー史観から見た現代史はこうなるということを書くこととする。

Profile

宮崎 学(みやざき・まなぶ)

-----<経歴>-----

1945年、京都のヤクザの家に生まれる。
早稲田大学法学部に進むが、学生運動に没頭して中退。
週刊現代記者として活躍後、京都に戻り家業を継ぐが倒産。
「グリコ・森永事件」ではキツネ目の男に擬され、重要参考人Mとして警察にマークされる。
自身の半生を綴った「突破者」で作家デビューを果たした。
2005年には英語版「TOPPA MONO」も翻訳出版された。
最近は、警察の腐敗追及やアウトローの世界を主なテーマにした執筆活動を続けている。

BookMarks

オフィシャル・ウェブサイト
http://miyazakimanabu.com/

魚の目(魚住昭責任編集)
http://uonome.jp/

-----<著書>-----


『ラスト・ファミリー 激論 田岡由伎×宮崎学』
2010年1月、角川書店


『談合文化論』
2009年9月、祥伝社


『近代ヤクザ肯定論―山口組の90年』
2007年6月、筑摩書房


『安倍晋三の敬愛する祖父 岸信介』
2006年9月、同時代社


『法と掟と』
2005年12月、洋泉社


『近代の奈落』
2005年12月、幻冬舎


『TOPPAMONO』
2005年9月、Kotan Pub


『万年東一(上)』
2005年6月、角川書店


『万年東一(下)』
2005年6月、角川書店



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