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2007年1月28日

アウトロー史観(其の二)『北朝鮮の反応』

アウトロー史観の重要部分は、歴史が動く時の政治権力とヤクザの密接不可分な関係を正確に捉え直すということである。

そして、そこからのほうが「歴史の真実」を見ることができるというものである。

右も左もどちらも、この「暗部」をなかったことにしておこうというのがこれまでの歴史観であり、そのため、彼等の歴史観は「捏造」されたものとなり下がっているのだ。

私は前回で、わが国における近代国民国家が成立する際の「権力とヤクザ」の関係を書き、それが最近も、アメリカと故フセイン、オサマ・ビン・ラディンとの関係のなかにも見られることを指摘した。

そうしたアウトロー史観をもとに、現在の北朝鮮情勢を見つめてみると次のようなこととなる。

「北朝鮮」の不可解とされる反応について

日本のメディアの北朝鮮報道は世界のメディアの水準から見ると世界の最下位グループに位置する。

特に、地上波テレビのそれは、評価の域を超えて見ているだけで恥ずかしい内容だ。

つまり、わが国の地上波テレビ等の報道は、北朝鮮脱北者なる人物を連れてきて、「顔かくし」「音声を変え」ての報道に終始している。

そしてそれを繰り返している。

それは、ハングル語を話せる人を連れてきて放送作家の書いたストーリーを語らせていたとしても、その「報道の真実性」は検証不可能である。

つまり「ヤラセ」を排除できないということになる。

まあ、わが国の既製メディアについては最近の関西テレビの話を持ち出すまでもなく、見る価値も読む価値もないということは今さら言う必要もないと私は考えている。

さて、そこで「北朝鮮の反応」についてである。

北朝鮮が、1945年以降とりわけ1950年の朝鮮戦争以降、激しく動く世界情勢の中でいろんな反応をしてきた。

きわだった反応としては、アメリカがベトナム戦争の泥沼にはまり込み動きがとれなくなった1967年以降に見られる「暴力路線」の選択である。

ベトナムで動きのとれなくなったアメリカは、たとえ北朝鮮がどのような挑発的な行為に出ようと軍事的なオペレーションは取れないという読みからのこの選択である。

そして、この読みは適中した。

そして今、イラクで泥沼にはまり込んだアメリカは、北朝鮮が「核実験」をしようが手は出せない状況と「北」は判断したと思われる。

こうした「北」の反応のなかから、ある種の法則性が見えてくる。

今回は、4つの北朝鮮の「反応」の法則性を、アウトロー史観は次のように分析し、明らかにしておく。

北朝鮮の「反応」は、次の4つの法則の繰り返しである。

①居直る
②脅す
③拗ねる
④ごねる

北朝鮮は、この①~④を適宣組み合わせを変えたり、強弱をつけて行っているにすぎない。

詳しく考えるまでもなく、これは、日本の、いや世界のアウトローの伝統的な方法である。

以前、アメリカのブッシュは北朝鮮を「ならず者」国家と呼んだことがある。

そうであるならブッシュは、北朝鮮のこの反応を当然のことながら分かっていたはずだ。

いやブッシュは、舞い上がりすぎてそれすら分からなかった可能性は排除できないかもしれない。

しかし、そのアメリカが、ここに来て「手打ち」を行った。

この「手打ち」は、イランへの侵攻をアメリカが模索しはじめたことと、つまりベトナム戦争の時よりも泥沼化しているイラク情勢を逆転する、一か八かの賭けに出るためには、後門の虎である「北朝鮮」と「手打ち」しておく必要があった。

つまり、アメリカのイランへの戦線拡大の欲求が「北朝鮮」との「手打ち」を行わせるところとなったのだ。

これによって、わが「美しい国」首相と政権は、6カ国協議のさらなるワキ役、演劇舞台に6カ国協議をたとえれば「馬の脚」の役とされたということである。

わが「美しい国」首相が7月の参院選挙の切り札と考えていた、6カ国協議を通じて拉致問題を解決するという「北」カードがなくなった。

がしかし、これによって、むしろ拉致問題の解決は可能性が出てきたとする説もある。

これについては次回に紹介しようと思う。

2007年1月21日

アウトロー史観(其の一)『秩父困民党事件』

さて、今回から話をアウトロー史観に戻す。

私が歴史にこだわるのは、例えば昔の家屋の便所の窓に桟が5本あるのか6本あるのとか、そしてその意味は何かといったことをあれやこれやと「解釈」するためのものではない。

その歴史のその局面を「自分ならどうするのか、どうすべきなのか」と思いをめぐらせながら肉感的に歴史の局面をとらえようとするためである。

さて、日本が近代国家として成立する契機は、明治維新である。

そして司馬遼太郎的史観では、維新の「偉人」が血の滲む「努力」をして近代国家をつくり上げたという「物語」が語られる。

その一方、私などが親しんできたマルクス主義的な歴史観によると、近代国家として富国強兵という非平和的な国家づくりが為政者(司馬の言うところによれば維新の偉人)によって行われることに対して、人民は武装して抗った。

その例が秩父困民党事件であるとされる。

私はどちらの説にも賛成しない。

今回は、この秩父困民党事件等について、今執筆中の原稿の一部を予告編としてご紹介しよう。

秩父困民党事件についての従来の見方は、フリー百科事典「Wikipedia」を参照していただきたい。

それに対して私は次のような原稿を今書いている。

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権力による利用と切り捨て

藩権力は、博徒草奔隊が奮戦している間は「抜群の戦功」などとほめそやしておきながら、いざ戊辰戦争が終わり、藩の面目が立って、もはやヤクザ隊など不要になると、「士族採用」という約束を破り、草奔隊全員について、「新規一代限り抱えの輩」にすぎないとして、平民籍にもどしてしまったのである。

甘言をもって利用し、利用しつくしたのちに前言をひるがえして、簡単に切り捨てて顧みないという、このような卑劣な利用政策は、尾張藩だけに見られたものではないし、ヤクザに対してだけ向けられたものではなかった。

たとえば、長州藩では、馬関戦争勃発直前の一八六三年(文久三年)に、「屠勇取立」の建策がおこなわれ、実行に移されている。

屠勇取立とは、来るべき攘夷戦争に備えるために穢多身分の者を兵士として取り立て、名を改め、格を高くして、派手な服装をさせ、良民同様に扱う、というもので、要するに被差別民草奔隊の組織化であった。

このような動きのなかで、維新団、一新組などの被差別民草奔隊が結成され、幕府との戦闘に出動した。

部落解放研究所編集の『部落解放史』は、これについて、「『屠勇』に採用されれば『えた』の称を除かれるという事実が、下層の部落民衆にとっては『解放』と映じていたから、彼らは勇んでこれに応募したし、[部落]上層としてもこれに積極的に協力・参加することで部落内での位置の保全をはかったのである」と書いている。

しかし、彼らもまた、維新後の藩権力による奇兵隊粛清(武士以外の部分を切り捨てて再編し常備軍に組み込んでいく)の過程で弾圧され、尾張藩の博徒草奔隊と同じような運命をたどったのである。

また、博徒草奔隊と同じようなアウトロー利用政策は、歴史上いろいろな形で見ることができる。

たとえば、毛沢東の人民解放軍も、アウトローを仲間に加え、利用しつくしたのちに粛清したことが知られている。

瑞金をはじめとする革命根拠地に建軍された紅軍は、最高指導者・朱徳を筆頭に劉伯承、賀龍など初期の主要な指導者がみな洪門哥老会という秘密結社の会員で、その配下には洪門アウトローが多数いた。

アウトロー軍が共産党指導の農民反乱軍の重要な一翼、ある場合には主要な部分をになっていたのである。

また、都市においても、中国共産党は洪門アウトローに協力を求め、ストライキや蜂起を組織していた。

たとえば、一九二二年、安源炭鉱のストライキのときには、当時の中心指導者・李立三が洪門の頭目に会って、たがいに血をすすり合う義兄弟のちぎりを結んで協力を取りつけている。

そして、革命が成功するや、これらのアウトロー分子は、そろってきれいさっぱり粛清されてしまったわけである。

もっとも、鄧小平のもとで資本主義化が始まると、またもや中国共産党はアウトローの利用政策を駆使している。

これが今後どんな展開をたどるにせよ、最後にはどういう結末を迎えるかは、明らかであろう。

いずこもおなじである。政治権力とアウトローとの関係は、このような利用と切り捨てのくりかえしだったのである。

農民要求と民権運動を媒介したヤクザ

維新直後の重大な危機を乗り切った明治政権は、一八八〇年代(明治10年代後半)にいたって、新たな危機に直面した。

それは、松方デフレ政策からから始まった。一八八一年(明治十四年)大蔵卿に就任した松方正義は、紙幣整理、日本銀行の創設などを通じて近代的信用制度の整備を図り、この目的のために西南戦争後のインフレに対してデフレ政策を採った。

そして、それが農村工業、商業的農産物生産に大きな打撃をあたえたのである。

こうした状況を背景に、翌一八八二年から八十五年にかけて、困窮に陥られた農民が全国で次々に騒擾・激化事件の多くに博徒を中心とするヤクザが深く関わっていたことである。

秩父事件については、その事実が近年割合と認識されるようになってきた。

秩父困民党蜂起軍の総理は博徒・田代栄助、副総理はやはり博徒の加藤織平であり、各村小隊長は大部分が博徒であった。

また、群馬事件の農民一揆には、上州博徒の大親分・山田丈之助をはじめ、その弟分の神宮茂十郎、町田鶴五郎、野中弥八など多数の博徒が参集している。

山梨、三河などの農民総擾の中心になったのも、いずれも博徒であった。特異なのは名古屋事件で、ここでは尾張藩に裏切られた草奔隊メンバーの博徒たちが自由党の民権運動と結びついたのである。

さっき、権力から裏切られたヤクザたちが反権力にぶれていく伏線になったといったのはこのことである。

これらにつきるものではない。

博徒は、このとき、各地で総擾・激化運動に加担しているのである。

これが長い間あまり知られず、研究も進んでいなかった原因の一つは、このとき民権運動を推進していた自由党が、意図的に記録から博徒などアウトローの関与を示す記述を取り除いたからであったという。

勤王も佐幕も、民権も国権も、左翼も右翼も、みんな同じである。

アウトローは利用するだけ利用して使い捨て、これが、いまにいたるまで日本における「由緒正しい」運動すべてに共通する鉄則だったのだ。

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ところで、こうした秩父困民党事件を今検証する意味は、日本の権力とヤクザの関係がアメリカと故フセインやアルカイダのオサマビンラディンの関係と類似しているということに思いを巡らすことだと考える。

さて、次回はまた話を現在に戻し、そのアメリカが何故北朝鮮と「手打ち」したのかをアウトロー史観からみることとする。

2007年1月16日

アウトローの視点(其の二)『夫バラバラ殺人事件』

前回に引き続き、「今社会で起こっている事態をアウトローの視点から考察する」というテーマの中で、今回は『夫バラバラ殺人事件』について書くこととする。

この事件は、外資系金融マンの夫・三橋裕輔さんを妻である三橋歌織がバラバラに切断して遺棄したという事件である。

もちろん、言うまでもなくこの女性の行為を誰も正当なものだとは言えず、当然、指弾されるべき犯罪である。

しかしながら、TVのワイドショーメディアが「酷い」「悲しい」と感情的に騒ぎ立てるような行為は完全な間違いである。

そもそも、この事件が起こった原因には、夫からの暴力が大きいとされている。

仮にそれが主たる原因であったのなら、まず初めに反応すべきは日頃からフェミニズムを唱えている人間たちではなかろうか。

しかしながら、私は加害者の女性を擁護するその人たちを一向に見かけない。

つまり、それが日本のフェミニズム運動の限界なのである。

同時に、日本のフェミニズム運動というものは、運動家たちの売名の道具だったという批判が説得力を持ってくる。

私は、98年に起こった和歌山毒物カレー事件にしても今回の事件にしても、この種の犯罪を犯した女性に対して日本のフェミニズム運動があまりにも冷淡すぎるのではないかと考えている。

それぞれの犯罪の原因が明らかに女性差別の問題を含んでいる。

そうであれば、フェミニズムを唱える運動家たちは何はともあれ、その面からはその女性を擁護しなければならないだろう。

もちろん、私は犯罪を擁護しろと言っているのではなく、差別を受けた女性は擁護すべきだといっているのである。

日本の全ての社会運動というものは、今回の問題でフェミニズムの運動が鈍感であることと同じような限界性を持っている。

アウトロー史観というものは、犯罪が起こったときにその原因の社会性を考えるものであり、また、TVワイドショーのように犯罪の酷さや形態に感情的反応をもって終わらせている社会の薄っぺらさを見抜くものでもあるのだ。

年の初めから説教じみた話をしてすみません。

今年はこのブログ上で「アウトロー史観」を確立していこうと考えております。

是非ご期待ください。

2007年1月14日

アウトローの視点(其の一)『水谷建設裏金問題』

明けましておめでとうございます。

本年もよろしくお願いいたします。

今回は年頭ということもあり、昨年から行ってきたアウトロー史観の本格的な考察は少し置いといて、アウトロー史観の視点から見た、今社会で起こっている事態についての具体例を2回に分けて書くこととする。

まずは、今年、1月3日に朝日新聞の1面トップに掲載された水谷建設裏金問題についての報道である。

ところで各新聞社が掲載する年頭の1面トップ記事というのは、他社を出し抜くスクープを掲載したいがために、かなりの人員が投入される。

その結果、朝日新聞が1月3日に掲載したのが下記の記事である。

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法人税法違反(脱税)の罪に問われた中堅ゼネコン「水谷建設」(三重県桑名市)が、隠した所得約38億円のうち15億円を、関西国際空港と中部国際空港の建設工事を下請け受注するため、暴力団幹部や国会議員秘書らあてに裏金として支出していたことが、関係者の話でわかった。各捜査当局でも、裏金の額やその趣旨を把握している模様だ。巨額の公費が投入される海上空港建設で不正な資金が使われている実態が明らかになった。

複数の関係者によると、裏金のうち10億円は、関西空港工事の受注が確実視されていたゼネコンから、下請けに入る条件として支出を指示されたという。残り5億円は中部空港向けで、受注調整に影響力がある会社に下請け工事を回してもらうよう依頼する趣旨だったという。

裏金の授受の特定は難しく、各捜査当局とも、現時点では、15億円が実際に水谷建設の意図した相手に届いたかどうか確認していない模様だ。

水谷建設は03年8月期と04年同期の2年間に、所得約38億円を隠し、法人税約11億4000万円を免れたとされる。

関係者によると、中部空港をめぐっては、隠した所得のうち5億円を愛知県内の建設会社あてに支出。実体のない東京都と福島県内の法人への貸付金が回収不能になったように見せかけ、その2法人経由で現金を流す仕組みだったという。

また、この15億円とは別に、水谷建設は、三重県内で中部空港用の土砂を調達する際、地元でトラブルが起き、その解決金として数億円の裏金を支出していたという。

一方、99年着工の関西空港2期工事で、水谷建設は、受注が確実に見込まれていた元請けの共同企業体(JV)のうちゼネコン1社から、下請けに入れる条件として、地元対策のために暴力団幹部らに10億円を渡すよう指示されたという。

この10億円は、暴力団幹部や複数の国会議員秘書、元秘書に対する仲介手数料のほか、暴力団上層部への上納金などにあてるため、裏金として支出されたという。水谷建設はこの金の処理のため、兵庫県内の実体のない法人に約7億5000万円を貸し付けたが回収不能になったように仮装していたという。

水谷建設は、中部空港では、空港島や前島の造成工事などで大手ゼネコンのJVの下請けなどに入っていた。信用調査機関によると、03年8月期に同空港の下請け工事で約100億円の売り上げを計上。また、関西空港の2期工事では、和歌山市内から空港島造成に使われる土砂を運搬する事業の下請けに入った。この工事では、大手ゼネコンなどのJVが和歌山県の開発許可を得て、土砂の採掘事業を総額約1000億円で請け負っていた。水谷建設は工事受注で、裏金支出分を補填(ほてん)していたことになる。

朝日新聞の取材に対し、水谷建設は、裏金支出について「そのような事実はなかったと考えています」と回答。裏金の支出先とされる愛知県内の建設会社や国会議員元秘書も受け取りを否定。10億円の裏金支出を指示したとされるゼネコンは「事実確認ができない」と答えた。

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新聞年頭の記事で、私の記憶に残っているものでは95年に掲載された読売新聞の1面トップ記事がある。

それは松本サリン事件について、オウム真理教が関与した可能性を示唆したものであった。

その記事が書かれたことによって、オウム側は強制捜査が近いと考え、同年、3月20日の地下鉄サリン事件を起こすに至った。

このように、大手新聞社の年頭の1面トップ記事というものは社会全体、事件の当事者両方にとって極めて強い影響力をもつのである。

そこで、この1月3日の朝日新聞の記事であるが、これは佐藤栄佐久元福島県知事の逮捕(収賄容疑)に絡んだ事件で、水谷建設(三重県桑名市)が裏金を暴力団幹部に渡したというものである。

95年の例からすると、当然、その暴力団(山口組)幹部に司直の手が及ぶだろうと推測でき、いわゆるアウトロー社会側では「山口組幹部逮捕近し」という情報が流れた。

それに尾ひれがついて、検察官の定例人事異動がある3月末までに山口組幹部が逮捕されるのではないかというところまで噂が広がった。

私も95年の経験からその可能性があると考え、この記事の根拠となるところを検証した。

その結果、とんでもないことが分かったのである。

それは、この朝日新聞の記事が、この件に関して司直の手が今後、暴力団幹部に及ばないことが決定したために書かれたということである。

つまり、司直の手が届くのであれば捜査妨害になる可能性があるために書けず、逆に手が及ばないのであれば書いてもいいだろうという判断である。

ということは、実は、これはスクープでもなんでもなかったのだ。

つまり、今回の記事は他社との競争で勝てそうになかった朝日新聞が、少しでも耳目の注目を集めたかったがために書いたものなのだ。

そこから見えるものは、95年当時の読売新聞が捜査妨害の可能性があったにも関わらず記事を掲載したのに対して、今回の朝日新聞は捜査妨害の可能性が消滅してから記事を掲載したというこである。

つまり、メディア側の検察、警察権力に対する腰の引き具合が、ここ10数年間で極めてヘタレ化したと考えられる。

その結果、この記事から権力に対してますますメディア側のスリ寄りがきわだってきたという見方が出来るのだ。

こうした見方が、アウトロー史観の視点なのである。

一般読者たちの大手新聞の正月1面トップ記事の読み方とアウトロー側の読み方の違いとは、その記事によって次に何が起こるだろうか、また、前例はどうだったのかを考えるかどうかである。

そういうところに、平々凡々と生きている人間とギリギリのところで生きている人間との問題意識の差がでてくる。

もちろん、私はするどい問題意識のほうが好きである。

Profile

宮崎 学(みやざき・まなぶ)

-----<経歴>-----

1945年、京都のヤクザの家に生まれる。
早稲田大学法学部に進むが、学生運動に没頭して中退。
週刊現代記者として活躍後、京都に戻り家業を継ぐが倒産。
「グリコ・森永事件」ではキツネ目の男に擬され、重要参考人Mとして警察にマークされる。
自身の半生を綴った「突破者」で作家デビューを果たした。
2005年には英語版「TOPPA MONO」も翻訳出版された。
最近は、警察の腐敗追及やアウトローの世界を主なテーマにした執筆活動を続けている。

BookMarks

オフィシャル・ウェブサイト
http://miyazakimanabu.com/

魚の目(魚住昭責任編集)
http://uonome.jp/

-----<著書>-----


『ラスト・ファミリー 激論 田岡由伎×宮崎学』
2010年1月、角川書店


『談合文化論』
2009年9月、祥伝社


『近代ヤクザ肯定論―山口組の90年』
2007年6月、筑摩書房


『安倍晋三の敬愛する祖父 岸信介』
2006年9月、同時代社


『法と掟と』
2005年12月、洋泉社


『近代の奈落』
2005年12月、幻冬舎


『TOPPAMONO』
2005年9月、Kotan Pub


『万年東一(上)』
2005年6月、角川書店


『万年東一(下)』
2005年6月、角川書店



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