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2006年11月26日

情念の喪失〜復党問題、若者の問題意識から見えてくるもの〜

明日、27日に何かしらの結論が出るとされている造反議員復党問題だが、私は実はあまり興味がない。

現段階で、その帰趨を競馬のように予想しても意味がなく、それよりも、まずはこの問題の本質を考えるべきである。

まず、私はなぜ造反議員たちが復党を望むのかがよく分からない。まったくと言っていいほど彼らの理屈というものが見えてこない。

離党覚悟で郵政民営化に反対してまで彼らが追い求めてきたものとは何なのか。

つまり、復党したいという彼らの気持ちと離党してまで成し遂げたかったこととの整合性が見えてこないのである。

これが私の持つ最も大きな疑問点なのだ。

そもそも、政党という組織は議員個人が理想とする政治目的を達成するための手段として存在するものであって、言ってしまえば道具に過ぎない。

それはトンカチやノコギリと同じようなもので古くなれば捨ててしまえばいい。

あくまでも、それらは単なる手段の一つであって目的ではないのである。

それなのに、12人の造反議員たちの行動からは彼らの理念や、もっと深い部分での情念がまったく見えてこない。

そういった意味でも、中川秀直幹事長が提示した3つの復党条件の中に復党理由を明らかにせよという項目を設けるべきではないのか。

青木幹夫参院議員会長や久間防衛庁長官といった復党させたい議員たちと復党したい議員たち、それぞれの理由がはっきりとしないというのは高校生が作る自主制作映画と同程度のレベルの話ではないか。

それを証明するかのような「去るものは追わず、来るものは拒まず」という久間防衛庁長官のコメントは、まさに今の自民党の稚拙さを表している。

今回の騒ぎを見る限り、造反議員の復党を望む議員たちは明らかに去るものを追っているではないか。

これでは、まったくの言語矛盾に陥っていると言わざるを得ない。

これは、今の政治が本来持つべき情念や理想、夢というものを完全に消失してしまっているということに他ならない。

ひいては、この国の将来がマニュアル社会として末期を迎えつつあるように思えるのである。

今回の復党問題で言えば、本来すべきこととは復党の是非を議論することではなく政治家の情念が何処にあるのかということを見極める作業なのである。

そういったことが行われていないというのは、残念ながら現在のいじめや不登校といった教育問題に見られるマニュアル社会が持つ浅薄な社会関係を如実に表しているということなのだろう。

また、25日に朝日新聞が報じた世論調査では、若年層が改憲よりも年金問題に高い関心を寄せているという結果が出ている。

これは沖縄県知事選挙でも見られた傾向で、日本の政治家の情念無きマニュアル化された理念が、安倍政権と若者たちの情念上の解離を促進していることを表している。

そもそも、安倍首相が唱えるナショナリズムとは何であるのか。

小泉政権以降、現在まで国内において盛り上がってきたナショナリズムというのは、言うなればアメリカに対しては優しく、アジアに対しては厳しいというものであり、これは変型のナショナリズムに過ぎない。

これを土台にしている現在の政治というのは極めて人工的で、そこに情念はかけらも存在しない。

その結果、若者たちが「改憲よりも年金」と考えてしまうのは極めて健全なことであり、まさにこれが今の日本の現状を表していると私は考えている。

2006年11月23日

沖縄県知事選挙〜もはや通用しない小泉型選挙〜

昨年の9月11日に行われた衆議院解散総選挙は、北朝鮮に対する国内のナショナリズムが盛り上がっていることをベースに、郵政民営化という言わば架空の焦点を論じ合った地に足の着かない選挙であった。

しかしながら、小泉元首相が退場することにより、今では選挙戦の様相が変化しているように思う。

つまり、そのような空中戦的な選挙をやっても意味がなくなり始めているのではないだろうか。

安倍政権にとって初めての国政選挙となった衆院統一補欠選挙(神奈川16区、大阪9区)は、北朝鮮による地下核実験の直後に行われた。

しかし、そのこと自体が票にあまり響かなかったことを考えれば、国内にある小泉元首相によって呼び起こされたナショナリズムが、もはや選挙に影響を与えなくなってきたと推測できる。

そして、その延長線上に今回の沖縄県知事選挙を考えると、与党側はドブ板選挙をやって野党側は風型選挙をやったのだろう。風型というのは典型的な劇場型政治である。今や、そういう政治に国民が飽き始めているのではないか。

もうひとつの見方として、私はかなり野党側が追い込んだのではないかと考えている。

つまり、野党側は決戦と言われている来年7月の参議院選挙に向けて、ある種のイメージを描くことができたのではないだろうか。

確かに、一時は今回の選挙結果により安倍は元気付けられるだろう。しかし、野党側にも収穫があったのではないか。

去年の9月11日の総選挙では、野党側が都市部のフリーターや若い失業者たちへ有効的なメッセージを出せなかったことによって、彼らが小泉支持に回り雪崩現象的な自民党の勝利となった。

おそらく、来年の参院選は都市型のそういう人たちに野党側がどのようなメッセージを送るのかというのが焦点の一つとなるだろう。

また、来年の参院選挙の決戦は地方の一人区である。
地方の一人区に関して言えば、シャッター商店街といわれる地方の景気の悪さや都市と地方の経済格差という経済の問題に対して、どれだけのメッセージを発信することができるかが勝敗の分かれ目となりそうだ。

安倍首相は「再チャレンジ」と言うが、もとを正せば小泉政権によって生まれた格差である。いくら安倍首相が「再チャレンジ」と唱えたところで説得力はなく、もはや通用しないだろう。

はたして、野党側が沖縄県知事選挙でみせたような連携を取れるのかどうか、そしてどういうメッセージを国民に発することが出来るのか。

また、自民党としては、もはや選挙方針を小泉型路線から元々のドブ板型に戻している。
だが、小泉元首相から安倍首相に継承された政権の持つイデオロギッシュな点を考えると、いまさらドブ板型ということにも抵抗があるだろうし、現に自民党は郵政造反組の復党問題も抱えている。

そういうことから考えると、来年の参院選は混戦模様となるだろう。

2006年11月20日

沖縄県知事選挙〜沖縄県民のリアリティ〜

19日、沖縄県知事選が投開票され、自民と公明が擁立した仲井真弘多氏が、民主や共産、社民などが推した糸数慶子氏らを破り、初当選した。

沖縄県選挙管理委員会によると、当日有権者数は103万6743人で、投票率は64.54%。確定得票は、仲井真弘多氏が34万7303票、糸数慶子氏が30万9985票という結果となった。

今回の沖縄県知事選は、米軍基地問題に対する「平和理念」と県内の高い失業率などに対する「経済理念」の争いであったといえる。

戦後の日本型選挙というのは、平和や民主主義というような、いわゆる平和理念追求型の政策を掲げた勢力と地元経済に関する対策を掲げた勢力との争いであり、ほとんどは平和理念型が敗北してきた。

今回の選挙も、そういう意味ではこれまでの日本型選挙の繰り返しに過ぎないという見方ができる。

これまで、戦後の日本の革新派(野党側)が持ち続けてきた問題点のひとつに、低所得層を組織できなかったということがあげられる。今回の選挙結果は、その弱点が如実に現れた典型的な結末だといえるだろう。

なぜなら、今回の選挙が行われた沖縄県は失業率が非常に高く失業者が多い。

つまり、彼らの視点で考えれば、いくら野党側が基地の問題を通じて平和理念を説いたとしても、彼ら自身の要求と理念が直結しない限り票を集めることは難しい。

これは私の想像に過ぎないのだが、失業者たちは野党側の運動を行っている人々を生活安定者として捉えているのではないだろうか。失業者側が持っている不安感というのが、全体政治に向かわずに自分たちよりも少し条件のよい生活を送る人々に対しての反発を生み出しているのではないのか。

現在、大勢の沖縄の人々が職を求めて東京に出てきている。先日、私が乗り合わせたタクシーの運転手もその内の一人であった。沖縄には、今も彼らと同じような状況下にある人々が大勢残っているのだ。

19日に行われた朝日新聞社と沖縄タイムス社の共同出口調査では、「新しい知事に最も力を入れてほしい点は?」という質問に56%の人々が「経済の活性化」と答え、「基地問題」は28%であった。

確かに、県民の多くは反基地感情を抱いているであろう。

とはいえ、高い失業率の中で自分たちがいかに生活していくのかを優先的に考えてしまうのは当然のことともいえる。

今回の選挙では、野党側がそういう彼らの心情を掬いきれなかった。

今後、野党側がこのような民衆内部の感情的反発を配慮していかない限り、同じことが繰り返されるだけである。

そして、今回の与党側の勝利は安部政権を徹底的に後押しすることになるだろう。

これからは相当強引な国会運営がなされていくに違いない。

2006年11月16日

『安倍晋三の敬愛する祖父岸信介』出版記念シンポジウム&サイン会

本誌ブロガーの宮崎学氏の新著『安倍晋三の敬愛する祖父岸信介』の出版記念シンポジウム&サイン会が2006年11月11日、東京・神保町の東京堂書店において、開催されました。

そのもようをPod Commonsでダイジェストでお伝えます。

今回はダイジェスト版です。

シンポジウム&サイン会
安倍晋三の〈政治的DNA〉と政権の未来―『安倍晋三の敬愛する祖父岸信介』(同時代社)出版記念―
パネラー:宮崎 学、平野貞夫、大窪一志
日時:2006年11月11日(土)18時30分から20時30分(開場18時15分)
場所:東京堂書店神田本店6階にて

ダウンロード(映像の配信は終了しました)

2006年11月 9日

北海道はこれでいいのか!『道政・道警・裏金報道』を考える集い:ノーカット配信中

宮崎学氏が発起人になった「北海道はこれでいいのか!『道政・道警・裏金報道』を考える集い」の模様をPod Commonsで配信しています。

YouTubeからも視聴できます。

2006年11月 5日

北朝鮮の「戦術」と日本の「過剰反応」

11月4日、朝鮮中央通信社は北朝鮮の外務省報道官による次のようなコメントを伝えた。

「我々は一度も日本に6カ国協議への参加を要請したことはない。日本が6カ国協議に参加しないのならこの上なくよいことであり、参加人数が少なくなることは協議の効率を高めるうえで決して悪くない。日本の首相や外相らが、『核保有国という前提の下では、北朝鮮を6カ国協議に受け入れる考えはない』と身の程知らずの言動をしている。我々はこれまで日本が協議に参加することを好ましく思わなかったが、他の参加国との関係を考慮して適当に接してきた。米国の一つの州に他ならない日本があえて地方代表として協議に参加する必要はない。米国から協議結果でも聞かせてもらえばいい。日本では(新)政府が構成されたばかりで国内的にも忙しいことが多いのに、6カ国協議で様子をうかがったりせず、自らの家のことにでも神経を使う方がよかろう」

このコメントに対する3大新聞の反応は以下の通り。

●朝日新聞
「6者協議の再開にあわせて日本人拉致問題の早期解決を改めて訴え、核実験強行に対する圧力を強める日本を牽制する狙いだ」
●読売新聞
「北朝鮮の核実験や拉致問題で厳しい姿勢を取る日本を強くけん制するとともに、協議が進展しなかった場合の責任を日本に押しつける布石と見られる」
●毎日新聞
「日本の警察当局が、曽我ひとみさん(47)と母ミヨシさん(行方不明時46歳)の拉致事件で北朝鮮の女工作員、通称キム・ミョンスク容疑者の逮捕状を取ったことに反発したものとみられる。日本政府は6カ国協議が再開されれば、拉致事件を取り上げる方針だ」

 私は、これら3社とも間違った評価をしていると考えている。これまで、日本の各メディアは「北朝鮮は一体何を考えているのか分からない」という報道を行ってきた。しかしながら、私は北朝鮮の狙いを非常に分かりやすいものだと考えている。

 北朝鮮は6カ国協議の場において、北朝鮮を除く他の5つの国の中で日本が1番弱い『環』だと考えている。過剰な反応を示す日本の体質を、彼らは完全に読みきっているのである。つまり、この種のコメントを出すことにより、日本国内において日本独自の制裁をさらに強化しようという動きが出てきたり、 自民党の中川昭一政調会長や麻生太郎外相にみられる『核武装論』が噴出することを計算し、その過剰反応に米、中、ロ、韓の4国が反発して日本が孤立する。その結果、北朝鮮は6カ国協議のイニシアティブを取れると考えているのである。残念ながら、日本における優秀ではない頭脳の持ち主たちは、今後も彼らの計算どおりの反応を示すことになるであろう。

 6カ国協議の本質をもう一度考え直してみると分かりやすいのだが、実は労働組合運動においては、このような団体交渉はよく行われていることなのだ。団体交渉の席上で、組合側(6カ国協議でいえば北朝鮮側)が経営者と交渉する際、一番に狙い撃ちするのは最も頭の悪い役員を挑発するということである。冷静な計算のうえで役員を挑発して暴言を引き出すことにより団体交渉を有利に進め、自分の目的とする獲得物を得る。今回の北朝鮮のコメントは、労働組合運動を少しでも経験したことがある者にとって常識ともいえる戦術なのだ。まさに、日本は6カ国協議において、団体交渉における頭の悪い役員の位置にいるのである。そして、ものの見事に北朝鮮の戦術に引っかかっているのだ。

 よくよく考えてみれば、労働組合における団体交渉の席上で、馬鹿げた計算のできない対応をする役員というのは、その会社の創設者の2代目や3代目に多い。いま、『核武装論』を唱えているのもまた、2代目、3代目の政治家たちという現実を考えると、なんとも皮肉であるが、「なるほど」と言わざるを得ないのである。

Profile

宮崎 学(みやざき・まなぶ)

-----<経歴>-----

1945年、京都のヤクザの家に生まれる。
早稲田大学法学部に進むが、学生運動に没頭して中退。
週刊現代記者として活躍後、京都に戻り家業を継ぐが倒産。
「グリコ・森永事件」ではキツネ目の男に擬され、重要参考人Mとして警察にマークされる。
自身の半生を綴った「突破者」で作家デビューを果たした。
2005年には英語版「TOPPA MONO」も翻訳出版された。
最近は、警察の腐敗追及やアウトローの世界を主なテーマにした執筆活動を続けている。

BookMarks

オフィシャル・ウェブサイト
http://miyazakimanabu.com/

魚の目(魚住昭責任編集)
http://uonome.jp/

-----<著書>-----


『ラスト・ファミリー 激論 田岡由伎×宮崎学』
2010年1月、角川書店


『談合文化論』
2009年9月、祥伝社


『近代ヤクザ肯定論―山口組の90年』
2007年6月、筑摩書房


『安倍晋三の敬愛する祖父 岸信介』
2006年9月、同時代社


『法と掟と』
2005年12月、洋泉社


『近代の奈落』
2005年12月、幻冬舎


『TOPPAMONO』
2005年9月、Kotan Pub


『万年東一(上)』
2005年6月、角川書店


『万年東一(下)』
2005年6月、角川書店



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