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2005年12月22日

「強制捜査」という幕引き

 最近世間を騒がせている姉歯元建築士等による耐震構造の偽造事件は、12月20日に警察による「強制捜査」が行われて新たな展開となった。この問題について、私は以下のように考える。

 まずこの「強制捜査」は、この事件の本質を明らかにし、その真実の責任追及を恐れた官僚と政治家を守らんとする「偽装」工作である。この種の官僚や政治家が関わった事件が、検察、警察の手に渡ると、それは必ず「ある一線」でストップしてしまうのが、この国の習慣である。今回もその「習慣」となった。この習慣は、検察がロッキード事件で当時の自民党幹事長であった中曽根康弘氏への刑事的追求を放棄したという歴史を思い起こすまでもないことである。

 さて今回の事件の本質は、まず第一に「官から民へ」という思想と方法が欠陥のあるものであり、絶対的な価値基準のようにこれを繰り返す小泉首相の存在そのものを否定するという質である。第二の点は、ヒューザー等からの政治献金が、なぜか事件の最初に登場していた自民党森派の伊藤公介議員等をパイプとして、小泉氏が総裁選挙に立候補した際の2000年の自民党総裁選挙の際に出ていたのではないかという疑惑の解明である。つまり現在の権力の中枢との癒着が臭う点である。

 ところでこの強制捜査は、解明の作業、とりわけ国会の国政調査権がこの2点にたどり着くことに、検察、警察が小泉政権の擁護の立場から妨害に入ったというのが現時点の展開の特徴である。こうした状況をもっとも敏感に反映しているのがテレビメディアの論調の「早く逮捕しろ」コールである。仮に今名前の挙がっている何名かを逮捕したとしよう。そうするとその先は、全ての情報と追求は、警察の手に委ねられるところとなる。その検察、警察が恐るべき腐敗状況にあるこの国においては、検察と警察が自らの利害のために、政治権力中枢に不都合なものは隠蔽する可能性が極めて高い。スネに傷を持つ、検察、警察が国会内で圧倒的な「数」を握り、強力とされる小泉政権にすり寄り、自らの問題が追求されることを乗り切ってきたのが、小泉政権下の検察、警察権力の関係である。

 腐敗の追及を国策調査という政権へのお土産を繰り返すことで逃げ切った検察、警察権力が、小泉政権との力関係の逆転のために全力を挙げ乗り出したのが、今回の強制捜査といえないだろうか。そうしたことから、12月20日の強制捜査は、検察、警察の小泉政権への5日早いクリスマスプレゼントと言えよう。

2005年12月15日

二つの衝撃

 2005年という年が終わろうとしている。今年は、私個人にとっては、還暦ということもあり、柄にもなく「時間の流れ」とか「現実」といったことをそれなりに考えることが多かった。そうした時、今年という年は、実に生々しい感情の起伏を持たざるを得ない年だったと思っている。

 ところで、今年私は目の前で起きた二つの出来事に衝撃を受けた。一つは9月11日の「小泉の圧勝」であり、もう一つは、8月27日の山口組の五代目から六代目への継承である。二つの出来事が、半月くらいの間に連続的に起きたために、どうしても対比して考えるところとなった。

 「小泉の圧勝」という出来事は、国政選挙という「正史」の部分である。一方、山口組の代替わりは、明らかにアンダーグラウンドの社会の変化であり「裏面史」でしかない。私の問題意識からすると、「裏面史」の方に関心があるのであるが、それでも9月11日の「小泉の圧勝」は、それなりに衝撃ではあった。しかし考えてみるに、ここに示された結果は、「愚者と愚民」の波長がある条件の下に共鳴、増幅した現象にすぎない。もちろんこの「愚者と愚民」の波長は、一定の程度はメディア等によって人為的に操作されたところはあるだろうけれど、その基本的な構造は「バカがバカを詐欺った」というところであると私は考える。そうしたところから、今年私が9月11日に持った衝撃感というものは、わが国の民度の劣化がスピードを増加させていて、私の「想定の範囲」を超えていたというところによるものであった。

 私は、この「正史」には「感動」のかけらも持たなかったが、8月27日の山口組の代替わりには、腹の底にズンとくる「感動」を衝撃として受けた。1980年代から、日本のヤクザ組織はある種の均質化を深め、かつてのようにA組とB組が組織の存亡をかけた「抗争」というようなことはなくなっていた。そのため「抗争」があるとしたら、A組内、B組内の組長の座を競う過程で起きる「内部抗争」であった。とくに山口組は、1985年に勃発した「山一戦争」、それに加えて1997年の宅見若頭射殺事件等に見られるように「政権の平和的移行」がむずかしいとされていただけに、8月27日に一発の銃弾も飛ばずに代替わりしたことに、そこに私は深い衝撃を受けた。これは「賢者の道」であったと言えよう。

 今年この国では、表社会は「愚者の選択」を行い、裏社会は「賢者の道」を歩んだ。

参考

山一戦争(1985年〜1989年)

 山口組四代目竹中組長射殺を端に発した、山口組と同組から離脱した一和会の抗争事件。双方に死者25人、負傷者68人、発生件数延べ317件に達する戦後ヤクザ界最大の抗争事件。

宅見若頭射殺事件(1997年)

 平成9年8月28日、神戸市内のホテルに集まっていた山口組宅見勝若頭と幹部数名が、同じく山口組系中野会の傘下組織の組員に銃撃され、銃弾7発を浴びた宅見若頭が死亡した事件。同席した幹部数名は無傷だったが、付近にいた歯科医が流れ弾に当たり死亡した。

2005年12月14日

突破者の独り言

 誰に同意を求めるわけでもない。ただ、現代という時を生きるにあたって、私はこう思う、そしてこれだけは言っておきたいということがある。

 とりわけ時代が、一つの方向に大きく傾斜する際には、とくにその思いが深くなるものである。その時、傾斜する方向などにはさして関心はない。それが右であろうが左であろうが大差ないと思うからである。

 その時々に思うがまま、感ずるがままを素直に語り続けようと思う。それが私にとって自由であり得る唯一の行為として。

Profile

宮崎 学(みやざき・まなぶ)

-----<経歴>-----

1945年、京都のヤクザの家に生まれる。
早稲田大学法学部に進むが、学生運動に没頭して中退。
週刊現代記者として活躍後、京都に戻り家業を継ぐが倒産。
「グリコ・森永事件」ではキツネ目の男に擬され、重要参考人Mとして警察にマークされる。
自身の半生を綴った「突破者」で作家デビューを果たした。
2005年には英語版「TOPPA MONO」も翻訳出版された。
最近は、警察の腐敗追及やアウトローの世界を主なテーマにした執筆活動を続けている。

BookMarks

オフィシャル・ウェブサイト
http://miyazakimanabu.com/

魚の目(魚住昭責任編集)
http://uonome.jp/

-----<著書>-----


『ラスト・ファミリー 激論 田岡由伎×宮崎学』
2010年1月、角川書店


『談合文化論』
2009年9月、祥伝社


『近代ヤクザ肯定論―山口組の90年』
2007年6月、筑摩書房


『安倍晋三の敬愛する祖父 岸信介』
2006年9月、同時代社


『法と掟と』
2005年12月、洋泉社


『近代の奈落』
2005年12月、幻冬舎


『TOPPAMONO』
2005年9月、Kotan Pub


『万年東一(上)』
2005年6月、角川書店


『万年東一(下)』
2005年6月、角川書店



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