Calendar

2011年4月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

Recent Comments

メイン

記事 アーカイブ

2010年7月14日

悩ましい選挙の悩ましい結果

 敗者が誰かははっきりしている。しかし勝者が誰かとなると良く分からない悩ましい選挙結果だった。一応自民党が15議席増やして改選第1党になった事から勝者に見える。党の幹部らが人指し指を立てて笑顔を振りまけばそう思う。しかし比例の結果を見ると、自民党は惨敗した3年前よりさらに得票率と当選者数を減らしている。

 3年前の自民党は得票率28%で14人を当選させた。しかし今回は24%で12人しか当選していない。因みに6年前は30%で15人が当選した。比例を見る限り自民党の長期低落は変わらず、今回の選挙で史上最低を記録した。

しかも議席を増やしたとは言え自民党は非改選と合わせて84議席と参議院242議席の3分の1をわずかに上回る程度である。55年体制下で万年野党の社会党は「3分の1政党」と言われたが、自民党はその程度なのである。

自民党が議席を増やす事が出来たのは選挙区、とりわけ1人区で民主党との攻防を制したからである。3年前に23対6で民主党に負けたのを21対8と逆転した。1人区だけで15議席増やした。その理由を私は民主党の路線転換と自公選挙協力にあると見ている。

続きを読む "悩ましい選挙の悩ましい結果" »

2010年7月 5日

悩ましい日本の政治構造

 参議院選挙も折り返しを過ぎていよいよ終盤に入った。菅総理の「消費税発言」によって野党第一党の自民党は攻め手を失ったが、一方でそれは菅政権の支持率を押し下げ、民主党の中にも「反消費税」を訴える候補がいて選挙は複雑な様相を見せている。07年の参議院選挙、09年の衆議院選挙のように国民の心に突き刺さる要素はなく盛り上がりを欠くが、しかし選挙の帰趨を決める1人区では多くの所で民主党と自民党とがデッドヒートを繰り広げている。与党が勝つか野党が勝つかは全く予断を許さない。

続きを読む "悩ましい日本の政治構造" »

2006年10月30日

小沢代表仮病説

10月18日の「党首討論」では期待感が大きかったせいか小沢代表の攻め方に失望を感じた国民が多かったようだが、その日の国会TV「政局放談」では、評論家の金子仁洋氏が「孫子の兵法によれば、運気盛んな相手に対しては居丈高に太刀打ちしないものだ。小沢ほどの政治家ならばそういう戦略があり得る」と解説した。

ところが27日放送の「言いたい放題・金曜ナイト」では、ジャーナリストの中博氏が手厳しい小沢民主党批判を展開した。

中氏によれば、複数の官僚から、小沢代表の入院は仮病だという話を聞いたという。安倍政権の誕生が決まったときで、本来ならば野党第一党の党首としてコメントやメッセージを発しなければならないのを逃げたというのだ。政治的策略で政治家が病院に逃げ込む話は良くあるが、時が時だけに仮病が事実だとしたら国民をバカにした話である。

続きを読む "小沢代表仮病説" »

2006年10月27日

北朝鮮の核とアメリカ(2)

 米朝枠組み合意に対する批判のポイントは、毎年50万トン提供する重油が国民の生活ではなく軍事用に転用されないか、核開発計画の凍結が本当に守られていることをどうして証明できるのか、数々のテロ行為を重ねてきた国をなぜ信用できるのかという点である。そうした批判にさらされながらも枠組み合意は実行に移されていった。

 北朝鮮を国際社会に復帰させようとするクリントン政権は1996年4月、朝鮮半島の恒久的平和を達成するため、南北朝鮮に中国とアメリカを加えた「四者会談」を提案して平和協定を締結しようとした。しかし北朝鮮は韓国を排除し、朝鮮戦争の休戦協定に替わる平和協定を直接アメリカとの交渉で締結したいと主張した。

 同年9月、北朝鮮の潜水艦が韓国領内に侵入、武装軍人が上陸して韓国軍と銃撃戦ののち射殺される事件が起きた。このため韓国政府は原子力専門家の北朝鮮派遣を中止、軽水炉建設への協力も白紙撤回するそぶりを見せた。

 北朝鮮との直接対話に応じる姿勢のアメリカに韓国の金泳三政権は不信感を募らせ米韓の間に対立が生まれた。

続きを読む "北朝鮮の核とアメリカ(2)" »

2006年10月23日

孫子の兵法

国会TVで月に一度放送している「政局放談」は、かつて私が担当ディレクターだったこともあるTBSの「時事放談」の味わいを再現しようとしている番組である。

先週、安倍対小沢の初の党首討論を巡ってこんなやり取りがあった。

「北朝鮮の核実験は安倍総理に追い風になった。自民党内には相手が小沢だけに安倍で大丈夫かと言う声もあったが、国民に人気があるからまあ良いかということだった。しかし予算委員会のやり取りを見ているとなかなかやるわいということになり、今日の党首討論では安倍の勝ちだと党内はみな言っている。」(愛知 和男・自民党衆議院議員)

「孫子の兵法では敵の意気盛んなときは避ける。敵が疲れてきた時に一気に攻める。小沢さんは稀代の戦略家だからそういうことかもしれない。北風が吹いて颯爽としているときに居丈高にやってみてもはじまらない。静かにしている。小沢が負けたといっている政治家を小沢は腹の中で笑っているかもしれない。政治家は紋切り型ではできない。その場その場で使い分ける。未熟な政治家にはわからないかもしれないが、小沢ほどになればありうる」(評論家・金子 仁洋氏)

続きを読む "孫子の兵法" »

2006年10月20日

北朝鮮の核とアメリカ(1)

 10月9日に北朝鮮が地下核実験を強行し、北東アジアの安全保障問題がにわかに世界の大テーマとなった。

 北朝鮮の核疑惑が注目され始めたのは、旧ソ連邦が崩壊し冷戦に終止符が打たれた1991年以降のことである。当時のアメリカはおよそ半世紀にわたる冷戦体制が終わったことで、世界がどう変わるのか、新しい世界を構築するために何をすべきかを徹底議論していた。

 「国会TV」ではアメリカの議会専門チャンネルC-SPANの映像素材を使い、連邦議会やシンクタンクの議論を「冷戦後のアメリカは何を議論してきたか」と題して放送している。

 今回はその中から北朝鮮の核問題についてアメリカがこれまでどのような議論を積み重ねてきたのかを紹介したい。

 冷戦の時代とは米ソの核競争の時代であり、核の抑止力によって熱い戦争は回避されてきた。しかし旧ソ連が崩壊したことでソ連の管理下にあった核物質や核技術が拡散する恐れが出てきた。一方、世界で一箇所だけ冷戦が終わっていない朝鮮半島では、実験用原子炉を使って北朝鮮がどのような核開発を行っているのか、実態はまったく秘密のベールに包まれていた。アメリカにとって北朝鮮の核が大きな懸念となった。

続きを読む "北朝鮮の核とアメリカ(1)" »

「闘う政治家」の「闘う相手」(2)

 9月29日、安倍総理は国会で初の所信表明演説を行った。

 これは年頭に政策課題を述べる施政方針演説とは異なり、自らが日本国の最高権力者に就任した事でこれからどのような国造りを行うかを宣言するいわば就任演説である。

 私は常々、施政方針演説は各官庁にその年の政策課題を提出させ、それを基に演説原稿を作るので、原稿を読むのは仕方がないとしても、一生に一度しかない就任演説は原稿を読まずに、短くとも政治家としての自分の思いを自分の言葉で語りかける方がどれほど国民の心に響くか分からないと思ってきた。かつて総理に就任する直前の政治家に提案したこともある。しかし「霞ヶ関から原稿がくるからなあ・・・」というのが答えであった。

続きを読む "「闘う政治家」の「闘う相手」(2)" »

2006年10月 8日

「闘う政治家」の「闘う相手」(1)

 日本にもやっと戦後生まれの総理大臣が誕生した。
 
 安倍内閣総理大臣はそのことを十分意識しているようで、9月29日に行われた所信表明演説の冒頭で自分が「初の戦後生まれの総理」であることに言及している。
 
 第二次世界大戦後に生まれた初の政治指導者として世界の注目を集めたのは、今から13年前に第42代アメリカ合衆国大統領に就任したビル・クリントン氏である。当時47歳の若さであった。
 
 湾岸戦争に勝利して一時は80%を超える高支持率に支えられた現職のブッシュ大統領に挑戦し、ひたすら「チェインジ」を訴えて大統領選挙に勝利した。

続きを読む "「闘う政治家」の「闘う相手」(1)" »

2006年9月28日

ロッキード事件の真相

 30年前の7月27日早朝、私は東京地検の玄関前にいた。暑い夏の日差しが照りつけてきた午前7時20分、黒塗りの車が地検の玄関前に止まり、中から日焼けした顔の田中角栄前総理(当時)が降りてきた。直ちに無線機で社のデスクに一報を入れたが、すぐには信じてもらえなかった。「田中角栄が東京地検に入りました」と三度繰り返してやっとデスクも納得した。戦後最大の疑獄事件と言われるロッキード事件の田中逮捕の瞬間である。

 誰もが予想しない前総理の逮捕に日本中が衝撃を受けた。以来、ロッキード事件は「総理大臣の犯罪」となり、金権政治の象徴として田中角栄が糾弾された。それまで「庶民宰相」、「今太閤」と田中を持ち上げてきたマスコミは、手のひらを返したように田中批判に転じた。

 しかし事件の発覚当初から取材してきた私には、この日の田中逮捕が事件の全容を見えなくする「目くらまし」に思えてならなかった。

続きを読む "ロッキード事件の真相" »

2006年9月14日

小泉純一郎と中曽根康弘(4)

 小泉が自民党総裁に選ばれる直前、自民党はどん底だった。

 2001年の年明けからKSD事件、外務省機密費流用事件などのスキャンダルが相次ぎ、2月にはアメリカの原子力潜水艦に衝突された水産高校の練習船「えひめ丸」がハワイ沖で沈没、一報を受けた森総理がゴルフに興じていたことから世論の厳しい批判を浴びた。内閣支持率は一桁となり、地方党員からは7月に予定されている参議院選挙を戦えないと悲鳴が上がった。森退陣は避けられない状況だった。退陣のシナリオを書いていたのは最大派閥で、その中心人物は野中広務である。野中は公明党と連携しながら森政権の息の根を止めようとしていた。

続きを読む "小泉純一郎と中曽根康弘(4)" »

2006年9月12日

小泉純一郎と中曽根康弘(3)

 松野頼三は、「ズル平」とあだ名された衆議院議員松野鶴平の三男で、昭和22年に総理大臣吉田茂の秘書官となり、その年の総選挙で田中角栄、中曽根康弘らと共に衆議院議員に初当選した。

 昭和30年の保守合同で自民党が結成されると佐藤栄作派に所属し、佐藤栄作の後継を決める角福戦争では福田赳夫を支持して田中と対立した。

 田中退陣後の三木武夫内閣では福田派から三役に送り込まれて政調会長を務めたが、三木内閣が自民党内で孤立し、全党的な「三木おろし」が始まると、三木を守るために福田と疎遠になり、福田からは「はぐれガラス」と批判された。中曽根内閣では中曽根再選を阻むため二階堂擁立工作に荷担したと言われている。

続きを読む "小泉純一郎と中曽根康弘(3)" »

2006年9月 8日

小泉純一郎と中曽根康弘(2)

 前回述べたように、中曽根康弘は最大派閥にくさびを打ち込むため、金丸信、竹下登と秘かに気脈を通じていた。田中角栄の支援によって中曽根が自民党総裁に再選されて間もなく、金丸と竹下は「創世会」を結成して田中派は分裂状態になる。そしてその直後に田中は病に倒れ、田中による裏支配政治は終わった。

 小泉純一郎は、橋本派の青木幹雄と野中広務との間にくさびを打ち込んだ。持論の郵政民営化を力説して郵政族のドン野中を挑発する一方、参議院のドンである青木には十分に気配りした。青木とのパイプ役には早稲田大学雄弁会仲間の森喜朗も一役買う。

続きを読む "小泉純一郎と中曽根康弘(2)" »

2006年9月 6日

小泉純一郎と中曽根康弘(1)

 2001年4月に小泉政権が誕生したとき、国民は熱狂的に「変人宰相」の登場を歓迎した。内閣支持率は80%を越え、自民党本部が東京の観光名所になるという異常な社会現象まで生んだが、政治のプロ達はその時点で誰もこの政権が長続きするとは思っていなかった。
 
 なぜなら党内基盤が脆弱で、しかも総理になるのに十分な外交経験も、これといった政策も持ち合わせていないと思われたからだ。かねてから郵政民営化を主張してはいたが、それは自民党では支持されない政策だった。

続きを読む "小泉純一郎と中曽根康弘(1)" »

Profile

田中良紹(たなか・よしつぐ)

-----<経歴>-----

1945年宮城県仙台市生まれ。
1969年慶應義塾大学経済学部卒業。
同年(株)東京放送(TBS)入社。
ドキュメンタリー・デイレクターとして「テレビ・ルポルタージュ」や「報道特集」を制作。また放送記者として裁判所、警察庁、警視庁、労働省、官邸、自民党、外務省、郵政省などを担当。ロッキード事件、各種公安事件、さらに田中角栄元総理の密着取材などを行う。
1990年にアメリカの議会チャンネルC-SPANの配給権を取得して(株)シー・ネットを設立。
TBSを退社後、1998年からCS放送で国会審議を中継する「国会TV」を開局するが、2001年に電波を止められ、ブロードバンドでの放送を開始する。
2007年7月、ブログを「国会探検」と改名し再スタート。

BookMarks

日本初の政治専門チャンネル!
↓ ↓ ↓
国会TV
http://kokkai.jctv.ne.jp/

-----<著書>-----


『裏支配─いま明かされる田中角栄の真実』
2011年1月、電子書籍


『メディア裏支配─語られざる巨大マスコミの暗闘史』
2005年3月、講談社

-----<編書>-----


『憲法調査会証言集─国のゆくえ』
2004年7月、現代書館

→ブック・こもんず←



当サイトに掲載されている写真・文章・画像の無断使用及び転載を禁じます。
Copyright (C) 2008 THE JOURNAL All Rights Reserved.