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    <title>田中良紹の「国会探検」</title>
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    <updated>2010-02-06T08:55:07Z</updated>
    
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    <title>国民の敵</title>
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    <published>2010-02-05T09:25:46Z</published>
    <updated>2010-02-06T08:55:07Z</updated>

    <summary>　主権者である国民が選んだ新政権が初めての予算案を組み、それを審議しようとしてい...</summary>
    <author>
        <name>田中良紹</name>
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        <![CDATA[<p>　主権者である国民が選んだ新政権が初めての予算案を組み、それを審議しようとしていた矢先に、「思い込み」によって現職議員を逮捕し、「ガセ情報」をマスコミに書かせ、国民生活に直結する予算審議を妨害した日本の検察は民主主義の原理を無視した「国民の敵」である。民主主義の国でこんな検察はありえない。</p>]]>
        <![CDATA[<p>　民主主義にとって最も重要なのは国民が自らの権利を行使する「選挙」であり、次に国民の意思を代表し、国民の権利を拡張する「国会」である。従って国民の代表である議員は最大限に尊重されなければならない。民主主義でない国ならいざ知らず、民主主義国で議員が逮捕される事など滅多にない。あるとすれば国民の利益を著しく損ねる行為をした場合で、いわんや「思い込み」で逮捕する事は絶対に許されない。そんな事をする検察は国民の手で解体される。</p>

<p>　ところが「思い込み」による現職議員逮捕が日本で起きた。国会開会直前に石川知裕衆議院議員が政治資金規正法違反で逮捕されたのである。かつて秘書時代に政治資金収支報告書に虚偽の記載をした容疑だと言う。この容疑が現職議員を逮捕する理由になると断言できる法律家がいたらお目にかかりたい。逮捕は、1.逃亡の恐れがある。2.証拠隠滅の恐れがある。3.自殺の恐れがある場合にのみ認められるが、本人は過去の記載ミスを認めているので、虚偽記載の容疑での逮捕は本来ありえない。</p>

<p>　裁判所がよく逮捕状を出したと思うが、検察の狙いは水谷建設からの裏金の受領を認めさせるところにあったと思う。つまり政治資金規正法違反での逮捕は別件逮捕である。それを水谷建設からの裏金疑惑につなげようとしたのなら「思い込みによる逮捕」となる。検察が十分な証拠もなく「思い込み」だけで現職議員を逮捕する国など世界中のどこにあるのだろうか。</p>

<p>　前回紹介した「歪んだ正義」、「『特捜』崩壊」、「知事抹殺」、「リクルート事件―江副浩正の真実」などを読むと、検察の手口は毎回、1.思い込みによってまず事件の構図を検察が作文する。2.別件で逮捕し、取り調べで検察が作った事件の構図を認めるよう強要する。3.検察が作成した自白調書への署名を拒むと「お前の家族がひどい目にあう」とか「いつまでも拘留してみせる」とか脅し、「取り調べで抵抗するよりも裁判で本当の事を言えば良い」と思わせる。4.署名さえさせれば「でっちあげ」の容疑で起訴する。5.裁判は時間がかかるので誰も注目せず、検察が描いたシナリオだけが国民の頭に刷り込まれる。</p>

<p>　こうしてロッキード事件、リクルート事件、東京佐川急便事件、大蔵省接待汚職事件、福島県汚職事件などが次々「でっちあげ」られ、検察にとって目障りな政治家が血祭りに上げられてきた。この検察の「でっちあげ」捜査を後ろからバックアップしたのが新聞、テレビ、旧社会党、日本共産党、公明党などである。これらもまた日本の民主主義を破壊する「国民の敵」と言うべきである。</p>

<p>　ところが国民は、自分の生活を考えるより政治家が叩かれてその地位を失っていく様を見る方が面白い。リンチの時の大衆心理と一緒で「もっとやれ！」となる。自分たちの代表を殺す事は天に唾する行為で、唾が自分に戻ってくるとはつゆほども考えない。こういう国民を下衆（ゲス）と言う。支配する側は国民が賢くなって貰っては困る。下衆の方が都合が良い。新聞とテレビを使ってせっせと下衆を増やしてきた。これが日本に官僚支配を長く続かせた理由である。</p>

<p>　政治家を生かすも殺すもその権利は国民にある。それが国民主権の原理である。それを横から入ってきて「ガセ情報」を振り回し、国民の代表を殺されてはたまらない。「ガセ情報」とは一方の言い分だけを流すことを言う。表から裏から、右から左から、上から下から見ないと物の形は分からない。ところが一方だけから見た情報を新聞とテレビは垂れ流してきた。これはもはや犯罪行為である。</p>

<p>　石川知裕衆議院議員が起訴された事で自民、公明、みんなの党が議員辞職勧告決議案を国会に提出した。これらの政党は国民の権利を無視して国会が政治家を殺すと言っているのである。しかも数々の「でっちあげ」を続けてきた検察の判断を鵜呑みにして有罪かどうかも分からない政治家を殺そうとしている。つくづく民主主義に無知な政治家が多くなった事を思い知らされた。特に自民党に対しては「そこまで堕ちたか」との感慨を持つ。</p>

<p>　政権交代以降の国会を見ていると自民党議員の質の劣化が目に付く。国民生活に関わる質問をせずに、「政治とカネ」ばかりを追及するやり方はかつての社会党を彷彿とさせるが、しかし質問のレベルは社会党より悪い。つまらない揚げ足取りや、嫌がらせに近い質問を繰り返す様は、この政党が政権を担う気がない事を暴露しているかのようだ。先進民主主義国では政権を失った政党は１０年先を見据えてリーダーを選び、現政権の政策を十分に咀嚼する。その上で次の時代の政権を担うべく政策を準備する。この繰り返しが国家を前進させ、政権交代に意味が出てくる。</p>

<p>　ところが自民党は単なる足の引っ張りである。そんな政党に誰が期待を寄せると思っているのだろうか。お陰で政局は与野党の対立にならず、専ら小沢ＶＳ検察の構図となった。良くも悪くも小沢幹事長の存在感が大きくなる反面、自民党は存在感を失って見えない。検察の捜査に助けられて国会で質問を繰り返す様には哀れを感ずる。</p>

<p>　検察の処分が決まった４日にコメントを出した政治家の中に、何故か前の総理と前の前の前の総理がいたことは暗示的だった。二人とも旧内務省勢力に依拠して政権運営を行った総理である。そしてもはや誰もが「無罪」と考えている「西松建設事件」を仕組んだ当事者である。日本を占領したＧＨＱは軍国主義を一掃するため、特高警察などで知られる旧内務省を解体し、大蔵省を官僚組織の中枢に据えた。旧内務省勢力は失地回復を図るべく安倍、麻生という二人の総理に協力した。</p>

<p>　今回の事件がそういう流れの中にあるのなら、戦前の「特高」に代わる現代の「特捜」を抱えた検察を国民は解体しなければならない。国民は国民の代表である政治家を使って検察を解体させれば良い。司法試験を通ったからと言って検事になれるのではなく、他の民主主義国と同様にさらに国民の選挙で選ばれなければ検事にはなれないようにすれば良い。そうしないと国民主権は実現出来ない事を今回の事件は示している。<br />
</p>]]>
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    <title>権力闘争の構図</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.the-journal.jp/contents/kokkai/2010/01/post_206.html" />
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    <published>2010-01-27T05:42:00Z</published>
    <updated>2010-01-27T08:29:03Z</updated>

    <summary>　「国民主権」の国家では、国民から選ばれた政治家や政党が国の進路や政策を巡って争...</summary>
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        <name>田中良紹</name>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.the-journal.jp/contents/kokkai/">
        <![CDATA[<p>　「国民主権」の国家では、国民から選ばれた政治家や政党が国の進路や政策を巡って争い、それを国民が判断する。国民に支持された政党は国民から権力を与えられ、その代表が最高権力者となって国の進路を決め政策を実現する。国民に支持されない政党は次の選挙で権力を得るべく政策に磨きをかける。つまり誰に権力を与えるかは国民が決める。ところがかつての日本にはそうした権力闘争の構図がなかった。</p>]]>
        <![CDATA[<p>　自民党の中だけで権力闘争が行なわれ、最高権力者が交代してきた。野党第一党の社会党が決して過半数を越える候補者を選挙に立てなかったからである。全員当選しても権力は握れない。むしろ権力を握らないところに社会党の本質があった。自民党と社会党は経営者と労働組合の関係で、労働組合は分配を要求するが経営権は奪わない。そのため国民には主権を行使する機会が与えられなかった。</p>

<p>   自民党政権下では国民生活に関わる予算は霞が関の中で決められ、法案のほとんども官庁が作成した。つまり国の政策は専ら霞が関の官僚に委ねられた。と言っても初めから全てがそうであった訳ではない。国の進路を決めたのは官僚ではなく政治家である。安全保障を米国に委ね、貿易立国で経済成長を図る路線を敷いたのは吉田茂や岸信介、椎名悦三郎といった政治家だった。初めは「官僚主導」でなく「政治主導」だったのである。</p>

<p>　しかしそれが世界も驚く高度成長を成し遂げると、その成功体験を誰も否定できなくなった。日米安保と貿易立国が金科玉条となり、その推進役の官僚が次なる進路を考える政治家より尊重された。「政治主導」が「官僚主導」に移行していく。予算や法案を霞が関が作り、それを国会が承認・成立させる分業体制は、次第に国会を形骸化させていった。国民には「国民主権」の幻想があるから、自分たちの選んだ与野党が経営者と労働組合だとは思わない。国会では野党が与党の権力を奪おうとする姿勢を見せなければならない。すると野党は予算や法案よりスキャンダル追及に力を入れた。</p>

<p>　権力を奪う気があれば国民生活に直結する予算や法案に関心は向かうが、その気がないと権力者のスキャンダルを追及する方が面白い。こうして予算を審議する筈の予算委員会がスキャンダル追及の主戦場となった。これは官僚の喜ぶところである。官僚が作った予算がろくな吟味もされずに成立し、政治家はダーティなイメージに包まれる。本音では「国民主権」など認めていない官僚は、国民の選ぶ政治家がダーティだと思われる方が都合が良い。</p>

<p>　この構図を利用して政治にくさびを打ち込んできたのが検察権力である。戦後最大の疑獄事件とされるロッキード事件では東京地検特捜部が田中角栄元総理を逮捕して「最強の捜査機関」と拍手喝采された。しかし実は日本の検察に「最強の捜査機関」の能力などない。その実態がどれほど劣悪かは、産経新聞社会部記者として１８年間検察を取材してきた宮本雅史氏の「歪んだ正義―特捜検察の語られざる真相」（情報センター出版局刊）や、同じく産経新聞社会部記者として１２年間検察を取材してきた石塚健司氏の「『特捜』崩壊―堕ちた最強捜査機関」（講談社刊）に詳しい。</p>

<p>　宮本氏はロッキード事件と東京佐川急便事件を取り上げて検察捜査の異常さを指摘し、「歪み」の出発点を造船疑獄事件に求めている。石塚氏は大蔵省接待汚職事件と防衛省汚職事件での特捜の暴走ぶりを紹介している。これに前回紹介した「知事抹殺―つくられた福島県汚職事件」（平凡社刊）や「リクルート事件―江副浩正の真実」（中央公論社刊）を加えると、検察の「でっちあげ」の手口がよく分かる。私もロッキ－ド事件で東京地検特捜部を取材した記者の一人であるから、ロッキード事件が「総理の犯罪」にすり替えられていく過程を体験している。</p>

<p>　ロッキード事件は日本だけでなく世界中で起きた。西ドイツ、オランダ、ベルギー、イタリアなどにもロッキードの賄賂がばらまかれた。西ドイツの国防大臣、オランダ女王の夫君、イタリア大統領らが賄賂を受け取った事実を公表された。しかし誰一人刑事訴追されていない。外国企業の工作資金を受け取ったとしても、国益を損ねなければ刑事訴追の必要なしと判断されたからだろう。しかし日本だけはロッキード社からの５５億円の工作資金のうち５億円だけを解明して田中元総理を逮捕し、事件を「総理の犯罪」と決めつけた。事件の全容を解明する事なく田中元総理一人を逮捕したやり方は検察権力の政治介入そのものである。</p>

<p>　ところが「クリーン」を売り物にした三木元総理はそれを機に政治資金規正法の趣旨をねじ曲げ、やってはならない金額の規制に踏み込んだ。そこから政治資金規正法は官僚による政治支配の道具となる。その辺の事情は以前書いた「政治とカネの本当の話」（１～３）を読んで貰いたい。以来、日本では「政治とカネ」の問題があたかも民主主義の根幹であるかのように錯覚させられ、政治家の力を削ぐ刃となった。</p>

<p>　９０年代に冷戦が終わると世界は大きく構造変化した。米国の敵はソ連ではなく日本経済となる。米国議会は日本経済を徹底分析し、強さの秘密は日本企業ではなく、その背後の政官財の癒着にあると判断した。そして日本経済を潰すのに最も有効なのは司令塔である大蔵省と通産省を潰すことだと結論づけた。すると間もなく日本の検察が「ノーパンしゃぶしゃぶ」接待をリークして大蔵省のキャリア官僚を逮捕する事件が起きた。</p>

<p>　当時の日本は金融危機の最中であり、大蔵省の金融行政が批判されていた時だから世論は圧倒的に検察に味方した。しかし石塚氏の「『特捜』崩壊」を読むと事件は全くの「でっちあげ」である。接待側を脅してウソの供述調書を数多く積み上げ、それを否定するには全員のウソを証明しなければならない状態に追い込み、否認は無駄と思わせた。逮捕された３０代のキャリア官僚は接待の席に居ただけだったが、国家が官僚の中の官僚と言われた大蔵省権力を分割し、金融庁を作り出す過程の中で「生贄」にされた。</p>

<p>　事件の前後には、特捜部の捜査によって大蔵官僚の縄張りだった公正取引委員長、預金保険機構理事長などのポストが次々に法務・検察官僚に持って行かれる事態も起きていた。要するに米国の権力が日本経済を潰すため大蔵省をターゲットにする中で、国内にも大蔵省を分割しようとする権力があり、そこに霞ヶ関の縄張り争いが絡まって大蔵省接待汚職事件は作られた。検察にすれば「時代の流れ」に沿う捜査と言うだろう。しかし国益にかなう捜査であったのか疑問である。</p>

<p>　「ノーパンしゃぶしゃぶ」のリークに見られるように、あらかじめ摘発の対象を「悪」と思わせる手法をとるため、検察の捜査は常に「正義」とメディアに報道される。しかしこれはナチスの宣伝相ゲッベルスの手法そのものである。メディアを使って大衆を扇動し、大衆にシロをクロと思い込ませれば、裁判所も無罪の判決を下せなくなる。福島県汚職事件では一審判決で７千万円だった水谷建設からの賄賂が二審ではゼロと認定された。それでも有罪は覆らない。このカラクリになぜメディアはいつも引きずられるのか、こちらの取材能力も相当に劣悪である。</p>

<p>　去年の総選挙で国民は初めて自らの手で権力を誕生させた。霞ヶ関の中だけで決められた予算編成の一部が「事業仕分け」として公開され、国民は熱狂した。国民にとって予算を実感出来た事が新鮮だった。それはこれまで予算委員会がスキャンダル追及に終始し、予算審議をまともにやって来なかった事の裏返しである。長い「官僚主導」の権力構造が崩れ始めたと思われた時、また検察権力が動いた。いつもながらの「政治とカネ」の問題で政治権力と対峙したのである。特捜部長は「殺すか殺されるかだ」と物騒なことを口走ったと言う。究極の権力闘争と認識しているのだろう。</p>

<p>　国民主権が選び出した政治家と国家試験で選ばれた検察官僚との戦いの帰趨は、この国の「国民主権」のあり方に大きく関わる事になる。それにしても野党自民党が予算委員会で「政治とカネ」の追及に終始している姿はかつての社会党を彷彿とさせる。なぜ予算委員会で「事業仕分け」と同じように予算の中身を追及しないのか、私には不思議でならない。</p>

<div style="text-align: center;">───────────────</div>

<p><a href="http://bit.ly/a46kF3">■政治とカネの本当の話（1）</a><br />
<a href="http://bit.ly/a5dPqh">■政治とカネの本当の話（2）</a><br />
<a href="http://bit.ly/dth5gL">■政治とカネの本当の話（3）</a></p>

<div style="text-align: center;">───────────────</div>

<p><strong>【編集部からのお知らせ】</strong><br />
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<p><a href="http://www.the-journal.jp/contents/info/2010/01/2_231900.html">http://www.the-journal.jp/contents/info/2010/01/2_231900.html</a></p>]]>
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    <title>成熟政治と未熟政治</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.the-journal.jp/contents/kokkai/2010/01/post_205.html" />
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    <published>2010-01-18T17:13:40Z</published>
    <updated>2010-01-19T02:35:41Z</updated>

    <summary>　東北の雪景色を眺める旅をしていたら、またまた先進民主主義国ではありえない政治ス...</summary>
    <author>
        <name>田中良紹</name>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.the-journal.jp/contents/kokkai/">
        <![CDATA[<p>　東北の雪景色を眺める旅をしていたら、またまた先進民主主義国ではありえない政治スキャンダルが勃発した。東京地検特捜部が政権政党の幹事長秘書を政治資金規正法違反容疑で次々逮捕したのである。たまたま佐藤栄佐久前福島県知事が書いた<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4582824544?ie=UTF8&tag=thecommons09-22&linkCode=as2&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4582824544">「知事抹殺・つくられた福島県汚職事件」（平凡社刊）</a><img src="http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=thecommons09-22&l=as2&o=9&a=4582824544" width="1" height="1" border="0" alt="" style="border:none !important; margin:0px !important;" />を読みながら旅していたので、「またか」と思いうんざりした。</p>]]>
        <![CDATA[<p>　先進民主主義国にも政治スキャンダルはあるが、これほど頻繁に「政治とカネ」の問題で大騒ぎする国も珍しい。政治家がスキャンダルで失脚するのは発展途上国の政治の特徴だから、日本は民主主義が未熟な発展途上国並と世界からは見られる。なぜこれほどに頻発するのか。日本国民は質の悪い政治家ばかりを選んでいるのか、それとも政治資金規正法が先進国とは違うのか、あるいは法を執行する検察官僚に問題があるのか。「知事抹殺」では、霞ヶ関と闘う事で知られた前福島県知事が、検察に事件をでっち上げられ、無実の罪を着せられたと悲痛な叫びを上げている。</p>

<p>　私は「政治とカネ」の話を聞く度にこの国の民主主義の幼児性を痛感させられる。私が知る限り先進民主主義国で政治家に求められているのは「悪人であること」である。何故なら国家の富を狙う他国から国家と国民を守るため、「騙し」や「脅し」が出来ないようでは安心して政治を任せられないからである。国民の暮らしを守り、外国と渡り合える力を持つ政治家なら、多少のスキャンダルなど問題にしない。それが「成熟」した国の考え方である。</p>

<p>　離婚を認めないカソリックのフランスは不倫に寛容である。政治家の性スキャンダルはまず問題にならない。しかしカソリックの世俗化を批判したピューリタンの子孫であるアメリカでは、政治家の性スキャンダルがかつては命取りになった。ところがクリントン大統領の性スキャンダルが暴露された時、アメリカ経済は好調で、国民は支持率を下げさせなかった。これを見たフランスは「アメリカもやっと成熟した」と評価したのである。</p>

<p>　アメリカで政治家になるには「カネ集めの能力」が大事である。オバマがヒラリーに勝ったのは巨額のカネを集める事に成功したからで、カネを集められない人間はリーダーになれない。そう言うとバカなマスコミが「それは企業献金でなく個人献金だ」と言うが、オバマの選挙資金のほとんどは企業献金であり、個人献金は四分の一程度に過ぎない。</p>

<p>　大統領選挙の費用を賄うため、共和党も民主党も水面下では外国にまで手を伸ばす。日本の企業にも集金人がやって来る。そのお礼に当選した暁にはパーティに招かれ、大統領と一緒に写真を撮ってくれる。ヤクザの親分の事務所に行くと時々アメリカ大統領と一緒に映った写真を見る事がある。おそらく献金した企業が招待券をヤクザの親分に回したのだろう、</p>

<p>　アメリカ大統領選挙には日本以上に中国からカネが流れる。ブッシュとゴアの選挙戦ではゴア陣営に中国系のカルト教団から大量の資金が流れたとブッシュ陣営が批判した。しかしだからといって事件になる訳ではない。アメリカは個人を選ぶ選挙なので個人を知って貰う必要がある。それが民主主義にとって何よりも大事なことだ。だからパーティを開き、献金を集めて個人を売り込む。献金をしたいと思わせる能力こそが政治家になる条件なのである。</p>

<p>　一方で個人ではなく政党を選ばせるのが英国のマニフェスト選挙である。こちらは政治家個人がカネを集める必要はない。選挙運動は政党のマニフェストを宣伝して歩くだけだから政党のカネに頼れば良い。従って「政治とカネ」の問題も起きない。その代わり政治家は勝手なことは許されず政党の命令に服さなければならない。最近の日本政治はこの方向を目指している。要するに自民党も民主党も日本共産党や公明党のような政党にならなければならないのである。</p>

<p>　ところが民主党の中に「最近の民主党は大政翼賛会で自由がない」などと不満を言う議員がいる。マニフェスト選挙になれば議員個人に自由など無いのは当たり前である。ところが日本ではマニフェスト選挙と言いながら個人を売り込む選挙をしているので混乱が起きている。今の公職選挙法はアメリカと同じに個人を売り込む選挙を想定している。しかしアメリカより制約が山ほどある。ご苦労なことだが日本では手を縛られて泳げと言われるような選挙を候補者は続けている。マニフェスト選挙を目指すにしても、アメリカ型をやるにしても、日本が成熟政治になるためには、今の公職選挙法を全面的に改正する必要がある。</p>

<p>　なぜ日本は先進民主主義国のような成熟政治になれないか。それは政党や政治家に権力が無く、官僚に権力があるからである。官僚にとって国家や国民を守るのは何よりも官僚でなければならない。国家や国民を守る強力な政治家が出現されては困るのである。だから未熟な国民に「政治家は聖人君子であるべきだ」とデマを刷り込む。「政治家は悪人であるべき」と言う成熟した民主主義国とは全く逆である。はるか古代や村落共同体のリーダーならともかく、国際政治と闘わなければならない現代で「聖人君子」に政治家は務まらない。</p>

<p>　未熟な国民にデマを刷り込む役目を果たしてきたのがメディアである。メディアの幼児性は今では目を覆うばかりだが、官僚との二人三脚でこの国の未熟政治を作り上げてきた。その挙げ句に実は両者とも自らの首を絞めつつある。最近出版された<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4582824544?ie=UTF8&tag=thecommons09-22&linkCode=as2&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4582824544">「知事抹殺・つくられた福島県汚職事件」</a><img src="http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=thecommons09-22&l=as2&o=9&a=4582824544" width="1" height="1" border="0" alt="" style="border:none !important; margin:0px !important;" />や<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4120040763?ie=UTF8&tag=thecommons09-22&linkCode=as2&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4120040763">「リクルート事件・江副浩正の真実」</a><img src="http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=thecommons09-22&l=as2&o=9&a=4120040763" width="1" height="1" border="0" alt="" style="border:none !important; margin:0px !important;" />は検察の「でっち上げ」の手法を詳細に描きながら、それを可能にしているのがメディアであることを明らかにした。これらを読んで両者の手口を知ると、現在の報道から検察が描くシナリオのポイントや弱点が読み解けるのだ。</p>

<p>　政治家に十分な政治活動費がないと自分で情報を集める事が出来なくなる。無料で情報を提供してくれるのは官僚だけだから、カネのない政治家は官僚に頼るようになる。その結果、官僚に都合良く洗脳される。自分でカネを集める能力のない政治家も官僚に頼るようになる。官僚には企業や団体の許認可権があり、官僚が口を利けば企業や団体はパーティ券を買ってくれる。一方で自分でカネを集める政治家は官僚の思い通りにならない。官僚にとって好ましからざる政治家と言う事になる。そうした政治家がこれまで検察とメディアによって血祭りに上げられてきた。</p>

<p>　０７年の参議院選挙で自民党が惨敗したとき、私は参議院の過半数を失った自民党は挽回を図るために、国民の支持を得る努力より、民主党のスキャンダル追及に全力を上げるだろうと予想した。大連立を模索した福田政権にはスキャンダル爆撃の可能性はないが、麻生政権の誕生と共に小沢代表潰しのスキャンダル攻撃が現実になると予言した。政権交代が実現してからは、自民党に選挙で勝てる可能性は消え、従って再びスキャンダル攻撃が始まる。それは鳩山総理と小沢幹事長の分断を狙うと見ていた。</p>

<p>　すると検察が予想通りの動きをした。鳩山献金問題はセーフで、小沢不記載問題はアウトになったのである。要するにこの国を支配してきた既成の権力からすると怖いのは小沢で、それを潰すために鳩山を利用し、その後でなら鳩山はいつでも潰せると思っているのである。私の見立てでは天皇の特例会見の問題も小沢氏の中国訪問の日程を知った上で仕組まれた。宮内庁長官の記者会見の日程が小沢訪中にぴたりと合わされ、賓客の来日前という非常識をあえて行っている事から明らかである。この時の鳩山総理の動きが今ひとつ分からないのだが、今回の地検の動きはそれに続く分断工作その２と言える。</p>

<p>　私が予想する位だから本人は検察の動きを当然予想していた筈である。そうでなければ政治家など務まらない。そこでこれからどういう形の対応が出てくるのかが注目される。それにしても最高権力者とされる総理にも、政権政党にも何の権力もないことがよく分かる。先進民主主義国では政権を巡る戦いを権力闘争と言うが、この国では与野党の戦いより、官僚やアメリカと政権政党との戦いの方が本当の権力闘争なのである。つまり日本の権力は政党や政治家ではなく、未だに官僚とアメリカに握られているのである</p>

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    </content>
</entry>

<entry>
    <title>検察の「正義」</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.the-journal.jp/contents/kokkai/2010/01/post_204.html" />
    <id>tag:www.the-journal.jp,2010:/contents/kokkai//52.6506</id>

    <published>2010-01-06T12:50:37Z</published>
    <updated>2010-01-07T04:25:45Z</updated>

    <summary>　昨年暮れに「リクルート事件・江副浩正の真実」（中央公論新社刊）を読んだ。著者は...</summary>
    <author>
        <name>田中良紹</name>
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    </author>
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.the-journal.jp/contents/kokkai/">
        <![CDATA[<p>　昨年暮れに<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4120040763?ie=UTF8&tag=thecommons09-22&linkCode=as2&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4120040763" target="_blank">「リクルート事件・江副浩正の真実」（中央公論新社刊）</a><img src="http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=thecommons09-22&l=as2&o=9&a=4120040763" width="1" height="1" border="0" alt="" style="border:none !important; margin:0px !important;" />を読んだ。著者は事件の中心人物江副浩正氏本人である。リクルート事件はロッキード事件と並んで戦後最大の疑獄事件とされるが、この本を読む限り事件には検察の「でっちあげ」とも言うべき作為がある。</p>]]>
        <![CDATA[<p>　著者は１１３日間に渡る取り調べと１３年を越える裁判の経過を公表することで、自らの体験を司法制度改革につなげたいとの思いから執筆したようだが、私には別の思いが心に重く残った。日本の政治がこの事件によって漂流を始め、高齢化社会を迎える国の制度設計が狂わされたという思いである。</p>

<p>　事件は「川崎市の助役にリクルート関連会社の未公開株が譲渡されている」という朝日新聞の報道から始まった。一地方自治体の汚職事件と思われたが、その後大疑獄事件へと発展していく。リクルートの未公開株が政界、財界、官界、マスコミ界と広範囲にばらまかれていたからである。</p>

<p>　新興企業のリクルートは自らの社会的地位を高めようと、財界、官界のみならず、有力政治家やマスコミ界にも未公開株をばらまいていた。一方でロッキード事件の影響から、それまで「民主主義のコスト」としての政治献金を担ってきた大企業が献金に消極的になり、リクルートが政治家にとって大企業に代わる新たな献金者となった。</p>

<p>　もとより未公開株の譲渡に違法性がある訳ではない。株は利益を得る場合も損をする場合もある。しかしメディアは「値上がり確実な未公開株」の譲渡を「濡れ手で粟」と表現し、さらに株を受け取った政治家の名前を小出しにする事で国民の怒りを誘い、それを増幅させていった。</p>

<p>　捜査以前にメディアの報道が過熱した。新聞とテレビは連日「リクルート疑惑」をトップで取り上げ、それに野党が呼応する。政権交代を望まないかつての野党は、国民生活に直結する予算の審議よりスキャンダル追及に力を入れた。予算委員会は常にスキャンダル追及の場となり、それは官僚を喜ばせた。お陰で官僚が作った予算案はほとんど審議されず、国民の目にも届かずに無修正で成立していくからである。そして追及する野党議員には最終場面で与党側からカネが流れて手打ちとなり、うやむやになるのが毎度のパターンだった。</p>

<p>　この時も「爆弾男」の異名をとる社民連の楢崎弥之助衆議院議員が国会での質問用にと資料の提供をリクルートに求めて来た。リクルートは「狙いはカネ」と考えて現金を用意するが楢崎議員は現金の受け取りを断る。しかし再び連絡してきて「例の物を持って来てくれ」と言った。社長室長が議員宿舎に現金を持参すると再び受け取りを拒否された。数日後、カネを渡そうとするシーンがスクープ映像として日本テレビで放送される。隠し撮りされていたのである。</p>

<p>　これが捜査のきっかけとなる。贈賄容疑で初めてリクルートに東京地検の家宅捜索が入り、カネを渡そうとした社長室長が逮捕された。続いて江副氏も逮捕されるが、容疑はＮＴＴ関係者に対する株の譲渡であった。ＮＴＴは既に民営化されていたが職員は準公務員と見なされ、株の譲渡は贈賄と断定された。</p>

<p>　当時の日本政治の最大課題は、将来の少子高齢化社会に備えて福祉財源を確保するため、シャウプ勧告以来の日本の税制を見直し、消費税導入を図る事であった。竹下総理は大蔵大臣当時から野党の社会党や公明党に根回しを行い、消費税を福祉目的税にする事も考えていた。消費税には野党も反対ではなかった。社会党はヨーロッパ型の福祉国家を目指しており、ヨーロッパ諸国は間接税に頼っていたからである。</p>

<p>　ところがリクルート事件によって消費税の議論は完全に吹き飛び、野党はリクルート疑惑追及の一点に的を絞った。誰も国の将来の事など考えない。目の前の疑惑追及に狂奔する。そのため国会に提出された消費税法案は自民党が単独で採決するしかなくなった。７月に招集された臨時国会は本格的な議論もないまま１２月末に消費税法案を自民党単独で強行採決した。この不幸がその後も消費税に付きまとっていると私は思う。国民は消費税を福祉と結びつけて考える事をせず、力で押しつけられた税制と感じてしまうのである。</p>

<p>　本書によれば江副氏に対する取り調べは過酷だった。「否認を続けると後任社長も逮捕してリクルートを潰す」と毎回脅され、壁を向いて立たされ目を閉じる事を禁じられた。江副氏は恐怖感から検事が作成した調書に署名してしまう。株を賄賂として提供した覚えはないのに、それを認めて楽になろうとした。</p>

<p>　一つ認めると後はつるべ落としである。１回目の起訴の直後に眞藤恒ＮＴＴ会長への贈賄容疑で２度目の逮捕となり、「眞藤会長に直接電話をした」とウソの調書に署名させられて眞藤氏をも起訴させてしまう。続いて高石邦男文部事務次官への贈賄容疑で３度目の逮捕、同じ日に加藤孝元労働事務次官への贈賄罪で３度目の起訴、そして高石事務次官への贈賄罪で４度目の起訴と続いた。</p>

<p>　そこからいよいよ政治家ルートの取り調べが始まる。宗像紀夫主任検事から「新聞がここまで書いているのに、政治家は何もなかったでは特捜のメンツが立たない」、「フランス映画の終わりにＦＩＮという文字が出るが、藤波、池田、中曽根の三点セットに応じて貰ってリクルート事件もＦＩＮにしたい」と言われる。</p>

<p>　既にウソを認めてしまった江副氏は検事の言うがまま調書に次々署名していく。会った事も電話をした事もない相手にお願いをしたり、藤波元官房長官を公邸に訪ねて請託をしたとウソの調書が作られていった。しかしそれでも吉永祐介東京地検検事正からは出来上がった調書の書き直しを命じられ、「ヘッドクォーターからまた怒られた」と検事が書き直した調書を何度も持って来る様子が綴られている。</p>

<p>　要するに事件の筋書きは検察が作る。そのシナリオに沿ってまずは贈賄側を精神的、肉体的な脅しで調書に署名させ、それを武器に収賄側を逮捕、起訴に追い込んでいく。それが検察の「正義」なのである。結局、政治家ルートでは中曽根康弘氏が訴追を免れ、藤波孝生元官房長官と公明党の池田克也衆議院議員が受託収賄罪で在宅起訴された。</p>

<p>　江副氏は裁判でそれらの調書を否認した。そのため平成元年から始まった公判は一審判決まで３２２回、１３年３ヶ月かかった。裁判所が下したのは懲役３年、執行猶予５年の有罪判決だが、江副氏は事実上無罪に近い判決だと受け止めている。検察に控訴させて長期の裁判になる道を避けながら、江副氏の言い分も認められたと言うのである。</p>

<p>　江副氏はそれで納得したのかも知れない。しかしこの事件で日本政治が受けた傷は余りにも大きい。竹下総理の退陣後、総理になる筈のない政治家が次々総理になり、そして消えていった。政治が漂流を始めたのである。</p>

<p>　自民党政治に欠陥がなかったとは言わない。しかし竹下内閣が税制改革、安倍晋太郎氏が政治改革、そして藤波孝生氏が地方分権を政権の課題とする事が予定されていた。それが一気に崩れてこの国は行き先が見えなくなった。世界が冷戦後の新たな枠組みを模索している時、日本だけは混迷の中をただ彷徨っていたのである。</p>

<p>　去年３月に西松建設事件で小沢民主党代表の秘書が逮捕された時、リクルート事件の主任検事だった宗像紀夫弁護士が日本記者クラブで講演し、検察の捜査手法に疑問を呈した。その時「検察の暴走を止められるのはマスコミしかない」と発言したが、そう言いながら「しかし現役の時にマスコミは本当に都合が良かった」と宗像氏は言った。</p>

<p>　これまで検察とメディアが「都合の良い関係」で共に作り上げてきた事件は枚挙にいとまがない。代表格を一つ挙げればロッキード事件である。ロッキード社から日本の政界に流れた５５億円の工作資金のうち解明されたのは田中角栄元総理が受領した５億円にすぎない。それを「総理大臣の犯罪」と囃し立て国民の目を真実からそらさせたのはメディアである。人身御供となった田中角栄氏は「闇将軍」となって日本政治を「裏支配」した。</p>

<p>　当時の新聞とテレビは田中角栄氏を総理に選んだ日本の民主主義の未熟さを大いに嘆いて見せたが、嘆かなければならないのは日本の民主主義を歪めてきた検察とメディアの「正義」の方ではないか。</p>

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    <title>維新の年末</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.the-journal.jp/contents/kokkai/2009/12/post_203.html" />
    <id>tag:www.the-journal.jp,2009:/contents/kokkai//52.6471</id>

    <published>2009-12-28T18:07:04Z</published>
    <updated>2009-12-29T00:27:30Z</updated>

    <summary>　「週刊新潮」に文芸評論家の野口武彦氏が「明治めちゃくちゃ物語」を連載している。...</summary>
    <author>
        <name>田中良紹</name>
        <uri>http://www.the-journal.jp/mt/mt-cp.cgi?__mode=view&amp;blog_id=52&amp;id=45</uri>
    </author>
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.the-journal.jp/contents/kokkai/">
        <![CDATA[<p>　「週刊新潮」に文芸評論家の野口武彦氏が「明治めちゃくちゃ物語」を連載している。野口氏によると「明治のメの字はめちゃくちゃのメ」だそうだ。特に明治の初年は「びっくりするほどめちゃくちゃな時代だった」。「徳川幕府を打倒して出来た新政権は、まだ海の物とも山の物ともつかず、権力実体は曖昧模糊として、自前の財源も軍隊も官僚組織もない」と４月２日号に書いている。 </p>]]>
        <![CDATA[<p>　それを読んだ後に現実の「政権交代」が起きた。日本の歴史上初めて国民が自らの意思で政権を誕生させた。私はかねてから「政権交代は明治維新に匹敵する体制変革だ」と言い続けてきたので、ある程度は「めちゃくちゃが起こる」と想定した。常時政権交代を繰り返している欧米先進国には混乱を避けるためのルールもあるが、初めての日本にはルールも何もない。そこで誰がどのような動きをするか。それに興味があった。</p>

<p>　アメリカでは政権交代に伴い数千人規模で官僚のクビが切られ、ワシントンの住人が入れ替わる。新政権が自分たちの意向で官僚を登用するから、政治主導になるのは当たり前である。しかし日本には霞が関の官僚のクビを切るルールがない。そこでどのようにして行政を政治に従わせるかが第一の注目点である。それは予算の作成を巡って見えてくる筈であった。</p>

<p>　これまでの予算作成の主役は霞が関である。各役所が役所ごとに予算を積み上げ、それを財務省が査定して予算案をまとめ上げた。従って地方自治体や業界団体の陳情は主に霞が関、次いで援軍となる与党政治家に向かう。そのうちに霞が関と与党政治家との間に持ちつ持たれつの関係が出来る。予算をつけるのをいったんは渋って見せ、与党政治家の一言で実現したと見せかけて、陳情した地方自治体や業界にカネと票で与党政治家を支援させ、その代わり与党政治家は役所の利益のために身を挺して協力する。これが族議員を生み出す構図であり、官僚主導の政治である。</p>

<p>　新政権ではまず各役所に入った政務三役（大臣、副大臣、政務官）によって予算の概算要求が作られた。これが９５兆円と過去最大であったためメディアは大騒ぎしたが、就任１ヶ月足らずで作成したのだから、ほとんどが官僚の作成した数字に依拠したものと思われる。それをどこまで変えられるのか、騒ぐのは早過ぎるのである。すると次に「事業仕分け」が始まった。国の事業の一部を抽出して必要かどうかを公開の場で判断した。これは予算編成前のパフォーマンスに過ぎないのだが、初めて予算を巡る攻防が公開されて国民の目は釘付けとなった。</p>

<p>　「公開処刑」との批判があったが、実は「公開処刑」こそ政治主導に持ち込む方策である。霞が関の官僚のクビを切らずに政治に従わせるには、官僚に対して信賞必罰、アメとムチとを使い分ける必要がある。一方で新政権に協力する官僚を重用し、他方で抵抗する官僚を見せしめにして更迭する。それがなければ政治主導など図れない。だから斉藤次郎元大蔵事務次官や江利川毅元厚生労働事務次官の登用は「天下り」ではない。霞が関の官僚たちに向けた信賞必罰の一方の姿勢である。</p>

<p>　ところがもう一方の姿勢が見えてこなかった。せっかく「事業仕分け」で「公開処刑」をしたのだから、続いて政務三役が各役所で「見せしめ」を行い「ムダ」を搾り出すと思っていたがそれがなかった。「ムダ」を最も良く知っているのは官僚である。だから官僚からそれを吐き出させる必要がある。官僚と無用の対立をする必要はないが、吐き出させるには正論で押すだけでは無理である。やはりアメとムチが必要なのである。</p>

<p>　結局、吐き出させられると思っていた「ムダ」が出てこなかった。まだ官僚を使いこなせていない証拠である。そのため「財源不足」が浮上して国債発行を増やすのか、マニフェストを変更するかの選択を迫られた。鳩山総理は国債発行を抑制し、マニフェストを変更する道を選んだ。マニフェストで大事なのは政治の方向性であり具体的な政策の一つ一つではない。野党時代の民主党にはマニフェストの逐条を絶対視し、官僚の登用を全て「天下り」として認めないなど「幼児性」があったが、政権を取って少し成長した。</p>

<p>　そのようにして９２兆円を越す過去最大規模の平成１０年度予算案が出来上がった。景気悪化による９兆円の税収減という悪環境の中で、社会保障費を１０％増やし、公共事業費を１８％減らした。マニフェストの言う「コンクリートから人へ」を実現する予算案になった。ただどうせマニフェストを変更するなら子供手当てに所得制限を認めて、その財源を少子化対策の他の分野に回しても良かったのではないかと個人的には思う。もっともそこは通常国会で野党に追及された場合の修正部分になるのかもしれない。</p>

<p>　それにしてもメディアの評価はいずれも「借金増やしてばらまき膨張」と手厳しい。借金を増やすのは「百年に一度」と言われる滅多にない危機的状況の中で景気悪化による税収減があるのだからやむを得ない。また子供手当てや農家への所得補償をばらまきと見るか消費刺激策と見るかだが、少なくも「選挙目当てのばらまき」の規模は超えている。私は経済効果は出てくると思っている。</p>

<p>　予算案が出来たところでメディアは世論調査を行い「内閣支持率激減」と騒いでいる。どれほど「激減」したかと言えば支持率が５０％を割り込んだと言うからアメリカのオバマ政権と変わらない。去年の９月に発足した麻生政権は１２月に支持率が２０％台に下落し、不支持が６０％台と支持を上回っていた。それに比べて騒ぐほどのものかと思うが、メディアはとにかく騒いでいる。</p>

<p>　ただ世論調査で鳩山総理の指導力に疑問を呈する人が多いのは頷ける。毎日ぶら下がり取材に応じて余計な事をしゃべっているからそう見えるのである。世界中で毎日記者の取材に応ずる指導者などいる筈がない。どの指導者にもスポークスマンが居てそれが取材に応ずる。最高権力者が取材に応ずるのは時々の事で、だからその言葉には重みがある。重みのある事を言うから最高権力者なのである。</p>

<p>　ところがわが国では党内に全く力のない小泉総理が誕生し、彼は党内と戦うために国民を味方にする必要があった。そのため官房長官というスポークスマンが居りながら、自分でパフォーマンスをしてみせた。稀代のパフォーマーである小泉氏は鼻歌を歌いながら記者を煙に巻き、独特のテクニックで国民を目くらましにした。こんな事は民主主義とも説明責任とも何の関係もない。むしろ民主主義を劣化させるだけの話である。</p>

<p>　特に交渉事については「沈黙こそ金」である。普天間問題で「アメリカの本音は」とか「誰がどう言った」などと最高権力者は決して言うべきでない。しかも駆け出しの何も知らない記者を相手にである。言われた当事者が不快になるのは当たり前である。これではまとまる話もまとまらなくなり、相手に足元を見られる。そんな事をあちこちで言っていたら、鳩山総理が「ぶら下がり取材でサービスし過ぎて反省している」と言ったそうだ。私の話が耳に入った訳でもないだろうが、しかしその直後に「グアムに移転するのは無理」と発言したそうだから全く反省していない。これでは弁慶役を演じている亀井静香氏や小沢幹事長はお守りをするのが大変だ。</p>

<p>　それが私の目に映る政権交代初年の年末風景である。わが国の政権交代は先進諸国の政権交代と違い、長年続いた一党政治が変わったという意味で、これまでの既得権益には厳しい筈である。「事業仕分け」に抗議していたのは既得権益の方々である。だからもっと激しい反撃の声があちこちから上がると思っていた。しかし最も声を上げているのはメディアである。恐らくメディアが霞が関をはじめとする既得権益の声を代弁している。</p>

<p>　戊辰戦争が終っていなかった明治初年の年末と比べるといささか緊迫感に欠ける今年の年末だが、来年はいよいよ参議院選挙という「最終戦争」がある。新政権に対する反撃はこれまで以上に激しくなる筈だ。通常国会がその舞台だが、出来る事なら自民党には予算案の中身で新政権に戦いを挑んでもらいたい。スキャンダル追及に終始して予算の議論を全然しない予算委員会を散々見せつけられてきた立場からすると、かつての万年野党社会党の真似だけはして欲しくないからである。</p>]]>
    </content>
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    <title>？だらけの日本のメディア</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.the-journal.jp/contents/kokkai/2009/12/post_202.html" />
    <id>tag:www.the-journal.jp,2009:/contents/kokkai//52.6442</id>

    <published>2009-12-21T12:42:25Z</published>
    <updated>2009-12-27T10:38:03Z</updated>

    <summary>　国民がそれまでの政治に希望が持てなくなった時に政権交代は起こる。暮らしが苦しく...</summary>
    <author>
        <name>田中良紹</name>
        <uri>http://www.the-journal.jp/mt/mt-cp.cgi?__mode=view&amp;blog_id=52&amp;id=45</uri>
    </author>
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.the-journal.jp/contents/kokkai/">
        <![CDATA[<p>　国民がそれまでの政治に希望が持てなくなった時に政権交代は起こる。暮らしが苦しくなったり、政権の方針に疑問を感じて「希望を持ちたい」と思う心が政権交代を起こす。</p>]]>
        <![CDATA[<p>　８月の選挙で日本にも初めて政権交代が起きた。その時「景気を良くして欲しい」との願いが国民にあったと思う。景気の「気」は気持ちの「気」だから、景気を良くするには国民の気持ちを変える必要がある。これまで固かった財布のひもを緩める気に国民がなれば景気は良くなる。　</p>

<p>　政権交代をした時点では前の政権が作り上げた経済構造と経済政策が生きている。新政権が新たな経済政策を掲げても、法律を作り、仕組みを変え、効果が出てくるまでには時間がかかる。それよりも新政権への期待感で国民の気持ちを変えさせる方が効果的である。国民が選んだ政権だから、明るい気持ちにさせてやれば景気の「気」が上向く。</p>

<p>　８０年代から９０年代にかけてのアメリカでは、まずレーガン大統領がそれまでの経済政策を転換し、減税による消費拡大で「強いアメリカ」を実現しようとした。しかしこの経済政策（レーガノミクス）は当初全く理解されず、ブードゥー・エコノミー（インチキ経済学）と呼ばれた。実際に減税で貧富の差が拡大し、軍備増強で財政赤字も拡大した。次のブッシュ（父）政権は増税を行ってバランスを取ろうとしたが経済はさらに落ち込んだ。消費が冷え込んでデパートが次々潰れた。湾岸戦争の勝利で史上最高の支持率を獲得したブッシュ大統領だが、経済の悪化で「チェンジ」を叫ぶ無名のクリントンに大統領の座を奪われ、共和党から民主党への政権交代が起きた。</p>

<p>　その時である。クリントン政権の経済政策が打ち出される前に、国民の期待感が財布のひもを緩めさせ、クリスマス商戦が久しぶりに活気づいてデパートに客が溢れた。するとそれが引き金となって景気が上向き、アメリカ経済が成長路線に乗った。それは新政権の経済政策のせいではなく、前々政権のレーガノミクスが効果を現し始めたとエコノミストは分析した。</p>

<p>　政権交代を景気上昇に結びつけたのはメディアの功績である。「大きな政府」路線と予想されたクリントンの経済政策をいたずらに批判せず、「１００日間はお手並み拝見」とまずは国民に期待を抱かせ、それが財布のひもを緩めさせた。その後発表された経済政策は国民に不人気で、クリントンは早々に「大きな政府」路線をレーガノミクス路線に切り替え、その後のアメリカに長い好景気を持続させた。</p>

<p>　ところがわが国のメディアは政権交代直後から「鳩山不況がやって来る」の大合唱だった。野党が批判するのは良いとしても、メディアの立場はそれとは異なる。「国民が選んだ政権だから１００日間はお手並み拝見」と国民に期待感を抱かせれば良いのに、景気の「気」を削ぐ報道を続けた。つくづく知恵のない国だと思う。政権交代に慣れていないとは言え、国民の側に立てないメディアは？である。</p>

<p>　普天間基地の問題で駐日米国大使が日本の外務大臣に対し「顔を真っ赤にして怒った」との報道があった。もしもそれが事実なら、「アメリカは日本を従属国と見ている事が証明された」、「駐日米国大使には外交官の資質がない」と解説するのが普通である。外交の儀礼上考えられない事実だからである。外交は二枚舌、三枚舌の世界だから、嘘をつく事はあるだろうが、主権国家の外務大臣に「激怒」する外交官は異常である。</p>

<p>　そこで「主権国の外務大臣に非礼だ」と批判するのかと思ったら全く逆で「だから日本はアメリカの言う事を聞け」と言うのである。これは一体どういうことか。どこの国のメディアでも外国との問題では主権を主張するのが普通である。ところがこの国のメディアは外国の非礼を批判しないどころか、外国の言うままに国民を洗脳しようとする。いかに「恫喝に怯むＤＮＡ」が埋め込まれているとは言え、こんなメディアは？である。</p>

<p>　外交の儀礼と言えば、天皇の「特例会見」が問題になっている。宮内庁長官が記者会見で「天皇の政治利用」と批判した事から公になった。報道されている内容を要約すると、1.天皇との会見は１ヶ月以上前に申し込むルールがあるのに、中国政府はそれを守らなかった。２.会見拒否を回答したのに様々なルートから何度も要請があった。3.最後は中国で胡錦濤国家主席に厚遇された民主党の小沢幹事長が、それとの取り引きで無理に天皇との会見を実現させたという話である。批判は特例を要求した中国政府ではなく、それを認めさせた小沢幹事長に向いている。</p>

<p>　しかし報道された事実は首を傾げたくなる事だらけである。裏がありそうで額面通りには受け取れない。ところがメディアは何の疑問も感じておらずまるで「金太郎飴」である。私は中国問題の専門家ではないが、来日した習近平国家副主席は胡錦濤国家主席の後を継ぐ候補者として李克強国務院副総理と競い合っている。李克強氏は胡錦濤国家主席と同じ中国共産主義青年団の出身でかなり前から小沢一郎氏と親しい。若い頃小沢氏の家にホームステイしていたと言われている。そういう関係からか例年１２月に行なわれる小沢氏の訪中は中国共産主義青年団が窓口となっている。</p>

<p>　習近平氏は上海閥・太子党と言われるグループに属するが、上海閥と近いのは野中広務氏や二階俊博氏である。習近平氏と李克強氏の権力闘争は激しいらしい。習近平氏から見れば小沢氏は相手側の人物である。そうしたことを前提に新聞・雑誌などの情報で事の成り行きを整理してみる。習近平氏の訪日が年末にある事は今年初めから外務省も宮内庁も把握していた。胡錦濤国家主席が副主席時代に天皇と会見している事から、習氏が会見を希望する事も予想されていた。</p>

<p>　１１月初めに外務省は受け入れ準備に入った。しかし具体的日程は中国の国内事情で決まらなかった。天皇との会見のための１ヶ月ルールは中国側も知っていた。ただしそれがどれほどの重大さと認識していたかは分からない。１２月１４日からの訪日が非公式に伝えられたのは１１月１９日である。外務省は宮内庁に連絡した。文書による正式要請の期限は１１月１５日だから期限はわずかに過ぎていた。</p>

<p>　２０日に中国外相が鳩山総理に協力を要請した。つまり特例を求めた。しかし外務省が宮内庁に会見を打診したのは２６日と発表されている。このズレはどういうことか。そして２７日に宮内庁は外務省に拒否回答をした。しかし外務省が中国側に「会見は無理」と回答したのは３０日である。このズレは何を意味するのか。訪日の２週間前に断られて中国側は焦ったようだ。１２月３日王光亜外務次官が宮本中国大使を中国外務省に呼びつけて会見を要請した。宮本大使は外務省に官邸を説得するよう要請したが岡田外務大臣がこれを拒否した。７日、駐日中国大使が中曽根元総理に協力を要請した。中曽根氏は平野官房長官に連絡し、官房長官が宮内庁長官に電話で要請したが断られた。９日、遂に中国大使が小沢幹事長に協力を要請する。</p>

<p>　翌１０日から訪中予定の小沢氏に、大使は天皇との会見が実現したら訪中団の議員全員と胡錦涛国家主席との握手を約束したと言われている。小沢訪中団が中国で胡錦涛国家主席と握手を交わした１０日に断り続けてきた宮内庁が一転して会見を受け入れた。そして翌１１日に宮内庁長官が記者会見で「政治利用だ」と不快感を表明した。私が注目するのは宮内庁長官の記者会見のタイミングである。</p>

<p>　外国の賓客の接遇を巡って日本側に問題があった場合、その問題を公にするのは賓客が帰国した後というのが常識である。賓客の来日前に公にして政治問題化させた例を私は知らない。これは普通でない。下衆の勘繰りで言わせて貰えば、申し込み期限をわずか５日過ぎたからと言って断ると断る方が批判される可能性がある。従って日本の外務省と宮内庁は拒否回答をぎりぎりまで遅らせた。焦った中国側が最後に民主党の実力者に頼みに行く事を想定しそれまでは断り続けた。小沢氏の訪中のニュースを国民が見た後で、つまり特別待遇である事を皆が知った直後に、小沢氏が中国側から特別待遇を受けるために取り引きをして天皇との会見を無理強いしたと印象付ける会見を宮内庁長官が行った。これで小沢訪中と特例会見が国民の中で結びつく。そうでなければ宮内庁長官が賓客来日前の１１日に公にして政治問題化させる意味が分からない。</p>

<p>　宮内庁長官が「１ヶ月ルールを無視することは政治利用」と言うのなら何故最後まで拒否し続けなかったのか。会見を認めた時点で宮内庁長官自身も天皇陛下の政治利用に荷担している。それなのに天皇陛下を政治利用させた責任を取ろうとしない宮内庁長官の論理は如何なるものか。「内閣の一員であるから仕方なかった」などと言う弁解は通らない。それなら最初から拒否出来ない筈である。そういう事に疑問をもたないメディアは？である。</p>

<p>　「１ヶ月ルールを無視することは天皇の政治利用であり、あってはならない」とメディア自身も思うなら、まずは特例を要求してきた中国政府、次に認めさせようとした中曽根元総理と小沢幹事長、そして受け入れを決めた羽毛田宮内庁長官をいずれも批判すべきである。それをしないのはどういう訳か、全く訳が分からない。</p>]]>
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    <title>恫喝に怯むＤＮＡ</title>
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    <published>2009-12-13T16:33:15Z</published>
    <updated>2009-12-14T00:50:10Z</updated>

    <summary>　アメリカのいつもの恫喝に怯んで「日米関係は危険水域だ」と叫ぶ人たちがいる。これ...</summary>
    <author>
        <name>田中良紹</name>
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        <![CDATA[<p>　アメリカのいつもの恫喝に怯んで「日米関係は危険水域だ」と叫ぶ人たちがいる。これを見てアメリカは「百年以上も昔から日本は何も変わっていない。日本には恫喝が一番だ」と思っているに違いない。ペリー来航の時から日本人の中には恫喝されると及び腰になるＤＮＡがある。</p>]]>
        <![CDATA[<p>　江戸時代の日本は「鎖国」によって国を閉ざしていた訳ではない。海外渡航を禁じてはいたが、外交と貿易は徳川幕府が独占して行っていた。長崎だけが窓口の一種の管理貿易体制である。従って江戸時代の日本には海外から様々な知識や情報が流れ込んでいた。日本が「鎖国」を続けた理由は、自給自足できる勤勉な国が外国との交流で植民地化される危険を冒す必要はないと考えたからではないか。</p>

<p>　しかし産業革命で生産力を高めた欧米列強はアジアに植民地を求めてきた。中国がアヘン戦争によって列強の支配下に置かれると、その情報はいち早く日本に伝えられ、日本人は強い危機感を抱いた。中国との貿易でヨーロッパに遅れをとったアメリカは、中継地として日本を開港させる必要があり、ペリーが艦隊を率いてやって来たが、アメリカのやり方は交渉ではなく恫喝だった。</p>

<p>　他の国はみな幕府の指示に従い長崎を窓口に交渉した。しかしアメリカだけは江戸湾に軍艦を乗り入れ、空砲を撃って江戸市中を恐怖に陥れた。ペリーは「開港するか戦争するかを来年までに返事せよ」と通告して日本を去る。これで日本は大騒ぎとなるが、及び腰の幕府の姿に２００年以上続いた支配体制が揺らぎ始めた。「恫喝されて不平等条約を結ぶ幕府を許さない」と「尊皇攘夷」運動が高まった。</p>

<p>　幕末に「富国強兵」を説いた儒学者横井小楠は、アメリカのやり方を「覇道」と批判、「アメリカに王道を説くべし」と言った。福井藩の俊才橋本左内は「日本はロシアと提携してアメリカに抗すべし」と主張した。しかし幕府は彼らを弾圧、アメリカの要求通りに条約を結んだ。だが恫喝に屈した幕府はほどなく「尊皇攘夷」派に打倒された。</p>

<p>　幕府を倒した明治の官僚国家は日露戦争に勝利して世界を驚かせた。中でもアメリカは、ペリーの恫喝に屈した日本が半世紀も経ずに軍備を整え、ロシアのバルチック艦隊を破った事に恐怖した。日本はアメリカの「仮想敵国」となり、日本攻撃のための「オレンジ作戦計画」が作られ、ハワイが要塞化されて太平洋艦隊が配備された。</p>

<p>　第二次世界大戦でアメリカは「オレンジ作戦計画」のルート通りに日本を攻め、敗れた日本はアメリカに占領された。間もなく冷戦が起きて日本の基地が必要となったアメリカは、反共の防波堤を堅固にするため、日本を世界に冠たる工業国に育て上げ、日本は世界第二位の経済大国に上り詰めた。しかし冷戦が終息に近づくと今度はそれがアメリカと日本との間に「経済戦争」を引き起こす。</p>

<p>　再びアメリカの恫喝が始まった。８０年代には日本製品をハンマーで叩き壊すＴＶ映像が次々に送られて来た。「自動車の街デトロイトには反日の嵐が吹き荒れ、日本人は石を投げられる」と知日派アメリカ人たちが真顔で言う。「投げられようじゃないか」と私がデトロイトに行くと、反日の火の手などどこにもなかった。日本車がすいすいと走り回り、みんなが日本車を欲しがっていた。騒いでいたのはワシントンで、メディアと政治家が恫喝の発信源だった。</p>

<p>　９０年代の初め、日本の新聞の１面に「貿易摩擦を続けるならアメリカは日本から軍隊を引き上げる」との大見出しが踊った。何の事かと思ったら、下院議員が記者会見で「日本を制裁するため在日米軍撤退法案を議会に提出する」と言ったという。アメリカの政治専門チャンネルＣ－ＳＰＡＮで早速記者会見の映像を見た。記者会見した議員は伏し目がちで、アメリカ人記者から「撤退して困るのはアメリカでは」と質問されるとしどろもどろになった。選挙区向けのお粗末なパフォーマンスを日本の新聞は何で１面トップに掲載するのかと腹が立った。</p>

<p>　宮沢総理が国会で「最近のアメリカ経済はマネーゲームになり、物を作る労働の倫理観が薄れた」と発言したら、それが「アメリカ人は怠け者」とアメリカに伝えられ、アメリカ議会が大問題にした。「戦争に勝った国がなんで怠け者なんだ」から「日本にもう一度原爆を落とさないとアメリカの強さが分からない」まで恫喝のオンパレードになった。敗戦国は叩くものだとアメリカは思っている。</p>

<p>　そんな恫喝にいちいち反応していたら何も問題は解決しない。ところがこの国のメディアは過剰に反応する。そして情けないのはその報道を鵜呑みにする政治家がいる。昔はそうした報道で政治家に食い込み、「私がアメリカ側と接点を作って上げる」とマッチポンプを専門にするゴロツキ特派員がいた。</p>

<p>　しかし「経済戦争」が激しかった頃のアメリカは本音では日本に一目置いていた。置いていたから色々恫喝してきた。日本側はアメリカの顔を立てる振りをしながらしっかり実利を確保した。なかなかに見応えのある交渉を行い「経済戦争」の勝者は日本だった。しかし湾岸戦争を契機に日本はアメリカに見くびられるようになる。</p>

<p>　１兆円を超す日本の資金提供は湾岸戦争に大きく貢献した。しかし日本は誰からも感謝されなかった。人的貢献が無かったからだと説明されたがそれは嘘である。勢いのある経済大国日本を本気で怖れるようになったアメリカは、日本が独自の中東戦略を持たず、ひたすらアメリカに協力を申し出た事で日本をバカにした。中東の石油は日本経済の生命線である。それなのに他人任せである事が分かった。経済戦争であれだけ煮え湯を飲まされたが、本物の戦争が起これば何でもアメリカの言いなりになる。そこから「日本イジメ」が始まった。</p>

<p>　アメリカは戦後の日本に決して自立できる軍事力を持たせず、自衛隊をいびつな形に作り上げてきたにもかかわらず、「ショウ・ザ・フラッグ」だの「ブーツ・オン・ザ・グラウンド」だの言って、日本に人的貢献を求めた。憲法を作ったのはアメリカだから、憲法の制約があることも百も承知である。その度に日本政府は苦渋の決断を迫られ、「安全だから軍隊を出す」という世界大爆笑の間抜けな論理を真面目に言う羽目になった。</p>

<p>　「アジアは世界で唯一冷戦が残っている」と日本に言って基地を存続させながら、アメリカは着々と中国や北朝鮮と手を組む準備を進めている。アメリカの頭の中は「冷戦後」だが日本の頭は今でも「冷戦中」である。小泉政権時代に某外務大臣が米中の蜜月関係に懸念を表明すると、「文句があるならもう一度戦争して勝ったらどうか」とアメリカの高官から言われたという。これに日本は反論できない。</p>

<p>　利権まみれの政治のせいで１３年間何も進まなかった普天間問題をじっと見てきたアメリカが移設を急ぐ理由は何もない。民主党政権が誕生すれば自民党と政策が異なるのもアメリカは先刻承知である。しかしそれをただで認めてしまったらアメリカは何の利益も得られない。恫喝に怯む日本のＤＮＡを百年以上も見続けてきたアメリカだから今回のような動きは当然である。試されているのは新政権の外交力だ。決着のさせ方でアメリカの日本を見る目が決まる。</p>]]>
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    <title>普天間問題から見える日本</title>
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    <published>2009-12-07T13:47:20Z</published>
    <updated>2009-12-17T11:39:29Z</updated>

    <summary>　１９９５年に沖縄で米海兵隊員による少女暴行事件が起き、反基地運動が高まった事で...</summary>
    <author>
        <name>田中良紹</name>
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        <![CDATA[<p>　１９９５年に沖縄で米海兵隊員による少女暴行事件が起き、反基地運動が高まった事で当時の橋本総理が普天間基地移設を言い出した時、橋本政権の要職にあった政治家たちが相次いで沖縄に事務所を開設した。自分の選挙区でもない土地になぜ事務所を作ったか。基地の移設で大規模な公共工事が始まり、多額の税金が投入される事が予想されたからである。沖縄は政治家と業者にとって利権の島となった。</p>]]>
        <![CDATA[<p>　９８年に誕生した小渕政権は先進国首脳会議（サミット）の開催地を沖縄と決め、２０００年に森内閣の下で行われた会議にはサミットで過去に例がない８１４億円もの税金がつぎ込まれた。取材に訪れた外国人記者は会議を「宴会」と酷評し、日本は世界に恥をさらした。翌年サミット準備室の数々の不正が発覚し、そこから責任者であった松尾克俊要人外国訪問支援室長の外務省機密費流用の実態が明るみに出て、日本外交はさらに世界に恥をさらした。</p>

<p>　市街地に基地があるため事故の危険性や騒音に悩まされてきたのは沖縄県民である。移設を急ぐ必要があるのは日本側でアメリカではない。であるのに移設に時間がかかったのはアメリカではなく日本側の事情である。辺野古沖なのか海岸の埋め立てか、利権を巡る調整がつけられずに１３年が過ぎた。それをアメリカはじっと見てきた。</p>

<p>　アメリカが海外に基地を持つようになったのは戦後の日本が初めてである。冷戦が始まり朝鮮戦争が勃発してアメリカに出撃と補給の基地が必要となった。補給のためには日本の工業力を再建する必要がある。こうして戦後の日本はアメリカの手によって工業国家としてスタートする事になった。</p>

<p>　冷戦のおかげで反共の防波堤としての日本はアメリカにとって死活的に重要となった。日本経済の成長もアメリカには好都合である。１ドル３６０円の為替レートは日本の輸出を有利にし、日本はアメリカに次ぐ世界第二位の経済大国へと上り詰めた。在日米軍基地は日米安保条約によって固定化され、ベトナム戦争の出撃拠点としてさらに重要さを増していった。</p>

<p>　在日米軍基地は日本を守るためにあるのではない。太平洋から中近東、アフリカにまたがる広大な地域の安全保障をカバーする軍事拠点である。その拠点がなぜ韓国でもフィリピンでもなく日本にあるのか。それは日本が他国より抜きんでた工業力、技術力、カネの力があるからである。アメリカからすれば戦後アメリカが育て上げた日本の力を利用するのは当然と考えられた。</p>

<p>　しかし高度成長が終わる７０年代からこうした構造に変化が生まれた。７１年にアメリカは１ドル３６０円の固定為替相場を廃止、そして日本の頭越しに中国と手を結んだ。いわゆる「ニクソン・ショック」である。日本の輸出力は削がれ、反共の防波堤としての重要さも薄れた。日本はこの時に戦後の国家戦略を再考すべきだったかも知れない。しかし当時の日本は「ニクソン・ショック」の意味を理解できず、輸出と日米安保に頼って生きるしかないと考えていた。</p>

<p>　９１年にソ連が崩壊して冷戦が終っても、アジアには中国と北朝鮮が存在するという理由で日米安保体制は強化された。在日米軍基地の重要さもいささかも変わらなかった。しかし一方でアメリカは日本の経済力を「ソ連に代わる脅威」と位置づけ、日本経済の弱体化を図るようになる。様々な分野で日本からアメリカに金が流れる仕組みが作られた。北朝鮮の核の脅威に対抗するため日本はアメリカからイージス艦やミサイル防衛兵器を買い、グアム移転などの米軍再編費用も負担することになった。そうした流れの中に普天間問題はある。</p>

<p>　冷戦後のアメリカの議論の中にソ連の末期と日本との類似性を指摘する声がある。ブレジネフ時代のソ連共産党には様々な腐敗が見られ、それを粛正するためにゴルバチョフが登場した。ゴルバチョフは数々の改革を行ったがソ連は崩壊した。自民党に小泉総理が誕生したのもゴルバチョフと同じだとアメリカ人は言うのである。彼らは小泉氏を「日本のゴルバチョフ」と呼んだ。アメリカは自民党政権の腐敗を知りながらそれを自国の利益に都合良く利用してきた可能性がある。普天間問題をそうした視点で見る必要もある。</p>

<p>　今年アメリカにオバマ政権が誕生した。アメリカの大統領として初めて「核廃絶」を唱え、来年ワシントンで安全保障サミットを開こうとしている。焦点はロシアに加えて中国を「核廃絶」の同盟に引き込めるかどうかだ。一方で米朝二国間協議も行われようとしている。簡単ではないだろうが休戦状態の朝鮮戦争に終止符が打たれ、中国と北朝鮮の核の脅威が薄れれば、北東アジアの安全保障情勢に大きな変化が生まれる。</p>

<p>　来年横浜で開かれるＡＰＥＣに出席する際、オバマ大統領は広島、長崎を訪れたい意向で、それまでに「核廃絶」の成果を上げたい筈である。そして来年は日米安保条約が５０周年の節目を迎える。日本にも政権交代が実現した事でオバマ大統領は歴史的な節目の年にしたいのではないか。普天間問題はこうした流れの中にもある。</p>

<p>　一方で過去の自民党政権とアメリカ政府との合意がある。合意を作り上げた人たちは変更を飲めるはずがない。それがアメリカ側にも日本側にもいる。そこで綱引きが演じられている。外務省も防衛省もこれまでの立場を簡単に覆す訳にはいかない。それを言いたいだけ言わせるのも政治である。最近では連立を組む社民党と国民新党が合意の見直しを迫っているが、これは鳩山政権の応援団である。かつての自民党は必ず社会党に反対させ、それを理由にアメリカとの交渉を日本ペースにしようとした。</p>

<p>　本来移設を急ぐ必要のないアメリカがここにきて強硬姿勢に出ているのは何故か。アメリカの裏の狙いが何かを読み解く必要がある。アメリカはグアムの基地強化に懸命である。それにどれだけ協力出来るのか。いずれにしても「山より大きな猪は出ない」。鳩山政権は沖縄県民の声を代表して交渉に当たれば良い。それにしてもどこの国の新聞とテレビかと思うばかりの論調を連日見せつけられるといつもの事ながらうんざりする。</p>]]>
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    <title>改革の本丸は国会にあり（４）</title>
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    <published>2009-12-01T15:33:54Z</published>
    <updated>2009-12-02T10:21:39Z</updated>

    <summary>　１０月２２日付の産経新聞に塩川正十郎元衆議院議員が、「民主党が自民党政治を変え...</summary>
    <author>
        <name>田中良紹</name>
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    </author>
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.the-journal.jp/contents/kokkai/">
        <![CDATA[<p>　１０月２２日付の産経新聞に塩川正十郎元衆議院議員が、「民主党が自民党政治を変えると言うのなら、委員会中心主義の国会を戦前の本会議中心主義に戻すべきだ」と書いている。これは古い表現を借りれば「戦後政治の総決算を行え」との指摘である。</p>]]>
        <![CDATA[<p>　戦前の日本政治の仕組みは英国とよく似ていた。議会が首相を選ぶ議院内閣制、衆議院と貴族院からなる二院制、本会議での論戦を通じて立法を行う本会議中心主義などが共通していた。ところが敗戦後の日本は米国の影響を強く受け、国会は米国議会に近いものになった。議院内閣制は変わらないのに、本会議中心主義が委員会中心主義に変わった。</p>

<p>　前にも説明したが、米国と英国の民主主義は原理が全く異なる。原理の異なる民主主義を両方とも受け入れ、それを混在させてきたのが日本の戦後政治である。私は「接ぎ木民主主義」と呼んでいるが、そこに戦後政治の混乱の素がある。</p>

<p>　英国国教会から逃れたピューリタンが建国した米国は、中央集権よりも地方分権、国家より個人の自由が尊重され、権力は国民の選挙によってしか与えられない。国民が国政選挙で選ぶのは政党ではなく候補者で、議員は党議拘束に縛られない。多数党の政策が成立するとは限らないから議会では最後の最後まで１票を獲得するためにしのぎを削る。法案を付託された委員会は公聴会を開いて外部の専門家の意見を聞き、詳細な議論を行って採決に持ち込むが、採決の結果がどうなるかは予断を許さない。法案の一つ一つが勝負である。これが米国の議会である。</p>

<p>　これに対して英国では、選挙で選ばれるのは候補者でなく政党のマニフェストである。従って議員は党議拘束に縛られる。選挙で勝った与党の政策が実現するのは当り前で、議会では修正のための議論が行われる。その議論を与野党が勢揃いした本会議で行う。野党は本会議で政府与党の政策を批判し、国家のあり方について政府と論争をしながら次の選挙のマニフェストを作る。こちらは政党のマニフェストが勝負である。</p>

<p>　米国型も英国型もそれぞれ一貫した民主主義の原理に基づいているが、それを「接ぎ木した」日本では奇妙な事が起きている。選挙は米国型である。公職選挙法は候補者を選ぶ選挙を想定している。候補者は地縁・血縁のある選挙区から立候補し、名前を売るためポスターを作り、街宣車で名前を連呼する。最近では日本でもマニフェスト選挙と言うが全く英国型ではない。英国の選挙は戸別訪問でマニフェストを説明するだけである。候補者が誰かは関係ない。</p>

<p>　しかし当選すると日本の議員には英国と同様に党議拘束がかけられる。それなら英国型の国会運営を行うかと思えばそうではない。米国と同じ委員会中心主義の国会だから法案の一つ一つが勝負になる。党議拘束があるから政府与党の法案は全て成立する筈で、野党がやれるのは修正協議だけなのだが、日本の野党は修正に力を入れない。与党の採決を「暴挙」と言って審議拒否に入る。このため国会が英国のように修正のための討論や国家の将来を巡る議論の場にならない。</p>

<p>　しかも日本の委員会は米国議会と違って霞ヶ関の官庁の縦割り通りに出来ている。法案を官僚が作るため官庁には国会担当の部署があり、与野党の所属議員に対して法案や所管業務の情報サービスを行う。議員たちは次第に官庁の情報に洗脳される。同じ委員会中心主義の米国議員には官庁以外に政党のシンクタンクや議会のシンクタンク、さらには国から派遣された政策秘書チームの情報サポートなどがあり、官庁に頼る必要は全くない。</p>

<p>　議院内閣制であるために党議拘束を是としながら、本会議中心主義の国会運営を行わず、委員会中心主義の国会運営を行ってきた日本の国会は、官僚にとって誠に都合の良い存在だった。「省庁は予算確保のため、やみくもに法案を提出（中略）議員は委員会での審議に追われ、十分な勉強もできないし、満足に意見を述べることもできない」と塩川氏が産経に書いているが、１５０日間の通常国会に行政府によって１００本以上の法案が提出され、国会と国会議員はその処理に使われ続けてきたのである。</p>

<p>　これまでの自民党政権が「脱官僚」と言って力を入れてきたのは専ら官邸機能の強化であった。おそらく行政府の長である内閣総理大臣は政治家だから、その力を強くすれば政治家が行政府を従属させる事が出来るという発想である。しかしそれは勘違いと言わざるを得ない。総理は周りを全て官僚に取り囲まれている。言い換えれば官僚の情報に取り囲まれている。官僚が行政府に都合の悪い情報を総理の耳に入れるはずがない。それでどうして「脱官僚」が出来るのか。小泉政権の「経済財政諮問会議」も安倍政権の「総理補佐官制度」も官僚が事務方となって支えている限り大した意味はないと思っていた。</p>

<p>　政治家が立脚するのは立法府である。立法府を行政府から自立させないで政治主導もへったくれもない。それが大前提なのにこれまでの自民党政権はそこを放置してきた。むしろ国会が官僚の手の平にあることを国民の目から覆い隠し、あたかも政治が優位にあるかの如くに装ってきた。しかし現実は官僚が作・演出の国会で政治家はただ踊っていただけである。</p>

<p>　国会を行政府から自立させた政治家が行政府の長となり、官僚の人事権と官僚の情報をコントロール出来れば、そこではじめて政治家は官僚を従属させる事が出来る。自民党政権が国会を自立させた上で「経済財政諮問会議」や「総理補佐官制度」を導入したなら多少は評価する気にもなったが、これまでの自民党は全く国会改革を視野に入れなかった。</p>

<p>　「脱官僚政治」を標榜する民主党は英国型の民主主義を目指すようだ。それならば塩川氏の言うように現在の国会を戦前の本会議中心主義に戻す必要がある。同時に公職選挙法も英国型に変えなければならない。候補者の名前を売り込む選挙ではなく、戸別訪問を認めてマニフェストを選ぶ選挙にしないと意味がない。</p>

<p>　しかし日本人にとって半世紀以上慣れ親しんだ米国型の選挙制度を変え、委員会中心主義の国会を変えるのは大仕事である。米国によって作られた現行憲法を変える話になるから民主党だけでは出来ない。国民の理解を得る必要があり、それには時間がかかる。「戦後政治の総決算」の最終版とも言える作業だから時間がかかるのも当然と言えば当然である。</p>

<p>　近代日本が明治維新を経て国のかたちを整え、憲法が出来るまでに２２年かかった。国会を改革するのもそれに匹敵する作業である。しかし国民が初めて自らの手で権力を作り出した政治の流れは、最終的に自らの手で憲法を作らなければ終わらないと私は思う。国会を改革する話はそうした流れの中にあり、これからそのスタートが切られようとしている。</p>

<p><strong>■銀座田中塾のお知らせ</strong><br />
「映像で読む世界と日本」<br />
日本と日本人を考える（3）座頭市と007<br />
日時：12月4日（金）18:30～20:30<br />
会費：3,000円（弁当・お茶付き）<br />
場所：東京都中小企業会館8階C<br />
東京都中央区銀座2-10-18<br />
申し込み先：銀座モリギャラリー<br />
Tel：03-3357-0828<br />
E-mail：morim-p@gol.com</p>]]>
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    <title>「事業仕分け」で大騒ぎ</title>
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    <published>2009-11-25T14:41:21Z</published>
    <updated>2009-11-25T16:45:43Z</updated>

    <summary>　行政刷新会議が行っている「事業仕分け」に日本列島が揺れている・・・と言っても過...</summary>
    <author>
        <name>田中良紹</name>
        <uri>http://www.the-journal.jp/mt/mt-cp.cgi?__mode=view&amp;blog_id=52&amp;id=45</uri>
    </author>
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.the-journal.jp/contents/kokkai/">
        <![CDATA[<p>　行政刷新会議が行っている「事業仕分け」に日本列島が揺れている・・・と言っても過言でないほど鳩山政権の「事業仕分け」に注目が集まっている。連日のニュースは「事業仕分け」でもちきりだ。この動きに既得権益の方々は苦々しい思いのようで、「１時間程度の議論で結論を出すのは乱暴」とか「仕分けの基準が分からない」とか「大蔵省に操られているのではないか」などの批判が出ている。</p>]]>
        <![CDATA[<p>　しかしそれらはいずれも「事業仕分け」を予算の決定機関と過大評価しているかのような批判である。私には谷川秀善自民党参議院幹事長の発言が最も的を得ていると思えた。「ただのパフォーマンスやけど、国民には新鮮に見えるやろうな。自民党は何でこれをやらなかったんだろう」と谷川氏は言った。その通りで「事業仕分け」は予算案を決める手前の「パフォーマンス」に過ぎないのである。</p>

<p>　従って結論を出す時間が短かろうが、仕分けの基準が分からなかろうが、それを過大に批判しても始まらない。ノーベル賞学者が「歴史の法廷に立つ覚悟があるか」と批判したそうだが、予算を決める作業はまだこれからである。「事業仕分け」の結論を「参考」に鳩山政権の閣僚によって予算案が決まり、それが来年の通常国会で与野党によって議論されて予算は正式に決定される。日本の予算が「歴史の法廷に立つ」のはその時である。</p>

<p>正式に予算を決める作業でもない「事業仕分け」が何故これほどに注目されるのか。それは予算を作成するプロセスの一部が初めて国民に公開されたからである。これまでは既得権益の方々と官僚と与党政治家とによって霞ヶ関の内側で作られてきた数字が表に出て来て、数字の根拠を巡るやりとりが生で公開されたから面白くなった。既存メディアも取り上げざるを得なくなり、追加取材までするようになって、国民はこれまで知らなかった建物や施設を見て税金の使い道を実感した。</p>

<p>　メディアは「事業仕分け」によっていくら予算が削られるかばかりを話題にしているが、これもピントが外れている。「事業仕分け」の結論は大事でも何でもなく、予算案を作るための「参考」に過ぎない。むしろ大事なのはこの「パフォーマンス」によって、「事業仕分け」の対象にならない分も含めた予算の削減が可能になる「効果」の方である。</p>

<p>　予算について最も良く知っているのは仕分け人でも政治家でもない。各官庁の官僚である。何が無駄かを知っているのも官僚である。しかし何もなければ官僚は無駄だと思っても予算を削る事が出来ない。正義感で削ったりしたら霞ヶ関で出世する道は永久に閉ざされる。</p>

<p>　予算を削るのは、削られる側からすれば糧道を断たれる話だから大変である。ある人々にとっては生活権を奪われる話になる。その人々は死にものぐるいで抵抗する。その抵抗に負けると予算は既得権益化する。いったん既得権益化すると切るのは容易でなくなり、そのうち政治家や業界とのしがらみも出てきて予算は固定化される。これが積もり積もると財政は破綻する。だから時々政権交代でしがらみを断ち切る必要があるのである。</p>

<p>　政権交代はしがらみを切る絶好のチャンスだが、日本では政権が代わっても官僚は古くからのしがらみに縛られている。アメリカのように政権交代によって官僚が数千人規模で入れ替わるなら容易にしがらみは切れる。しかし日本では法律を変えない限りそれが出来ない。そこで官僚にしがらみを断ち切らせるには第三者の力を利用するしかない。官僚の意思ではなく新たな仕組みが予算を切るとなれば官僚は誰からも恨まれない。それなら官僚も前から無駄だと思っていた予算を削る提案が出来る。</p>

<p>「事業仕分け」の現場を見れば仕分け人と官僚は敵対している。そして実際に敵対するケースは多いと思う。しかし実は敵対しているように見せながら、官僚がこれまで出来なかった無駄の削減を可能にする仕組みが「事業仕分け」だと私は思っている。その上で国民に予算の使い道に対する関心が高まれば、国民の声がしがらみを断ち切らせる力にもなる。「事業仕分け」という「パフォーマンス」の持つ意味はそこにある。</p>

<p>　今回の「事業仕分け」によって税金の使い道に対する国民の関心は高まった。それは良い事だが手放しで喜ぶ気にはなれない。本来は国会の予算委員会と決算委員会がその役目を果たすべきだと考えるからである。予算委員会できちんと予算の議論をしていれば、国民は税金がどのように無駄に使われそうになっているかを知る事が出来、決算委員会を見ればどれだけの無駄があったかを知る事が出来たはずである。</p>

<p>　ところが前にも書いたが、予算委員会の国会中継はスキャンダルの追及ばかりである。予算の議論などほとんど見たことがない。決算委員会と言えば直近の予算の使い道ではなく、２年前の税金の使い道を対象にしているから気の抜けたビールになる。そうした国会のあり方をこれまで誰も批判してこなかった。</p>

<p>　予算に対する関心を抱かせない国会は予算を作ってきた霞ヶ関の官僚にとって都合の良い存在だった。これまでは国民に注目されずに思い通りの予算を成立させてきたのである。その反動が「事業仕分け」に対する国民の高い注目となって現れた。この変化を国会議員は肝に銘ずるべきである。</p>

<p>　国民が予算の作成段階から注目した予算案に対し、通常国会で国民の期待を裏切らずに議論を展開しなければならない。特に攻める野党自民党の責任は大きい。「事業仕分け」で削減された予算を元に戻して「増やせ」と言うのか、それとも「無駄がまだある」と追及するのか、その攻め方で自民党は野党としての鼎の軽重が問われる。</p>

<p><strong>銀座田中塾のお知らせ</strong><br />
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    </content>
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    <title>改革の本丸は国会にあり（３）</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.the-journal.jp/contents/kokkai/2009/11/post_197.html" />
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    <published>2009-11-17T09:04:44Z</published>
    <updated>2009-11-18T12:55:16Z</updated>

    <summary>　１１月２日に始まった衆議院予算委員会の「基本的質疑」で初めて官僚のいない委員会...</summary>
    <author>
        <name>田中良紹</name>
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    </author>
    
    
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        <![CDATA[<p>　１１月２日に始まった衆議院予算委員会の「基本的質疑」で初めて官僚のいない委員会質疑を見た。これまで官僚が待機していた席には副大臣、政務官らの政治家が座り、閣僚はそれぞれ自分の言葉で答弁して見せた。政治家が自分の言葉で語るのは当たり前である。しかしこれまでは当たり前が当たり前でなかった。官僚が政治家に代わって答弁し、官僚が書いた原稿を閣僚が読み上げるなど、官僚に振付けられた国会の姿を見せられ続けてきた。その意味で画期的な委員会の始まりだった。</p>]]>
        <![CDATA[<p>　しかしこれは国会を変えるほんのわずかな一歩にすぎない。前にも書いたが、予算とは関係のないオール政府対オール野党の議論を何故予算委員会でやらなければならないのか。その分本当の予算審議は時間が削られている。党首討論を行なっている委員会を「国家基本政策委員会」と言うが、予算に関係のないオール政府対オール野党の議論はそこで行うべきではないのか。</p>

<p>　また審議時間が長いのも異常である。午前９時から夕方５時過ぎまで審議する委員会など世界にはない。座っているだけでも肉体的に苦痛である。会社の会議なら通常は１時間、長くても２、３時間だろう。それ以上は肉体的限界を越えて効率が悪い。むしろ短い方が濃密な議論が出来る。ところがわが国の国会は６時間も７時間も審議するのである。審議時間が長いのはまともな議論をしていない証拠だと私は思う。</p>

<p>　英国議会でオール政府対オール野党が議論をする「クエスション・タイム」は３０分間である。その代わり毎週定例的に行なう。オール政府対オール野党の議論なら毎週定例でやってもらう方が国民にはありがたい。３０分間なら忙しくとも全てを視聴できる。しかし１日中審議を見る国民などほとんどいない。</p>

<p>　米国議会の審議も大体１時間程度である。ただ例外的に朝から夕方までやる場合がある。国家が戦争突入を決める時で、この時は議員全員が議会で意見の開陳を行なう。国民の血を流す決断だから、議員も自らの政治生命を賭けて意見を表明する。議場には朝から緊張感が漂い、この時ばかりは長い審議も長さを感じさせない。しかし機械的に朝９時から夕方５時半まで行なう審議に果たして意味があるのだろうか。</p>

<p>　何故こんな事になったかと言えば、議席数に応じて機械的に質問時間を割り振るからである。少数の野党も質問時間を要求するから、少数野党に質問時間を割り振ろうとすれば、議席数の多い野党第一党や、さらに多い与党には大幅な質問時間が与えられ、結果的に長い審議になる。しかし与党に大幅な質問時間を与えても全く意味はない。「よいしょ」をするか、野党を批判させる答弁を導くのがせいぜいである。そんな質問を国民が聞きたい筈もない。しかし現実にはそうした事が行なわれてきたのである。</p>

<p>　このバカバカしい長時間審議を変えようとすると、最も反対したのがかつての野党社会党だった。「民主主義に反する」という訳の分からない理由で反対した。５５年体制当時の自民党は水面下で社会党と通じていたから、社会党の言い分を聞き入れ、世界ではありえない長時間の審議が慣例となり、旧大蔵省が仕切る予算委員会での「基本的質疑」が国会を代表する審議となった。</p>

<p>　さらに世界でありえないのが国会への出席を最優先にする考えである。１年ほど前に民主党の小沢代表（当時）が本会議の採決を欠席して新聞やテレビが騒いだ。民主主義に反するかのような騒ぎだった。しかしそんな事で大騒ぎする国を私は知らない。その欠席で投票結果が変わるならいざ知らず、党議拘束がかかった国会で投票結果は分かっている。それなのに騒いだ。まるで国会出席イコール民主主義なのである。</p>

<p>　だから国会開会中に政治家は国会に縛り付けられる。中でも問題なのが外交を預る外務大臣や総理を野党が国会に縛り付ける事である。英国では国益は議会への出席よりも外交に力を尽くしてもらう事だと考える。野党は外相の外国行きを応援し、仮に外相の留守中に採決が行なわれる事になると、野党が自主的に１名を欠席させて公平を期す。さすがに紳士の国だと思うが、わが国はまるで逆である。政府を困らそうとする野党が国益など考えずに「国権の最高機関を無視するのか」と恫喝して総理や外務大臣を外国に行かせないようにする。</p>

<p>　従って日本では通常国会開会中に閣僚が外国に行くのは、週末の土日か５月のゴールデンウイークかという話になる。それでも冷戦の間はこの国にまともな外交などなかったから深刻な影響はなかった。しかしこれから日本が真に自立する国になろうとすれば、このような「国権の最高機関」のありようでは困るのである。外交に関して言えばもう一つ、私が以前から指摘している「秘密会のない国会の異常さ」がある。</p>

<p>　国会は国民から預った税金の使い道を決めるところである。従って税金の使い道については徹底的に審議してもらわないと困る。それは秘密を要する安全保障や外交や捜査中の事件に関する税金についても同様である。しかし安全保障問題や外交問題の手の内は諸外国に知られてはならないし、事件を解決するために公開できない捜査情報もある。</p>

<p>　それらの問題についてこれまでの国会では野党が追及しても「お答えできません」の一言で官僚が公開を阻んできた。情報は官僚の中だけに留め置かれ、国民の代表である政治家には知らされずに来た。しかし日本が民主主義であるならば本来それは許されない。主権者の税金で集めた情報は基本的に主権者に帰属すべきなのである。</p>

<p>　そこで各国の議会には「秘密会」がある。問題の性格上公開は出来ないが、国民の代表である国会議員にだけは秘密保持を条件に情報を知らせ、税金の使い道として妥当かどうかを判断してもらう。その非公開の議論の場が「秘密会」である。ところがわが国の国会で「秘密会」は開かれたためしがない。ないと言う事は政治家に官僚の情報が知らされていない可能性がある。最近話題になった「核密約問題」などはその好例である。知らされない総理もいた話である。</p>

<p>　「脱官僚」の政治は政治家が官僚の人事権と官僚の持つ情報を全て把握する事から始まる。それがなければ政治はいつまでも官僚にコントロールされる事になる。その入り口の一つが国会に「秘密会」を設ける事だと私は思う。選ばれた与野党の議員に罰則付きの守秘義務を課し、「秘密会」で秘密情報を元に議論させるのである。</p>

<p>　かつて外務省と警察庁の幹部に何故「秘密会」がないのかを聞いた事がある。「議員に秘密情報を漏らせば直ちにクレムリンと北京に通報される」と言うのが官僚の答えだった。冷戦中はその論理が通用したかもしれない。しかし今や日本は好むと好まざるとに関わらず、冷戦思考からの脱却を考えなければならないし、政治主導の政治は「秘密会」の存在を必要とするのである。（続く）</p>

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    <title>「政治ホットライン」の復活</title>
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    <published>2009-11-11T19:15:37Z</published>
    <updated>2009-11-12T00:58:59Z</updated>

    <summary>　この１４日に「政治ホットライン」が復活する事になった。これはスタジオの政治家に...</summary>
    <author>
        <name>田中良紹</name>
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    </author>
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.the-journal.jp/contents/kokkai/">
        <![CDATA[<p>　この１４日に「政治ホットライン」が復活する事になった。これはスタジオの政治家に視聴者が直接電話で質問が出来る生放送番組である。１９９８年にＣＳ放送でスタートした「国会ＴＶ」の目玉番組だった。なぜ目玉かというと日本の放送局が決して真似の出来ない「怖ろしい」番組だからである。真似が出来ない理由は視聴者からかかってくる電話を全く選別せずに次々につないでいくからだ。そこには演出が一切ない。つまらない質問が続けば番組もつまらなくなるし、面白い質問があれば番組も面白くなる。シナリオのない生放送の主役がスタジオの政治家だとしたら、作・演出は視聴者ということになる。視聴率を無視出来ない放送局には不可能な番組なのである。</p>]]>
        <![CDATA[<p>　この番組にはモデルがある。アメリカの政治専門チャンネルＣ－ＳＰＡＮが毎朝放送している「コール・イン・ショー」である。こちらは毎朝１時間、政治家、ジャーナリスト、学者などをスタジオに呼んで視聴者からの質問を電話で受け付けている。最初に見た時にはラジオの「子供電話相談室」のテレビ大人版だと思った。それほど電話の質問が素朴なのである。専門家とは発想の違う素朴な質問がとても新鮮だった。時にはたどたどしい質問にゲストが優しくフォローしたりする。並の政治討論番組とは違って人間味があった。 </p>

<p>　湾岸戦争でバグダッド爆撃が始まり世界中のテレビが戦争の実況中継を始めた時、Ｃ－ＳＰＡＮはこの「コール・イン」を２４時間放送した。深夜にはゲストの政治家もいなくなり、視聴者だけの「声の伝言板」になったが、その夜のアメリカ国民一人一人の心の中が見えてきてとても感動的だった。世界ではＣＮＮの湾岸報道が評価されたが、アメリカのメディア批評家たちは「戦場シーンを見せない戦争報道」としてＣ－ＳＰＡＮを高く評価した。</p>

<p>　これを日本で放送するにはためらいがあった。日本では知ったかぶりの人間だけが電話してきて素朴な質問にならないのではと心配した。政治家と国民との間に人間味のある会話が成立するだろうか。そんなことを考えながら始めて見ると、案の定政治家に対する「罵倒」と「陳情」だらけになった。「お前らは議場で居眠りしやがってもっと真面目に仕事しろ」とか、「保育園の料金を下げてください」とか言われても、スタジオの政治家は答えようがない。せっかくの対話のチャンスが対話にならない。日本では政治家と国民が普通の人間同士として会話することは難しいのだとつくづく思った。</p>

<p>　しかし番組を続けていると視聴者の方が変わってきた。「罵倒」や「陳情」がなくなって、「励まし」や「ヨイショ」も出てきた。「官僚に負けずにがんばれ」とか、「さっきの一言は良かったです」とか言われて、スタジオの政治家も胸襟を開いて話すようになり素顔が見えるようになった。時にはスタジオの政治家が視聴者の激励に涙ぐんだり、政治家と意見がぶつかって電話の向こうで視聴者が泣き出したりした。</p>

<p>　「加藤の乱」の時、総理不信任案を採決する衆議院本会議が休憩に入り、再開のめどが立たなくなった。その時湾岸戦争のＣ－ＳＰＡＮを思い出し、ゲストなしの「コール・イン」をやってみた。「加藤紘一の行動をどう思うか」で日本中から賛否両論の電話がかかってきた。夜の８時頃から始まった番組に夜中の２時を過ぎても電話がかかって来る。その夜の日本人の心のドキュメントが放送出来たと思った。この番組に感動して政治に対する見方を変えたという人がその後何人も連絡をくれた。政治家への個人献金を始めたと言う人もいた。日本の政治に少しは役に立ったかなと思った。しかし諸般の事情で「政治ホットライン」は放送が出来なくなった。</p>

<p>　そんな思い出のある番組がインターネットで復活する。日本人が初めて自らの手で政権を選んだ時期に復活するのだから格別の思いになる。政治は国民が作り育てるものだと私は思ってきた。どう育つかは国民次第である。その事に「政治ホットライン」が役立つようになれればと思っている。</p>]]>
    </content>
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    <title>やれば出来る</title>
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    <published>2009-11-08T13:48:15Z</published>
    <updated>2009-11-08T17:55:17Z</updated>

    <summary>　国会で予算委員会の基本的質疑が始まり、初めて官僚のいない国会審議を見た。かつて...</summary>
    <author>
        <name>田中良紹</name>
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    </author>
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.the-journal.jp/contents/kokkai/">
        <![CDATA[<p>　国会で予算委員会の基本的質疑が始まり、初めて官僚のいない国会審議を見た。かつて官僚が待機していた場所に副大臣や政務官が座り、昔なら質問の度に閣僚席にペーパーを運んでいた官僚の姿がない。従って閣僚が原稿を棒読みする事もない。大袈裟かもしれないが生まれて初めて見る光景である。「やれば出来るじゃん」と思った。</p>]]>
        <![CDATA[<p>　官僚の答弁禁止が問題になっているが、反対する政治家は官僚の助けなしに答弁する自信がないか楽をしたいかのどちらかである。これまでの閣僚は官僚が後ろに控えていたから実に楽だったと思う。しかし「それで良いのか」というのが「官僚政治からの脱却」である。行政府の官僚に仕切られる立法府で良いのかという話である。国会が官僚から話を聞く必要があれば、官僚を喚問して「証言」させれば良い。決して「答弁」をさせる必要はない。それが民主主義国ならどこでもやっている常識である。</p>

<p>　政治家が自分の言葉で語るようになれば、ムキになったり、言葉足らずになったり、閣僚同士の意見が食い違ったりする事は大いにありうる。むしろそれこそが本当の国会の姿である。ところがわが国のメディアは官僚に洗脳されているから、すぐに言葉尻を捉えて「閣内不一致」とか「発言に矛盾」とか瑣末な批判をする。政治が変わったのに民主主義とは対極の官僚思考から脱却できない新聞とテレビは大いに問題である。</p>

<p>　民主主義の議会は言いたい事を大いに言い合う「言葉の戦場」である。昔見た英国議会では当時のサッチャー首相が野党の党首をつかまえて「お前は古臭い共産主義者だ！」と金切り声を上げていた。政治は結果責任だから、大いに言い合っても、矛盾しても、閣内不一致でも、最後に国民に支持される結果を出せればそれで良い。その途中を針小棒大にあげつらうのは「ちいちいぱっぱ」の民主主義である。</p>

<p>　官僚が振付けて政治家が踊っていた時代は途中経過が見えなかった。途中経過で主役を演じているのは官僚だから、裏舞台を国民に見せる訳にはいかない。しかし政治家が主役になると途中経過も見えてくる。政治の途中経過には紆余曲折があり目的地に一直線に進む訳ではない。何を決めるにも敵が至る所にいる。そのため右に行ったり左に行ったりしながら最後の最後で目的地に着陸する。その過程を大局も見ずに批評していたら何が何だか分からなくなる。今のメディアはその蟻地獄に嵌っている。</p>

<p>　官僚のいない国会を見て、やっとこの国も民主主義に近づいたとは思ったが、議論の中身は今のところお粗末である。責任の多くは野党にある。攻めるポイントがうまくない。どのみち予算案がまだ出来ていないので本格論戦にはならない。そのため民主党の選挙マニフェストを俎上に乗せている。しかしこれはすでに選挙で決着がついている。攻め方によっては負け犬の遠吠えに聞える。同時にこれから実現していく話なので、それを批判しても始まらない。「実現できるか」、「４年間で実現する」という応酬にしかならない。</p>

<p>　結局、鳩山総理の故人献金問題と日本郵政社長人事に力が入れられた。しかしこれも攻める論理がいまいちである。故人献金問題は東京地検が捜査中だから、その推移を見守るしかない。それはこれまで攻められる立場にあった自民党は良く分かっている。国民の印象を悪くさせるだけが狙いである。ところが悪徳企業や外国から金を貰ったならともかく、大金持ちが自分の金を政治活動に使うために虚偽記載をしたという話で、国民の憤りはさほどでない。東京地検が結論を出すまでは大した話になりそうもない。</p>

<p>　日本郵政の社長に元大蔵官僚を起用した人事を「天下り」と批判するのも、これまでの自民党的大人の考え方に立てば、声高に批判出来る話にならない。大体この人事を「天下り」と批判するのは余りにも幼稚である。なぜなら「天下り」が問題なのは、第一に官僚の人事権を政治家ではなく官僚が握ってきた事、第二に国民から預った税金をその人事に関して無駄遣いしてきた所にある。</p>

<p>　法律上、官僚の人事権は大臣すなわち政治家にある。国民の代表である政治家に人事権があるという事は最終的に国民に人事権がある事になる。国民は政治家の生殺与奪の権限を握っている。これが国民主権国家における官僚と政治家と国民との関係である。ところがこれまで自民党は全く人事権を放棄し、あらゆる人事を官僚に委ねてきた。人事権を放棄した事が「官僚主導政治」を生み出した。</p>

<p>　官僚はＯＢの「天下り」も含めて全ての人事を自分たちで決めてきた。公団、公社、外郭団体などへの「天下り」は昔からあったが、８０年代の後半に「天下り」の様相が一変した。日本が世界一の債権国になったことでタガが緩んだのだろう。「国を富ませたのは我々のおかげだ」と考える官僚たちが利益配分に預ろうと「天下り」が拡大した。</p>

<p>　私が働いていた放送業界にも郵政省から要求が下りてきた。それまではＮＨＫとフジテレビだけだった「天下り」がキー局全社に及んだ。８７年頃副社長から対応を相談された。断る事は出来ないのだと言う。どうせなら押し付けられる前にこちらから有能な人材を指名したらと言って副社長に候補者リストを渡したが、結局は郵政省から押し付けられた。その頃、放送業界だけではなくあらゆる役所が新たな天下り先を探していた。</p>

<p>　そのうち事務次官の仕事の第一が「天下り先を作る事」になった。それをしないと事務次官として評価されなくなる。「天下り」に伴って天下り先に国民の税金が補助金として支給される。小泉政権で「官から民へ」が叫ばれると、役所が民間の組織を作ってそこに「天下り」するようになった。例えば駐車違反の取締りを民間会社にやらせたり、国民の健康のためと称して「メタボ」検診の組織を作ったり、それらはすべて「天下り」のために考え出された事である。そうした動きが常態化し、無駄な税金が使われる実態があったから「天下り根絶」が叫ばれた。</p>

<p>　従って政治家が官僚の人事権を握り、人事配置をする事に何も問題はない。その人事が不適切であれば国民は政治家を取り代える事が出来る。日銀総裁人事で民主党が「大蔵省出身者だから駄目だ」と言った時、私はそれを幼稚な論理だと批判したが、最近の仙谷行革相の答弁によると「大蔵省出身者だからではなく、個人的な問題があり、名誉のためにそれを公にしなかった」と言う話である。</p>

<p>　自民党が本物の野党なら、小泉構造改革の「一丁目一番地」だった郵政民営化を党内できちんと総括した上で、鳩山政権の郵政改革方針に対して論戦を挑むべきである。それなら国家の進むべき道を巡る議論となって聞く気にもなるが、「天下り」であるかないかなどと言う子供のレベルの議論では聞く気にもなれず、いずれ国民にも見放されると思う。そんなレベルを喜ぶのは「ちいちいぱっぱ」のメディアだけで、それを国民は見放しつつある。せっかく国会が「やれば出来る」ようになったのだから、こちらも「やれば出来る」で本物の野党を目指してもらいたい。</p>]]>
    </content>
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<entry>
    <title>自民党の立ち位置</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.the-journal.jp/contents/kokkai/2009/11/post_194.html" />
    <id>tag:www.the-journal.jp,2009:/contents/kokkai//52.6205</id>

    <published>2009-11-04T04:48:08Z</published>
    <updated>2009-11-04T14:31:32Z</updated>

    <summary>　８０年前の大恐慌で世界の資本主義は大打撃を受けた。世界が失業と貧困に苦しむ中、...</summary>
    <author>
        <name>田中良紹</name>
        <uri>http://www.the-journal.jp/mt/mt-cp.cgi?__mode=view&amp;blog_id=52&amp;id=45</uri>
    </author>
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.the-journal.jp/contents/kokkai/">
        <![CDATA[<p>　８０年前の大恐慌で世界の資本主義は大打撃を受けた。世界が失業と貧困に苦しむ中、その影響を受けなかったのはスターリンのソ連とヒトラーのドイツである。共に独裁的権力によって計画経済を推し進め重化学工業化と完全雇用を図った。危機の震源地であるアメリカでは国家が経済に介入するニューディール政策を採用し、福祉政策に力が入れられた。日本にも反資本主義思想が生まれ、国家社会主義が台頭し、「革新官僚」と呼ばれる官僚たちがソ連の計画経済を真似して統制経済体制を作り上げた。</p>]]>
        <![CDATA[<p><a href="http://news.www.infoseek.co.jp/special/j-is/hotjournal0911_003.html" target="_blank" >＞＞続きは「THE JOURNAL×Infoseekニュース」で</a></p>]]>
    </content>
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<entry>
    <title>改革の本丸は国会にあり（２）</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.the-journal.jp/contents/kokkai/2009/10/post_193.html" />
    <id>tag:www.the-journal.jp,2009:/contents/kokkai//52.6187</id>

    <published>2009-10-30T20:14:23Z</published>
    <updated>2009-11-04T14:48:22Z</updated>

    <summary>　世の中の出来事はほとんどが複数の官庁にまたがる。ダム建設を考えても、工事をする...</summary>
    <author>
        <name>田中良紹</name>
        <uri>http://www.the-journal.jp/mt/mt-cp.cgi?__mode=view&amp;blog_id=52&amp;id=45</uri>
    </author>
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.the-journal.jp/contents/kokkai/">
        <![CDATA[<p>　世の中の出来事はほとんどが複数の官庁にまたがる。ダム建設を考えても、工事をするだけで終わらない。環境問題やエネルギー問題、地域振興から雇用問題まで幅広い分野に影響する。それを総合的に考えて計画は作らなければならないが、官僚が法律を作る日本では、どこか一つの官庁に所管させる話になる。どんな問題でも官庁のタテ割りで法案を作り、官庁と同じタテ割りの委員会がタテ割りの議論を行って法律を作る。これが官僚国家日本の立法府の姿である。</p>]]>
        <![CDATA[<p>　因みに日本と同じ委員会中心主義のアメリカ議会では、問題ごとに委員会が存在する。複数の官庁にまたがる問題の委員会もあれば、一つの官庁の問題をいくつかに分けてそれぞれ委員会が作られる場合もある。と言うか、そもそも官庁を意識して委員会が作られてはいない。官僚と議会とは基本的に関係ない。官僚が議会に呼ばれるとすれば、公聴会に証人として喚問され、議員から質問される場合だけである。</p>

<p>　しかし日本では議員が委員会に所属すると、所管官庁の官僚が頻繁に訪れ、法案の中身や役所の政策について丁寧に説明する。他にそのような事をやってくれる組織も人間もいないから、たいていの議員はその説明を鵜呑みにする。霞が関は情報の宝庫だから議員は次第に霞が関の情報に頼るようになる。そしていつの日か洗脳される。官僚と親しくなると便利な事が一杯ある。情報だけでなく献金も選挙の票も集めてくれる。</p>

<p>「言論の府」と偉そうに言うが、国会審議のほとんどは法案の字句を問いただす「質疑」とそれに対する「答弁」だと前回書いた。法案を書くのは官僚だから答弁書を作るのはお手の物である。それを閣僚が棒読みする光景がしばしば見られる。情けないのは何を質問して良いか分からない野党議員まで官僚に質問を作ってもらう。こうなると国会は政治家が振り付け通りに踊る役者で、作・演出は霞が関という事になる。振付けられる議員は古手に多いかと思えば「若い政治家ほど霞が関に頼る」と古手の議員が嘆いている。</p>

<p>　このタテ割り委員会の中でも奇妙なのが財務省所管の予算委員会である。政府が作った予算案が妥当かどうかを審議する委員会なのに、国民は昔から予算審議をしない予算委員会を見せられている。予算委員会の最初の２，３日を「基本的質疑」と言って、それをＮＨＫがテレビ中継するのである。</p>

<p>　予算の審議なら財務大臣と野党議員で議論すれば良い訳だが、「基本的質疑」には総理大臣以下全大臣の出席が義務づけられている。予算案には全役所の給与が含まれるという理由だが、役所の給与についての議論など見た事がない。要するにこれは予算審議ではなく、オール政府対オール野党の審議なのである。野党は党首クラスが質問に立ち、国民の関心事を取り上げて政府を追及する。</p>

<p>　それをＮＨＫは「国会中継」として放送し、国民はそれを国会審議だと思い込んできた。しかしこれは普通の委員会審議とは異なる国民鑑賞用の「よそゆき」なのである。これと似ているのは英国議会の「クエスション・タイム」で、こちらも全閣僚が出席し、野党党首が毎週３０分間首相と論戦を交わす。かつて自由党時代の小沢一郎氏が自民党との連立の条件として日本の国会にも導入する事を働きかけた。</p>

<p>　その結果日本でも「党首討論」と称して実現したが、実は予算委員会の「基本的質疑」と重複する。私は「党首討論」の導入で予算委員会の「基本的質疑」をやめるのかと思ったら、野党がやめる事に反対した。その結果、総理が委員会に出席する週は「党首討論」をやらない事になり、そのうちに次第に開かれなくなって「党首討論」は形骸化した。</p>

<p>　問題は「基本的質疑」をなぜ財務省が所管する予算委員会でやるかである。予算委員会の部屋には財務省の課長クラスが常時待機し、委員会の所属議員に張り付いて「廊下トンビ」をやる。つまり財務省が手取り足取り振り付ける委員会なのである。戦後ＧＨＱは内務省を解体して大蔵省（現財務省）を霞が関の中枢権力にした。その官庁が仕切る委員会が国会を代表する審議をしてみせる。それだと国会は霞ヶ関の下位に置かれている事になる。因みにアメリカでは予算委員会が他の委員会に比べて重要視される事は全くない。</p>

<p>　ＮＨＫはこの中継を自主的判断で行なっているのだろうか。ＮＨＫに何度聞いても「慣例です」としか答えない。ＮＨＫが自らの判断で国会の委員会を取捨選択し、国民に必要な審議を放送するなら問題ないが、放送が強制されているのなら問題である。国家がぐるみで「これが国会だ」と国民に見せつけている事になり、官僚支配体制を民主主義に見せかける仕組みの一つという事になる。</p>

<p>　５５年体制下ではこのＮＨＫ中継が与野党の国対政治に利用された。かつての野党は政権獲得を狙わないから政策的な議論より国民にアピールするスキャンダル攻撃を好んだ。「爆弾男」と呼ばれる議員がテレビ中継の最中にスキャンダルを暴露し、政府与党が答弁に詰まると、それを口実に野党が審議拒否に入る。</p>

<p>　審議が止まると裏側で秘密の交渉が始まる。そこで全ての法案の帰趨が決められた。審議を始める前に法案の「成立」、「継続」、「廃案」が決まるのである。「成立」の見返りに労組の賃上げが認められたり、スト処分が撤回されたりした。予算審議は３月末まで続くのにＮＨＫは最初の２，３日しか中継しない。それは予算と関係のない審議で、いざ本当に予算の審議が始まるとＮＨＫは絶対に中継しない。そのため国民は野党の審議拒否にも気がつかない。それが５５年体制末期の国会の姿である。</p>

<p>　現在、官僚の国会答弁禁止問題に与野党から議論が噴出している。言論表現の自由を侵すという議論や法律で縛らずに運用でやるべきだという主張がある。そう主張する人たちは結局官僚の手下なのだろう。国会が官僚の手の平から脱して自立する事を官僚は最も恐れている。三権が本当に分立してしまったら官僚支配は崩れる。だから何とか国会を自分たちの領域にしておきたい。官僚の発言を議事録に残し、政治をコントロールしたいのである。</p>

<p>　昔は国会に出席する官僚を政府委員と言った。大日本帝国議会の開設以来答弁を行なう存在として認められてきた。それが戦後もそのまま残った。戦後民主主義というが戦後も官僚支配である事の証拠である。制度が廃止されたのは２００１年の事である。自由党が自民党との連立の条件として提案し、副大臣制度の導入と共に廃止された。政府委員に代わって答弁は政治家である副大臣が行う事になったが、実際には副大臣の答弁はほとんどなく、政府参考人と名前を変えた官僚答弁が続いた。</p>

<p>　これまでの経緯を見れば政治家が余程頑張らないと官僚依存を脱して法律を作る事など出来ない。官僚に依存する方が圧倒的に楽なのだ。「運用で禁止する」などと言ったら政府委員が政府参考人に変わったように簡単に抜け穴が出来て官僚答弁が復活する。また自民党が政権を取った後も簡単に官僚答弁を復活させないためには法律で縛った方が良い。官僚答弁の禁止は政治家が自ら立法を行うために退路を断つ覚悟なのである。政治家にとっては厳しいが、ここは勇気を持って「法律を作るのは政治家である」と決断してもらいたい。国会が本当に「国権の最高機関」になるためには越えなければならないハードルだと思う。</p>

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<p><font color="#FF0000" size="3">銀座田中塾のお知らせ</font><br />
「映像で読む世界と日本」<br />
日本と日本人を考える（2）マキノ雅弘と清水次郎長<br />
日時：11月5日（木）18:30～20:30<br />
会費：3,000円（弁当・お茶付き）<br />
場所：東京都中小企業会館8階C<br />
東京都中央区銀座2-10-18<br />
申し込み先：銀座モリギャラリー<br />
Tel：03-3357-0828<br />
E-mail：<a href="mailto:morim-p@gol.com">morim-p@gol.com</a></p>]]>
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