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    <title>田中良紹の「国会探検」</title>
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    <title>民主党代表選挙とは何か</title>
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    <published>2010-08-31T08:58:41Z</published>
    <updated>2010-08-31T09:30:59Z</updated>

    <summary>　英国のように政権交代を繰り返している国の政党は、国政選挙に勝利した党首を党首選...</summary>
    <author>
        <name>田中良紹</name>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.the-journal.jp/contents/kokkai/">
        <![CDATA[<p>　英国のように政権交代を繰り返している国の政党は、国政選挙に勝利した党首を党首選挙で交代させる事はしないし、その逆に国政選挙で負けた党首をそのまま続投させる事もしない。政党は国民の投票の結果を受け止め、それによって党首選挙をやったりやらなかったりする。</p>

<p>　保守党のサッチャーは14年間、労働党のブレアも13年間党首の座にあった。その間に国政選挙で勝利し続ければ党首選挙は行なわれなかった。党首選挙が行なわれるのは、党首が死ぬか、辞任するか、選挙に負けるか、党内の一定数が要求した場合である。</p>

<p>　ところが「民主主義もどき」のこの国ではそう考えない。国政選挙と関係なく党則で決めた任期に従って党首選挙が行われる。中選挙区時代の自民党には5つの派閥があり、その領袖を次々総理に就かせる必要があったから２年ごとに総裁選挙をやった。「歌手1年、総理2年の使い捨て」と自嘲しながら、しかし自民党単独政権時代にはそれが総理を決める唯一の選挙であった。</p>

<p>　今も自民党は3年、民主党は2年ごとに党首選挙をやる決まりになっている。そして困った事に小泉総理を誕生させた2001年の自民党総裁選に国民が熱狂した。国民が参加しない、つまり国民主権と関係のない選挙に国民は熱狂したのである。それに味を占めた自民党は自民党総裁選挙をＰＲの道具と考えるようになった。</p>

<p>　ここ数年、自民党総裁選挙には総理になるだけの経験を積んだとは思えない候補者がぞろぞろと出てきて、「口先三寸」の演説を新聞とテレビに連日報道させる茶番が繰り返されてきた。すると民主党にもそれを真似る議員達が出てくる。その連中は「国民に開かれた選挙」と言って、民主主義と関係のない選挙を民主主義であるかのように吹聴する。昔は自嘲気味に語られた「総理と流行歌手」が最近では本当に同レベルになった。</p>

<p>　参議院選挙に敗北した民主党が代表選挙を行うのは当然である。国政選挙に敗北した党首がそのまま続投する事は民主主義の考えに反する。辞任をするか、辞任をせずに続投するならまず党内で信を問うべきである。それもやらずに続投させるのは民主党が国政選挙の結果を無視する政党だという話になる。</p>

<p>　ところが代表選挙をやると党が分裂すると言う反対論がある。これは「私」の論理である。国民には関係のない話だ。第一、党首選挙をやると分裂するという政党は同じ政党である事の方がおかしい。党首選挙は次の国政選挙に勝つために党首を選び直す選挙である。その度に分裂するというならさっさと分裂してくれた方が国民のためになる。</p>

<p>　しかも今回の民主党代表選挙は対立軸がはっきりしている。昨年の衆議院選挙で民主党が掲げたマニフェストを続けるか、やめるかという対立である。思い起こせば自民党の小泉構造改革は「改革なくして成長なし」と言い、①成長重視、②緊縮財政の路線を採った。強い産業をさらに強くすることでその利益を国民に分配するという経済政策だった。</p>

<p>　ところが国民は利益の分配を実感できなかった。そこで３年前の参議院選挙に安倍政権は「成長を実感に！」というスローガンを掲げた。これに対して小沢民主党は「国民の生活が第一」を掲げ、それを具体化したのが昨年の衆議院選挙である。強い産業を強くして利益のおこぼれが国民に到達するのを待つ政策ではなく、税金を直接家計に注ぎ込む経済政策を打ち出した。それが「子供手当」、「農家戸別所得補償」、「高校の授業料無料化」などの諸政策である。</p>

<p>　これに対して自民党は財源の裏付けのない無責任な「バラマキ」だと批判し、自民党が責任政党である証拠に消費税を１０％値上げすると参議院選挙のマニフェストに書き込んだ。すると菅総理は自民党の政策を丸飲みし、「財政健全化」に政治生命を賭けると宣言した。つまり菅民主党は小泉構造改革と同様に①成長重視、②緊縮財政路線なのである。</p>

<p>　従って民主党代表選挙はこの１０年ほど日本が模索してきた路線対立の決着点になる。同時に政界再編の対立軸を作る選挙にもなりうる。小泉構造改革を支持する政治家は菅民主党と、小泉構造改革に反対する政治家は小沢民主党と手を握る事が出来る。実に意味のある選挙なのである。</p>

<p>　それを「選挙で政治空白を作ってはならない」などというバカがいる。そんなことを言えばアメリカ大統領選挙は１年がかりで行われるが、誰一人「政治空白」を問題にする国民はいない。むしろそれだけ時間をかけてくれるから国民も国家の現状や進路に関心を抱くことが出来る。この選挙は国民が参加する選挙ではないが、この国の「分かれ道」を考える貴重な時間を国民にも与えてくれる筈である。</p>]]>
        <![CDATA[<p>　ところが昨夜鳩山前総理が菅総理と会談して「トロイカ」体制の確認を行ったことから、メディアは一斉に代表選挙回避と報道し始めた。しかし「トロイカ」体制を確認したからこそ代表選挙は行われると私は思う。党が分裂することなく代表選挙を戦うための「トロイカ」体制ではないか。選挙を回避したら政治が分かりにくくなるだけの話だ。</p>]]>
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    <title>「ねじれ」にお気楽な人たち</title>
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    <published>2010-08-26T13:02:14Z</published>
    <updated>2010-08-26T13:53:10Z</updated>

    <summary>　現在の民主党政権は３年前の参議院選挙以降三代続いた自民党の安倍、福田、麻生政権...</summary>
    <author>
        <name>田中良紹</name>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.the-journal.jp/contents/kokkai/">
        <![CDATA[<p>　現在の民主党政権は３年前の参議院選挙以降三代続いた自民党の安倍、福田、麻生政権より非力である。参議院で過半数を失い、衆議院で再議決に必要な三分の二の議席を持っていないからである。三分の二を持っていたにも関わらず、安倍、福田、麻生政権がどれほどの醜態をさらしたかを思い起こせば、民主党政権の行く末はそれより酷くなる事が想像できる。<br />
</p>]]>
        <![CDATA[<p>　ところがお気楽な人たちは政策毎の部分連合で野党とよく話し合いながら政治を進めれば、３年先まで解散をしなくとも民主党の政策を実現出来ると言う。そのノー天気には呆れるしかない。そういう人たちは「政治は信頼が大事」とか「国民によく説明する事が大事」とか、世界のどの国の政治家も言わないような幼稚な事を言い、学級委員レベルの政治手法で嘘と謀略に満ちた世界に立ち向かうつもりなのだろう。</p>

<p>　安倍、福田、麻生政権が不様だったのはこの３人が政治家として無能だったからと言う人たちもいる。メディアはおしなべてそう言う。しかし私は全くそうは思わない。メディアを含め３人の能力のせいにする人たちは「ねじれ」の怖さを知らないのである。なぜなら１９５６年から１９８９年まで３０年以上も日本の政治には「ねじれ」がなく、その政治構造にどっぷりと浸ってきた人たちには「ねじれ」の怖さが想像できない。その人たちから解説を聞かされる人たちもそのレベルになる。</p>

<p>　竹中治堅政策研究大学院大学教授の「参議院とは何か」（中公叢書）によれば、戦後の日本政治は保守合同によって自民党ができるまで「ねじれ」の連続だった。片山、芦田、吉田と続く政権はいずれも「ねじれ」に苦しみ、国家の最重要課題と思われる法案を成立させられなかった。戦後の日本政治は初めから非力だったのである。吉田茂は連立工作に明け暮れ、法案修正は勿論だが、参議院で否決された法案を衆議院で再議決させる事の連続で綱渡りの政権運営を行った。</p>

<p>　しかし占領期にあって吉田のバックには絶対権力であるＧＨＱがいたから綱渡りも出来たと私は思っている。与野党の対立が抜き差しならなくなると、１９４８年の「馴れ合い解散」に見られるようにＧＨＱの調停で吉田は解散する事が出来た。現在では与野党の対立を調整する権力など他にない。あるとすれば第四の権力メディアに煽られた「国民の声」に迎合して衆愚政治に陥るのが関の山である。</p>

<p>　保守合同による自由民主党の誕生は日本の政治が「ねじれ」から解放された事を意味した。ようやく政権は安定し、日本は高度経済成長を迎える事が出来た。それが転換するのはベルリンの壁が崩壊した１９８９年である。世界が冷戦構造の終焉を迎えた時、長らく「ねじれ」を忘れていた日本の政治も平和な時代を終えた。消費税とリクルート・スキャンダルで自民党は参議院選挙に惨敗、結党以来初めて過半数を失った。勿論、衆議院で三分の二など持っていない。</p>

<p>　当時の野党第一党社会党が政権を狙える状況になった。しかし社会党政権が出来なかったのは何故か。一つは社会党に政権を取る気がなかった。つまり社会党は本当の意味の「野党」でなかった。もう一つは小沢一郎という政治家が自民党幹事長の職にあったからである。</p>

<p>　この時、社会党を中心とする野党は「消費税廃止法案」を国会に提出して参議院で可決させた。すると小沢幹事長は「消費税見直し法案」を提出して野党共闘を分断し、消費税を廃止させなかった。また社会党が絶対反対のＰＫＯ法も成立させ、「ねじれ」にもかかわらず、全く法案審議に影響させなかった。つまりこれから民主党がやらなければならない事を２０年以上も前に小沢氏は成功させていたのである。</p>

<p>　これと対比したくなるのが１９９８年に起きた「ねじれ」である。参議院選挙惨敗の責任を取って橋本総理が辞任した後、後継の小渕政権は「ねじれ」で苦境に立っていた。野党民主党が政権交代に追い込むチャンスであった。ところが当時の民主党代表菅直人氏は「政局にしない」と発言し、民主党の金融再生法案を小渕政権に丸飲みさせただけで終わった。それで民主党に政権交代の足がかりが出来たかと言えば逆である。</p>

<p>　自民党は自自、次いで自自公連立政権を作って権力基盤を固め、民主党を権力闘争の埒外に追いやった。政権交代の可能性は消えた。恐らく民主党のふがいなさに呆れた自由党の小沢氏は自民党との連立に向かい、連立の条件として副大臣制や党首討論の実施などの政治改革案を自民党に飲ませた。</p>

<p>　この時、自民党の野中幹事長は「悪魔にひれ伏してでも」と言って自由党との連立に踏み切るが、「ねじれ」になれば与党は野党にひれ伏し、足の裏を舐めるようにしなければ課題の実現など出来ない。現在のお気楽な人たちにその覚悟があるのか、はなはだ疑問である。結局、自民党は公明党と連立を組む事で、自由党との約束を反故にした。裏切られた自由党は連立を解消、民主党との合併に向かうのである。</p>

<p>　民主党は自由党と合併することで初めて政権獲得の可能性を手にした。それが３年前の「ねじれ」につながる。自民党政権にとって８９年の社会党や９８年の菅民主党のように政権奪取を狙わない野党と違い、相手が自民党の裏を知り尽くした小沢民主党だから事は簡単でなかった。安倍、福田、麻生政権がよれよれになるのも無理はなかったのである。</p>

<p>　安倍、福田、麻生政権より非力な民主党政権にとって最大の問題は来年度予算である。予算だけは衆議院に優位性が認められているが、予算関連法案が参議院で否決されると予算の執行が出来ない。総理は解散するか総辞職するかしかなくなる。つまり現状での菅政権は来年３月までの寿命なのである。</p>

<p>　総理の首をころころ変えるのは国際的に恥ずかしいと言う人がいるが、そう言う人がいる事の方が私は国際社会に対して恥ずかしい。自分の国の政治構造も知らず、論理的な考え方も出来ずに、情緒だけで政治を語っているからだ。</p>

<p>　日本の政治構造は「ねじれ」が起きれば総理の首はころころ変わるようになっている。それが嫌なら日本国憲法を変えて、衆議院の過半数で選ばれた総理が参議院で否決された法案を衆議院の過半数で再議決できるようにしなければならない。それで初めて国民から選ばれた総理が国民に約束した予算を執行できるようになる。</p>

<p>　現状では民主党政権が来年度予算を成立させるには、自民党にお願いをして予算案を作ってもらうしかない。それが嫌なら予算関連法案が通らなくなり、総理は辞職か解散に追い込まれる。それが分かっていても総理を続けようとするのは、菅総理が自民党と大連立する腹を固めているからだと考えるしかない。それは民主党が掲げてきた政策を変更する事になる。</p>

<p>　すると今日、小沢前幹事長が民主党代表選挙出馬を表明した。こちらは２０年以上も前から「ねじれ」と向き合ってきた人だから、お気楽に考えているはずはない。来年度予算を成立させる成算がなければ出馬を決断する事もないだろう。どんな策を考えているのか現時点では想像もつかないが、まずは選挙戦で語られる言葉の中から探してみようと思う。<br />
</p>]]>
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    <title>誰も言わない龍馬伝</title>
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    <published>2010-08-18T02:36:21Z</published>
    <updated>2010-08-18T03:41:11Z</updated>

    <summary>　坂本龍馬は今や国民的英雄である。幕末維新の激動期に一介の浪人でありながら薩長同...</summary>
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        <name>田中良紹</name>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.the-journal.jp/contents/kokkai/">
        <![CDATA[<p>　坂本龍馬は今や国民的英雄である。幕末維新の激動期に一介の浪人でありながら薩長同盟を実現させ、大政奉還を図った話を知らない人はいない。しかし龍馬に「閑愁録」と「藩論」という二冊の出版物があることを知る人は少ない。</p>]]>
        <![CDATA[<p>　あの司馬遼太郎氏の「竜馬がゆく」では、「竜馬は『藩論』という新国家構想についての評論を口述して長岡謙吉が文章にし、長岡自身も『閑愁録』という宗教問題をあつかった評論を書き、いずれも著者名をいれず、『海援隊蔵版』という名目で出版した」と簡単な記述があるだけで、その内容や意味するところには言及していない。</p>

<p>　因みに司馬氏は「閑愁録」を長岡謙吉の著作としているが、「閑愁録」は「キリスト教を禁じてはいけないが、日本人が古来から信じてきた仏教を捨ててはならない」という内容で、キリスト教信者として土佐藩から蟄居を命ぜられた事のある長岡謙吉の書というより、これも龍馬の思想的影響によって書かれたと考えるのが妥当だと思う。</p>

<p>　「閑愁録」は慶応３年５月に出版された。その翌月に龍馬は夕顔丸に乗船し、長崎から上京する船中で長岡謙吉に「船中八策」を口述筆記させている。ここに徳川幕府に代わる近代国家の構想が初めて提示された。</p>

<p>　それによると、まず徳川は政権を朝廷に返還し、次に二院制の議会を設置してすべてを議論で決し、有名無実の官を廃して天下の人材を登用し、外交の確立と憲法の制定を行い、海軍の強化など兵制を確立し、さらには外国と対等の為替相場を実現する事を提案している。龍馬は封建的専制政治から二院制議会による立憲政治への転換を指し示した。</p>

<p>　その後、龍馬の考える大政奉還の方針と薩長の武力倒幕の方針とが激突する。龍馬は力による政権交代を徳川の権力が薩摩や長州に移るだけだと捉え、「公武合体」、言い換えれば「大連立」による平和的政権交代に情熱を注いだ。実際、慶応３年１０月に徳川慶喜が大政奉還を決断すると「慶喜のために一命を捧げる」とまで言って涙を流し、ただちに新政府の人事案作成に取りかかっている。</p>

<p>　内閣総理大臣に当たる関白に公家の三条実美、副総理に当たる副関白に徳川慶喜を充て、それを支える重役には四賢候と呼ばれた藩主や岩倉具視らの公家、さらに西郷、大久保など薩長の藩士と学者の横井小楠も内閣に参加させている。いわば幕末日本のドリームチームとも言える布陣を考えた。</p>

<p>　ところが武力倒幕を準備していた岩倉や薩長にとって龍馬の大政奉還論は障害であった。西郷の命を受けて江戸市中を荒らし回る「御用盗」が組織され、徳川幕府に対する挑発行為が始まる。その頃に京都で龍馬は暗殺された。挑発に乗った幕府が江戸の薩摩屋敷を攻撃した事から、大政奉還したにも関わらず、戊申戦争の幕が切って落とされ、賊軍となった幕府と官軍との戦いが始まるのである。</p>

<p>　「藩論」は戊辰戦争がまだ終わらない明治元年１２月に出版された。木版１６頁の小冊子だが新時代に藩が行うべき政治の在り方が書かれている。そこには、藩にあって領民は全てが平等であり、武士階級以外の町人や農民にも選挙権を与え、しかし衆愚政治に陥らぬよう一回の選挙で選ばれた人々がさらに互選によって有能な人物を選び出し、議会制度で政治を行うべきだと書かれている。</p>

<p>　「藩論」の内容に衝撃を受けたのは日本人ではない。日本に駐在していた英国公使パークスである。英訳された「藩論」が英国外務省に送られた。英国外務省公文書館に保存されていた「藩論」が世に出たのは明治４３年である。貴族院議員の千頭（ちかみ）清臣が英字新聞「ジャパン・クロニクル」に「日本に於ける立憲思想の原点」として英語版「藩論」を掲載した。こうして世に出た「藩論」の思想を日本人が知らないのは何故なのか。</p>

<p>　坂本龍馬の「船中八策」は明治天皇の「五箇条のご誓文」にある「広く会議を興し万機公論に決すべし」の原型になったと言われる。しかし「藩論」を読むと全く違うと私は思う。幕末に議会制の導入を考えていたのは龍馬だけではない。幕臣の勝海舟や西周（あまね）らも考えていた。特に西周は英国型の二院制を日本に取り入れ、上院議員には藩主、下院議員には藩士がなり、上院議長に徳川慶喜が就任すれば、徳川体制は温存されると考えた。</p>

<p>　「五箇条のご誓文」を書いたのは木戸孝允らだが、龍馬のように庶民にまで選挙権を与えようとした訳ではない。あくまでも武士階級による合議制が言われたに過ぎない。国民から選ばれる民選議会は明治２３年にようやく実現するが、それも国民の１％程度に選挙権が与えられただけで、普通選挙法が実現するまでにはさらに３５年を要した。</p>

<p>　徳川時代の身分制は廃止されても、明治２年には「皇族、華族、士族、平民」という新たな身分制が生まれ、明治３年には絶対的な天皇権力をうち立てるため天皇を神格化し神道を国教とする祭政一致の国家方針が示された。そのために古来からの仏教施設を破壊する「廃仏毀釈」が行われる。この愚行も仏教を捨ててはならぬとした「閑愁録」の思想と反する。</p>

<p>　明治４年に欧米を視察した岩倉使節団が強く影響を受けたのはプロシャの鉄血宰相ビスマルクで、議会嫌いのビスマルクから絶対君主と官僚による国造りが進言された。こうして薩長藩閥政府による官僚政治が始まり、士族以上の階級が官僚となって平民を支配し、「官吏侮辱罪」と「公務執行妨害罪」によって「官尊民卑」の思想が育まれた。</p>

<p>　このように龍馬の思想は明治政府に生かされる事はなかった。薩長藩閥政府に対抗した自由民権運動の中に龍馬の夢は甦るが、しかし官僚政府はこれを厳しく弾圧し、ようやく国会が開設されると、今度は選挙で選ばれた政治家を無力化する施策が打ち出された。「超然主義」を宣言した政府は国会が決めた事を「超然と」無視する姿勢を貫き、力のある政治家が現れると必ず「金権」のレッテルを貼って国民の怒りの対象にした。</p>

<p>　国民が選挙によって権力を作る。龍馬が夢見た基本的な原理を明治以来の官僚権力が阻んできた。そのため薩長倒幕派に都合の良い龍馬像に光が当てられ、龍馬の思想は封印されてきたと私は思う。戦後民主主義と言ったところで、占領下ではアメリカという絶対権力に支配され、独立後は選挙で過半数を超える候補者を立てない「野党」の存在によって国民は権力を作ることが出来なかった。</p>

<p>　初めて龍馬の夢が叶ったと思わせたのが昨年の選挙である。初の政権交代は海外からも注目された。ところが１年を経て見えてきたのは衆参の「ねじれ」が付きまとうこの国の政治構造である。今後民主党が政権を続けても自民党に政権交代をしても両党とも「ねじれ」を解消するのは容易ではない。つまり国民が選挙で作る権力は常に非力にしかならない。これは官僚権力にとって望ましい状況である。</p>

<p>　この大本を変える事が出来るのは従って選挙ではない。日本国憲法に関わる話だから民主党と自民党とが手を組まない限り実現しない。龍馬が情熱を注いだ「公武合体」のように「大連立」的状況だけが国の構造を変え得る手段となる。妙な話だが「民主主義的でない」と思われている方法が「民主主義を強くする」唯一の方法となるのである。<br />
</p>]]>
    </content>
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    <title>続・弛緩国家</title>
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    <published>2010-08-08T14:41:50Z</published>
    <updated>2010-08-09T12:35:42Z</updated>

    <summary>　連日猛暑が続いている。思えば参議院選挙で自民党が大敗し、「ねじれ」が現実となっ...</summary>
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        <name>田中良紹</name>
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        <![CDATA[<p>　連日猛暑が続いている。思えば参議院選挙で自民党が大敗し、「ねじれ」が現実となった３年前の夏も猛暑だった。与党の大敗は政治に緊張感をもたらす筈だが、敗北の責任を取らずに続投を表明した安倍総理は改造人事も国会の召集も先送りし、奇妙な沈黙を守っていた。</p>]]>
        <![CDATA[<p>　その２００７年８月１７日に私は<a href="http://bit.ly/d2N3KK">「弛緩国家」</a>という一文を書いた。政権延命のための施策も打ち出さずに沈黙する安倍総理とは対照的にアメリカで派手なパフォーマンスを繰り広げていた小池防衛大臣の背後に裏の権力が存在し、安倍総理を退陣に追い込もうとしているのではないかという内容である。</p>

<p>　小池防衛大臣は同時に「防衛省の天皇」と呼ばれた守屋事務次官を退任させるため、計画的に送り込まれた「刺客」であるとも書いた。守屋事務次官には普天間問題を巡って地元沖縄から反発があり、またイージス艦の機密漏洩問題や軍事専門商社との癒着が問題視されていた。</p>

<p>　安倍政権が国際公約したインド洋での海上給油を継続させるためには、８月中に国会を開いてテロ特措法案を衆議院通過させる必要があった。「ねじれ国会」ではそれが絶対条件である。しかし総理の意に反して自民党国対は国会を開かせず、安倍総理は国際公約を裏切る状況に追い込まれていた。ところがメディアは自民党内部の権力闘争に目を向けず、「閣僚候補の身体検査には時間がかかる」などとピンぼけな解説を繰り返していた。</p>

<p>　「弛緩国家」と題したのは大事が起きても緊張感を感じさせない国家の状況を指したのである。その後、安倍総理はぶざまな辞任表明を行い、守屋氏は退任にとどまらず東京地検特捜部に収賄容疑で逮捕された。その守屋氏が先月「『普天間』交渉秘録」（新潮社）を上梓した。普天間問題を巡るアメリカ、沖縄、外務省の対応とそれに振り回される政治家の動きを実名で記載している。</p>

<p>　これが極めて面白い。無論本人に都合良く書かれているのだろうが、全てを失った者だけが書ける生々しさがある。逮捕されていなければ官僚であった守屋氏が公表する事はあり得なかっただろう。そう思うと我々が目にする事が出来たのは逮捕のお陰である。元外務省職員の佐藤優氏をはじめ、リクルート事件の江副浩正氏、前福島県知事の佐藤栄佐久氏らの著作が面白いのも、失うものがなくなった者だけが語れる迫力に満ちているからである。</p>

<p>　ところでこの夏も３年前と酷似している。参議院選挙で与党が大敗したにもかかわらず政治に緊張感が感じられない。まず民主党の選挙総括である。両院議員総会が開かれた７月３０日まで選挙から２週間以上の時間があった。それだけの時間があれば３年前の参議院選挙、昨年の衆議院選挙、そして今回の参議院選挙を比較検討し、何が国民に支持され、何が支持されなかったかを検証することは出来たはずである。ところがそうした「厚み」のある総括は行われなかった。</p>

<p>　「菅総理の消費税発言が唐突で説明不足だったのが敗北の原因」という薄っぺらな総括に終わった。それで良しとするならば、菅総理が政治リーダーとしての適性を欠くために民主党は議席を失った事になる。菅総理の責任が問われる総括なのだが現実はそうならない。総理の首をコロコロ代えて良いのかという話になる。これでは何のための総括なのかが分からない。だから緊張感のない政治になる。</p>

<p>　鳩山・小沢時代の「政治とカネ」と「普天間」が敗北の原因だと言うのなら、それを総括すれば良かった。以前から私が指摘しているように「政治とカネ」は民主党政権に対する官僚権力からの攻撃であり、「普天間」は民主党政権にとってアメリカという権力との戦いである。政権を取れば当然に予想された二つの権力と民主党は対峙したのである。</p>

<p>　かつて政権交代のない時代、自民党政権が戦う相手は野党ではなく官僚とアメリカだった。勿論相手を「敵」と呼ぶ事はないが、最も知恵とエネルギーを要する相手であった。そのため自民党政権は時として野党と水面下で手を握り、力を結集して自らの立場を有利に運ぶ算段をした。政権を握った民主党がこの二つの権力と対峙するのは当然であり、政権にいる限り戦いは続くのである。従って「政治とカネ」と「普天間」では党全体が認識を共有する必要がある。しかしそういう作業が行われた様子もない。</p>

<p>　もっと問題なのは初の予算委員会である。民主党政権は開く気など無かったろうが、「ねじれ」になって開かざるを得なくなった。そのせいか見事なまでに訳の分からない議論に終始した。衆参合わせて４日間、菅総理は何を聞かれても何も答えていない。昔の自民党単独政権時代に「言語明瞭、意味不明」の答弁が優等生とされたが、その意味で菅総理はまさに優等生中の優等生だった。</p>

<p>　野党から考えを質されても、「野党の考えを聞いた上で検討する」と言うだけである。「ねじれ」だから自分の考えを言ったところで通らない。全ては野党の言い分を聞いてから決めると言う訳である。これに対して野党は「政権が考えも出さないのに野党から案を出せる筈がない」と応える。まるで「後出しじゃんけん」の競争みたいな議論であった。</p>

<p>　菅総理が一つだけ力を込めたのは「財政健全化に不退転の決意で臨む」と言う事である。そこで「総理の評価は歴史が決める」と大見得を切った。ところが言葉とは裏腹にそれを言う菅総理の表情に力がない。目が虚ろなのである。予算委員会を通してこれほど張りのない表情の総理を見るのは初めてだった。</p>

<p>　そしてもう一つの問題は野党自民党である。政権交代を実現する野党になり切れているかと言えばとてもほど遠い。民主党の弱点をつついているだけでまるで昔の社会党なのだ。政権交代が繰り返される政治体制において、与党の弱点をつついているだけの野党が政権を取ることなどあり得ない。</p>

<p>　昨年の総選挙で国民は自民党政治を拒絶し、民主党の「生活が第一」路線を選択した。仮にその路線がうまくいかなくなったとしても、民主党政治のその先の政治の在り方を提示しない限り国民は自民党には戻らない。いったん実施された民主党の政策を「全てやめて昔に戻す」などと言い出したら、選挙で勝てる筈はないからである。自民党にそうした政策形成の準備が出来ているかと言えばそれも全く見えない。</p>

<p>　しかも仮に政権交代を果たしたとしても「ねじれ」は自民党にも付きまとい、衆議院で三分の二を獲得する事などあり得ないから、福田、麻生政権よりさらに弱体の政権が出来るだけの話である。それも理解せずに批判を繰り返すのはやはり政治に緊張感がない証拠である。日本の政治が依って立つ構造を見直さないとこの国は弛緩した状態から抜け出せないのではないか。</p>

<p>　３年前に書いた「弛緩国家」で私は最後に「例えばアメリカの核の傘から脱却して自力で生き抜く決意をし、そのために持てる力の全てを動員して外交を研ぎ澄ます、そんなことでもしない限りこの国は永遠に弛緩したまま朽ち果てていくのではないか」と書いた。今年の８月６日に広島の秋葉市長が「核の傘からの脱却」を訴えたのに対し、菅総理は「核抑止力は引き続き必要だ」と述べただけであった。<br />
</p>]]>
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    <title>一度の選挙では政権交代にならない国の構造</title>
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    <published>2010-07-16T12:44:34Z</published>
    <updated>2010-07-16T13:39:53Z</updated>

    <summary>　選挙が終わって参議院のあり方を考えている。今回の選挙で「大勝」と言われた自民党...</summary>
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        <name>田中良紹</name>
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        <![CDATA[<p>　選挙が終わって参議院のあり方を考えている。今回の選挙で「大勝」と言われた自民党は実は比例では議席を減らした。自民党が議席を伸ばしたのは選挙区で、それも都市部ではなく地方の１人区である。前回の６議席を２１議席に増やしたから自民党の１５議席増は１人区の成果そのものと言える。言い換えれば自民党は日本全体では負けたが地方で勝ったのである。</p>]]>
        <![CDATA[<p>　今回の選挙で１票の格差は５倍を超えた。裁判所が選挙無効の判決を下してもおかしくない。１票の重みの少ない地方で勝利した政党が、政権与党を追いつめる議席を得た事になる。何故なら民主党は参議院で過半数を失い、参議院で否決された法案は衆議院の三分の二で再議決されない限り廃案になるからである。民主党には再議決する議席がない。再三指摘してきたが、日本国憲法は衆議院に優位性を認めながら、実際には参議院が政治をコントロールできる仕組みを作っている。</p>

<p>　従って政権与党が安定した政権運営を行うためには参議院の過半数確保が絶対に必要である。それがないと衆議院選挙で国民に公約した政策を実現する事が出来なくなる。参議院で過半数割れした政権は連立を組むか、部分連合を目指すしかないが、いずれにしても他党の要求を受け入れざるを得ない。選挙で国民に公約した政策をストレートに実現する事が出来ず、政権に押し上げた国民の期待を裏切る事になる。</p>

<p>　今回の選挙で民主党は４４議席に減らしたが、これを過半数の１２２議席に引き上げるには７８議席が必要となる。民主党は３年前の参議院選挙で大勝したがそれでも６６議席だった。３年後の参議院選挙で過半数を超えることは到底不可能である。民主党が政権与党であり続ける限り自前の政権運営が出来るのは良くても６年先以降である。それまでは悩ましい政治が続く事になる。</p>

<p>　それでは自民党に政権を託す方が良いのか。実は自民党も同様である。今回５１議席を獲得したが、過半数にはあと７１議席が必要である。自民党の長期低落傾向が変わっていない事を考えると３年後の参議院選挙で７１議席を獲得する事もまた不可能である。今後自民党が衆議院選挙で政権を奪還しても連立を組むしかないから自前の政策は実現できない。二大政党による政権交代を目指すと言いながら、民主党も自民党も国民に公約した政策を実現するには非力な政権にしかならないのである。</p>

<p>　今、自民党は「ねじれ国会」を利用して民主党を解散・総選挙に追い込み、政権奪還を狙うとしている。実際、解散に追い込むことは可能である。民主党が初めて自前で組む予算案を来年の通常国会で立ち往生させることが出来る。予算は衆議院が優先だが、予算関連法案は違う。関連法案が参議院で否決されれば予算が通っても執行は出来なくなる。総理は政治責任を問われ、総辞職か解散を選択せざるを得なくなる。</p>

<p>　ところで今回の参議院選挙の得票数をそのまま衆議院選挙に当てはめた共同通信社のシミュレーションによれば、民主党は衆議院で３０６議席を獲得して大勝するという。今回の国民の投票が決して自民党政権を望むものではなかった事が分かる。ただし公明党が自公選挙協力に踏み切れば民主党は１３５議席しか取れずに惨敗するという。このシミュレーションが本当ならキャスティングボートを握っているのは公明党である。</p>

<p>　自民党にとっても民主党にとっても公明党の取り込みが必須の課題となり、消費税導入の前提として両党が掲げている「議員定数の削減」など絵に描いた餅になる可能性がある。もっとも今回の選挙で消費税の導入が遠のいたと見れば、「議員定数の削減」も直近の課題でなくなる可能性がある。</p>

<p>　さて問題は民主党も自民党も非力な政権にしかなり得ないこの国の政治構造である。それは衆議院選挙に勝利して政権を握っても参議院で過半数を得なければ力を行使できない仕組みから来ている。そのため政権交代には３回の選挙が必要になる。まず参議院選挙で与党を過半数割れに追い込み、「ねじれ」でよれよれになった与党を衆議院選挙で交代させ、次の参議院選挙で過半数を維持しないと国民に公約した政策を実現する体制にならない。民主党は政権交代１０ヶ月後に３回目の選挙で失敗した。</p>

<p>　これでは国民が政権交代の意味も分からぬうちに政権がよれよれになる。要するに日本では一度の選挙で政権交代という訳にはいかない構造があり、それが理解されていないため政治に対する不満が高まる。このままだと民主党が政権を取っても自民党が政権を握っても不満だらけの悩ましい政治が続くことになる。問題はなぜ再議決に過半数でなく三分の二が必要なのかである。</p>

<p>　憲法改正が出来ないのも衆参両院の三分の二の賛成が必要とされるためだが、三分の二と言うのは高すぎるハードルである。それが参議院に力を与えた。参議院が何のためにあるかと問えば、大抵の人は「良識の府として衆議院の暴走を押さえるため」と答える。しかし衆議院の暴走を押さえるためなら再議決は三分の二でなく過半数で良い。衆議院の決定に異議を唱えるだけで衆議院の決定を覆す力まで与える必要はない。</p>

<p>　英国議会の貴族院はそうした存在である。下院の決定に異議を唱える事はあっても決定は覆せない。あくまでも下院の決定が決定となる。しかし下院の決定に異議を唱えた事実は国民に影響を与えるから下院の暴走を押さえる効果はある。参議院が衆議院の暴走を押さえる役割ならば衆議院に「再考」する時間を与えるだけで、衆議院の決定を尊重するのが参議院のあり方ではないか。</p>

<p>　ところが日本の参議院には衆議院の決定を否定する力がある。それによって参議院は「良識の府」どころか「政局の府」になった。佐藤栄作氏ではないが「参議院を制する者が日本政治を制する」となれば、政党や派閥が参議院で勢力をしのぎ合うのは当たり前である。総理は参議院の実力者の意向を無にする事が出来なくなり、参議院の実力者は陰で「天皇」とか「法皇」と呼ばれるようになる。</p>

<p>　参議院選挙の敗北で民主党政権はこれから参議院の壁に阻まれる。自民党は参議院の力を得て政権交代のための攻め手を考える。しかしその自民党が政権を取ればまた参議院で民主党から攻められるのである。マニフェスト選挙などと言ってみたところで、参議院で過半数割れした政党の公約は連立次第で空証文になる。それでは国民が選挙で政権選択する意味も虚しい。こうした構造を変えないと日本の政治はいつまでも混迷を続ける事になる。</p>

<p>　再議決の三分の二を過半数に変えれば衆議院の決定が決定となり、政権は今よりも安定する筈である。総理の首をころころ代えなくても済む構造になると私は思う。政権が安定すれば選挙で掲げた公約の効果を多少は見極める事も出来る。そうなって初めて国民が選挙で政権を選べる体制が生まれるのではないか。ただし変えると言っても問題は憲法に関わる話であるから簡単でない。少なくも民主党と自民党とが一致しなければ実現しない。</p>

<p>　どうせ民主党も自民党も今の枠組みのままなら、どちらの政党が政権を取っても当分は参議院で過半数を握れない事情がある。それなら目の前の政争に明け暮れるより一度この国の政治構造を根本から考え直してみたらどうか。それとも今の枠組みを壊してしまえば、参議院の過半数割れから逃れる政党が誕生する可能性はある。<br />
</p>]]>
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    <title>悩ましい選挙の悩ましい結果</title>
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    <published>2010-07-14T00:19:04Z</published>
    <updated>2010-07-14T00:44:37Z</updated>

    <summary>　敗者が誰かははっきりしている。しかし勝者が誰かとなると良く分からない悩ましい選...</summary>
    <author>
        <name>田中良紹</name>
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        <category term="記事" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
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        <![CDATA[<p>　敗者が誰かははっきりしている。しかし勝者が誰かとなると良く分からない悩ましい選挙結果だった。一応自民党が15議席増やして改選第1党になった事から勝者に見える。党の幹部らが人指し指を立てて笑顔を振りまけばそう思う。しかし比例の結果を見ると、自民党は惨敗した3年前よりさらに得票率と当選者数を減らしている。</p>

<p>　3年前の自民党は得票率28％で14人を当選させた。しかし今回は24％で12人しか当選していない。因みに6年前は30％で15人が当選した。比例を見る限り自民党の長期低落は変わらず、今回の選挙で史上最低を記録した。</p>

<p>しかも議席を増やしたとは言え自民党は非改選と合わせて84議席と参議院242議席の3分の1をわずかに上回る程度である。55年体制下で万年野党の社会党は「3分の1政党」と言われたが、自民党はその程度なのである。</p>

<p>自民党が議席を増やす事が出来たのは選挙区、とりわけ1人区で民主党との攻防を制したからである。3年前に23対6で民主党に負けたのを21対8と逆転した。1人区だけで15議席増やした。その理由を私は民主党の路線転換と自公選挙協力にあると見ている。</p>]]>
        <![CDATA[<p><a href="http://opinion.infoseek.co.jp/article/949" target="_blank">＞＞続きは「Infoseekニュース 内憂外患」で</a></p>]]>
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    <title>悩ましい日本の政治構造</title>
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    <published>2010-07-05T01:32:00Z</published>
    <updated>2010-07-05T07:07:28Z</updated>

    <summary>　参議院選挙も折り返しを過ぎていよいよ終盤に入った。菅総理の「消費税発言」によっ...</summary>
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        <name>田中良紹</name>
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        <![CDATA[<p>　参議院選挙も折り返しを過ぎていよいよ終盤に入った。菅総理の「消費税発言」によって野党第一党の自民党は攻め手を失ったが、一方でそれは菅政権の支持率を押し下げ、民主党の中にも「反消費税」を訴える候補がいて選挙は複雑な様相を見せている。０７年の参議院選挙、０９年の衆議院選挙のように国民の心に突き刺さる要素はなく盛り上がりを欠くが、しかし選挙の帰趨を決める１人区では多くの所で民主党と自民党とがデッドヒートを繰り広げている。与党が勝つか野党が勝つかは全く予断を許さない。</p>]]>
        <![CDATA[<p>　菅内閣発足当初は民主党の単独過半数獲得が現実になるかと思われた。「ニュー民主党」の出現は自民党のみならず並み居る新党を吹き飛ばすに十分なインパクトがあった。しかし「消費税発言」でそれが一変した。自民党が「抱きつき作戦」と言うように、それは自民党との対立点をなくしたが、一方で０７年の参議院選挙と０９年の衆議院選挙で民主党を勝利に導いた「政治は生活が第一」路線を消し去り、風前の灯火だった新党がこれで息を吹き返した。</p>

<p><a href="http://opinion.infoseek.co.jp/article/928" target="_blank">＞＞続きは「Infoseekニュース 内憂外患」で</a></p>]]>
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    <title>政治を知らない「政治のプロ」たち</title>
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    <published>2010-06-13T09:46:41Z</published>
    <updated>2010-06-13T17:50:12Z</updated>

    <summary>　シルクロードから帰国して見たこの国の新聞、テレビ、雑誌の政治解説は、私の見方と...</summary>
    <author>
        <name>田中良紹</name>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.the-journal.jp/contents/kokkai/">
        <![CDATA[<p>　シルクロードから帰国して見たこの国の新聞、テレビ、雑誌の政治解説は、私の見方とことごとく異なる。私がこの政局を「民主党が参議院選挙に勝つための仕掛けで、将来の政界再編を睨んだ小沢シナリオだ」と見ているのに対し、新聞やテレビに登場する「政治のプロ」たちは「民主党内で反小沢派が権力を握り、小沢氏の政治力が無力化された」と見ている。</p>]]>
        <![CDATA[<p>　私の見方が当たっているか、「政治のプロ」たちの見方が当たっているかはいずれ分かるが、困るのは「みんなで渡れば怖くない」で書いたように、日本の新聞やテレビは間違いを犯しても「みんなが間違えたのだから仕方がない」と何の反省もせずにそのままにする事である。だから何度も誤報を繰り返して国民を惑わす。私は間違えたら反省するし、なぜ間違えたかを分析して次の判断に役立てる。</p>

<p>　ところでここで問題にしたいのは政局の見方の当否ではない。「政治のプロ」を自称する人たちの解説の中に、まるで政治を知らない「素人」の議論が多々ある事である。それだけは訂正しておかないと国民に誤った認識を与える。</p>

<p>　「政治のプロ」たちは、「権力の中枢を反小沢派が占めた事で小沢氏は無力化された」と見ている。官房長官も幹事長も反小沢派の急先鋒で、財務委員長も反小沢派だから、小沢氏は金も動かせないと解説している。「建前」はそうかもしれない。素人ならそう思う。しかし多少でも政治を知る者は、それが「建前」に過ぎない事は分かっている。総理、官房長官、幹事長のポストに権力がある訳ではない。本人の資質と政治力がなければただの「操り人形」になる。</p>

<p>　アメリカのレーガン大統領はアメリカ国民から「父親のような存在」として敬愛されたが、彼が真の権力者であったと思う「プロ」はいない。見事に大統領を演じてみせただけで、シナリオを書いたのは別の人間である。中曽根康弘氏も総理在任中は権力者であったとは言い難い。ひたすら田中角栄氏の考えを忖度し、それに逆らわぬ範囲でしか政治を動かせなかった。そして田中氏が病に倒れた後も金丸幹事長の意向に左右された。中曽根氏が政治的に力を持つのは総理を辞めてからである。</p>

<p>　田中角栄氏も実は総理在任中より辞めてから、しかもロッキード事件で刑事被告人となってからの方が強い権力を握った。と言うと素人はすぐ「金の力で」と下衆な判断をするが、金の力だけで権力は握れない。田中氏の力の源泉は人を束ねる力、すなわち「数の力」である。それも「参議院議員の数の力」であった。</p>

<p>　私は再三に渡って日本政治の特殊性を論じてきた。その時にも説明したが、日本政治の特性の第一は参議院にある。日本国憲法では衆議院から総理大臣が選ばれ、衆議院が参議院より優位にあると思われるが、実は参議院の方が力は強い。参議院で法案が否決されると再議決には衆議院の三分の二の賛成を要する。与党が三分の二の議席を持つ事は滅多にない。従って法案の帰趨を握るのは参議院である。参議院の協力なしに法案は成立しない。参議院には総理、官房長官、幹事長のクビを飛ばす力がある。</p>

<p>　そのため昔から参議院の実力者は陰で「天皇」と呼ばれた。総理より偉いという意味が込められている。戦後の総理在任最長記録を誇る佐藤栄作氏は「参議院を制する者が日本政治を制する」と言った。角栄氏は参議院の多数を束ねた。つまり参議院選挙は衆議院選挙よりも重要なのだ。民主党は去年衆議院で政権交代を果たしたが参議院で単独過半数を得ていない。実は本当の意味での政権交代はまだ終わっていないのである。だから小沢氏は何よりも参議院選挙に力を入れてきた。</p>

<p>　今回の政変で総理、官房長官、幹事長は代わったが、参議院執行部は誰一人として代わっていない。つまり民主党の権力構造は底流で変わっていない。「プロ」ならそう見る。人事権は総理にあるから菅総理は参議院執行部を自分に都合良く代える事は出来た。しかし参議院選挙直前に参議院の人事をいじるのは常識的でない。このシナリオはそこを読んでいる。小沢氏が敷いた参議院選挙のレールも取り外して敷き直す余裕はない。</p>

<p>　もう一つ総理、官房長官、幹事長の「寝首」をかく事が出来る重要ポストがある。国対委員長と議院運営委員長で、国会運営の全てを取り仕切る。菅総理は総裁選挙で対立候補となった樽床伸二氏を国対委員長に就けた。思わず「えっ！」と思った。国対委員長と議院運営委員長には腹心を配するのが当然で、敵側の人間を配するのは異例だからである。議院運営委員長はそのまま、国対委員長に小沢グループの支援を受けた樽床氏が就任した事は、これも民主党が変わっていない事を示している。</p>

<p>　日本政治の特性の第二は、こちらの方が重要なのだが、権力が国民に与えられていない事である。権力は霞ヶ関とアメリカにあって国民の代表である政治家にない。つまり政権与党に権力はなかった。かつての自民党は霞ヶ関やアメリカと戦う時には野党の社会党と水面下で手を結んで抵抗した。しかしここ２０年は自民党が戦う事をやめて霞ヶ関やアメリカの言いなりになった。それが国民の信頼を失わせ、去年の政権交代となった。国民が初めて権力を発揮した。</p>

<p>　国民が選んだ政権を潰しにかかってきたのは霞ヶ関とアメリカである。霞ヶ関を代表するのは検察権力で鳩山・小沢両氏の「政治とカネ」を追及し、アメリカは普天間問題で鳩山政権を窮地に陥れた。しかし国民が選んだ政権を潰すか潰さないかは国民が決めるのが民主主義である。検察や外国に潰されたのでは「国民主権」が泣く。この政権の是非は選挙で国民に判断させるべきである。そこで民主党は参議院選挙で勝つための条件整備をした。</p>

<p>　野党自民党が今度の選挙で民主党を攻撃する材料は三点あった。「政治とカネ」と普天間と民主党の経済政策である。「政治とカネ」では小沢・鳩山両氏が、普天間では鳩山氏がターゲットになり、経済政策では「バラマキで財政が破綻する」と批判される筈だった。自民党はそのために消費税増税を選挙マニフェストに掲げる予定でいた。</p>

<p>　それが今回の政変で鳩山・小沢の両氏が辞任し、「政治とカネ」と普天間が攻撃材料になりにくくなった。次に菅政権は「財政健全化」に政策の力点を置いた。さらに将来の消費税増税に積極的な玄葉氏が政調会長に就いた。これで三点への防御態勢を固めた。自民党の谷垣総裁は民主党の路線転換を「抱きつき作戦」と批判したが、その通りである。しかしそう言って批判しても始まらない。これから選挙までの短い間に違う攻撃ポイントを見つけなければならない。困っているのは自民党である。</p>

<p>　選挙の公示まであと１週間余りしかない。もはや選挙戦は事実上の後半戦である。政治を知らない「政治のプロ」たちが解説をすればするほど、また素人にも分かるように「建前」に終始した話をすればするほど、民主党は「変わった」という話になり、参議院選挙は民主党に有利になる。２人擁立が批判されていた２人区で小沢・反小沢がしのぎを削れば２人当選する可能性もある。そして選挙後に「多くの参議院議員を束ねた者が日本政治を制する」のである。　<br />
</p>]]>
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    <title>政界再編が準備されつつある</title>
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    <published>2010-06-09T06:02:38Z</published>
    <updated>2010-06-09T08:11:49Z</updated>

    <summary>　菅政権がスタートして「脱小沢」ばかりが注目されているが、私には「政界再編」の準...</summary>
    <author>
        <name>田中良紹</name>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.the-journal.jp/contents/kokkai/">
        <![CDATA[<p>　菅政権がスタートして「脱小沢」ばかりが注目されているが、私には「政界再編」の準備が進行しつつあると思えて仕方がない。それが成功するかどうかは不明だが、政局の雰囲気が３年前の「大連立」の時と似ているのである。</p>]]>
        <![CDATA[<p>　前回の記事は外国でインターネットで見た日本の新聞情報を元に書いたが、今回は帰国して日本の空気を吸いながら書いている。その事で考えの前提が変わった。前回は「小沢氏が鳩山氏に辞任を迫り、それに抵抗した鳩山氏が小沢氏を道連れにした」との新聞情報をそのまま判断材料にした。</p>

<p>　ところが帰国して日本の空気の中にいると考えが変わった。小沢氏が鳩山氏に辞任を迫ったのは事実だろうが、「道連れ」にされたのではなく、小沢氏の方から「自分も辞める」と言って鳩山氏に辞任を迫ったのではないかと思うのである。何のために。参議院選挙に勝つためにである。</p>

<p>　考えてみれば鳩山氏一人が辞めて小沢氏が辞めないのは最悪の判断である。メディアに洗脳された国民は小沢氏をここぞとばかり叩くだろう。大衆は判官贔屓で下衆だから、辞めた人間には同情するが辞めない人間は叩きまくる。正しいかどうかなど考えない。理屈もへちまもない。仮に小沢氏が辞めないつもりだったら二人揃って強行突破するしかなかった。しかし普天間問題を見て小沢氏は鳩山氏に辞任を迫った。それなら自分の辞任を条件に迫るのが政治家らしいやり方である。</p>

<p>　では何故「俺も辞めるから」という話ではなく「道連れ」にされた話が表に出たのか。そこに今回の政局のカギがある。一つは小沢氏に自分から辞める理由はないからである。検察と戦っている人間が非を認める訳にはいかない。だから他人から辞めさせられる形にした。しかし辞任を迫ったら逆に辞任させられたというのは実に「しまらない」話である。そして「道連れ」は小沢氏を決定的に悪役にする。それが狙いだったのではないか。</p>

<p>　普通の人間は自分の正当性を主張する事だけを考える。しかし政治家は自分のことより政治的成果を考える。感情や名誉欲に捕らわれたら政治家など出来ない。政治的な勝利を得るためには不名誉や屈辱も厭わない。それが政治家である。目的さえ達すれば不名誉や屈辱などいつでも回復出来る。</p>

<p>　そこで目的の参議院選挙である。二人とも辞めずに強行突破したならどうなるか。私は実はメディアの言うほど「民主党惨敗」になるとは思っていなかった。投票率は下がるから組織選挙となり、無党派の票は大きな影響力を持たない。すると小沢氏の力で業界団体を味方につけた民主党がそこそこの票を取る。ただ影響力は小さいと言っても無党派層は民主党ではなく第三極に向かう。第三極が伸びる可能性はある。創価学会と業界団体の支援がなくなった自民党はやはり厳しいが、それでも強行突破してくれれば戦いは有利になる。民主党単独過半数は無理で、選挙後は第三極と公明党が自民党につくか民主党につくかの政局になる。自民党につけば「ねじれ」が起きて民主党は解散に追い込まれる可能性がある。しんどい政権運営が続く。</p>

<p>　一方、鳩山・小沢の二人が辞めれば野党は攻めの材料を一気に失う。参議院選挙は民主党に有利になるが、さらに単独過半数を確実にする方法がある。かつて自民党の小泉氏が使った手である。党内を分裂模様にして国民の目を引きつけ、野党の存在を見えなくするのである。そのため小沢氏が悪役になった。小泉時代の「抵抗勢力」の役回りである。「道連れ」は実は小沢氏が考えた知恵ではないかと私は思う。鳩山氏の意向を受けた菅氏が「脱小沢」の姿勢を見せると、民主党内反小沢派が一気に活気づいて「脱小沢」の流れが固まった。</p>

<p>　「脱小沢」をやっている人たちは本気で「脱小沢」を図っているかも知れない。小沢氏が追い込まれる可能性もある。しかし本当にそう思われないとこの仕掛けはうまくいかない。窮地に陥っても参議院選挙の目的さえ達すれば、そこから先はまた新たなステージが生まれる。そこで別のシナリオを用意すれば良い。</p>

<p>　民主党が「脱小沢」に衣替えしたことで、国民の目は民主党だけに注がれている。昨日までの「新党」など目に入らなくなった。国民には「ニュー民主党」の方が新党よりも新鮮に見える。こうなると無党派層は「ニュー民主党」に向かう可能性が高い。</p>

<p>　小沢氏の力で組織票を固めた民主党がさらに「ニュー民主党」の力で無党派層も引きつければ民主党の単独過半数獲得が現実的になる。そこで何が起きるか。次の衆議院選挙で自民党が政権を奪っても、参議院の過半数を民主党に握られている限り全く無力の政権になる。それが参議院選挙の時点で分かってしまう。自民党に政権交代を実現しようとする意欲が失せる。</p>

<p>　自民党から離れる政治家がまた出て、イデオロギー的に民主党と相容れない政治家だけが自民党に残る。自民党にイデオロギー色が強まるとかつての「国民政党」的性格は弱まり、政権交代の可能性が遠ざかる。二大政党の一方の軸が消滅していく。</p>

<p>　かつての万年与党と万年野党の時代が再来する。社会党が政権政党になり得なかった時代の自民党は党内で政権交代を繰り返した。党内には官僚出身ＶＳ党人派、成長・緊縮財政路線ＶＳ分配・積極財政路線、反共親米イデオロギーＶＳ経済中心の現実主義という色分けで概ね二つの勢力が存在した。「角福戦争」は有名だが、福田派と田中派はこの二つの流れを代表していた。そしてこの党内対立こそが自民党の活力の源泉だった。</p>

<p>　今、見えてきたのはそれに近い状況である。民主党の中が「政治は生活が第一」を掲げた分配・積極財政路線と「最小不幸社会」を掲げた成長・緊縮財政路線になんとなく別れている。これで政権交代を繰り返せば、自民党は万年野党のままか、或いはどちらかの側に吸収されていく。そこで民主党を二つに割れば「政界再編」である。自民党対民主党ではない新たな二大政党が生まれる。</p>

<p>　そう考えると３年前の「大連立」を思い出す。あれは読売新聞社の会長が仕掛けたと世間は思っているが、そう思わせておいて仕掛けたのは小沢氏である。新聞社の会長は自民党の延命のために「大連立」を考えたが、小沢氏は「政界再編」が目的だった。</p>

<p>　現在の自民党と民主党には考えの異なる政治家が混在し、何をやるにも党内で足の引っ張り合いになる。それが日本の政治を著しく停滞させている。これを解消してすっきりさせないとイギリスのような二大政党制は生まれない。そこで一時的に自民党と民主党を合体させて巨大与党を作り、次にその中の政治家を二つの路線に収斂させ、それが分裂するテーマを選んで選挙をやれば、国民の手によって新たな二大政党の勢力分布が決まる。</p>

<p>　ところが「大連立」は「大政翼賛会的で民主主義を冒涜する」と轟々たる非難を浴びた。一時は小沢氏の辞任騒ぎになった。そこで違う方法での「政界再編」を小沢氏は考えたのではないか。選挙に勝つ事によって民主党を肥大化させ、自民党を二大政党の軸ではなくなるほど追いつめる。一方で肥大化した民主党に分裂の芽を作り「政界再編」に持ち込む。そのためには何としても参議院選挙で民主党は単独過半数を獲得しなければならない。</p>

<p>　小沢氏は「大連立」の時も非難轟々だったが、現在はそれ以上の悪役である。しかし私の想像通りなら、成功すれば政治史に残る大事業を成し遂げた事になる。どんなに非難されようとも本望であるに違いない。</p>

<p>　思い起こせばかつて小泉純一郎氏も「政界再編」を仕掛けようとした事がある。郵政選挙で自民党が大勝した後、盟友の山崎拓氏を小泉氏とは対極の路線に向かわせた。山崎氏は靖国問題で小泉氏と距離のある議員を集め、民主党も巻き込んでグループを作った。一方で小泉氏は公明党と連携し小選挙区制を中選挙区に戻す作業を始めた。１９９３年に小沢氏が実現させた小選挙区制を葬り去ろうとしたのである。しかし小泉氏は総理の座を安倍氏に譲り、裏から操ろうとしたがために失敗した。安倍氏が小泉氏の思い通りにならなかったからである。</p>

<p>　小泉主導の「政界再編」が潰えた後、小沢氏が取り組んでいるのも「政界再編」だと私は思う。他の政治家は目の前の課題だけしか見ていないが、小沢氏はその先を見ているためになかなか他人に理解されない。あえて民主党に分裂の芽を作るのも、強気の候補者擁立を図るのも、全て「政界再編」を考えた上での事だと私は想像する。その小沢主導の「政界再編」が成功するかどうか、まずは参議院選挙の結果が第一条件となる。<br />
</p>]]>
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    <title>「クリーン」で「国民主権」は守れない</title>
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    <published>2010-06-06T07:18:13Z</published>
    <updated>2010-06-07T02:18:36Z</updated>

    <summary>　マキャベリの「君主論」を読みながらシルクロードを旅していたら鳩山総理が辞任した...</summary>
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        <name>田中良紹</name>
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        <![CDATA[<p>　マキャベリの「君主論」を読みながらシルクロードを旅していたら鳩山総理が辞任した。砂漠のホテルで見たＢＢＣニュースはアメリカのクリントン国務長官と握手する鳩山総理の映像を流しながら、「沖縄の米軍基地の問題で国民の支持を失った総理が参議院選挙を前に辞任した」と繰り返し伝えていた。</p>]]>
        <![CDATA[<p>　その前日までのＢＢＣは沖縄の米軍基地の映像と社民党の連立離脱を伝えていたので、日本国民には米軍基地に対する反発があり、それが総理を辞任させたと世界は受け止めたに違いない。ところがインターネットで日本の新聞を検索すると、そこでは米軍基地よりも「政治とカネ」に焦点が当てられていた。</p>

<p>　小沢幹事長に辞任を迫られた鳩山総理が「意趣返し」で小沢幹事長を道連れにするため、「政治とカネ」を持ち出したと日本の新聞は伝えている。すると「政治とカネ」に焦点を当てさせたのは鳩山由紀夫氏である。そしてこれから民主党は「クリーン」を看板に掲げると報道されていた。</p>

<p>   総理の辞任を「政治とカネ」に絡められても世界は恐らく理解できない。外国のニュースが伝える通り辞任の本質はあくまでも普天間問題にある。ところが日本では「政治とカネ」が前面に出て問題の本質が隠れてしまう。そこに日本政治の未熟さ、「病理」と言っても良い特殊性がある。国民は早くこのズレに気付かなければならない。</p>

<p>　「ニューズウイーク国際版」の５月２４・３１日号に「スキャンダルマニア」と題する特集記事が掲載されている。鳩山総理が射撃の標的になっている漫画が描かれ、先進国ではありえない日本政治の「スキャンダル病」について書かれている。書き出しは「リッチな国々では政治家のスキャンダルは珍しくないが、ほとんどの政治家はダメージを受けずに生き残る」とある。</p>

<p>　例えばアメリカのクリントン大統領には「ホワイトウォーター」と呼ばれる不動産取引疑惑や数々の女性スキャンダルがあったが内閣支持率は高かった。フランスのサルコジ大統領もパキスタンに潜水艦を売却して裏金を環流させた疑惑や見苦しい離婚スキャンダルがあるが支持されている。イタリアのベルルスコーニ首相にはカネと女性スキャンダルが絶えないが、支持率には少ししか影響しない。</p>

<p>　それはアメリカやフランスやイタリアの国民が愚かで不道徳だからではない。政治家の仕事を正しく理解しているからである。政治家は国民生活を劣化させないように経済を舵取りし、他国との交渉で見くびられずに国益を守る。それが仕事である。その仕事が出来ていれば多少のスキャンダルは問題にしない。勿論、スキャンダルはない方が良いが、清廉潔白な人間には謀略や恫喝に太刀打ち出来ない者が多い。マキャベリは「善を行うことしか考えない者は、悪しき者の中にあって破滅せざるを得なくなる」と言っているが、成熟した国家ではそれが理解されているのである。</p>

<p>　ところが日本は大違いである。スキャンダルが命取りになる。これまで何人の政治家が自殺や議員辞職に追い込まれてきた事か。総理がコロコロ変わる背景にも常に「政治とカネ」の問題があった。しかも「政治とカネ」の問題が起きると必ず国会は機能不全となり、国家として不可欠の議論が先送りされる。</p>

<p>　世界最先端の高齢化社会に備えた税制を議論すべき時に「リクルート事件」で国会は空転した。ソ連の崩壊で冷戦が終わり、世界各国が自国の先行きを徹底議論している時に「金丸事件」で国会は政治改革しか議論しなかった。国家の制度設計を議論しなければならない時に、何故かこの国には「政治とカネ」の問題が起き、国民はそれに目を奪われてしまうのである。</p>

<p>　「政治とカネ」の問題がことさら大きくなったのは、田中角栄氏が逮捕された「ロッキード事件」からである。ベトナム戦争に敗れたアメリカが軍需産業と世界の反共人脈との関係を断ち切ろうとした事件が、日本では「田中金脈」問題にすり替り、三木政権と官僚機構にとって目の上のたんこぶだった角栄氏を排除するための事件となった。</p>

<p>　検察の恣意的な捜査を見抜けずに「総理大臣の犯罪」と騒ぎ立てたバカがいて、それを信じた国民がいる。そして時の権力者は「クリーン」を標榜し、それが民主主義であるという珍妙な政治論を国民の脳裏に刷り込んだ。政治資金規正法が改正され、世界ではありえない「金額の規制」が導入された。検察が政治家を摘発する事が容易になり、政治資金はますます闇に潜るようになった。</p>

<p>　政治資金規正法の改正は官僚権力にとって大きな武器となる。角栄氏のように政治家が自分で資金を集めると「不浄なカネ」と判断され、官僚に集めて貰うと「濾過器」を通って洗浄されたカネになる。資金集めで官僚の世話になる政治家は官僚に頭が上がらない。こうして官僚の手先となる族議員が増殖する。「クリーン」は官僚支配を強めるのである。</p>

<p>　政治家にとって最も必要なのは情報だが、「情報収集」にはカネがかかる。しかし官僚からの情報提供は無料である。カネのない政治家は官僚情報に頼るようになる。官僚は自分たちに都合良くデフォルメした情報を政治家に提供し、政治家は官僚に洗脳される。こうして「クリーン」は「民主主義」とは対極の「官主主義」を生み出すのである。</p>

<p>　「クリーン」とか「金権批判」を叫ぶのはロッキード事件以来の風潮である。叫んでいる者は、ロッキード事件を起こしたアメリカの意図を知ろうともせず、自分でカネを作ったが故に糾弾された「田中金脈」の延長と捉え、「総理大臣の犯罪」という「でっち上げ」を盲目的に信じた「おめでたい」連中である。今回の行動でその一人が鳩山由紀夫前総理である事が分かった。</p>

<p>　戦後の日本で国民の主権を侵してきたのは一に官僚、二にアメリカだと私は思っている。国民が選び出した政治家をコントロールし、国民の要求よりも官僚やアメリカの要求を優先させてきたからである。しかし冷戦が終わるまでの自民党は時には社会党を利用しながら官僚機構やアメリカと水面下では戦ってきた。それがズルズルと言いなりになったのは９０年代以降の事である。</p>

<p>　そのズルズルが次第に自民党に対する国民の反発を強め去年の政権交代となった。初めて国民の主権が行使された。ところが普天間問題で見せた鳩山政権の対応に国民は「主権在民」ならぬ「主権在米」を実感した。いずれ「主権在民」を実現するための戦略的な撤退であると言うのなら理解の仕様もある。しかしあの「お詫び」では「裏切り」としか映らない。</p>

<p>　そして「政治とカネ」が持ち出され、「クリーン」が登場してきた。国民主権の発揮がいつの間にか「官主主義」の復権に道を開いた。「政治とカネ」の問題でも鳩山氏は「お詫び」をしたが、「お詫び」をする位なら自らの正義を主張して司法の場で戦っている人間を道連れにせずに一人黙って責任を取れば良い。</p>

<p>　「ニューズウィーク」の「スキャンダルマニア」は最後にこう締めくくっている。「『政治とカネ』のすべてのケースを追放することが本当に価値ある事かどうか、日本は再考する時を迎えている」。しかし今の日本はそれとは逆の方を向き、国民もそれを喜んでいるようだ。「大衆は表面上の利益に幻惑され、自分たちの破滅につながる事でさえ望むものである」とはマキャベリの言葉だが、日本に必要なのはマキャベリの言う「ライオンのような強さと狐のような狡猾さ」を持ち合わせた政治指導者ではないか。<br />
</p>]]>
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    <title>普天間問題は終らない</title>
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    <published>2010-05-25T17:48:09Z</published>
    <updated>2010-05-25T19:11:30Z</updated>

    <summary>　ワシントン・ポスト紙で「ルーピー（くるくるパー）」と表現された鳩山総理は、その...</summary>
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        <name>田中良紹</name>
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        <![CDATA[<p>　ワシントン・ポスト紙で「ルーピー（くるくるパー）」と表現された鳩山総理は、その直後に「私は愚かな総理かも知れません」と発言して国民を唖然とさせたが、今度はそれを地でいく行動に出た。普天間問題で当初の発言とまるで逆の事を言い出したのである。そして変節の理由を「自分が無知だったから」と言い訳した。</p>]]>
        <![CDATA[<p>  誰から見ても「バカ」と思える行動を取るのは「本物のバカ」か、或いは「何か裏がある」かのどちらかである。「忠臣蔵」の大石内蔵助は周囲を呆れさせる「バカ」になって「討ち入り」を果たしたが、見抜かれないためには「本物のバカ」になりきらなければならない。政治家が信じられない行動をとる時は、「裏」を疑ってみる必要がある。</p>

<p>  そこで普天間問題である。メディアは「日米が大筋合意した」と問題が決着したかのように報じているが、実現するかは不明である。「辺野古周辺」とはどこを指すのか。どんな新基地を造るのか良く分からない。しかも日米両国政府とも「沖縄の負担を軽減する」と言っているのだから、沖縄の合意がなければ前に進まない。「日米の大筋合意」は何も問題を解決していないのである。</p>

<p>　普天間問題は表は安全保障だが裏はカネの話である。アメリカから見ると冷戦中の日米安保は、日本に都合の良い仕組みだった。日本は安全保障のコストをかけずにアメリカの軍事力に「ただ乗り」し、金を稼ぐ事だけに専念した。自動車と家電製品を中心に輸出を伸ばし、世界第二位の経済力を達成したが、その犠牲となったのはアメリカである。アメリカの製造業は衰退し、アメリカ政府は慢性的な貿易赤字と財政赤字に苦しめられた。しかし冷戦中はそれでも日本を切り捨てる訳にはいかなかった。</p>

<p>　ところが冷戦が終わり、敵対する二つの陣営がなくなると、アメリカは世界唯一の超大国としてあらゆる国と直接二国間の関係を築けるようになった。「反共の防波堤」として利用してきた日本や西ドイツを優遇する必要もなくなった。むしろ日本はアメリカにとってソ連に代わる「脅威」と認識された。アメリカは日本の経済力を削ぐ作業に取りかかる。日本の弱点はアメリカの抑止力に「ただ乗り」してきた安全保障面である。日米安保は一転してアメリカが日本からカネを吸い上げる道具になった。</p>

<p>　アメリカにしてみればこれまで吸い取られた分を取り戻すのだから当たり前の話である。冷戦後の世界では国家対国家の戦争ではなく、テロ組織との非対称の戦いが想定されると言う一方で、アジアにだけは冷戦が残っているとアメリカは規定した。そしてアメリカは世界とは「冷戦後」的思考で付き合うが、日本には「冷戦」的思考を押しつけて来た。</p>

<p>　中国との「戦略的パートナーシップ」を謳い、「Ｇ２」を宣伝するのは「冷戦後」的思考である。ところがアメリカは日本に「中国とは価値観を共有していない」と言い、「中国の軍拡は脅威だ」と言って「冷戦」的思考を押しつける。ミサイル発射を重ねる北朝鮮の冒険主義的挑発に際して日本にはＭＤやイージス艦などの高価な兵器を売りつけるが、金正日政権を排除する事はしない。金正日政権には温存するだけの利用価値があるからである。</p>

<p>　アメリカは「冷戦後」的思考で世界的な米軍再編を計画し、沖縄の海兵隊をグアムに移転する方針を決めた。ただしその費用は日本に負担させる。普天間基地の移設問題は表は安全保障だが裏はその金額を巡る交渉だと思っていた。ところが事態は「冷戦」的思考の世界に急展開で引き戻されていった。</p>

<p>　半年ほど前から普天間に絡んで「朝鮮有事」の話が言われるようになった。昨年末には韓国の李明博大統領の周辺から「沖縄の海兵隊がグアムに行かれたら、北朝鮮有事の際、韓国が困る」という話が入ってきた。それなら海兵隊は韓国に配備すれば良いだろうと思っていると、今年２月には米軍の高官が「沖縄の海兵隊の任務は北朝鮮崩壊時の核兵器除去である」と言ったという。これもどこにあるか分からない核を海兵隊が見つけ出せる筈がない。北朝鮮の核は北朝鮮に処理させるしかない。</p>

<p>　いい加減な話ばかりと思っていたら３月２６日、韓国の哨戒鑑が沈没した。そして５月２０日に沈没の原因は北朝鮮の魚雷攻撃という調査結果が発表された。今や朝鮮半島は戦争寸前の状況にある。まさに「冷戦」状況が戻ってきた。それが鳩山総理が普天間問題の期限とした時期にぴたりと合っているのである。</p>

<p>　ところで沈没した哨戒鑑の近くにアメリカの原子力潜水艦も沈没しているという情報がある。韓国のＫＢＳテレビが放送したと言うが、その後報道は封印されたという。この沈没事件にはどうやら「裏」がありそうだ。ベトナム戦争は「トンキン湾事件」、イラク戦争は「大量破壊兵器」という「ねつ造情報」から始まった。アメリカではしばしばある「ねつ造」だが、この沈没事件もきな臭い。そう言えば私が上海にいた５月初めに金正日総書記は中国にいた。北朝鮮が仕掛けたとするならばその時期に本人が外国などに行くだろうか。その直前には李明博大統領も上海万博の開会式に来ていたが、中国がどう対応するかが注目される。</p>

<p>　いずれにしても日本国民が初めて「政権交代」を実現させて選んだ総理が「ルーピー」と言われ、自分の意志を通せずにアメリカに屈服させられた姿が全世界に伝わった。しかし「日米合意」でまだ何も決まった訳ではない。事務レベルの交渉が終わっていよいよこれからが政治レベルの交渉だと思えば良い。政治レベルの交渉には沖縄をはじめとする国民の声を反映させるのである。相手はオバマ大統領である。ＹＥＳ！ＷＥ　ＣＡＮ　なのだ。<br />
</p>]]>
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    <title>バブルの思い出</title>
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    <published>2010-05-18T09:47:28Z</published>
    <updated>2010-05-19T01:41:20Z</updated>

    <summary>　私が初めて上海を訪れたのは１９８２年だったと思う。「東洋のオナシス」と呼ばれた...</summary>
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        <name>田中良紹</name>
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    </author>
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.the-journal.jp/contents/kokkai/">
        <![CDATA[<p>　私が初めて上海を訪れたのは１９８２年だったと思う。「東洋のオナシス」と呼ばれた香港の海運王Ｙ・Ｋ・パオ氏から、上海で建造した船の進水式を取材して欲しいと言われた。香港返還後の初代行政長官の座を狙っていたパオ氏は当時イギリスのＢＢＣやアメリカのＣＢＳテレビに登場して名を売っていた。日本のテレビにも出たいと思ったのだろう。進水式でシャンパンを船体にぶつける綱を切る役を、故大平総理の未亡人にやって貰うと言って売り込んできた。</p>]]>
        <![CDATA[<p>　当時の上海は昔の面影を残す古い建物と人の多さが印象的で、歴史を感じさせる重厚な街だったが、「近代的」とはほど遠かった。電力が十分でなかったのか夜はほとんど真っ暗で、車がヘッドライトをつけずに走るのが怖かった。造船業などの「重厚長大」が日本から中国に移り、日本は「半導体など軽薄短小で生きていく」と言われていた時代である。</p>

<p>　それが今の上海は夜中もまばゆい光に溢れ、車の数も半端ではない。中国は去年車の販売台数で世界一になったと言われたが、実は生産台数も世界一だと言う。走っている車を見るとフォルクスワーゲンやビュイックのマークが目に付くが、それはドイツ製でもＧＭ製でもない。１００％中国製である。中国製は税金がかからないため百万円台で手に入ると言う。トヨタのリコール問題が起きてから上海では中国製ビュイックの売り上げが急増していると聞かされた。</p>

<p>　中国人の車の保有比率は東京オリンピック当時の日本と同じである。その中国が現在の日本並みの保有率になると世界の自動車総数は倍増する。ガソリン車が倍増すればガソリンの需給は逼迫して世界経済は混乱する。アメリカのオバマ政権が公共交通機関に力を入れ、電気自動車が注目されるのも当然である。電気自動車の成功の鍵は電池の技術で、２１世紀は電池を制する者が世界経済を制する。その電池の開発で先行する日本に対抗するため米中が連携を深めているという情報がある。それでなくともエネルギー資源確保に凄まじい執念を見せる米中両国が提携すれば意味する所は重大である。</p>

<p>　上海ヒルズと呼ばれる超高層ビルの展望台は高さが世界一とギネスに認定された。このオフィスビルを建てたのは日本の森ビルだが、今や上海は高層ビルラッシュである。その多くが高級マンションで、いわゆる「億ション」が飛ぶように売れているという。購入者は海外で財を成した金持ちが多いらしい。前回、１９６４年の東京オリンピック、７０年の大阪万博と同じ事を中国はわずか２年で実現したと書いたが、実は８０年代後半の日本のバブルと似た状況も起きている。日本が２０年かけて経験した事をこの国は十分の一のスピードで経験しつつある。</p>

<p>　かつてアメリカのペリーが来航した時、１隻の大船も持っていなかった日本が、半世紀後には日本海海戦でロシアのバルチック艦隊を撃破した。これは世界に凄まじい衝撃を与えた。西欧が百年かかった産業革命を日本は３０数年で成し遂げたからである。西欧には日米が戦えば日本が勝つという噂が流れ、アメリカ人は「日本人が太平洋を渡って攻めてくる」という妄想に取り憑かれた。これを「ウォースケア」と言う。</p>

<p>　それと似た事が最近の日本でも起きている。「中国脅威論」がやたらと叫ばれる。無論、どの国に対しても警戒を怠らない事は大事だが、妄想に陥らないようにするのはそれ以上に重要である。アメリカの「対日恐怖」は日本人排斥運動となり、その頃アメリカ留学していた松岡洋右はアメリカに対し「殴られたらすぐ殴り返す」という人生訓を身につけた。松岡が後に対米強硬の外務大臣となる巡り合わせは不幸だが、くれぐれも外国の情報による「中国脅威論」などに日本は乗せられてはならない。</p>

<p>　ところで中国経済のバブルは大丈夫なのか。土地が全て国有化されている事情等を考えれば、日本のバブルと全く様相は異なる。何よりも日本のバブルは国家によって意図的に作り出され、国家によって強制的に終息させられた。そして「失われた二十年」だけが後に残った。そう書いてきて、日本のバブルがどのように作り出されたかを国民は知らされていないのではないかという気がしてきた。</p>

<p>　一般的に日本のバブルは１９８５年のプラザ合意で急激な円高が起きたため、不況になることを怖れて日銀が低金利政策を採り、金融緩和が長く続いたため余剰資金が土地や株に向かったと説明されている。勿論、始まりはプラザ合意である。この年、アメリカは世界一の借金国に転落し、日本は世界一の金貸し国となった。アメリカは日本経済に一矢報いる必要があり、プラザ合意で１ドル２４０円を１２０円台にした。日本の輸出産業は大打撃である。さらにアメリカは日本に内需拡大策と低金利政策を強く求めてきた。</p>

<p>　当時の日本はいわば一人勝ちであった。車と家電の輸出で金を稼ぎ、稼いだ金を世界に貸し付けてさらに金利を稼ぐ。マネーがマネーを生んだ。金が溢れればインフレが起きる。政治はそこをコントロールしなければならない。考えられたのは流れ込むマネーを土地と株に向かわせて、物価に影響させない事であった。</p>

<p>　中曽根政権は「民間活力による内需拡大策」を政策の柱に据え、担当大臣に副総理の金丸信氏を任命した。金丸氏は８６年１１月、「東京には海外から外国企業が進出して来るが圧倒的にオフィスビルが足りない。東京湾を埋め立ててオフィスビルを造らなければならない」と演説した。</p>

<p>　本当にビルが足りなかったかどうかは知らないが、ここからバブルが始まる。当時東京湾の沿岸に土地を持っていたのは新日鉄や石川島播磨などの「重厚長大」産業である。それが救済が必要なほど斜陽化していた。政府がまず考えたのは「重厚長大」産業から土地を買い上げて産業の転換を図らせ、次に前年に民営化されたＮＴＴの株を高値で売り出して、それを財政赤字の埋め合わせに使う。地価と株価を高騰させて余剰な金を吸収させればインフレは防げる。これが政府のシナリオであった。</p>

<p>　株の売買は儲けと損が半々のギャンブルである。欧米では普通の人は配当益を得るために株を持つのであり、売買で利益を得ようとは思わない。しかしこの時日本では株式ブームを国家主導で扇動した。ＪＴやＪＲなど中曽根民営化路線で株を売り出せる企業が次々控えていたからである。新聞社は一斉に株式欄を拡充してブームを煽った。株式予想は競馬予想と同じだから日刊紙はやらないのが普通である。ところが日本ではその原則が崩れて主婦までが株の売買に手を染めるようになった。</p>

<p>　企業も儲けを更に膨らまそうと「財テク」に走る。日本が総ギャンブル列島となった。一方で金利が下がり融資競争が激化した銀行は土地や株の購入に融資の矛先を向けた。大都市圏の再開発が活発となり、地上げ屋が活躍するようになった。地上げは暴力団の世界だから、暴力団が金融機関に食い込んでくる。東京２３区の地価でアメリカ全土が買えるほど地価は高騰した。当初は１石４鳥を狙ったインフレ防止策がとんでも無い暴走を生み出した。しかし誰も暴走を止めない。</p>

<p>　暴力団に弱みを握られた金融界は無担保で融資をさせられ、それが外国の土地買いに使われた。ハワイの土地買いを問題視したアメリカは空港で日本のヤクザを閉め出す策に出るが、日本国内では闇の紳士達が縦横無尽に活躍した。日本経済の血管に当たると言われる金融機関が完全に暴力団に食い荒らされた。１９９０年３月、大蔵省が「総量規制」を通達して不動産に関連する融資を一斉に止めると、一挙にバブルは崩壊した。４万円近くまで上昇した株価は１年も経ずに半値以下となった。財政赤字の補填どころの話ではない。金融機関の不良債権処理に血税が投入される話になった。</p>

<p>　アメリカの経済学者は「それにしてもバブルの終わらせ方が乱暴で、もっとソフトランディングする方法はなかったか」と大蔵省のやり方を批判したが、大蔵省には日本国が暴力団に食い物にされるという恐怖感があった。バブルが崩壊するのと前後して、世界は冷戦の崩壊を迎えた。しかし日本には世界の構造変化に立ち向かう余裕がない。アメリカの要求通りに不良債権処理を行い、それからはひたすら「失われた二十年」を耐えてきた。</p>

<p>　しかし「失敗は成功の母」である。失敗の現実に目を瞑れば混迷から抜け出せないが、失敗を直視する勇気を持てば復活の道は開かれる。前回紹介した池東旭氏は「日本の平和と繁栄は『アメリカの、アメリカによる、アメリカのための』ものだ」と書いている。韓国は冷戦後民族主義を強めた。民族自立の意思でグローバリズムを呼び込んだ。中国はアメリカから元切り上げを要求されたが、自らが決める問題だと突っぱねた。アメリカの言うとおりにしてバブルを迎えた日本は、冷戦が終わってもなおアメリカの言う通りである。桜が牡丹と槿（むくげ）と違うのはその一点である。<br />
</p>]]>
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    <title>上海万博実感旅行</title>
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    <published>2010-05-07T16:09:39Z</published>
    <updated>2010-05-07T18:41:45Z</updated>

    <summary>　連休に上海万博に行った。およそ博覧会なるものには興味がなく、大阪にも愛知にも行...</summary>
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        <name>田中良紹</name>
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        <![CDATA[<p>　連休に上海万博に行った。およそ博覧会なるものには興味がなく、大阪にも愛知にも行かなかった私だが、上海には行く気になった。世界の構造変化を実感する事が出来るかも知れないと思ったからである。</p>]]>
        <![CDATA[<p>　と言っても万博を真面目に見ようと思った訳ではない。私にとっては学生時代に東京オリンピック、社会人になって間もなく大阪万博が開かれた「思い出の日本」と、オリンピックと万博を２年足らずで実現した「上昇中国」とを比較したいと思ったからである。他にアメリカと日本が万博でどんなメッセージを発信しているかにも興味があった。</p>

<p>　月刊誌「エルネオス」５月号の巻頭言で韓国在住のジャーナリスト池東旭氏が「桜と牡丹と槿（むくげ）」と題して日本、中国、韓国の百年を比較している。桜と牡丹と槿はそれぞれ日本、中国、韓国の国花である。百年前の日本は日清・日露に勝ち、列強に伍する東洋の一等国になった。一方の中国は列強の半植民地となり、韓国は１９１０年に日本に併合された。</p>

<p>　百年後の今、日本は活力がなく長期低落から抜けきれない。中国は北京五輪、上海万博で上り龍である。韓国もグローバル化で完全に日本を抜いた。自由貿易協定を世界と結び、在外韓国人の数は在外日本人の５倍以上である。池氏は「桜は散り際、牡丹咲いて、槿は満開」と書いている。私は桜と牡丹を比較しに行った。</p>

<p>　５月３日に乗った成田発上海行きの飛行機は連休なのにがらがらだった。全日空の職員が「日本人で万博に行く人は少ない」とこぼしていた。機内の周囲は全て中国人だった。おそらく日本から上海万博に向かうのは在日中国人が多いのではないだろうか。在日外国人は２００７年に韓国・朝鮮籍を抜いて中国人が最大となった。東京都民の百人に一人は中国人である。日本国籍を取得する中国人も毎年４千人を数える。乗り込んだ飛行機でまずその事を実感した。</p>

<p>　万博会場は上海市内を流れる黄浦江の東西両岸に広がる。愛知万博会場の倍の広さである。それが市内のほぼ中央に存在するのは、土地が私有財産の資本主義社会では到底考えられない。中国政府は元々工場があった所を立ち退かせて会場にしたという。万博後にはマンションや公園を作るらしい。土地も企業も国有という国ならではの話である。冷戦の崩壊で誰も社会主義を評価しなくなったが、民主主義のコストをかけずに国家プロジェクトを実行できるのは社会主義しかないことを実感させられた。ロシアのプーチンが金融危機に際して資本主義を国営化路線に転換するのもうなずける。</p>

<p>　万博会場では日本産業館や韓国企業館が並ぶ西岸地区から見ることにした。ロボットが壁を上り下りする日本産業館は中国人に人気がある。行列は嫌いだが仕方がない。１時間並んでやっと館内に入る事が出来た。ところが入った途端にまたストップさせられた。１０分おきに３０人くらいずつ入れてはストップさせるのである。やっと動くとまたストップ。通路の両側にあるテレビモニターには静岡県の名物が映し出されているが、日本人の私には全く興味がない。しかし前に進む事は許されない。ここは立ったまま強制的に見させられる仕組みなのである。</p>

<p>　そんな方式で移動しながら日本の四季や若者ファッションや協賛企業の宣伝を見せられたが、１時間以上も並ばされた後で自由に動けない事に次第にイライラがつのる。歩くよりも立っている方が疲れるのである。目玉とも言える「世界一のトイレ」の展示場所で遂に怒りが爆発した。案内嬢から「入り口で渡された袋の中に当り券がある人だけご覧になれます」と言われたのである。袋を探したが私も含めて周囲には誰も「当たり」がいなかった。「残念でした」という目線に送られて多くの人が日本産業館を後にする。何のために「見せない」のかが分からない。そして「見せてあげる」という根性が気に食わない。</p>

<p>　一方の韓国企業館は全く行列がなかった。日本より人気がないのかも知れないが、こちらは仕組みが違うのである。壁や通路にスマートフォンの待ち受け画面を大きくしたようなパネルが沢山あって、手で触ると画面が変化したり動いたりする。それで遊びたい人は遊ぶし、先に行きたい人はどんどん先に行ける。基本的に自由なのだ。韓国企業の宣伝はしているが、強制的に見せる事はしない。極めてあっさりで、日本の「押し付け」、「強制」とは対照的だった。</p>

<p>　それと同じ事が東岸地区のパビリオンでもあった。フランス館は大人気で長い行列が出来ていたが、人の動きは全く止まらない。それは館内で展示物を立ち止まって見るのも通過するのも個人の自由だからである。フランスの美術品やファッションが展示されている通路を入場者は自由に行ったり来たり出来る。ただ最後の買い物コーナーだけはフランス製品を買い求める中国人で雑踏状態だった。</p>

<p>　それに引き換え日本館は少しずつ動かしては止め、止めては動かすため、入場するまでに２時間もかかった。中に入ってからも強制的に止められるので、見たくないものまで見せられる。日本が力を入れていたのは、汚染された川や湖を浄化した実績と、絶滅寸前の朱鷺を日中が協力して人工増殖した友好の実績、それに車やロボットやカメラの先端技術の数々である。</p>

<p>　しかし立って見るのは肉体的に苦痛である。椅子席のある劇場に辿りつくのは最後の最後で、それまでは我慢を強いられた。劇場では能と京劇で汚染された自然を朱鷺と子供が浄化するストーリーが演じられたが結構長い。並んでから見終るまで３時間はかかる。それでも日本館が人気なのは日本に対する憧れや羨望が中国人にあるからか。日本人の私には不思議な気がした。</p>

<p>　日本と同様に見る事を強制しながら、しかし中国人の喝采を浴びていたのはアメリカ館である。ここも行列は長いが日本館のように止まったままにならない。日本が３０人位ずつ進めたり止めたりしているのと違って、こちらは５００人規模の椅子席で映画を見せるため人の移動が大きいのである。</p>

<p>　アメリカの意図は明確だった。中国人にアメリカが友人である意識を植え付けるのである。そのため３本の映画が上映された。１本目はいわば市民編である。様々なアメリカ市民が中国語で中国人に語りかける。一方で中国語を知らないアメリカ人に中国語を教えてしゃべらせる。中国語の発音に苦労しながら次第にマスターしていく様をインサートしていく。見ている中国人は発音の間違いに笑い転げ、最後にうまくいくと喜んで拍手する。米中友好の雰囲気はいやがうえにも盛り上がる。</p>

<p>　次の場所では政治編が上映された。ヒラリー・クリントンが登場して中国人に米中友好を呼びかけ、様々な専門家にアメリカがどれほど地球に貢献しているかを語らせ、最後にオバマ大統領が「ニーハオ」と言って登場する。するとまた拍手が起こる。３本目は巨大スクリーンと立体音響の劇場で、廃墟の街に少女が花を植え、雨や嵐にあいながらも大人たちと協力して緑の街を誕生させる姿を描く。雨のシーンでは劇場にも雨が降って中国人を喜ばせた。</p>

<p>　アメリカ館は並んでから終るまで１時間もかからなかった。アメリカの文化も歴史も風景も商品も登場はしないが、しかしストレートにアメリカが中国の友人である意識を植えつける。そのメッセージ力はあると思った。アメリカお得意の世界洗脳戦略はここでも健在である。</p>

<p>　思えば日本人はアメリカに洗脳されて半世紀が経った。その間、官僚、学者、ジャーナリストらが日本洗脳の先兵を務めてきた。おかげで今だに「中国の脅威から日本を守るためには日米同盟にすがるしかない」と叫ぶ輩がいて、日本はアメリカに富を吸い取られ続けている。前述の池氏は「安保をアメリカに丸投げするスキームは、ポスト冷戦では通用しないが、日本はその幻想から抜け出せない」と延べ、危機感を持たない「桜」は散るしかないと結論付けている。</p>

<p>　やっと政権交代を実現させて「国民が主権者である事を証明した」日本だが、普天間問題を見る限り「主権在民」ではなく「主権在米」である。鳩山総理の沖縄訪問のニュースを上海で聞くと、日本だけがとてつもなく世界から遅れているように思えてしまう。<br />
</p>]]>
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    <title>みんなで渡れば怖くない</title>
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    <published>2010-04-27T15:54:01Z</published>
    <updated>2010-04-28T09:21:11Z</updated>

    <summary>　この国の新聞とテレビは全社が揃って判断を間違える事が良くある。ところが間違えて...</summary>
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        <name>田中良紹</name>
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        <![CDATA[<p>　この国の新聞とテレビは全社が揃って判断を間違える事が良くある。ところが間違えても誰も責任を取らないし反省もしない。みんなが間違えたのだから仕方がないで終わる。逆に他が報道している事を１社だけ報道しないと「特オチ」と言って大問題になる。「特オチ」した社は大恥をかき、担当者は責任問題になる。</p>]]>
        <![CDATA[<p>　国民からすれば「特オチ」で困る事はない。しかし全メディアに間違った報道をされれば被害甚大である。普通の人はメディアが揃いも揃って間違える事などあるはずがないと思っている。私も初めはそうだった。しかし現場で仕事をするうちにそうでない事が分かった。間違いは繰り返されているし、誰も反省はしていない。それを少し紹介する。</p>

<p>  １９８０年の春闘の時である。当時の春闘は日本経済の牽引役である自動車と電機が賃金相場を主導し、それを受けて国鉄と私鉄の労働組合が共闘する交通ゼネストで最大の山場を迎える。それが毎度のパターンだった。交通ゼネストが実施されれば全国一斉に通勤の足が止まる。前日から会社に泊まり込まなければならないサラリーマンもいる。ゼネストの規模がどの程度になるかを見極めて報道する事は新聞とテレビに課せられた重要な仕事だった。</p>

<p>   新聞各社とＮＨＫは経営側を取材する経済部、労働組合を取材する社会部、そして春闘を事実上コントロールする官邸を取材する政治部が１０数名でチームを組む。誤報すれば社会的影響が大きいので精鋭が集められる。しかし報道取材で後発の民放各社は１名で取材させられた。組合を取材するだけで精一杯である。私は思案の末、底の浅い取材になるかも知れないが、昼間は組合、夜は経営側の幹部の自宅や春闘を担当する官房副長官の宿舎を回って歩いた。</p>

<p>　すると私鉄の労使と官邸がこれまでの春闘とは異なるパターンを模索している事が分かった。しかし国鉄の労組はスト突入に強硬で私鉄の組合も表面はそれに同調している。総合的に見てこれまでの春闘パターンが崩れると私は判断した。官公労と民間組合の共闘は分断されるのである。スト実施の前日に「ストライキは回避される可能性あり」との原稿を書いた。新聞社のベテラン記者から「勇気あるねえ」と言われた。新聞とテレビは全社が「交通ゼネスト突入必至、通勤の足大混乱」の観測記事を掲げた。</p>

<p>　結局、明け方に私鉄の経営側が高額回答を出し、私鉄は通勤に影響のない始発だけのストで終わった。満足する回答を引き出せない国労と動労は夕方までストを打つが、私鉄さえ動けば通勤の足には何の支障もなく混乱はなかった。この年の春闘が日本の労働運動を官公労優位から民間主導に変えた。</p>

<p>　私が得た情報を１０数名からなる経済部、社会部、政治部の連合軍が知らない筈はない。それなのに揃って判断を間違えたのは何故か。１．この国の新聞とテレビは既成の見方に強く引きずられて新たな事態に対応する能力が足りない。２．複数で分業して情報収集するためにピントが外れる。それをみんなで議論するうちこれまで通りの無難な考えに落ち着く。その時私が考えたのはこうした理由である。しかし間違えた社がこの時反省したり、間違えた理由を分析をした形跡はない。</p>

<p>　１９８７年の自民党総裁選挙の時である。中曽根後継を決めるのに中曽根総理は「禅譲」を言い出した。自民党員による選挙ではなく、中曽根氏が直接指名するのである。候補は竹下登、宮沢喜一、安倍晋太郎の三氏であった。派閥の数は竹下、宮沢、安倍の順で、選挙をやれば竹下氏が勝つ。竹下氏を破るには宮沢氏と安倍氏が組むしかない。宮沢氏が降りて安倍氏を押せば安倍政権が誕生し、安倍氏が降りれば宮沢政権が誕生する。しかし竹下氏と安倍氏は盟友関係にあった。</p>

<p>　私は「禅譲」という例が過去にあるかどうかを調べた。すると池田勇人総理が佐藤栄作氏に「禅譲」した一例だけあった。池田氏と佐藤氏は総理の座を争ってきた政敵である。池田氏を支えてきたのは河野一郎氏で、河野氏はその時総理の座を狙っていた。なぜ池田総理は盟友関係の河野氏ではなく政敵の佐藤氏に「禅譲」したか。池田総理の秘書官を務めた伊藤昌哉氏に話を聞いた。伊藤氏は即座に言った。「禅譲なんて怖いことは出来ない。もし指名に不満が出て自民党が分裂したら歴史に汚名を残す。佐藤派が最大派閥だったから佐藤を指名した」。</p>

<p>　極めて明快な論理である。すると三者が候補でいる限り指名は竹下氏しかありえない。しかし宮沢氏と安倍氏が組めば、宮沢氏と安倍氏のどちらかが総理になる。安倍氏が降りるか、宮沢氏が降りるか、私はじっとそれを見ていた。一方で数に勝る竹下氏は自分が総理になれば次は安倍氏にしようと思っていた。だから新聞に一度は「安倍総理確実」と書かせる気でいた。宮沢氏より安倍氏を世間にアピールさせる竹下流の「思いやり」である。</p>

<p>　中曽根裁定が下る日、産経新聞が朝刊の一面で「安倍総理誕生へ」を書いた。これで竹下氏の「思いやり」は果たされた。しかしもし宮沢氏が安倍政権誕生を望み、候補を降りて安倍氏を押せば本当に安倍政権が誕生する。すると安倍派の森喜郎議員が「中曽根総理の意中は宮沢だ」という情報をどこからか聞いてきた。これで宮沢氏は降りられなくなる。私は竹下総理誕生の方向に情報は動き出すと思った。</p>

<p>    ところが午後になって中曽根派の佐藤孝行議員が時事通信社の取材に「総理の意中は安倍」と答えた。その情報が記者クラブに伝わると、それがこだまのように反響し、「安倍らしいぞ」が「安倍で決まり」に変わっていく。何の根拠もない情報である。佐藤氏は中曽根派幹部ではあるが中曽根氏本人ではない。最後の土壇場で竹下側から何か条件を引き出すためにわざと嘘を言う可能性だってある。ところが記者クラブは佐藤孝行情報に踊って全社が「安倍総理誕生」で一致した。</p>

<p>   私は不思議な思いでその光景を眺めていた。何故こんなに簡単に根拠のない情報に乗せられるのか。しかしそれがこの国の新聞とテレビなのである。私は午後１０時からのテレビ番組で「竹下になる」と発言したが、その後も「安倍総理確実」のニュースはやまなかった。深夜０時に中曽根裁定が「竹下」に決まると、安倍フィーバーに踊っていた事が嘘のように、メディアは一転して「竹下総理誕生」のニュースを当然のような顔をして流し始めた。１．この国のメディアは何の根拠もなく政治家や要人の話を信用する。２．ジャーナリズムとか言って偉ぶっているため、所詮は裏取引の道具に利用されている事を知らない。</p>

<p>    最近のメディア報道はこれらの時より数倍酷い。既成の見方に引きずられて新しい事態が見えず、ピントのぼけた解説と程度の低い政治家の発言をそのまま垂れ流す毎日である。私が現役で取材していた頃は政治家の発言をそのまま信用するのはバカだと思っていたが、このごろは政治家や官僚の発言を頼りに判断を下す記者がいるようだ。それが「政治とカネ」や「普天間問題」の報道にも現れている。</p>

<p>　アメリカの国防長官がどう言ったとか、日本の政治家がこう言ったとか、それはそれだけのことで、だからどうだという話ではない。交渉事の材料としての発言に過ぎない。ところがメディアはそれを判断の拠り所にする。そして「アメリカが怒っている」とか「日米同盟が危機」だとか馬鹿馬鹿しい話を作り出す。政治は情報戦である。誰も本当の事など言わない。言葉一つ一つの裏を読み解かなければ何も見えて来ない。しかし「みんなで渡れば怖くない」と全社で間違えるメディアには嘘を信ずる方が楽なのだ。</p>

<p>　思えば大本営発表を垂れ流した新聞が、戦後何の反省もなく一転してＧＨＱの日本洗脳の手先となった。戦前は「軍国主義」を、戦後は「民主主義」を国民に刷り込んだが、いずれも支配者にとって都合の良い「軍国主義」と「民主主義」である。それを全社で一斉に流すから嘘も本当のように見える。しかし昨年の政権交代以来、国民はメディアの嘘に気がつき始めた。</p>

<p>　と書いた所で検察審査会の「小沢幹事長起訴相当」のニュースが飛び込んできた。詳しいことを知らない段階での印象だが、「起訴相当」とした理由にメディアの報道に影響された判断ではないかと思われる箇所がある。もしもそのようなことがあれば重大である。メディアを使って司法をねじ曲げたのはナチスのゲッベルスだが、司法がお粗末なメディアに影響されるようでは日本に未来はなくなる。<br />
</p>]]>
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    <title>自民党の液状化は止まらない</title>
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    <published>2010-04-18T17:18:27Z</published>
    <updated>2010-04-18T18:07:47Z</updated>

    <summary>　自民党はかつて自らを「国民政党」と称した。資本家や大企業の利益を代表するのでは...</summary>
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        <name>田中良紹</name>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.the-journal.jp/contents/kokkai/">
        <![CDATA[<p>　自民党はかつて自らを「国民政党」と称した。資本家や大企業の利益を代表するのではなく、広く国民大衆の利益を代表する政党だと自負していた。自動車、家電を中心とする輸出産業を優遇し、その製品輸出で外国から金を稼ぎ、豊かになった企業とサラリーマンの税金を農村や中小企業に分配することで、大企業も中小企業も農村も自民党の票田だった。</p>]]>
        <![CDATA[<p>　冷戦の間はその構造がうまく機能した。アメリカの「ソ連封じ込め戦略」は日本が共産圏に対抗出来るよう経済発展を促したが、１９７１年の「ニクソン・ショック」で様相は一変する。アメリカは日本の輸出に有利な１ドル３６０円の固定為替レートを撤廃し、日本の頭越しに共産国家中国と手を結んだ。アメリカにとって日本の戦略的価値は低下した。アメリカは沖縄返還の見返りに繊維製品の輸出規制を要求し、それを皮切りに農産品、自動車、半導体など次々に貿易戦争を仕掛けてきた。</p>

<p>　しかし自民党にとって高度成長は甘美な成功体験だった。構造転換が必要だと頭では思っても体が動かない。対米摩擦を何とかしのぎながら同じ道を突き進んだ。大票田である農村への分配は道路、ダム、空港などの公共事業を通じて行ったが、成長が終わればそれが財政負担となる。日本は国債依存体質の国家になった。</p>

<p>　９０年、冷戦とバブルが同時に崩壊して本格的な失速が始まる。日本経済を「ソ連に代わる脅威」と見ていたアメリカは、日本の司令塔である大蔵省と通産省の解体に取りかかる。官僚批判が紙面を賑わすようになり、官僚主導体制と自民党の「金属疲労」が指摘された。「しがらみを断ち切らない限り構造転換は出来ない」と考える一派が自民党に生まれ、政権交代可能な体制を作るために自民党を離党した。</p>

<p>　自民党分裂が細川政権を誕生させ、自民党は初めて野に下った。しかしそれでも自民党には寄せ集めの連立政権より政治的老獪さがあった。スキャンダル攻撃でさきがけと社会党を連立から引き剥がし、国民の審判を経ずに再び権力を取り戻した。</p>

<p>　しかししがらみの自民党に構造転換は図れない。村山、橋本、小渕、森と続く政権は失速を更に加速させた。どん詰まりで登場したのが小泉総理である。「自民党をぶっ壊す！」と叫んで、自民党でありながら「政権交代」したかのような錯覚を国民に与え、国民はその錯覚に熱狂した。古い自民党をぶっ壊さないと国民の人気は得られないと自民党は思い込む。小泉政権は郵政選挙で「古い自民党」を切り捨てた。</p>

<p>　未熟な政治家は小泉政治を見て、メディアを操り世論の支持率を上げることが政治だと錯覚する。以来、メディアに登場して「古い自民党」を批判し「改革」を叫ぶ事が政治スタイルとなった。かつての「国民政党」はあらゆる階層に利益を分配する事で成り立ったが、今では「分配は悪」となり、世論の支持率を獲得する事が「国民政党」への道だと考えられた。</p>

<p>　「改革」と称して導入されたのは弱肉強食の競争原理である。世界では既得権益に挑戦する新規参入を優遇する事が「競争政策」だが、強者の利益を弱者に分配する事で成り立った日本では、弱者への分配がなくなると強者が益々強くなる。それが自民党支持層の生活基盤を直撃した。そこに「政治は国民の生活が第一」を掲げる民主党が登場する。民主党にかつての「国民政党」の面影を見た自民党支持者は自民党を離れた。去年の選挙で自民党は再び野党に転落した。</p>

<p>　「再び」と書いたが今回の転落は９３年と事情が異なる。あの時自民党は分裂で議席を減らしたが選挙では負けていない。衆議院比較第一党の座はキープした。選挙後直ちに連立を組めば自民党政権は続いた筈だ。ところが小沢一郎氏に先手を打たれて細川政権の誕生を許した。しかし後にさきがけと社会党を引き剥がす事が出来たのは比較第一党でいたからだ。今回は衆議院第一党を民主党に明け渡した。そこが大きく違う。</p>

<p>　民主党の弱みは参議院で過半数に届かない。だから国民新党と社民党と連立を組むしかない。自民党が国民新党と社民党を連立から引き剥がせば民主党政権はすぐに潰れる。それが出来ないのは自民党が小泉路線を捨てないからだ。小泉路線の自民党とは国民新党も社民党も一緒になれない。従って自民党は次の参議院選挙で民主党の単独過半数を阻止するしかない。</p>

<p>　しかし与党だからこそ支持してきた業界団体は野党の自民党には投票しない。残る支持者は親子代々の「草の根」か、イデオロギーで民主党と相容れない「保守層」である。親子代々は公明党を、イデオロギーは日本共産党を連想させるが、それでは「国民政党」になれない。自民党は幅広いイデオロギーを包み込んだからこそ長期政権を維持できた。保守イデオロギーを強めれば強めるほど自民党は先細る。</p>

<p>　そう思うからまずは「官僚主導からの脱却」で民主党と手を組み、次に時間をかけて政策の対立軸を作るべきだと私は言ってきたが、自民党は「何でも反対」の路線を採った。昔の社会党とそっくりである。国会では与党の足を引っ張るだけで建設的な修正案を出さない。社会党は「二本（にほん）社会党」と揶揄されたように、党内に左右二つの潮流が存在したが、今の自民党にも小泉派と反小泉派の二つの潮流がある。</p>

<p>　そして自民党には国民から熱狂された甘美な思い出が今も脳裏に焼き付いている。だからメディアを意識したパフォーマンスにすぐ目が向く。しかし郵政選挙のお陰で国民はメディアに乗せられた愚かさを思い知った。それを気付かずにお笑い芸人と並んで喜ぶ政治家に国民は辟易している。小泉政治が残した遺産は自民党を液状化させて止まらない。その自民党から議員がこぼれ出した。理由は自民党に未来がないと考えるからである。</p>

<p>　メディアは「新党、新党」と騒いでいるが、盛り上がりは全くない。何故なら野党が分裂しても与党を利するだけで政局にならないからだ。「たちあがれ日本」が誰の票を食うかと言えば、自民党か、みんなの党か、与党の中でも国民新党ぐらいだろう。公明党と同じで選挙後の情勢次第では民主党というより小沢幹事長と手を組む可能性がある。一方で民主党系の首長が「日本創新党」を結成したが、これにも「日本新党」のようなインパクトはない。乱立で「第三極」が食い合う可能性もある。</p>

<p>　新党の動きは、全てが選挙後の結果を見てからの連立狙いである。メディアは世論調査の支持率だけで参院選の民主党劣勢を喧伝するが、それは前提として普天間問題で鳩山政権が立ち往生する事を想定している。新聞もテレビも全社がそれを確信しているかのような報道だ。しかしこの国の新聞とテレビは全社揃って間違う事が良くある。全社で間違えれば誰からも非難されないので安心して誤報するのである。「赤信号みんなで渡れば怖くない」のだ。</p>

<p>　最もドラマティックな展開があるとすれば、郵政選挙の裏返しで民主党が分裂選挙を仕組むことである。郵政改革法案は間もなく骨子が発表されるが、それは小泉政権の民営化路線の真逆である。自民党は二つの潮流で股裂きになり、民主党の中にも意見の対立がある。この法案を巡って自民党と民主党の中に分裂の芽が生まれれば、それを利用して参議院選挙を政界再編の導火線にする事も出来る。新党騒動や普天間問題よりそちらの方が注目点かも知れない。</p>

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■銀座田中塾のお知らせ（最終回）<br />
映像で読む世界と日本<br />
映画「アバター」と「ダンス・ウィズ・ウルブス」<br />
に見る「あの世」と「この世」<br />
日時；４月２２日午後６時半～８時半<br />
会費：３０００円（お弁当・お茶付き）<br />
場所：東京都銀座２－１０－１８ 中小企業会館８階<br />
申し込み先：銀座モリギャラリー<br />
電話０９０－６５９８－０９３９<br />
Email:<a href="mailto:morim-p@gol.com">morim-p@gol.com</a></p>]]>
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