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2012年2月25日

「動機」の政治と「結果」の政治

 政治は「結果」である。どんなに「動機」が正しくとも「結果」を出せなければ意味がない。ところが「動機」が正しければそれで良いと考える人たちがいる。その人たちは正しい事を主張するのが政治で、正論は必ず理解されると信じているらしい。信ずるのは勝手だが、それでは余りにも世の中を知らない。人間は「理屈」で動くのではない、「利益」で動くのである。

 しかも正論は人さまざまである。全員が正しいと思うことなどまずない。誰かが「正しい」と言えば、別の誰かは「正しくない」と主張する。時代が変われば正しさの基準も変わる。正しい事を実現したと賞賛された政治が後に批判された例はいくらでもある。

 以前書いた『増税の「理」と「利」』で、私が坂本龍馬を一級の政治家と評価した理由はそこにある。「維新の志士」と呼ばれる人たちは、ひたすら「尊皇攘夷」を正論として結果も考えずに突き進んだ。しかし龍馬は「理屈」を叫んで世の中が変わると思っていない。薩長連合は、薩摩には米を、長州には武器という「利益」を龍馬が与えたから成就した。

 そして龍馬には新時代を切り拓く戦略とシナリオがあった。徳川家に「大政奉還」させ、天皇中心の体制を作るが、しかし政治を執り行う能力に乏しい公家や薩長の田舎侍に政権を任せるのではなく、それまで政治を執り行なってきた徳川体制を温存させ、ドリームチームとでも言うべき公武合体の大連立政権を作ろうとした。それが欧米に対抗するための日本国誕生のシナリオであった。

 ところが龍馬は暗殺され、ほどなく戊辰戦争が起こり、龍馬の描いた「公武合体政権」のシナリオは消滅した。代わりに「動機」の正しさを主張する幼稚な連中が明治を作った。だから「週刊新潮」に文芸評論家の野口武彦氏が連載するように、明治の「め」は目茶苦茶の「め」なのである。そう考えると坂本龍馬が暗殺され、彼の戦略とシナリオが消えた事が日本を政治未熟の国にしたとも言える。

 こう書いてきたのは、昨年11月のG20で「消費税法案の2011年度内提出」を国際公約した野田総理が「結果」を出すための戦略とシナリオを持っているように見えないからである。野田総理の発言を聞いていると「動機の正しさを認めてくれ」と言っているに過ぎない。

私は全くそう思ってはいないのだが、仮に「社会保障と税の一体改革」が正論であっても、仮に「財政赤字の解消」が正論であっても、増税で金を取られるのは国民だから、国民にどのような「利益」がもたらされるかを具体的に示さない限り物事は動かない。将来不安を言い募って脅すだけでは国民はついていかない。会社の社長が将来不安だけを口にして給与を下げようとしたら、従業員は社長を代えてましな経営者の下で働きたいと思う。「動機」の正しさを言うだけなら政治家は要らない。政治家の仕事は「結果」を出すための戦略とシナリオを持つ事なのである。

 しかしこの国には「動機」の正しさを主張するだけの政治家が多い。前の総理もそうだった。戦略とシナリオがないから負けてはならない参議院選挙に敗北し、「ねじれ」という負の重荷を背負っても、それを解消する戦略もシナリオもなく、ひたすら野党にすり寄るだけの政権運営を行った。そのくせ「正論」の如き口ぶりで「理屈」だけは言った。

 その前の総理も普天間基地の県外・国外移設を主張したが、その「結果」を出すための戦略もシナリオも持ち合わせてはいなかった。アメリカは普天間基地の辺野古移設が困難な事を百も承知である。だから自民党政権の「努力」を冷ややかに見てきた。自分たちは冷戦後に見合った再編計画を独自に作成していた。自民党に代わってアメリカを納得させるシナリオを出せるのかと思っていたら、結局は絶対に実現するはずのない辺野古移設を認めるという自民党と同じ結論に戻った。

 野党に転じた自民党も酷いものである。「政権奪取」という目的のためならなりふり構わない。「動機」が正しければ何でもやれとばかりに民主党攻撃を行なって自らの人気を下げている。へまをした子供とそれをいじめる子供の喧嘩を見せられているのが今の国会で、公明党の方が本格野党に見えてくるから、つくづく自民党に政権が戻る事はありえないと思ってしまう。この政党の政治家にも「結果」を出すための戦略とシナリオがない。

 歴史学者の中には「陽明学」が「維新の志士」たちに影響を与え、「動機」の正当性を重視する政治風土が生まれたとする見方がある。「動機」さえ良ければ後の事は考えずに「やっちまえー」と言ったのが幕末維新だった。戦後の「60年安保闘争」もそれに似ていると言うのである。

しかし私の知る限り、かつての自民党には「結果」を出すための政治技術があった。シナリオを書ける政治家がいて、誰にも知られずにシナリオを書き、誰にも知られずにそれを実現して行く。大方の政治家はそのシナリオによって動かされている事に気付かない。そして「結果」が国民のためになればそれで良しとする考え方だった。それに比べるとテレビで口角泡を飛ばす政治家や「理屈」だけを言う政治家が子供に見えてくる。古い自民党には悪いところも沢山あったが、しかし今よりは大人の政治をやっていた気がする。

2012年2月18日

民主主義と無縁の人たち

 小沢裁判で、裁判所から求められていた証拠の開示を拒否した検察について「民主主義とは無縁のところで育成されてきたのではないか」と書いたが、それは検察だけの話ではない。政治家にもメディアにも民主主義とは無縁の思考をする者がこの国にはいる。

 小沢一郎氏の第14回公判で、東京地裁の大善文男裁判長は石川知裕衆議院議員ら元秘書の取り調べ段階での供述調書の大半を証拠採用しなかった。そして「強力な利益誘導があり、嘘の供述に導く危険性の高い取り調べだった」、「圧力をかける取り調べは、個人的なものではなく、組織的なものだったと疑われる」と東京地検特捜部の捜査手法を批判した。これまでの裁判経過をたどれば当然と思える判断である。

 メディアは「これで小沢元代表有罪へのハードルは高くなった」とする一方、元秘書らの裁判では同じような理由で供述調書が証拠採用されなかったにも関わらず、三人の秘書全員が有罪判決を受けた事から、この判断が「無罪に直結するものではない」と解説した。

 そして自民党や公明党からは「三人の秘書が有罪判決を受けており、政治的道義的責任を免れる事は出来ない」とか「国会に対する説明責任がある」とか「民主党の党内政局が注目される」とかの反応が出ている。

 検察という行政権力が違法な捜査によって国民の代表を組織的に潰そうとした。それを司法が認めて行政権力を批判したというのがこの日の裁判である。普通の民主主義国家なら民主主義の根本に関わる問題として捉えるだろう。ところがこの国のメディアは小沢氏が有罪か無罪かにしか関心がなく、政界からは党利党略の反応しか出て来ない。それが民主主義を自称するこの国の姿である。

 この事件はそもそも政権交代のかかった選挙直前に東京地検特捜部が野党第一党の代表、すなわち次の総理候補の公設第一秘書を逮捕した事から始まった。選挙直前の政界捜査は民主主義社会が決して許してはならない事である。国民の選択に行政権力が介入する事は国民主権に対する冒涜だからである。

 この事件を見る私の出発点はそこにある。ところが政治家やメディアの反応はまるで違った。誰も民主主義に対する冒涜とは受け止めず、政界の「巨悪」とそれに切り込む「正義の検察」というお定まりの構図で捉えた。それはロッキード事件以来、国民の代表を「巨悪」と思い込ませたマインドコントロールがあるからである。

 東京地検特捜部が狙う政治家はすべて「巨悪」と国民は思い込むのである。だから特捜部が立件できなければ我々が代わって「巨悪」を追い詰めてみせると考える阿呆が出てくる。その連中は犯罪を立証できなくとも「政治的道義的責任」をあげつらい、「説明責任」を追及して政治的に追い詰める方法を考える。相手は国民の代表なのにである。

 私はアメリカ議会の議論を通して冷戦が終焉する直前からの世界の激動を見てきた。国際政治の世界は『三国志』の世界をしのぐ謀略と陰謀の世界である。そして実利を得る事に各国とも知恵の限りを尽くす。それは自国の国民生活を豊かにする事が政治に求められる最大の課題だからである。政治家に求められるのは道徳ではない。利益を実現する能力である。

 ところがわが国では政治家同士が足を引っ張り、つまらぬ事で相手の欠点をなじり、何かと言えば「道義的責任」を追及する。それが国民生活を豊かにする道だとでも思っているかのように堂々とやる。私に言わせれば民主主義を理解できない阿呆たちの所業である。国民の代表が国民の代表を貶めて国民に何の利益が与えられるのか。

 そう書いてきて、明治維新後の日本が欧米の文明に圧倒され、行政権力中心の独裁体制を構築する話を思い出した。この国に民主主義と無縁の思考が存在するのはそれから一歩も進歩していない証かもしれない。

 政権交代して3年目の日本政治の現状を嘆いている国民が多いかもしれないが、明治維新後の日本もめちゃくちゃだった。政権公約とも言える「尊皇攘夷」をさっさと捨てて開化路線を採る新政府に対して農民と士族の不満が渦巻いていた。明治4年、岩倉具視を代表とする使節団が欧米に旅立つ。外国との不平等条約を改正し、西洋文明を吸収するためである。

 ところがアメリカに外交であしらわれ、不平等条約の改正に失敗し、欧米のしたたかさを思い知らされる。一方で政治と道徳の分離こそが欧米政治の原理である事を知る。欧米では政治は道義に仕えるのではなく実利に奉仕するのである。自立した個人が利益を求めて競争し、個人の競争は社会の競争になり、ひいては国家間の競争となる。利益の追求が国際政治で、その戦いに勝利するため人は国家を構成する。

 先進国の現実に一行は圧倒される。木戸孝允は国民の自立なき日本では天皇の強力なリーダーシップの下に「独裁の憲法」を作るしかないと考える。その憲法によって国民の政治的開化を促すのである。一方、先進国に追いつこうとするドイツのビスマルクに感銘した大久保利通もドイツ・モデルの君主政治を考える。議会に予算の権限を与えるのではなく、行政府が国家を運営していく。議会が何を決めても政府は超然として議会を無視し政策を遂行するのである。それが近代日本のスタートとなった。

 国民主権を侵害する行政権力の介入に異を唱えず、国民生活の利益を重視するより政治家の道義的責任に重きを置き、立法府が内輪の足の引っ張りに狂奔する様は、140年前に岩倉使節団が見た欧米の政治原理とは異なるものである。しかし木戸や大久保はいずれ国民の自立を促すために憲法を作り、官僚主導の国家体制を整備しようとした。しかるにそのDNAは今も生き残り、政治と道徳を分離できないばかりでなく、国民の自立、すなわち国民主権の国家体制もいまだ未整備のままなのである。

      ▲  ▽  ▲

■お知らせ

これまで田中良紹さんが講師をつとめる「居酒屋田中塾」が、「壬辰田中塾」と衣替えをして、2月29日(水)に開催されます!

田中良紹さんによる「政治の読み方・同時進行編」を、美味しいお酒と共に。

ぜひ、奮ってご参加下さい!

【日時】
2012年 2月29日(水) 19時〜 (開場18時30分)

【会場】
第1部:スター貸会議室 四谷第2(19時〜21時)
東京都新宿区四谷1-8-6 ホリナカビル 301号室
http://www.kaigishitsu.jp/room_yotsuya.shtml

※第1部終了後、田中良紹塾長も交えて近隣の居酒屋で第2部を行います。

【参加費】
第1部:1500円
※セミナー形式。19時〜21時まで。

第2部:4000円程度
※近隣の居酒屋で田中塾長を交えて行います。

【アクセス】
JR中央線・総武線「四谷駅」四谷口 徒歩1分
東京メトロ「四ツ谷駅」徒歩1分

【申し込み方法】
下記URLから必要事項にご記入の上、記入欄に「年齢・ご職業・TEL」を明記してお申し込み下さい。

21時以降の第2部に参加ご希望の方は、お申し込みの際に「第2部参加希望」とお伝え下さい。

http://www.the-journal.jp/t_inquiry.php

(記入に不足がある場合、正しく受け付けることができない場合がありますので、ご注意下さい)

2012年2月 8日

無法検察

 小沢一郎氏の裁判を巡って、東京地裁から求められていた証拠の開示を東京地検が拒否している事が明らかになった。小沢弁護団の喜田村洋一弁護士は「公文書の照会には回答する義務があるはずで『無法検察』と言われても仕方がない」と批判している。

 昨年12月に行なわれた公判で、石川知裕衆議院議員を取り調べた田代政弘検事は架空の捜査報告書を作成した事を認め、それが小沢氏を強制起訴した検察審査会の議決に影響した可能性が指摘されていた。そのため裁判所は検察審査会に送付した資料リストの開示を東京地検に求めたが、東京地検はこれを拒否したのである。

 拒否の理由を検察幹部は「検察は訴訟の当事者でなく、裁判に影響を与える証拠を自ら開示できる立場にない」と述べたと報道されている。逃げの一手の屁理屈だが、そもそも検察官僚には国民の税金で養われているという意識がないらしい。民主主義国家では公務員が職務上作成した公文書を勝手に隠蔽する事は許されないのである。

 こうした有様を見ていると日本の検察は民主主義とは無縁の所で育成されてきたのではないかという気がする。戦前の治安維持法を支えた思想検事が戦後も追放される事なく君臨した検察の体質は戦前から変わっていないのである。そして戦後最大の疑獄事件とされたロッキード事件で馬鹿メディアが「最強の捜査機関」などと賞賛したため、民主主義国家ではありえない異常な捜査手法が生き続けているのである。

 これまで何度も引用してきたが、産経新聞のベテラン司法記者宮本雅史氏が書いた「歪んだ正義」(情報出版センター)には検察幹部の興味深い言葉が色々と紹介されている。宮本氏は当初は「検察=正義」という考えに凝り固まっていたが、故金丸信氏が摘発の対象となった東京佐川急便事件で捜査に疑問を抱く。疑問を検察幹部にぶつけていくうちに杜撰な捜査の実態が浮かび上がってきた。

 特捜部は捜査経過を上層部に報告する前にメディアを利用する手法を採っていると検察幹部が宮本氏に打ち明けた。「最初に政治家ありき」でまず「政治家=巨悪」のイメージを国民に植え付け、摘発する対象を悪いイメージにしたところで捜査に乗り出す。そして検察が描くストーリーに合わせて供述調書を作成する。都合の悪い調書は採用されず、都合の良い調書だけが採用される。

 東京佐川急便事件では検察の思い込みとは異なり金丸氏を訴追する事が無理だと分かった。起訴しても裁判で有罪に出来ない。それどころか杜撰な捜査の実態が明るみに出てしまう。しかしメディアを利用して「金丸=巨悪」のイメージを作り上げた検察は振り上げた拳を下ろせない。

 そこで検察は「恫喝」によって検察のストーリーを押し付ける事にした。略式起訴の罰金刑という軽微な処分を条件にして検察のストーリーに合った供述に差し替えるよう求めたのである。拒否すれば竹下派の政治家事務所を次々「家宅捜索」すると言って脅した。検察にとって「家宅捜索」はただの脅しで事件にする気はないのだが、「家宅捜索」された政治家の方は決定的に窮地に立たされる。そして検察と戦えば長期にわたり政治活動を制約される。

 「検察と戦うべし」との小沢一郎氏の進言を退けて金丸氏は検察との取引に応じた。ところがメディアによって「金丸=巨悪」のイメージは定着してしまっている。軽微な処分に国民の怒りは爆発した。怒りは検察にも向かう。検察庁の建物にペンキが投げつけられ、検察の威信は地に堕ちた。検察は何が何でも金丸氏を逮捕するしかなくなった。無記名の金融債を所有している事を掴んだ検察は金丸氏を脱税で逮捕するが、宮本氏はなぜ無記名の金融債を検察が知りえたのかに疑問を持つ。元検事から検察は永田町の権力闘争に利用されたと示唆される。そして「検察の堕落の原因はロッキード事件にある」と宮本氏は検察幹部から言われるのである。

 ロッキード事件で検察が描いたストーリーは、ハワイでの日米首脳会談でニクソン大統領からトライスターの購入を要請された田中角栄総理が、丸紅の檜山広社長から「請託」を受け、全日空の機種選定に影響力を及ぼし、見返りに5億円の賄賂を受け取ったというものである。しかし様々なジャーナリストの取材によって日米首脳会談でトライスターの話などなかった事が明らかになっている。

 また全日空は田中総理の働きかけなどなくともトライスター導入に傾いていた事を航空業界に詳しい記者から宮本氏は教えられる。田中角栄氏は丸紅からの「請託」を一貫して否認したが、丸紅の檜山社長は取り調べで「請託」を認めた供述調書を、裁判では「検事から恫喝され、あきらめて署名した」と証言した。

 丸紅が田中角栄氏に5億円を提供したのは全日空がトライスター導入を決めてから10ヶ月も経った後で、受け渡しの場所は英国大使館裏の路上など不自然な場所である。宮本氏はロッキード事件を見直しながら、本当に丸紅から田中角栄氏にロッキード社からの賄賂が渡されていたのかに疑問を持つ。宮本氏は事件を担当した検事に疑問をぶつける。すると「ロッキード事件は奥が深いんだ」、「ロッキード事件の追及は検察に対する挑戦になる」と言われる。「ロッキード事件の真相を追及するのはやめろ」と言う訳だ。

 そして1993年、田中角栄氏が死亡すると、宮本氏は最高検の幹部から「誰も田中の判決を書きたくなかった。これで最高裁もほっとしただろう」という言葉を聞く。最高裁は田中の死後、検察のストーリーの拠り所となったロッキード社幹部への「嘱託尋問調書」の証拠能力を否定する判決を下した。メディアが東京地検を「最強の捜査機関」と持ち上げたロッキード事件は、事件後17年を経て最大の証拠を否定されたのである。

 ところがロッキード事件は国民を「政治とカネ」のマインドコントロールにかけ、国会は国民生活に関わる議論より「政治とカネ」のスキャンダル追及に血道を上げるようになった。国民は国民の代表を「巨悪」と思い込まされ、政治資金規正法を厳しくする事で政治家は政治活動を自ら制約するようになった。情報は専ら霞が関の官僚頼みとなり、情報によって政治家は官僚に支配される。先進民主主義国には見られない政治の構図が続いてきた。

 メディアを利用して「政治家=巨悪」のイメージを植え付け、ストーリーに合った供述だけを証拠とし、合わない証拠は隠滅し、また恫喝によって証拠を作り上げる検察の捜査手法は、検察幹部によれば、ロッキード事件をメディアが賞賛したため誰もが問題にすることなく続けられてきたのである。それが「無法検察」を野放しにしてきた。いま国民の目の前にあるのはそうした現実である。国民主権の国を作ろうとするのならこの現実をしっかり直視すべきである。

Profile

田中良紹(たなか・よしつぐ)

-----<経歴>-----

1945年宮城県仙台市生まれ。
1969年慶應義塾大学経済学部卒業。
同年(株)東京放送(TBS)入社。
ドキュメンタリー・デイレクターとして「テレビ・ルポルタージュ」や「報道特集」を制作。また放送記者として裁判所、警察庁、警視庁、労働省、官邸、自民党、外務省、郵政省などを担当。ロッキード事件、各種公安事件、さらに田中角栄元総理の密着取材などを行う。
1990年にアメリカの議会チャンネルC-SPANの配給権を取得して(株)シー・ネットを設立。
TBSを退社後、1998年からCS放送で国会審議を中継する「国会TV」を開局するが、2001年に電波を止められ、ブロードバンドでの放送を開始する。
2007年7月、ブログを「国会探検」と改名し再スタート。

BookMarks

日本初の政治専門チャンネル!
↓ ↓ ↓
国会TV
http://kokkai.jctv.ne.jp/

-----<著書>-----


『裏支配─いま明かされる田中角栄の真実』
2011年1月、電子書籍


『メディア裏支配─語られざる巨大マスコミの暗闘史』
2005年3月、講談社

-----<編書>-----


『憲法調査会証言集─国のゆくえ』
2004年7月、現代書館

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