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総理は何故ころころ代わるか

 外国に比べて日本の総理はころころと代わる。それが最近では日本の駄目さを象徴しているかのように言われる。まるで日本の政治家に資質がないような言われ方だが、総理がころころ代わるのは日本国憲法が創り出した戦後の政治構造に問題がある。

 戦後の一時期、占領軍は日本を本格的に民主化しようとした。しかし冷戦が始まるとすぐに方針を変えた。ソ連情報に精通した旧軍勢力を温存する必要が生まれ、民主化とは裏腹の事をアメリカは始めた。民主化のために排除すべき勢力や戦前の支配構造を密かに存続させたのである。

 ところが「戦前は軍国主義、戦後は民主主義」という情報の刷り込みによって、国民は戦後の日本を民主主義と思い込まされた。その思い込みが日本の構造を見えなくする。民主主義とは異質の国と見ないと、この国の構造は見えてこない。

 日本国憲法を作成した占領軍は、戦前の貴族院を廃止して議会を一院制にしようとした。日本がお手本とするイギリスの政治は貴族院と庶民院の抗争の歴史で、国民から選ばれた庶民院が世襲の貴族院の決定権を覆したのは1911年である。

ところが日本側の憲法担当大臣・松本丞冶氏は戦前の貴族院議員であった。戦前の貴族院は国民から選ばれた議員や政党に政治を任せてはならないと考えている。松本氏は衆議院をチェックする院の必要性を強く主張した。あまりの抵抗に占領軍は世襲にしない事を条件に貴族院に代わる参議院を認めた。

日本国憲法に、参議院で否決された法案を成立させるには衆議院で三分の二以上の賛成が必要という条文が盛り込まれ、予算以外の法案の決定権は参議院が握る事になった。戦前の伝統を受け継ぐ参議院の「緑風会」は、政党政治を低く見て無所属である事を誇り、政府には徹底的に抵抗した。

片山、芦田、吉田と続く戦後政権はいずれも参議院の抵抗で重要法案を成立できず、短命政権に終る運命となった。ただ吉田総理だけは占領軍を後ろ盾とし、参議院で否決された法案を「ポツダム政令」という占領軍の命令で成立させる事が出来た。吉田長期政権の理由はアメリカの後ろ盾にある。つまり総理がころころ代わる構造は戦後すぐに始まり、アメリカの後押しを受けた政権だけが長続きしたのである。

1952年に日本が独立すると当然「ポツダム政令」はなくなる。日本の政治は混乱が予想された。その混乱を防いだのは政界再編である。1955年に保守合同と左右社会党の合流によって自民党と社会党の二大政党が誕生した。参議院の政党化も進み、自民党が衆参両院で初めて過半数を越えて衆参の「ねじれ」は消えた。一方、社会党は過半数の候補者を選挙に擁立しない野党となって政権交代のない政治構造が作られた。

 国民が野党第一党の候補者全員を当選させても政権交代にならない仕組みは民主主義とは言えない。しかしメディアはそれを指摘せず、「自社対立」をあたかも民主主義であるかのように報道した。この構造は、民主主義のコストを払わずに、自民党と官僚機構と経済界とが一体となって経済成長を目指す体制を生み出す。高度経済成長はこうして実現した。

 政権交代のない「55年体制」で総理を交代させたのは国民ではなく自民党の派閥である。派閥のリーダーは総理候補と認知され、それぞれがブレーンを集めて政策を切磋琢磨する。中国共産党が次代のリーダーを事前に指名して切磋琢磨させるのと似ている。しかし自民党には5つの派閥があり、5人の候補を次々総理にする必要があった。

 自民党は党則で総裁任期を2年2期までと決めた。最長でも4年で交代させないと派閥の不満が高まるからである。こうして「歌手1年、総理2年の使い捨て」と揶揄される体制が出来た。「一内閣一仕事」と言い、総理は政策課題を一つに絞り、次々交代していく方法が取られた。

 この方法は「三角大福中時代」を経て竹下政権まで続いた。ところがリクルート事件の摘発で次代を担うニュー・リーダーが軒並み失脚する。予定されない人物が促成栽培の総理に就任する事態が訪れた。促成栽培であるから政策の切磋琢磨もへちまも無い。日本の政治が漂流を始めた。

 ベルリンの壁が崩れた1989年、参議院選挙で自民党が初めて過半数を失い、33年ぶりに衆参の「ねじれ」が復活した。そして政権交代のない政治構造も限界に達していた。政治改革が最重要課題となり、政権交代可能な政治を作るため小選挙区制の導入が焦点となった。その導入を巡って自民党は分裂し、保守合同以来の政権の座から転落した。

 こうして「55年体制」が終わり、政権交代を実現するための次の体制作りが模索された。小選挙区制の導入は、結果として自民党と民主党の二大政党を作るが、政権交代可能な構図は衆参の「ねじれ」を一層深刻なものにした。衆議院選挙に勝利して政権交代を実現しても、次の参議院選挙に敗れれば法案を成立させる事が出来なくなる。相手が政権奪取を狙う野党だけに妥協の余地はほとんどない。

 自民党の安倍、福田、麻生と続く首のすげ替えは07年の参議院選挙で民主党に敗れたためである。09年の衆議院選挙で初めて国民が政権交代を実現させ、民主党政権が誕生したが、翌年の参議院選挙に民主党が敗れると、09年の衆議院選挙のマニフェスト見直しを迫られる事になった。つまり衆議院選挙に勝利しただけでは選挙公約は実現せず、連続して二つの選挙に勝たないと国民への公約は果たされないのである。

 国民の投票行動には揺れる傾向がある。一方を勝たせれば次は違う方を勝たせる。しかしそれでは日本の政治は機能不全に陥り、総理はころころ代わり続けるしかなくなる。国民に対して一度勝たせた政党を連続して勝たせないと意味がないと言っても、それも民主主義にとって良い事なのかどうか分からない。

 アメリカでは大統領選挙と大統領選挙の間に中間選挙がある。国民の投票行動は揺れるから中間選挙では大統領の所属政党が敗れる傾向がある。するとまた国民は揺れて大統領の再選の可能性が高まる。こうして8年の大統領在任期間が実現される。また大統領と議会の多数党はしばしば「ねじれ」る。しかし大統領は議会の決定を拒否する最終権限を持っている。

 ところが日本の「ねじれ」は深刻である。これを回避するには憲法を変えるか、選挙制度を見直すかしかない。しかし憲法を変えるには衆参両院の三分の二の賛成が必要である。自らの権限を減らす事に参議院が賛成するとは思えない。そこで考えられるのが選挙制度の変更である。以前から書いている小選挙区比例代表連用制の採用が「ねじれ」の解消法になるとすれば、それが次の政治体制を作る鍵になる。日本は今ようやく民主主義に向かって歩み始めているのである。

    ▲  ▽  ▲

■お知らせ

田中良紹さんによる「居酒屋田中塾」の第20回日程が、10月26日(水)に決定しました!

田中良紹さんによる「政治の読み方・同時進行編」を、美味しいお酒と共に。

ぜひ、奮ってご参加下さい!

【日時】
2011年 10月26日(水) 19時〜 (開場18時30分)

【会場】
第1部:スター貸会議室 四谷第2(19時〜21時)
東京都新宿区四谷1-8-6 ホリナカビル 301号室
http://www.kaigishitsu.jp/room_yotsuya.shtml

※第1部終了後、田中良紹塾長も交えて近隣の居酒屋で第2部を行います。

【参加費】
第1部:1500円
※セミナー形式。19時〜21時まで。

第2部:4000円程度
※近隣の居酒屋で田中塾長を交えて行います。

【アクセス】
JR中央線・総武線「四谷駅」四谷口 徒歩1分
東京メトロ「四ツ谷駅」徒歩1分

【申し込み方法】
下記URLから必要事項にご記入の上、記入欄に「年齢・ご職業・TEL」を明記してお申し込み下さい。

21時以降の第2部に参加ご希望の方は、お申し込みの際に「第2部参加希望」とお伝え下さい。

http://www.the-journal.jp/t_inquiry.php

(記入に不足がある場合、正しく受け付けることができない場合がありますので、ご注意下さい)

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コメント (18)

こんにちは。

そういう解釈論があるのかも知れませんが、現下の迷走は民主党の財務省政権ぶりにあります。

管が何を血迷ったのか、財務省におもねってなのか、自分のカブを挙げたいと勘違いしたためなのか
参議院選挙で衆議公論もかなぐり捨てて消費税増税を叫びだし党内抗争の火ぶたを切っておとし国民から呆れられて敗北したという経過について触れられていません。

もしもは禁物かも知れませんが衆議院に続いて参議院選挙もそこそこ与党の勝利だった筈という見方を取るとするとですが。

管があれほど馬鹿だったとはその前は知りませんでした。如何に議員のレベルが低く総理も世の中を知らないのかですよ。半分は植民地みたいなものだから政治も議員も腐っているのです。

国民の生活の為だったら何度でも直ぐ帰ればいいのです。それが何が問題なんでしょう。質が悪いんですよ、質が。中近東みたいに死人を出すわけでもないし簡単に代えられて日本は幸せなシステムなんです。レベルが低いんだから。

では。

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そのほか、詳細は下記リンクにも掲載していますので、投稿前にご確認ください。

http://www.the-journal.jp/contents/info/2009/07/post_31.html

ご理解・ご協力のほどよろしくお願いいたします。

田中様
第3段で「国民は戦後の日本を民主主義と思い込まされた。」とあり、第15段で「国民に対して一度勝たせた政党を連続して勝たせないと意味がないと言っても、それも民主主義にとって良い事なのかどうか分からない。」とあります。後者の民主主義は前者の民主主義でしょうか?
最終段の「日本は今ようやく民主主義に向かって歩み始めているのである。」の民主主義は本当の民主主義だと解釈します。

理想の人間は、頭(考え)の中に生きている。実際の人間は、頭の外(現実)に生きている。実際の人間は、決して理想の人間になることはない。
自分の理想の内容を明らかにして、その実現のために相手の協力を求めなくてはならない。これは、建設的な態度である。我々の人生である。

実際の人間が理想の人間でないとして、相手を倒すことばかりに明け暮れていても、政治は前に進まない。理想がなくて、ケチがある。相手へのケチは、序列争いにおいて自己に有利となる。だから、相手を捨てておく。すると、政治が三流になる。
ただ、総理大臣がくるくると変わるばかりで、社会は停滞する。さらに失われた○○年が生まれる。

現実の世界は、過不足なく成り立っているので、考え(過去と未来)の世界といえども、過不足のない内容に作り上げなくてはならない。論理の尻が抜け落ちていたのでは、せっかくの考えの内容も現実生活の指針とはならない。ところが、日本人には、非現実(過去と未来)の世界を過不足なく頭の中で組み立てることが難しい。それは、日本語に時制がないためである。

英語には時制があるので、現在の内容は、過去の内容にも未来の内容にも、そっくり置きかえて考えることが可能になる。つまり、世界観(world view)を持つことになる。だから、未来の世界も過去の世界も過不足なく成り立つ内容が頭の中にできあがって、現実の世界の指針となる。これは、温故知新である。学問である。

時制のない人の考えでは、せっかくの理想も空想になる。子供にも受け入れられるアニメの世界にはなっても、大の大人が心底信頼を寄せる理想の追求にはならない。空想の内容はあくまでも現在に存在し、現実の中の嘘である。未来(夢・希望)の世界には存在しないからである。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812

総理として資質の無い人間をマスコミが「支持率」や「人気」を誇大評価して、国民を煽るからです。


総理を選ぶ国会議員の劣化がひどいのも原因です。国会議員と言うよりも市会議員・県会議員以下の人までも風によって当選してしまう事も原因の一つかも知れません。


昔からありましたが、まるで芸能人の人気投票の様なつもりで投票する国民が悪いのかも知れません。


横山ノックの例を出すまでもなく、「そのまんま東」や「森田健作」が当選してしまうという国民の程度の低さが大きいと思います。


やはり中選挙区に戻し、それぞれの議員が切磋琢磨して勝ちあがってきて議員になれば、代表戦でももう少しマシな人間を総理・総裁に選ぶでしょう。


とんでもない管政権を誕生させた民主党議員から反省の声が聞こえません。  マスコミからも自分達が指示した管さんが「愚かな総理」であったと国民に謝りません。懲りもせず、今回の代表戦でもあれこれと言っていました。


政治家が小粒になったと会合で同じテーブルに着いた時感じます。オーラがありません。風圧を感じるくらいの人間が総理になってくれたらと思います。

民間で言う社長はその社の方針等社長が決めた事にそのスタッフである社員が

速やかに履行しなかったり逆らえば即首にすることが出来るが、

日本の総理大臣や各大臣等政治家がこれからの国の方針出しても官僚等

公務員組織が速やかに履行しなかったりそれに逆らっても首にはには成らない。

だからこの国は何時まで立っても頭でっかちが運営する官僚等公務員政治である。

戦後の内務省(大蔵省)をそのままの姿で残したのが今に至っている。

また、官僚養成大学・東京大学も然り。

国家、国民の為に働く人間を養成すべきである。

また、最先端の国家指針をだせれる大学であるべきである。

田中 様
戦後日本の議院内閣制度の欠点を分かりやすく分析すれば、仰る通りだと思います。思えばこの「ねじれ」で、衆参で違った議決が出た時に立法府はどうするのか、国民は政治家のダイナミックな動きを期待していたはずです。それを期待するから衆参のねじれを生じさせたとも考えるのですが20年過ぎても少しも変わりませんでした。変わる可能性があったのは福田内閣の時の福田・小沢会談の時だけで、党首同士で合意したのに結局党内で潰されてしまいました。今の政治家には、行政府(言い換えれば大臣)としての責任は重いと考えても、立法府(議員)としての責任を感じていないように思われます。国会は行政の長たる大臣をチエックすることのみに終始して国会の場での建設的な議論にはなり得ていません。すぐ大臣のクビが飛ぶ始末で、国会の審議の酷さに辟易しているのが現状です。選挙制度をまた変えても余り期待は出来ないように思います。私が理想とするのは、一院制にして総選挙の時に首相を選挙で直接選び、一定の期間(2年ほど)は不信任案も解散も認めない制度です。財政難の時に誰もがコスト削減をしなければならないのなら、議員も半減にするくらいの覚悟が要ります。これは内閣が考えることではなくて、議員が国会の場で考えることなのですが。

よく聞くことだが、私も民主党にはマクロ経済が分かる人がいないとは感じる。少なくともそういう人はあまり表に出てこない。聞こえるのはお金が要るから税金をあげる必要があるとか、これ以上国の借金を増やしてはいけないとか、子どものような主張ばかりだ。まだ政権交代する前だが、日銀の総裁・副総裁の国会承認にあたって、伊藤隆敏さんを拒否したのも、心底驚愕した。与党では亀井さんや下地さんなんか、比較的まともなことを言っていると思うが、小政党の気安さだけでもないだろう。ここらの事情がどうなっているのか、田中さん教えていただけませんか。

民主主義とは、その名の通り「国の主は人民である」というイデオロギーである。よって、本来の民主主義が意味するところと政権交代などは全く無関係のことである。
民主主義の事の起こりは18世紀のヨーロッパにおける革命期である。この頃声高に叫ばれた民主主義の意味するところは「人民によって王政を打倒せよ」というスローガンであり、これは今の民主主義も同じ意味を引き継いでいる。だからこそ、民主主義である日本は、王ならぬ有力者を引き摺り下ろしてコロコロ変えるという「総理が毎年変わる」理由となる。つまり、日本ほど民主主義が徹底されている国も無いわけである。もちろん、アラブの春も小沢叩きも同じ文脈で民主主義運動である。
現在の議会は、この民主主義運動の結果として打倒した王の財産を如何に皆で分け合うかを戦闘ではなく、話し合いで決めるということに由来する。だから、議会による国家の財産の分け方を決める立場の入れ替えを民主主義などというのは、間違いである。
敢えて政権交代を民主主義と呼びたいというのであれば、政権を持っている政党をかつての王と見たてて、それを倒すという文脈であろう。
このように考えると、現状の王政に不満が無ければ民主主義などは起ころうはずもない。自民党時代は誰も政権に文句がなかったので民主主義など起こるはずも無かった。しかし、小沢氏が国民が政治的不満があったわけでもないにも関わらず、1993年に自民党を出て政権交代を無理やりやった。これは日本国民から自発的に行った民主主義ではない。もちろん小沢氏には小沢氏なりの考えがあったのであろうが、無理やり民主主義を作り出したが故に国家が乱れ、今の不毛な政治を生む遠因を作り出している。
繰り返すが、民主主義は只のイデオロギーである。政治制度とは何も関係ない。

田中良紹さんが、せっかく「日本の資質」のせいじゃない、仕組みに問題があるのだと言っているのに、もっと本質的な日本の資質の問題にしがたっている人が多いようだ。
昔からそうやって自分が賢さを誇示するのが一種のしきたりになっているのではあるが。
先の noga 氏の言い分など俗流サピアウォーフ説か? リンク先を見てみたら真面目に取り合うまでもなさそうだ(サピアウォーフ自体が俗論なのだけれど)。
200年、300年、500年…と時間がたつと、1868~1945年の日本とそれ以降の日本(いつまで続くのか・どう終わるのか)が、それほど断絶のない時代、例えば前期○○・後期○○といった表現で歴史に記憶されるのではないかと感じている。

議院内閣制をとるドイツとイギリスも二院制ですが、これは形式的なものであり、
実質は一院制ですね。
おそらく先進国で、実質的な二院制をやっているのは日本くらいのものでしょう。

昨年あたりから「強すぎる参院」問題はマスコミでよく取り上げられるようになっているし、
議員の間でも、そのことの問題意識は出てきている。

その例として、
自民党の衛藤征士郎を中心として「一院制議連」が今年五月に誕生しました。
そのときの記事によると
「民主、自民党など与野党の有志議員による「衆参対等統合一院制国会実現議員連盟」は、国会の二院制を定めた憲法42条に関する改正原案」を作成しているとあります。

これは、参院をなくすのではなく、参院議員を衆院に統合しようということなんでしょう。

また、同記事には「同議連には自民党の森喜朗元首相や民主党の鳩山由紀夫元首相ら首相経験者のほか、与野党幹部も役員に名を連ねている」とあります。

どの程度実効性があるかは疑わしいですが、ただし この動きは、議員自身も 日本の二院制の欠陥が分かっていることを示していると思う。

私が前々から思っている疑問。
なぜマスコミは、二院制、あるいは参院についての世論調査をやらないのか。
「あなたは参院についてどう思いますか? 次の中から選んでください」みたいな質問を世論調査で マスコミはやったことはないのでしょうね。

やるとおもしろいと思いますよ。
やると面白いけれども、 それをやる勇気はマスコミにはない。
参院側からものすごい反発があるでしょうからね。
そのために 世論調査すら出来ない(笑)。

しかし、もしもやってみて、国民が大半が いまの参院について疑問を持っていることが白日のものになれば、先の「一院制議連」のような活動にも弾みがつく可能性が出てくる。

日本における政治制度について議論での不思議の一つは、
アメリカを参照したがるということ。

テレビ討論でも、参照されるのはアメリカの政治制度なんですね。

あのー、アメリカを参照するよりも、 日本の場合は、
イギリスとかドイツを参照した方がいいのではないか。

ところが、まず、日本とイギリス、あるいは日本とドイツを比べる意見というのは
ほとんど出てこない。

そのくせ、「アメリカは こうなっている」みたいな意見はよく出てくる。

それで、「日本も大統領制をやれ」とか、橋下知事のような「首相公選制」をやれみたいな
意見が出やすいのだろう。
比較対照がアメリカしかないから そういうことになる。

私からすると、 政治制度において アメリカと比較しても仕方がない。
あまりに違いすぎるからだ。

それよりも、同じ議院内閣制を採用しているドイツかイギリスを参照した方が、
はるかに実りが多いはずだ。

私からすると、 日本とイギリスでもまだ違いすぎる。
日本の場合は、 まず ドイツを参照した方が容易だ。

二院制のあり方、選挙制度、地方分権、いずれも 日本にとっては参考になるはずだ。

田中良紹さん
引用1【(アメリカは)民主化のために排除すべき勢力や戦前の支配構造を密かに存続させた】
引用2【民主主義とは異質の国と見ないと、この国の構造は見えてこない】

田中さんは凄い!(笑)「眼から鱗」とはこんなことを指すのでしょう。教えられる処大な記事でした。一介のビジネスマンOBの私には朧気にしか観えないコトを、鮮明な像に仕立てて戴きました。熱く御礼申し上げます。

また、ご推奨の「小選挙区比例代表連用制」が万全の問題解決策ではなくても、「今よりはまし」と考えられるなら新しいことにはどんどん挑戦するべきだと同感です。時代は変わっているのだから、全てのシステムの変化し代謝し進化することは不可欠でもある。
自民党が長期独裁的立場を続けた55年体制下での全ての選挙も、結果的に2年前の選挙も、全ての選挙が「駄目さ競争の選挙」だったのだから、尚更です。
「ことを改めるに、遅過ぎることは決してない」のだから。
また、私も同感しているW.Churchill卿の複雑な名言(趣旨)「民主主義は最善にして最悪の政治制度」なのですから、民主主義下では何処まで行っても「此れで良い」という状況は決してない制度なのでしょう。其れ故にこそ、制度もシステムも全てを変化させ続けることが不可欠になる。

一方で、田中さんが【まるで日本の政治家に資質がないような言われ方だが‥】とさらりと言い放って「日本の政治家に資質がある」ように言われるのには、明確に異議を唱えておきます。まあ、ことの主従と軽重を強調されているだけかも知れませんが。
品質管理の基本である「過誤の根因は、過誤を犯した個人に求めるな! その業務システムに求めよ!」の正しさを確信している私ですが、とはいえ其の個人に何らの措置も講じないのも間違いだと確信します。要は、システムを主犯に仕立てるのは重要度の問題であって、従犯であっても過誤の芽は全て絶なければ不都合は必ず再発するのだと。

「今の日本の政治家には資質がない」と駄目を押します。
但し、その資質を備えた少数の例外が異なる政党に分散しているがという「但し書き」付きで。
草々

とりあえず、衆議院の解散を無くして任期制にする。これで政争の半分は清掃されるでしょう。

田中 様

政権の安定しない理由は、お話の通り、制度的な問題があることも確かですが、社会的不安定、特に経済的不安定は、政権を大きく揺さぶります。

戦前戦後、同じようにころころ変わった時期がありました。理由は同じではありませんが、戦前は軍部とマスコミ対応が大きな理由であったし、戦後は、アメリカと司法とマスコミに対する接し方が大きく左右しているのではないでしょうか。

日本の中はさまざまな利権団体の集合体であり、複雑に絡み合っており、その国家予算配分は決まっており、配分の中で予算を増減させることは認められ、混乱をきたすことはなかった。

小沢氏は幹事長の時、配分を変えようとして、政官財すべての利権団体の不満を買うことになり、マスコミの総攻撃を受けることになりました。日本は資本主義社会ではなく、まさしく社会主義社会であって、微妙なバランスの上に成り立っているのであって、どの村社会に対しても厳しさを要求することは、他村社会の攻撃を覚悟しなければならないのです。

特に、注意をしなければならないのは、司法にしろ、官僚社会全般はもとより、マスコミなど各種団体などは縦割り社会であり不満分子、異端分子は排除された強力な利権社会なのです。政界だけが政党を名乗っていますが、英国のように政党の強力な縛りがない無規制社会なのです。

自民党一党独裁政権の時代は、派閥均衡的に政権をたらいまわしして各種組織に対抗してきたが、政権末期は政権内部がまとまらず瓦解してしまった。しかし、日本式民主主義時代に対応するテクニックを身につけていたので長い間政権を維持出来たのではないでしょうか。

民主党政権は、野田政権になって少し学習が進んだようで、おおきなミスをせず、大きな問題が発生したときにはマスコミ世論に逆らうことをしなければ、政権を維持できるのではないかと考えています。

社会の基盤を大きく改革しようなどと考えて、さまざまな村社会を攻撃しようなどとすれば、昔の十手持ちに相当するマスコミ世論によって、司法末端の警察が動き、騒動の程度によって検察が動き始め、最後には裁判で社会から抹殺してしまうのです。

現在の日本社会は、裁判所を頂点とする摘発組織が完備しており、どれだけ大きな権力を持とうが、村社会の掟を侵すものは、社会的活動を抹殺される恐ろしい暗黒の時代になっていると考えた方がよく、表面的には民主的な顔をしているので始末が悪いと言えるのではないでしょうか。

日本の実質的な二院制、つまり強すぎる参院問題を言い換えると
行き過ぎた民主主義問題ととえらることができる。

田中さんがご指摘のように、
アメリカでは、「大統領は議会の決定を拒否する最終権限を持っている」し、
議院内閣制をとる英、独では、形の上では二院制ですが、実質一院制です。

つまり、私の言い方では、
民主主義がほどよく制御されている。

民主主義を闘って勝ち取ってきた欧米がなぜ 民主主義を抑制的に行使し、
上から民主主義をいただいた日本においてなぜ行き過ぎるのか。

これは、欧米が 民主主義を統治の道具としてとえら、日本は 上からいただいた民主主義を
「ありがっている」からでしょう。 「民主主義はありがたいもんだ」、これですね。つまり、日本人は
欧米人以上に民主主義を単純に理想化する。

だから、日本では民主主義がいきすぎる。というか、それを行きすぎとさえとらえない。

民主主義がいきすぎると、統治権力の効率性が失われるし、民主主義が弱体化すると
統治権力は暴走する。

このバランスをどう計るかが重要であり、今の日本の二院制のあり方では、統治権力の運用の効率性が
大きく損なわれている。
ドイツやイギリスと比較すると、その感を強くします。
たとえば、イギリスやドイツでは、首相が8年とか10年在任するのはめずらしくない。
日本では、4年ていど首相が在任しただけで、長期政権といわれる。

日本の統治権力、つまり首相権力を維持するのがなぜ難しいかといえば、
解散権の及ばない参院によって首相権力がつねに揺さぶられるからだ。
しかも、野党ののみならず、党の内の参院勢力によっても首相権力は揺さぶられる。

党内に参院勢力というのがあって、それが党の代表たる首相を揺さぶるのだ。
民主党ならば、輿石東氏が参院民主の会長で、その力は厳然たるものだ。
首相権力も参院の実力者を無視し得ない。

このように、衆院の最大多数の集約によって成立する首相権力が、参院によって揺さぶられる。
このことが、政治が官僚に付け入る隙を与える結果となっている。
つまり、解散権の及ばない参院によって政治がつねに分断状況に置かれ、それが官僚に付け入る隙を与えている。

よくこういう意見を目にしますね。
参院勢力とも話し合いをして政策をまとめられない首相は、能力のないダメ首相だ。

こういうのを聞くと、日本人というのは、政治家にかなり高いハードルを設定する 人たちだと
思ったりします。
すくなくとも、 実質一院制を取るドイツやイギリスと比較すると、首相に 相当高いハードルを
日本人は課している。
そして、そのハードルを越えられないと、 失格の烙印をおす。

なんで、政治システム上においてそんなに高いハードルを課す必要があるのか、そこまで政治家の能力に期待しているのか、と皮肉を言いたくなる。

麻生であれ、安部であれ、鳩山であれ、管であれ、そこそこの政治家であれば、越えられるハードルを
設定すべきでしょう。もっとハードルを低くしたほうがいい。

ハードルを低くくすることに反対するというのならばというのならば、 よっぽど政治家を信用していないことの証だ。
だから、 参院を使って首相権力を抑制していないと 心配でしょうがないのだ。

田中様
 真に的を得たご意見です。
 しかし、国民の選挙に対する投票はマスコミの洗脳もあるとはいえ、間違っていません。
 小泉内閣は郵政改革で、財政赤字の改善ができ、国民生活の向上と官のリストラに踏み込み、国民は大いに期待したものです。実施したのは郵政改革のみで、官のリストラは何もせず、逆に増税や地方交付金の削減で、格差が拡大して国民の期待とは真逆になった。
だから参議院選で小沢民主党に国民は投票した。
更に衆議院選でも民主党を支持した。ところが鳩山は外務省につぶされ、菅は財務省に取り込まれ消費税アップまで言い出し、国民は民主党を見放した。
民主党がマニフェストに沿って官のリストラに取り組んでいたなら、参議院も勝利した。
バブル崩壊で民間企業でリストラを経験した国民は財政赤字は官の肥大と高賃金にあると見ており、リストラが必要と信じている。
その国民の真の期待にこたえる政党のみが支持を得るのである。
しかるに野田民主党は更に真逆の方向に歩みだした。民主党を自民党に変えた。
小沢の目指した二大政党も野田自民党によりなくなった。
野田自民党ではなく、勝自民党とまで言われだした。
これが小泉以降 官と経団連、マスコミが目指した日本の政治なのであろう。自民党AとBでどちらが政権をとろうが、官僚が支配するという体制である。
マスコミと野党は政治と金を利用して官僚に反発する議員の排除が最大の仕事となった。
野田自民党BはTPP参加を指示した様で、それを片付ければ消費税アップ、辺野古と自民党路線まっしぐらである。
次期衆議院選で自民党が勝利しても路線継承で官僚は高いびきである。官僚に対抗できる唯一の政治家小沢は高野氏の指摘どおり、死んだのか、今一度みん党や松木、河村を結集して真の二大政党の対立軸を作るのか期待したい。
世界の情報で財政再建に成功したグルビア、英国でもやったことは官の給与30%削減と政府関連団体の半減、その上での増税である。
またフィルピン、韓国とも米軍基地撤去を決めた政治家トップは不可解な死であるが、日本の政治家がその覚悟を持って政治家になったのかどうかである。
政治とは覚悟であり、制度ではない。サラリーマン政治家が大半では、学力日本一の官僚に対抗できるわけがない。官僚ドロップの古川を見る限り、大臣とは官僚の課長職と同等と考えてしまう。勝次官は大統領であり、総理はスポークスマンではないか。
リストラなき増税は何の効果もなく、更なる増税を勝大統領は求めるのである。政策で政党を選べないなら完全に民主主義は死んでしまう、そういう危機にある。

「ねじれ」の解消法は、参議院を政党から解放することだと考えます。つまり、参議院議員個々人が自分の意志で行動を決定しそのいきさつを有権者に説明し審判を仰ぐ選挙制度に改めるべきだと思う。そうする事で、参議院の独自性、良識の府、再考、党利党略に縛られず高い見地から判断する機関の役割も高まると考える。そのためには、下記の改革が必要だと考えます。
(1)参議院選挙は中選挙区単記委譲式にする 
(2)参議院の獲得議席は政党交付金に無関係とする。
(3)参議院議員は政党から便宜を受けてはならない。選挙時の要員、場所の提供なども禁止する。ただし、選挙時の公認、推薦は受けて良い。

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Profile

田中良紹(たなか・よしつぐ)

-----<経歴>-----

1945年宮城県仙台市生まれ。
1969年慶應義塾大学経済学部卒業。
同年(株)東京放送(TBS)入社。
ドキュメンタリー・デイレクターとして「テレビ・ルポルタージュ」や「報道特集」を制作。また放送記者として裁判所、警察庁、警視庁、労働省、官邸、自民党、外務省、郵政省などを担当。ロッキード事件、各種公安事件、さらに田中角栄元総理の密着取材などを行う。
1990年にアメリカの議会チャンネルC-SPANの配給権を取得して(株)シー・ネットを設立。
TBSを退社後、1998年からCS放送で国会審議を中継する「国会TV」を開局するが、2001年に電波を止められ、ブロードバンドでの放送を開始する。
2007年7月、ブログを「国会探検」と改名し再スタート。

BookMarks

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国会TV
http://kokkai.jctv.ne.jp/

-----<著書>-----


『裏支配─いま明かされる田中角栄の真実』
2011年1月、電子書籍


『メディア裏支配─語られざる巨大マスコミの暗闘史』
2005年3月、講談社

-----<編書>-----


『憲法調査会証言集─国のゆくえ』
2004年7月、現代書館

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