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2011年10月19日

国会証人喚問の愚劣

 新聞が民主主義の破壊者である事を示す論説を読んだ。10月17日付朝日新聞の若宮啓文主筆による「検察批判は国会でこそ」という論説である。

 初公判を終えた小沢一郎氏が記者から国会の証人喚問に応ずるかと問われ、「公判が進んでいる時、立法府が色々議論するべきでない」と語った事を批判し、「公判で語った激しい検察批判は、国会で与野党の議員たちにこそ訴えるべき」と主張している。

 この主筆は、国会がこれまで繰り返してきた証人喚問の愚劣さ、それが日本の民主主義を損ねてきた現実に目をつむり、証人喚問を「議会制民主主義」を守る行為であると思い込んでいるようだ。政治の現実からかけ離れた論説を読まされる読者は哀れである。

 国会の証人喚問が脚光を浴びたのは1976年のロッキード事件である。テレビ中継の視聴率は30%を越えた。喚問された小佐野賢治国際興業社主は「記憶にございません」を連発してそれが流行語になった。3年後のグラマン事件では喚問された海部八郎日商岩井副社長の手が震えて宣誓書に署名できず、喚問を公開する事の是非が議論された。

 そもそも証人喚問は国政調査権に基づいて行なわれるが、行なうには全会一致の議決が原則である。それほど慎重にすべきものである。容易に証人喚問が出来るようになれば、多数党が野党議員を証人喚問し、場合によっては偽証罪で告発できる。国民から選ばれた議員を国会が政治的に潰す事になれば国民主権に反する。民主主義の破壊行為になる。 

 また証人とその関係者が刑事訴追を受けている場合、証人は証言を拒否する事が認められている。つまり司法の場で裁かれている者は証人喚問されても証言を拒否できるのである。従って司法の場で裁かれている証人を喚問しても真相解明にはならない。真相解明はあくまでも司法に委ねられる。

 それではなぜ刑事訴追された者まで証人喚問しようとするのか。大衆受けを狙う政党が支持率を上げるパフォーマンスに利用しようとするからである。これまで数多くの証人喚問を見てきたが、毎度真相解明とは無縁の単なるパフォーマンスを見せられてきた。しかし大衆にとっては、いわば「お白洲」に引き出された罪人に罵詈雑言を浴びせるようなうっぷん晴らしになる。かつて証人喚問された鈴木宗男議員や村上正邦議員は喚問には全く答えず、ひたすら野党とメディアによる批判の儀式に耐えているように見えた。

 証人喚問には海部八郎氏の例が示すように人権上の問題もある。日本が民主主義の国であるならば証人の人権を考慮するのは当然だ。リクルート事件で東京地検特捜部が捜査の本命としていたのは中曽根康弘氏だが、野党が国会で中曽根氏の証人喚問と予算とを絡ませ、審議拒否を延々と続けていた時、中曽根氏が頑として喚問に応じなかったのは人権問題であるという主張である。

 野党と中曽根氏の板ばさみとなった竹下総理は証人喚問のテレビ撮影を禁止する事にした。そのため証人喚問は静止画と音声のみのテレビ中継になった。その頃、アメリカ議会情報を日本に紹介する仕事をしていた私に、自民党議員からアメリカではどうなっているのかと聞かれた。調べてみると、アメリカでは証人の意志で公開か非公開かが決まる。真相究明が目的なら非公開でも全く問題はないはずである。しかし証人が自分を社会にアピールしたければ公開にする。なるほどと思わせる仕組みであった。

 ところが日本では「真相究明」は建前で「本音はパフォーマンス」である。非公開になると証人喚問を要求した政党も、ここぞとばかり証人を叩きたいメディアも、うっぷんを晴らしたい国民も納まらない。「何でオープンにしないのか」、「それでは民主主義じゃない」と、滅茶苦茶な論理で見世物にしようとする。いつもその先頭に立ってきたのが民主主義の破壊者たるメディアなのだ。

 中曽根氏の抵抗で国会の証人喚問は静止画放送となった。民主主義国でこんなグロテスクな放送をする国があるだろうかと呆れていると、あちこちから批判されて再びテレビ撮影は認められるようになった。しかしアメリカのようにはならない。違いは公開か非公開かを決めるのが証人ではなく委員会なのである。なぜ証人の意志が無視されるのか。人権的配慮と民主主義についての認識がアメリカ議会と日本の国会では全く違う。

 この違いをうまく利用してきたのが検察であり官僚機構である。本来ならば政治にコントロールされるべき存在が、コントロールされずに、国民と一体であるはずの政治を国民と対立させる事が出来た。リクルート事件が顕著な例だが、違法ではない「未公開株の譲渡」を、朝日新聞が「濡れ手で粟」と報道して大衆の妬みを刺激し、次いで譲渡された政治家の名前を小出しにして大衆の怒りを増幅し、そこで「国民が怒っているのに何もしない訳にはいかない」と捜査に乗り出したのが検察である。メディアと検察が一体となって政治を叩いた。まるでそれが民主主義であるかのように。

 『リクルート事件―江副浩正の真実』(中央公論新社)を読むと、江副氏は検察から嘘の供述を強要され、その供述によって次代の総理候補であった藤波孝生氏やNTT民営化の功労者である真藤恒氏などが訴追された。この事件がどれほど日本政治を混乱させ、弱体化させたかを、当時政治取材をしていた人間なら分かるはずである。

 政治の弱体化は相対的に官僚機構を強化させる。野党が「ええ格好」する証人喚問と法案審議を絡ませれば、法案を吟味する時間はなくなる。官僚機構が作った法案は厳しくチェックされることなく通過していく。そうした事をこの国の国会は延々と繰り返してきた。国政調査や真相解明は建前で、パフォーマンスで大衆に媚びる政治がどれほど議会制民主主義を損ねてきたか、国民は過去の証人喚問の惨憺たる事例を見直す必要がある。

 朝日新聞の主筆氏は「検察や法務省権力が議会制民主主義を踏みにじったというなら、小沢氏は証人喚問に応じてそこで国会議員に訴えるべきだ」と述べているが、その主張はこれもアメリカ議会の人権や民主主義の感覚とかけ離れている。小沢氏の一連の事件でまず国会に喚問されるべきは小沢氏ではなく検察当局である。国民主権の国ならばそう考えるのが常識である。

 国民の税金で仕事をさせている官僚を監視し監督をするのは国民の側である。それを国民の代表である政治家に託している。その政治家に対して捜査当局が捜査を行なうと言うのであれば捜査当局には「説明責任」が生ずる。だから前回も書いたが、クリントン大統領の「ホワイトウォーター疑獄」で議会に喚問されたのは大統領ではなく捜査に当った検察官なのである。適切な捜査をしているかどうかが議会から問われる。

 小沢事件で国会が喚問を行なうなら、検事総長を証人に、なぜ選挙直前に強制捜査をする必要があったのか、事前に「検察首脳会議」を開いて決めたのか、巷間「若手検事の暴走」と言われているのは何故か、容疑の妥当性はどうかなどを国会が問い質せば良い。実際、西松建設事件が起きた直後にアメリカ人政治学者は検察こそ国会で「説明責任」を果たすべきだと指摘した。

 民主主義政治を見てきた者ならばそれは当然の反応である。「説明責任」を果たすべきは政治家ではなく官僚なのである。ところがこの時に検察は「すべては裁判で明らかにする」と言って国会での「説明」を拒否した。

 それならば小沢氏も裁判で明らかにすれば良い。証人喚問を求められる事自体がおかしい。それをこの国のメディアも国会議員も理解できない。ともかくこれは極めて政治的な色彩の強い事件である。従ってこの事件に対する反応の仕方で民主主義政治に対する姿勢が分かる。つまりリトマス試験紙になる。今回の朝日新聞の論説はそれを見事に示してくれた。この新聞は官僚の手先で国民主権を冒涜するメディアなのである。

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東京都新宿区四谷1-8-6 ホリナカビル 301号室
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2011年10月 9日

リトマス試験紙

 小沢裁判は、明治以来の官僚支配に従う者と、日本に国民主権を打ち立てようとする者とを見分けるリトマス試験紙である。裁判の結果とは別に、誰が官僚の手先で民主主義を破壊する者かがあぶり出される

 初公判での小沢一郎氏の陳述は、私がこれまで書いてきた事と軌を一にするものであった。私が書いてきたのは以下の事である。事件は政権交代を見据えてその推進力である小沢氏の政治的排除を狙ったものである。しかし十分な材料がないため捜査は無理を重ねた。目的は有罪にする事ではなく小沢氏の排除であるから、メディアを使って無知な大衆を扇動する必要がある。大衆に迎合する愚かな政治家が小沢排除の声を挙げれば目的は達する。

 民主主義国家における検察は、国民の代表である国会議員の捜査には慎重の上にも慎重を期さなければならない。それが国民主権の国の常識である。国家機密を他国に売り渡すような政治家や、一部の利益のために国民に不利益を与えた政治家は摘発されなければならないが、その場合でも国民が主権を行使する選挙の前や、政治的バランスを欠いた捜査をやってはならない。民主主義の捜査機関にはそれが課せられる。

 ところが一昨年、小沢氏の秘書が突然逮捕された「西松建設事件」は、政権交代がかかる総選挙直前の強制捜査であった。しかも政治資金収支報告書の記載ミスと言えるのかどうか分からないような容疑での逮捕である。これで逮捕できるならほとんどの国会議員が摘発の対象になる。そんな権限を民主主義国家が捜査機関に与えて良い筈がない。

 しかも捜査のやり方が極めて異常であった。かつて私が東京地検特捜部を取材したロッキード事件も奇怪な事件で、事件の本筋とは言えない田中角栄氏が逮捕され、国民は「総理大臣の犯罪」と思い込まされたが、それでも当時は手順を踏んだ捜査が行なわれた。ところが今回は国会議員に関わる事件であるのに検察首脳会議を開かず、「若手検事の暴走」という前代未聞の形での着手である。

 それほどの異常な捜査を新聞もテレビも追及する側に回らず擁護する側に回った。平均給与が全産業を上回るほど利益追求に走った新聞とテレビは、国税や検察がその気になれば、脱税などの犯罪で摘発される可能性があり、財務省や検察を批判する事など恐ろしくて出来ないからだろう。

 そして案の定、愚かな政治家が「政治的道義的責任」などと騒ぎ出し、国民生活のために議論しなければならない国会の審議時間を削るような事を言い出した。「国会で国民に説明責任を果たせ」と言うのである。そんな馬鹿な事を言う政治家が世界中にいるだろうか。「説明責任(アカウンタビリティ)」とは会計用語であり、国民から預った税金の使い道について「官僚には説明する責任がある」という意味である。

 前にも書いたが、アメリカのクリントン大統領には「ホワイトウォーター疑惑」と呼ばれるスキャンダルがあった。アーカンソー州知事時代に不動産業者に便宜を図って違法な献金を受けた疑惑である。事件が発覚した後に自殺者も出た。特別検察官が選ばれて捜査が開始された。しかしクリントン大統領に「議会で国民に説明しろ」などという声は上がらない。議会が喚問したのは検察官である。議会は行政府をチェックするところであるからそれが当たり前だ。説明責任があるのは政治家ではなく検察官僚なのである。それが日本では逆転している。

 日本の捜査機関は国会に呼ばれてもろくに答弁しない。「捜査中につきお答えできない」で終わる。サリン事件が起きた時、日本の警察は国会でそう言って答弁を拒否したが、同じ頃にアメリカ議会ではFBI、CIAが議会に喚問され、アメリカ国内でのオウム真理教の活動について捜査内容を証言させられた。そのビデオテープを自民党議員に見せたら「うらやましい」と言った。日本の国会は行政府に舐められているのである。

 「ホワイトウォーター疑惑」に関わったとされるヒラリー夫人は大陪審に喚問されて証言した。しかし議会には喚問されない。司法が追及している時に、議会が同じ事をやる意味はないし、議会にはそんな暇もない。ところがこの国では不思議な事が続いてきた。何かと言えば「国会で証人喚問しろ」と言うのである。それがどれほど意味のないバカバカしいパフォーマンスであるかを、政治家はイヤというほど見てきた筈だ。

 ところが今回も野党の党首クラスが揃いも揃って「証人喚問」などと騒いでいる。全く学習効果のない哀れな連中である。ロッキード事件以来続けられてきた「政治とカネ」のスキャンダル追及ほど民主主義政治の足を引っ張ってきたものはない。国民の税金の使い道を徹底して議論しなければならない予算委員会で、日本の政治は肝心要の事をやらずに政治家のスキャンダル追及に力を入れてきた。大衆に気に入られたいためである。

 下衆(げす)な大衆は権力者の凋落を見るのが何より楽しい。それが自らの生活を貶める事になるとは思わずに「やれ、やれ」となる。直接民主制であった古代ギリシアでは有能な政治家ほど大衆から妬まれて追放された。偉大な哲学者ソクラテスは愚かな大衆から死刑判決を受けた。ギリシアの民主主義は長く続かなかった。民主主義は厄介なもので、大衆が政治や裁判を直接左右すると民主主義は潰れるのである。それが歴史の教訓である。

 明治以来の官僚支配の背景にも官僚勢力とメディアによる大衆の扇動があった。政党政治家の原敬が暗殺され、反軍演説をした斉藤隆夫が衆議院から追放され、田中角栄が「闇将軍」となった背景にもそうした事情がある。

 小沢陳述はそうした過去にも触れつつ、検察権力の横暴と議会制民主主義の危機を訴えた。しかしそれに対するメディアの反論は、「検察が不起訴としたのに検察を批判するのは筋が違う。起訴したのは検察審査会だ」とか、「4億円の出所を言わないのはおかしい」という瑣末なものである。

 すべての問題の発端を作ったのは検察で、目的は小沢氏の政治的排除にあるのだから、そもそも不起訴にして大衆の扇動を狙っていた。従って乗せられた方ではなく乗せた方を批判するのは当然である。また自分の財布の中身をいちいち説明しなければならない社会とはどういう社会なのか。それが違法だと言うなら、言う方が違法性を証明しなければならない。それが民主主義社会のルールである。「政治家は公人だから」と言ってあらゆる責めを負わせるのは、国民主権を嫌う官僚の昔からのやり口である。

 ともかく初公判後の記者会見で小沢氏は検察とメディアに対し闘争宣言を行なった。潰れるか潰されるかの戦いを宣したのである。検察もメディアも引けないだろうが、不起訴処分にした検察は既に一歩後ろに退いており、前面に立つのは司法とメディアである。

 行政権力の手先だと世界から見られている日本の司法とメディアがこの戦いにどう対抗するのか。小沢氏を潰そうとすればするほど、民主主義の敵に見えてくるのではないかと私には思える。
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2011年10月 3日

総理は何故ころころ代わるか

 外国に比べて日本の総理はころころと代わる。それが最近では日本の駄目さを象徴しているかのように言われる。まるで日本の政治家に資質がないような言われ方だが、総理がころころ代わるのは日本国憲法が創り出した戦後の政治構造に問題がある。

 戦後の一時期、占領軍は日本を本格的に民主化しようとした。しかし冷戦が始まるとすぐに方針を変えた。ソ連情報に精通した旧軍勢力を温存する必要が生まれ、民主化とは裏腹の事をアメリカは始めた。民主化のために排除すべき勢力や戦前の支配構造を密かに存続させたのである。

 ところが「戦前は軍国主義、戦後は民主主義」という情報の刷り込みによって、国民は戦後の日本を民主主義と思い込まされた。その思い込みが日本の構造を見えなくする。民主主義とは異質の国と見ないと、この国の構造は見えてこない。

 日本国憲法を作成した占領軍は、戦前の貴族院を廃止して議会を一院制にしようとした。日本がお手本とするイギリスの政治は貴族院と庶民院の抗争の歴史で、国民から選ばれた庶民院が世襲の貴族院の決定権を覆したのは1911年である。

ところが日本側の憲法担当大臣・松本丞冶氏は戦前の貴族院議員であった。戦前の貴族院は国民から選ばれた議員や政党に政治を任せてはならないと考えている。松本氏は衆議院をチェックする院の必要性を強く主張した。あまりの抵抗に占領軍は世襲にしない事を条件に貴族院に代わる参議院を認めた。

日本国憲法に、参議院で否決された法案を成立させるには衆議院で三分の二以上の賛成が必要という条文が盛り込まれ、予算以外の法案の決定権は参議院が握る事になった。戦前の伝統を受け継ぐ参議院の「緑風会」は、政党政治を低く見て無所属である事を誇り、政府には徹底的に抵抗した。

片山、芦田、吉田と続く戦後政権はいずれも参議院の抵抗で重要法案を成立できず、短命政権に終る運命となった。ただ吉田総理だけは占領軍を後ろ盾とし、参議院で否決された法案を「ポツダム政令」という占領軍の命令で成立させる事が出来た。吉田長期政権の理由はアメリカの後ろ盾にある。つまり総理がころころ代わる構造は戦後すぐに始まり、アメリカの後押しを受けた政権だけが長続きしたのである。

1952年に日本が独立すると当然「ポツダム政令」はなくなる。日本の政治は混乱が予想された。その混乱を防いだのは政界再編である。1955年に保守合同と左右社会党の合流によって自民党と社会党の二大政党が誕生した。参議院の政党化も進み、自民党が衆参両院で初めて過半数を越えて衆参の「ねじれ」は消えた。一方、社会党は過半数の候補者を選挙に擁立しない野党となって政権交代のない政治構造が作られた。

 国民が野党第一党の候補者全員を当選させても政権交代にならない仕組みは民主主義とは言えない。しかしメディアはそれを指摘せず、「自社対立」をあたかも民主主義であるかのように報道した。この構造は、民主主義のコストを払わずに、自民党と官僚機構と経済界とが一体となって経済成長を目指す体制を生み出す。高度経済成長はこうして実現した。

 政権交代のない「55年体制」で総理を交代させたのは国民ではなく自民党の派閥である。派閥のリーダーは総理候補と認知され、それぞれがブレーンを集めて政策を切磋琢磨する。中国共産党が次代のリーダーを事前に指名して切磋琢磨させるのと似ている。しかし自民党には5つの派閥があり、5人の候補を次々総理にする必要があった。

 自民党は党則で総裁任期を2年2期までと決めた。最長でも4年で交代させないと派閥の不満が高まるからである。こうして「歌手1年、総理2年の使い捨て」と揶揄される体制が出来た。「一内閣一仕事」と言い、総理は政策課題を一つに絞り、次々交代していく方法が取られた。

 この方法は「三角大福中時代」を経て竹下政権まで続いた。ところがリクルート事件の摘発で次代を担うニュー・リーダーが軒並み失脚する。予定されない人物が促成栽培の総理に就任する事態が訪れた。促成栽培であるから政策の切磋琢磨もへちまも無い。日本の政治が漂流を始めた。

 ベルリンの壁が崩れた1989年、参議院選挙で自民党が初めて過半数を失い、33年ぶりに衆参の「ねじれ」が復活した。そして政権交代のない政治構造も限界に達していた。政治改革が最重要課題となり、政権交代可能な政治を作るため小選挙区制の導入が焦点となった。その導入を巡って自民党は分裂し、保守合同以来の政権の座から転落した。

 こうして「55年体制」が終わり、政権交代を実現するための次の体制作りが模索された。小選挙区制の導入は、結果として自民党と民主党の二大政党を作るが、政権交代可能な構図は衆参の「ねじれ」を一層深刻なものにした。衆議院選挙に勝利して政権交代を実現しても、次の参議院選挙に敗れれば法案を成立させる事が出来なくなる。相手が政権奪取を狙う野党だけに妥協の余地はほとんどない。

 自民党の安倍、福田、麻生と続く首のすげ替えは07年の参議院選挙で民主党に敗れたためである。09年の衆議院選挙で初めて国民が政権交代を実現させ、民主党政権が誕生したが、翌年の参議院選挙に民主党が敗れると、09年の衆議院選挙のマニフェスト見直しを迫られる事になった。つまり衆議院選挙に勝利しただけでは選挙公約は実現せず、連続して二つの選挙に勝たないと国民への公約は果たされないのである。

 国民の投票行動には揺れる傾向がある。一方を勝たせれば次は違う方を勝たせる。しかしそれでは日本の政治は機能不全に陥り、総理はころころ代わり続けるしかなくなる。国民に対して一度勝たせた政党を連続して勝たせないと意味がないと言っても、それも民主主義にとって良い事なのかどうか分からない。

 アメリカでは大統領選挙と大統領選挙の間に中間選挙がある。国民の投票行動は揺れるから中間選挙では大統領の所属政党が敗れる傾向がある。するとまた国民は揺れて大統領の再選の可能性が高まる。こうして8年の大統領在任期間が実現される。また大統領と議会の多数党はしばしば「ねじれ」る。しかし大統領は議会の決定を拒否する最終権限を持っている。

 ところが日本の「ねじれ」は深刻である。これを回避するには憲法を変えるか、選挙制度を見直すかしかない。しかし憲法を変えるには衆参両院の三分の二の賛成が必要である。自らの権限を減らす事に参議院が賛成するとは思えない。そこで考えられるのが選挙制度の変更である。以前から書いている小選挙区比例代表連用制の採用が「ねじれ」の解消法になるとすれば、それが次の政治体制を作る鍵になる。日本は今ようやく民主主義に向かって歩み始めているのである。

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Profile

田中良紹(たなか・よしつぐ)

-----<経歴>-----

1945年宮城県仙台市生まれ。
1969年慶應義塾大学経済学部卒業。
同年(株)東京放送(TBS)入社。
ドキュメンタリー・デイレクターとして「テレビ・ルポルタージュ」や「報道特集」を制作。また放送記者として裁判所、警察庁、警視庁、労働省、官邸、自民党、外務省、郵政省などを担当。ロッキード事件、各種公安事件、さらに田中角栄元総理の密着取材などを行う。
1990年にアメリカの議会チャンネルC-SPANの配給権を取得して(株)シー・ネットを設立。
TBSを退社後、1998年からCS放送で国会審議を中継する「国会TV」を開局するが、2001年に電波を止められ、ブロードバンドでの放送を開始する。
2007年7月、ブログを「国会探検」と改名し再スタート。

BookMarks

日本初の政治専門チャンネル!
↓ ↓ ↓
国会TV
http://kokkai.jctv.ne.jp/

-----<著書>-----


『裏支配─いま明かされる田中角栄の真実』
2011年1月、電子書籍


『メディア裏支配─語られざる巨大マスコミの暗闘史』
2005年3月、講談社

-----<編書>-----


『憲法調査会証言集─国のゆくえ』
2004年7月、現代書館

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