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覚醒なき国家に未来はない(2) »

覚醒なき国家に未来はない(1)

 第二次大戦で敗戦国となった日本は、戦後は戦勝国によって従属的地位に置かれてきた。
 

 戦勝国とは1945年2月にヤルタで首脳会談を開き、国際連合(国連)の設立など戦後の国際秩序を話し合い、また7月にポツダムで日本に対する無条件降伏案を作成した米英ソ三国だが、アメリカのルーズベルト大統領がチャーチルとスターリンの反対を押し切って中国を連合国に加え、またチャーチルがフランスにも同等の資格を与えるよう主張したため、戦後、国連の最高意思決定機関とも言うべき安全保障理事会の常任理事国は米、英、ソ、中、仏の5カ国となった。世界を支配する側はこの5カ国である。

 それから四半世紀後、世界の核保有国を米、英、ソ、中、仏だけに限定する核拡散防止条約(NPT)が米ソ主導で作られた。条約は1968年に62カ国が調印して70年に発効した。世界を支配する5カ国には核があり、日本は核兵器を作る能力を持ちながら西ドイツと同様に核保有を禁止された。

 これを不平等だと批判して核を持ったのがインドとパキスタンで、それに核保有をあるともないとも言わないイスラエルはいずれもNPTに加盟していない。最近では北朝鮮がNPTから脱退した。アジアで中国、インド、パキスタンが核を持ち、北朝鮮に核疑惑があっても日本は持つ事が出来ない。

 いや中国が核実験に成功した後、60年代の終わりに日本は核武装を検討した。しかしアメリカがそれを許さなかった。以来、日米同盟の名の下に日本はアメリカの核の傘の下で従属国の地位に甘んじている。これが戦後世界の基本構造である。

 この基本構造の中で覇権争いが繰り広げられてきた。まずは米ソ二大国が対峙した。冷戦の始まりである。米ソは市場経済と計画経済を競い合い、核の数とその運搬手段で軍事力を競い合った。世界は東西両陣営に分かれ、ソ連が共産主義イデオロギーを広めて支配圏を拡大しようとすれば、アメリカは「ソ連封じ込め」戦略でこれに対抗した。

 「ソ連封じ込め」とは、ヨーロッパでは西ドイツを、アジアでは日本を中心にアメリカが経済協力を行い、「反共の防波堤」を作って共産主義の浸透を食い止める事である。連合国と戦って敗れた西ドイツと日本がいち早く廃墟から立ち直り、まもなくアメリカに次ぐ経済大国になったのは「ソ連封じ込め」戦略のお陰である。

 そしてアジアに共産主義中国が誕生し、朝鮮半島が北と南に分裂して戦争を始めると、日本の重要性は飛躍的に高まった。出撃拠点としての基地の提供と補給のための工業化が不可欠となる。こうして戦後の日本は工業国として再建される事になり、1ドル360円の為替レートが工業製品の輸出に有利な状況を作り出した。

 ベトナム戦争が始まるとさらに在日米軍基地の重要性は高まり、東西冷戦の恩恵を受けた日本経済は世界が驚く高度成長を成し遂げた。1968年にはそれまでの西ドイツを抜いて世界第二位の経済大国となった。

 しかし1971年の「ニクソン・ショック」で状況は一変する。ところが日本は「ニクソン・ショック」の意味を自覚しないで生きてきた。それが「失われた時代」につながると筆者は考える。「ニクソン・ショック」とは、アメリカのニクソン大統領が共産主義中国と手を組む事を宣言し、また一方的に金とドルとの交換を停止して固定相場制を変動相場制に変えた事である。

 当時の日本は米中の国交正常化と変動相場制がアメリカの「ソ連封じ込め」戦略の転換を意味し、日本の高度経済成長要因を消滅させると思わなかった。西ドイツがいち早く変動相場制に移行したのとは対照的に、日本は輸出主導を維持するためドル買いに走り、円安を維持しようとしたが円は高騰、無駄な努力で国民の血税を失った。

 アメリカが共産主義中国と手を組む事で、日本は天秤にかけられる事になるが、それを深刻に捉える事もしなかった。当時の日本は戦後最大の外交課題「沖縄返還」に目を奪われていた。

 60年代のアメリカはインドシナ半島から共産主義勢力を一掃するためベトナム戦争に介入した。ところが大量破壊兵器を投入するアメリカ軍に対して南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)はジャングルと民衆の海に潜んで抵抗した。国際世論はアメリカを非難し、泥沼にはまりこんだアメリカの財政は悪化の一途を辿った。

 ケネディ、ジョンソンと二代の民主党大統領が深入りした戦争から撤退する事を考えたのは69年に大統領に就任した共和党のニクソンである。アメリカがベトナムから撤退するには、ベトコンの後ろ盾である中国と話し合う必要があり、また財政赤字によってアメリカ保有の金が流出するのを止めるには通貨安にする必要があるとニクソンは考えた。

 ニクソンの政策によって「反共の防波堤」としての日本の価値は低下した。中国指導部との秘密交渉に当たったキッシンジャー大統領補佐官は、「中国政府には日本にない戦略的思考があり、共通の価値観を共有できる」と述べた。また米中は日米安保条約が日本を強くしない「ビンのふた」であるとの認識を共有した。

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コメント (2)

覚醒なき国家に未来はない(1)、すごく続きが楽しみです。ニクソン訪中を涙目で見ていた記憶があります、あの時、キッシンジャーや周恩来に負けない人間になりたいと思ったのに、恥ずかしくて穴があったら入りたいです。貴方の現場での政治観察と私の細々とした遠くからの勉強とどこまで合致するか、興味津々です。覚醒なき国家に対する私の処方箋はただ一つ「仙台遷都」です。

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Profile

田中良紹(たなか・よしつぐ)

-----<経歴>-----

1945年宮城県仙台市生まれ。
1969年慶應義塾大学経済学部卒業。
同年(株)東京放送(TBS)入社。
ドキュメンタリー・デイレクターとして「テレビ・ルポルタージュ」や「報道特集」を制作。また放送記者として裁判所、警察庁、警視庁、労働省、官邸、自民党、外務省、郵政省などを担当。ロッキード事件、各種公安事件、さらに田中角栄元総理の密着取材などを行う。
1990年にアメリカの議会チャンネルC-SPANの配給権を取得して(株)シー・ネットを設立。
TBSを退社後、1998年からCS放送で国会審議を中継する「国会TV」を開局するが、2001年に電波を止められ、ブロードバンドでの放送を開始する。
2007年7月、ブログを「国会探検」と改名し再スタート。

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『裏支配─いま明かされる田中角栄の真実』
2011年1月、電子書籍


『メディア裏支配─語られざる巨大マスコミの暗闘史』
2005年3月、講談社

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『憲法調査会証言集─国のゆくえ』
2004年7月、現代書館

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