Calendar

2011年5月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

Recent Comments

想定どおりの退陣劇
金子敏彦 07/01
Mr.Southpaw 07/02
yamadataro 07/02
Mr.Southpaw 07/03
yamadataro 07/03
金子敏彦 07/03
熱烈な自民党支持者 07/03
理駅遊道 07/05
africa 07/07
理駅遊道 07/08

« 2011年4月 | メイン | 2011年6月 »

2011年5月30日

うそつき

 大震災以来の政治に感じるどうしようもない「違和感」の原因を考え続けてきた。

 退陣の危機に追い込まれていたため震災を政権延命の手段と考えてしまうパフォーマンス政治。手柄を独り占めしたいのか「お友達」だけを集め、全政治勢力を結集しようとしなかった身内政治。パニックを恐れて情報を隠してしまう隠蔽政治。責任の所在が曖昧なままの無責任政治。「違和感」の原因は様々だが、終始付きまとうのは「国民は嘘をつかされ続けてきたのではないか」という疑念である。

 例の海水注入問題では、当初東京電力が廃炉になる事を恐れて海水注入を躊躇したのに対し、菅総理の指示で海水注入は行なわれたと言われた。「国民の敵」東京電力と「国民の味方」菅総理という構図である。ところがその後、東京電力の海水注入を菅総理が55分間中断させたという話が出てきた。「国民の敵」が入れ替わった訳だ。

 すると今度は「敵役」として原子力安全委員長が登場した。東京電力の海水注入が開始された後で、菅総理が海水注入による「再臨界」の危険性を斑目原子力安全委員長に問いただしたところ「危険性がある」と答えたため中断したとされた。これに斑目氏が噛み付いた。「そんな事を言うはずがない」と言うのである。結局、菅総理に「可能性はゼロではない」と答えたという事になった。

 その時点で菅総理は「そもそも東京電力が海水注入を開始していた事実を知らなかった」と国会で答弁した。知らなかったのだから中断させるはずがないと言うのである。これを聞いて私の頭は混乱し始めた。海水注入を知らない総理がどうして原子力安全委員長に海水注入の危険性を問う必要があるのか。

 それに「海水注入を渋る東京電力VS海水注入を指示した総理」という構図はどうなるのか。理解不能な話になった。理解不能な話を理解するには誰かが「嘘」をついていると考えるしかない。最も疑わしいのは「海水注入を知らなかった」と言い切った菅総理である。

 菅総理が東京電力の海水注入を知らなかったなら原子力安全委員長とのやり取りも、当初言われた構図も信憑性が薄くなる。自分のパフォーマンスのために東京電力に「敵役」を押し付け、その代わり東京電力を潰さない、政府が賠償の面倒を見ると裏約束をしたのではないかと思えてくる。

 いよいよ菅総理の「嘘」が追及される話になると思っていたら事態は思わぬ方向に展開した。東京電力が「海水注入の中断はなかった」と発表したのである。現地責任者の吉田昌郎所長が独断で注水を継続したという話になった。これで一件落着の雰囲気である。しかし何事も疑ってみる私の第一印象は「うまく逃げたな」である。

 この話が裏を取る事の出来ない話になったからである。前にも書いたが福島原子力発電所の現場は今や日本の国民生活と日本経済の存亡をかけた戦場である。その指揮官の判断で結果的に国民生活が守られる方向になったとなれば誰も糾弾できない。しかも裏を取ることも出来ない。この話も本当かどうか分からないが事態を収束させる効果はある。そこに彼らは逃げ込んだ。しかしこれで「知らなかった」と言った疑惑は消えるのか。

 放射性物質の拡散予測SPEEDI(スピーディ)を巡る菅政権の無責任ぶりをフジテレビが放送していた。SPEEDIは気象条件などから放射性物質の広がりをコンピューターを使って予測するシステムで、原発事故が起きた場合、そのデータは文部科学省、経済産業省原子力保安院、原子力安全委員会、関係都道府県などに提供される。

 ところがその内容が国民には公表されていなかったという事で、番組は関係先を取材し、どこも自分の所管ではないとたらい回しにされる模様を放送していた。そしてスタジオの識者が「どうなっているのだ」と怒って見せるのだが、役所の担当者に怒ってみても仕方がない。

 番組の中で細野豪志総理補佐官が語っていたように菅政権は「パニックを恐れて公表を控えた」のである。細野氏はその事を反省していたが、公表しなかったために被爆をしなくても良い人が被爆をした。これはその責任を誰が取るのかという問題である。ところが番組はそういう方向にならない。「日本の組織は滅茶苦茶だ」と責任の所在を広げてあいまいにし、「あいつもこいつも悪い」と鬱憤晴らしをして終るのである。

 そして問題なのはこの番組で枝野官房長官がSPEEDIのデータを「報告を受けていない」と発言した部分である。番組はそこを問題にすべきであった。この発言が本当ならば霞が関を掌握しなければならない立場の官房長官は失格と言わざるを得ない。そんな政権に政治を任せておけないと言う話になる。

 しかし原子力災害が起きている時に放射能データを官邸に報告しない役人などいるはずがない。つまり枝野官房長官も嘘をついている可能性が高いのである。むしろ細野氏が言ったように菅政権はパニックを恐れて情報を隠蔽した。それで周辺住民の被害は拡大した。その責任を追及されると困るので「情報を共有出来なかった」と嘘をついて組織上の問題にすりかえているのである。

 番組はまさにそのように視聴者を誘導した。かくして国民は「日本は駄目な国ねえ」などと言って終る。おめでたい限りである。菅政権が国民のパニックを恐れて情報を公表しなかったとすれば、自らの危機管理能力に自信がなかったか、或いは国民を愚かだと思っていたかのどちらかである。

 しかし国民がどんなに愚かでも嘘はつき通せるものではない。それに仮に「海水注入を知らなかった」、「SPEEDIの報告を受けていなかった」のが真実ならば、それはそれで政権担当能力はゼロ。とても国難の時に政権を任せるわけにはいかないと言わざるを得ないのである。

■お知らせ

田中良紹さんによる「居酒屋田中塾」の第17回日程が、6月29日(水)に決定しました!

田中良紹さんによる「政治の読み方・同時進行編」を、美味しいお酒と共に。

ぜひ、奮ってご参加下さい!

【日時】
2011年 6月29日(水) 19時〜 (開場18時30分)

【会場】
第1部:スター貸会議室 四谷第2(19時〜21時)
東京都新宿区四谷1-8-6 ホリナカビル 301号室
http://www.kaigishitsu.jp/room_yotsuya.shtml

※第1部終了後、田中良紹塾長も交えて近隣の居酒屋で第2部を行います。

【参加費】
第1部:1500円
※セミナー形式。19時〜21時まで。

第2部:4000円程度
※近隣の居酒屋で田中塾長を交えて行います。

【アクセス】
JR中央線・総武線「四谷駅」四谷口 徒歩1分
東京メトロ「四ツ谷駅」徒歩1分

【申し込み方法】
下記URLから必要事項にご記入の上、記入欄に「年齢・ご職業・TEL」を明記してお申し込み下さい。

21時以降の第2部に参加ご希望の方は、お申し込みの際に「第2部参加希望」とお伝え下さい。

http://www.the-journal.jp/t_inquiry.php

(記入に不足がある場合、正しく受け付けることができない場合がありますので、ご注意下さい)

2011年5月17日

「目くらまし」を見抜けぬ愚民国家

 浜岡原発の停止要請は「目くらまし」だと前回書いた。ところがそれを「原子力政策の転換」と受け止める「おめでたい」論調が多いので呆れる。あのやり方はこの国の官僚が国民を支配するために使ってきた常套手段そのもので、見抜けなければ愚民と言うしかない。

 福島原発の深刻な事故は国民の反原発感情を揺さぶり、今後のエネルギー政策に大きな影響を与える事が予想された。そうした時に支配者が考える事は世論を無視して強行突破することではない。いかにも原子力政策を転換するように見せかけながら、実際には変更の幅を極力変えないようにすることである。そのため「浜岡原発」が利用された。

 官僚が「目くらまし」に使うトリックの道具は数字である。今回は「87%」という数字が使われた。「地震が起きる確立が87%」と言われると、感情でしか物事を考えない人達は「大変だ」と恐怖心が先に立つ。それでまともな思考が出来なくなる。支配する側はそれを狙っている。

 福島原発事故は地震の確率が0.1%の所で起きた。論理的に考えれば地震の確率と事故とはストレートに結びつかない。どこの原発も事故は起こる可能性がある。それをそう考えさせないために支配者は「87%」に目を向けさせ、愚民はそれに乗せられる。

 「87%」を問題にするなら、そもそもそんなところに原発を建設した事が間違いである。運転を停止しても地震が来れば放射能事故は起こる可能性があり、速やかに「廃炉」にするというのが論理的である。ところが菅総理が言った事は「安全策を講じるまでの運転停止」だった。それは「浜岡原発を継続する」と宣言したに等しい。

 なぜなら安全のために投資をしたら、投資をした後で「廃炉」という選択肢はありえないからである。防潮堤の建設などには2年ほどの時間がかかるらしいから、運転再開を決めるのは自分ではない別の人間で「俺の責任にはならない」という計算も菅総理には働いたかもしれない。

 それを本人が「歴史の評価」とか大見得を切るからチャンチャラおかしくなる。菅総理は「停止要請」によって浜岡原発の継続を宣言し、それ以外の場所にある原発事故の危険性から目をそらさせたのである。そう言われると困るから、「原子力計画をいったん白紙にする」と付け加えた。しかし「白紙」というのは「変更」ではない。自分は「白紙」にし、別の人間が極力「変更」しない形の計画にしてくれれば良いのである。

 それをニュースキャスターが「菅総理は原発の見直しに踏み込んだ」とか言っているから「おめでたい」。「何年までに原発の割合を何%減らす」とか、再生エネルギーの開発計画を発表した時に言うべき事を、論理的に考えれば考えるほど「原発を継続する」と言っている時に言うのだから始末が悪い。

 福島原発事故の教訓は「絶対の安全はない」と言うことである。どんなに想定しても想定外の事は起こる。どんなに安全対策をしても破られる事はある。だから最悪を考えて備えをしなければならない。ところが政府は「原発の安全性」を強調するあまり、不測の事態への対応をして来なかった。

 原発のメルトダウンを知りながら、住民のパニックを恐れて発表したのは事故から2ヶ月以上も経ってからである。発表していれば対応できていた事ができなかった。その被害者は周辺住民である。放射能による健康被害が現れるのは5年から10年先の事だから、これも菅政権にとっては「俺の責任ではない」と言う事になるのだろうか。

 日本が原発を54基持っているという事は、54個の核爆弾を持っているに等しい。つまり核戦争に備える思考と準備が必要なのである。敵は自然の猛威かもしれないし、テロ攻撃かもしれない。日本にミサイルで原爆を投下しなくとも、テロリストは小型スーツケースの原爆を都心で爆発させる事も出来るし、また海岸に建てられた原子力発電所を襲えば原爆投下と同様の効果が得られる。

 ところがそうした備えがない事を今回の事故は示してくれた。警視庁の放水車や消防庁の放水車が出動するのを見て私は不思議でならなかった。核戦争に備えた自衛隊の部隊はいないのかと思った。こんな事では政治は国民も国土も守る事が出来ない。いちいちアメリカを頼らなければならなくなる。

 考えてみれば日本のエネルギー自給率は4%に過ぎず、すべてはアメリカ頼みである。かつては国内の石炭に頼っていたのを1960年代に政府は無理矢理石炭産業を潰し、アメリカの石油メジャーが牛耳る中東の石油に切り替えた。ところが遠い中東の石油に頼りすぎる危険性が指摘されると、これもアメリカの主導で原子力発電を導入した。発電用濃縮ウランの大半はアメリカから輸入されている。

 普天間やTPP問題で分かるようにアメリカの足の裏を舐めないと存続できない菅政権は、原発見直しのフリは出来ても「転換」は簡単には出来ないのである。

2011年5月14日

場当たりポピュリズムの末路

 13日の参議院予算委員会で菅総理は浜岡原子力発電所の運転停止要請について「評価は歴史に判断を頂きたい」と大見得を切った。この要請を「大英断」と持ち上げる向きもあるから高揚した気持ちがそう発言させたのだろう。だとすれば「墓穴を掘る事になる」かもしれない。

 多くの権力者の栄枯盛衰を見てきたが、権力を失うきっかけは絶頂期に高揚した気持ちで判断した事から生まれ、権力を失う時は外の敵ではなく内側の味方から崩れていくのが常なのである。

 大震災の発生直後からの政治の対応にどうしようもない「違和感」を感じてきたのは私だけだろうか。理解できない動きの連続に唖然としてきた。それを「想定外の事が起きたから」という言い訳で政権は切り抜けてきたが、とてもそれだけで納得できるものではない。

 前に「大災害から国民と国土を守るのは国防そのものだ」と書いたが、さらに刺激的な書き方をすれば「今の日本は戦争状態」である。自然から攻撃を受けて被災した国民を守る一方で、福島を戦場とする「原子力との戦い」は瞬時の休みもなく続いている。この戦いに勝つためには何よりも日本経済の力を損なってはならない。「欲しがりません、勝つまでは」の日本が平時を上回る増産体制を敷いたアメリカに敗れたように、戦争の帰趨を決するのは経済である。

 ところがそうした意識をこの政権から感じ取る事が出来ない。「一生懸命やっている」と言うが事態は一向に良くならない。浜岡原子力発電所の停止要請など悪化する一方の「フクシマ」から目をそらさせるための「目くらまし」に過ぎないと私には見える。しかもこの「目くらまし」の論理が滅茶苦茶なのである。

 地震が起こる確率が87%と異様に高いから防潮堤が出来るまで停止すると菅総理は言ったが、防潮堤建設に投資したら中部電力は100%原発を再開しようとするはずである。そうしないと投資に見合わない。そして防潮堤が確実に防護するかは「神のみぞ知る」話なのである。

 しかも柏崎・刈羽原発も福島原発も地震の確率が低いところで事故が起きた。今必要なのは目先の数字に躍らされるのではなく、想定を越える事まで考えて対策を練ることではないか。原発を見直すにしても、局部ではなく日本のエネルギーの全体像を俯瞰し、経済の落ち込みを少なくする方法で手を打っていかないと政治にならない。

 菅総理は浜岡原発の停止要請を「熟慮」で決めたと言うが、ただ一人の専門家の意見も聞いていない。それは日本の全体を考えた話ではなく、国民感情に動かされたポピュリズムだからである。リーダーがそういう姿勢だと政治が国難を乗り切るどころか復興の方向を誤る事になる。

 私は1990年8月にイラク軍がクエートに侵攻してから91年1月にアメリカが湾岸戦争に踏み切るまでのアメリカ議会の議論を見た事がある。戦争をする国の政治の議論というものを初めて見た。夏の終わりからアメリカ議会は歴代の国防長官、国務長官、軍人、経済学者、ジャーナリスト、さらには外国の政治家まで200人近い専門家を公聴会に呼んだ。

 そこで戦争に踏み切ればどのような影響が出るかをあらゆる角度から検討した。中東地域はどうなる、各国の反応はどうか、アメリカ経済への影響、国民生活への影響など2ヶ月にわたって意見を聞いたうえで、議員たちが戦争権限を大統領に与えるかどうかを決めた。その判断は自らの政治生命に関わるから、採決の日の議会は異様な緊張感に包まれた。

 全員が戦争すべきか否かを意見表明する。民主党議員の多くが反対する中でゴア上院議員は賛成演説を行なった。次の大統領選挙に出馬する意向を固めていたからである。こうして湾岸戦争は開始されたが、戦争中も戦争後も軍事費を巡る議論はしっかりと行なわれた。国民の税金を使う話だから、戦費をしっかり監視し、無駄をさせないのが政治の役目である。シビリアン・コントロールとはこういうことなのだと実感した。

 ところがこの国の国会ではいつも予算の詳細がほとんど議論されない。今回の大震災など戦争と同じで日本経済に深刻な影響を与える事になり、しかも復興には巨額の資金が必要になるから金の話はしっかりしてもらわなければならない。ところが「最後は国が責任を持つ」と手形を乱発するような話ばかりで、どうやって国民生活を落ち込ませないか、どうやって経済を上向かせるかの議論は聞えてこない。

 そして「違和感」を感ずるのは何につけても責任の所在が曖昧になっている事である。浜岡原子力発電所の運転停止も「命令」ではなく「要請」であるから最終決断をするのは中部電力で、放射能から非難する住民は「自主判断」を求められ、東京電力の社内に作られた「福島原子力発電所事故対策統合本部」は法律によらない任意団体である。法律による「原子力災害対策本部」を使わずに政府と東京電力が一体となった責任の所在が曖昧な団体がわざわざ作られている。

 政治は国民生活を守るために仕事をし、結果について責任を取るものである。しかし他人の意見を聞かず、責任の所在も曖昧なままの政治に「歴史の評価」を求めても、歴史が判断するまでもない事で、このままでは政治に対するアパシーが広がるだけの話である。

2011年5月 3日

覚醒なき国家に未来はない(4)

北朝鮮の核疑惑はブッシュ(父)政権時代から指摘されてきたが、アメリカは実力で阻止しようとはしなかった。むしろ事実上の核保有を許容したとも受け取れる姿勢を見せている。

一方で日本は北朝鮮の核と対峙するため、アメリカの核の傘への依存度を強め、イージス艦やミサイル防衛の装備をアメリカから購入した。イージス艦もミサイル防衛もブラックボックスがあり日本独自では使えない兵器である。中国や北朝鮮にとって日米安保は今でも日本を自立させない「ビンのふた」であり、アメリカにとっては両国の存在が日本を従属させる鍵になっているのである。

1981年に筆者はイランと国交断絶したアメリカがイランに食糧のコメを輸出している現場を見た。初めは驚き、次に国際政治とはこういうものかと思ったが、その後アメリカがイランに武器まで輸出している事を知った。イラン・イラク戦争でイラクを支援していたアメリカが敵国イランに武器を売っていた事になる。

またイラクがクエートに侵攻した湾岸危機でも当時のアメリカ大使がサダム・フセインにクエート侵攻を認めていたと議会で問題にされた事がある。アメリカ外交には裏がある。アメリカは国益になると思えば誰とでも手を組む。国際政治には表とは違う実態がある事を日本人はよくよく知らなければならない。

日本がアメリカにとって脅威でない事が分かると、アメリカの「日本バッシング」は止み、日本はパッシング(無視)されるようになった。冷戦後のアメリカがアジアで「戦略的パートナー」としたのは中国である。アメリカ大統領がアジア歴訪の際、最後に中国を訪れる事がそれを物語る。

ところが日本人は「アメリカ大統領が真っ先に日本に来た」と言って喜ぶ。人は色々の人間から情報を仕込んだ後で最重要の人物と会うものである。最初に来たと言って喜ぶ日本人は悲しくなるほどの外交音痴だ。「日米同盟」を金科玉条のように言う日本人もいるが、「同盟」ほど当てにならないものはない。国益になれば守るが、ならなければ「同盟」を破棄するか無視するだけの話である。

今のアメリカが中国を重視するのは当然である。アメリカが最も脅威を感じる国だからである。世界を一国支配してきたアメリカの力は衰退に向かっている。多極化する世界で優位を保つために強い相手を無視する訳にはいかない。

一昨年、建国60周年を迎えた共産主義の中国は、前半の30年で共産主義を模索し、後半の30年は「日本モデル」の経済成長を模索した。「日本モデル」とは「政権交代のない政治体制」と「輸出主導による経済成長路線」である。

ところが一昨年日本に政権交代が起きた。中国共産党は慌てたと言う。日本には政権交代がないから官僚が司令塔になり、国家が一丸となって輸出主導の経済成長を実現した。そう信じてきた中国は日本の変化に困惑した。

中国はアメリカからも民主主義でない事を批判されている。中国共産党の第六世代にはアメリカ留学組が多い。党内で民主主義を巡る議論が行われたと言う。しかし結論はやはり一党独裁を続ける事を確認したと聞く。

「日本モデル」を追求してきた中国は日本のGDPを抜いて世界第二位の経済大国となった。しかし一人当たりのGDPは日本の十分の一で、東京オリンピックの頃の日本の水準である。その頃の日本はまさに「昇り竜」であった。二流国になる事を拒否し、核武装を考え、超大国を目指した。しかし敗戦国の悲しさでアメリカがそれを許さなかった。

中国はそこが違う。戦勝国の側にいて既に核を持ち、アメリカの風下に立つ必要がない。しかも資本主義が危機に見舞われた時の計画経済は強い。80年前の大恐慌でも共産主義のソ連と国家社会主義のドイツだけは影響を受けなかった。現在もまた危機に陥った世界経済を中国が支えている。

中国に自信が生まれるのは当然である。一昨年から外交方針が「守り」から「攻め」に転じた。中国は「日本モデル」より「アメリカ帝国モデル」を追求するようになったのである。「アメリカ帝国モデル」とは、世界最強の軍事力と世界最強の通貨を持ち、世界中の資源と情報を支配する事である。中国は急速な勢いでそれを目指している。

一昨年来日したエフライム・ハラヴィ前モサド(イスラエル諜報機関)長官からこんな話を聞い た。「イスラエル建国から18年間、アメリカはイスラエルへの武器輸出を禁じてきた。周囲を敵に囲まれながら我々は自力で生きてきた。その生き様によってアメリカは武器禁輸を解除した」というのである。

またハラヴィ氏は「核兵器を持っているか、いないかは決して言わない。言わない事が抑止力だ」と言った。その話に筆者は感銘を受けた。自力で生き抜く決意がなければ、いかなる「同盟」も「核武装」も無意味である。

中国と対峙すると言う時、多くの日本人はアメリカの核に守られるか、自力で核武装するかの議論になる。しかしそれは余りにも安易な冷戦型思考である。冷戦後の日本は自力で生きる事をまず決意すべきである。自力で生きるとはあらん限りの知恵を外交に注ぎ込む事だ。

これまで述べてきたようにアメリカの力を借りて中国と対峙する事ほど愚かな事はない。同時にアメリカ、中国と敵対する事もまた愚かである。ユダヤ人が「ネオコン」となってブッシュ政権内部に食い込んだように、アメリカと中国を内側から操る戦略が我々にも必要である。アメリカに、中国と対峙するには日本が必要と思わせ、中国にもアメリカと対峙するには日本が必要と思わせるのである。

そのためにはロシア、インド、韓国などとの関係を深化する必要がある。ひたすら日米同盟にすがったり、国際社会が見ている前で核武装を議論をするのは、自力で生き抜く覚悟とは無縁の行為である。早く冷戦型思考から目覚め、民族自立の道を国民に教えないと日本は21世紀を生き抜けない。

(この原稿はオピニオン雑誌「伝統と革新」第三号に寄稿したものです)

覚醒なき国家に未来はない(3)

湾岸戦争が終わると、アメリカと覇権を争ってきたソ連が崩壊し、地球の半分を支配してきた帝国は12カ国の独立国家共同体(CIS)になった。一方のアメリカは一国で世界を支配する超大国となる。

なぜゴルバチョフ書記長が「ソ連解体」を決断したか。ジェームズ・ベーカー元国務長官は「湾岸戦争でアメリカが使用した精密誘導兵器が原因」と言った。ベトナム戦争で大量破壊兵器を非難されたアメリカは、ハイテク技術を駆使する精密誘導兵器の開発に力を入れ、それを湾岸戦争で初めて実戦に使用した。新型兵器を世界に誇示するため、アメリカは戦争のテレビ実況中継を行った。

核兵器だけを作り続けてきた計画経済国家には到底追いつけない技術と思われた。シェワルナゼ外相がゴルバチョフに「帝国の解体」を進言したのだとベーカー氏は言った。一方、アメリカの政治家達は「ビル・ゲイツを生み出す国が計画経済に勝った」と新規参入を奨励するアメリカ資本主義を自慢した。それならアメリカを脅かす計画経済国家日本にも勝てる筈である。

アメリカ議会は「ソ連の次の脅威である日本経済をいかに封じ込めるか」の議論を始めた。日本経済の構造が分析され、大蔵省と通産省が司令塔となり、政界と財界がそれに協力し、国が一丸となって輸出を進める構造が解明された。

その議論はブッシュ(父)政権からクリントン政権へと引き継がれ、やがてクリントン大統領は「大蔵省、通産省、東大」を「日本の三悪」と呼ぶのである。すると不思議な事に東京地検特捜部が「ノーパンしゃぶしゃぶ接待」をマスコミにリークし、「大蔵省・日銀接待汚職事件」を摘発した。

産経新聞の石塚健司記者が書いた『「特捜」崩壊』(講談社刊)によると、逮捕された大蔵省のキャリア官僚は全く無実の「人身御供」であると言う。大蔵省の天下り先を法務・検察関係が奪うことになるが、この事件によって官僚に対する国民の信頼は一気に崩れた。バブル崩壊後の金融不祥事と相まって、司令塔不在の日本経済は「失われた時代」をずるずると引きずる事になる。アメリカの日本経済封じ込めは思惑通りになった。

一方でソ連の崩壊はアメリカに安全保障体制の全面的な変更を迫った。2年から3年の時間をかけてアメリカ議会が議論したのは、ソ連の核をどう管理するか、CIAを廃止すべきか、軍の組織をどう変えるか、そして米軍の世界配備の見直しなどである。

最大の問題はソ連が管理してきた核物質、核技術、核科学者の流出をどう防ぐかであった。ソ連崩壊は核拡散の危険を増大させていた。アメリカの目はソ連以外の地域にも向けられ、そこで北朝鮮の核疑惑が浮上した。

ソ連の核の脅威を探るために作られたCIAの任務は終わったが、冷戦後の世界には民族主義の台頭が予想され、脅威は拡散すると考えられた。CIAは廃止されるどころか増強され、CIA長官は他の諜報機関を束ねる地位に就くことになる。

ピラミッド型の軍の組織はコンピューター時代に対応し、前線の個々の兵士とアメリカ本土の司令部が直結するネットワーク型に変更された。そして冷戦を前提とした米軍の世界的配備も全面的に見直される事になった。要するに半世紀に亘って続いてきた体制は悉く変更される事になった。

ところが日本は冷戦後の時代にどう適応するかの議論を全く行わなかった。当時の宮澤喜一総理は「冷戦の終結で平和の配当が受けられる」と気楽な事を言い、国会は相も変わらず「政治とカネ」の議論に終始していた。心配になった筆者が外務省高官に霞ヶ関の対応を聞くと、そこでも組織立った議論は行われていないと言う。日本は国全体が冷戦が終わった事に無関心だった。

冷戦の終結で「反共の防波堤」としての日本は不要になった。日米安保も本来の役割を終えた。アメリカの分析通り、冷戦後の世界では各地に民族主義が台頭し、隣の韓国や台湾も例外ではなかったが、日本だけはそうした動きもなかった。一時は日本をソ連に代わる脅威と見たアメリカが、日本が自立できない国である事を知ると、アメリカの軍事力に守られて蓄積した富を搾り取る対象と考えた。

そのためアメリカ自身は冷戦時代と異なる思考で世界を睨みながら、日本には冷戦時代の思考を残すようにした。アジアには台頭する中国と核疑惑の北朝鮮がある。だから「アジアの冷戦は終わっていない」というロジックで駐留米軍は維持され、日本はアメリカにすがるしかないと思わされた。

しかし中国、北朝鮮はかつてのソ連と同じではない。「ソ連封じ込め」でアメリカは日本経済を強化したが、「中国封じ込め」はその逆である。米中は経済で緊密に提携し、お互いがなくてはならぬ存在になっている。例えば電気自動車に使用するリチウム電池技術を共同開発し、先行する日本を叩きつぶす戦略を立てている。北朝鮮も対米外交を重視し、日本を無視する国家である。両国ともアメリカと対立はしていても対日問題となるとアメリカと手を組む可能性があるのである。

2011年5月 1日

覚醒なき国家に未来はない(2)

「ニクソン・ショック」によるドル安円高は輸出主導の日本経済に打撃を与えた。もはやアメリカは日本に経済力をつけさせる側ではなく経済力を削ぐ側に回った。しかも佐藤栄作政権が「沖縄返還」を悲願とした事で日本は足下を見られた。アメリカは日本の輸出の主力であった繊維製品の輸出規制を要求してきた。

「沖縄返還」を実現するためにはアメリカの要求を飲まざるを得ない。日本政府は明治以来の国家事業であった繊維産業を他の業種に転換させる行政指導を行った。これを皮切りにアメリカは日本に対して自動車、半導体と次々に輸出規制を要求してくる。こうして戦勝国アメリカと敗戦国日本との間に経済を巡る戦争が勃発した。

アメリカに軍事で敗れた日本は経済ではしたたかだった。アメリカにバッシングされながら実益だけはしっかり確保した。1980年、筆者は自動車摩擦が燃えさかるデトロイトを取材した事がある。テレビに日本製自動車をハンマーで壊すアメリカ人の映像が繰り返し流され、新聞には「アメリカに反日の火の手」の見出しが躍っていた。

「デトロイトに行くと日本人は石をぶつけられる」とアメリカ通が言うので、「石をぶつけられに行こうじゃないか」とアメリカに行った。ところが行ってみるとデトロイトのどこにも「反日の火の手」はない。ハンマーで日本車を壊した男は市民から冷たい目で見られ、町には日本車が走り回り、失業した自動車労働者も日本車を欲しがり、デトロイト市民は日本車の燃費の良さを絶賛していた。

「反日」はデトロイトではなくワシントンで燃えていた。労働組合と政治家とマスコミが騒いでいたのである。過剰な報道を利用して日本の通産省は自動車業界を説得し、日本は自動車輸出の「自主規制」に踏み切る。「自主規制」で輸出数量が減っても日本車の需要は減らない。日本車の価格が上がって日本の利益は減らず、損をしたのはアメリカの消費者だった。

煮え湯を飲まされ続けたのはアメリカである。それが1985年に数字に現れた。アメリカが世界一の借金国に転落し、日本は世界一の金貸し国となった。工業製品を世界に輸出し、儲けた金を投資して金利を稼ぐ。世界中から日本にマネーが流れ込んだ。敗戦国日本が戦勝国アメリカの地位を脅かす存在となった。

折しもアメリカと核競争を続けてきたソ連帝国主義に陰りが見え始め、アメリカと覇権を争うのはソ連ではなく日本だと見られるようになった。85年の「プラザ合意」でアメリカは「ニクソン・ショック」に次ぐドル安誘導を行った。かつて360円だったドルの価値が三分の一になった。

円高による打撃から日本の産業を守るために採られた低金利政策はバブル経済をもたらし、日本人がアメリカの不動産を買い漁るようになるが、その頃のアメリカには日本に対する二つの見方が登場した。一つは「経済大国になった日本はアメリカの核の傘から脱して核武装する」というもので、キッシンジャー元国務長官などが主張した。

60年代の終わりに日本の核武装計画を知る立場にあったキッシンジャーは「経済大国は必ず軍事大国化する。唯一の被爆国としての反核感情など周辺が核を持てば一夜で変わる」と断言した。

もう一つは「日本は欧米とは異質の官僚国家」という見方である。リビジョニストと呼ばれる学者や評論家が主張した。彼らは「日本は資本主義でも民主主義でもなく官僚が主導する計画経済国家」と言った。ソ連共産党の最後の書記長であるゴルバチョフも「日本は共産主義の理想の国」と言ったから、東西両陣営から日本は社会主義経済体制と指摘された。しかし二つの見方のうち前者は間もなく消滅した。

90年8月にイラク軍がクエートに侵攻して湾岸危機が起こると、欧米各国の議会はこれにどう対応するかを議論し始めた。ところが日本だけは国会を開かず、橋本龍太郎大蔵大臣がアメリカ政府に支援の金額を打診した。1兆円を超える支援額が決まってから国会が開かれた。

これがアメリカの失笑を買った。資源のない日本にとって中東の石油は経済の生命線である。自国の死活問題を自らの問題と考えず、従って国会も開かず、日本はひたすらアメリカにすがってきた。いずれは大国として自立すると思っていたがそれは間違いだった。この国はいつまでも二流の従属国なのだ。それが当時のワシントンの日本に対する見方である。

筆者は当時ワシントンに事務所を構え、アメリカ議会の日本関連情報を日本に紹介する仕事をしていたから、実際にそうした見方を耳にした。ところが日本のメディアはそれを伝えない。「金だけ出して人を出さなかったから馬鹿にされた」という報道ばかりだった。

アメリカの本音は「足手まといになる人間よりも金の方が有り難い。しかし憲法の制約がある日本に人を出せと言う方が日本を困らせる事が出来る。困らせればさらに日本から金を搾り取れる」というものである。アメリカは、軍事をアメリカに委ねて金を稼ぎ、世界一の金貸しになった国から金を搾り取るのは当たり前だと考えた。

覚醒なき国家に未来はない(1)

 第二次大戦で敗戦国となった日本は、戦後は戦勝国によって従属的地位に置かれてきた。
 

 戦勝国とは1945年2月にヤルタで首脳会談を開き、国際連合(国連)の設立など戦後の国際秩序を話し合い、また7月にポツダムで日本に対する無条件降伏案を作成した米英ソ三国だが、アメリカのルーズベルト大統領がチャーチルとスターリンの反対を押し切って中国を連合国に加え、またチャーチルがフランスにも同等の資格を与えるよう主張したため、戦後、国連の最高意思決定機関とも言うべき安全保障理事会の常任理事国は米、英、ソ、中、仏の5カ国となった。世界を支配する側はこの5カ国である。

 それから四半世紀後、世界の核保有国を米、英、ソ、中、仏だけに限定する核拡散防止条約(NPT)が米ソ主導で作られた。条約は1968年に62カ国が調印して70年に発効した。世界を支配する5カ国には核があり、日本は核兵器を作る能力を持ちながら西ドイツと同様に核保有を禁止された。

 これを不平等だと批判して核を持ったのがインドとパキスタンで、それに核保有をあるともないとも言わないイスラエルはいずれもNPTに加盟していない。最近では北朝鮮がNPTから脱退した。アジアで中国、インド、パキスタンが核を持ち、北朝鮮に核疑惑があっても日本は持つ事が出来ない。

 いや中国が核実験に成功した後、60年代の終わりに日本は核武装を検討した。しかしアメリカがそれを許さなかった。以来、日米同盟の名の下に日本はアメリカの核の傘の下で従属国の地位に甘んじている。これが戦後世界の基本構造である。

 この基本構造の中で覇権争いが繰り広げられてきた。まずは米ソ二大国が対峙した。冷戦の始まりである。米ソは市場経済と計画経済を競い合い、核の数とその運搬手段で軍事力を競い合った。世界は東西両陣営に分かれ、ソ連が共産主義イデオロギーを広めて支配圏を拡大しようとすれば、アメリカは「ソ連封じ込め」戦略でこれに対抗した。

 「ソ連封じ込め」とは、ヨーロッパでは西ドイツを、アジアでは日本を中心にアメリカが経済協力を行い、「反共の防波堤」を作って共産主義の浸透を食い止める事である。連合国と戦って敗れた西ドイツと日本がいち早く廃墟から立ち直り、まもなくアメリカに次ぐ経済大国になったのは「ソ連封じ込め」戦略のお陰である。

 そしてアジアに共産主義中国が誕生し、朝鮮半島が北と南に分裂して戦争を始めると、日本の重要性は飛躍的に高まった。出撃拠点としての基地の提供と補給のための工業化が不可欠となる。こうして戦後の日本は工業国として再建される事になり、1ドル360円の為替レートが工業製品の輸出に有利な状況を作り出した。

 ベトナム戦争が始まるとさらに在日米軍基地の重要性は高まり、東西冷戦の恩恵を受けた日本経済は世界が驚く高度成長を成し遂げた。1968年にはそれまでの西ドイツを抜いて世界第二位の経済大国となった。

 しかし1971年の「ニクソン・ショック」で状況は一変する。ところが日本は「ニクソン・ショック」の意味を自覚しないで生きてきた。それが「失われた時代」につながると筆者は考える。「ニクソン・ショック」とは、アメリカのニクソン大統領が共産主義中国と手を組む事を宣言し、また一方的に金とドルとの交換を停止して固定相場制を変動相場制に変えた事である。

 当時の日本は米中の国交正常化と変動相場制がアメリカの「ソ連封じ込め」戦略の転換を意味し、日本の高度経済成長要因を消滅させると思わなかった。西ドイツがいち早く変動相場制に移行したのとは対照的に、日本は輸出主導を維持するためドル買いに走り、円安を維持しようとしたが円は高騰、無駄な努力で国民の血税を失った。

 アメリカが共産主義中国と手を組む事で、日本は天秤にかけられる事になるが、それを深刻に捉える事もしなかった。当時の日本は戦後最大の外交課題「沖縄返還」に目を奪われていた。

 60年代のアメリカはインドシナ半島から共産主義勢力を一掃するためベトナム戦争に介入した。ところが大量破壊兵器を投入するアメリカ軍に対して南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)はジャングルと民衆の海に潜んで抵抗した。国際世論はアメリカを非難し、泥沼にはまりこんだアメリカの財政は悪化の一途を辿った。

 ケネディ、ジョンソンと二代の民主党大統領が深入りした戦争から撤退する事を考えたのは69年に大統領に就任した共和党のニクソンである。アメリカがベトナムから撤退するには、ベトコンの後ろ盾である中国と話し合う必要があり、また財政赤字によってアメリカ保有の金が流出するのを止めるには通貨安にする必要があるとニクソンは考えた。

 ニクソンの政策によって「反共の防波堤」としての日本の価値は低下した。中国指導部との秘密交渉に当たったキッシンジャー大統領補佐官は、「中国政府には日本にない戦略的思考があり、共通の価値観を共有できる」と述べた。また米中は日米安保条約が日本を強くしない「ビンのふた」であるとの認識を共有した。

Profile

田中良紹(たなか・よしつぐ)

-----<経歴>-----

1945年宮城県仙台市生まれ。
1969年慶應義塾大学経済学部卒業。
同年(株)東京放送(TBS)入社。
ドキュメンタリー・デイレクターとして「テレビ・ルポルタージュ」や「報道特集」を制作。また放送記者として裁判所、警察庁、警視庁、労働省、官邸、自民党、外務省、郵政省などを担当。ロッキード事件、各種公安事件、さらに田中角栄元総理の密着取材などを行う。
1990年にアメリカの議会チャンネルC-SPANの配給権を取得して(株)シー・ネットを設立。
TBSを退社後、1998年からCS放送で国会審議を中継する「国会TV」を開局するが、2001年に電波を止められ、ブロードバンドでの放送を開始する。
2007年7月、ブログを「国会探検」と改名し再スタート。

BookMarks

日本初の政治専門チャンネル!
↓ ↓ ↓
国会TV
http://kokkai.jctv.ne.jp/

-----<著書>-----


『裏支配─いま明かされる田中角栄の真実』
2011年1月、電子書籍


『メディア裏支配─語られざる巨大マスコミの暗闘史』
2005年3月、講談社

-----<編書>-----


『憲法調査会証言集─国のゆくえ』
2004年7月、現代書館

→ブック・こもんず←



当サイトに掲載されている写真・文章・画像の無断使用及び転載を禁じます。
Copyright (C) 2008 THE JOURNAL All Rights Reserved.