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2011年1月29日

野党なき国家の不幸

 1984年(昭和59年)のある日、目白の私邸で田中角栄元総理から「日本の政治で一番問題なのは野党がないことだ」と言われたことがある。

 角栄氏はその前年にロッキード事件の一審判決で懲役4年、追徴金5億円の有罪判決を受け、「自重自戒」と称して目白の私邸に籠もっていた。政治記者になり立ての私は、ひょんなことから「誰とも会わずに暇をもてあましている」角栄氏の「話の聞き役」となり、目白の私邸に通っていた。

「社会党は野党ではない。労働組合だ。日本国家を経営しようとしていない。その証拠に選挙で過半数の候補者を立てていない」。この一言が私の政治を見る目を変えた。メディアの報道で曇らされてきた目から鱗が落ちた。社会党を野党だと思い込んできたマインドコントロールから解き放たれ、まっさらな目で政治を見るようになった。

 田中角栄氏の言うとおり、「野党」第一党の社会党は過半数の候補者を立てない政党であった。全員が当選しても政権交代は起こらない。つまり自民党長期政権を続けさせてきたのは社会党である。政権交代を放棄した社会党が目標としたのは三分の一の議席を確保することであった。それは憲法改正を阻止出来る議席数で、そこから他の国では見られないことが起きた。政権交代より憲法を変えないことが最重要の政治課題になったのである。

 どの国も情勢の変化があれば憲法を見直すことをするが、日本にはそれがない。それをすると「野党」第一党の存在理由がなくなるからである。そして国家を経営しようと思わない「野党」は「何でも反対」するようになった。いつか経営する側に回ると思えば無責任なことは言えないが、政権交代がないから何を言っても気楽である。与党のやることすべてを攻撃し、足を引っ張ることが普通になった。

 「55年体制」下の日本では「嫌がらせ」と「イジメ」の国会運営が横行した。閣僚が国際会議に出席しようとすると、「国権の最高機関である国会を留守にするとは何事か!」と言って出席させない。そのため国会が開かれている期間の外遊は控えられた。英国では閣僚や与党議員の外遊を野党は阻止しない。しないどころか「国益のために頑張ってきて」と送り出される。その間に採決があれば、外遊している与党の人数を野党は自発的に欠席させて公正を期す。

 日本の「野党」は予算の対案を出して競い合うよりも、ひたすら予算を通さなくするために頑張る。何か攻撃材料を見つけては「寝る(審議拒否する)」のである。その材料に最も頻繁に使われたのが「政治とカネ」であった。

 田中角栄氏を逮捕したロッキード事件は国民全員をマインドコントロールにかけるほど衝撃的であったから、それ以来「政治とカネ」は「野党」にとって格好の「寝る」材料となった。民主主義国家では事件は司法の場で裁かれるが、わが国ではわざわざ国民生活の議論をする場の国会で問題にし、国民生活に関わる予算と絡めて野党は「寝る」のである。「国会喚問」や「議員辞職」をやたらに要求する手法がまかり通るようになった。

 当時の自民党は「野党」を「起こす」ためにいろいろと妥協した。今話題の「政治倫理審査会」も「寝て」いた野党を起こすために作られた政治的駆け引きの産物である。作った自民党は誰も政治倫理のためだと思ってはいない。どだいロッキード事件を「田中角栄の犯罪」と言っているのは検察の手先だけで、自民党の中では口には出さぬが「裏のある事件」と考えられていた。

 「野党」には「寝起こし賃」も流れた。海部俊樹氏の「政治とカネ」(新潮新書)にも出てくるが、「野党」を審議に復帰させるために官房機密費から金が流れるのである。最近、官房機密費からジャーナリストに金が流れたことが話題になっているが、それよりも「野党」に流れた金の方が大きいと私は思っている。田中角栄氏は「俺を金権だと社会党は言うが、社会党の方がもっと金権だ。俺は自前で金を作った。だから官僚や財界のひも付き連中とも違う」と言っていた。

 「日本も政権交代を狙う本物の野党を作らなければならない」と言われ始めたのは、ロッキード事件の後からである。東京地検がロッキード事件の真相を解明すれば、自民党は政権を維持できなくなるほどの打撃を受けた。しかし社会党には政権を担う準備も能力もない。だから自民党政権を続けさせるために事件の構図は「変形」された。「変形」されて逮捕された田中角栄氏は、だから全身全霊を懸けて無罪を勝ち取ろうとした。それが派閥政治の弊害を生み、それがまた自民党の凋落を招いた。

 それからの日本政治は政権交代可能な政治構造を作ることが課題となる。言い換えれば本物の野党を作ることが目標となった。1993年、冷戦の崩壊と共に「55年体制」も崩れたが、自民党より先に社会党が消滅したことは象徴的である。その事によって改善が見られるようになった。審議拒否の頻度は減り、「寝起こし賃」もなくなった。閣僚の国際会議への出席を認めないという風潮も薄れた。そして何よりも過半数の候補者を擁立する野党が現れた。

 しかしである。先の臨時国会や今年の通常国会の冒頭を見ると、民主党政権に昔の野党の悪い癖が残っていたり、昔の野党を反面教師にしなければならない自民党が昔の野党丸出しになっている。これでは政権交代が国民のためにならない。

 臨時国会の後、私は「熟議という言葉は国会に殺された」と書いたが、菅総理は性懲りもなく「今度こそ熟議の国会にしよう」と言って通常国会を召集した。しかし昔の「野党」時代の癖が抜けないらしく、言った途端に「攻撃モード」になる。「議論に乗らない野党は歴史への反逆」と凄んでみせた。野党を攻撃して一体国民生活に何のプラスがあるのだろうか。総理の仕事は国民生活を守ることで野党を攻撃することではない。

 同じことは野党第一党の自民党にも言える。昔の「野党」のように「国会喚問」や「議員辞職」を騒いで国民生活に何のプラスをもたらすのだろうか。昔の「野党」は政権交代を狙わないから、予算を通さなくする嫌がらせをして、官房機密費から金を貰ったり、労働組合の処分を撤回させたり、別の様々な要求を与党に飲ませた。政権交代を狙う自民党が予算を通さなくするのは、解散総選挙に追い込むための手段としか考えられない。

 しかし安倍政権が参議院選挙に大敗して「ねじれ」を招いてから、自民党がしたことは総理の首をころころ変えてでも任期満了まで解散をしなかったことである。昔の「野党」にさんざん「嫌がらせ」をされてきた自民党が何のために昔の「野党」の真似をしているのかが私には分からない。

 政権交代を繰り返している国の野党は、すぐに政権を取り戻そうなどとは考えない。如何にそれが不満であっても国民が選挙で選んだ政権と政策である。それを攻撃するだけで国民の支持を得られるとは考えない。まずは選挙に敗れた自らの政策を総点検し、与党の政策を上回る次の政策を準備するために時間をかける。それが野党の仕事である。

 代表質問を聞いていて驚いたのは、小池百合子総務会長が菅総理のダボス行きを「昔の野党のように反対しない」と言った後で、「そのまま帰って来なくて良い」と発言したことだ。ジョークの積もりかも知れないが、ヒステリーにしか聞こえない。先の臨時国会の予算委員会で質問に立った石原伸晃幹事長も酷かったが、これが野党第一党の執行部かと思うと、昔の野党の衣を脱ぎ捨てられない民主党執行部とレベルは同じということになる。

 「日本にも政権交代を狙える野党を作らねば」と言われてから30年以上立つというのに、この体たらくでは国民は不幸になるばかりである。

2011年1月19日

増税の「理」と「利」

 問責を受けた仙谷官房長官の交代に抵抗してきた菅総理は、抵抗しきれないと見るや、財務省念願の消費税増税路線が鮮明となる内閣改造に踏み切り、一方でTPPへの参加を政権の重要課題と位置づけることで、アメリカの戦略に従う姿勢を見せた。そこから見えてくるのは財務省とアメリカを政権の後ろ盾にしたい菅政権の姿勢である。

 戦後の日本を支配してきたのはアメリカと官僚である。政治はそれに従属してきた。政治が国家の最高権力にならないと国民は「主権」を発揮する事が出来ない。民主主義とは名ばかりの「官主国家」が、戦後の冷戦構造によってアメリカに育てられ、高度経済成長を成し遂げた。

 ところが冷戦が終ると状況は一変する。日本を育てる必要がなくなったアメリカは、安保に「ただ乗り」して蓄えた金を日本から搾り取ろうと考える。一方の官僚は構造変化に対応することが出来ず、既得権益を守る立場に汲々とした。こうして日本の沈没が始まる。国家の構造を変えない限り日本は救われない。自立した政治が望まれるようになった。

 それが09年の政権交代に現れたと私は思っている。国民と政党に権力がある国の政権交代は権力を巡る政党同士の戦いだが、日本はそうではない。政権交代してからの1年半、民主党政権は自民党と戦ってきたわけではなく、普天間問題や小沢氏の「政治とカネ」の問題が示すように、アメリカと官僚というこれまでの権力から攻撃された。

 アメリカの日本支配は半世紀以上、官僚の日本支配は一世紀以上だから、政権交代ですぐにひっくり返せる相手ではない。4年がかりで政党政治の足場を築き、次の4年で政治主導を確立するという時間軸で私は見ていた。ところが菅政権は早くもアメリカと官僚に膝を屈した。これでは何のための政権交代だったのかと思えてくる。

 これまでの日本政治を見ると、権力基盤の弱い政権ほど露骨に対米従属の姿勢を打ち出してきた。弱小派閥出身の中曽根康弘氏や小泉純一郎氏の政権はその典型である。田中派とその流れを汲む最大派閥に抗するため、アメリカを後ろ盾にする必要があったからだ。その見返りに日本はアメリカの要求をさんざん飲まされてきた。菅政権の顔の半分はそれである。

 一方で中曽根氏も小泉氏も増税路線は採らなかった。行政改革や構造改革を訴え、増税は他の政権に先送りした。反対に財政当局の望み通りの増税を実現したのは竹下登氏である。党内最大派閥という権力基盤を持っていたから取り組んだが、その竹下氏は消費税を福祉目的税にすることを考えた。しかし官僚に反対されて断念した。

 そこに官僚的発想と政治家的発想の違いを見る。官僚は、何にどう使うかを縛られずに税金を多く取りたい。「使う」方ではなく「取る」方に関心がある。なるべく多くをとって余裕を持って使い道を考えたい。自分の裁量の幅をなるべく広げたいと考えるのである。

 しかし政治家は税金を払う国民に近い立場にいる。日頃から国民に接していると税金を取ることがいかに難しいかがわかる。国民に税金を払ってもらうには、納得してもらえる「エサ」が必要だと考える。何に「使う」かを言わずに「取る」ことなど出来ない。こちらは「取る」よりも「使う」に関心がある。

 強い政権基盤を持つ竹下内閣は消費税の使い道を福祉に限る税制にしようとしたが官僚に反対されて断念した。政権基盤の脆弱な菅政権に何が出来るのか。私は官僚にとって都合の良い方向への「地ならし」の役目を担わされると見る。なぜなら民主党のマニフェストは「使う」ことを先行実施して、「取る」ことを後回しにする内容だからである。

 民主党のこれまでの主張は、1.消費税の増税は4年間やらない、2.する時は選挙で国民の信を問うてから、というものであった。その上で少子化対策としての「子供手当て」や、先進国の中で比率の低い教育投資を増額するための「高校授業料無料化」や、これまで公共事業に頼ってきた農業を振興するための「農家戸別所得補償」など、自民党の言う「バラマキ政策」を打ち出してきた。

. 「その財源は何だ!」と批判する方はやたらとうるさいが、これこそ「使う」を先行実施し、国民に恩恵を与えたうえで、その財源を最初は行政の無駄を省く事でひねり出し、どうしても足りなくなれば、国民にすでに支給されているサービスの財源を消費税にしても良いかと聞くための材料ではないかと私は思ってきた。

 国民は「理屈」で動くものではない。「利益」で動くものである。その事を最も良く理解していたのはあの坂本龍馬である。凡百の勤皇の志士は「尊皇攘夷」を叫ぶだけだったが、龍馬は世の中を動かすのは「理」ではなく「利」である事を知っていた。薩長連合は理屈で出来たものではない。長州には鉄砲を薩摩には食糧を提供するなど、それぞれの藩の欲しいものを取引したから成り立った。それが日本の歴史を変えたのである。

 歴史を変えるとか、政治を行なうとはそういうことで、正論を百万回叫ぶより、欲しいものを呉れてやることだと知っていた龍馬はたぐい稀なる政治家である。この感覚は官僚的思考からは絶対に生まれない。官僚的思考は正しい理屈が実現しないのはおかしいと考えるのである。そして次にそれは国民が馬鹿だからと考え、最後に無理矢理にでも実現しようと考える。だから官僚政治は国民から嫌われる。これまでの消費税の歴史を見てくるとそういう気になる。

 しかし官僚は無理矢理をやっても自分は傷つかない。傷つくのは政治の方である。必ず国民からしっぺ返しを食う。民主党マニフェストのやり方は国民の反発を最小にする方法で消費税の増税をしようとしたものだと思うが、官僚は使い道を政治家に決められてしまう事に反対だ。だからそれを変えようとしている。官僚が政権を「使い捨て」にする例をこれまでも何度も見てきた。さしずめ菅政権に霞が関が期待しているのはそういうことではないか。

2011年1月 9日

百年の孤独

 正月に高級焼酎「百年の孤独」を飲みながら百年前の世界を考えてみた。

 1911年の日本は、その前年に韓国を併合し、朝鮮半島を領有して帝国主義列強に伍す存在となり「東洋唯一の一等国」と言われた。しかし国内では平民が中心の政治を訴える社会主義への弾圧が強化され、1月に大逆事件で幸徳秋水らが死刑となり、8月には警視庁に特別高等警察課が設置されて「特高」と呼ばれる秘密警察の活動が始まった。

 中国では共和制を訴える辛亥革命が起こり、清朝が倒れて孫文が中華民国初代臨時大統領に選出された。辛亥革命を支持する団体の多くは日本国内で組織され、多くの日本人が中国の革命運動に参加した。右翼思想家・北一輝もその一人である。メキシコでは映画「革命児サパタ」で有名なエミリアーノ・サパタが「土地は人民のもの」と主張して政府との武装闘争を開始した。

 そしてこの年イギリスでは下院(庶民院)が上院(貴族院)より優越するという議会法が制定され、「国民主権」の政治が始まった。議会法の成立過程は、「ねじれ」に悩む日本政治にも参考になると思うので少し詳述する。

 イギリス議会は「議会制度の母」と言われる。1265年(文永2年―鎌倉時代)、戦費調達のための重税政策に反発した貴族が、貴族や聖職者、騎士などによる「諮問会議」を国王に開かせたのが起源とされる。議会のメンバーにはその後市民の代表も加えられ、1341年(暦応4年―南北朝時代)には生涯貴族や聖職者からなる上院(貴族院)と騎士や市民で構成される下院(庶民院)の二院制が確立した。

 上院と下院の違いは前者が非民選議員であるのに対し、後者は選挙で選ばれた議員で構成される。ただ性別や納税額などの制約がない「普通選挙」が実施されるのは20世紀に入ってからだから、当時の市民は今の市民と同じではない。

 議会の起源が戦費調達のための重税政策に対する反発だったことからもわかるように、議会の重要な使命は税金の使い道を決めることである。その税金を稼ぎ出して収めるのは国民だから、税金に関わる法案については貴族院よりも下院に優越権があると考えられた。17世紀の半ばから財政法案については下院に優越権が認められている。

 とは言っても、イギリス議会の長い歴史は貴族院と下院との闘いの歴史である。下院議員は権力を持つ国王や貴族に逆らう発言はやりにくい。別々に分かれて協議をし、下院の決定を貴族院議員のいる本会議に出向いて伝える役を下院議長が行ったが、議長は権力者から睨まれる危険を覚悟しなければならない。そのため今でも下院議長に選ばれるといったんは就任を嫌がる仕草をするのが慣習になっている。

 1909年(明治42年)、自由党のアスキス内閣の蔵相ロイド・ジョージは、ドイツに対抗するための莫大な軍事費と社会福祉の財源を捻出するため、地主に増税する予算案を議会に提出した。地主貴族が多数の貴族院はこれを通常の予算案と認めず、社会革命法案だとして否決した。それまで自由党内閣は213法案のうち18法案を貴族院の否決で潰されていた。

 アスキス内閣は貴族院と全面対決する。対決の方法は下院を解散して民意を問うことであった。1910年1月に行われた総選挙は政府与党の勝利となり、貴族院は譲歩を迫られ、やむを得ず予算案を可決した。しかし政府はそれで矛を収めなかった。さらに貴族院の権限を制約する議会法案を議会に提出して下院で成立させた。当然、貴族院はこれに大幅な修正を加える。下院はこの修正案を否決し、再び政府が伝家の宝刀を抜いた。

 こうして1911年8月、議会法が成立し、下院を通過した法案は貴族院の承認なしに成立することになった。貴族院は下院の決定をチェックすることはできるが決定する権限を失った。事実上の一院制になったと言っても良い。それが百年前のイギリスである。

 戦前の大日本帝国議会はイギリス議会を真似て作られ、貴族院が圧倒的な力を持っていた。大日本帝国憲法下の33人の総理はほとんどが貴族院出身で、国民に選ばれた衆議院出身は原敬、浜口雄幸、犬養毅の3人だけである。貴族院は「不偏不党」を掲げて政党政治を嫌い、国民から選ばれた政治家の政治を抑圧することを目的とした。

 その貴族院出身の松本丞治が戦後の新憲法を作る担当大臣となり、GHQの反対を押し切って参議院を作った。この時GHQは「イギリス議会の長い混乱を日本は繰り返すことになる」と反対したが、松本の抵抗で最後は世襲にしないことを条件に参議院を認めた。これがイギリスよりも複雑な「混乱の政治構造」を生みだす。

 総選挙で選ばれた与党は内閣を組織する。ところが参議院選挙で過半数を失うと、衆議院で可決した法案が参議院で否決され、不成立になる。これを覆すには衆議院の三分の二の賛成が必要で、それは極めてハードルが高い。衆議院の可決が民意なら参議院の可決も民意だから、日本の政治は民意で真っ二つに分断される。

 そこにイギリス流の「マニフェスト選挙」が加わってさらに複雑になった。衆議院選挙のマニフェストを選んだ国民が、それと対立するマニフェストを参議院選挙で選べば、どちらの政策も実現できないことになる。与野党が話し合って妥協しろと言っても、異なるマニフェストにはそれぞれ支持する国民が付いているから妥協も簡単でない。「政局よりも政策」と言うのが馬鹿に思えるほど、「政策よりも政局」を何とかしないと何も始まらない仕組みなのである。

 その政治構造を熟知して手を打てる政治技術がない限り、いかなる政策も、いかなる目標も「絵に描いた餅」に過ぎない。ところがそれをわかっているとは思えない政治家の発言が相次いでいる。年初以来の菅総理の発言も谷垣自民党総裁の発言も、まるで現実をわかっていないと私には思える。現在の日本政治を病気に例えれば重篤というのが私の診断だ。

 ただし菅総理が言った「政治とカネの問題にけじめをつける」は、総理とは逆の意味で望むところだ。ロッキード事件以来の「政治とカネ」のマインドコントロールで日本は民主主義の根本を見失った。その「愚民状態」から早く脱しないと重篤は危篤になる。

 議会は国民の税金の使い道を決めるところである。いかに国民生活を守るかを議論するところである。それを官僚任せにして「政治とカネ」の議論に終始してきたわが国の国会の馬鹿馬鹿しさを私はこれまで嫌というほど見てきた。証人喚問だの、議員辞職だのとさんざん騒いで大事な国民生活に背を向けてきたこれまでの阿呆な政治には反吐が出る。

 百年前から「政治とカネ」が官僚権力の民主主義を抑圧する仕掛けであったことに気付かないとこの国は沈没する。その意味で今年はぜひ「政治とカネ」にけじめをつけ、「国民主権」の政治が始められるようにして欲しい。「百年の孤独」を飲みながらそう思った。

Profile

田中良紹(たなか・よしつぐ)

-----<経歴>-----

1945年宮城県仙台市生まれ。
1969年慶應義塾大学経済学部卒業。
同年(株)東京放送(TBS)入社。
ドキュメンタリー・デイレクターとして「テレビ・ルポルタージュ」や「報道特集」を制作。また放送記者として裁判所、警察庁、警視庁、労働省、官邸、自民党、外務省、郵政省などを担当。ロッキード事件、各種公安事件、さらに田中角栄元総理の密着取材などを行う。
1990年にアメリカの議会チャンネルC-SPANの配給権を取得して(株)シー・ネットを設立。
TBSを退社後、1998年からCS放送で国会審議を中継する「国会TV」を開局するが、2001年に電波を止められ、ブロードバンドでの放送を開始する。
2007年7月、ブログを「国会探検」と改名し再スタート。

BookMarks

日本初の政治専門チャンネル!
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国会TV
http://kokkai.jctv.ne.jp/

-----<著書>-----


『裏支配─いま明かされる田中角栄の真実』
2011年1月、電子書籍


『メディア裏支配─語られざる巨大マスコミの暗闘史』
2005年3月、講談社

-----<編書>-----


『憲法調査会証言集─国のゆくえ』
2004年7月、現代書館

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