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2010年10月26日

予算委員会の不思議

 予算委員会は予算の審議をするところである。ところが国民は予算委員会で予算の議論を見た事がない。テレビ中継がある時は何を質問しても良い事になっているため、予算委員会では専ら「政治とカネ」の追及が行なわれてきた。何故予算委員会で「政治とカネ」が追及されるのか、誰も不思議に思わないからこの国は不思議である。

「政治とカネ」を追及する分だけ予算の議論を行う時間は削られる。国民から預った税金を何にどう使うかを議論する筈の予算委員会が、スキャンダル追及を優先しているから税金の使い道が分からなくなる。国民は口を開けば「政治には景気対策をしっかりやって欲しい」、「福祉に力を入れて欲しい」、「老後の安心を作って欲しい」と言うが、スキャンダル追及を優先して税金の使い道を議論しない国会をおかしいとは言わない。

 国民は一方で「疑惑をかけられた政治家は国会で説明すべきだ」と訳の分からぬ事を言うから、このやり方がまかり通ってきたのかもしれない。しかし国会の貴重な時間を「疑惑の説明」などに使ってもらっては困るのである。刑事訴追されれば「疑惑の追及」は司法の場で行えば良い。国会でやるにしても予算委員会でないところでやるべきだ。ところがこの国では昔から「予算は人質」となり、予算委員会で必ずスキャンダル追及が行われてきた。

 それが何故かをこの臨時国会と絡めて説明する。今度の臨時国会は何のために開かれたか。世界経済の危機的状況を受けて日本経済を立て直すための施策を議論するために開かれた筈である。ところが10月1日に招集された臨時国会に補正予算案はまだ提出されていない。従ってこの1ヶ月、予算委員会では予算と全く関係ない「政治とカネ」と「尖閣問題」が議論されてきた。

 予算案が提出されていないのに予算委員会を開くというのも不思議な話だが、この国には予算の中身を国会で議論して最上の予算を作るという考えがない。与党は予算を官僚に丸投げする。野党はひたすら「予算を人質」に取って成立させないよう頑張る。現在は「ねじれ」があるので成立させない事は容易に可能である。「ねじれ」がなかった時代には、野党がマスコミと国民を味方に付けなければ頑張れないから、「政治とカネ」を予算委員会で追及し、マスコミを騒がせ、国民を怒らせるようにしてきた。

 「人質」に取られた予算を成立させるには、政府与党が予算の中身の正当性を主張しても始まらない。「人質」を取り戻すための取引材料が必要になる。そして野党は予算を絶対に成立させないのではない。予算を成立させないと国民から非難を浴びるから最後は成立させる。要は予算をエサになにがしかの利益を得たいのである。だから取引の程度によって早期成立になったり、時間がかかったりするのである。

 従って昔の自民党は野党が要求する国会の証人喚問に応じたり、裏で労働組合のスト処分に手心を加えたり、官房機密費から野党に裏金を渡したり、色々と取引に応じてきた。野党は「予算を人質」にして色々と旨味を味わってきた。

 リクルート事件の時など予算は5月になっても成立せず竹下総理の首が差し出された。総理の急な退陣で後継者の準備もなく、総理になる筈のない総理が次々に誕生する事になって日本は漂流を始めたが、しかしその時も誰も予算の中身など問題にしていない。予算はいつも官僚が作ったままの形で成立してきた。

 その結果、わが国の政府は莫大な借金を抱えるようになった。政府に金を貸しているのは国民だから、政府の借金は国民にとっては資産である。しかもきちんと金利を払って貰える優良資産である。ところが政府はこの赤字を国民の借金であるかのように喧伝し、孫子の代にまでツケを残すと国民を脅して税金を上げようとしている。

 全ては予算委員会で真面目に予算の議論をせず、チェックしないで来た事のツケである。予算委員会でチェックしてこなかったから、今頃になって「事業仕分け」が必要になった。政権交代をしたら予算委員会ぐらいまともになるかと思ったらとんでもない。昔ながらの予算委員会が今なお続いている。

 この臨時国会が召集されてから1ヶ月後に菅内閣は予算案を提出し、1,2週間程度の短い審議時間で衆議院を通過させようとしている。「熟議」の国会と言うが、中身の議論など真面目にやろうとしていない。衆議院通過の時に与党から野党に「お土産」を渡し、次に与野党逆転の参議院ではより大きな「お土産」を渡して切り抜けるつもりのようだ。その土産を作るために予算委員会で「政治とカネ」と「尖閣問題」の議論をやってきたのである。

 「衝突のビデオテープ」や「小沢氏の国会招致」を取引材料にするつもりだろうが、しかしいつまでこんな馬鹿馬鹿しい国会を続ける気でいるのだろうか。野党の自民党はかつての野党の馬鹿馬鹿しさを良く知っている筈だが、今では全く同じ馬鹿になろうとしている。それでは政権に復帰してもろくな政権になれる筈がない。国民が勘違いして再び自民党政権が出来ても「ねじれ」は変わらないから、安倍、福田、麻生政権と同じように所詮は短命の政権が出来るだけの話である。

 小沢元幹事長の証人喚問が取引材料として取り沙汰されているが、これまで予算委員会で行われてきた証人喚問がどれほど不毛なものであったかを議員を含めて国会関係者は今一度思い起こして貰いたい。これまでの証人はみな「刑事訴追されているので答弁は差し控える」と繰り返してきた。国会で疑惑解明など出来る筈がない事は何度も証明済みである。繰り返すが疑惑があれば司法の場で行えば良い話なのである。

 かつてリクルート事件で証人喚問を要求された中曽根元総理は頑として証人喚問に応じなかった。困った竹下総理が議院証言法を改正して映像の撮影を禁止し、中曽根氏に喚問に応ずるよう説得した事がある。そのため一時期「静止画像」という奇妙な形の証人喚問が行われた。私は世界に対して恥ずかしいと思った。

 何が恥ずかしいかと言えば、本人の意思と関係なく喚問を公開する日本の感覚である。中曽根氏の場合、本人は嫌がったが「静止画」と音声が公開された。しかしアメリカ議会で公開か非公開かを決めるのは証人である。証人が非公開を望めばメディアの取材も禁止される。目的が疑惑解明ならそれで十分の筈だ、それが民主主義の根本の思想である。

 所がこの国の国会はおよそ民主主義とは縁遠い政治パフォーマンスにうつつを抜かしてきた。証人喚問も本人の意思とは無関係に強制的に公開になる。それを馬鹿なメディアが「国民の知る権利」などとトンチンカンな事を言う。そのくせ国会が最重要の課題としなければならない国民生活に関わる議論をしなくとも誰も批判しない。民主主義の根本が狂っているのである。

 北海道5区の補欠選挙は「政治とカネ」が最大のテーマと言われた。そのため予算委員会の議論も「政治とカネ」に力が入り、最高裁は「政治とカネ」で有罪になった鈴木宗男氏の上告を退け、小沢氏は検察審査会で強制起訴になり、あらゆる状況が自民党候補者に有利に働くように作られた。その結果、自民党候補者が勝利したが、本当に「政治とカネ」で勝利したのだろうか。

 「政治とカネ」が争点と言われた事に嫌気がさしたのか、投票率は史上最低になり、去年の衆議院選挙を23%も下回った。勝利した自民党の町村候補は、去年獲得した票を3万票も減らした。北海道新聞の調査では「選挙で何を重視するか」と問われた有権者の58%が「社会保障」と答え、「政治とカネ」と答えたのは14%しかいなかった。にもかかわらず政治家とメディアは選挙結果を「政治とカネで自民党が大勝した」と言う。「政治とカネ」のキャンペーンで生み出されたのは自民党に対する支持ではない。政治に対する嫌気である。その事に気付かないと再び政治は痛撃を受ける。

2010年10月 6日

痴呆国家

 11人の愚か者が1億3千万人の国民生活の足を引っ張る判断をした。政治を裁く事の重みを知らない下衆(げす)の感覚によって、この国の政治は混乱させられ、世界に類例のない「痴呆国家」になろうとしている。

 検察審査会の議決を「市民目線」と評価したり、「小沢氏は議員辞職すべきか」と質問したり、小沢氏を国会に証人喚問すべきだなどと主張する馬鹿がこの国にはいる。今回の容疑事実を知り、検察審査会の仕組みを知ったら、恐らく世界はその馬鹿馬鹿しさに驚くに違いない。しかしその愚かさに気付こうとしないのだから「痴呆」と言うしかない。

 やはりこの国は驚くべき未熟政治国家である。何故そうなるのか。私は国民が全く「政治教育」を施されていないからではないかと考える。子供の頃から教えられるのは、日本は民主主義で、三権分立であり、国会が国権の最高機関であるという建前の話だけである。現実の政治がどのように動いていて、建前と現実との間にどのような乖離があるかなど絶対に教えてもらえない。

 建前しか教えられていないから、日本人は民主主義を「素晴らしい制度」だと思い込み、その上で「反権力であることが民主主義」だとか、「庶民感覚を大事にする事が民主主義」だとか、とんでもない嘘を吹き込まれている。国民が投票で選び出した政治権力は国民と一体の筈であり、諸外国の謀略に打ち勝たなければならない政治家に庶民感覚を求めても意味がない事を知ろうとはしない。

 その庶民は、政治にとって最も大事な権力闘争を「汚れた行為」と捉え、物事を実現するために権力を集中させれば「反民主主義」と叫び、民主主義のかけらもない官主主義の国を民主主義国だと信じ込む。政治家を口を極めてののしるかと思えば、まるで芸能人を見るかのようにあがめ奉る。民主主義は衆愚政治と紙一重だが、この国では官主主義が国民を愚かにしている。

 英国のチャーチル元首相に言わせれば民主主義は「最悪の政治制度」であり、政治は人間の欲望がむき出しになる世界である。そういう事をこの国では決して教えない。学校は政治教育を忌避し、教える教師もいない。国民に主権を発揮されては困る官僚にとって、政治教育がない事は何よりである。国民が目覚めて本当の民主主義をうち立てられては困るからだ。

 かつて私が提携したアメリカの議会中継専門放送局C-SPANは、国民に対する政治教育を目的に設立された。議会の審議を放送する一方で、選挙権のない若者に対する政治教育に力を入れていた。議会審議のビデオテープを学校教育に使うように全米の大学と高校に働きかけている。

 私は実際に議会審議のテープを授業に使用しているイリノイ州の大学を取材したことがある。教授が選んだ審議の映像を学生達に見せ、それを巡って学生が討論を行うという形の授業だった。現実の政治家の議論が教材になっていた。そしてC-SPANは中継車で全米の大学と高校を回り、学生達の政治討論番組を生中継している。

 ある時、テレビを見ていたレーガン大統領が高校生の討論に電話で飛び入り参加した。それが全米で話題となり、私は素直に「素敵な話だ」と思った。日本にもC-SPANのようなテレビ局を作りたいと思った。勤務していたテレビ局を辞め、開局の準備を進めながら、まずは文部省に協力を求めに行った。

 アメリカの例を説明しながら、日本で「国会テレビ」を開局したら、高校と大学だけでなく義務教育の中学校にも普及させたいと言った。すると役人から「社会党と共産党の発言しか見せない先生がいるから」とすげなく協力を断られた。

 アメリカの大学の卒業式では決まって政治家が卒業生へのはなむけのスピーチをする。その時に党派が問題になることなどない。しかし日本では大学が政治家にスピーチを頼む事は滅多にない。そもそも政治家は国民の投票で選ばれた国民の代表である。にもかかわらず政治家は反教育的存在と見なされる。こうした事に私は長い官僚主導国家の岩盤の存在を感ずる。

 そういう国の国民だから、検察審査会の議決で政治を裁く事の重みなど感じない。愚かな11人は極めて非論理的で情緒的な判断を下した。公開の場の裁判で白黒をはっきりさせて欲しいなどという「願望」で政治を混乱させている。裁判で白になっても時間は戻らない。政治を混乱させた罪はどうなるのか、国家的損失をどう償う事が出来るのか。これは日本の司法の一大汚点となるのではないか。

 検察審査会制度はGHQの占領政策の一環である。特捜部と相前後して生まれた。独立したにもかかわらず、日本はいつまでアメリカの占領政策を引きずるのか。いつになったら自前の国造りが出来るのか。とても不思議で仕方がない。

 しかもその検察審査会が強制起訴まで出来るようになったのは、政権交代の総選挙を前に、それを阻止しようと思ったのか、東京地検特捜部が西松建設事件を、大阪地検特捜部が郵便不正事件の捜査に着手して民主党の代表と副代表をターゲットにした「でっち上げ」捜査を行っていた矢先である。「でっち上げ」が上手くいかなくなっても、素人の国民をちょっと洗脳すれば強制起訴に持ち込めると考えたとしても不思議でない。

 目的は以前から何度も書いてきたように小沢氏を有罪にする事ではない。民主党を分断することである。だから鳩山由紀夫氏は白で小沢氏は黒の流れになる。私の知る法曹関係者はみな「鳩山が白なら小沢はもっと白だ」と言う。一連の捜査は刑事目的ではなく政治目的なのである。小沢氏が無罪になっても十分に目的は達せられる。しかしこんな馬鹿をやっている暇は今の日本政治にはない筈だ。まさに「痴呆」と言うしかない。

2010年10月 3日

再び「日本の外交力」について

 尖閣諸島沖での衝突事件を巡り、日本政府の対応に「弱腰」、「腰抜け」の大合唱が起こっている。私も日本政府の対応に呆れた一人だが、しかし「弱腰外交」に呆れたのではない。日本政府の「戦略なき判断」に呆れたのである。それにしても「弱腰」と叫んでいる連中の「幼稚さ」にもほとほと嫌気がさす。つくづく外交音痴の多い国だと思う。

 問題は日本の領海内で操業していた中国漁船に日本政府が「初めて」国内法を適用して逮捕した事にある。それまでの自民党政権は中国漁船を追い出すことはしても逮捕はしなかった。言い換えれば民主党政権は自民党政権の「弱腰」から「強腰」に転じようとしたのである。中国政府は初めての「強腰」に面食らったに違いない。拳を振り上げざるを得なかった。当初、私は逮捕の背景に何があるのかをいぶかった。

 民主党政権は自民党政権より「反米親中」と見られているのを払拭しようとしたのか。それとも中国との間に我々が知らされていない重大事案が発生したのか。領土問題をアピールするための中国の挑発に乗せられたのか。或いは日中の対立はアメリカの利益だからアメリカに誘導されたのか。色々と想像を巡らした。

 ところが公表されているのは、当時の岡田外務大臣と前原国土交通大臣が「領海内で起きた事だから粛々と国内法を適用すべきだ」と主張して逮捕に踏み切ったのだと言う。自民党政権より「毅然」としている所を見せたいという意識があったようだ。しかし民主党政権は「毅然」とする事で如何なる利益を得ようとしたのか、それが分からない。

 「粛々と法を適用する」だけなら政治家は不要である。官僚に任せれば良い。政治家は「法を越えた判断」、「法を越えた知恵」を出す必要があるから存在する。そして外交には特にそれが必要だ。世界は自国の利益を得るために「法を越える」事など日常茶飯事である。嘘と謀略の世の中で「毅然として」不利益を被るのでは「バカ丸出し」と言われる。

 これまで尖閣諸島は日本が実効支配してきたから日本にとって領土問題はなかった。中国が領有権を主張して漁船がやって来ても追い返せば良かった。逮捕して事を荒立てると中国の思惑通りになり、領土問題に発展する可能性があった。領土問題となれば最後は力の勝負になる。それは日本にとって現状より面倒である。

 中国人船長の逮捕によって中国が反発を強めるとすかさずアメリカがやって来た。「尖閣諸島は日米安保の適用範囲である」と言って日本支持の姿勢を見せつつ、「日本の防衛費を増額して中国を牽制しろ」とか、「パラオ諸島で日米合同軍事演習をやって牽制するのも良い」とか色々提案してきた。日中が対立すればアメリカは喜ぶ。日本に協力する事で日本から金を吸い上げることが出来るからである。しかし金は吸い上げてもアメリカが日本の味方をする事は決してない。

 日本では「日米安保条約で日本は守って貰える」とか「だから日米同盟が大事だ」と言う人達がいるが、それは錯覚である。「同盟」を結んだからと言って守られる事などないと考えた方が良い。日本を守ることがアメリカの国益に合致すれば守るが、不利益ならば「同盟」を破棄するか無視をする。因みに「日米安保の適用範囲」と言っても、日中が衝突したらアメリカが介入するという意味ではない。アメリカは領土問題にはあくまでも中立の立場だと主張している。

 当たり前の話だが日中の対立は日中の双方にとって不利益で、第三者にとって都合が良い。そう思うから表の強硬姿勢とは裏腹に中国は当初から民主党政権に色々とサインを送ってきたようだ。ところが「毅然とした」ポーズをとり続ける民主党政権にはそれが通じなかった。普通どの国でも表で強硬な姿勢を見せる時は裏で妥協の道を探るものである。それがこの国には通じなかった。

 以前書いた「日本の外交力」でも紹介したが、レーガン政権時代にイランと国交断絶したアメリカが裏でイランに食糧を輸出しているのを私は見た。さらに武器まで輸出していた事を後に知った。外交とはそういうものである。だからアメリカがイラン、イラク、北朝鮮を「悪の枢軸」と呼んだ時も私は額面通りに受け取らなかった。対立してみせる事が国益であり、「悪の枢軸」がなくなれば困るのはアメリカである。裏で通じている可能性を排除する事は出来ない。

 しかも外交には「本気度を試す」と言うことがある。わざと本音とは異なる事を言い張って、相手の本気度や政治的力量を試すのである。鳩山政権は普天間問題でアメリカから本気度を試され、今度は菅政権が中国から本気度を試された。その間に誰がどういう言動をしたかを相手はじっと見ている。そしてそれがその後の交渉材料として使われる。誰が甘いか、誰がタフか、誰がバカかの情報収集は既に終わった筈である。

 日中の双方が不利益な事をいつまでも続ける訳には行かない。どこかで収拾を図る必要があった。その収拾のさせ方がまた異様だった。逮捕は「粛々と法を適用する」という政治以前の「幼稚な思考」だったが、こちらは大いに政治的な裏がありそうなのである。検察が中国人船長を突然「処分保留」で釈放したが、政治的な介入があったと思わせるタイミングと言い振りであった。

 そこで「弱腰」、「腰抜け」の大合唱が起きた。時あたかも臨時国会が始まる直前である。「ねじれ国会」の最大テーマは「補正予算」と「尖閣問題」になった。私は政界再編に影響する郵政改革法案の帰趨に関心を持っていたがその影が薄くなった。補正予算は自民党の石原(テレビ用)幹事長の発言を聞くと、「成立に協力する」と聞こえるから、自民党にここで菅政権を追いつめる気はないのかもしれない。

 そして尖閣問題は最後は大林検事総長の責任問題と絡む流れである。検察庁は今、前代未聞の不祥事に揺れているが、大林検事総長は民主党の小沢一郎氏に近いという見方があり、今月中と言われる検察審査会の議決と絡んで今後はこれらの問題が小沢対反小沢の戦いにつながっていく事が予想される。そしてこれらの連立方程式を解くためには今後の国会の行方を見定める必要がある。

 そこで「弱腰外交」の大合唱に戻る。かつての自民党政権は「弱腰外交」をやりながらしっかり実益を確保してきた。日米経済摩擦を思い起こせば分かるように、それが日本バッシングを引き起こした。日本がバッシングを受けたのは相手の利益を奪ったからである。実を取ったから日本は名を捨てた。しかもそれで日本は世界一の金貸し国となった。当時の日本は「侍」ではなく「商人」である事を自認していた。

 「商人国家」を目指すことが良かったかどうかは分からないが、そのうちアメリカが日本から金を吸い上げるようになってバッシングは止んだ。小泉政権以降はアメリカからパートナーとして誉められた。誉められた日本がどれほどの実を取ったかと言えば、「失われた時代が終わらない」と言っているのだから、ないという事だ。日本の富は守られていない。むしろ奪われている。それが政権交代が起きた一因でもある。

 「弱腰」をやめて「侍」の国になると言えば、すぐにこの国は「核武装」の議論になる。国際社会の見ている前でそんな議論をするほどバカな事はない。どの国でも安全保障の議論はオープンな場ではやらないものだ。それも分からないような国に抑止力など持てる筈がない。所詮身に付かないことはやらない方が良い。「弱腰外交」を批判するのはその程度の連中なのである。

 なぜその程度になったかと言えば、アメリカの核の傘に守られて自立することを忘れたからである。日本に必要なのは核の傘から脱して核武装するのではなく、核の傘から脱して自力で生き抜く決意をすることである。世界最強の軍事力を持つアメリカは第二次世界大戦後は戦争に勝っていない。朝鮮戦争は引き分け、ベトナム戦争に敗れ、イラクでもアフガンでも勝利したとは言い難い。問題は軍事力ではない。自力で生き抜く決意である。あらゆる知恵を外交に注ぎ込む事である。自立しなければ外交力も生まれない。

Profile

田中良紹(たなか・よしつぐ)

-----<経歴>-----

1945年宮城県仙台市生まれ。
1969年慶應義塾大学経済学部卒業。
同年(株)東京放送(TBS)入社。
ドキュメンタリー・デイレクターとして「テレビ・ルポルタージュ」や「報道特集」を制作。また放送記者として裁判所、警察庁、警視庁、労働省、官邸、自民党、外務省、郵政省などを担当。ロッキード事件、各種公安事件、さらに田中角栄元総理の密着取材などを行う。
1990年にアメリカの議会チャンネルC-SPANの配給権を取得して(株)シー・ネットを設立。
TBSを退社後、1998年からCS放送で国会審議を中継する「国会TV」を開局するが、2001年に電波を止められ、ブロードバンドでの放送を開始する。
2007年7月、ブログを「国会探検」と改名し再スタート。

BookMarks

日本初の政治専門チャンネル!
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国会TV
http://kokkai.jctv.ne.jp/

-----<著書>-----


『裏支配─いま明かされる田中角栄の真実』
2011年1月、電子書籍


『メディア裏支配─語られざる巨大マスコミの暗闘史』
2005年3月、講談社

-----<編書>-----


『憲法調査会証言集─国のゆくえ』
2004年7月、現代書館

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