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「ねじれ」にお気楽な人たち »

誰も言わない龍馬伝

 坂本龍馬は今や国民的英雄である。幕末維新の激動期に一介の浪人でありながら薩長同盟を実現させ、大政奉還を図った話を知らない人はいない。しかし龍馬に「閑愁録」と「藩論」という二冊の出版物があることを知る人は少ない。

 あの司馬遼太郎氏の「竜馬がゆく」では、「竜馬は『藩論』という新国家構想についての評論を口述して長岡謙吉が文章にし、長岡自身も『閑愁録』という宗教問題をあつかった評論を書き、いずれも著者名をいれず、『海援隊蔵版』という名目で出版した」と簡単な記述があるだけで、その内容や意味するところには言及していない。

 因みに司馬氏は「閑愁録」を長岡謙吉の著作としているが、「閑愁録」は「キリスト教を禁じてはいけないが、日本人が古来から信じてきた仏教を捨ててはならない」という内容で、キリスト教信者として土佐藩から蟄居を命ぜられた事のある長岡謙吉の書というより、これも龍馬の思想的影響によって書かれたと考えるのが妥当だと思う。

 「閑愁録」は慶応3年5月に出版された。その翌月に龍馬は夕顔丸に乗船し、長崎から上京する船中で長岡謙吉に「船中八策」を口述筆記させている。ここに徳川幕府に代わる近代国家の構想が初めて提示された。

 それによると、まず徳川は政権を朝廷に返還し、次に二院制の議会を設置してすべてを議論で決し、有名無実の官を廃して天下の人材を登用し、外交の確立と憲法の制定を行い、海軍の強化など兵制を確立し、さらには外国と対等の為替相場を実現する事を提案している。龍馬は封建的専制政治から二院制議会による立憲政治への転換を指し示した。

 その後、龍馬の考える大政奉還の方針と薩長の武力倒幕の方針とが激突する。龍馬は力による政権交代を徳川の権力が薩摩や長州に移るだけだと捉え、「公武合体」、言い換えれば「大連立」による平和的政権交代に情熱を注いだ。実際、慶応3年10月に徳川慶喜が大政奉還を決断すると「慶喜のために一命を捧げる」とまで言って涙を流し、ただちに新政府の人事案作成に取りかかっている。

 内閣総理大臣に当たる関白に公家の三条実美、副総理に当たる副関白に徳川慶喜を充て、それを支える重役には四賢候と呼ばれた藩主や岩倉具視らの公家、さらに西郷、大久保など薩長の藩士と学者の横井小楠も内閣に参加させている。いわば幕末日本のドリームチームとも言える布陣を考えた。

 ところが武力倒幕を準備していた岩倉や薩長にとって龍馬の大政奉還論は障害であった。西郷の命を受けて江戸市中を荒らし回る「御用盗」が組織され、徳川幕府に対する挑発行為が始まる。その頃に京都で龍馬は暗殺された。挑発に乗った幕府が江戸の薩摩屋敷を攻撃した事から、大政奉還したにも関わらず、戊申戦争の幕が切って落とされ、賊軍となった幕府と官軍との戦いが始まるのである。

 「藩論」は戊辰戦争がまだ終わらない明治元年12月に出版された。木版16頁の小冊子だが新時代に藩が行うべき政治の在り方が書かれている。そこには、藩にあって領民は全てが平等であり、武士階級以外の町人や農民にも選挙権を与え、しかし衆愚政治に陥らぬよう一回の選挙で選ばれた人々がさらに互選によって有能な人物を選び出し、議会制度で政治を行うべきだと書かれている。

 「藩論」の内容に衝撃を受けたのは日本人ではない。日本に駐在していた英国公使パークスである。英訳された「藩論」が英国外務省に送られた。英国外務省公文書館に保存されていた「藩論」が世に出たのは明治43年である。貴族院議員の千頭(ちかみ)清臣が英字新聞「ジャパン・クロニクル」に「日本に於ける立憲思想の原点」として英語版「藩論」を掲載した。こうして世に出た「藩論」の思想を日本人が知らないのは何故なのか。

 坂本龍馬の「船中八策」は明治天皇の「五箇条のご誓文」にある「広く会議を興し万機公論に決すべし」の原型になったと言われる。しかし「藩論」を読むと全く違うと私は思う。幕末に議会制の導入を考えていたのは龍馬だけではない。幕臣の勝海舟や西周(あまね)らも考えていた。特に西周は英国型の二院制を日本に取り入れ、上院議員には藩主、下院議員には藩士がなり、上院議長に徳川慶喜が就任すれば、徳川体制は温存されると考えた。

 「五箇条のご誓文」を書いたのは木戸孝允らだが、龍馬のように庶民にまで選挙権を与えようとした訳ではない。あくまでも武士階級による合議制が言われたに過ぎない。国民から選ばれる民選議会は明治23年にようやく実現するが、それも国民の1%程度に選挙権が与えられただけで、普通選挙法が実現するまでにはさらに35年を要した。

 徳川時代の身分制は廃止されても、明治2年には「皇族、華族、士族、平民」という新たな身分制が生まれ、明治3年には絶対的な天皇権力をうち立てるため天皇を神格化し神道を国教とする祭政一致の国家方針が示された。そのために古来からの仏教施設を破壊する「廃仏毀釈」が行われる。この愚行も仏教を捨ててはならぬとした「閑愁録」の思想と反する。

 明治4年に欧米を視察した岩倉使節団が強く影響を受けたのはプロシャの鉄血宰相ビスマルクで、議会嫌いのビスマルクから絶対君主と官僚による国造りが進言された。こうして薩長藩閥政府による官僚政治が始まり、士族以上の階級が官僚となって平民を支配し、「官吏侮辱罪」と「公務執行妨害罪」によって「官尊民卑」の思想が育まれた。

 このように龍馬の思想は明治政府に生かされる事はなかった。薩長藩閥政府に対抗した自由民権運動の中に龍馬の夢は甦るが、しかし官僚政府はこれを厳しく弾圧し、ようやく国会が開設されると、今度は選挙で選ばれた政治家を無力化する施策が打ち出された。「超然主義」を宣言した政府は国会が決めた事を「超然と」無視する姿勢を貫き、力のある政治家が現れると必ず「金権」のレッテルを貼って国民の怒りの対象にした。

 国民が選挙によって権力を作る。龍馬が夢見た基本的な原理を明治以来の官僚権力が阻んできた。そのため薩長倒幕派に都合の良い龍馬像に光が当てられ、龍馬の思想は封印されてきたと私は思う。戦後民主主義と言ったところで、占領下ではアメリカという絶対権力に支配され、独立後は選挙で過半数を超える候補者を立てない「野党」の存在によって国民は権力を作ることが出来なかった。

 初めて龍馬の夢が叶ったと思わせたのが昨年の選挙である。初の政権交代は海外からも注目された。ところが1年を経て見えてきたのは衆参の「ねじれ」が付きまとうこの国の政治構造である。今後民主党が政権を続けても自民党に政権交代をしても両党とも「ねじれ」を解消するのは容易ではない。つまり国民が選挙で作る権力は常に非力にしかならない。これは官僚権力にとって望ましい状況である。

 この大本を変える事が出来るのは従って選挙ではない。日本国憲法に関わる話だから民主党と自民党とが手を組まない限り実現しない。龍馬が情熱を注いだ「公武合体」のように「大連立」的状況だけが国の構造を変え得る手段となる。妙な話だが「民主主義的でない」と思われている方法が「民主主義を強くする」唯一の方法となるのである。

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■第7回 居酒屋田中塾開催のお知らせ 8月24日(火)19:00〜

http://www.the-journal.jp/contents/info/2010/08/7_8241900.html

《THE JOURNAL》の人気コラム『国会探検』でおなじみの田中良紹さんによる「居酒屋田中塾」の第7回日程が、8月24日(火)に決定しました!

場所は前回と同じく、《THE JOURNAL》編集部イチオシの店「宮崎焼酎 弦月」で行います。

田中良紹さんによる「政治の読み方・同時進行編」を、美味しいお酒と共に。

ぜひ、奮ってご参加下さい!

*   *   *   *   *

【日時】
2010年 8月24日(火) 19時〜20時半

【会場】
宮崎焼酎 弦月 六本木店

【会場詳細URL】
http://r.gnavi.co.jp/a301800/

【住所】
東京都港区六本木7-8-16 小河原ビル1F

【アクセス】
都営大江戸線六本木駅 7番口 徒歩1分 
地下鉄日比谷線六本木駅 4A出口 徒歩3分 

【会場の電話番号】
03-3403-1013

【参加費】
3,000円(ビール・おつまみが付きます)
※20時半以降は店のご厚意により宴会(実費)が可能です。ご希望の方は入場の際にお申し付け下さい。

【申し込み方法】
下記URLから必要事項にご記入の上、記入欄に「年齢・ご職業・TEL」を明記してお申し込み下さい。(記入に不足がある場合、正しく受け付けることができない場合がありますので、ご注意下さい)
http://www.the-journal.jp/t_inquiry.php

*   *   *   *   *

■コメント投稿について編集部からのお願い

《THE JOURNAL》では、今後もこのコミュニティーを維持・発展させていくため、コメント投稿にルールを設けています。投稿される方は、投稿前に下記のリンクの内容をご確認ください。

http://www.the-journal.jp/contents/info/2009/07/post_31.html

ご理解・ご協力のほどよろしくお願いいたします。

>小沢は最後の賭けに出たほうが・・・

普天間で沖縄の基地問題が全国に知れ渡ったことは安保を再考する意味で歓迎すべきことでしょう。いざ普天間の負担の解消で移転先の代替地の協力を求められると、殆どの道府県がしり込みするアメリカ頼みの軟弱な安保論です。我が身の安定ばかりを考える政治家や行政の上層部は総論賛成と各論反対、建前と本音を使い分ける安保さん達は、オキナワの負担論で笑えない話です。

落ち武者守屋元次官おじさんの発言で、過去の沖縄稲嶺元知事とのやりとり、防衛官僚時代、政治家や防衛大臣との、普天間問題の政策の駆け引きの虚々実々が過去の守屋日記に克明に記されているようだ。日々の詳細記録努力の事実はたいしたものだと思う。とは言え被接待、収賄の記述はさすがに日記になかろうかと覗いてみたい。 贈収賄に関わり霞ヶ関を追放された時点では同情の余地はなかったが、過去の事実を暴露する姿勢には協賛を感じる。人間開き直り、裸になると強いとどなたか申していた。


現役時代普天間に関わりのあった政治家や、防衛官僚そして現在、過去の内閣にとっても隠したいであろう事実が公になり、その為に苦虫を噛んでいる人達がいることが想像できる。守屋を引き取り世話する既得権益者が身近にいなかったようだ。事実を語り表に登場する守屋への報道の取り上げ方は、今後も週刊誌的だろうがワイドショウてきだろうが歓迎すべ事だと思う。暴露は国家の管理者にとって不利であり国民にとってプラスでしょう。


・稲嶺元知事は県民の民意を真摯にストレートに捉えていなかった。知事選挙で米国の後押し、東京自民党から金銭的な支援を受けていた。
・稲嶺の跡を継いだ仲井真現地知事は、民意を大事にする意味ではむしろ稲嶺より後退している。ローカル官僚出身にありがちな古い時代の土建屋とつるんだ、何の政治的矜持もない。担がれたヘタレ知事である。

・自民党の額賀、町村防衛大臣や沖縄に触手を伸ばした利権政治屋は普天間を利権獲得の原資、材料にしていた。
・県民の安全より、自民政治家は安保優先の変わらない日米同盟に便乗して国家予算を掠め取ることに精を出していた。

・沖縄県へ金を与え過ぎたと東京自民党はのたまった。沖縄県民は貰い癖がついたと東京自民党政治家は言い放った。自民党の利権政治家は同じムジナとゆう自覚がないらしい・・・・・
・官僚や官僚に擦り寄りながら権益に確保に搬送奔走する政治家の本音は、国家間の同盟よりも身分を利用して蓄財に勤しむのが実態のようです。アンポマフィヤとはこういった連中なんだ・・・・?

・沖縄振興開発の財政投資は基地負担の見返りで県民が当然受けるものだと思います。しかし地元の保革を超えた中身の濃い振興策の実現があったかどうか知りたいものです。
・基地負担、危ない普天間基地が金を生むのに利用される。一部のやからの防衛・政治の裏側は凄いもんです。自民党、民主党どちらが正直なんですかね。どちらも移転先は安保賛成の辺野古とゆうし・・・・

田中先生の論説からずれたコメントですみません。

この際大連立だろうが、単独民主独裁だろうが小沢を中心に政治をやってもらったらどうでしょうね。
あまりにアメリカに身をゆだねた日本ですから、損得勘定からして同じ日本人が身内で争ってもショウガナイと思うのですが・・・・・


田中 様

いつもご高論を楽しみにしております。

今回の結論には多少驚きました。出来れば公明党と連立を組むくらいで進めて欲しいと個人的には思っております。

どちらにしても官僚支配からの脱却が最優先であることは間違いない。

田中様の説納得しました。
私は明治維新は市民革命でなく、冷や飯食いの下級武士と貴族の反乱とみています。
だから民主主義など最初から念頭にはなかったのです。
江戸時代は士農工商という身分制とあったが、米経済から貨幣経済に移り、欧州のような厳格な身分制度でもなく、金が全ての世になっていた。金で商人は武士になり、武士の娘を嫁にもらった。
参勤交代の都度西日本の大名は大阪の豪商に家老が下座で挨拶に伺っており、格式の高い吉原、新町や島原は金のない下級武士は断っていた。実質は商人の天下でもあった。
赤穂浪士の討ち入りが大阪ですぐに上演され、町人が観劇する、曽根崎心中に大阪中の町娘が涙するという非為政者など、当時の世界ではないのである。
ジパングと言われた金、銀の世界一の輸出国日本は幕府が大奥で大散財して、町人が流通を握り、文化の花を咲かした時代である。
江戸では将軍の奥方に衣装比べを仕掛けた商人の嫁もいたほどで、さすがに蟄居追放されたが、その心意気はすざましい。
これに対して武士は貧しく不満が鬱積していたのではないか。
それが攘夷、勤皇という大義で爆発したが、主導権を取ったのは密貿易で豊かな薩摩藩と長州藩であった。
土佐藩出身の竜馬は関ヶ原で西軍の被支配者長宗我部藩の出身で郷士として武士以下で薩摩の武士とは違ったのであろう。だから民主思想を持ったのではないか。
明治維新後の政府は維新に功績があった薩長藩閥政府でとても市民革命ではない。竜馬がそういう考えであったとは初めて知った。
暗殺されるのも当然だったのか、その後大久保の官権に対して江藤が民権を訴えたが退けられ、薩長藩閥政治が続き、戦時体制時にプロパーの官僚が台頭して戦後更に官僚体制が強化されて今日に至っていると理解している。
戦時体制以前は一方で江戸時代の豪商による資本家層が厚く、薩長の修羅場をくぐり抜けた武士とともに官僚など事務方と馬鹿にされたものである。
それが戦時体制で一変し、戦後資本家層が失脚し、薩長組も消滅して、官僚の大天下となったのである。
それを崩そうとするのは並大抵のことではなく、ゆ党のオリジナル民主党など簡単に軍門に下ってしまった。
唯一残るは日本一新党であるが、果たして小沢は立つのかどうか。
自民党が官僚下僕から脱するのかどうか、政界再編が待たれる半月間となった。
私はまず、オリジナル民主、社民、共産除く日本一新含む保守合同が実現され、オリジナル民主が消滅した後、保守が超保守とリベラルに分かれ、二大政党をつくることを期待している。
全ては自民党が民主政党に脱皮するかどうかにかかっているとみている。

『カナリアを探せ!』

 今の民主党政権は顔は民主党でも、中身は空っぽでなにをやるのか?、やりたいのか?、さっぱり見えてきません。ただ政権にしがみついているだけのようにしか見えません。国民生活が明日に希望を見出せずに、もがきにもがいている昨今の状況は、先の衆院選のときと同じか、さらに悪くなっていると判断されます。経済も、社会も、政治も・・・。そんな時の「田中様のご高説」、混迷する日本の政情を打開すべき具体的指針になっていけば、歴史の歯車は又一つ回っていくことになりますね!

明治維新については美名ばかりが聞こえますが、私は単なる下克上にしか思えません。
西欧の植民地政策に竜馬等志士らが藩主を口説き維新を成し遂げたように言われますが、出島というキーワードを思えば薩摩・長州・肥後が官軍の中心であった事も納得出来ましょう。
しかし、幕臣の勝安房や小栗上野介、長岡藩の河井継之助のように重臣クラスで西欧の強大さと脅威を理解し将来に備えた者がいたことを思うと真実は違うと思えます。
東郷平八郎が日露戦争の日本海海戦での勝利が小栗のおかげと言ったことは有名な話のようだ。
小栗は幕臣として失脚させられ上野国群馬郡権田村に引きこもるが戊辰戦争の最中、官軍に捕まり評定無しに斬首された。
有能というものは悲劇を呼ぶ、武士を切腹でなく斬首とは官軍にとって小栗は脅威でしかなかったのだろうか?
このことを知るに戊辰戦争は竜馬の想いとは別に薩長の下克上である臭いが強くなる。
竜馬が勝安房の弟子であることは周知の事実であるが、勝が渡米した折、小栗と福澤諭吉も一緒だった事を考えると島津斉彬と老中・阿部正弘の死が維新をなさしめたのかも知れない。
島津斉彬が佐幕派であった事を思うとやはり維新は権力争いの下克上でしかなかったと言えよう。
卑しい欲望の前に純真な竜馬の想いは暗殺、倒幕と踏みにじられた。
その後の明治政府のあり方は邪な薩長土肥の奴等の強欲さを表し現代の官僚に引き継がれていると思うと妙に納得が行くと思いますが、いかがでしょう?

「大連立的状況だけが、国の構造を変えうる手段となる。」

との事ですが、この世に「これだけが・・・」などと云う事の有る筈がない。
これが駄目なら、あれが有るのであり、あれが駄目なら、それも有りと考えるべきだ。

この、「・・・だけが」といった考え方は、大変に怖い発想でして、とても危険な臭いが付きまといます。
竜馬が一番嫌った考え方であろうと思います。

元株屋さん他
>この世に「これだけが・・・」などと云う事の有る筈がない。
これが駄目なら、あれが有るのであり、あれが駄目なら、それも有りと考えるべきだ。
この、「・・・だけが」といった考え方は、大変に怖い発想でして、とても危険な臭いが付きまといます。<
とのことですが、「あれがある。」「これがある」と言いながら何もやらない評論家的発想は建設的とは思いません。
まず「・・・だけが」として行動を行い、その結果に対すし、次の選択を間髪居れずに展開し続けることが生きた政治の要諦だと思います。
田中先生のこのコラムにご参の方々に提案ですが、自論反論も大切ですが、もし自分が○○だったらと言う視点で議論参加しませんか?
例えが「もし私が首相なら・・」とか「もし私が小沢一郎なら・・」といように、ご自分を観客籍からではなく俳優になって考えてみませんか?
だって、「民主主義」って貴方が「主役」なのではないでしょうか?
ちなみ、私は、田中先生のご提案に大賛成です。それをまず政治家にやらせ、その結果をみて又次の作戦を実行する。
目的は国民の幸せと国家の繁栄です。
国民総がかりで行動を起こす時だと思います。

あらいぐまさんも言及されているが小栗忠順の可能性にもっと注目すべきである。
竜馬でも龍馬でもどっちでもいいが、この男が出てくるだけで幕末が固定化されて語られてしまうのでいつまでたっても佐幕派からの答えに灯が当たらない。
惹かれものの小唄のように小栗や西周に注目すると変人みたいな扱いで、脇に押しやられるのが関の山だ。
明治維新を革命であると言い切った(かなり意図的に)司馬遼太郎はおそらく明治維新は革命でないことを知っていただろう。
ひたすら辛い戦争従軍体験のトラウマから昭和の暗さと対置させ明治日本近代勃興期の息吹を活き活きと書き上げたかった司馬は資料魔でもあったから小栗のことも当然知っていたはず(小栗は明治の父と評している)だが、司馬にとって幕末は幕府の消滅で維新成就の立役者で終わるべき存在である以上、幕府の亡霊が明治に甦って影響力を及ぼすなどという物語は書けなかったのだろう。
龍馬を必要以上に快男子に描いたのもそういうところからだろう。
小栗のエピソードは龍馬以上に面白い話が山とあるのに佐幕派というだけで振り返られることがまずない。
数年前、NHKでドラマになった。勝海舟が相変わらず小栗のライバル扱いとして描かれていたが勝ごときが小栗とライバルとは…ムム…!!

おもしろいのは、
将来の日本の政治制度について明確なビジョンを持っていたのは、

1)龍馬と 
2)西周による徳川慶喜であったこと。

そして、薩摩の西郷や大久保は 権力を取った後の 確かな展望を持っていなかった。
西郷や大久保は 徳川を倒した後に どういう政治制度を打ち立てるか まだあいまいだったのに違いない。
それこそ、島津幕府のようなものは 漠としてあったかもしれない。

島津の殿様は、本気で島津幕府を期待していたのでしょうが、結局は 大久保も西郷もその方向へは
流れず 山県らともに 帝を東京へ連れてきて、明治政府を樹立。

島津の殿様は西郷に裏切られたと終生うらんだと、司馬遼太郎の 作品に描かれています。

龍馬の案が生き残っていたら、当時の情勢から行くと、どうなっていたか、
おそらく旧勢力が残存し、龍馬が考えていたようには行かなかったのにちがいない。

おそらく、まだしばらくは 武士は刀をさしていたし、ちょんまげを結っていたでしょうね。
われわれが知っているような はっきりとした変化は おこらず、
なにかもやもやとした状況が続いたのではないか。

そして、フランスとイギリスなどの影響力が より浸透したかもしれない。

結果論で言うと、
西郷と大久保の武力による倒幕は よかったとおもいます。
やはり、はっきりと決着をつけておいてよかった。

明治の日本は 薩摩による日本です。薩摩という 非常に特異な地域性のある人びとによって
日本が主導された。

それは、悪くはなかったと思っています。
そこが当時の 封建制という多様な地域を持った 日本の強みで、列強の脅威に晒されたときに、
特異な文化を持ち、強い精神力を誇る 示現流の薩摩が出てきた。また、薩摩は 西洋的な合理性も
備えていた。

ですから、やはり、薩摩が あのときに 日本を主導したのは 幸いであった。

いまのような画一化された 日本では、こういう芸当はできない。


まあ、歴史というのは、 マイナスがブラスになり、そのプラスがマイナスに転化していく
ことの連続ですから、何がよかったのかということは 一概には言えませんが。

でも、 わたしは あれで よかったと思っています。


大連立ということならば、 
選挙制度の変更を前提としなければ 実現しません。

小選挙区を 比例制 に変更するという 約束が 事前に成立することが
前提となる。

民主党は これまで 小選挙区制を進めてきたわけですが、
それを葬りさる決断ができるのかどうか。

大連立は 自民党と民主党の間のものですが、
同時に 小政党は 比例制を望んでいる。
公明党などは、喉から手が出るほど ほしい。

つまりは、
大政党同士の連立には 不信感を抱くでしょうが、 同時に
その前提となる 比例制が 実現すれば 必ずしも悪くない。

ここは、けっこう 複雑な利害が絡む。

それよりも、 
参院改革のための 憲法改正、これがさらに難題。
もちろん、参院改革には

1) 憲法改正による 参院改革 2) 憲法改正によらない 参院改革

の ふたつがあります。

要は、参院の力を どう落とすかです。 それにかかっている。
まさに、日本の命運がそこにかかっている。

それで、 憲法改正によらなくても、 参院の力を落とすことは可能だと思います。
たとえば、参院の 党派性を弱める。 そのために、 党議拘束を原則 なくする。
それと、選挙制度改革。 党の代表ではなく、地域の代表とする。
あるいは、 様々な職業の 人々が 個人で 出てくるようにする。

NHKの大河ドラマが事実に基づき作成されていないことは、在る意味しかたがありません。

視聴率を上げるには、面白く話を膨らませ、陰の部分は描かないのが常でしょうから。

田中論説で、新たなる歴史認識が深まって改めて感慨深く拝読させていただきました。

>初めて龍馬の夢が叶ったと思わせたのが昨年の選挙である。初の政権交代は海外からも注目された。ところが1年を経て見えてきたのは衆参の「ねじれ」が付きまとうこの国の政治構造である。<

龍馬さんも、昨年の政権交代を喜んで、そして今は居た堪れない思いで日本を見ているのでしょうね。

「ねじれ」が良いなどというマスコミは相変わらずの御用振りです。

国民側からしてみれば、改革を望み、国民生活が第一の政策を望んでいたのが、全てに反対と妥協を迫れれた、骨抜きの改革しか出来ない。

いわば既得賢者が今回の参議院選挙で守られたと言うこと。民主党内の改革本気派は落胆し、消極派はホッとしたのだと思います。

田中さんの言われる
>この大本を変える事が出来るのは従って選挙ではない。日本国憲法に関わる話だから民主党と自民党とが手を組まない限り実現しない。<

大筋では正しく、本来は憲法改正し、衆議院の議決のみが国を運営し、参議院は違う政策を審議する役割分担を変えるというのが望ましいと思います。

信任された政権が、次期選挙まで数年間、政権担当し政策を実現する。その信任を選挙で賛否すると言う当たり前のことを出来る国にして欲しい。

しかし、現実に無理があり、大連立自体、地方自治選挙を考えれば
夢物語ではないですかね。

残された選択は、参議院の多数派に成る連立しかないのだと思います。その連立が長くなり、一方の大政党を無くすぐらいに成らなければ憲法改正など出来ないとの認識ですが・・・

田中様

連立大賛成です。法案ごとに相手が代わるということは、論理的に成り立っても、実際には機能しません。時間と労力の無駄だけでなく、日本がどちらの方向に向いていくのか、皆目わからなくなってしまうからです。特に気をつけなければならないのは、法案ごとに、マスコミがアンケートなどをとって、方向付けしかねません。
連立を組むときは、あくまでも政策をすり合わせ、共同党体制が組めなければなりません。また、現在の議員が次の選挙に安心して取り組める相手でないと、政策実行に魂が入りません。
気が早いとは思いますが、小沢氏が総理になれば協力する党が多く出てくると思いますが、政策第一、国民第一、行財政改革、地域主権に同意できる党と手を結んでほしい。

 竜馬が何を考えていたか、については、残された資料次第なので、大きな意味は見出せない。

 それよりも、民自大連立によるマッカーサー体制=日本国憲法体制からの脱却が、国益であるか否か、の大論争が必要であろう。

 第1次大戦後、敗戦ドイツに押し付けられたワイマール憲法。
 余りにも理想主義的で、その美辞麗句の制約が敵対国を利する憲法。
 ドイツ国民は、その制約を打破するためヒトラーを登場させた。

 第2次大戦後、敗戦日本に押し付けられた日本国憲法。
 余りにも理想主義的で、その美辞麗句の制約が敵対国を利する憲法。
 日本国民は、米国の余りにも強大な監視の下、また冷戦構造という軍事的な戦略上の必要から、その制約を打破するためのヒトラーを登場させ得なかった。

 冷戦が終わり、中国と北朝鮮の脅威を説く米国は、日本の独立を恐れて抑止力論を振り撒いている。
 日本人の一部は、独立→戦争→敗戦、という幻想に怯えている。

 そんな心配は荒唐無稽である。
 
 そんな杞憂が、米国にグァム移転費用の増額を言わせる。

以下、三回目の投稿です。掲載されるまで続きます(笑)。


私が望む「次なる革命」・・政界再編を軸に

あらいぐまさん | 2010年8月18日 17:32の温和で明晰なご投稿に触発されて、また【いかがでしょう?】という投げ掛けに反応させてい戴けば(とはいえ、私からの返球は冒頭気味(笑))・・・:

1. この田中論説の脈絡でいえば、私は龍馬流の「大連合」反対派です。無血と雖も革命(※注1)で有る以上、旧時代の権力構造と要人は除去(※注2)されるべきと信じていますので。古来の教訓だけではなく、私個人のビジネス経験に照らしても。

(※注1)あらいぐまさんには「下剋上」という表現に何か歓迎すべからざるニュアンスがお有りのようですが、私には「下剋上」は革命的事象の単なる一形態に過ぎない。全ての政治行動は結果が全てであって、歓迎すべきか否かはその目的や理念の如何とその後の成果の良し悪しに依る。
(※注2)必ずしも生物的生命である必然性はない、肝心なのは政治的影響力の完全な除去。

2.私は、龍馬流大連立に反対するのと同じ脈絡で、国益が差し迫って危機に在る今となっては数年前の小沢・福田流の大連立にも反対ですし、今の民主党と自民党の大連立も反対ですね。
私が望む次なる革命(「下剋上」でも可)は、民主からも自民からも有為の政治家だけを「良い所取り」する政界再編。その政界再編の推進力は、停滞し沈下する国家への認識と国民の怒りを共有できる理知的な政治家達の危機感。その結果として、世代交代が行われ、同時に旧時代的な勢力と慣行は除去(前記※注2)されるでしょうね。小沢さんがどちらの組みに入っているのかは、本意不本意や好き嫌いは兎も角として、その時に自ずから解る。

3.「良い所取り」して出来上がる政党は、緊急避難的に有権者が許容する実質上の一党独裁とする。その綱領の核は2点。
イ)日本の救国に、時間も知恵も行動も全てが集中されること
ロ)日本救国に目処が立つ過程で(当然に完成する前に)、リスクの大きい一党独裁は解散し、新たな政界再編に向かうべきこと。

 また、愚かな総理はじめ閣僚の愚劣な発言が、円高を加速させている。

 野田などという愚者が「注意深く見守る」といい菅が同じことを言ってる。

 今の為政者は、かつて大連立を画策した一方の当事者である小沢氏が言ったように「政権担当能力が無い」。


 総じて、為替レートの急激な変化は、企業の無理な体制変革を強要し、その体力を奪う。
 それを回避する方策を思いつかないのが今の政権だ。

 遂に大詰めが来ました。

 小沢氏は立つか?

 鳩山の、菅の後は小沢、という仲介は、菅の色よい返事がもらえなかったようだ。

 今のままで小沢は沈黙するのだろうか。
 
 党分裂含みの乾坤一擲の立候補は、見通しを立てて勝つ戦をする名人囲碁の小沢氏には、不得手な局面ではあるだろう。

このままの自民党と民主党が大連立しても、昔の自民党か、あるいはもっとひどいものができるだけだと思います。

そのぞれの党の中にいる、大東亜戦争は正しかったと考える歴史修正主義者が集まって党をつくり、新自由主義的国家を求める人はそこで集まり、福祉国家的なビジョンを持つ人はそこで集まる、というような再編が必要なのではないかと思います。

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Profile

田中良紹(たなか・よしつぐ)

-----<経歴>-----

1945年宮城県仙台市生まれ。
1969年慶應義塾大学経済学部卒業。
同年(株)東京放送(TBS)入社。
ドキュメンタリー・デイレクターとして「テレビ・ルポルタージュ」や「報道特集」を制作。また放送記者として裁判所、警察庁、警視庁、労働省、官邸、自民党、外務省、郵政省などを担当。ロッキード事件、各種公安事件、さらに田中角栄元総理の密着取材などを行う。
1990年にアメリカの議会チャンネルC-SPANの配給権を取得して(株)シー・ネットを設立。
TBSを退社後、1998年からCS放送で国会審議を中継する「国会TV」を開局するが、2001年に電波を止められ、ブロードバンドでの放送を開始する。
2007年7月、ブログを「国会探検」と改名し再スタート。

BookMarks

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国会TV
http://kokkai.jctv.ne.jp/

-----<著書>-----


『裏支配─いま明かされる田中角栄の真実』
2011年1月、電子書籍


『メディア裏支配─語られざる巨大マスコミの暗闘史』
2005年3月、講談社

-----<編書>-----


『憲法調査会証言集─国のゆくえ』
2004年7月、現代書館

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