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2010年5月26日

普天間問題は終らない

 ワシントン・ポスト紙で「ルーピー(くるくるパー)」と表現された鳩山総理は、その直後に「私は愚かな総理かも知れません」と発言して国民を唖然とさせたが、今度はそれを地でいく行動に出た。普天間問題で当初の発言とまるで逆の事を言い出したのである。そして変節の理由を「自分が無知だったから」と言い訳した。

誰から見ても「バカ」と思える行動を取るのは「本物のバカ」か、或いは「何か裏がある」かのどちらかである。「忠臣蔵」の大石内蔵助は周囲を呆れさせる「バカ」になって「討ち入り」を果たしたが、見抜かれないためには「本物のバカ」になりきらなければならない。政治家が信じられない行動をとる時は、「裏」を疑ってみる必要がある。

そこで普天間問題である。メディアは「日米が大筋合意した」と問題が決着したかのように報じているが、実現するかは不明である。「辺野古周辺」とはどこを指すのか。どんな新基地を造るのか良く分からない。しかも日米両国政府とも「沖縄の負担を軽減する」と言っているのだから、沖縄の合意がなければ前に進まない。「日米の大筋合意」は何も問題を解決していないのである。

 普天間問題は表は安全保障だが裏はカネの話である。アメリカから見ると冷戦中の日米安保は、日本に都合の良い仕組みだった。日本は安全保障のコストをかけずにアメリカの軍事力に「ただ乗り」し、金を稼ぐ事だけに専念した。自動車と家電製品を中心に輸出を伸ばし、世界第二位の経済力を達成したが、その犠牲となったのはアメリカである。アメリカの製造業は衰退し、アメリカ政府は慢性的な貿易赤字と財政赤字に苦しめられた。しかし冷戦中はそれでも日本を切り捨てる訳にはいかなかった。

 ところが冷戦が終わり、敵対する二つの陣営がなくなると、アメリカは世界唯一の超大国としてあらゆる国と直接二国間の関係を築けるようになった。「反共の防波堤」として利用してきた日本や西ドイツを優遇する必要もなくなった。むしろ日本はアメリカにとってソ連に代わる「脅威」と認識された。アメリカは日本の経済力を削ぐ作業に取りかかる。日本の弱点はアメリカの抑止力に「ただ乗り」してきた安全保障面である。日米安保は一転してアメリカが日本からカネを吸い上げる道具になった。

 アメリカにしてみればこれまで吸い取られた分を取り戻すのだから当たり前の話である。冷戦後の世界では国家対国家の戦争ではなく、テロ組織との非対称の戦いが想定されると言う一方で、アジアにだけは冷戦が残っているとアメリカは規定した。そしてアメリカは世界とは「冷戦後」的思考で付き合うが、日本には「冷戦」的思考を押しつけて来た。

 中国との「戦略的パートナーシップ」を謳い、「G2」を宣伝するのは「冷戦後」的思考である。ところがアメリカは日本に「中国とは価値観を共有していない」と言い、「中国の軍拡は脅威だ」と言って「冷戦」的思考を押しつける。ミサイル発射を重ねる北朝鮮の冒険主義的挑発に際して日本にはMDやイージス艦などの高価な兵器を売りつけるが、金正日政権を排除する事はしない。金正日政権には温存するだけの利用価値があるからである。

 アメリカは「冷戦後」的思考で世界的な米軍再編を計画し、沖縄の海兵隊をグアムに移転する方針を決めた。ただしその費用は日本に負担させる。普天間基地の移設問題は表は安全保障だが裏はその金額を巡る交渉だと思っていた。ところが事態は「冷戦」的思考の世界に急展開で引き戻されていった。

 半年ほど前から普天間に絡んで「朝鮮有事」の話が言われるようになった。昨年末には韓国の李明博大統領の周辺から「沖縄の海兵隊がグアムに行かれたら、北朝鮮有事の際、韓国が困る」という話が入ってきた。それなら海兵隊は韓国に配備すれば良いだろうと思っていると、今年2月には米軍の高官が「沖縄の海兵隊の任務は北朝鮮崩壊時の核兵器除去である」と言ったという。これもどこにあるか分からない核を海兵隊が見つけ出せる筈がない。北朝鮮の核は北朝鮮に処理させるしかない。

 いい加減な話ばかりと思っていたら3月26日、韓国の哨戒鑑が沈没した。そして5月20日に沈没の原因は北朝鮮の魚雷攻撃という調査結果が発表された。今や朝鮮半島は戦争寸前の状況にある。まさに「冷戦」状況が戻ってきた。それが鳩山総理が普天間問題の期限とした時期にぴたりと合っているのである。

 ところで沈没した哨戒鑑の近くにアメリカの原子力潜水艦も沈没しているという情報がある。韓国のKBSテレビが放送したと言うが、その後報道は封印されたという。この沈没事件にはどうやら「裏」がありそうだ。ベトナム戦争は「トンキン湾事件」、イラク戦争は「大量破壊兵器」という「ねつ造情報」から始まった。アメリカではしばしばある「ねつ造」だが、この沈没事件もきな臭い。そう言えば私が上海にいた5月初めに金正日総書記は中国にいた。北朝鮮が仕掛けたとするならばその時期に本人が外国などに行くだろうか。その直前には李明博大統領も上海万博の開会式に来ていたが、中国がどう対応するかが注目される。

 いずれにしても日本国民が初めて「政権交代」を実現させて選んだ総理が「ルーピー」と言われ、自分の意志を通せずにアメリカに屈服させられた姿が全世界に伝わった。しかし「日米合意」でまだ何も決まった訳ではない。事務レベルの交渉が終わっていよいよこれからが政治レベルの交渉だと思えば良い。政治レベルの交渉には沖縄をはじめとする国民の声を反映させるのである。相手はオバマ大統領である。YES!WE CAN なのだ。

2010年5月18日

バブルの思い出

 私が初めて上海を訪れたのは1982年だったと思う。「東洋のオナシス」と呼ばれた香港の海運王Y・K・パオ氏から、上海で建造した船の進水式を取材して欲しいと言われた。香港返還後の初代行政長官の座を狙っていたパオ氏は当時イギリスのBBCやアメリカのCBSテレビに登場して名を売っていた。日本のテレビにも出たいと思ったのだろう。進水式でシャンパンを船体にぶつける綱を切る役を、故大平総理の未亡人にやって貰うと言って売り込んできた。

 当時の上海は昔の面影を残す古い建物と人の多さが印象的で、歴史を感じさせる重厚な街だったが、「近代的」とはほど遠かった。電力が十分でなかったのか夜はほとんど真っ暗で、車がヘッドライトをつけずに走るのが怖かった。造船業などの「重厚長大」が日本から中国に移り、日本は「半導体など軽薄短小で生きていく」と言われていた時代である。

 それが今の上海は夜中もまばゆい光に溢れ、車の数も半端ではない。中国は去年車の販売台数で世界一になったと言われたが、実は生産台数も世界一だと言う。走っている車を見るとフォルクスワーゲンやビュイックのマークが目に付くが、それはドイツ製でもGM製でもない。100%中国製である。中国製は税金がかからないため百万円台で手に入ると言う。トヨタのリコール問題が起きてから上海では中国製ビュイックの売り上げが急増していると聞かされた。

 中国人の車の保有比率は東京オリンピック当時の日本と同じである。その中国が現在の日本並みの保有率になると世界の自動車総数は倍増する。ガソリン車が倍増すればガソリンの需給は逼迫して世界経済は混乱する。アメリカのオバマ政権が公共交通機関に力を入れ、電気自動車が注目されるのも当然である。電気自動車の成功の鍵は電池の技術で、21世紀は電池を制する者が世界経済を制する。その電池の開発で先行する日本に対抗するため米中が連携を深めているという情報がある。それでなくともエネルギー資源確保に凄まじい執念を見せる米中両国が提携すれば意味する所は重大である。

 上海ヒルズと呼ばれる超高層ビルの展望台は高さが世界一とギネスに認定された。このオフィスビルを建てたのは日本の森ビルだが、今や上海は高層ビルラッシュである。その多くが高級マンションで、いわゆる「億ション」が飛ぶように売れているという。購入者は海外で財を成した金持ちが多いらしい。前回、1964年の東京オリンピック、70年の大阪万博と同じ事を中国はわずか2年で実現したと書いたが、実は80年代後半の日本のバブルと似た状況も起きている。日本が20年かけて経験した事をこの国は十分の一のスピードで経験しつつある。

 かつてアメリカのペリーが来航した時、1隻の大船も持っていなかった日本が、半世紀後には日本海海戦でロシアのバルチック艦隊を撃破した。これは世界に凄まじい衝撃を与えた。西欧が百年かかった産業革命を日本は30数年で成し遂げたからである。西欧には日米が戦えば日本が勝つという噂が流れ、アメリカ人は「日本人が太平洋を渡って攻めてくる」という妄想に取り憑かれた。これを「ウォースケア」と言う。

 それと似た事が最近の日本でも起きている。「中国脅威論」がやたらと叫ばれる。無論、どの国に対しても警戒を怠らない事は大事だが、妄想に陥らないようにするのはそれ以上に重要である。アメリカの「対日恐怖」は日本人排斥運動となり、その頃アメリカ留学していた松岡洋右はアメリカに対し「殴られたらすぐ殴り返す」という人生訓を身につけた。松岡が後に対米強硬の外務大臣となる巡り合わせは不幸だが、くれぐれも外国の情報による「中国脅威論」などに日本は乗せられてはならない。

 ところで中国経済のバブルは大丈夫なのか。土地が全て国有化されている事情等を考えれば、日本のバブルと全く様相は異なる。何よりも日本のバブルは国家によって意図的に作り出され、国家によって強制的に終息させられた。そして「失われた二十年」だけが後に残った。そう書いてきて、日本のバブルがどのように作り出されたかを国民は知らされていないのではないかという気がしてきた。

 一般的に日本のバブルは1985年のプラザ合意で急激な円高が起きたため、不況になることを怖れて日銀が低金利政策を採り、金融緩和が長く続いたため余剰資金が土地や株に向かったと説明されている。勿論、始まりはプラザ合意である。この年、アメリカは世界一の借金国に転落し、日本は世界一の金貸し国となった。アメリカは日本経済に一矢報いる必要があり、プラザ合意で1ドル240円を120円台にした。日本の輸出産業は大打撃である。さらにアメリカは日本に内需拡大策と低金利政策を強く求めてきた。

 当時の日本はいわば一人勝ちであった。車と家電の輸出で金を稼ぎ、稼いだ金を世界に貸し付けてさらに金利を稼ぐ。マネーがマネーを生んだ。金が溢れればインフレが起きる。政治はそこをコントロールしなければならない。考えられたのは流れ込むマネーを土地と株に向かわせて、物価に影響させない事であった。

 中曽根政権は「民間活力による内需拡大策」を政策の柱に据え、担当大臣に副総理の金丸信氏を任命した。金丸氏は86年11月、「東京には海外から外国企業が進出して来るが圧倒的にオフィスビルが足りない。東京湾を埋め立ててオフィスビルを造らなければならない」と演説した。

 本当にビルが足りなかったかどうかは知らないが、ここからバブルが始まる。当時東京湾の沿岸に土地を持っていたのは新日鉄や石川島播磨などの「重厚長大」産業である。それが救済が必要なほど斜陽化していた。政府がまず考えたのは「重厚長大」産業から土地を買い上げて産業の転換を図らせ、次に前年に民営化されたNTTの株を高値で売り出して、それを財政赤字の埋め合わせに使う。地価と株価を高騰させて余剰な金を吸収させればインフレは防げる。これが政府のシナリオであった。

 株の売買は儲けと損が半々のギャンブルである。欧米では普通の人は配当益を得るために株を持つのであり、売買で利益を得ようとは思わない。しかしこの時日本では株式ブームを国家主導で扇動した。JTやJRなど中曽根民営化路線で株を売り出せる企業が次々控えていたからである。新聞社は一斉に株式欄を拡充してブームを煽った。株式予想は競馬予想と同じだから日刊紙はやらないのが普通である。ところが日本ではその原則が崩れて主婦までが株の売買に手を染めるようになった。

 企業も儲けを更に膨らまそうと「財テク」に走る。日本が総ギャンブル列島となった。一方で金利が下がり融資競争が激化した銀行は土地や株の購入に融資の矛先を向けた。大都市圏の再開発が活発となり、地上げ屋が活躍するようになった。地上げは暴力団の世界だから、暴力団が金融機関に食い込んでくる。東京23区の地価でアメリカ全土が買えるほど地価は高騰した。当初は1石4鳥を狙ったインフレ防止策がとんでも無い暴走を生み出した。しかし誰も暴走を止めない。

 暴力団に弱みを握られた金融界は無担保で融資をさせられ、それが外国の土地買いに使われた。ハワイの土地買いを問題視したアメリカは空港で日本のヤクザを閉め出す策に出るが、日本国内では闇の紳士達が縦横無尽に活躍した。日本経済の血管に当たると言われる金融機関が完全に暴力団に食い荒らされた。1990年3月、大蔵省が「総量規制」を通達して不動産に関連する融資を一斉に止めると、一挙にバブルは崩壊した。4万円近くまで上昇した株価は1年も経ずに半値以下となった。財政赤字の補填どころの話ではない。金融機関の不良債権処理に血税が投入される話になった。

 アメリカの経済学者は「それにしてもバブルの終わらせ方が乱暴で、もっとソフトランディングする方法はなかったか」と大蔵省のやり方を批判したが、大蔵省には日本国が暴力団に食い物にされるという恐怖感があった。バブルが崩壊するのと前後して、世界は冷戦の崩壊を迎えた。しかし日本には世界の構造変化に立ち向かう余裕がない。アメリカの要求通りに不良債権処理を行い、それからはひたすら「失われた二十年」を耐えてきた。

 しかし「失敗は成功の母」である。失敗の現実に目を瞑れば混迷から抜け出せないが、失敗を直視する勇気を持てば復活の道は開かれる。前回紹介した池東旭氏は「日本の平和と繁栄は『アメリカの、アメリカによる、アメリカのための』ものだ」と書いている。韓国は冷戦後民族主義を強めた。民族自立の意思でグローバリズムを呼び込んだ。中国はアメリカから元切り上げを要求されたが、自らが決める問題だと突っぱねた。アメリカの言うとおりにしてバブルを迎えた日本は、冷戦が終わってもなおアメリカの言う通りである。桜が牡丹と槿(むくげ)と違うのはその一点である。

2010年5月 8日

上海万博実感旅行

 連休に上海万博に行った。およそ博覧会なるものには興味がなく、大阪にも愛知にも行かなかった私だが、上海には行く気になった。世界の構造変化を実感する事が出来るかも知れないと思ったからである。

 と言っても万博を真面目に見ようと思った訳ではない。私にとっては学生時代に東京オリンピック、社会人になって間もなく大阪万博が開かれた「思い出の日本」と、オリンピックと万博を2年足らずで実現した「上昇中国」とを比較したいと思ったからである。他にアメリカと日本が万博でどんなメッセージを発信しているかにも興味があった。

 月刊誌「エルネオス」5月号の巻頭言で韓国在住のジャーナリスト池東旭氏が「桜と牡丹と槿(むくげ)」と題して日本、中国、韓国の百年を比較している。桜と牡丹と槿はそれぞれ日本、中国、韓国の国花である。百年前の日本は日清・日露に勝ち、列強に伍する東洋の一等国になった。一方の中国は列強の半植民地となり、韓国は1910年に日本に併合された。

 百年後の今、日本は活力がなく長期低落から抜けきれない。中国は北京五輪、上海万博で上り龍である。韓国もグローバル化で完全に日本を抜いた。自由貿易協定を世界と結び、在外韓国人の数は在外日本人の5倍以上である。池氏は「桜は散り際、牡丹咲いて、槿は満開」と書いている。私は桜と牡丹を比較しに行った。

 5月3日に乗った成田発上海行きの飛行機は連休なのにがらがらだった。全日空の職員が「日本人で万博に行く人は少ない」とこぼしていた。機内の周囲は全て中国人だった。おそらく日本から上海万博に向かうのは在日中国人が多いのではないだろうか。在日外国人は2007年に韓国・朝鮮籍を抜いて中国人が最大となった。東京都民の百人に一人は中国人である。日本国籍を取得する中国人も毎年4千人を数える。乗り込んだ飛行機でまずその事を実感した。

 万博会場は上海市内を流れる黄浦江の東西両岸に広がる。愛知万博会場の倍の広さである。それが市内のほぼ中央に存在するのは、土地が私有財産の資本主義社会では到底考えられない。中国政府は元々工場があった所を立ち退かせて会場にしたという。万博後にはマンションや公園を作るらしい。土地も企業も国有という国ならではの話である。冷戦の崩壊で誰も社会主義を評価しなくなったが、民主主義のコストをかけずに国家プロジェクトを実行できるのは社会主義しかないことを実感させられた。ロシアのプーチンが金融危機に際して資本主義を国営化路線に転換するのもうなずける。

 万博会場では日本産業館や韓国企業館が並ぶ西岸地区から見ることにした。ロボットが壁を上り下りする日本産業館は中国人に人気がある。行列は嫌いだが仕方がない。1時間並んでやっと館内に入る事が出来た。ところが入った途端にまたストップさせられた。10分おきに30人くらいずつ入れてはストップさせるのである。やっと動くとまたストップ。通路の両側にあるテレビモニターには静岡県の名物が映し出されているが、日本人の私には全く興味がない。しかし前に進む事は許されない。ここは立ったまま強制的に見させられる仕組みなのである。

 そんな方式で移動しながら日本の四季や若者ファッションや協賛企業の宣伝を見せられたが、1時間以上も並ばされた後で自由に動けない事に次第にイライラがつのる。歩くよりも立っている方が疲れるのである。目玉とも言える「世界一のトイレ」の展示場所で遂に怒りが爆発した。案内嬢から「入り口で渡された袋の中に当り券がある人だけご覧になれます」と言われたのである。袋を探したが私も含めて周囲には誰も「当たり」がいなかった。「残念でした」という目線に送られて多くの人が日本産業館を後にする。何のために「見せない」のかが分からない。そして「見せてあげる」という根性が気に食わない。

 一方の韓国企業館は全く行列がなかった。日本より人気がないのかも知れないが、こちらは仕組みが違うのである。壁や通路にスマートフォンの待ち受け画面を大きくしたようなパネルが沢山あって、手で触ると画面が変化したり動いたりする。それで遊びたい人は遊ぶし、先に行きたい人はどんどん先に行ける。基本的に自由なのだ。韓国企業の宣伝はしているが、強制的に見せる事はしない。極めてあっさりで、日本の「押し付け」、「強制」とは対照的だった。

 それと同じ事が東岸地区のパビリオンでもあった。フランス館は大人気で長い行列が出来ていたが、人の動きは全く止まらない。それは館内で展示物を立ち止まって見るのも通過するのも個人の自由だからである。フランスの美術品やファッションが展示されている通路を入場者は自由に行ったり来たり出来る。ただ最後の買い物コーナーだけはフランス製品を買い求める中国人で雑踏状態だった。

 それに引き換え日本館は少しずつ動かしては止め、止めては動かすため、入場するまでに2時間もかかった。中に入ってからも強制的に止められるので、見たくないものまで見せられる。日本が力を入れていたのは、汚染された川や湖を浄化した実績と、絶滅寸前の朱鷺を日中が協力して人工増殖した友好の実績、それに車やロボットやカメラの先端技術の数々である。

 しかし立って見るのは肉体的に苦痛である。椅子席のある劇場に辿りつくのは最後の最後で、それまでは我慢を強いられた。劇場では能と京劇で汚染された自然を朱鷺と子供が浄化するストーリーが演じられたが結構長い。並んでから見終るまで3時間はかかる。それでも日本館が人気なのは日本に対する憧れや羨望が中国人にあるからか。日本人の私には不思議な気がした。

 日本と同様に見る事を強制しながら、しかし中国人の喝采を浴びていたのはアメリカ館である。ここも行列は長いが日本館のように止まったままにならない。日本が30人位ずつ進めたり止めたりしているのと違って、こちらは500人規模の椅子席で映画を見せるため人の移動が大きいのである。

 アメリカの意図は明確だった。中国人にアメリカが友人である意識を植え付けるのである。そのため3本の映画が上映された。1本目はいわば市民編である。様々なアメリカ市民が中国語で中国人に語りかける。一方で中国語を知らないアメリカ人に中国語を教えてしゃべらせる。中国語の発音に苦労しながら次第にマスターしていく様をインサートしていく。見ている中国人は発音の間違いに笑い転げ、最後にうまくいくと喜んで拍手する。米中友好の雰囲気はいやがうえにも盛り上がる。

 次の場所では政治編が上映された。ヒラリー・クリントンが登場して中国人に米中友好を呼びかけ、様々な専門家にアメリカがどれほど地球に貢献しているかを語らせ、最後にオバマ大統領が「ニーハオ」と言って登場する。するとまた拍手が起こる。3本目は巨大スクリーンと立体音響の劇場で、廃墟の街に少女が花を植え、雨や嵐にあいながらも大人たちと協力して緑の街を誕生させる姿を描く。雨のシーンでは劇場にも雨が降って中国人を喜ばせた。

 アメリカ館は並んでから終るまで1時間もかからなかった。アメリカの文化も歴史も風景も商品も登場はしないが、しかしストレートにアメリカが中国の友人である意識を植えつける。そのメッセージ力はあると思った。アメリカお得意の世界洗脳戦略はここでも健在である。

 思えば日本人はアメリカに洗脳されて半世紀が経った。その間、官僚、学者、ジャーナリストらが日本洗脳の先兵を務めてきた。おかげで今だに「中国の脅威から日本を守るためには日米同盟にすがるしかない」と叫ぶ輩がいて、日本はアメリカに富を吸い取られ続けている。前述の池氏は「安保をアメリカに丸投げするスキームは、ポスト冷戦では通用しないが、日本はその幻想から抜け出せない」と延べ、危機感を持たない「桜」は散るしかないと結論付けている。

 やっと政権交代を実現させて「国民が主権者である事を証明した」日本だが、普天間問題を見る限り「主権在民」ではなく「主権在米」である。鳩山総理の沖縄訪問のニュースを上海で聞くと、日本だけがとてつもなく世界から遅れているように思えてしまう。

Profile

田中良紹(たなか・よしつぐ)

-----<経歴>-----

1945年宮城県仙台市生まれ。
1969年慶應義塾大学経済学部卒業。
同年(株)東京放送(TBS)入社。
ドキュメンタリー・デイレクターとして「テレビ・ルポルタージュ」や「報道特集」を制作。また放送記者として裁判所、警察庁、警視庁、労働省、官邸、自民党、外務省、郵政省などを担当。ロッキード事件、各種公安事件、さらに田中角栄元総理の密着取材などを行う。
1990年にアメリカの議会チャンネルC-SPANの配給権を取得して(株)シー・ネットを設立。
TBSを退社後、1998年からCS放送で国会審議を中継する「国会TV」を開局するが、2001年に電波を止められ、ブロードバンドでの放送を開始する。
2007年7月、ブログを「国会探検」と改名し再スタート。

BookMarks

日本初の政治専門チャンネル!
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国会TV
http://kokkai.jctv.ne.jp/

-----<著書>-----


『裏支配─いま明かされる田中角栄の真実』
2011年1月、電子書籍


『メディア裏支配─語られざる巨大マスコミの暗闘史』
2005年3月、講談社

-----<編書>-----


『憲法調査会証言集─国のゆくえ』
2004年7月、現代書館

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