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2010年4月28日

みんなで渡れば怖くない

 この国の新聞とテレビは全社が揃って判断を間違える事が良くある。ところが間違えても誰も責任を取らないし反省もしない。みんなが間違えたのだから仕方がないで終わる。逆に他が報道している事を1社だけ報道しないと「特オチ」と言って大問題になる。「特オチ」した社は大恥をかき、担当者は責任問題になる。

 国民からすれば「特オチ」で困る事はない。しかし全メディアに間違った報道をされれば被害甚大である。普通の人はメディアが揃いも揃って間違える事などあるはずがないと思っている。私も初めはそうだった。しかし現場で仕事をするうちにそうでない事が分かった。間違いは繰り返されているし、誰も反省はしていない。それを少し紹介する。

1980年の春闘の時である。当時の春闘は日本経済の牽引役である自動車と電機が賃金相場を主導し、それを受けて国鉄と私鉄の労働組合が共闘する交通ゼネストで最大の山場を迎える。それが毎度のパターンだった。交通ゼネストが実施されれば全国一斉に通勤の足が止まる。前日から会社に泊まり込まなければならないサラリーマンもいる。ゼネストの規模がどの程度になるかを見極めて報道する事は新聞とテレビに課せられた重要な仕事だった。

新聞各社とNHKは経営側を取材する経済部、労働組合を取材する社会部、そして春闘を事実上コントロールする官邸を取材する政治部が10数名でチームを組む。誤報すれば社会的影響が大きいので精鋭が集められる。しかし報道取材で後発の民放各社は1名で取材させられた。組合を取材するだけで精一杯である。私は思案の末、底の浅い取材になるかも知れないが、昼間は組合、夜は経営側の幹部の自宅や春闘を担当する官房副長官の宿舎を回って歩いた。

 すると私鉄の労使と官邸がこれまでの春闘とは異なるパターンを模索している事が分かった。しかし国鉄の労組はスト突入に強硬で私鉄の組合も表面はそれに同調している。総合的に見てこれまでの春闘パターンが崩れると私は判断した。官公労と民間組合の共闘は分断されるのである。スト実施の前日に「ストライキは回避される可能性あり」との原稿を書いた。新聞社のベテラン記者から「勇気あるねえ」と言われた。新聞とテレビは全社が「交通ゼネスト突入必至、通勤の足大混乱」の観測記事を掲げた。

 結局、明け方に私鉄の経営側が高額回答を出し、私鉄は通勤に影響のない始発だけのストで終わった。満足する回答を引き出せない国労と動労は夕方までストを打つが、私鉄さえ動けば通勤の足には何の支障もなく混乱はなかった。この年の春闘が日本の労働運動を官公労優位から民間主導に変えた。

 私が得た情報を10数名からなる経済部、社会部、政治部の連合軍が知らない筈はない。それなのに揃って判断を間違えたのは何故か。1.この国の新聞とテレビは既成の見方に強く引きずられて新たな事態に対応する能力が足りない。2.複数で分業して情報収集するためにピントが外れる。それをみんなで議論するうちこれまで通りの無難な考えに落ち着く。その時私が考えたのはこうした理由である。しかし間違えた社がこの時反省したり、間違えた理由を分析をした形跡はない。

 1987年の自民党総裁選挙の時である。中曽根後継を決めるのに中曽根総理は「禅譲」を言い出した。自民党員による選挙ではなく、中曽根氏が直接指名するのである。候補は竹下登、宮沢喜一、安倍晋太郎の三氏であった。派閥の数は竹下、宮沢、安倍の順で、選挙をやれば竹下氏が勝つ。竹下氏を破るには宮沢氏と安倍氏が組むしかない。宮沢氏が降りて安倍氏を押せば安倍政権が誕生し、安倍氏が降りれば宮沢政権が誕生する。しかし竹下氏と安倍氏は盟友関係にあった。

 私は「禅譲」という例が過去にあるかどうかを調べた。すると池田勇人総理が佐藤栄作氏に「禅譲」した一例だけあった。池田氏と佐藤氏は総理の座を争ってきた政敵である。池田氏を支えてきたのは河野一郎氏で、河野氏はその時総理の座を狙っていた。なぜ池田総理は盟友関係の河野氏ではなく政敵の佐藤氏に「禅譲」したか。池田総理の秘書官を務めた伊藤昌哉氏に話を聞いた。伊藤氏は即座に言った。「禅譲なんて怖いことは出来ない。もし指名に不満が出て自民党が分裂したら歴史に汚名を残す。佐藤派が最大派閥だったから佐藤を指名した」。

 極めて明快な論理である。すると三者が候補でいる限り指名は竹下氏しかありえない。しかし宮沢氏と安倍氏が組めば、宮沢氏と安倍氏のどちらかが総理になる。安倍氏が降りるか、宮沢氏が降りるか、私はじっとそれを見ていた。一方で数に勝る竹下氏は自分が総理になれば次は安倍氏にしようと思っていた。だから新聞に一度は「安倍総理確実」と書かせる気でいた。宮沢氏より安倍氏を世間にアピールさせる竹下流の「思いやり」である。

 中曽根裁定が下る日、産経新聞が朝刊の一面で「安倍総理誕生へ」を書いた。これで竹下氏の「思いやり」は果たされた。しかしもし宮沢氏が安倍政権誕生を望み、候補を降りて安倍氏を押せば本当に安倍政権が誕生する。すると安倍派の森喜郎議員が「中曽根総理の意中は宮沢だ」という情報をどこからか聞いてきた。これで宮沢氏は降りられなくなる。私は竹下総理誕生の方向に情報は動き出すと思った。

ところが午後になって中曽根派の佐藤孝行議員が時事通信社の取材に「総理の意中は安倍」と答えた。その情報が記者クラブに伝わると、それがこだまのように反響し、「安倍らしいぞ」が「安倍で決まり」に変わっていく。何の根拠もない情報である。佐藤氏は中曽根派幹部ではあるが中曽根氏本人ではない。最後の土壇場で竹下側から何か条件を引き出すためにわざと嘘を言う可能性だってある。ところが記者クラブは佐藤孝行情報に踊って全社が「安倍総理誕生」で一致した。

私は不思議な思いでその光景を眺めていた。何故こんなに簡単に根拠のない情報に乗せられるのか。しかしそれがこの国の新聞とテレビなのである。私は午後10時からのテレビ番組で「竹下になる」と発言したが、その後も「安倍総理確実」のニュースはやまなかった。深夜0時に中曽根裁定が「竹下」に決まると、安倍フィーバーに踊っていた事が嘘のように、メディアは一転して「竹下総理誕生」のニュースを当然のような顔をして流し始めた。1.この国のメディアは何の根拠もなく政治家や要人の話を信用する。2.ジャーナリズムとか言って偉ぶっているため、所詮は裏取引の道具に利用されている事を知らない。

最近のメディア報道はこれらの時より数倍酷い。既成の見方に引きずられて新しい事態が見えず、ピントのぼけた解説と程度の低い政治家の発言をそのまま垂れ流す毎日である。私が現役で取材していた頃は政治家の発言をそのまま信用するのはバカだと思っていたが、このごろは政治家や官僚の発言を頼りに判断を下す記者がいるようだ。それが「政治とカネ」や「普天間問題」の報道にも現れている。

 アメリカの国防長官がどう言ったとか、日本の政治家がこう言ったとか、それはそれだけのことで、だからどうだという話ではない。交渉事の材料としての発言に過ぎない。ところがメディアはそれを判断の拠り所にする。そして「アメリカが怒っている」とか「日米同盟が危機」だとか馬鹿馬鹿しい話を作り出す。政治は情報戦である。誰も本当の事など言わない。言葉一つ一つの裏を読み解かなければ何も見えて来ない。しかし「みんなで渡れば怖くない」と全社で間違えるメディアには嘘を信ずる方が楽なのだ。

 思えば大本営発表を垂れ流した新聞が、戦後何の反省もなく一転してGHQの日本洗脳の手先となった。戦前は「軍国主義」を、戦後は「民主主義」を国民に刷り込んだが、いずれも支配者にとって都合の良い「軍国主義」と「民主主義」である。それを全社で一斉に流すから嘘も本当のように見える。しかし昨年の政権交代以来、国民はメディアの嘘に気がつき始めた。

 と書いた所で検察審査会の「小沢幹事長起訴相当」のニュースが飛び込んできた。詳しいことを知らない段階での印象だが、「起訴相当」とした理由にメディアの報道に影響された判断ではないかと思われる箇所がある。もしもそのようなことがあれば重大である。メディアを使って司法をねじ曲げたのはナチスのゲッベルスだが、司法がお粗末なメディアに影響されるようでは日本に未来はなくなる。

2010年4月19日

自民党の液状化は止まらない

 自民党はかつて自らを「国民政党」と称した。資本家や大企業の利益を代表するのではなく、広く国民大衆の利益を代表する政党だと自負していた。自動車、家電を中心とする輸出産業を優遇し、その製品輸出で外国から金を稼ぎ、豊かになった企業とサラリーマンの税金を農村や中小企業に分配することで、大企業も中小企業も農村も自民党の票田だった。

 冷戦の間はその構造がうまく機能した。アメリカの「ソ連封じ込め戦略」は日本が共産圏に対抗出来るよう経済発展を促したが、1971年の「ニクソン・ショック」で様相は一変する。アメリカは日本の輸出に有利な1ドル360円の固定為替レートを撤廃し、日本の頭越しに共産国家中国と手を結んだ。アメリカにとって日本の戦略的価値は低下した。アメリカは沖縄返還の見返りに繊維製品の輸出規制を要求し、それを皮切りに農産品、自動車、半導体など次々に貿易戦争を仕掛けてきた。

 しかし自民党にとって高度成長は甘美な成功体験だった。構造転換が必要だと頭では思っても体が動かない。対米摩擦を何とかしのぎながら同じ道を突き進んだ。大票田である農村への分配は道路、ダム、空港などの公共事業を通じて行ったが、成長が終わればそれが財政負担となる。日本は国債依存体質の国家になった。

 90年、冷戦とバブルが同時に崩壊して本格的な失速が始まる。日本経済を「ソ連に代わる脅威」と見ていたアメリカは、日本の司令塔である大蔵省と通産省の解体に取りかかる。官僚批判が紙面を賑わすようになり、官僚主導体制と自民党の「金属疲労」が指摘された。「しがらみを断ち切らない限り構造転換は出来ない」と考える一派が自民党に生まれ、政権交代可能な体制を作るために自民党を離党した。

 自民党分裂が細川政権を誕生させ、自民党は初めて野に下った。しかしそれでも自民党には寄せ集めの連立政権より政治的老獪さがあった。スキャンダル攻撃でさきがけと社会党を連立から引き剥がし、国民の審判を経ずに再び権力を取り戻した。

 しかししがらみの自民党に構造転換は図れない。村山、橋本、小渕、森と続く政権は失速を更に加速させた。どん詰まりで登場したのが小泉総理である。「自民党をぶっ壊す!」と叫んで、自民党でありながら「政権交代」したかのような錯覚を国民に与え、国民はその錯覚に熱狂した。古い自民党をぶっ壊さないと国民の人気は得られないと自民党は思い込む。小泉政権は郵政選挙で「古い自民党」を切り捨てた。

 未熟な政治家は小泉政治を見て、メディアを操り世論の支持率を上げることが政治だと錯覚する。以来、メディアに登場して「古い自民党」を批判し「改革」を叫ぶ事が政治スタイルとなった。かつての「国民政党」はあらゆる階層に利益を分配する事で成り立ったが、今では「分配は悪」となり、世論の支持率を獲得する事が「国民政党」への道だと考えられた。

 「改革」と称して導入されたのは弱肉強食の競争原理である。世界では既得権益に挑戦する新規参入を優遇する事が「競争政策」だが、強者の利益を弱者に分配する事で成り立った日本では、弱者への分配がなくなると強者が益々強くなる。それが自民党支持層の生活基盤を直撃した。そこに「政治は国民の生活が第一」を掲げる民主党が登場する。民主党にかつての「国民政党」の面影を見た自民党支持者は自民党を離れた。去年の選挙で自民党は再び野党に転落した。

 「再び」と書いたが今回の転落は93年と事情が異なる。あの時自民党は分裂で議席を減らしたが選挙では負けていない。衆議院比較第一党の座はキープした。選挙後直ちに連立を組めば自民党政権は続いた筈だ。ところが小沢一郎氏に先手を打たれて細川政権の誕生を許した。しかし後にさきがけと社会党を引き剥がす事が出来たのは比較第一党でいたからだ。今回は衆議院第一党を民主党に明け渡した。そこが大きく違う。

 民主党の弱みは参議院で過半数に届かない。だから国民新党と社民党と連立を組むしかない。自民党が国民新党と社民党を連立から引き剥がせば民主党政権はすぐに潰れる。それが出来ないのは自民党が小泉路線を捨てないからだ。小泉路線の自民党とは国民新党も社民党も一緒になれない。従って自民党は次の参議院選挙で民主党の単独過半数を阻止するしかない。

 しかし与党だからこそ支持してきた業界団体は野党の自民党には投票しない。残る支持者は親子代々の「草の根」か、イデオロギーで民主党と相容れない「保守層」である。親子代々は公明党を、イデオロギーは日本共産党を連想させるが、それでは「国民政党」になれない。自民党は幅広いイデオロギーを包み込んだからこそ長期政権を維持できた。保守イデオロギーを強めれば強めるほど自民党は先細る。

 そう思うからまずは「官僚主導からの脱却」で民主党と手を組み、次に時間をかけて政策の対立軸を作るべきだと私は言ってきたが、自民党は「何でも反対」の路線を採った。昔の社会党とそっくりである。国会では与党の足を引っ張るだけで建設的な修正案を出さない。社会党は「二本(にほん)社会党」と揶揄されたように、党内に左右二つの潮流が存在したが、今の自民党にも小泉派と反小泉派の二つの潮流がある。

 そして自民党には国民から熱狂された甘美な思い出が今も脳裏に焼き付いている。だからメディアを意識したパフォーマンスにすぐ目が向く。しかし郵政選挙のお陰で国民はメディアに乗せられた愚かさを思い知った。それを気付かずにお笑い芸人と並んで喜ぶ政治家に国民は辟易している。小泉政治が残した遺産は自民党を液状化させて止まらない。その自民党から議員がこぼれ出した。理由は自民党に未来がないと考えるからである。

 メディアは「新党、新党」と騒いでいるが、盛り上がりは全くない。何故なら野党が分裂しても与党を利するだけで政局にならないからだ。「たちあがれ日本」が誰の票を食うかと言えば、自民党か、みんなの党か、与党の中でも国民新党ぐらいだろう。公明党と同じで選挙後の情勢次第では民主党というより小沢幹事長と手を組む可能性がある。一方で民主党系の首長が「日本創新党」を結成したが、これにも「日本新党」のようなインパクトはない。乱立で「第三極」が食い合う可能性もある。

 新党の動きは、全てが選挙後の結果を見てからの連立狙いである。メディアは世論調査の支持率だけで参院選の民主党劣勢を喧伝するが、それは前提として普天間問題で鳩山政権が立ち往生する事を想定している。新聞もテレビも全社がそれを確信しているかのような報道だ。しかしこの国の新聞とテレビは全社揃って間違う事が良くある。全社で間違えれば誰からも非難されないので安心して誤報するのである。「赤信号みんなで渡れば怖くない」のだ。

 最もドラマティックな展開があるとすれば、郵政選挙の裏返しで民主党が分裂選挙を仕組むことである。郵政改革法案は間もなく骨子が発表されるが、それは小泉政権の民営化路線の真逆である。自民党は二つの潮流で股裂きになり、民主党の中にも意見の対立がある。この法案を巡って自民党と民主党の中に分裂の芽が生まれれば、それを利用して参議院選挙を政界再編の導火線にする事も出来る。新党騒動や普天間問題よりそちらの方が注目点かも知れない。


■銀座田中塾のお知らせ(最終回)
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に見る「あの世」と「この世」
日時;4月22日午後6時半~8時半
会費:3000円(お弁当・お茶付き)
場所:東京都銀座2-10-18 中小企業会館8階
申し込み先:銀座モリギャラリー
電話090-6598-0939
Email:morim-p@gol.com

2010年4月 5日

政治家の説明責任

 「政治家には説明責任がある」と言う人たちがいる。これも「利益誘導は汚れた政治」と同じで、官僚政治に洗脳され、信じ込まされた「もっともらしい嘘」である。政治家は本人が「説明する必要がある」と判断した事を説明すれば良いのであり、何でも説明しなければならない「責任」などない。選挙の洗礼を受ける政治家には「ノーコメント」を言う自由がある。

 リクルート事件の時、国会で最大の焦点となったのは疑惑の中心にいた中曽根康弘前総理(当時)の証人喚問だった。野党は予算を人質にして竹下政権に証人喚問の実現を強く迫った。国会で虚偽の証言をすれば議院証言法違反で刑事訴追される可能性がある。従って質問をする方は虚偽の答弁を引き出そうと手ぐすねを引いている。公開で行われる証人喚問には相当のプレッシャーがかかる。中曽根氏は頑として喚問に応じなかった。

 窮地に陥った竹下政権は議院証言法の改正を行った。ロッキード事件やグラマン事件の証人喚問の際、プレッシャーのため手が震えて自分の名前を署名できない証人の姿がテレビカメラに映し出されていた。その点を取り上げて人権的配慮を名目に証人喚問のテレビ映像を静止画にしたのである。そうする事で中曽根氏に喚問に応ずるよう促した。この法改正によって日本ではしばらくの間、国会の証人喚問は静止画になり音声だけが流れる奇妙な放送となった。

 当時アメリカ議会の審議映像を日本に紹介する仕事をしていた私は、自民党議員からアメリカ議会の証人喚問について質問された。アメリカでは、証人喚問を公開するか非公開かを決めるのは証人自身である。証人が公開を望まなければ非公開になる。法律で公開を強制することはない。それが人権的配慮である。しかし公的な立場にある者が非公開を望めば国民に「クロ」の心証を抱かせる。特に政治家は選挙の洗礼を受けるから選挙に不利になる。従って公開するのを望む者が多い。

 しかし政治家が公開を拒む事もあり得る。非公開となればメディアは一切取材できない。映像は流れないが音声は流れるなどという中途半端ではない。国民には非公開の事実が分かるだけで内容は公表されない。しかし与野党の議員が証人喚問するので、国民の代表がしっかり見届けた事になり、証言内容は重い意味を持つ。つまり民主主義にとって不都合はない。

 私の説明を聞いた自民党議員は「合理的だな」と感想を述べたが、日本の仕組みはそうはならなかった。法律で静止画と決められ、再び法改正があって動画に戻った。肝心の証人の意思は全く無視である。この国で「メディアに取材させない」などと言ったら、「国民の知る権利を妨害するのか」とか「民主主義に反する」とか言ってメディアが怒り狂うだろう。この国ではメディアは権力であり取材規制は出来ない。しかし成熟した世界ではメディアに取材させないのも民主主義にとって重要なのである。そして政治家には日本のような「説明責任」は求められていない。

 経営方針を決める会議をガラス張りにするような企業はすぐ潰れるに違いない。ライバル会社に手の内を知られたら競争に勝てない。仮に従業員がどんなに透明な経営を求めても、むしろ従業員を守るため、経営陣は表に出す情報と出せない情報を識別し、タイミングを図りながら公開していく。そこを間違うと命取りになる。企業には企業秘密がつきものである。

 国家の経営は企業のそれより遙かに複雑で競争も熾烈である。どんな政策を実現するにも、国の内外の至る所に敵がいる。敵は味方のような顔をして近づき、手の内を探り、手の内を知ると、包囲網を構築して潰しにかかってくる。従って政治家には味方のような顔をする敵を探り出す必要があり、そのため言を左右に炙り出しをかけ、最後の最後まで誰にも手の内は明かさない。政治こそ秘密が強力な武器になる。

 企業が株式会社なら最高決定機関は株主総会である。株主の一票によって企業の経営方針が左右される。何故なら株主から預かった資金によって企業は運営されているからである。企業秘密があると言っても、株主から預かった金の使い道について株主に秘密にする事は許されない。経営者は株主に「説明する責任」が求められる。これがアカウンタビリティ、すなわち「説明責任」である。

 国家も同様である。国民から税金を預かった政府は、税金の使い道について機密費を除けば秘密にする事は許されない。税金は各役所に配分されるから各役所が説明する責任を負う。国家の最高決定機関は国会だから、国会の求めに応じて各役所は使い道を全て明らかにしなければならない。それが政治の世界のアカウンタビリティ、「説明責任」である。そもそもは70年代のアメリカで、行政府が主権者国民に対して負わなければならない責任として導入された。

 その言葉が輸入されると日本の官僚は得意のすり替えを行った。官僚のお先棒担ぎで検察と二人三脚のメディアが広めるものだから、税金の使い道より政治家の倫理や道義の「説明」にすり替えられた。検察が政界捜査を始めると、メディアは早々に政治家の「説明責任」を求める。するとそれに立法府が反応する。捜査はいずれ司法の問題になるから、司法の場で処理するのが世界の常識だが、この国はそうはならない。

 国民生活をいかに向上させるかを議論する立法府が、そうした議論を全てなげうち、ひたすら政治家の道義的倫理的な「説明責任」を求めるのである。国家の経済が順風満帆ならいざ知らず、世界がみな経済の行方に真剣に取り組んでいる時、この国だけはすり替えられた「説明責任」にとりつかれ、証人喚問だとか、政治倫理審査会を開けという話になる。

 官僚ではなく「政治家の説明責任」を叫ぶことが民主主義だと思っている政治家やメディアには呆れかえるしかない。この国の経済の舵取りに責任を持っているのは与党だけではない。野党にも同様の責任がある。政治家は司法の問題は司法に任せ、本来の自分たちの仕事に精励し、「説明責任」は行政府の官僚に求めるべきだと思うが、それをやらない。どうも「民主主義」とか「改革」を叫ぶ者ほど、官僚のマインドコントロールにどっぷりと浸かって官僚に利用されているのが今の日本である。


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Profile

田中良紹(たなか・よしつぐ)

-----<経歴>-----

1945年宮城県仙台市生まれ。
1969年慶應義塾大学経済学部卒業。
同年(株)東京放送(TBS)入社。
ドキュメンタリー・デイレクターとして「テレビ・ルポルタージュ」や「報道特集」を制作。また放送記者として裁判所、警察庁、警視庁、労働省、官邸、自民党、外務省、郵政省などを担当。ロッキード事件、各種公安事件、さらに田中角栄元総理の密着取材などを行う。
1990年にアメリカの議会チャンネルC-SPANの配給権を取得して(株)シー・ネットを設立。
TBSを退社後、1998年からCS放送で国会審議を中継する「国会TV」を開局するが、2001年に電波を止められ、ブロードバンドでの放送を開始する。
2007年7月、ブログを「国会探検」と改名し再スタート。

BookMarks

日本初の政治専門チャンネル!
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国会TV
http://kokkai.jctv.ne.jp/

-----<著書>-----


『裏支配─いま明かされる田中角栄の真実』
2011年1月、電子書籍


『メディア裏支配─語られざる巨大マスコミの暗闘史』
2005年3月、講談社

-----<編書>-----


『憲法調査会証言集─国のゆくえ』
2004年7月、現代書館

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