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2009年12月29日

維新の年末

 「週刊新潮」に文芸評論家の野口武彦氏が「明治めちゃくちゃ物語」を連載している。野口氏によると「明治のメの字はめちゃくちゃのメ」だそうだ。特に明治の初年は「びっくりするほどめちゃくちゃな時代だった」。「徳川幕府を打倒して出来た新政権は、まだ海の物とも山の物ともつかず、権力実体は曖昧模糊として、自前の財源も軍隊も官僚組織もない」と4月2日号に書いている。

 それを読んだ後に現実の「政権交代」が起きた。日本の歴史上初めて国民が自らの意思で政権を誕生させた。私はかねてから「政権交代は明治維新に匹敵する体制変革だ」と言い続けてきたので、ある程度は「めちゃくちゃが起こる」と想定した。常時政権交代を繰り返している欧米先進国には混乱を避けるためのルールもあるが、初めての日本にはルールも何もない。そこで誰がどのような動きをするか。それに興味があった。

 アメリカでは政権交代に伴い数千人規模で官僚のクビが切られ、ワシントンの住人が入れ替わる。新政権が自分たちの意向で官僚を登用するから、政治主導になるのは当たり前である。しかし日本には霞が関の官僚のクビを切るルールがない。そこでどのようにして行政を政治に従わせるかが第一の注目点である。それは予算の作成を巡って見えてくる筈であった。

 これまでの予算作成の主役は霞が関である。各役所が役所ごとに予算を積み上げ、それを財務省が査定して予算案をまとめ上げた。従って地方自治体や業界団体の陳情は主に霞が関、次いで援軍となる与党政治家に向かう。そのうちに霞が関と与党政治家との間に持ちつ持たれつの関係が出来る。予算をつけるのをいったんは渋って見せ、与党政治家の一言で実現したと見せかけて、陳情した地方自治体や業界にカネと票で与党政治家を支援させ、その代わり与党政治家は役所の利益のために身を挺して協力する。これが族議員を生み出す構図であり、官僚主導の政治である。

 新政権ではまず各役所に入った政務三役(大臣、副大臣、政務官)によって予算の概算要求が作られた。これが95兆円と過去最大であったためメディアは大騒ぎしたが、就任1ヶ月足らずで作成したのだから、ほとんどが官僚の作成した数字に依拠したものと思われる。それをどこまで変えられるのか、騒ぐのは早過ぎるのである。すると次に「事業仕分け」が始まった。国の事業の一部を抽出して必要かどうかを公開の場で判断した。これは予算編成前のパフォーマンスに過ぎないのだが、初めて予算を巡る攻防が公開されて国民の目は釘付けとなった。

 「公開処刑」との批判があったが、実は「公開処刑」こそ政治主導に持ち込む方策である。霞が関の官僚のクビを切らずに政治に従わせるには、官僚に対して信賞必罰、アメとムチとを使い分ける必要がある。一方で新政権に協力する官僚を重用し、他方で抵抗する官僚を見せしめにして更迭する。それがなければ政治主導など図れない。だから斉藤次郎元大蔵事務次官や江利川毅元厚生労働事務次官の登用は「天下り」ではない。霞が関の官僚たちに向けた信賞必罰の一方の姿勢である。

 ところがもう一方の姿勢が見えてこなかった。せっかく「事業仕分け」で「公開処刑」をしたのだから、続いて政務三役が各役所で「見せしめ」を行い「ムダ」を搾り出すと思っていたがそれがなかった。「ムダ」を最も良く知っているのは官僚である。だから官僚からそれを吐き出させる必要がある。官僚と無用の対立をする必要はないが、吐き出させるには正論で押すだけでは無理である。やはりアメとムチが必要なのである。

 結局、吐き出させられると思っていた「ムダ」が出てこなかった。まだ官僚を使いこなせていない証拠である。そのため「財源不足」が浮上して国債発行を増やすのか、マニフェストを変更するかの選択を迫られた。鳩山総理は国債発行を抑制し、マニフェストを変更する道を選んだ。マニフェストで大事なのは政治の方向性であり具体的な政策の一つ一つではない。野党時代の民主党にはマニフェストの逐条を絶対視し、官僚の登用を全て「天下り」として認めないなど「幼児性」があったが、政権を取って少し成長した。

 そのようにして92兆円を越す過去最大規模の平成10年度予算案が出来上がった。景気悪化による9兆円の税収減という悪環境の中で、社会保障費を10%増やし、公共事業費を18%減らした。マニフェストの言う「コンクリートから人へ」を実現する予算案になった。ただどうせマニフェストを変更するなら子供手当てに所得制限を認めて、その財源を少子化対策の他の分野に回しても良かったのではないかと個人的には思う。もっともそこは通常国会で野党に追及された場合の修正部分になるのかもしれない。

 それにしてもメディアの評価はいずれも「借金増やしてばらまき膨張」と手厳しい。借金を増やすのは「百年に一度」と言われる滅多にない危機的状況の中で景気悪化による税収減があるのだからやむを得ない。また子供手当てや農家への所得補償をばらまきと見るか消費刺激策と見るかだが、少なくも「選挙目当てのばらまき」の規模は超えている。私は経済効果は出てくると思っている。

 予算案が出来たところでメディアは世論調査を行い「内閣支持率激減」と騒いでいる。どれほど「激減」したかと言えば支持率が50%を割り込んだと言うからアメリカのオバマ政権と変わらない。去年の9月に発足した麻生政権は12月に支持率が20%台に下落し、不支持が60%台と支持を上回っていた。それに比べて騒ぐほどのものかと思うが、メディアはとにかく騒いでいる。

 ただ世論調査で鳩山総理の指導力に疑問を呈する人が多いのは頷ける。毎日ぶら下がり取材に応じて余計な事をしゃべっているからそう見えるのである。世界中で毎日記者の取材に応ずる指導者などいる筈がない。どの指導者にもスポークスマンが居てそれが取材に応ずる。最高権力者が取材に応ずるのは時々の事で、だからその言葉には重みがある。重みのある事を言うから最高権力者なのである。

 ところがわが国では党内に全く力のない小泉総理が誕生し、彼は党内と戦うために国民を味方にする必要があった。そのため官房長官というスポークスマンが居りながら、自分でパフォーマンスをしてみせた。稀代のパフォーマーである小泉氏は鼻歌を歌いながら記者を煙に巻き、独特のテクニックで国民を目くらましにした。こんな事は民主主義とも説明責任とも何の関係もない。むしろ民主主義を劣化させるだけの話である。

 特に交渉事については「沈黙こそ金」である。普天間問題で「アメリカの本音は」とか「誰がどう言った」などと最高権力者は決して言うべきでない。しかも駆け出しの何も知らない記者を相手にである。言われた当事者が不快になるのは当たり前である。これではまとまる話もまとまらなくなり、相手に足元を見られる。そんな事をあちこちで言っていたら、鳩山総理が「ぶら下がり取材でサービスし過ぎて反省している」と言ったそうだ。私の話が耳に入った訳でもないだろうが、しかしその直後に「グアムに移転するのは無理」と発言したそうだから全く反省していない。これでは弁慶役を演じている亀井静香氏や小沢幹事長はお守りをするのが大変だ。

 それが私の目に映る政権交代初年の年末風景である。わが国の政権交代は先進諸国の政権交代と違い、長年続いた一党政治が変わったという意味で、これまでの既得権益には厳しい筈である。「事業仕分け」に抗議していたのは既得権益の方々である。だからもっと激しい反撃の声があちこちから上がると思っていた。しかし最も声を上げているのはメディアである。恐らくメディアが霞が関をはじめとする既得権益の声を代弁している。

 戊辰戦争が終っていなかった明治初年の年末と比べるといささか緊迫感に欠ける今年の年末だが、来年はいよいよ参議院選挙という「最終戦争」がある。新政権に対する反撃はこれまで以上に激しくなる筈だ。通常国会がその舞台だが、出来る事なら自民党には予算案の中身で新政権に戦いを挑んでもらいたい。スキャンダル追及に終始して予算の議論を全然しない予算委員会を散々見せつけられてきた立場からすると、かつての万年野党社会党の真似だけはして欲しくないからである。

2009年12月21日

?だらけの日本のメディア

 国民がそれまでの政治に希望が持てなくなった時に政権交代は起こる。暮らしが苦しくなったり、政権の方針に疑問を感じて「希望を持ちたい」と思う心が政権交代を起こす。

 8月の選挙で日本にも初めて政権交代が起きた。その時「景気を良くして欲しい」との願いが国民にあったと思う。景気の「気」は気持ちの「気」だから、景気を良くするには国民の気持ちを変える必要がある。これまで固かった財布のひもを緩める気に国民がなれば景気は良くなる。 

 政権交代をした時点では前の政権が作り上げた経済構造と経済政策が生きている。新政権が新たな経済政策を掲げても、法律を作り、仕組みを変え、効果が出てくるまでには時間がかかる。それよりも新政権への期待感で国民の気持ちを変えさせる方が効果的である。国民が選んだ政権だから、明るい気持ちにさせてやれば景気の「気」が上向く。

 80年代から90年代にかけてのアメリカでは、まずレーガン大統領がそれまでの経済政策を転換し、減税による消費拡大で「強いアメリカ」を実現しようとした。しかしこの経済政策(レーガノミクス)は当初全く理解されず、ブードゥー・エコノミー(インチキ経済学)と呼ばれた。実際に減税で貧富の差が拡大し、軍備増強で財政赤字も拡大した。次のブッシュ(父)政権は増税を行ってバランスを取ろうとしたが経済はさらに落ち込んだ。消費が冷え込んでデパートが次々潰れた。湾岸戦争の勝利で史上最高の支持率を獲得したブッシュ大統領だが、経済の悪化で「チェンジ」を叫ぶ無名のクリントンに大統領の座を奪われ、共和党から民主党への政権交代が起きた。

 その時である。クリントン政権の経済政策が打ち出される前に、国民の期待感が財布のひもを緩めさせ、クリスマス商戦が久しぶりに活気づいてデパートに客が溢れた。するとそれが引き金となって景気が上向き、アメリカ経済が成長路線に乗った。それは新政権の経済政策のせいではなく、前々政権のレーガノミクスが効果を現し始めたとエコノミストは分析した。

 政権交代を景気上昇に結びつけたのはメディアの功績である。「大きな政府」路線と予想されたクリントンの経済政策をいたずらに批判せず、「100日間はお手並み拝見」とまずは国民に期待を抱かせ、それが財布のひもを緩めさせた。その後発表された経済政策は国民に不人気で、クリントンは早々に「大きな政府」路線をレーガノミクス路線に切り替え、その後のアメリカに長い好景気を持続させた。

 ところがわが国のメディアは政権交代直後から「鳩山不況がやって来る」の大合唱だった。野党が批判するのは良いとしても、メディアの立場はそれとは異なる。「国民が選んだ政権だから100日間はお手並み拝見」と国民に期待感を抱かせれば良いのに、景気の「気」を削ぐ報道を続けた。つくづく知恵のない国だと思う。政権交代に慣れていないとは言え、国民の側に立てないメディアは?である。

 普天間基地の問題で駐日米国大使が日本の外務大臣に対し「顔を真っ赤にして怒った」との報道があった。もしもそれが事実なら、「アメリカは日本を従属国と見ている事が証明された」、「駐日米国大使には外交官の資質がない」と解説するのが普通である。外交の儀礼上考えられない事実だからである。外交は二枚舌、三枚舌の世界だから、嘘をつく事はあるだろうが、主権国家の外務大臣に「激怒」する外交官は異常である。

 そこで「主権国の外務大臣に非礼だ」と批判するのかと思ったら全く逆で「だから日本はアメリカの言う事を聞け」と言うのである。これは一体どういうことか。どこの国のメディアでも外国との問題では主権を主張するのが普通である。ところがこの国のメディアは外国の非礼を批判しないどころか、外国の言うままに国民を洗脳しようとする。いかに「恫喝に怯むDNA」が埋め込まれているとは言え、こんなメディアは?である。

 外交の儀礼と言えば、天皇の「特例会見」が問題になっている。宮内庁長官が記者会見で「天皇の政治利用」と批判した事から公になった。報道されている内容を要約すると、1.天皇との会見は1ヶ月以上前に申し込むルールがあるのに、中国政府はそれを守らなかった。2.会見拒否を回答したのに様々なルートから何度も要請があった。3.最後は中国で胡錦濤国家主席に厚遇された民主党の小沢幹事長が、それとの取り引きで無理に天皇との会見を実現させたという話である。批判は特例を要求した中国政府ではなく、それを認めさせた小沢幹事長に向いている。

 しかし報道された事実は首を傾げたくなる事だらけである。裏がありそうで額面通りには受け取れない。ところがメディアは何の疑問も感じておらずまるで「金太郎飴」である。私は中国問題の専門家ではないが、来日した習近平国家副主席は胡錦濤国家主席の後を継ぐ候補者として李克強国務院副総理と競い合っている。李克強氏は胡錦濤国家主席と同じ中国共産主義青年団の出身でかなり前から小沢一郎氏と親しい。若い頃小沢氏の家にホームステイしていたと言われている。そういう関係からか例年12月に行なわれる小沢氏の訪中は中国共産主義青年団が窓口となっている。

 習近平氏は上海閥・太子党と言われるグループに属するが、上海閥と近いのは野中広務氏や二階俊博氏である。習近平氏と李克強氏の権力闘争は激しいらしい。習近平氏から見れば小沢氏は相手側の人物である。そうしたことを前提に新聞・雑誌などの情報で事の成り行きを整理してみる。習近平氏の訪日が年末にある事は今年初めから外務省も宮内庁も把握していた。胡錦濤国家主席が副主席時代に天皇と会見している事から、習氏が会見を希望する事も予想されていた。

 11月初めに外務省は受け入れ準備に入った。しかし具体的日程は中国の国内事情で決まらなかった。天皇との会見のための1ヶ月ルールは中国側も知っていた。ただしそれがどれほどの重大さと認識していたかは分からない。12月14日からの訪日が非公式に伝えられたのは11月19日である。外務省は宮内庁に連絡した。文書による正式要請の期限は11月15日だから期限はわずかに過ぎていた。

 20日に中国外相が鳩山総理に協力を要請した。つまり特例を求めた。しかし外務省が宮内庁に会見を打診したのは26日と発表されている。このズレはどういうことか。そして27日に宮内庁は外務省に拒否回答をした。しかし外務省が中国側に「会見は無理」と回答したのは30日である。このズレは何を意味するのか。訪日の2週間前に断られて中国側は焦ったようだ。12月3日王光亜外務次官が宮本中国大使を中国外務省に呼びつけて会見を要請した。宮本大使は外務省に官邸を説得するよう要請したが岡田外務大臣がこれを拒否した。7日、駐日中国大使が中曽根元総理に協力を要請した。中曽根氏は平野官房長官に連絡し、官房長官が宮内庁長官に電話で要請したが断られた。9日、遂に中国大使が小沢幹事長に協力を要請する。

 翌10日から訪中予定の小沢氏に、大使は天皇との会見が実現したら訪中団の議員全員と胡錦涛国家主席との握手を約束したと言われている。小沢訪中団が中国で胡錦涛国家主席と握手を交わした10日に断り続けてきた宮内庁が一転して会見を受け入れた。そして翌11日に宮内庁長官が記者会見で「政治利用だ」と不快感を表明した。私が注目するのは宮内庁長官の記者会見のタイミングである。

 外国の賓客の接遇を巡って日本側に問題があった場合、その問題を公にするのは賓客が帰国した後というのが常識である。賓客の来日前に公にして政治問題化させた例を私は知らない。これは普通でない。下衆の勘繰りで言わせて貰えば、申し込み期限をわずか5日過ぎたからと言って断ると断る方が批判される可能性がある。従って日本の外務省と宮内庁は拒否回答をぎりぎりまで遅らせた。焦った中国側が最後に民主党の実力者に頼みに行く事を想定しそれまでは断り続けた。小沢氏の訪中のニュースを国民が見た後で、つまり特別待遇である事を皆が知った直後に、小沢氏が中国側から特別待遇を受けるために取り引きをして天皇との会見を無理強いしたと印象付ける会見を宮内庁長官が行った。これで小沢訪中と特例会見が国民の中で結びつく。そうでなければ宮内庁長官が賓客来日前の11日に公にして政治問題化させる意味が分からない。

 宮内庁長官が「1ヶ月ルールを無視することは政治利用」と言うのなら何故最後まで拒否し続けなかったのか。会見を認めた時点で宮内庁長官自身も天皇陛下の政治利用に荷担している。それなのに天皇陛下を政治利用させた責任を取ろうとしない宮内庁長官の論理は如何なるものか。「内閣の一員であるから仕方なかった」などと言う弁解は通らない。それなら最初から拒否出来ない筈である。そういう事に疑問をもたないメディアは?である。

 「1ヶ月ルールを無視することは天皇の政治利用であり、あってはならない」とメディア自身も思うなら、まずは特例を要求してきた中国政府、次に認めさせようとした中曽根元総理と小沢幹事長、そして受け入れを決めた羽毛田宮内庁長官をいずれも批判すべきである。それをしないのはどういう訳か、全く訳が分からない。

2009年12月14日

恫喝に怯むDNA

 アメリカのいつもの恫喝に怯んで「日米関係は危険水域だ」と叫ぶ人たちがいる。これを見てアメリカは「百年以上も昔から日本は何も変わっていない。日本には恫喝が一番だ」と思っているに違いない。ペリー来航の時から日本人の中には恫喝されると及び腰になるDNAがある。

 江戸時代の日本は「鎖国」によって国を閉ざしていた訳ではない。海外渡航を禁じてはいたが、外交と貿易は徳川幕府が独占して行っていた。長崎だけが窓口の一種の管理貿易体制である。従って江戸時代の日本には海外から様々な知識や情報が流れ込んでいた。日本が「鎖国」を続けた理由は、自給自足できる勤勉な国が外国との交流で植民地化される危険を冒す必要はないと考えたからではないか。

 しかし産業革命で生産力を高めた欧米列強はアジアに植民地を求めてきた。中国がアヘン戦争によって列強の支配下に置かれると、その情報はいち早く日本に伝えられ、日本人は強い危機感を抱いた。中国との貿易でヨーロッパに遅れをとったアメリカは、中継地として日本を開港させる必要があり、ペリーが艦隊を率いてやって来たが、アメリカのやり方は交渉ではなく恫喝だった。

 他の国はみな幕府の指示に従い長崎を窓口に交渉した。しかしアメリカだけは江戸湾に軍艦を乗り入れ、空砲を撃って江戸市中を恐怖に陥れた。ペリーは「開港するか戦争するかを来年までに返事せよ」と通告して日本を去る。これで日本は大騒ぎとなるが、及び腰の幕府の姿に200年以上続いた支配体制が揺らぎ始めた。「恫喝されて不平等条約を結ぶ幕府を許さない」と「尊皇攘夷」運動が高まった。

 幕末に「富国強兵」を説いた儒学者横井小楠は、アメリカのやり方を「覇道」と批判、「アメリカに王道を説くべし」と言った。福井藩の俊才橋本左内は「日本はロシアと提携してアメリカに抗すべし」と主張した。しかし幕府は彼らを弾圧、アメリカの要求通りに条約を結んだ。だが恫喝に屈した幕府はほどなく「尊皇攘夷」派に打倒された。

 幕府を倒した明治の官僚国家は日露戦争に勝利して世界を驚かせた。中でもアメリカは、ペリーの恫喝に屈した日本が半世紀も経ずに軍備を整え、ロシアのバルチック艦隊を破った事に恐怖した。日本はアメリカの「仮想敵国」となり、日本攻撃のための「オレンジ作戦計画」が作られ、ハワイが要塞化されて太平洋艦隊が配備された。

 第二次世界大戦でアメリカは「オレンジ作戦計画」のルート通りに日本を攻め、敗れた日本はアメリカに占領された。間もなく冷戦が起きて日本の基地が必要となったアメリカは、反共の防波堤を堅固にするため、日本を世界に冠たる工業国に育て上げ、日本は世界第二位の経済大国に上り詰めた。しかし冷戦が終息に近づくと今度はそれがアメリカと日本との間に「経済戦争」を引き起こす。

 再びアメリカの恫喝が始まった。80年代には日本製品をハンマーで叩き壊すTV映像が次々に送られて来た。「自動車の街デトロイトには反日の嵐が吹き荒れ、日本人は石を投げられる」と知日派アメリカ人たちが真顔で言う。「投げられようじゃないか」と私がデトロイトに行くと、反日の火の手などどこにもなかった。日本車がすいすいと走り回り、みんなが日本車を欲しがっていた。騒いでいたのはワシントンで、メディアと政治家が恫喝の発信源だった。

 90年代の初め、日本の新聞の1面に「貿易摩擦を続けるならアメリカは日本から軍隊を引き上げる」との大見出しが踊った。何の事かと思ったら、下院議員が記者会見で「日本を制裁するため在日米軍撤退法案を議会に提出する」と言ったという。アメリカの政治専門チャンネルC-SPANで早速記者会見の映像を見た。記者会見した議員は伏し目がちで、アメリカ人記者から「撤退して困るのはアメリカでは」と質問されるとしどろもどろになった。選挙区向けのお粗末なパフォーマンスを日本の新聞は何で1面トップに掲載するのかと腹が立った。

 宮沢総理が国会で「最近のアメリカ経済はマネーゲームになり、物を作る労働の倫理観が薄れた」と発言したら、それが「アメリカ人は怠け者」とアメリカに伝えられ、アメリカ議会が大問題にした。「戦争に勝った国がなんで怠け者なんだ」から「日本にもう一度原爆を落とさないとアメリカの強さが分からない」まで恫喝のオンパレードになった。敗戦国は叩くものだとアメリカは思っている。

 そんな恫喝にいちいち反応していたら何も問題は解決しない。ところがこの国のメディアは過剰に反応する。そして情けないのはその報道を鵜呑みにする政治家がいる。昔はそうした報道で政治家に食い込み、「私がアメリカ側と接点を作って上げる」とマッチポンプを専門にするゴロツキ特派員がいた。

 しかし「経済戦争」が激しかった頃のアメリカは本音では日本に一目置いていた。置いていたから色々恫喝してきた。日本側はアメリカの顔を立てる振りをしながらしっかり実利を確保した。なかなかに見応えのある交渉を行い「経済戦争」の勝者は日本だった。しかし湾岸戦争を契機に日本はアメリカに見くびられるようになる。

 1兆円を超す日本の資金提供は湾岸戦争に大きく貢献した。しかし日本は誰からも感謝されなかった。人的貢献が無かったからだと説明されたがそれは嘘である。勢いのある経済大国日本を本気で怖れるようになったアメリカは、日本が独自の中東戦略を持たず、ひたすらアメリカに協力を申し出た事で日本をバカにした。中東の石油は日本経済の生命線である。それなのに他人任せである事が分かった。経済戦争であれだけ煮え湯を飲まされたが、本物の戦争が起これば何でもアメリカの言いなりになる。そこから「日本イジメ」が始まった。

 アメリカは戦後の日本に決して自立できる軍事力を持たせず、自衛隊をいびつな形に作り上げてきたにもかかわらず、「ショウ・ザ・フラッグ」だの「ブーツ・オン・ザ・グラウンド」だの言って、日本に人的貢献を求めた。憲法を作ったのはアメリカだから、憲法の制約があることも百も承知である。その度に日本政府は苦渋の決断を迫られ、「安全だから軍隊を出す」という世界大爆笑の間抜けな論理を真面目に言う羽目になった。

 「アジアは世界で唯一冷戦が残っている」と日本に言って基地を存続させながら、アメリカは着々と中国や北朝鮮と手を組む準備を進めている。アメリカの頭の中は「冷戦後」だが日本の頭は今でも「冷戦中」である。小泉政権時代に某外務大臣が米中の蜜月関係に懸念を表明すると、「文句があるならもう一度戦争して勝ったらどうか」とアメリカの高官から言われたという。これに日本は反論できない。

 利権まみれの政治のせいで13年間何も進まなかった普天間問題をじっと見てきたアメリカが移設を急ぐ理由は何もない。民主党政権が誕生すれば自民党と政策が異なるのもアメリカは先刻承知である。しかしそれをただで認めてしまったらアメリカは何の利益も得られない。恫喝に怯む日本のDNAを百年以上も見続けてきたアメリカだから今回のような動きは当然である。試されているのは新政権の外交力だ。決着のさせ方でアメリカの日本を見る目が決まる。

2009年12月 7日

普天間問題から見える日本

 1995年に沖縄で米海兵隊員による少女暴行事件が起き、反基地運動が高まった事で当時の橋本総理が普天間基地移設を言い出した時、橋本政権の要職にあった政治家たちが相次いで沖縄に事務所を開設した。自分の選挙区でもない土地になぜ事務所を作ったか。基地の移設で大規模な公共工事が始まり、多額の税金が投入される事が予想されたからである。沖縄は政治家と業者にとって利権の島となった。

 98年に誕生した小渕政権は先進国首脳会議(サミット)の開催地を沖縄と決め、2000年に森内閣の下で行われた会議にはサミットで過去に例がない814億円もの税金がつぎ込まれた。取材に訪れた外国人記者は会議を「宴会」と酷評し、日本は世界に恥をさらした。翌年サミット準備室の数々の不正が発覚し、そこから責任者であった松尾克俊要人外国訪問支援室長の外務省機密費流用の実態が明るみに出て、日本外交はさらに世界に恥をさらした。

 市街地に基地があるため事故の危険性や騒音に悩まされてきたのは沖縄県民である。移設を急ぐ必要があるのは日本側でアメリカではない。であるのに移設に時間がかかったのはアメリカではなく日本側の事情である。辺野古沖なのか海岸の埋め立てか、利権を巡る調整がつけられずに13年が過ぎた。それをアメリカはじっと見てきた。

 アメリカが海外に基地を持つようになったのは戦後の日本が初めてである。冷戦が始まり朝鮮戦争が勃発してアメリカに出撃と補給の基地が必要となった。補給のためには日本の工業力を再建する必要がある。こうして戦後の日本はアメリカの手によって工業国家としてスタートする事になった。

 冷戦のおかげで反共の防波堤としての日本はアメリカにとって死活的に重要となった。日本経済の成長もアメリカには好都合である。1ドル360円の為替レートは日本の輸出を有利にし、日本はアメリカに次ぐ世界第二位の経済大国へと上り詰めた。在日米軍基地は日米安保条約によって固定化され、ベトナム戦争の出撃拠点としてさらに重要さを増していった。

 在日米軍基地は日本を守るためにあるのではない。太平洋から中近東、アフリカにまたがる広大な地域の安全保障をカバーする軍事拠点である。その拠点がなぜ韓国でもフィリピンでもなく日本にあるのか。それは日本が他国より抜きんでた工業力、技術力、カネの力があるからである。アメリカからすれば戦後アメリカが育て上げた日本の力を利用するのは当然と考えられた。

 しかし高度成長が終わる70年代からこうした構造に変化が生まれた。71年にアメリカは1ドル360円の固定為替相場を廃止、そして日本の頭越しに中国と手を結んだ。いわゆる「ニクソン・ショック」である。日本の輸出力は削がれ、反共の防波堤としての重要さも薄れた。日本はこの時に戦後の国家戦略を再考すべきだったかも知れない。しかし当時の日本は「ニクソン・ショック」の意味を理解できず、輸出と日米安保に頼って生きるしかないと考えていた。

 91年にソ連が崩壊して冷戦が終っても、アジアには中国と北朝鮮が存在するという理由で日米安保体制は強化された。在日米軍基地の重要さもいささかも変わらなかった。しかし一方でアメリカは日本の経済力を「ソ連に代わる脅威」と位置づけ、日本経済の弱体化を図るようになる。様々な分野で日本からアメリカに金が流れる仕組みが作られた。北朝鮮の核の脅威に対抗するため日本はアメリカからイージス艦やミサイル防衛兵器を買い、グアム移転などの米軍再編費用も負担することになった。そうした流れの中に普天間問題はある。

 冷戦後のアメリカの議論の中にソ連の末期と日本との類似性を指摘する声がある。ブレジネフ時代のソ連共産党には様々な腐敗が見られ、それを粛正するためにゴルバチョフが登場した。ゴルバチョフは数々の改革を行ったがソ連は崩壊した。自民党に小泉総理が誕生したのもゴルバチョフと同じだとアメリカ人は言うのである。彼らは小泉氏を「日本のゴルバチョフ」と呼んだ。アメリカは自民党政権の腐敗を知りながらそれを自国の利益に都合良く利用してきた可能性がある。普天間問題をそうした視点で見る必要もある。

 今年アメリカにオバマ政権が誕生した。アメリカの大統領として初めて「核廃絶」を唱え、来年ワシントンで安全保障サミットを開こうとしている。焦点はロシアに加えて中国を「核廃絶」の同盟に引き込めるかどうかだ。一方で米朝二国間協議も行われようとしている。簡単ではないだろうが休戦状態の朝鮮戦争に終止符が打たれ、中国と北朝鮮の核の脅威が薄れれば、北東アジアの安全保障情勢に大きな変化が生まれる。

 来年横浜で開かれるAPECに出席する際、オバマ大統領は広島、長崎を訪れたい意向で、それまでに「核廃絶」の成果を上げたい筈である。そして来年は日米安保条約が50周年の節目を迎える。日本にも政権交代が実現した事でオバマ大統領は歴史的な節目の年にしたいのではないか。普天間問題はこうした流れの中にもある。

 一方で過去の自民党政権とアメリカ政府との合意がある。合意を作り上げた人たちは変更を飲めるはずがない。それがアメリカ側にも日本側にもいる。そこで綱引きが演じられている。外務省も防衛省もこれまでの立場を簡単に覆す訳にはいかない。それを言いたいだけ言わせるのも政治である。最近では連立を組む社民党と国民新党が合意の見直しを迫っているが、これは鳩山政権の応援団である。かつての自民党は必ず社会党に反対させ、それを理由にアメリカとの交渉を日本ペースにしようとした。

 本来移設を急ぐ必要のないアメリカがここにきて強硬姿勢に出ているのは何故か。アメリカの裏の狙いが何かを読み解く必要がある。アメリカはグアムの基地強化に懸命である。それにどれだけ協力出来るのか。いずれにしても「山より大きな猪は出ない」。鳩山政権は沖縄県民の声を代表して交渉に当たれば良い。それにしてもどこの国の新聞とテレビかと思うばかりの論調を連日見せつけられるといつもの事ながらうんざりする。

2009年12月 2日

改革の本丸は国会にあり(4)

 10月22日付の産経新聞に塩川正十郎元衆議院議員が、「民主党が自民党政治を変えると言うのなら、委員会中心主義の国会を戦前の本会議中心主義に戻すべきだ」と書いている。これは古い表現を借りれば「戦後政治の総決算を行え」との指摘である。

 戦前の日本政治の仕組みは英国とよく似ていた。議会が首相を選ぶ議院内閣制、衆議院と貴族院からなる二院制、本会議での論戦を通じて立法を行う本会議中心主義などが共通していた。ところが敗戦後の日本は米国の影響を強く受け、国会は米国議会に近いものになった。議院内閣制は変わらないのに、本会議中心主義が委員会中心主義に変わった。

 前にも説明したが、米国と英国の民主主義は原理が全く異なる。原理の異なる民主主義を両方とも受け入れ、それを混在させてきたのが日本の戦後政治である。私は「接ぎ木民主主義」と呼んでいるが、そこに戦後政治の混乱の素がある。

 英国国教会から逃れたピューリタンが建国した米国は、中央集権よりも地方分権、国家より個人の自由が尊重され、権力は国民の選挙によってしか与えられない。国民が国政選挙で選ぶのは政党ではなく候補者で、議員は党議拘束に縛られない。多数党の政策が成立するとは限らないから議会では最後の最後まで1票を獲得するためにしのぎを削る。法案を付託された委員会は公聴会を開いて外部の専門家の意見を聞き、詳細な議論を行って採決に持ち込むが、採決の結果がどうなるかは予断を許さない。法案の一つ一つが勝負である。これが米国の議会である。

 これに対して英国では、選挙で選ばれるのは候補者でなく政党のマニフェストである。従って議員は党議拘束に縛られる。選挙で勝った与党の政策が実現するのは当り前で、議会では修正のための議論が行われる。その議論を与野党が勢揃いした本会議で行う。野党は本会議で政府与党の政策を批判し、国家のあり方について政府と論争をしながら次の選挙のマニフェストを作る。こちらは政党のマニフェストが勝負である。

 米国型も英国型もそれぞれ一貫した民主主義の原理に基づいているが、それを「接ぎ木した」日本では奇妙な事が起きている。選挙は米国型である。公職選挙法は候補者を選ぶ選挙を想定している。候補者は地縁・血縁のある選挙区から立候補し、名前を売るためポスターを作り、街宣車で名前を連呼する。最近では日本でもマニフェスト選挙と言うが全く英国型ではない。英国の選挙は戸別訪問でマニフェストを説明するだけである。候補者が誰かは関係ない。

 しかし当選すると日本の議員には英国と同様に党議拘束がかけられる。それなら英国型の国会運営を行うかと思えばそうではない。米国と同じ委員会中心主義の国会だから法案の一つ一つが勝負になる。党議拘束があるから政府与党の法案は全て成立する筈で、野党がやれるのは修正協議だけなのだが、日本の野党は修正に力を入れない。与党の採決を「暴挙」と言って審議拒否に入る。このため国会が英国のように修正のための討論や国家の将来を巡る議論の場にならない。

 しかも日本の委員会は米国議会と違って霞ヶ関の官庁の縦割り通りに出来ている。法案を官僚が作るため官庁には国会担当の部署があり、与野党の所属議員に対して法案や所管業務の情報サービスを行う。議員たちは次第に官庁の情報に洗脳される。同じ委員会中心主義の米国議員には官庁以外に政党のシンクタンクや議会のシンクタンク、さらには国から派遣された政策秘書チームの情報サポートなどがあり、官庁に頼る必要は全くない。

 議院内閣制であるために党議拘束を是としながら、本会議中心主義の国会運営を行わず、委員会中心主義の国会運営を行ってきた日本の国会は、官僚にとって誠に都合の良い存在だった。「省庁は予算確保のため、やみくもに法案を提出(中略)議員は委員会での審議に追われ、十分な勉強もできないし、満足に意見を述べることもできない」と塩川氏が産経に書いているが、150日間の通常国会に行政府によって100本以上の法案が提出され、国会と国会議員はその処理に使われ続けてきたのである。

 これまでの自民党政権が「脱官僚」と言って力を入れてきたのは専ら官邸機能の強化であった。おそらく行政府の長である内閣総理大臣は政治家だから、その力を強くすれば政治家が行政府を従属させる事が出来るという発想である。しかしそれは勘違いと言わざるを得ない。総理は周りを全て官僚に取り囲まれている。言い換えれば官僚の情報に取り囲まれている。官僚が行政府に都合の悪い情報を総理の耳に入れるはずがない。それでどうして「脱官僚」が出来るのか。小泉政権の「経済財政諮問会議」も安倍政権の「総理補佐官制度」も官僚が事務方となって支えている限り大した意味はないと思っていた。

 政治家が立脚するのは立法府である。立法府を行政府から自立させないで政治主導もへったくれもない。それが大前提なのにこれまでの自民党政権はそこを放置してきた。むしろ国会が官僚の手の平にあることを国民の目から覆い隠し、あたかも政治が優位にあるかの如くに装ってきた。しかし現実は官僚が作・演出の国会で政治家はただ踊っていただけである。

 国会を行政府から自立させた政治家が行政府の長となり、官僚の人事権と官僚の情報をコントロール出来れば、そこではじめて政治家は官僚を従属させる事が出来る。自民党政権が国会を自立させた上で「経済財政諮問会議」や「総理補佐官制度」を導入したなら多少は評価する気にもなったが、これまでの自民党は全く国会改革を視野に入れなかった。

 「脱官僚政治」を標榜する民主党は英国型の民主主義を目指すようだ。それならば塩川氏の言うように現在の国会を戦前の本会議中心主義に戻す必要がある。同時に公職選挙法も英国型に変えなければならない。候補者の名前を売り込む選挙ではなく、戸別訪問を認めてマニフェストを選ぶ選挙にしないと意味がない。

 しかし日本人にとって半世紀以上慣れ親しんだ米国型の選挙制度を変え、委員会中心主義の国会を変えるのは大仕事である。米国によって作られた現行憲法を変える話になるから民主党だけでは出来ない。国民の理解を得る必要があり、それには時間がかかる。「戦後政治の総決算」の最終版とも言える作業だから時間がかかるのも当然と言えば当然である。

 近代日本が明治維新を経て国のかたちを整え、憲法が出来るまでに22年かかった。国会を改革するのもそれに匹敵する作業である。しかし国民が初めて自らの手で権力を作り出した政治の流れは、最終的に自らの手で憲法を作らなければ終わらないと私は思う。国会を改革する話はそうした流れの中にあり、これからそのスタートが切られようとしている。

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Profile

田中良紹(たなか・よしつぐ)

-----<経歴>-----

1945年宮城県仙台市生まれ。
1969年慶應義塾大学経済学部卒業。
同年(株)東京放送(TBS)入社。
ドキュメンタリー・デイレクターとして「テレビ・ルポルタージュ」や「報道特集」を制作。また放送記者として裁判所、警察庁、警視庁、労働省、官邸、自民党、外務省、郵政省などを担当。ロッキード事件、各種公安事件、さらに田中角栄元総理の密着取材などを行う。
1990年にアメリカの議会チャンネルC-SPANの配給権を取得して(株)シー・ネットを設立。
TBSを退社後、1998年からCS放送で国会審議を中継する「国会TV」を開局するが、2001年に電波を止められ、ブロードバンドでの放送を開始する。
2007年7月、ブログを「国会探検」と改名し再スタート。

BookMarks

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http://kokkai.jctv.ne.jp/

-----<著書>-----


『裏支配─いま明かされる田中角栄の真実』
2011年1月、電子書籍


『メディア裏支配─語られざる巨大マスコミの暗闘史』
2005年3月、講談社

-----<編書>-----


『憲法調査会証言集─国のゆくえ』
2004年7月、現代書館

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