改革の本丸は国会にあり(2)
世の中の出来事はほとんどが複数の官庁にまたがる。ダム建設を考えても、工事をするだけで終わらない。環境問題やエネルギー問題、地域振興から雇用問題まで幅広い分野に影響する。それを総合的に考えて計画は作らなければならないが、官僚が法律を作る日本では、どこか一つの官庁に所管させる話になる。どんな問題でも官庁のタテ割りで法案を作り、官庁と同じタテ割りの委員会がタテ割りの議論を行って法律を作る。これが官僚国家日本の立法府の姿である。
因みに日本と同じ委員会中心主義のアメリカ議会では、問題ごとに委員会が存在する。複数の官庁にまたがる問題の委員会もあれば、一つの官庁の問題をいくつかに分けてそれぞれ委員会が作られる場合もある。と言うか、そもそも官庁を意識して委員会が作られてはいない。官僚と議会とは基本的に関係ない。官僚が議会に呼ばれるとすれば、公聴会に証人として喚問され、議員から質問される場合だけである。
しかし日本では議員が委員会に所属すると、所管官庁の官僚が頻繁に訪れ、法案の中身や役所の政策について丁寧に説明する。他にそのような事をやってくれる組織も人間もいないから、たいていの議員はその説明を鵜呑みにする。霞が関は情報の宝庫だから議員は次第に霞が関の情報に頼るようになる。そしていつの日か洗脳される。官僚と親しくなると便利な事が一杯ある。情報だけでなく献金も選挙の票も集めてくれる。
「言論の府」と偉そうに言うが、国会審議のほとんどは法案の字句を問いただす「質疑」とそれに対する「答弁」だと前回書いた。法案を書くのは官僚だから答弁書を作るのはお手の物である。それを閣僚が棒読みする光景がしばしば見られる。情けないのは何を質問して良いか分からない野党議員まで官僚に質問を作ってもらう。こうなると国会は政治家が振り付け通りに踊る役者で、作・演出は霞が関という事になる。振付けられる議員は古手に多いかと思えば「若い政治家ほど霞が関に頼る」と古手の議員が嘆いている。
このタテ割り委員会の中でも奇妙なのが財務省所管の予算委員会である。政府が作った予算案が妥当かどうかを審議する委員会なのに、国民は昔から予算審議をしない予算委員会を見せられている。予算委員会の最初の2,3日を「基本的質疑」と言って、それをNHKがテレビ中継するのである。
予算の審議なら財務大臣と野党議員で議論すれば良い訳だが、「基本的質疑」には総理大臣以下全大臣の出席が義務づけられている。予算案には全役所の給与が含まれるという理由だが、役所の給与についての議論など見た事がない。要するにこれは予算審議ではなく、オール政府対オール野党の審議なのである。野党は党首クラスが質問に立ち、国民の関心事を取り上げて政府を追及する。
それをNHKは「国会中継」として放送し、国民はそれを国会審議だと思い込んできた。しかしこれは普通の委員会審議とは異なる国民鑑賞用の「よそゆき」なのである。これと似ているのは英国議会の「クエスション・タイム」で、こちらも全閣僚が出席し、野党党首が毎週30分間首相と論戦を交わす。かつて自由党時代の小沢一郎氏が自民党との連立の条件として日本の国会にも導入する事を働きかけた。
その結果日本でも「党首討論」と称して実現したが、実は予算委員会の「基本的質疑」と重複する。私は「党首討論」の導入で予算委員会の「基本的質疑」をやめるのかと思ったら、野党がやめる事に反対した。その結果、総理が委員会に出席する週は「党首討論」をやらない事になり、そのうちに次第に開かれなくなって「党首討論」は形骸化した。
問題は「基本的質疑」をなぜ財務省が所管する予算委員会でやるかである。予算委員会の部屋には財務省の課長クラスが常時待機し、委員会の所属議員に張り付いて「廊下トンビ」をやる。つまり財務省が手取り足取り振り付ける委員会なのである。戦後GHQは内務省を解体して大蔵省(現財務省)を霞が関の中枢権力にした。その官庁が仕切る委員会が国会を代表する審議をしてみせる。それだと国会は霞ヶ関の下位に置かれている事になる。因みにアメリカでは予算委員会が他の委員会に比べて重要視される事は全くない。
NHKはこの中継を自主的判断で行なっているのだろうか。NHKに何度聞いても「慣例です」としか答えない。NHKが自らの判断で国会の委員会を取捨選択し、国民に必要な審議を放送するなら問題ないが、放送が強制されているのなら問題である。国家がぐるみで「これが国会だ」と国民に見せつけている事になり、官僚支配体制を民主主義に見せかける仕組みの一つという事になる。
55年体制下ではこのNHK中継が与野党の国対政治に利用された。かつての野党は政権獲得を狙わないから政策的な議論より国民にアピールするスキャンダル攻撃を好んだ。「爆弾男」と呼ばれる議員がテレビ中継の最中にスキャンダルを暴露し、政府与党が答弁に詰まると、それを口実に野党が審議拒否に入る。
審議が止まると裏側で秘密の交渉が始まる。そこで全ての法案の帰趨が決められた。審議を始める前に法案の「成立」、「継続」、「廃案」が決まるのである。「成立」の見返りに労組の賃上げが認められたり、スト処分が撤回されたりした。予算審議は3月末まで続くのにNHKは最初の2,3日しか中継しない。それは予算と関係のない審議で、いざ本当に予算の審議が始まるとNHKは絶対に中継しない。そのため国民は野党の審議拒否にも気がつかない。それが55年体制末期の国会の姿である。
現在、官僚の国会答弁禁止問題に与野党から議論が噴出している。言論表現の自由を侵すという議論や法律で縛らずに運用でやるべきだという主張がある。そう主張する人たちは結局官僚の手下なのだろう。国会が官僚の手の平から脱して自立する事を官僚は最も恐れている。三権が本当に分立してしまったら官僚支配は崩れる。だから何とか国会を自分たちの領域にしておきたい。官僚の発言を議事録に残し、政治をコントロールしたいのである。
昔は国会に出席する官僚を政府委員と言った。大日本帝国議会の開設以来答弁を行なう存在として認められてきた。それが戦後もそのまま残った。戦後民主主義というが戦後も官僚支配である事の証拠である。制度が廃止されたのは2001年の事である。自由党が自民党との連立の条件として提案し、副大臣制度の導入と共に廃止された。政府委員に代わって答弁は政治家である副大臣が行う事になったが、実際には副大臣の答弁はほとんどなく、政府参考人と名前を変えた官僚答弁が続いた。
これまでの経緯を見れば政治家が余程頑張らないと官僚依存を脱して法律を作る事など出来ない。官僚に依存する方が圧倒的に楽なのだ。「運用で禁止する」などと言ったら政府委員が政府参考人に変わったように簡単に抜け穴が出来て官僚答弁が復活する。また自民党が政権を取った後も簡単に官僚答弁を復活させないためには法律で縛った方が良い。官僚答弁の禁止は政治家が自ら立法を行うために退路を断つ覚悟なのである。政治家にとっては厳しいが、ここは勇気を持って「法律を作るのは政治家である」と決断してもらいたい。国会が本当に「国権の最高機関」になるためには越えなければならないハードルだと思う。
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