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2009年9月29日

総裁選は党分裂への一里塚

 第24代自民党総裁に谷垣禎一氏が就任した。私にすれば投票日には分かっていた当たり前の結論である。当たり前を決めるのに4週間も時間をかけ、自民党議員全員が特別国会で総理候補に「若林正俊」と書かされた。国民はそれを見て呆れたが、国民に呆れられてまで自民党は総裁選に時間をかけなければならなかったのか。最近の自民党のやる事は政治の常識を越えていて理解するのが難しい。

 2年前には参議院選挙で大敗したにも関わらず、開票速報が終わらぬうちに安倍総理が続投を表明した。私は総理辞任だけでなく議員辞職もあり得ると思っていたのでビックリした。安倍氏に政治家として捲土重来を期す気があれば、惨敗の責任を取って議員辞職をする選択肢もあった。まずはバッジを外し、臥薪嘗胆の日々を送り、その上で選挙の洗礼を受ければ、政治家としての再生はあり得る。しかしそれがないと惨敗の責任が終生つきまとう。二度と表舞台に立てなくなる。それが政治の常識である。

 ところが安倍氏は続投を表明した。続投を進言したのは麻生太郎氏である。この二人は政治の常識を越えている。その麻生氏が総理になると、今度は安倍氏が進言する側に回り、麻生内閣の支持率を下落させた。反小泉路線を標榜していた麻生氏に鳩山総務大臣の更迭を進言して内閣支持率を下げさせた。まさに二人は「迷コンビ」である。

 だから8月30日、すんなり谷垣総裁誕生を認めたくない勢力が時間を稼いで何かを仕組むため総裁選を遅らせたのかと私は疑い、開票速報の最中に再び安倍氏と麻生氏が何かを相談し合ったのではないかと邪推した。私の想像が当たっていれば、「自民党をぶっ壊した」のは小泉純一郎氏より吉田茂と岸信介の孫だと言う事になる。

 谷垣氏には申し訳ないが、今度の自民党総裁は来年の参議院選挙までの暫定である。参議院選挙の結果次第で責任を取らされ交代させられる可能性がある。実は来年の参議院選挙が終わらないと与党も野党も本物にならない。政権交代したと言っても現状は仮の姿である。民主党が参議院で単独過半数を握れば政治の局面がもう一つ展開する。

 自民党がその先の衆院選で政権を奪取しても、議席が三分の二を越えない限り法案は1本たりとも通らない。すべからく民主党に従わざるを得なくなる。だから政権奪取の意味がなくなる。要するに参議院選挙に負けた時点で自民党は今よりもっと惨めになる。自民党にいても仕方がないと思う議員が出てくる。自民党は分裂含みとなり再編が起こる。それが容易に想像できる。

 だから自民党は総裁選挙に時間をかける意味などなかった。むしろ時間をかければ党の分裂が促進される恐れがあった。自民党の再生のためには、速やかに暫定総裁を選び、来年の参議院選挙を戦う体制を作り、総選挙惨敗の総括を時間をかけて徹底して行うべきだった。半世紀以上も政権にあった政党の惨敗は歴史を遡り多岐に渡って行うべきで、短時間で出来るものではない。さらに自民党の今後の立ち位置についても、民主党政権のやり口をしばらくじっくり見定めないと間違う事になる。だから今は重心を低くして本物の野党になるための準備をする時なのである。そうすれば仮に参議院選挙で敗れても党の分裂に歯止めがかかり、その先の衆議院選挙に向け本格野党として反転攻勢をかける体制が出来上がった。

 今回の総裁選挙に時間をかけた理由として「地方党員の意見を良く聞くため」と言われるが、それはもっともらしい嘘である。党員の声を聞くのならむしろ選挙惨敗の総括のためにより多くの時間をかけて聞くべきであった。「民意に耳を傾ける」と言うと聞こえは良いが、民主主義政治は「民意は間違う」と認識する所から始まる。「民意は尊重しなければならないが、だからと言ってその通りにはしない」のが民主主義政治の基本である。だから世界のどの民主主義国も間接民主主義を採用している。国民の利益のために民意を無視する事は大いにあり得る。ところがこの国では近年「民意こそ民主主義」という幼稚な思考がまかり通る。

 去年の秋、自民党は総裁選挙を行い、民主党は代表選挙を見送った。するとおバカなマスコミが「開かれた自民党と民主主義的でない民主党」という図式でこれを報じた。その時私は「参議院選挙で勝利した民主党が代表を代えないのは世界の常識。自民党が派手に総裁選をやれば分裂が起こる」とコラムに書いた。現実は私の言う通りになって自民党町村派に深刻な分裂が生まれた。

 その分裂が今回の総裁選に再び現れた。本命谷垣氏の対抗馬として河野太郎氏が手を挙げたが、その後ろには小泉純一郎氏や中川秀直氏がいる。すると河野氏の足を引っ張るために森喜郎、町村信孝氏らが、安倍氏と親しい西村泰稔氏を立候補させた。去年の総裁選で小池百合子氏の足を引っ張るために石原伸晃氏を出馬させたのと同じやり方である。河野氏は選挙を通して名指しで森、町村氏を批判した。そして谷垣氏の言う「全員野球」を全面的に拒否した。総裁選をやったばっかりに自民党には本命選出の裏側で町村派の派内戦争が再び勃発した。

 これを見て思ったのは、神奈川県選出参議院議員の浅尾慶一郎氏が民主党を離党して「みんなの党」から衆議院選挙に出馬した事と、中田宏横浜市長が任期切れを待たずに辞任して新党結成を臭わせている事との関連である。河野太郎氏も「みんなの党」との連携を公言して離党をほのめかした。小泉純一郎氏が政界引退した事を私は次なる政界工作のためだと見ている。それは民主党から不満分子を引き剥がし、自民党の小泉シンパと糾合させて新党を作る工作である。それをやるには政界から身を引いてしがらみを断ち切った方がやりやすい。

 今の自民党に民主党から政権を奪還する力と人材がいるかと問われればかなり難しいと答えざるを得ない。どうしたら良いかと聞かれれば、自民党の外か民主党の中から人材をリクルートする以外に方法はないと答えてきた。そのリクルート工作が始まった可能性を今回の自民党総裁選は感じさせた。この流れにもしも大阪府の橋下徹知事や埼玉の上田清司知事らが加われば政治の局面はまた転換する。そうした可能性は民主党の小沢幹事長も当然想定しているだろうから、それを念頭に党内運営を進めている事だろう。

 いずれにしても現在の政治状況は二大政党制に落ち着くまでのプロセスの途上にある。そのプロセスで誰が主導権を握るのか。小沢氏の描くシナリオと小泉氏のシナリオが火花を散らす時が来るのか。自民党総裁選は党分裂への一里塚となり、次の政局への幕開けになったと私には見える。

銀座田中塾のお知らせ
日時:10月8日午後6時半から8時半
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お申し込み:銀座モリギャラリー
Tel.03-3357-0828
E-mail:morim-p@gol.com

2009年9月21日

なぜ記者はバカになるか

 この数日、色々な所で色々な人から「記者って何であんなバカな質問ばかりするのですか」と聞かれた。鳩山内閣が誕生した16日の深夜、新閣僚の初の記者会見がテレビで生中継されたが、それを見ていた人達がそうした感想を抱いたのである。普段は記者会見など見ない人もあの日だけは見たらしい。すると何より記者の質問のバカらしさに気付いたのである。

 前に「頭が悪くないと新聞やテレビの記者にはなれない」とコラムに書いた私は、「だから新聞やテレビの報道を信ずる方がおかしいのです。新聞やテレビを見ないようにして、潰れる寸前まで行かせないと、彼らはまともにはなれないのです」と答える事にしている。

 戦後の日本は「ものづくり」に力を入れ、自動車や家電を中心に製品を輸出して外国から金を稼いだ。その構造で日本は経済成長し、賃金を増やし、生活水準を押し上げてきた。では稼ぎ頭である製造業労働者が賃金で優遇されたかと言えばそうではない。熾烈な国際競争を勝ち抜くためにはコストを抑える必要があり、製造業労働者の賃金は相対的に低かった。

 では誰が高い給与を得ていたか。高度成長の時代には「銀行とマスコミ」が高給取りであった。だから学生の就職希望では銀行とマスコミが人気の的だった。なぜ「銀行とマスコミ」の給料が高いのか。それは「護送船団」と呼ばれ、政府が新規参入を認めずに特別に保護する競争のない寡占体制の業界だったからである。

 政府が新規参入を押さえてくれるから製造業のように血のにじむ競争はない。そのくせ「社会の公器」と呼ばれ、世間からは一目置かれる特権的な地位を保ってきた。しかし特権階級は必ず腐敗する。銀行はバブル期に利益追求に狂奔し、暴力団に食い物にされて巨額の不良債権を発生させた。政府は後始末をするため国民の税金を投入して再建と再編を図った。銀行はもはや従業員に高給を支給出来ない。

 残ったのはマスコミである。こちらも利益追求に狂奔し、部数至上主義と視聴率至上主義で報道内容の劣化を招いた。しかし銀行とは違い破綻の淵の一歩手前で未だに高給を払い続けている。銀行業界が破綻した時、「大蔵省に手取り足取り指導されてきたため銀行員はバカばかりです」と言った人がいたが、新聞とテレビも同様である。記者クラブ制度を維持して新規参入を阻止する以外に自分で生き延びる術を知らない。

 当たり前の話だが、高給の記者が真面目に仕事をするはずはない。嫌われても他人と競争をし、リスクを犯して真相に迫るより、右を見て左を見て、みんなと同じ事をした方がずっと楽だ。世間が羨ましがる地位と収入を捨ててまで危険な事はしたくない。何よりも記者はサラリーマンなのである。

 20年ほど前にある政治家がこう言った。「俺が話をした後、記者達はみんなで輪になって話の内容を付き合わせる。同じ記事を書くためだろう。昔はそんな事はなかった。一体最近の記者はどうなっているんだ」。しかしその政治家は腹の中で記者をバカにしながら、その方が都合が良いと思っている。

 記者は「誰かがこう言った、ああ言った」と書き連ねるのが報道だと思っている。しかし世の中に本当の事を言う人間はいない。都合の悪い事は控えめに、都合の良い事は大声で言う。政治家ならなおさらだ。政治は毎日が戦いの連続である。地元にも党内にも国会にも敵がいる。それらの敵に勝たない限り、自らの理想は実現できない。

 そして戦いの武器は情報である。敵に不利な情報を流し、自分に有利になるよう情報を操作する。それは当然の話である。だから悪意はなくとも政治の世界は嘘だらけである。記者の仕事は嘘から真相を読み解く事だが、新聞にもテレビにも、読み解いた報道にお目にかかった事がない。誰かの話を鵜呑みにして政治解説が作られている。

 権力は常に世論を意識する。だから報道機関を世論操作の道具と考える。思い通りの情報を流す報道機関は有り難い。しかし権力の言いなりになっている事が見破られては意味がない。だから論説委員、テレビ司会者、コメンテーターはバカな方が良い。言いたいように権力を批判させながら権力の思い通りに操作する。バカは最後までその操作に気がつかない。「年金未納問題」も「居酒屋タクシー」も権力がリークして、それにバカな報道が乗せられ、未だにそれに気づいていない。

 「この世に正しい報道などあるはずがない」と私は思うが、この国には「正しい報道をすべきだ」と考える国民が多い。独裁国家ならいざ知らず、アメリカやイギリスなど普通の民主主義国家で新聞やテレビを頭から信じ込む国民はいない。ところが日本人は新聞やテレビを信じたがる。外国と何が違うのかを考えるとNHKの存在に行き着く。

 この放送局は日頃から「不偏不党で公正中立の報道」を宣伝している。養老孟司氏が「バカの壁」で喝破したように、この世に「不偏不党で公正中立の報道」などない。しかし日本人はそれを信じ込まされている。NHKがそう宣伝するのは国民全員から受信料を徴収するためだが、それによって国民はこの世に「不偏不党で公正中立な報道」があると信じている。

 NHKの予算は国会で承認されないと執行できない。つまりNHKにとって国会は株主総会である。企業が大株主の意向に逆らえないのと同様にNHKは国会で多数を握る与党の意向に逆らえない。逆らったら予算の執行を止められる可能性がある。だからこれまでNHKは自民党の意向を汲みながら、決して戦わないよう報道に配慮してきた。そこがイギリスのBBCと異なる。

 BBCは王室から放送免許を与えられ、政治の介入は排除されている。だからしばしば政府と真っ向対立する。その姿勢でBBCは国民から支持されてきた。これとは逆にNHKは政治に監督されている。しかし権力の言いなりだと思われては受信料不払いが起こる。そこで「不偏不党と公正中立」という「嘘」を国民に刷り込み、政府と対立する問題はなるべく取り上げないようにしてきた。災害報道やスポーツに力が入るのはそのためである。こうして日本国民に「報道は正しい」という幻想が植え付けられた。

 その幻想で新聞とテレビは国民から一目置かれてきたが、自民党長期政権が官僚機構に依存して切磋琢磨を忘れ、気がつけば組織の力を失っていたように、新聞とテレビも官僚の庇護の下、特権的地位に甘んじてきたため、バカな質問しか出来なくなった。それが国民の目にも明らかになった。

 もはや新聞やテレビを目にしなくても困ることは全くない。むしろ目にすると判断を誤る事が多く有害である。実社会から得る教訓を政治と重ねてみる方が政治を正しく読み解く事が出来る。記者達には自民党と同様に再生の努力をして貰うしかない。一番良いのは競争に身を晒すことだ。記者クラブ以外の人間と質問を競い合うようになれば、バカな質問は出てこなくなる。そうしないと銀行と同様の破綻が待っている。

2009年9月17日

真っ当な組閣

 鳩山新政権が誕生した。新内閣の布陣を見ると、小泉政権以来続いてきた「奇をてらう」要素が微塵もなく、久しぶりに真っ当な人事を見せられた思いがする。これを鳩山総理が一人で考えたとしたら、鳩山氏に対する認識を改めなければならない。それほどに政治に熟達した知恵を感じさせる人事である。

 人事は最高の権力行為であり、権力者の力量を余すところなく知ることが出来る。人事によってあっという間に求心力が衰える事もあれば、逆に求心力を高めて組織が生き返る場合もある。それは権力者が組織の中にどのような欲求と力関係とが存在しているかを読み解けるかにかかっている。その上で力関係と欲求との連立方程式を解かなければならない。人事は簡単なものではない。

 池田内閣で総理主席秘書官を務めた伊藤昌哉氏から聞いた話だが、昭和37年に第二次改造内閣を組閣する際、伊藤氏は池田総理から組閣案の作成を依頼された。箱根に籠もって色々考えたがどうしても収まりが悪い。1週間経っても満足な案が出来なかった。山から下りて「こんな案しか出来なかった」と総理に謝ると、池田総理は「こんな案を持って来た奴が居る」と言って1枚の紙を見せた。そこに書かれた人事案は伊藤氏を驚かせるほど見事だった。作成したのは田中角栄衆議院議員で、角栄氏はそれによって自らを最年少の大蔵大臣として入閣させた。伊藤氏は政治家としての田中氏の力量を思い知ったと言う。

 しかしいつの頃からか自民党の派閥政治は躍動感を失い、派閥順送りの人事が政治を停滞させた。それを壊したのが小泉純一郎氏である。党内力学を無視するためにメディアが喜ぶ「サプライズ人事」を行い、国民にアピールすることだけを考えた。人物の力量も資質も関係ない。とにかくメディアが喜ぶ人物を登用し、自民党と対決するパフォーマンスで支持率を高めようとした。

 党と対立するならそれでも良いが、ポスト小泉の総理たちはそうではない。ところが党と対立もしないのにスタイルだけは小泉政治の真似をした。メディアが大きく扱えば国民に支持されるとの錯覚に陥り、党内力学も本人の資質も無視して、メディアを向いた人事ばかりを行った。「お友達内閣」や「論功行賞内閣」を見せられて、「権力者の資質ゼロ」と思わざるを得なかった。今回は久しぶりにそのうんざりから解放された。

 人事の特徴の第一は党内力学への配慮である。ここまでしなくともと思うくらい党内グループに配慮をし、あらゆるグループから人材を抜擢した。第二は即戦力になりうる実力議員を配置した。女性を多く登用するとか知名度の高い民間人を抜擢するとかを一切やらなかった。民主党議員と連立相手の党首だけで組閣した点は、まさに小泉流に対するアンチテーゼである。

 さらにアンチ小泉を強調し、小泉構造改革のキーマンであった竹中平蔵氏と同じポジションに、全くそれとは逆の役割で国民新党の亀井静香氏を起用した。まるで漫画のような対比である。小泉政治の消滅が目的だと思わせる組閣となった。これなら亀井氏は張り切らざるを得ない。一方、社民党の福島党首には、小渕優子少子化担当大臣と野田聖子消費者担当大臣の二人分の仕事を与えた。それなら文句はつけられない。自民党が分断工作を仕掛けても二人の党首は動く筈がなくなった。

 そして鳩山・小沢体制に距離を置く人間には難しい仕事を与えた。前原国土交通大臣や岡田外務大臣には難問が山積している。仙谷行政刷新担当大臣は「脱官僚政治」を象徴するポジションで、これも鼎の軽重が問われる。長妻厚生労働大臣も同様である。攻める側では優秀でも本当に官僚を使いこなせるか。その真価が問われる。彼らはいずれもこの大役をやり遂げれば次代の民主党のリーダーになれる。いつまでも「反小沢」を叫ぶだけではいられないだろう。

 菅直人氏が副総理兼国家戦略担当大臣に就任した事は、鳩山総理に万が一のことがあればすぐにも交代できる布陣である。今回の人事は先々のことまで用意している。そして政治の知恵を感ずるのは、藤井財務大臣の起用である。一時は小沢氏が反対であるとの情報が流れ、藤井財務大臣が実現すれば、鳩山総理が小沢氏に屈しない証になると言われた。これは「二重権力論」を否定するための永田町らしい仕掛けである。

 政権発足と同時にスタートする最大の仕事は予算編成と補正予算の組み替えである。これをやれるのは藤井氏を置いて他にない。藤井氏の起用は以前から決まっていたと私は思う。小沢氏にも異論があるはずはない。ただそれが鳩山総理の主導権を強調する仕掛けに使われた。この組閣は様々な角度から練りに練られているのである。

 しかし組閣が見事でもそれで政治がうまくいくとは限らない。いかに能力ある閣僚を配しても、藤井氏を除いては全員が「未知との遭遇」をする事になる。結果がどうなるかはまだ分からない。ただ新政権が来年度予算を成立させ、次期参議院選挙に勝利すれば、かつて社会現象にまでなった小泉政治は影も形も消え失せる。これからの10ヶ月が日本政治の未来を決める事になる。

2009年9月15日

自民党・野党への道

 選挙の開票日に「自民党の次期総裁は谷垣氏だろう」と私は言ったが、その谷垣氏がやっと自民党総裁選挙に名乗りを挙げた。16日の首班指名選挙に「麻生氏の名前を書く」から始まって、「白紙」、「若林両院議員会長」と二転三転していた時にも、なぜ自民党は速やかに谷垣氏で意見集約が出来ないのか不思議に思っていた。

 今回の選挙で自民党支持者から聞こえていたのは、「2年前の参議院選挙で惨敗したのに自民党は何を反省したのか」という声である。2年前の参議院選挙は「国民に人気がある」安倍総理の下で戦って惨敗した。そして再び「国民に人気がある」という理由で選ばれた麻生総理が、今度は選挙の時期を巡って迷走し、選挙前から不人気の総理となった。しかもその間国民生活は一向に良くならない。自民党に自民党支持者が愛想をつかした。それなら一度民主党にやらせてみよう。そうした声が自民党支持者の中から聞こえていた。

 だから自民党を立て直せるのは「国民に人気がある」人よりも、安定感があり、実直な人物でなければならない。さらに麻生総裁を支えた執行部のメンバーや、今回の選挙での小選挙区落選者は当然ながら総裁候補には成り得ない。そう見てくると有資格者と言えるのは谷垣氏と石破氏位である。自民党が政権交代の目標を10年先と考えるなら30代や40代の若手から抜擢する事もあり得るが、来年には参議院選挙が控えている。ここは安定感を優先した方が良いというのが私の考えだった。

 谷垣氏は総裁選出馬を表明する際、「捨て石になる」と言ったが、実際に参議院選挙の結果次第で次期総裁は辞めざるを得なくなるかも知れない。その時は4年後に想定される衆参ダブル選挙に勝つための総裁を選び直す事になる。18日からの自民党総裁選挙は、来年あるかもしれない総裁選挙と併せて考えながら候補者を立てる必要がある。

 しかし誰が総裁になるかよりも私が注目しているのは自民党の失地回復の方法である。自民党がどのような野党になり、どのようにして政権交代を図ろうとするのか。それは今後の日本政治にとって重要な意味を持つ。なぜなら93年に誕生した細川政権が訳の分からぬ形で潰れ、自民党が国民の審判を経ることなく復権するという民主主義を無視した過去があるからである。今回の政権交代で「やっと日本の民主主義も成熟した」と世界から評価される今、その愚だけは繰り返してはならない。

 細川政権が誕生した時、野党に転落した自民党は野党になろうとはしなかった。国民の支持を得て政権に返り咲こうとは考えなかった。ひたすら権力を求めて手段を選ばず、野中広務氏や亀井静香氏らが中心となってスキャンダル攻撃を仕掛け、細川総理を退陣に追い込んだと言われる。さらに自民党は政権から社会党と新党さきがけを引き剥がし、社会党の村山富市氏を総理に担いで10ヶ月後に権力の座に返り咲いた。

 今回も自民党が同じ事を考えるなら日本政治は再び大混乱するが、それは実現するのだろうか。まずスキャンダル攻撃を仕掛けて鳩山総理を退陣に追い込めるか。次に国民新党と社民党を連立から引き剥がせるかである。前回自民党にいてスキャンダル攻撃を仕掛けたと言われる張本人が今度は連立政権の閣僚となって政権側の中枢にいる。自民党の手口はお見通しである。自民党としてはなかなかやりにくい。

 次に国民新党と社民党を連立から引き剥がせるかだが、実は引き剥がせれば民主党政権は立ち往生する。参議院で民主党は単独過半数を握っていない。さらに衆議院で圧勝したとはいえ、三分の二にまで達していない。従って自民党が国民新党と社民党を引き剥がし、公明党やみんなの党とも連携すれば、民主党提出の法案はただの一本も成立しない。民主党のマニフェストは絵に描いた餅になり、予算も関連法案が通らない。解散か総辞職を迫られ、解散しても国民の期待を裏切ったとして選挙で勝てる見込みはない。

 ただ国民新党を引き剥がすためには自民党内の郵政民営化賛成派を黙らせる必要がある。社民党を引き剥がすためには日米同盟重視派が邪魔になる。要するに自民党が小泉路線を潰さない限り、引き剥がしは無理である。また今回の選挙で社民党候補者は民主党の力で当選できた事を身にしみており、民主党の小沢次期幹事長とは太いパイプでつながれている筈である。

 残された方法は民主党を小沢派と反小沢派に分断して政界再編を仕掛ける事だが、権力を持つ政党から好き好んで出ていく政治家はいない。自民党が郵政選挙で大勝した後、何があろうと解散しなかったように、民主党も4年間は解散する筈がない。民主党が4年間は権力を握り続ける事が確実なのに外から政界再編は仕掛けにくい。あるとすればむしろ参議院で単独過半数を握った民主党が主導する再編である。自民党の方が分断される。

 自民党は来年の参議院選挙で民主党の単独過半数を阻止できるのか。仮に単独過半数を許せば民主党は本当に強くなる。4年後の衆議院選挙で自民党が政権を奪還しても、三分の二を超えない限り、自民党のマニフェストを実現する事は出来ない。自民党が本当に政権を奪還しようと思うなら、今回民主党が参議院選挙での勝利を衆議院選挙の勝利に結びつけたように、参議院での失地回復から始めるしかない。

 自民党は結党以来初めて本物の野党になる事を覚悟すべきである。野党として地域に入り込み、日本の現実をつぶさに見て、官僚丸投げ時代とは異なる政策を練り上げるべきである。民主党との違いをイデオロギーで強調するよりも、小泉政権が旧来の自民党とは違う姿勢を国民にアピールしたように、官僚と連携してきた自民党と決別する姿を見せる事である。

 そのため民主党が掲げる「脱官僚政治」に賛成し、民主党と協力して政治主導の仕組みを作り上げる。それは将来政権を取った時の自民党にも有益な筈で、その上で民主党との違いは政策で示す。それが今回の選挙惨敗を自民党が真摯に受け止め、反省をし、将来の政権政党になる意欲を示す道である。

 レーガン、ブッシュ(パパ)と続いたアメリカの共和党政権が、「チェインジ」を叫ぶ民主党のクリントンに権力を奪われ、そこから再び政権を奪取する時に掲げたのは「思いやりのある保守」である。そうして登場したブッシュ大統領の政治は決して「思いやりのある」政治ではなかったが、政権交代を目指す野党は常に中道を意識し、弱者に優しい政治を標榜するものである。そうでないと政権交代の政治にはならない事を野党になった自民党は知るべきなのである。

2009年9月10日

冷戦型思考から脱する時

 歴史を塗り替えた総選挙から10日余りが経った。惨敗の衝撃からか自民党は未だに選挙の総括が出来ないでいる。しかし半世紀以上も政権の座にあった政党の敗北は様々な角度から検証されるべきである。今後の日本政治のあり方を考える時、それは有益な指針を提供する筈である。

 政権交代が確実になった時、私がまず思った事は「これでやっと日本も冷戦後の時代を迎える」というものであった。1991年に旧ソ連が崩壊した後、アメリカ議会は2年以上の時間をかけて「冷戦後の世界とは何か」という議論を行い、それに見合う形にアメリカ社会を変えてきたが、日本にはそうした議論が全くなく、何よりも政権政党である自民党が「反共主義、自由主義、経済成長」という冷戦型の思考を引きずったまま政治を行ってきたからである。

 旧ソ連の崩壊はアメリカに言わせれば「官僚主導の計画経済体制の破綻」であり、「新規参入を認める競争経済の勝利」である。「核」という大量破壊兵器は計画経済でも作れたが、ピンポイントに目標を破壊する「精密誘導兵器」は作れなかった。「精密誘導兵器」を生み出したのは、国家や大企業が作る大型コンピューターではなく、起業家が作り出したパソコンの普及が背景にあるとアメリカは言う。「アメリカが冷戦に打ち勝ったのはビル・ゲイツが生まれる国だから」と政治家達は口を揃えて言った。ゴルバチョフは湾岸戦争で「精密誘導兵器」の威力を見せつけられ、ソ連の存続をあきらめた。

 「精密誘導兵器」に見られるアメリカの軍事技術革命は軍の組織形態をも一変させた。コンピューターの発達によって軍はピラミッド型からネットワーク型の組織に変わった。前線の兵士は現場指揮官の命令ではなく、ワシントンで衛星画面を見ながら敵を監視している分析官の指示を受けて行動する。兵士の一人一人がワシントンから送られてくる情報を基に自分で判断しながら行動するのである。この変化が民間会社にも波及した。

 民間企業もトップが直接現場に指令する組織形態になり中間管理職が不要になった。高給取りの中間管理職のリストラは「ダウンサイジング・オブ・アメリカ」と呼ばれ、企業に大幅なコストカットを可能にする一方、職を失った中高年の存在が社会問題になった。

 一方で冷戦の終焉は「イデオロギーの時代を終わらせ、ナショナリズムの時代を到来させる」と考えられた。アメリカは「反共」とか「自由」より、「実利」で物事を判断するようになる。またアメリカ型の思考が世界を覆うグローバリズムの反面、各国に民族主義が台頭し、独自の文化や生き方が見直される時代が来ると考えられた。従って冷戦体制が世界で唯一残る朝鮮半島でも、民族統一の動きが出てくると予想され、その際の経済的負担を日本に負わせる方針などが議論された。いずれも92,3年頃のアメリカ議会での議論である。

 ところが日本には「冷戦の終焉に日本がどう向き合うか」という議論は全くなかった。当時はゼネコン汚職を巡る「政治とカネ」の問題で政治が大混乱し、政治改革が大テーマとなっていた。宮沢内閣は「冷戦の終焉で平和の配当が受けられる」と楽観的だった。

 冷戦の終焉は論理的にはアメリカの「核の傘」が不要になる事を意味する。日米両国は安保条約を「再定義」する必要に迫られた。この時クリントン・橋本龍太郎両首脳は「アジアには中国と北朝鮮があり、冷戦体制はなお残っている」という認識で一致し、日米安保体制はむしろ強化された。これが自民党政権に冷戦型思考を存続させる。

 アメリカもヨーロッパも或いはアジアの国々も、冷戦後の新たな枠組みを求めてこれまでとは異なる思考で国の行方を模索している。北朝鮮と対立してきた「反共」の韓国に民族主義が台頭し、民主化運動の象徴である金大中政権が誕生した。中国と対峙してきた「反共」の台湾にも民族主義と民主化の波が押し寄せた。しかし日本だけは相変わらず中国と北朝鮮を仮想敵国とする冷戦型思考から抜け出ることが出来ない。

日米安保条約は日本を守ると同時に、日本を自立させない「ビンのふた」である。中国も北朝鮮も日米安保条約を脅威と思うより、アメリカとの関係強化さえ図れれば日本を無視出来ると考える。そうした中で北朝鮮の金正日政権がミサイル発射や核実験を繰り返す度に日本はアメリカにすがりつき、アメリカの高価な兵器を購入した。アメリカに脅威が及ばない限り、アメリカにとって北朝鮮は誠に都合の良い国である。

冷戦後の世界ではアメリカと中国が手を結ぶことも、北朝鮮とアメリカが利害を共にすることもあり得ない話ではない。だから日本も早く冷戦型思考から脱して、国家利益を現実的に追及する柔軟思考を持たないと国際社会では生き残れないと思ってきた。しかしそれは冷戦時の高度成長という成功体験の余韻に浸っている自民党には難しいとも思ってきた。

 だから政権交代は冷戦型思考から脱皮するチャンスなのである。「官僚主導の計画経済体制が破綻」して旧ソ連が崩壊した時、「だから官僚主導の日本経済はまもなく破綻する」とアメリカの政治家達は言った。実際に冷戦後の日本経済は行き詰まった。しかしその事に気付きながら日本は官僚主導の経済成長路線に見切りを付けることが出来ず、過去の成功体験をむなしく追い求めてきた。まずはこれまでの思考を一掃する所から新たな政治を考える必要がある。そしてそれは野党になった自民党こそ最も求められている事なのである。

2009年9月 2日

いつもの恫喝が始まった

 アメリカの新聞が鳩山次期総理を「反米」だと批判している。いつもながらの恫喝の手口である。日本の新聞は官僚の愚民政策のお先棒を担ぎ、愚かな国民を作る事が仕事だが、アメリカの新聞は国益のために他国を恫喝するのが仕事である。

 昔の話だが、宮沢内閣の時代にこういう事があった。アメリカに金融バブルが発生し、一夜にして巨万の富を得る者が出始めた頃、宮沢総理が国会の予算委員会で「日本のバブル経済にもあったが、物作りを忘れた最近のアメリカ経済の風潮には疑問を感ずる」と発言した。これを日本のバカ新聞が「宮沢総理はアメリカ人を怠け者と言った」と書いた。

 するとろくに取材もしないアメリカ人特派員たちがそのままの英訳記事を本社に送った。記事は大ニュースとなり、新聞・テレビがトップの扱いで連日報道した。日米経済戦争がピークの頃だったから、アメリカ議会は過剰に反応した。「戦争に勝ったのはどっちだ。怠け者が戦争に勝てるのか」、「日本はまだアメリカの強さを知らないようだ。もう一度原爆を落とさないといかん」などと議員からは過激な発言が相次いだ。

 私は宮沢総理の発言をそのままアメリカに伝えれば誤解は解けると思い、当時提携していたアメリカの議会中継専門局C-SPANと組んで双方向の衛生討論番組を企画した。伊藤忠商事本社のスタジオを借り、加藤紘一官房長官と松永信雄元駐米大使を日本側ゲストに、ワシントンにあるC-SPANのスタジオにはアメリカの議員を呼んで討論を行い、宮沢総理の予算委員会発言をそのまま放送すると同時に視聴者から電話の質問を受けるコール・イン番組である。それを全米1000局のケーブルテレビ局に中継した。

 加藤官房長官はアメリカの怒りを収めようと冒頭から低姿勢を貫き、アメリカの素晴らしさを繰り返し強調した。ところがアメリカの視聴者からの電話は「マスコミや政治家の言うことなど真に受けるアメリカ人はいませんよ」と言うものだった。「我々の社会には日本人もいて、日本人がどういう人たちか良く分かっています。政治家の発言を取り上げて騒ぐのはマスコミの常だから、そんなことで信頼関係が揺らぐことにはなりません」と至って冷静だった。丁度小錦が横綱になるかどうかが騒がれていた頃で、「それより小錦を横綱にしてください」と要望された加藤官房長官は拍子抜けした。

 「アメリカ人怠け者」報道はやがて誰も騒がなくなり、みんなの記憶からも消え去った。だからワシントン・ポストやニューヨーク・タイムズが騒いだぐらいで、日本側が騒ぐ必要は全くない。ところが日本には必ずそれに乗じて騒ぐバカがいる。アメリカの手先となって国益を侵す評論家やジャーナリストがごろごろ居る。この国には売国商売が成り立つ仕組みがあるのが困る。

 外交というのは握手をしながら足を蹴る。パンチを浴びせて追いつめた次の瞬間優しくして相手を籠絡する。そのアメとムチの使い分けに学者やマスコミや評論家も動員される。今回の「反米」報道もアメリカ側はいつもながらのやり口である。

 今アメリカが日本から引き出したいのは冷戦中に日本がせっせと貯め込んだマネーである。安保条約に「ただ乗りして」日本が貯め込んだ金を今度は安保条約を利用して日本から引き出したい。それが冷戦後のアメリカの戦略である。そのためには「北朝鮮の脅威」が最も有効な道具となる。北朝鮮がミサイルを発射し、核実験を行う度に日本はアメリカにすがりつく。そうしてブラックボックスがある、つまり日本だけでは使えないMDやイージス艦など高価な兵器を次々に買い込んだ。

 昔の自民党政権はアメリカの言いなりになるような顔をしながら実は言いなりにはならなかった。頭を下げてもみ手をしながら金だけはしっかり懐に入れた。野党の反対を口実に兵器も簡単には買わなかった。自民党は表向き社会党と対立しているように見せながら社会党と役割を分担してアメリカに対抗した。ところが中曽根政権の頃からそれが変わってきた。従属の度合いが増した。今では海兵隊のグアム移転経費も負担するし、インド洋では金も取らずに石油を提供している。国富が安全保障を名目に流出する。

 過日、イスラエルの諜報機関モサド前長官の話を聞いた。イスラエルは四方を敵に囲まれて出来た国である。それが建国から18年間アメリカから武器の支援を受けられなかった。かつてのアメリカにはイスラエルへの武器供与を禁止する法律があり、それに違反して逮捕された人間が今年ブッシュ大統領の退任に伴う恩赦で釈放された。自力で生きてきたからこそイスラエルはグローバル・プレーヤーになれたとモサド前長官は言った。

 日本では自力で生きると言うと、すぐ非武装中立か、核武装かという子供の議論になる。そんなことを他国の前で議論するバカは世界中いない。自立と言っても他国との協力を排する話ではない。覚悟をすれば良いだけの話だ。覚悟さえすれば現状を何も変えずに、黙って秘かに可能なところから手を打つ。他国に手の内を見せない事が最良の抑止力である。イスラエルは今でも核兵器を持っているのかいないのかを明らかにしない。明らかにするメリットなど何もないからだ。

 アメリカと敵対する事は全く愚かなことだが、言いなりになる事はそれ以上に愚かである。世界最先端の少子高齢化を迎える日本には真似をすべきモデルがない。これからは全て自分の頭で考え、生き残る知恵を出さなければならない。日本は否応なく自立への道を歩まざるを得ないのである。その時につまらない恫喝や売国商売人に過剰反応する暇など全くない。

2009年9月 1日

世界が笑う

 日本の「政権交代」は世界の関心を集めたらしく、欧米では新聞が一面トップで伝えていた。何しろ議会制民主主義でありながら、国民が一度も政権交代を選択しない不思議な国だと思われてきたから、やっと日本も世界と同じ土俵に登って来たかと、半信半疑かつ興味を持って見ているのだと思う。ところが日本の「政権交代」は初めから世界から笑われる展開である。

 通常、国民の審判が下ったその日から前政権が掲げてきた方針は停止する筈である。前政権の方針を主権者である国民が拒否したのだから、そうならなければおかしい。前政権は自分たちの方針を新政権の方針に切り替えるのに齟齬がないよう新政権に協力する。それが国家国民のために政治家や行政官になった人間の最低の努めである。「私」を封じて「公」に殉ずる。国益を守るとはそういうことである。

 ところが昨日からの動きを見ていると日本の政治家や官僚はそうではない。その不思議さを世界はどう見ているのだろうか。例えば消費者庁が前政権の方針のまま9月1日からスタートした。一体何を考えているのか、民主主義国家の有り様に逆らう話である。国土交通大臣のごときは、民主党がマニフェストで建設中止の方針を掲げた八ツ場ダムについて「再考して欲しい」と注文を付けた。全く選挙の意味を理解していない。

 そしてもっとみっともないのが自民党だ。選挙惨敗の責任を取って辞意を表明している麻生氏を特別国会で総理候補に担ぐと言う。総裁選挙が間に合わないというのが理由だが、間に合うか間に合わないかは「私」の事情である。「公」を重んじるなら間に合わせるようにすれば良い。それが出来ないなら、議会制民主主義の政党足り得ない非力さを謝罪して解散すれば良いだけの話である。

 辞意を表明している人物を国会の首班指名選挙に担ぎ上げ、それに党員が投票させられる政党など先進民主主義国のどこにあるだろうか。おそろしく馬鹿馬鹿しい話である。選挙後に国民が注目しているのは、民主党の官僚操縦力と自民党の再生力だが、これでは自民党に再生の力が全く残っていない事になる。どこからこんな判断の誤りが生まれてくるのだろうか。

 思えば2年前の参議院選挙惨敗後、責任を取って辞任しなければばらない安倍総理が続投を宣言した。続投を進言したのは麻生氏だと言われている。民主主義の仕組みを考えればやってはならないことを自民党はやり、その判断の誤りが自民党を奈落の底に突き落とした。それと同じ誤りを再び繰り返そうとしている。特別国会で麻生氏を総理に担ごうとする自民党を世界はどう評価するだろうか。7月のG8サミットではアメリカからもロシアからも遠ざけられた麻生氏である。それを自民党は本当に担ぐのか。

 今回の選挙は自民党にとって再生のチャンスになりうると私は思っていた。夏の暑い時期の長い選挙は年寄りにこたえる。この選挙によって自民党の実力者が落選し、世代交代が加速されれば、戦後の日本が公職追放で世代交代が可能になり、若い力で復興されたように、自民党もしがらみを断ち切った再生が可能になると思っていた。しかしまだ自民党若手の中から自民党を駄目にした戦犯追放の声が聞こえてこない。

 自民党の再生は、官僚機構とのしがらみを断ち切り、官僚主導政治からの脱却を民主党と協力してやるところから始まる。与野党が協力し、政党が官僚を使いこなす統治の仕組みさえ出来れば、後は与野党が政策を競わせる事で「政権交代」を繰り返す時代が来る。そして自民党の政権復帰が可能になる。そうした長期戦略を描かないと自民党の再生はないと私は考えている。自民党がいつまでも官僚機構の手先のままだと、民主党の長期政権が固定化し、世界から日本は不思議な国だとまた笑われてしまう事になる。

銀座田中塾のお知らせ

日時:9月11日午後6時半から8時半
テーマ:映像で読む世界と日本
    「ヨーロッパ映画のたそがれ」
会費:3000円(お弁当、飲み物)
場所:東京都銀座2-10-18
   中小企業会館8階C

お申し込みは
銀座モリギャラリー
TEL03-3357-0828
Email:morim-p@gol.com

Profile

田中良紹(たなか・よしつぐ)

-----<経歴>-----

1945年宮城県仙台市生まれ。
1969年慶應義塾大学経済学部卒業。
同年(株)東京放送(TBS)入社。
ドキュメンタリー・デイレクターとして「テレビ・ルポルタージュ」や「報道特集」を制作。また放送記者として裁判所、警察庁、警視庁、労働省、官邸、自民党、外務省、郵政省などを担当。ロッキード事件、各種公安事件、さらに田中角栄元総理の密着取材などを行う。
1990年にアメリカの議会チャンネルC-SPANの配給権を取得して(株)シー・ネットを設立。
TBSを退社後、1998年からCS放送で国会審議を中継する「国会TV」を開局するが、2001年に電波を止められ、ブロードバンドでの放送を開始する。
2007年7月、ブログを「国会探検」と改名し再スタート。

BookMarks

日本初の政治専門チャンネル!
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国会TV
http://kokkai.jctv.ne.jp/

-----<著書>-----


『裏支配─いま明かされる田中角栄の真実』
2011年1月、電子書籍


『メディア裏支配─語られざる巨大マスコミの暗闘史』
2005年3月、講談社

-----<編書>-----


『憲法調査会証言集─国のゆくえ』
2004年7月、現代書館

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