Calendar

2009年8月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          

Recent Comments

« 2009年7月 | メイン | 2009年9月 »

2009年8月31日

歴史的選挙の絶妙な数字

 議会制民主主義国家の中で唯一選挙による「政権交代」を経験してこなかった日本人が、初めて自らの手で政治権力を作り出した。選挙結果は歴史的意義に見合う絶妙な数字となって現れた。

 一般的に言えば、与党としては議会の主導権を完全に握る事が出来る絶対安定多数269議席を獲得すれば十分である。しかし我が国の政治の特殊性は与野党が対立するだけの構造になっていない。その上部に明治以来権力を握り続けてきた日本の官僚機構が存在する。それと太刀打ちするためには絶対安定多数だけでは数が足りない。過去最高である中曽根政権の獲得議席数300議席を上回る必要がある。どの自民党政権よりも国民の支持を集めたという事実こそが官僚機構の抵抗を押さえるのに役立つ。

 とは言え、衆議院で再議決が可能になる321議席を上回れば、逆に民主党に困難な事態が起こる。衆議院で再議決が可能になれば、参議院で単独過半数を得ていないという民主党の弱点を忘れてしまう事になる。どんなに謙虚になろうとしても、いざとなれば再議決で自分たちの主張を押し通せるという気持が出てくる。それは国民新党、社民党との強力関係にマイナスに作用し、民主党が来年の参議院選挙で必死に単独過半数を獲得しようとする気持に水を差す。

 今回の自民党の惨敗は4年前の郵政選挙の大勝利がもたらした。当時の小泉総理は思いも寄らぬ大勝にとまどい、用意していたシナリオを変更せざるを得なくなった。すれすれの勝利であったならば総理の任期を延長して構造改革の総仕上げに取り組んだかも知れない。しかし大勝した事で次の選挙では議席を減らすことが確実となった。ここで辞めれば歴史に残る総理で終われるが、続投すれば晩節を汚す事になるかもしれない。大勝が生み出した心理が自民党の道を誤らせた。

 衆参で圧倒的多数を確保している以上、未熟な総理でも国民の人気があれば政権運営は出来る。その考えが促成栽培の総理を生み出し、未熟な総理は数の力を背景に自らの信念を一途に貫いた。国民は安倍政権の思想信条よりも数の力で強行する権力のあり方に怖れを抱いた。その結果が2年前の参議院選挙である。国民のバランス感覚が自民党を参議院第一党の座から引きずり降ろした。

 参議院で権力を失った自民党は片肺エンジンの飛行機である。無理な操縦をすれば墜落する。野党とよく話し合い、国民の意向を組み入れた政治をやらなければならない。しかし自民党はそれが出来なかった。それは衆議院で再議決可能な議席数を持っていたからである。再議決が可能なのに野党と妥協するのは弱腰だという理屈が優先した。

 おかげで自民党は参議院選挙敗北の意味を真剣に考える事も出来なかった。参議院選挙敗北を小泉構造改革のせいにする者と、小泉構造改革が不徹底なせいだとする者に別れただけである。国民が政治に何を求めているかを真摯に受け止める事がなかった。その程度の自民党に国民は失望し、鉄槌を下した。

 民主党が獲得した308議席は321議席を超えなかった事で来年の参議院選挙に向けた緊張感を保ち続ける事が可能である。参議院選挙で単独過半数を獲得すれば、4年後の衆議院選挙で揺れ戻しが起こり、自民党が政権に復帰したとしても、自民党が再議決可能な三分の二の議席を超えない限り、民主党の政策を無視することは出来ない。日本の政治構造上、自民党が政権を取っても自民党のマニフェストは実現せず、民主党のマニフェストが生き続ける。つまり「官僚政治からの脱却」路線は生き続ける。それが分かれば官僚機構も抵抗する事の無意味さを知るようになる。従って来年の参議院選挙がこの歴史的「政局」の最終戦争なのである。

 今回の衆議院選挙を主導した民主党の小沢代表代行は、来年の参議院選挙を念頭に衆議院選挙の戦略作りを行ったと思う。問題はその選挙戦略に見合った緊張感を民主党が保ち続けることが出来るかどうかだ。そのためには新政権のスタートが順風満帆よりも、多難な門出となる方が好都合かも知れない。2年前の参議院選挙で幕を開けた「新時代」を作る政治の動きは、この衆議院選挙で状況を打ち破るべく大きく盛り上がり、来年の参議院選挙で形となって終幕するのである。今回の選挙でそのための絶妙な数字を国民は作り出した事になる。

銀座田中塾のお知らせ

日時:9月11日(金)午後6時半から8時半
テーマ:映像で読む世界と日本「ヨーロッパ映画のたそがれ」
会費:3,000円(お弁当、飲み物)
場所:東京都銀座2-10-18 中小企業会館8階C

お申し込みは
銀座モリギャラリー
Tel.03-3357-0828
E-mail:morim-p@gol.com

2009年8月27日

選挙は投票日で終わらない

 選挙終盤、自民党と民主党の候補者がデッドヒートを繰り広げている選挙区では、自民党候補者が有権者の前で「涙を見せるか」、「土下座をするか」の決断を迫られている。そこまでの必死さを見せなければ勝てない情勢だが、それをしても勝てなければ候補者どころか人間失格の烙印を押される。負けを覚悟で毅然とするか、同情を呼ぶ哀れな姿をさらすか、厳しい判断を迫られている候補者が大勢いる。

 今度の選挙で自民党は政権交代を阻止するどころか、解党的出直しを迫られる結果になる。自民党に求められているのは党再生のために一つでも多くの議席を確保する事である。何がこの状況を生みだしたか。私には自民党が2年前の参議院選挙を反省する事なく、同じ事を繰り返しているように見える。

>>続きは「THE JOURNAL×Infoseekニュース」で

2009年8月22日

公職選挙法の珍奇(2)

 学者や評論家が政治を評論する時、口を開けば「金のかかる選挙が諸悪の根元」と言う。選挙に金がかかるから政治献金が必要となり、それが金権スキャンダルの種となり、国民の政治不信を生み出す。一方で政治に意欲を持つ人間を政治の世界から締め出し、政治が私物化されて能力のある政治家が少なくなる。もっともらしい理屈だが半分も当たっていない。「金がかからない」を口実に民主主義に最も大事な選挙が国民から遠ざけられている。

>>続きは「THE JOURNAL×Infoseekニュース」で

2009年8月17日

のりピーで「目くらまし」

 押尾学と酒井法子という二人の芸能人の麻薬事件が相次いだ。かつての警視庁担当事件記者の目で見ると、事件に深みがあるのは圧倒的に押尾事件である。押尾学という俳優ではなく、事件の舞台となった六本木ヒルズに出入りする人種、その交友関係に闇があり、政財界に波及する可能性が高い。一方で酒井事件は芸能界によくある話で単純である。ところがメディアの報道は圧倒的にのりピーに割かれ、押尾事件は国民の目からは見えなくなった。情報操作をする側にとってこれは大成功である。

>>続きは「THE JOURNAL×Infoseekニュース」で

2009年8月14日

公職選挙法の珍奇(1)

 永田町には「法律に違反しないと立法者にはなれない」という笑えないジョークがある。つまり現在の公職選挙法に忠実に選挙をやれば間違いなく落選するという意味である。それを聞くと大方の日本人は「汚い事をやった人間しか政治家になれないのでは、やっぱり政治家は信用できない」となる。しかし私はそれほど守れない法律で選挙をやっている方がおかしいと考える。守れない法律を作り、裁量で摘発するかどうかを決めるのが官僚支配の要諦だがそれは選挙にも通用する。

>>続きは「THE JOURNAL×Infoseekニュース」で

2009年8月 8日

日本の外交力

 8月4日、アメリカのクリントン元大統領が北朝鮮を電撃訪問し、金正日総書記と3時間に及ぶ会談を行い、拘束されていたアメリカ人ジャーナリスト2人をアメリカに連れ帰った。それを聞いた拉致被害者の家族は「アメリカに出来る事がなぜ日本に出来ないのか」と語った。電撃訪問の3日前、麻生総理大臣は現職総理として初めて横田めぐみさんの拉致現場を訪れたが、拉致問題の対応策が示される事もなく、選挙向けのただのパフォーマンスと受け取られた。

 アメリカに出来ることがなぜ日本に出来ないのか。それは日本が自立した国家でないからである。「拉致はなぜ起きたか」というコラムでも書いたが、北朝鮮が中国人でも韓国人でもなく日本人になりすまして大韓航空機爆破事件を起こし、そしてそのために日本人を拉致したのは北朝鮮が日本を怖いと思っていないからである。それは日米安保条約が日本を無視してアメリカとだけ交渉すれば事足りると思わせているからである。

 日米安保条約は麻生総理の祖父である吉田茂が戦後日本の経済復興を優先するために締結した。国家の自立を損ね対米従属的な条約である事を知った上での決断である。だから他人に締結の責任が及ぶ事を恐れ、吉田はたった一人で条約に署名した。

 それを対等な条約にしようとしたのは岸信介である。日本の戦後復興は既に達成されていたが、なお冷戦体制ではアメリカの「核の傘」に守られる必要があり、安保条約は継続すべきと考えられた。しかし60年安保反対闘争は国民的盛り上がりを見せ、岸は退陣に追い込まれた。その後の日本は「安全保障をアメリカに委ね、経済は戦時中に構築された国家総動員態勢そのままの官僚主導の計画経済」という岸信介らが敷いたレールの上を走り、世界も驚く高度経済成長を成し遂げた。

 しかし冷戦体制の終焉と共に日本の高度経済成長も終わりを告げた。「反共の防波堤」を必要としなくなったアメリカは、フィリッピンのマルコス政権や韓国の全斗煥政権のように「反共親米」政権を次々切り捨てていく。日本の官僚主導体制と自民党長期政権にも厳しい目が向けられるようになった。

 冷戦の終結は日米安保の意義を失わせ、そこで「再定義」が必要となった。再定義では「ソ連の脅威はなくなったが、アジアにはなお中国、北朝鮮の脅威があり、冷戦体制は終わっていない」と改めて安保の必要性が強調された。しかしアメリカにとって中国、北朝鮮は旧ソ連と同じではない。そして前述したように中国、北朝鮮にとって日米安保は脅威ではなく、むしろアジアの大国になりうる日本を自立させない「ビンのふた」として歓迎されている。こうして世界が新たな秩序を求めて冷戦型の思考から解放されている時、日本だけは相も変わらぬ冷戦型思考の中に押し込められることになった。

 外交は単細胞思考の世界ではない。表と裏でアメとムチとを同時に使い分ける世界である。かつてアメリカがイランと国交断絶をしている最中に、私はルイジアナ州のクローリーという港でイラン向けにコメが積み出されているのを見た。表で国交断絶をしながら裏で主食用のコメを輸出する。これがアメリカの外交なのかと思っていると、後でもっと驚くべき事実を知った。アメリカは国交断絶のイランに秘かに武器も輸出していたのである。それがイラン・コントラ事件として明るみに出た。
 
 イランを叩くためにアメリカはイラクのフセイン政権を支援し、イラン・イラク戦争を起こさせたが、その裏側でイランにも武器を輸出していた事になる。これはヒズボラの捕虜となった米兵を救出するための秘密工作だったが、こうした例は国際政治で珍しくない。敵の敵は味方であり、敵と味方は場所と時が変われば目まぐるしく入れ替わる。そこにはイデオロギーも主義主張もない。全ては結果次第で、結果が国益に合致していれば良い。

 だからブッシュ前大統領が「イラン、イラク、北朝鮮」を「悪の枢軸」と呼んだ時、それは表の話だと私は思った。少なくもその三国とアメリカとの間に何のパイプも無い筈がない。表で批判しながら裏では秘かに手を結ぶ工作がなされる可能性もある。また「テロとの戦い」とは便利なスローガンで、誰も反対が出来ないから、それを利用してアメリカは中央アジアに米軍基地を拡張し、地下資源の確保を狙った。各国はそれを分かっていて表では賛同するが実際には自国の利益になる部分でしか協力しない。

 ところが日本はそうではない。アメリカが「悪の枢軸」と言えば純粋に敵対していると考え、「テロとの戦い」と言われれば正義だと鵜呑みにする。そんな単細胞で外交が出来るだろうか。拉致問題で必要なのは「対話と圧力」だと言う。しかし小泉政権以降対話のための戦略を見た事がない。わずかに福田政権が交渉によって拉致再調査に取りかかる寸前まで行った。拉致再調査は金正日総書記が病に倒れたためか挫折して、福田総理もその直後に政権を投げ出した。

 安倍政権と麻生政権は「制裁の一本槍」である。制裁をしても良いが制裁を問題解決に結びつける戦略が見えない。通常の外交なら、表で「制裁」を叫ぶ時には、裏で「アメ」をこっそり手渡すものだが、その形跡がない。公安調査庁によれば、制裁のおかげでこれまで入手してきた北朝鮮情報が入手困難になったと言う。北朝鮮情報なしに問題解決が出来る筈がない。何のための制裁なのかがまるで分からない。国民の人気を得るためなのか、制裁を叫んでわざわざ拉致解決を難しくしてきたのがこれまでの自公政権である。

 日本政府を見限ったのか拉致被害者の家族たちはアメリカ政府の要人に必死に協力を求めている。しかし外国が他国の問題に協力するには限界がある。国民の税金を他国のために使うことなどあり得ない。それを知りながら外国に助けを求める家族の姿を政治家や政府はどういう思いで見ているのか。私は悲しくなるだけである、

 悲しいかな戦後の日本は安全保障も外交も全て他人任せできた。ところが麻生総理は「民主党の選挙マニフェストには安全保障と外交が抜けている」と言い、安全保障と外交で論戦を挑む構えだと言う。これだからマニフェストを巡る論戦などやめてくれと言いたくなる。やれば国民を惑わせ世界から馬鹿にされる。どうしてもやりたいのなら「拉致問題がなぜ解決出来ないのか」の一点だけで真剣に議論して欲しい。日本外交の全てが集約されており、しかも議論する意義がある。それ以外に及ぶと嘘に満ち溢れた空虚な議論が繰り返されるだけになる。少なくも今度の衆議院選挙の選択肢とは全く関係がなく意味もない。

2009年8月 1日

「マニフェスト選挙」を叫ぶインチキ

 7月27日から31日まで各政党はそれぞれ選挙公約(マニフェスト)を発表し、メディアはその比較検討に力を入れた。しかしテレビキャスターが「ようやくマニフェスト選挙が根付いてきました」と、あたかも民主主義が前進したかのように言うのを聞くと、この国の国民は相も変わらぬ目くらましに遭って、またまた政治の本質から眼をそらされると思ってしまう。

 私は以前から日本の政治構造を考えるとマニフェスト選挙は原理的に不可能であり、今言われている「マニフェスト選挙」はせいぜい「もどき」でしかないと言い続けてきた。にもかかわらず「もどき」が「もどき」を越えるようでは、この国の政治がまともな民主主義に近づく筈がない。

 マニフェスト選挙の本場は英国である。アメリカにマニフェスト選挙はない。一度だけギングリッチという共和党下院議員が「アメリカとの契約」を掲げて共和党を大勝に導いた事がある。その勝利で自らも下院議長に就任した。それが英国の「マニフェスト選挙」を真似た珍しい例だが、ギングリッチの手法はその後国民の批判を浴びて本人は政界を引退し、その後マニフェスト選挙のようなものは行われていない。

 アメリカにマニフェスト選挙がないのは、アメリカ国民が政策よりも候補者を重視するからである。自分たちの代表足りうる候補者かどうかを見極める事が民主主義にとって大事だと考えている。従って候補者は自分がどういう人間であるか、何をやろうとしているか、自分には政治家になる資質があるという事を有権者に説明する。しかし英国の選挙はまるで違う。国民が選ぶのは政党のマニフェストで候補者ではない。候補者は決して自分の名前を売り込まない。ひたすら戸別訪問で党の政策を説明して歩く。「候補者は豚でも良い」とジョークで言われるほど候補者は無視される。

 だから英国では候補者は完全に政党に隷属する。英国の選挙が金のかからない理由は自分を売り込む必要がないからである。街宣車も要らないし、個人のポスターも要らない。そして大事な事は英国のマニフェストは日本のような政策の羅列ではない。まず国家の現状をどう認識しているかが語られる。そこから何が問題なのかが指摘され、どのような国造りを目指しているかを物語る。マニフェストは国民に向けた国造りの物語(ストーリー)なのである。

 国民はその物語を聞いてどの政党に投票するかを決める。日本のメディアが一覧表を作って比較対照するような政策のオンパレードとは訳が違う。あの政策の羅列を見て投票すべき政党を判断できる人間が本当にいるだろうか。それを新聞・テレビが大騒ぎをして国民の口に無理矢理押し込もうとしている。政党同士は誹謗中傷の材料にする。そんなことで民主主義が前進するのだろうか。

 善し悪しは別にして戦後日本の選挙はアメリカ型の「候補者を選ぶ選挙」である。候補者よりも政策を重視する選挙をやるべきだと言うのなら、まず公職選挙法を全面的に変更しなければならない。現在は禁止されている戸別訪問を認める代わりに街宣車での名前の連呼や街頭演説を禁止すべきである。政党のあり方も変更が必要だ。自民党や民主党のような個人主義の政党はマニフェスト選挙向きではない。日本共産党や公明党のように所属議員を完全に党に隷属させる政党でなければマニフェスト選挙にならない。議員は完全に党議拘束で縛られる。そうして本物のマニフェスト選挙に近づければ、民主主義を前進させる事が出来るかもしれない。しかしアメリカ型の民主主義に親しんできた国民が果たして英国型のマニフェスト選挙を受け入れるだろうか。私には疑問である。

 そして日本の「マニフェストもどき」が問題なのは、政策の達成率を競い合わせようとしている事である。そんな事に何の価値があるのかが私には分からない。政治は生き物である。世界情勢は日々目まぐるしく変わる。そうした中で政治家に求められるのは変化への迅速な対応と柔軟性である。昨日作った政策にこだわるような頭では冷戦後の複雑な世界にとても対応できない。

 例えばアメリカのオバマ大統領が大統領候補に手を挙げた時の唯一の「売り」と言える政策は「イラクからの米軍撤退」である。それが大統領になる可能性が出てくるとオバマのレトリックが変わった。「米軍撤退」が「戦闘部隊の撤退」になった。そして大統領に就任した現在、目標に掲げてはいるが優先順位は高くない。一説によると事実上米軍の指揮下に入る現地秘密部隊が育成されて撤退に備えているという。つまり撤退しても撤退しない。これが政治の現実である。選挙前の公約に縛られるより、現下の状況に的確に対応し、国民の声に耳を傾ける。それこそが権力者に求められることなのである

 選挙で掲げた公約は政権を取ればより現実に近づける。それは民主主義政治普遍の法則と言っても良い。世界中がやっている。公約を縛ったりはしない方が良い。公約を守る事は大事だが縛るのは子供の論理だ。重要なのは政策ではない。政策を実現する政治家の力量である。最近の日本政治の最大の問題は政治家の力量を見ずに選んだ結果、権力者になりきれない政治家が次々現れた事ではないか。昨年も「政策の競い合い」と称する選挙のおかげで自民党は苦しむことになった。そして「政局よりも政策が大事」とバカなことを言う総理も現れた。政策よりも政局を操れる政治家の方が大事である。何故ならどんなに良い政策でも1票の違いで死んだり生きたりするからである。国民は早くその事に気付くべきだ。

 ところが「マニフェスト」を金科玉条のように叫ぶ政治家たちがいる。最近も「三流テレビ芸人」でしかないくせにその自覚がない地方政治家がしきりに「マニフェスト」を「政治改革」のように叫んでいた。「マニフェスト選挙が政治改革」と言うまやかしは国民を惑わす罪深き宣伝である。些末な事に目を向けさせて、この国の本当の政治構造を見えなくする。

 かつて新聞とテレビは「同根」の自民党と社会党をあたかも対立しているかのごとくに報道して国民の目を欺いた。社会党は選挙で絶対に過半数を超える候補者を擁立せず、従って政権交代を意識的に放棄した政党だが、それを野党と呼んで国民を錯覚させ、権力構造の中枢にいる官僚機構に自民党と社会党がぶら下がった仕組みを国民の目から覆い隠した。そして政権交代のない構造を民主主義であるかのように装った。

 今またメディアは「マニフェスト選挙」を煽ることで、次の選挙の意味を明確にさせないようにしている。そもそも選挙の選択は難しいことではない。前の選挙から今日まで不満を感じないできた人は与党に投票すれば良い。逆に不満を感ずる者は野党に投票する。それだけの話である。勿論私はマニフェストを無くせと言っている訳ではない。選挙の判断材料の一つにはなるだろう。しかし「マニフェスト選挙」を異常に大きく見せることは政治の実像を歪ませる。国民の目くらましとなって民主主義をいびつなものにする可能性がある。怖い事だが民主主義の破壊者は常に民主主義の顔をしてやって来るのである。

Profile

田中良紹(たなか・よしつぐ)

-----<経歴>-----

1945年宮城県仙台市生まれ。
1969年慶應義塾大学経済学部卒業。
同年(株)東京放送(TBS)入社。
ドキュメンタリー・デイレクターとして「テレビ・ルポルタージュ」や「報道特集」を制作。また放送記者として裁判所、警察庁、警視庁、労働省、官邸、自民党、外務省、郵政省などを担当。ロッキード事件、各種公安事件、さらに田中角栄元総理の密着取材などを行う。
1990年にアメリカの議会チャンネルC-SPANの配給権を取得して(株)シー・ネットを設立。
TBSを退社後、1998年からCS放送で国会審議を中継する「国会TV」を開局するが、2001年に電波を止められ、ブロードバンドでの放送を開始する。
2007年7月、ブログを「国会探検」と改名し再スタート。

BookMarks

日本初の政治専門チャンネル!
↓ ↓ ↓
国会TV
http://kokkai.jctv.ne.jp/

-----<著書>-----


『裏支配─いま明かされる田中角栄の真実』
2011年1月、電子書籍


『メディア裏支配─語られざる巨大マスコミの暗闘史』
2005年3月、講談社

-----<編書>-----


『憲法調査会証言集─国のゆくえ』
2004年7月、現代書館

→ブック・こもんず←



当サイトに掲載されている写真・文章・画像の無断使用及び転載を禁じます。
Copyright (C) 2008 THE JOURNAL All Rights Reserved.