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2009年7月29日

民主マニフェストは「レーガノミクス」

 27日に民主党がマニフェストを発表すると、自民党はもちろん各方面からも批判の声が上がった。批判の主旨は「ただのバラマキで財源の裏付けがない」と言うことである。これを見て思い出したのはアメリカでレーガン政権が誕生したとき、その経済政策(レーガノミクス)が「ブードゥー・エコノミー(怪しげな呪い経済政策)」と批判された事である。

 レーガン政権が掲げた経済政策は「小さな政府」である。政府をスリム化し、規制緩和で政府が経済に関与する度合いを減らし、国民に税金をお返しすることで国民の購買力を増やし、消費刺激によって経済を成長させる政策である。ところがこれが理解されなかった。それまでのアメリカはF・ルーズベルト大統領の「ニューディール政策」以来、国が経済に関与するケインズ経済学が主流であった。「レーガノミクス」はそれに対する挑戦だった。

 国民にお金をお返しすることで消費を刺激することが、なぜ経済成長につながるのか。それを理解できない人たちの中に当時のブッシュ副大統領もいた。彼も「レーガノミクス」を「ブードゥー・エコノミー」と批判した。実際にアメリカ経済は好転しなかった。所得税の減税で国民にお金は戻ってきたが、お金持ちに有利で貧富の差は拡大した。低所得層は不満だった。一方でレーガン大統領はソ連との冷戦に打ち勝つため国防費に予算をつぎ込んで財政赤字は拡大した。

レーガンの後を受けたブッシュ大統領は増税に踏み切ることでレーガン時代の後始末を図ったが不況は克服できず、次のクリントン時代にようやくアメリカ経済が成長に転じた。その時多くの経済学者は経済成長の原因をクリントンの政策ではなく「レーガノミクス」が花開いたからだと指摘した。もはや誰も「ブードゥー・エコノミー」と言う者はなかった。

そもそもクリントン大統領はF・ルーズベルト大統領を尊敬し、就任当初は「大きな政府」を掲げていたが、その政策が国民に支持されないと見るや、「大きな政府の時代は終わった」と演説して「小さな政府」に切り替え、情報産業に対する規制緩和でアメリカ経済を成長に導いた。

 そこで民主党のマニフェストだが、子供手当、農漁業の個別所得補償、高速道路の無料化などの生活支援制度がバラマキと批判されている。しかしこれらは特定の人たちに税金からお金を戻す話だからバラマキとは異なる。バラマキとは特定の目標がなく、全ての国民に一律にお金を分配して喜ばれようとする政策である。民主党の生活支援制度は全国民ではなく特定の人を対象にする仕組みだから、私には「政策減税」と同じに見える。

 諸外国で「政策減税」は珍しくないが、日本ではなかなかお目にかかれない。何故かと思いながら日本の政治を眺めてきたが、官僚支配のためだと思うようになった。例えば「住宅減税」というのがある。アメリカは戦後一貫して「住宅減税」を景気対策の柱にしてきた。家を買えばその費用がまるまる控除の対象になり減税される。だからアメリカ人は職に就けばまず家を買う。家を買えば家財道具を買う事になるから消費が拡大する。それで景気が良くなる。

 レーガン政権では別荘(セカンドハウス)の購入も控除の対象になった。クリントン政権では老後に暮らす家の購入を減税の対象にした。これらはいずれも景気対策として有効である。しかしこうした政策が日本で採用されたことはない。表向きは金持ち優遇になるという理由だが、実は官僚の天下り団体が住宅ローンの融資を行っていたりして、そうした仕組みを全面的に変更されてしまう事に抵抗している。昔の野党は霞ヶ関の意を受けて、「金持ち優遇けしからん」などと言って「政策減税」に反対してきた。

 今回の民主党マニフェストはそうしたことを変更させる契機にもなる。子供を持つ家庭だけを優遇し、農漁業従事者だけを優遇し、自動車運転者だけを優遇する政策で全体の経済を押し上げる事が出来れば、日本もやっと諸外国並の経済政策を行える国になったと言う事が出来る。

 その財源は「無駄を省いて政府を小さくして捻出する」と言う。ますますレーガン政権が主張した「小さな政府」である。しかも個々の家庭にお金を配り、それがどう使われるかは各家庭の「自己責任」に委ねると言う。まさに「レーガノミクス」そのものではないか。

 これに対して自公政権の政策は、同じ子育て支援でも家庭にお金を配るのではなく、幼稚園や保育園を財政支援するという。それならば総選挙の対立軸は明確である。自公は個々の家庭ではなく団体や組織を重視する政策だから、日本の官僚が明治以来続けてきた配分システムを踏襲する。社会主義的というか、「大きな政府」型というか、国民の自立を促すものではなく「自己責任」も問われない。

 そう見ると総選挙は「小さな政府」と「大きな政府」の戦いである。「小さな政府」の前に「政治主導の」と言う言葉をつけても良い。「大きな政府」の前には「官僚主導の」と言う言葉がつく。最後に「財源の裏付けがない」などという人に対しては「民主政治のなんたるかを知らない戯言」と言っておく。

 財源とは何か。国民の税金である。それを官僚がお預かりしている。お預かりしている人間に使い道を決める権限はない。国民が使い道を決める。だから国民が支持した政策に財源の裏付けがないはずはない。足りなければ国民が支持しない政策の財源をはがせば良い。問題は金を預かっている官僚の首根っこを国民が押さえつけられるかどうかだ。これまでの自民党には結局それが出来なかった。次の総選挙で政権を取った政党が完全に人事権を握れるよう国民が権力を育て上げれば必ず財源は出てくる。自民党でも民主党でも次の総選挙は官僚の首根っこを押さえる力を国民から頂くための選挙にすべきである。

2009年7月24日

龍馬の夢

 日本は議会政治の先進国である。にもかかわらず国民の手で政権を選んだ事がない。世界でも珍しい特異な政治体制にようやく転機が訪れようとしている。

 日本に議会政治が始まったのは今から119年前の明治23年である。議会開設を求める自由民権運動が薩長藩閥の官僚政治を押し切って実現させた。当時の世界で議会制度を採用していた国は数えるほどしかない。「東洋の島国がこれほど早くから議会制度を採用したのは奇跡」とも言われる。その奇跡を起こさせたのは坂本龍馬の思想である。

 龍馬が暗殺される1年前、京都に上洛していた前土佐藩主の山内容堂に大政奉還論を進言するため、京都に向かう船中で龍馬が後藤象二郎に示した新国家構想、いわゆる「船中八策」に「上下議政局を設け、議員を置きて万機を参賛せしめ、万機宜しく公議に決すべき事」とあり、また暗殺直前に龍馬が直筆で書いた「新政府綱領八策」にも議会制度の導入が盛り込まれている。

 さらに龍馬暗殺の翌年に龍馬の同志である海援隊が出版した「藩論」を読むと、龍馬の考えていた政治体制は、身分の差別なく全民衆の投票によって政治の代表を決めるが、それが衆愚政治に陥らぬように二度の投票手順を踏む仕組みになっている。現代の間接民主政治を龍馬は140年以上も前に既に構想していた。

 ところが明治政府を樹立した薩長藩閥政府は、明治4年から行なわれた海外視察でアメリカ、イギリス、フランスらの先進国よりも、新興国プロシアの鉄血宰相ビスマルクの影響を強く受けた。ビスマルクは大の議会嫌いであり、皇帝と官僚を中心とする国家体制を大久保利通や伊藤博文に進言する。そのため官僚政治が先行して議会開設には維新後23年を要した。

 議会開設が現実になってからもビスマルクの影響は官僚政府に残っていた。議会開設の前年に黒田清隆総理は「超然主義」を宣言し、政府は議会が何を決めようとも「超然」としてそれには従わない考えを表明した。そうした中で行なわれた第一回衆議院選挙は高額納税者しか投票できない制限選挙で、国民の1%しか参加しなかったが、しかし自由民権派が勝利して官僚政府側は敗北した。

 そのため最初の議会が開かれると、官僚政府が作成した予算案は反対多数で否決された。すると政府は「予算は天皇の大権に基く」と主張して議会の決定を覆す行動に出る。これに怒った衆議院議員の中から辞表を叩きつける者が出た。後に「東洋のルソー」と呼ばれた中江兆民もその一人である。こうして議会制度の先進国でありながら日本の議会政治は不幸なスタートを切る事になった。

 1929年に起きた大恐慌は世界の資本主義国を痛撃した。日本には国家社会主義思想が台頭し、大恐慌の影響を受けなかったスターリンのソ連や、ヒトラーのドイツの「計画経済」を取り入れる動きが出てくる。軍人石原莞爾は満州事変を起こして満州国を作り、満鉄調査部の宮崎正義と組んで重化学工業化のため「計画経済国家」建設を始めた。充分な国力がつくまで戦争をすべきでないと考える石原は、東条英機と衝突して左遷され満州を去る事になるが、その事業を引き継いだのが商工省から派遣された岸信介と椎名悦三郎である。

 彼らは満州から帰国すると、その経験を基に日本の国家改造に取り組む。企業を直接金融から間接金融に変えさせ、企業を銀行のコントロール下に置き、その銀行を大蔵省がコントロールすることで民間企業をすべて計画経済体制に組み込んだ。また業界毎に「統制会」を作らせて官僚の行政指導を行き渡らせるようにし、終身雇用制と年功序列賃金を導入して独特の株式会社形態を作り上げた。これらが「国家総動員体制」の下に行なわれた。

 岸、椎名以外にも「計画経済体制」作りに携わったのが「革新官僚」と呼ばれる官僚たちで、彼らは「資本論」を学びながら戦時計画経済体制を作り上げた。この革新官僚の一部が戦後社会党の理論的支柱となり、岸、椎名が自民党の中枢となる事で、戦後の政治体制には戦前の計画経済体制を支えた革新官僚の影響が色濃く残っている。

 アメリカに占領され、民主化政策によって「デモクラシー」が根付いたかに見える戦後の日本だが、経済構造は戦前と変わることはなかった。官僚が計画した経済政策を民間企業が戦時体制そのままに一糸乱れず遂行する。特に岸内閣以降三代の内閣で通産大臣を務めた椎名悦三郎が主導した「貿易立国」政策によって、日本には自動車と家電製品の輸出で外貨を稼ぐ経済構造が定着した。これが戦後の高度経済成長を生み出す。

 この体制の前提として明治以来の官僚と政党との対立はなくなり、自民党と官僚とが一体となって経済政策を作成し、それを民間企業が遂行する仕組みが作られた。官僚主導を担保するために政権交代はあってはならず、社会党は決して過半数を越える候補者を選挙に立候補させない政党となる。従って国民がどのような投票を行なおうとも政権が代わる事はなく、万年与党体制が続いてきたのである。

 しかし日本の高度経済成長は欧米から反発を招いた。特に自動車と家電の輸出で深刻な打撃を受けたアメリカは、日本をソ連に代わる仮想敵国と見て日本経済の構造分析を行い、強さの秘密が官僚主導の計画経済体制にある事を見抜いて反撃を開始した。小泉政権以来しばしば指摘される「年次改革要望書」の存在などがその事を示している。

 冷戦の終焉によって各国は手探りで自らの進むべき道を探している。日本も例外ではない筈である。もはや戦後日本の成功体験の延長上に成功の道があるとは思えない。官僚主導に代わる国家体制を構築すべき時が来ている。その時に初めて国民が政権を選べる選挙を迎えた。権力は国民が作り出すものである。作り出して育て上げなければならない。日本国民はこれからその事を経験する。142年前に坂本龍馬が夢に見た事がいよいよ現実になる。

2009年7月13日

勇気なき解散

 「私が決めます」と言いながら、「決められず」にきた麻生総理が、自民党が大惨敗をした東京都議選の翌日に解散の日程を「決めて」見せた。解散先送り論が沸騰する中での決断で「ぶれ」ていない事を証明したいのだろうが、日程の中身を見ると、あちらにもこちらにも気兼ねした様子が目につく。その上で選挙後の自民党の再生にもつながってはいない。

 金融危機を口実に解散を先送りしてきた麻生総理には、もはや「解散の大義」を訴える力はなく、日程にも選択の幅はない。衆議院議員の任期が9月10日で切れるから、いずれはやらなければならない選挙をやるだけの話である。しかしその中に二つの選択肢があった。8月上旬の選挙か下旬かの選択である。実はここに大きな違いがある。

 8月下旬ならばほぼ任期満了である。1日でも長く議員をやっていたい議員の声に応える選挙になる。解散権を「衆議院議員の首を切る総理の権限」だとすれば、総理が権力を行使して首を切る話にならない。衆議院議員に対する総理の威令は弱く、人事をしたくても出来ないのと同様に、プライドが高く強い総理を自認する政治家には耐えられない。

 願望だけで言えば、麻生総理は8月上旬に選挙をしたかったと思う。特に7月27日公示8月8日選挙は真剣に考えた筈だ。それは任期満了から離れている事で「私が決めた」と言える選挙であり、同時に夏休みの真っ最中だから投票率を低下させ、民主党への追い風を和らげる選挙になった。8日土曜日を投票日にすればまさに投票率の低下を狙う事が出来た。しかもこの日程は天皇が外国から帰国した後の解散でも可能だった。

 しかしそれが出来なかったのは、都議選からなるべく離したい公明党の反対に麻生総理が屈したからである。都議選で自民党と公明党は対照的だった。自民は大惨敗だが、公明は全員当選で議席を増やした。創価学会の組織力を見せ付けられ、公明党の協力がなければ選挙に勝てないと思ったところから、8月上旬選挙は願望に終った。

 8月30日投票なら、何も都議選の翌日に解散・総選挙の日程を決める必要はない。7月28日の会期末に解散をすれば良いだけの話だ。それをこんなに早く決めたのは「麻生降ろし」を恐れたからである。都議選から会期末まで2週間の時間的余裕がある。この2週間が麻生総理には怖かった。だから選挙日程を自民党に早めに了承させ、議員たちを選挙に駆り立てて反麻生の動きを封じ込めようとした。そのため28日でも間に合う解散を21日に繰り上げたが、21日の解散なら8月8日選挙でも間に合った筈である。とにかくつぎはぎだらけの日程だ。

 これが何をもたらすか。一つは長い選挙戦をもたらす。解散の日程が決まればその日から事実上の選挙戦がスタートする。8月8日投票なら26日間だが、30日投票なら48日間の戦いになる。これが与野党どちらを利するかだが、与党に有利になるとは限らない。8月中旬には経済指標が改善されて景気対策の成果を誇示できると言う人も居るが、そんな一時的な数字に騙されるほど国民は愚かでない。それよりも国民は支持してもいない総理の顔を嫌と言うほど見続ける事になる。もう一つの問題は自民党が相変わらず公明党の支援なくしては戦えないひ弱な政党であり続ける事である。

 07年の参議院選挙で与党が過半数割れをした時から、自公連立は既に意味を失っている。自民党が公明党を必要とするのは参議院の議席数で過半数を越えられるその一点である。それが過半数割れをしたまま、しばらくは回復できない事が明白になった。だから連立を組むメリットはどこにもない。あるとすれば固い組織票の上乗せが期待できる選挙協力だけである。しかしその選挙協力が自民党の足腰を弱める麻薬の役割を果たしてきた。それから脱却しないと本来の自民党には戻れない。しかも公明党は福田政権の足を引っ張り、麻生政権を誕生させた張本人である。表には出せないが公明党との協力関係を見直すべきだと考える自民党員は少なくない。

 無党派と言えば政治に関心のない若者だと思う人も多いが、実は昔から真面目に自民党を支持してきた保守層が無党派になっている。きっかけは公明党との連立である。公明党と連立する自民党は絶対に支持出来ない。民主党ももちろん駄目だ。政治に強い関心を持つ保守層の中に無党派が生まれた。その無党派が小泉ブームで一時は自民党に戻ったが、改革の中身を見てまた自民党から離れ、小沢一郎なら支持できると民主党支持に回った。地方ではそういう現象が起きている。その無党派が公明党と官僚組織に利用される麻生政権に呆れ、ますます自民党から離れている。

 どう考えても次の選挙で自民党は下野する。かつて経験のない長期の浪人生活を強いられる可能性もある。それならばじたばたせずに、ここで余計な贅肉をそぎ落とし、少数でも質の高い保守政党に生まれ変わる選択肢もある筈だ。公明党との選挙協力を解消し、本来の保守に回帰して切磋琢磨するのがかつての自民党支持者を呼び戻す再生の道かもしれない。ところが今回の解散はそれとは逆の方向を向いた。

 自民党は麻生総裁を誕生させた錯覚だらけの総裁選挙の延長上をいまだにさ迷っている。その錯覚を解消しないまま、勇気なき総理によって、長期的視野を欠いた解散が仕組まれた。選挙に勝つ事より、政党としての再生を考える事が次の選挙の課題なのに、そうならないのはやはり末期症状と言うしかない。


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2009年7月10日

総理問責は「竹光」でない

 野党が13日に内閣不信任案と総理問責決議案を国会に提出する運びになりそうだ。これで解散は7条解散ではなく、69条解散の様相を帯びる。無論衆議院に提出される内閣不信任案は圧倒的多数の与党によって否決される。従って直ちに解散もしくは総辞職とはならない。しかし参議院で問責決議案が可決されると、国会は全面的に空転し、残された法案は全て廃案になる。その責任は総理にあるのか、野党にあるのか。解散して国民に信を問う必要が出てくる。解散は言われているより早まる事になる。

 昨年の通常国会で野党は「3月決戦」を叫び、予算を通らなくして総理を総辞職か解散に追い込む構えを取った。しかし予算は、衆議院で成立すると参議院が反対しても1ヶ月後には自然成立し、予算関連法案も60日後には再議決が可能になる。与党が圧倒的多数の衆議院で予算が成立すれば実は野党に抵抗の手段はなかった。参議院に総理の問責決議を提出することもなく「3月決戦」は不発に終わった。「総理問責は野党にとって『伝家の宝刀』だと思ったが実は『竹光』だった」とその頃言われた。

 1989年に野党が竹下総理を退陣に追い込んだ時は、通常2月下旬に衆議院を通過する予算案を審議拒否によって4月下旬まで通過させなかった。リクルート事件によって国民はその審議拒否を強力に支持した。予算の成立を阻止するためには衆議院段階で国会を空転させ、国家の機能を麻痺させなければならない。しかし現在の圧倒的に少数の野党勢力でそれは難しい。だから問責決議は予算を巡って総理を追い込む手段には使えない。その点では確かに「竹光」だったかもしれない。

 しかし会期末になって民主党の小沢代表は総理問責決議案を参議院に提出させ、史上初めての総理問責決議案が国会で成立した。一部の政治家やメディアは「今更気の抜けたビールだ」と冷笑したが、私は逆に彼らを「全く政治が分かっていない連中だ」と冷笑した。 

 なぜなら通常国会の会期末に総理問責決議案が成立すれば、次の臨時国会の冒頭から国会が空転する恐れがあった。野党は総理を認めない訳だから、総理が出席する審議には一切応じない。事実上国会は開かれず、事態を収拾するために総理は衆議院を解散して国民の信を問うしかなくなる。昨年は福田総理が臨時国会の前に辞任したため、そのような事態にはならなかったが、もし辞めていなければ臨時国会の冒頭で福田総理は解散に踏み切らざるを得なかったと私は思っている。だから総理問責は「竹光」でない。

 そこで今回のケースである。麻生総理はすでに「解散の大義」を失っている。7条解散を試みても、「やけくそ解散」とか「追い込まれ解散」と言われるだけである。選挙は事実上の任期満了選挙だと誰しもが思っている。であるならば本当に任期満了まで解散などするなと自民党の議員たちは思っている。出来れば「選挙の顔」も代えたい。しかし麻生総理を無理矢理引きずり降ろせば、麻生氏を総裁に選んだ責任を問われて自民党はさらに支持を失う。だから麻生総理に自分から辞任して貰いたい。それが自民党のためだと自民党の議員たちは思っている。

 一方、麻生総理は、圧倒的多数で自分を選んだ自民党が、手のひらを返すように退陣を迫まってくるのが許せない。余りにも身勝手すぎないか。敵は民主党であるはずだ。なぜ自分に刃が向かって来るのか。自分から辞めるなどとんでも無い。そんな恥をかかされるなら何を言われようと自分の手で解散する。そう思っているのではなかろうか。

 そこに野党が総理問責決議案を提出し、それが可決され、国会が空転し、北朝鮮の船舶検査法案や公務員制度改革法案などが廃案の見通しになる。麻生総理にとってこれは渡りに舟である。これで立派に解散の大義名分が立つ。重要法案を廃案にした野党を批判して戦いを始められる。もう誰にも「追い込まれ解散」などとは言わせない。敵は野党である。自民党もこれで一体化せざるを得なくなる。野党から売られた喧嘩を買うためには任期満了までぐずぐずする訳にも行かない。天皇が外国訪問から帰国されたら、直ちに解散し、8月8日までの選挙に持ち込むのが望ましい。麻生総理はそう考えるのではないか。

 麻生総理の度重なる「ぶれ」を見てきた経験から、余り断言は出来ないのだが、普通の政治の感覚から言えば、総理問責決議案はそのようなシナリオを描かせる。しかし東国原知事や橋下知事を相手に田舎芝居を演じて恥じない現状の自民党と、自分の考えを持たない総理のことだから、これとは違うシナリオに飛びつく可能性もある。私としては史上二人目の総理問責決議によってそれが「竹光」でないことが証明されるかどうかを注目するだけである。


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2009年7月 9日

解散の大義

 麻生総理は「解散はしかるべき時期に私が決めます」と壊れたレコードのように繰り返してきた。政局を自在に操れる総理なら「私が決めます」とは言わない。黙って思い通りの時期に解散してみせる。わざわざ言うのは、決められない事を自分が決めたかのように見せたいからだ。そう思って見ていると、麻生総理は本当に解散できるかどうかが怪しい情勢になってきた。

>>続きは「THE JOURNAL×Infoseekニュース」で

2009年7月 1日

錯覚だらけの自民党

 自民党の伊吹元幹事長が6月27日のテレビ番組で「自民党が問われているのは、人気がある人を旗に立てた事だ」と述べ、国民の人気度に比重を置いて麻生氏を総裁に選んだ事が政治を混迷させているとの認識を示した。昨年の自民党総裁選挙直前に既にその事を指摘していた私は、「小泉純一郎氏の登場以来まともな政治を見失い、錯覚だらけに陥った自民党がようやく気づいたか」と思う反面、「大半の議員を入れ替えない限り錯覚は続くだろう」という気になった。

 昨年の9月10日に私は「総裁選挙は未熟すぎる民主主義の証明」というコラムを書いた。「『政策を競い合う』と称して『開かれた総裁選挙』を行なう自民党が民主主義的で、代表選挙をやめた民主党は民主主義的でないと公言する政治家やメディアは、民主主義を全く理解しておらず、この国の未熟さを証明しているだけ」という内容のコラムである。

 そもそも政党内の選挙は国民が参加していないのだから、やろうがやるまいが民主主義とは何の関係もない。民主主義国の政党が党首選挙を行うのは基本的に国政選挙に敗れた時で、国民の支持を失った党首を交代させる。反対に国政選挙に勝利した党首を党の都合で交代させれば民意を無視する事になり、それこそ民主主義に反する。サッチャーもブレアも10年以上も党首選挙などやらずに党首を続けた。従って参議院選挙で勝利した民主党が代表選挙をやる事は民意無視を意味する。未熟な政治家やメディアにはこの原理が分からない。

 自民党は福田総理が辞任したから選挙は必要だった。しかし「政策を競い合う」と称して華々しい選挙をやれば、党内に亀裂が生じ、決して好ましい結果にはならない。それを理解出来ないのは、自民党が小泉総理を誕生させた01年の総裁選挙の思い出に浸っているからだ。あの選挙は田中真紀子と小泉純一郎という希有なキャラクターと橋本龍太郎と野中広務という希代の悪役が存在したから成り立った。それが内輪の選挙を国政選挙と錯覚させる程の効果を生んだ。しかしその再現などありえない。実際に町村派は総裁選挙のおかげで深刻な分裂に突入した。

 そうした事を理解できないのが政治未熟児に退化した今の自民党である。候補者を乱立させれば国民の関心を集めるという錯覚で、とても総理の器とは思えない面々を候補者に並べた。まともな国民は自民党に人材がいない事を痛感した。さらに馬鹿馬鹿しいのが「政策の競い合い」と称する茶番である。同じ政党の中で何が「政策の競い合い」か。政治のリーダーに求められるのは「政策」ではない。状況を的確に判断する能力、人心を掌握する能力、社会の隅々にまで目配り出来る能力、そして何事にもたじろがない胆力、そうした力を持つ人間こそがリーダーにふさわしい。世界はそういう目でリーダーを選んでいる。日本は「政策」を重視するからリーダーが政権を投げ出す。

 「これじゃ自民党の支持率は下がるだけ」と思って見ていると、天罰が下ったのか米国のリーマンブラザースが倒産し、世界的な金融危機が始まった。往年のまともな自民党なら即刻総裁選挙を切り上げて全員が政治の現場に戻ったと思う。ところが政治の使命を忘れた自民党は仕事よりもパフォーマンスを重視した。国家の危機を前に阿呆らしい茶番を止めなかった。

 だから総裁選挙を終えて麻生新政権がスタートしても、ご祝儀どころの話ではなかった。世論調査は厳しい数字を突きつけた。即刻解散に踏み切る筈が解散すら出来なくなり、政治の迷走が始まった。全ては錯覚だらけの総裁選挙に起因している。伊吹元幹事長はその事に言及した。しかし本当に自民党は錯覚に気付いたか。とてもそうとは思えない事が続いている。

 一つは総裁選挙の前倒しである。これは理屈が成り立たない。自分たちで選んだ総裁を自分たちの都合で勝手に代える話だが、自民党の総裁は内閣総理大臣となって日本国の最高責任者である。すでに自民党の私物ではない。自民党の都合だけで代える事など許されない。代えるなら総理としての権力をいったん国民にお返しし、間違った総裁を選んだ事を国民に詫びてから総裁選挙をやるべきである。

 一方でもし麻生総理が政治の混迷に責任を感じて辞任するなら、去年の総裁選挙で2位につけた与謝野馨氏が臨時の総理となり、直ちに解散総選挙を行って国民の信を問うべきなのである。それがこうした際の政治の常道ではないか。このところ報道されている桝添、石原、小池氏らによる総裁選挙など錯覚にも程がある。ひたすら馬鹿馬鹿しい話だ。

 もう一つが東国原宮崎県知事の担ぎ出しである。自民党は東京、大阪、宮崎の3人のタレント知事の応援を得ないと選挙が危ない。そこで国政に移りたくてじたばたしている東国原氏に狙いを定めた。大臣ポストや政策の受け入れをちらつかせ、橋下大阪府知事共々囲い込みを図ったが、これも大いなる錯覚である。田中真紀子・小泉純一郎コンビに比べたら、東国原・橋下コンビなど所詮は三流テレビ芸人である。役者の格が違いすぎる。森元総理や古賀選挙対策委員長らがシナリオを練り上げたのかもしれないが、役者の演技が下手すぎて、もはやシナリオ通りには運ばない見通しである。錯覚はこうして自民党の屋台骨を蝕んでいく。

 自民党がやるべき事は早く錯覚から目を覚まし、古い自民党こそが憲政の常道を歩んできた事を思い出し、この際は野党となって切磋琢磨と研鑽を積み、党の体質を一から鍛え直す事なのである。


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会費:3000円(お弁当付き)
参加ご希望の方は
銀座モリギャラリー
電話03-3357-0828
Email:morim-p@gol.com
までお申し込みください

Profile

田中良紹(たなか・よしつぐ)

-----<経歴>-----

1945年宮城県仙台市生まれ。
1969年慶應義塾大学経済学部卒業。
同年(株)東京放送(TBS)入社。
ドキュメンタリー・デイレクターとして「テレビ・ルポルタージュ」や「報道特集」を制作。また放送記者として裁判所、警察庁、警視庁、労働省、官邸、自民党、外務省、郵政省などを担当。ロッキード事件、各種公安事件、さらに田中角栄元総理の密着取材などを行う。
1990年にアメリカの議会チャンネルC-SPANの配給権を取得して(株)シー・ネットを設立。
TBSを退社後、1998年からCS放送で国会審議を中継する「国会TV」を開局するが、2001年に電波を止められ、ブロードバンドでの放送を開始する。
2007年7月、ブログを「国会探検」と改名し再スタート。

BookMarks

日本初の政治専門チャンネル!
↓ ↓ ↓
国会TV
http://kokkai.jctv.ne.jp/

-----<著書>-----


『裏支配─いま明かされる田中角栄の真実』
2011年1月、電子書籍


『メディア裏支配─語られざる巨大マスコミの暗闘史』
2005年3月、講談社

-----<編書>-----


『憲法調査会証言集─国のゆくえ』
2004年7月、現代書館

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