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2009年5月28日

民主主義を壊す「説明責任」

 27日の党首討論で麻生総理は「小沢秘書逮捕」を追及する事が民主党攻撃の最大ポイントと考えていたようで、「民主党は西松問題で説明責任を果たしていない」と鳩山民主党代表を追及した。

 これまで新聞やテレビで民主主義を知らない愚かなジャーナリストや学者が「説明責任を果たしていない」と小沢代表や民主党を批判していた事は知っていたが、まさか一国の総理が議事録に残る国会でその発言をするとは思っていなかった。日本の民主主義がいかに未熟なものであるかを麻生総理は国会の記録に残した。

 「説明責任」は英語でアカウンタビリティと言う。アカウントと言う言葉から分かるように元々は会計学の用語である。「他人の財産を受託している者がそれをいかに管理し正しく使ったかを証拠を示して説明する義務」の事だと言う。それが政治の世界で使われるようになったのは1970年代のアメリカである。

 「反共主義」を錦の御旗に介入したベトナム戦争で苦戦が続き、国の内外から批判されたアメリカは「政治改革」を行う必要があった。いかに共産主義と戦う事が正義でも、民衆に支持されない政権を擁護する事は誤りである。「反共」よりも「民主主義」が大事だと考えられた。納税者の権利の尊重や、行政府の「透明性」が「政治改革」の大きな柱となった。

 そこで「政府は納税者に対して税金の使い道をきちんと説明する義務がある」と考えられるようになる。それを「説明責任」と言う。「納税者が主人で官僚は下僕である」という極めて民主主義的な考えが根底にある。同じ頃、官庁など税金で成り立つ組織には国民に「情報公開」を行なう「透明性」も求められ、「情報公開法」が制定された。

 ところがこの考えが官僚国家日本に入ると意味がすり替わる。「情報公開法」が制定されても官僚はあらゆる口実を駆使して国民にはほとんど情報を公開しない。一方で官僚支配を認める特別の者だけに情報の一部を漏らす。「資産公開制度」が出来ても国会議員だけに適用され、裁判官や高級官僚には適用されない。要するに官僚を縛る道具を国民の代表である政治家を縛る道具にすり替え、行政、司法の官僚には及ばないようにした。

 「説明責任」も同様である。本来は政府に求められる「責任」をあらゆる分野に拡散して、政府への追及をぼかすようにした。ぼかす役割はメディアにやらせた。メディアは取材対象に「説明責任がある」と言って迫れるので、誰にでも「説明責任」を求める。バカな取材に応えない自由は誰にでもあるのに、それをさせない口実に「説明責任」が使われた。最近ではプロ野球の監督にまで「説明責任」を求めるバカなメディアがある。その裏側でメディアは本来やるべき政府の「説明責任」を追及していない。

 今回の小沢秘書逮捕で「説明責任」を求められるのは何よりも検察である。選挙直前に政界捜査を行なう事など先進民主主義国では考えられない。民主主義で最も尊重されなければならない選挙に影響を与える捜査などやってはならない。それが犯されれば国民の権利より捜査機関が上位に立つ事になり、捜査機関と結んだ政治権力が権力を欲しいままにできる。かつてファシズムはそうして生まれ、民主主義を破壊した。

 選挙が行なわれる年に、国民の権利を奪ってまでやらなければならなかった検察の捜査にどれほどの国益があるのか。その「説明責任」を検察は果たさなければならない。それが税金で養われる検察官の納税者に対する義務である。ところが検察はそれを拒否した。裁判で説明をするので事前に手の内は明かせないと言う。これで「説明責任」は全て裁判の場に持ち越される事になった。

 民主主義社会では裁判で決着するまで被疑者は無罪である。従って検察が「説明責任」を裁判に持ち越した時点で「小沢秘書逮捕」は裁判が終るまで見守るしかない事件となった。ところがである。驚く事にこの国には民主主義を知らない人間が続々と現れて、小沢氏や民主党に「説明責任を果たせ」と迫ったのである。

 検察が果たさない「説明責任」を何故政治家にだけ求めるのか。政治家は国民の代表である。国民が選挙で落とす事も選ぶ事も出来る。生殺与奪の権は国民が握っている。その政治家に対して官僚以上の説明責任を負わせる考えが果たして世界の民主主義国家に存在するだろうか。

 新聞とテレビはご丁寧にも「世論調査」を行なって「小沢氏は説明責任を果たしているか」と問うた。しかし「検察は説明責任を果たしたか」とは決して聞かない。検察が「説明責任」を果たしていないのに小沢氏の「説明責任」だけを問えば、誰も「説明責任を果たした」と答える筈はない。するとその調査結果を大々的に宣伝して再び世論操作に利用する。これはまさにゲッべルスの世界、ナチスを誕生させた時代の再来だと私は思った。

 政治家にも学者にもジャーナリストと称する人間にもいた。検察を棚に上げて小沢氏や民主党に「説明責任」を迫った人間の顔と名前を国民はよく覚えておくと良い。それが民主主義を破壊する人間の顔である。それらの集大成が党首討論での日本国総理大臣の発言であった。まさか記録に残る国会の場であれほど「説明責任」に固執するとは思わなかったが、それが最も効果的な攻めどころだと思ったのだろう。しかしそれだと麻生総理は後世「民主主義の破壊者」として記録される事になる。残念だが官僚の振り付けどおりに動くとそういう事が起きる。

2009年5月21日

民意とのねじれ

 最近の麻生総理は民主党の新体制を評して「民意とのねじれ」という言葉をしきりに使っている。マスコミの世論調査が「岡田新体制」を望んでいたのに、そうはならなかったことで、民主党は世論に背を向けていると国民にアピールしたいようだ。

 しかし麻生総理がマスコミの世論調査を「民意」だと言うのなら、麻生政権は昨年末からずっと「民意とねじれっぱなし」である。世論調査で7割近い国民が麻生政権に「不支持」と答え、総理辞任を求めてきた。それを無視してきた事を麻生総理はどう説明するのだろうか。

 私はマスコミの世論調査を「民意」と思うほどお目出度くはないので、7割の国民が「不支持」と答えても、それを鵜呑みに総理を辞める人間などこの世にはいないと思っていた。だから麻生総理が辞任せずにきた事を非難しようとは思わない。ただそういう状態を放置する事は日本の政治にとって好ましくない。何らかの手を打つ必要はあった。

 何が最も必要かといえば、世論調査というインチキまがいの「民意」ではなく、選挙で示される本物の「民意」を聞くべきであった。ところが麻生政権は景気対策を理由に本物の「民意」から逃げ続けた。各国とも真面目に金融危機に対峙する中、日本だけは景気対策が選挙を先延ばしにする口実に使われた。「4段ロケット」とか言って景気対策をちびちびと小出しにしたため日本の景気は世界最悪となった。そのためかインチキまがいの世論調査でも不支持が圧倒的に大きくなり、政権交代が必至の情勢となった。

 すると政権交代を阻止したい霞が関は「世論誘導」によって麻生政権の支持率回復を図る事を考えた。官僚権力には世論誘導に成功してきた数々の事例がある。戦前では自由民権運動の流れを汲む政党政治家、星亨や原敬に「金権政治家」、「利益誘導政治家」のレッテルを貼り、それを新聞に報道させて民衆の義憤を煽り、星も原も庶民によって暗殺された。

 戦後にはロッキード事件がある。事件の中枢にいた自民党大物政治家は見逃され、総理を辞めたばかりの田中角栄だけが逮捕された。すると新聞とテレビは事件の真相解明を放棄して「田中的金権政治批判」に世論を誘導した。「田中角栄はアメリカの虎の尾をふんだ」とのデマがまことしやかに流され、一方で新聞とテレビは東京地検特捜部を「最強の捜査機関」と賞賛した。しかし検察の現場ではまともでない捜査に若手が不満を抱き、検事総長は「巨悪は眠らせない」と発言してなだめなければならなかった。ところが総長の発言とは裏腹に「巨悪」はその後も「眠ったまま」である。

 いずれ歴史の審判を受ける事になるだろうが、ロッキード事件は官僚に都合の良い世論誘導には見事に成功した。それからは旧社会党を中心とする野党とマスコミ、学者らが官僚の意向を汲んで金権政治批判に力を入れ、政党政治の力を削ぐ事になる。政権交代を狙わない野党にとって政党が権力を握る必要はなかった。法案を議員が立法する力は抑えられ、政党は立法作業のほとんどを霞が関に頼るようになる。政治資金を集める事も難しくなり、政治家は官僚の力を借りて金を集めるようになった。

 政治資金は透明性が大事で、金額の規制をしてはならないという民主主義の根本原理は忘れられ、金額の規制が正しいと考えられるようになる。政治資金規正法が次第に制約の大きい法律となり、大半の政治家は政治活動のために違法状態を余儀なくされ、首をすくめて摘発されない事を祈るような異常な状態となった。「大物政治家が一度逮捕されれば、次の逮捕まで10年は安全だ」などと言う政治家もいる。政界がまるでロシアン・ルーレットの世界になった。

 「古い自民党からの脱却」と若手の政治家は言うが、昔の自民党政治家の方が官僚に対して力があった。その力を霞が関はひとつずつ削いできた。新聞とテレビが記者クラブという檻に入れられ、考える力を奪われたのと同じように、政治家も霞が関発の情報だけに頼って判断力を奪われてきた。最近の若手政治家は口では霞が関批判をして見せるが、本当に霞が関に頼らずに政治を続けられるかは疑問である。

 政治の世界もメディアの世界も官僚の情報操作に従わざるを得なかったが、世の中は「平家物語」である。奢れる者は久しからず、諸行は無常である。成功体験はいつまでも続かない。これまで成功してきた情報操作の異常さが今では「あぶりだされる」ようになった。麻生政権の支持率回復のために打たれた乾坤一擲の「小沢秘書逮捕」が様々な「あぶりだし」を見せてくれている。

 まずこの逮捕劇は、違法献金の捜査ではなく小沢氏の代表辞任を目的としていた。その証拠に政治家摘発に必要な検察首脳会議を開かず、小沢氏個人に対する家宅捜索も行なわれていない。そして逮捕直後から一斉に「小沢代表辞任」と「岡田新体制」を求める声が沸き起こった。代表さえ辞任すれば秘書の起訴は見送られるサインが出されたと私は思った。そして自民党と霞が関が小沢代表を嫌がり、岡田代表を歓迎した背景には政権交代を巡ってそれだけの理由がある事を示している。

 当初権力側はこの工作を何人かの民主党議員にやらせようとした。それが思うようにいかないとマスコミの世論調査を利用して世論誘導を行ない、その影響で他の民主党議員をも動かそうとした。それでも岡田代表を実現する事が出来なかった。世論誘導が昔ほど上手くいかなくなってきた。そこで麻生総理に「民意とのねじれ」を言わせるようになった。しかし麻生総理に「民意とのねじれ」を言わせては元も子もない。それではせっかくの工作が逆効果になり、再び麻生内閣の支持率を下げる事にもなりかねない。とにかく麻生総理の「口は災いのもと」である。「漢字が読めない」のは大したことではないが、政治家が発する言葉は重いから、言葉で致命傷を負う可能性は充分にある。そして麻生総理にはこれまでも余計な事を言ってきた実績がある。党首討論を控えた時期に余計な事は言わせない方が間違いがない。

2009年5月17日

「世論が大事」と言うデタラメ

 官僚国家では、国民を支配する方法として、守る事の出来ない法律を作り、違法状態を野放しにし、いつでも「裁量」で摘発する方法があると書いた事がある。官僚にとって好ましくない人物は摘発され、従順な人物は見逃される。すると国民は官僚にすり寄り、言う事を聞くようになる。政治家もその方法でコントロールされる。

それ以外に官僚の作る政策をあたかも国民が作ったようにみせかけ、「民意だ」と言って国民に文句を言わせない方法もある。国や地方自治体に設置される「審議会」などがそれである。「審議会」は大臣などの諮問を受けて民間の専門家が集められ、政策が策定される前に意見を聞かれ、大臣などに答申する機関だが、人選をするのは官僚で、議論のための資料なども官僚が用意するため、官僚が誘導したい方向に結論を導く事が出来る。

 しかも官僚は「審議会」の答申に縛られる事なく政策を作成できるから、作られる政策はあくまでも官僚の政策である。しかし意見を聞いた事で、「民意が反映されている」と言う事が出来る。「民意」と言われると民主主義のように聞えるが、官僚の政策に民主主義らしき粉をまぶした程度の話である。

 最近、この発想と似た事がメディアの世界で多用されている。新聞やテレビが行なう「世論調査」である。「世論調査」の結果を「国民世論」だと報道する事例が増えているのだが、私には何か民主主義まがいの粉が飛び散っているだけのように見える。

 かつて新聞やテレビがこれほど「世論調査」を行なうことはなかった。多額の費用がかかるため余程の時にしか行なわなかった。調査の対象に偏りがあっては正確な世論はつかめない。人と時間をかけて丁寧に行なう必要があった。調査対象に性別、年齢別、地域別、職業別などで偏らない対象を選ばなければならない。だから大変で滅多にやらなかった。

 ところが最近は毎週のように「世論調査」が報じられる。そんなに頻繁だと多額の費用はかけられない。かつてとは異なる方法で安価に済ませている事になる。RDDという方法を良く目にするが、コンピューターの乱数計算を基に電話番号を発生させ、電話に出た相手に質問を行なう方法だと言う。それで得られる回答が本当に「世論」と呼べるのか、私には信用する気になれないところがある。

 電話をする時間帯が昼間で相手が個人住宅なら、電話に出るのはお年寄りか女性が多くなるはずだ。それなら性別、年齢別、職業別の偏りを無くすための方法を他に講じているのだろうか。それともそれらの要素は切り捨て、とにかく電話に出た相手だけで調査を済ませているのか。そこが気になる。

 次に質問の仕方である。相手は答えるのが面倒だと思っているに違いない。いい加減な答えが返ってきたらどうするか。かつてテレビやラジオで数多くのインタビューをやった私の経験から言えば、聞き方次第でこちらの期待する回答を得るのは至極簡単である。そういう聞き方をしていないか。疑問は限りなく浮かんでくる。

 しかも質問の相手が新聞の読者だったらどうなるか。新聞記事に影響されているはずである。回答の内容は新聞社の見方と同じになるはずだ。それだと「世論調査」は新聞社の論調を「国民世論」に見せかけるための道具になる。官僚が審議会の委員に対して官僚の考えと同じになる資料を見せ、思惑通りの回答を引き出し、官僚が作成した政策を「民意による」と見せかけるのと同じである。新聞は自らの主張を今度は「国民世論」として再び社会に発信する事が出来る。恐ろしい世論誘導の方法である。恐らくメディアはこの手法を官僚から学んでいる。

 民主党代表選挙で新聞とテレビは、「岡田優勢」の「国民世論」と「鳩山優勢」の「民主党世論」を比較して、あたかも民主党が国民世論に背を向けているかのような報道を行なった。しかしその「国民世論」は先ほどの手法で新聞とテレビが作り出した「世論」に過ぎない。新聞とテレビの仕事は世論誘導ではなく、政治力学を読み解き、政局を自分の頭で「考える」ことだ。ところが「考える力」を感じさせる解説には全くお目にかからない。どこかの政治家の受け売りばかりが「政局解説」として流れている。

 因みにアメリカには世論調査の専門会社がいくつかある。最も有名なギャラップ社は70年以上の歴史を持ち、世界30カ国以上に事務所を置いている、世論調査の正確さに命をかける専門会社であるから信用を失ったら会社は潰れる。日本の新聞とテレビのような片手間の調査とは訳が違う。本格的な世論調査とは言えない調査で世論を操られる日本人は誠に不幸な国民である。

 新聞とテレビもひどいが「世論が大事だ」とのたまう政治家にはもっとがっかりさせられる。「世論」は勿論尊重するが、「世論」の通りに動く政治家では存在する意味がない。全てを国民投票で決めれば良い話になる。「民主主義は最悪の政治体制」と言ったのは英国のチャーチルだが、ギリシアの昔から国民の言う通りにしたら「国家は潰れる」。「国民は愚かで誤りを犯す」と言うのが民主主義の大前提である。いかに国民に不人気でも深い洞察力と見識で国民を指導する政治家が居て初めて「民意の尊重」が生きてくる。欧米では自明の事がこの国では理解されていない。

 世論調査で「辞任しろ」と言われて辞任する政治家が居たら「政治家失格」である。これも欧米では自明だが、この国ではそれを理解できない政治家がいる。一体政治の何を学んできたのだろうか。民主主義で最も大事なのは国民の選挙で示された「民意」である。選挙結果は最大限に尊重される。選挙に勝利したリーダーを党内の事情で交代させる政党は欧米にはない。

 英国ではサッチャーもブレアも国政選挙に勝利している間は10年以上も党首選挙は行われなかった。それに倣えば一昨年の参議院選挙で民主党を勝利させた小沢代表を交代させる理由は全くない。だから昨年民主党が代表選挙を行わなかった事は正しい。ところがそれを理解できない政治家とメディアが居て、党員だけの選挙なのにやらないのは「国民に開かれていない」とか「民主主義的でない」とか馬鹿丸出しを言っていた。民主主義に無知なのである。

 今回の代表選挙は小沢代表が「挙党一致」を求めて辞任したのだから、これも民主主義の論理に従えば小沢体制が継続されるのが常識である。次の選挙で民主党が敗れればそこで小沢体制を交代させる必要が出てくる。それが「民意の尊重」であり民主主義の王道である。ところがそれとは関係のない雑音ばかりで動いている政治は、この国の民主主義が「成人」に達していない事を示している。選挙直前に検察が政界捜査を行う国を世界では「後進国」と呼ぶ。そんな国で「世論が大事」は所詮民主主義とは関係のないデタラメに過ぎないのである。

2009年5月12日

元気はつらつ辞任会見

 与党が党首討論よりも補正予算案の衆議院通過を優先し、その後の政治日程を固めたと思われた5月11日、民主党の小沢代表が代表辞任を表明した。辞任会見を行った小沢代表の表情は元気はつらつ言葉にも力がこもっていた。辞任の理由は「政権交代のため挙党体制を確立する」の一点である。代表に身を捨ててまで「挙党態勢を確立する」と言われれば党員は誰も逆らえない。これで民主党には「かんぬき」がかけられた。

 事件は麻生内閣の支持率が一桁まで下がろうという時に起きた。小沢代表の秘書が西松建設からの献金を政治団体からの献金と偽って記載したとして逮捕された。政治資金収支報告書の虚偽記載での逮捕は前例がない。しかも政権交代が確実と言われる選挙直前の強制捜査である。これには検察OBからも批判の声が上がった。およそ民主主義国家ではあり得ない暴挙だからである。

 捜査は建設会社の違法献金問題を正すために行われたものではない。小沢代表の代表辞任を目的として行われた。複数の政治家が献金を受けていたにもかかわらず、小沢氏だけが狙われた。そして小沢氏が速やかに代表を辞任すれば秘書は起訴されなかった。家宅捜索が行われた箇所を見ると小沢氏に捜査が及ばないことを検察はサインとして送っている。検察はマスコミを使って小沢批判をやらせ、選挙前の民主党議員を動揺させれば小沢氏は辞任するとふんでいた。民主党内から辞任を求める声が上がり、小沢氏が辞任すればそれで捜査を打ち切るつもりでいた。

 ところが小沢氏が検察を批判し続投を表明したことから検察のシナリオは狂いだした。慌てて捜査員を拡充し、小沢本人をターゲットにした捜査に切り替えた。しかしそれでも収穫はない。結局起訴する積もりのない秘書を起訴せざるを得なくなった。こうなると全ては裁判で判断してもらうしかない。判決が出るまでは見守るのが民主主義の常識である。ところがこの国の新聞とテレビは、裁判が確定するまでは無罪と想定されるのに、「小沢代表は辞任すべし」の大合唱を始めた。

 さらに「説明責任を果たせ」の大合唱も起きた。検察の捜査に一点の誤りもないという前提がなければ被疑者が説明責任を求められる道理はない。説明責任は検察と小沢氏の双方にある。ところが検察側は説明を行うことを拒否した。全ては裁判で説明すると言った。それなら小沢氏も裁判前に説明をして手の内をさらす必要はない。しかしメディアは「小沢氏の説明責任は果たされたか」と国民に問い、「果たされていない」との回答を多数得て小沢氏を批判した。回答がそうなるのは当たり前である。それを材料に批判するのは民主主義を破壊する行為である。この国のメディアは戦前も戦後も何も変わってはいない事を今回の事件は明らかにした。

 国家権力の仕掛けた罠にいそいそと協力するメディアを見て、攻撃された民主党は一致団結して民主主義を守る戦いを始めるのかと思ったら、議員らは全く逆の行動に出た。「政権交代のために小沢代表の自発的辞任を求める」との声が党内から出てきた。新聞・テレビの報道に左右される、民主主義を知らない議員たちがあぶり出された。長年自民党の手の内を見てきた私の経験から言えば、彼らには「買収」と「恐喝」が仕掛けられているはずである。

 小沢代表にすれば、代表を辞任せず、これらの議員を無視して選挙に打って出ることもあり得た。それでも過半数を得て政権交代を成し遂げられたかもしれない。しかし党内対立がしこりとして残り、政権獲得後の民主党は脆弱になる。自民党から一定数を引き剥がして党勢を強化する必要が出てくる。霞ヶ関との力関係も不利になる。政権交代は選挙の結果が全てではない。政権交代後に起きる霞ヶ関との主導権争いの方が重要だ。それに勝つだけの力をつけなければ政権交代の意味はないのである。

 検察の動きを見極め、裁判の日程を考え、与党の解散戦略を見極めなければ、どのように対応するかは決められない。先に動けば不利になる。そうしたことを総合判断して小沢氏は、この日の辞任表明を決めたと思う。結論は民主党の党内結束を優先し、その結束を守って政権交代を成し遂げるという決断であった。

 早い時点で辞任をすれば事件の責任を取ったと見なされる。今回の辞任を「何で今頃」とか「事件の責任を取らないなら辞める必要はなかった」と言う人たちは、事件の責任を押しつけられなかった悔しさを表現している。小沢代表は攻撃されて辞めたのではなく、逆に辞任を攻撃材料にしようとしている。そのために与党は辞任と事件とを結びつけようと必死だ。

 政府与党はこれまで「年金未納問題」で菅直人代表を辞任追い込み、岡田幹事長に「三党合意」を飲ませることに成功した。「三党合意」は民主党に消費税導入を認めさせ、政権交代後の民主党の政策を縛る道具である。この二人は容易にコントロールされることが実証された。前原誠司代表もまた「耐震偽装問題」という絶好の追及材料を生かせず「偽メール事件」に絡め取られて辞任に追い込まれた。この三人が代表になる事は自公政権に「塩を送る」事になる。

 選挙まで時間がないのでこれまで小沢氏が構築してきた選挙態勢を引き継げる人間が新代表になるしかない。そして小沢代表は辞任しても小沢戦略は残ることになる。それで選挙に勝利すれば政権交代の第一の功労者は小沢一郎と言うことになる。そう言う一手を小沢氏は打った。大変なのは与党の側である。これまで構築してきた戦略の見直しを迫られる。とは言え大幅な見直しをする時間的余裕もない。選挙に勝つため小泉対反小泉の分裂選挙を仕組んでメディアの目を引きつけようとしたが、最近では世襲反対と世襲賛成で分裂選挙を仕組もうとしている。

 捨て身になった民主党に対しその程度の戦術でしのげるのか、悩みはむしろ麻生総理の方に出てきたと辞任会見を見ながら思った。

2009年5月 9日

麻生政権・権力の本質

 大統領が誕生して100日が経つと、あちらの国ではメディアが政権評価を行う。難局に立ち向かうオバマ大統領には高い評価が与えられた。こちらの国で麻生政権が100日を迎えた頃、メディアの評価は「漢字が読めない」、「連夜のバー通い」と散々だった。この国には政権の姿が見える100日後から評価を始める習慣がないので、同列には論じられないが、政治の本質とは関係のない「下世話」な評価ばかりでうんざりした。それより麻生政権がどのような権力に支えられ、どのような政治を目指しているかを読み解く方が重要である。政権発足200日を越えた所で、分かった事を整理してみる。

>>続きは「THE JOURNAL×Infoseek」で

2009年5月 3日

北方領土3.5島返還論

 ゴールデンウィークが終わると政局はいよいよ熱を帯びることになる。国内政治では補正予算案の審議が本格化するが、外交では11日にロシアのプーチン首相が来日し、北方領土問題が注目されるはずであった。2月の日露首脳会談でロシアのメドベージェフ大統領が提案した「新たな独創的で型にはまらないアプローチ」を具体化する交渉が麻生・プーチン間で予定されていたのである。ところが4月17日付の毎日新聞に谷内正太郎政府代表のインタビュー記事が掲載されたことから、話が予定通りに運ぶのかどうか予断を許さない情勢となった。

 毎日新聞のインタビューで谷内氏は、「個人的には3.5島返還でもいいのではないかと考えている。北方4島を日露両国のつまずきの石にはしたくない」と発言した。これはロシア側が主張する歯舞、色丹の2島に国後島を加え、さらに択捉島の25%を加えると4島全体の面積の半分になることから、日本から見ると3.5島で限りなく4島に近くなり、ロシアから見ると4島の半分しか譲らないという話になる。両国が歩み寄りやすい解決策と考えられた。

 この「3.5島返還論」は安倍政権時代に麻生外務大臣(当時)が国会で発言したこともあり、麻生総理にとってはかねてからの持論である。さらに言えば公明党がロシア側から示唆されて主張したのがそもそもの始まりだった。最初に言い出したのは、現在は落選中だが外務省出身の高野博師公明党参議院議員である。きっかけは05年に知床半島が世界遺産に指定され、環境副大臣の高野氏が現地を視察したところ国後島から漂着するゴミが多いのに驚いた。ロシア大使館に通ってゴミ問題を解決しようとした際、ロシア側から北方領土問題の解決策を示唆された。

 ロシアと中国はアムール川の中州を巡り軍事衝突にまで発展する領土問題を抱えていたが、04年にプーチン大統領と胡錦涛国家主席との間で中州の面積を2等分する形で問題を解決した。その話を聞かされた高野氏は北方領土問題の解決策も「面積2等分しかない」と思うようになる。当時の小泉総理に打診したが、小泉氏は4島返還論者で聞き入れてはくれなかった。

06年4月に高野議員は参議院決算委員会で当時の麻生外務大臣に「面積2等分論」を質問の形でぶつけてみた。すると麻生氏は「初めて聞く説だが頭が柔らかい」と感心してくれた。06年11月にロシアを訪れた公明党の太田昭宏代表にもロシア側から「面積2等分」の話があった。12月には麻生外務大臣が民主党の前原誠司氏の質問に対し「面積2等分論」を持論のように発言した。

高野議員は与党に厳しい情勢と見られていた07年の参議院選挙を有利にするため、選挙前に安倍政権がロシアとの間で緊密な関係を作り、拉致問題も絡ませて領土問題の解決を図れば政権浮揚に繋がると考えていたが、その願いは叶わずに自身も落選、与党も惨敗する結果となった。

 国民の支持を失った政権が外交に活路を見出そうとすると国益を損ねる。相手に足元を見られ相手のペースにはまりやすいからだ。ところが何をやっても政権浮揚の出来ない政権ほど外交に活路を見出そうとする。麻生政権もその例に漏れず、2月にメドベージェフ大統領との首脳会談で北方領土問題を「新たな独創的で型にはまらないアプローチ」で解決する事に合意した。

 麻生政権とは別に現在の日本に今すぐ北方領土問題を解決しなければならない理由はない。しかしロシア側には今すぐに日本の金が欲しいという差し迫った事情がある。原油価格の下落が経済を直撃し、ルーブルは暴落寸前とまで言われ、インフレも深刻である。ロシアには世界の金融危機とは別の構造的問題がある。従って北方領土問題をテコに日本の協力を得たいと考えるのはロシアの方で、日本は泰然としているのが得策なのだが、選挙の事で頭が一杯の麻生総理はそうではない。

 そこに谷内氏のインタビュー問題が起きた。これに外務省が異常な反応を見せる。毎日新聞の記事の打ち消しに必死になったのである。一時は谷内氏が発言を全面否定する騒ぎになり、中曽根外務大臣は谷内氏を厳重注意した。かねてから麻生総理が持論としてきた話を何故それほどまでに打ち消さなければならないのか。考えられるのはそれが本当の「落としどころ」だったからである。批判が出ることを承知の上で何かを決める時には、「落としどころ」を絶対に事前に漏らしてはならない。漏らせば世論誘導がしにくくなる。ぎりぎりまで秘密にしておいて、決まった瞬間から準備していたメディア誘導策を発動すれば、反論を封じ込めて国民を納得させることが出来る。その戦術が効きにくくなった。

 一時はプーチン・麻生会談での日露交渉新展開を大々的にアピールして解散に打って出る事も考えられていたが、それが出来るのかどうかは不透明になった。しかし一方では「北方領土3.5島返還論」を日露平和条約締結の最終条件とせず、あくまでも中間条約の形にすることで反発を避け、「日露新時代」という印象を国民に与えることが出来るとの判断も外務省の中にはあるようだ。それが国民の反発を受けずに成功するかどうか。

  いずれにしても外交は内政の延長であり、内政が万全でない時の外交は危うい。そういう目で麻生政権の外交を見た方が間違いない。北朝鮮のミサイル発射問題でも国際社会の対応は日本に対して冷ややかだった。今や日本外交は国際社会から疎外されている気さえする。谷内氏のインタビューはもしかするとそうした事を踏まえた上で、それに警鐘を鳴らそうとした意志の現れではないかと思えるほどである。


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Profile

田中良紹(たなか・よしつぐ)

-----<経歴>-----

1945年宮城県仙台市生まれ。
1969年慶應義塾大学経済学部卒業。
同年(株)東京放送(TBS)入社。
ドキュメンタリー・デイレクターとして「テレビ・ルポルタージュ」や「報道特集」を制作。また放送記者として裁判所、警察庁、警視庁、労働省、官邸、自民党、外務省、郵政省などを担当。ロッキード事件、各種公安事件、さらに田中角栄元総理の密着取材などを行う。
1990年にアメリカの議会チャンネルC-SPANの配給権を取得して(株)シー・ネットを設立。
TBSを退社後、1998年からCS放送で国会審議を中継する「国会TV」を開局するが、2001年に電波を止められ、ブロードバンドでの放送を開始する。
2007年7月、ブログを「国会探検」と改名し再スタート。

BookMarks

日本初の政治専門チャンネル!
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国会TV
http://kokkai.jctv.ne.jp/

-----<著書>-----


『裏支配─いま明かされる田中角栄の真実』
2011年1月、電子書籍


『メディア裏支配─語られざる巨大マスコミの暗闘史』
2005年3月、講談社

-----<編書>-----


『憲法調査会証言集─国のゆくえ』
2004年7月、現代書館

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