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2009年4月28日

検察の国家観

 最近出版された「『特捜』崩壊」(講談社刊)を読んだ。著者は産経新聞社会部次長の石塚健司氏である。東京地検特捜部の捜査を直接、間接に20年近く取材してきた。そのベテラン記者が平成20年に被疑者の側から特捜部を見る事になり、特捜部が捜査のプロとは言えず、信頼できない官僚集団になってしまった事実を思い知らされる。それが本書を書く動機となった。

 本書では特捜部の実態を紹介するため二つの事件が取り上げられる。ひとつは「大蔵省・日銀接待汚職事件」、もうひとつは「防衛利権のフィクサー」とされた秋山直紀氏の「脱税事件」である。前者は昭和23年の「昭電疑獄」で福田赳夫大蔵省主計局長(当時)が逮捕されて以来50年ぶりに大蔵省のキャリア官僚が収賄容疑で逮捕されるのだが、この捜査の内幕を読むと「検察の国家観とは何か」をつくづく考えさせられる。

 平成9年、大手都市銀行と4大証券会社の総会屋に対する利益供与事件から、特捜部は銀行や証券会社が大蔵官僚を頻繁に接待している証拠を押収する。そこから事件の筋書きが描かれキャリア官僚の証券局課長補佐がターゲットとなった。接待の数だけで言えば上司の局長の方が多かったが、課長補佐は実務を担当しているため立件が容易だった。

「護送船団」時代の大蔵省では業界とパイプを持つ事が優秀な官僚の条件であり、接待は慣行とされてきたが、事件に先立って「接待漬け官僚リスト」や「ノーパンしゃぶしゃぶ接待」などがマスコミにリークされ、国民の怒りに火がついて、特捜部は世論を追い風に捜査する事が出来た。これが私の言う「ゲッベルス的情報操作」の手法である。マスコミによって国民は捜査する前から被疑者を悪者と思い込んでいる。

 贈収賄事件では収賄よりも贈賄の方が罪が軽い。贈賄側は罪を認めさえすれば被告にならずに済む場合がある。贈賄を認める供述調書に署名さえさせれば検察は事件を立件出来る。署名を拒めば「起訴するぞ」と恫喝する。この事件で課長補佐は業者にとって贈賄の対象ではなかった。接待を受けた多くの官僚の一人に過ぎなかった。しかし小額の会食まで「贈賄の趣旨があった」という調書が作成され、それが積み上げられていった。

 現金の授受がなく接待だけで贈収賄と認定できるのか。しかも後に逮捕された防衛省の守屋事務次官のように一対一の接待ではない。そしてこれら接待の中には東京地検から大蔵省に出向していた検事も同席していたのである。東京地検はこの「接待検事」を法務省、東京高検、最高検には報告せず、事実を隠蔽し続けてターゲットとなった官僚の逮捕に突き進む。上層部には「女性関係の遊興費も業者に負担させた」と嘘を報告し、逮捕のゴーサインを出させた。そこまでして50年ぶりのキャリア官僚逮捕に特捜部は漕ぎ着けたかった。こうしてキャリア官僚を含む計6人が収賄容疑で逮捕された。

 この背景には戦後GHQにより官僚機構の中枢に据えられた大蔵省と、GHQによって解体された旧内務省勢力との確執があると私は見ている。冷戦体制が終り、アメリカは「ソ連に代わる脅威」として日本経済の高度成長の秘密を分析した。それによって大蔵省を中心とする官僚主導体制が戦後日本の躍進の原動力である事が解明された。アメリカに倒産と失業をもたらした張本人は「大蔵省、通産省、東大赤門」である。アメリカはこれを「日本の三悪」と呼んだ。

 一方でバブル崩壊は日本の金融機関に巨額の不良債権をもたらし、監督官庁である大蔵省には「護送船団」方式の見直しが迫られていた。金融界を巡る不祥事が続発し、それが検察にとって大蔵省に対する反撃のチャンスとなる。平成4年に証券スキャンダルの影響から発足した証券取引等監視委員会の初代委員長に元名古屋高検検事長が起用され、平成8年には預金保険機構理事長に元東京地検特捜部長が就任、さらに同年大蔵官僚の指定席であった公正取引委員長にも元東京高検検事長が就任した。大蔵省の権力を次第に検察がそぎ落としていた。その延長上にこの事件は起きた。

 この事件を捜査指揮した人物は石塚氏に対し「あれは時代の要請だった。あの捜査によって時代は転換したと思っている。事後チェック型の社会になっていく重要な節目の役割を果たした」と述べたと言う。「しかし」と石塚氏は考える。人生の名誉も地位も失った大蔵省のキャリア官僚は「時代」が求める生贄となったが、それが「適正」な法の執行と言えるのか。

 「防衛利権のフィクサー」とされた秋山直紀氏の脱税事件では、「政治家に金を渡したに違いない」との思い込みから逮捕され、振り上げた拳のおろし所がなくなった特捜部によって強引に「脱税事件」にさせられていく様子が、秋山氏の取材から生々しく綴られている。検察の言う「自白」がどのようなものなのかが良く分かる。

 ところで本書にはロッキード事件の「秘話」も紹介されていて、田中角栄とは別の有力政治家の口座に2億円余りの入金がある事を国税査察部が割り出していたが、東京地検は三木内閣の反発を買わないため事件にするのを見送ったとある。ロッキード事件で東京地検特捜部を取材した経験のある私は、あの頃日々取材をしながら、日本の権力機構にメスを入れ、病巣を摘出する権限を与えられた検事は、どこでどのような国家観を育み、それに誤りはないのだろうかと考え続けていた。

 結果として東京地検はロッキード事件の全容を解明せず、にも拘らずマスコミはそれを指摘するよりも東京地検を「最強の捜査機関」と賞賛し、田中的「金権政治批判」に狂奔した。その世論誘導によって「利益誘導政治」は「悪い政治」の代名詞とされ、政治資金は「規制」するのが当たり前と思わされた。それ以来政権を求めない野党とマスコミは事あるごとに「金権政治批判」を繰り返し、政治家の手を縛って官僚支配を有利にした。

 後に私はアメリカ政治を取材する事になり、「利益誘導」こそ民主主義政治の基本であり、政治資金の「規制」よりも政治資金の「透明化」こそ民主主義政治に大事な事だと知るようになる。ロッキード事件は日本人に欧米では当たり前の民主主義とは異なる考えを植えつけ、それを民主主義だと錯覚させた。

 今回の小沢秘書逮捕事件では検察OBからも特捜部の捜査手法に批判が上がっている。「政治資金収支報告書の虚偽記載」で「逮捕」というのはこれまでになかった事だからである。これに対して検察内部からは「時代が変わったのだ。グローバル時代には情報の開示義務がより大きな意味を持つ。それだけに虚偽記載の罪も大きくなる」との解説がなされていると言う。小沢秘書逮捕は「時代の要請」という論理である。それが事実なら、日本の検察は民主主義国家の検察なのか、その国家観を根本から疑ってみる必要がある。

 「グローバル時代になった」と言うのが理由ならば「アメリカの情報公開制度」を念頭に置いた話なのだろう。アメリカの情報公開制度は「政府の情報」を国民に知らしめる事が目的である。それは国民の税金よって収集された情報は国民に帰属するという極めて民主主義的な考え方に立脚している。しかし日本の情報公開の現状はとても「グローバル時代が到来した」とは思えないほど官僚の守秘義務に守られている。日本では国民の税金によって収集した情報を官僚が私物化して国民に開示しない。にも拘らず政治資金報告書の記載で、実態のない嘘ならともかく、間違い程度を罪に問う事が情報公開を理由に認められるはずがない。

 先日、日本記者クラブで会見した宗像紀夫元東京地検特捜部長は、「起訴」をする権限を持つただ一つの組織である検察を「監視・監督できるのはマスコミしかない」と言った。そのマスコミは「監視・監督」どころか検察の思うがままの情報を垂れ流す「ポチ」に成り下がっている。そうした中で石塚氏の「『特捜』崩壊」は検察の将来にとって貴重な材料を提供してくれた。今度は検察の国家観がどのように醸成されているのかを分析してもらいたい。

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2009年4月21日

公明党の憂鬱

 西松建設事件以来、新聞とテレビには「これで政権交代は遠のいた」との論調が溢れている。検察の捜査によって「政権交代が遠のいた」ならば日本の民主主義は死滅したも同然である。民主主義国家にとって最も大事な国民の権利に検察の捜査が影響を与えることなど絶対にあってはならず、検察は民主主義の根本を侵した事になるからである。

 欧米の新聞やテレビならば「政権交代は遠のいた」などと他人事のような言い方はしない。新聞やテレビには「民主主義の守り手」としての自覚がある。「この時期の捜査がいかに民主主義を壊すものか」を国民に説き、検察を厳しく批判する筈である。ところがこの国はそうはならない。新聞もテレビも「官主主義の守り手」だから、民主党の「じたばた」を記事にする程度のレベルである。

 ところで本当に「政権交代は遠のいた」のであろうか。私の見方は多少異なる。何度も指摘してきたが、次の衆議院選挙は、与党が過半数を得ても、野党が過半数を制しても、それだけでは終わらない。本当の戦いはその後にある。仮に自公が過半数を得て政権を継続しても、その政権はこれまでとは全く異なる。三分の二の議席を失うことは必定だから、誕生するのは再議決が出来ない脆弱政権で、法案は一本たりとも成立しない。

 「直近の民意を尊重しろ」と叫んでも、だからといって野党が与党に賛成しなければならない理屈はない。与党は対決一辺倒だけでは政権運営が出来なくなり、法案を成立させるために野党の言い分を受け入れて修正せざるを得なくなる。自民党と民主党との修正協議が頻繁に行なわれ、公明党の存在感はなくなる。

 それとは逆に対決路線で行くと言うのなら、与党は参議院で過半数を得る必要がある。そのためにはまず衆議院選挙で政権交代を阻み、民主党代表の責任論を浮上させて民主党を分裂に追い込み、一方で国民新党や社民党に対して野党共闘からの離脱を勧める。そうやって自民党が一定数の議員を引き剥がす事に成功すれば、三分の二がなくとも万全の政権運営が出来る。民主党は結束して分断工作を撥ね返せるかが勝負になる。それさえ撥ね返せば自公政権を民主党の言いなりにする事が出来る。

 民主党が衆議院選挙で過半数を得て政権交代を果たしても事情は同じである。民主党は参議院で単独過半数を握っていないから、仮に衆議院で圧勝しても国民新党、社民党との連立になる。与党にとっては攻め易い脆弱政権である。民主党が万全の体制を敷くためには、衆議院選挙後直ちに参議院の自民党を分断して引き剥がし、単独で過半数を上回る必要がある。与野党とも衆議院選挙後の参議院の議席数が決定的に重要になる。

 従って私が注目しているのは、政権交代が実現するかどうかではなく、どのような形で実現するのかしないのかである。衆議院選挙の結果次第で何通りものシナリオが作動し始める筈である。そういう目で政局を見ると、西松建設事件以来最も「じたばた」しているのは実は民主党ではなく公明党である。

 世論調査に恐れをなして解散に踏み切るタイミングを失した麻生総理は、西松建設事件でようやく解散権を行使できる精神状態になった。解散を回避するための口実にしてきた「景気対策」も小出しに小出しを続けてついに4度目となった。これが解散を占う柱となる。考えられる解散のタイミングは、最も早ければ政府が補正予算案を国会に提出した直後、次が野党の抵抗で予算案の成立が危ぶまれた時、そして予算案が成立した直後、最後がサミットも都議選も終えた8月以降である。

 すると公明党がここに来て猛然と都議選後の解散総選挙を麻生総理に申し入れている事実が明らかになった。4月13日夜に東順治副代表、15日午後に太田昭宏代表、夜に北側一雄幹事長が相次いで麻生総理と秘密裏に会い、都議選から時間を置いて解散するよう申し入れたと言う。公明党の思惑通りに事が運んでいるならばそんな行動に出る必要はない。そうでないから行動に出た。そして公明党が秘密にしたかった会合が明らかにされた。バラしたのは麻生総理の側である。なにやら公明党にとって深刻な事態である。

 話は一昨年の大連立騒ぎに遡る。大連立が実現すれば公明党は自民党にとって無用の存在となった。公明党にとって大連立は悪夢である。公明党が内閣支持率に苦しむ福田前総理の足を引っ張り、民主党との対立路線を掲げる麻生政権誕生に期待を寄せたのは、大連立の悪夢を振り払うためである。しかしこの行為は自民党の中に反発を招いた。

 元々自民党にとって公明党との連立は参議院での過半数を確保するためである。ところが07年の参議院選挙はそれでも過半数を得られなかった。回復するのに10年はかかると見られる。そもそもの連立の動機が消えて、安易な選挙協力がもたらす自民党自身の足腰の衰えに目が向けられた。公明党との連立は本当にメリットがあるのか。疑問を感じていた所に福田前総理の足を引っ張る行為である。自民党の中に冷ややかな目が生まれた。

 公明党にとって都議選の前後一ヶ月以内の衆議院選挙は絶対に困る。早ければ早い方が良く、遅いならずっと後が良い。すると麻生政権は補正予算案の国会審議を27日からと決めた。そして早期成立を実現すると宣言した。これで審議前の解散は消えた。そうなると公明党は都議選後の遅い時期の解散しか受け入れられない。ところが危ないのは野党の抵抗で麻生総理が解散に踏み切るケースである。これは絶対に困る。なぜなら創価学会は衆議院選挙よりも都議選を重視しているから、衆議院選挙に力を入れて貰えない。惨憺たる結果の可能性がある。

 麻生総理も7月のサミットには行きたいはずで、公明党と近い考えだとは思ってみても、野党の抵抗を理由に解散される可能性は消えていない。それが相次ぐ総理への申し入れの理由だと思う。しかし国会での駆け引きは総理にだって分からない。それこそ「一寸先は闇」の世界である。死に体に見える小沢代表がどこかで息を吹き返し、反撃に転ずる可能性だってある。そうなれば民主党は公明党幹部を狙い撃ちで落選させる戦術に出るだろう。

 しかも公明党にとって創価学会は絶対でも、創価学会にとって公明党は絶対ではない。政権交代が繰り返される時代になれば、創価学会が常に時の与党と協力関係でいた方が得策だと考えても不思議でない。なまじ政党など持たない方が良いと判断する可能性もある。そう考えると公明党の憂鬱はしばらく続く事になるのかもしれないのである。

2009年4月12日

仮想敵国日本

 アメリカが日本を「仮想敵国」と見て作戦計画を立てた事が二度ある。一度目は戦前で、日本が日露戦争を始めた明治37年に「ウォー・プラン・オレンジ(オレンジ作戦計画)」が策定された。計画では米軍がサンフランシスコからオアフ、ミッドウェイ、グアム、フィリッピン、沖縄というルートで日本本土を攻撃する。

 ところがその翌年に日本海海戦で日本はロシアのバルチック艦隊を撃破した。世界も驚いたが、最も驚いたのはアメリカのセオドア・ルーズベルト大統領である。太平洋が日本海軍に制覇される恐怖を感じた。ルーズベルトは議会の反対を押し切ってハワイの要塞化を進め、大西洋艦隊に太平洋巡航を命じた。日本攻撃の予行演習である。大統領は勿論日本に対しては味方のような顔をした。日本を対ロシアの防波堤にする必要があったからである。そのせいか日本は大西洋艦隊の演習をアメリカが日本との同盟を強調していると勘違いし、時事新報は日本に寄港した艦隊を「友好の印」と書いた。「仮想敵国」に味方と思わせることこそ外交の要諦である。後に太平洋戦争でアメリカは「オレンジ作戦」の通りに日本を攻撃した。

 二度目は戦後の経済戦争である。日本の高度経済成長は世界を驚かせた。そして自動車、家電製品などの集中豪雨的な輸出攻勢に海外の製造業は大打撃を受けた。「日本は倒産と失業を輸出している」と外国は非難したが、日本の輸出攻勢は止まらなかった。最も深刻な影響を受けたのはアメリカである。ベトナム戦争の出費もあり、双子の赤字に苦しむアメリカは反撃を開始した。

 第一撃は1971年の「ニクソン・ショック」である。アメリカのニクソン大統領が突然金とドルとの交換を停止、金に裏打ちされた固定相場制を変動相場制に変えた。1ドル360円時代は終わり、円高が始まって日本の輸出産業は打撃を受けた。しかしそれでも日本の輸出は止まらない。輸出で外国からドルが流れ込み、それを外国に貸してまた利息を得る。1985年、遂に日本が世界一の金貸し国、アメリカが世界一の借金国になった。

 アメリカは第二撃を繰り出す。「プラザ合意」である。1ドル200円台の円相場を100円台に誘導した。日本の輸出産業は再び打撃を受けたが、それでも外需依存は変わらない。それどころか日本の低金利政策はバブル景気を作り出し、国中が土地投機に走り、金融機関の弱みを握った暴力団が銀行の資金でアメリカの不動産を買い漁った。日本経済はアメリカにとってソ連以上の「脅威」となった。日本にもソ連と同様の「封じ込め戦略」が必要と認識された。

 アメリカは日本の経済構造を徹底的に分析し、政官財の癒着構造をあぶり出し、司令塔が官僚機構にあることを突き止めた。日本の弱点を知り尽くした上でアメリカは日本の牙を抜く作業に取りかかった。ところが冷戦崩壊とバブル崩壊が一緒に来て、アメリカの作業を待たずに日本経済は自滅した。

 高度成長のからくりは「官僚主導の計画経済」とそれを支える「国家総動員態勢」にある。官僚の作る「政策」が完全遂行されるように、政権交代を求めない野党と行政指導に逆らわない企業、そして国民の目をくらますメディアの協力で高度成長は成し遂げられた。その構造にひびが入り、日本は「失われた時代」を迎えた。

 日米安保体制は日本をアメリカの核の傘で守ると同時に日本を自立させない方法である。それは中国も北朝鮮も知っている。彼らは日米安保こそ日本を強力な国家にしない「ビンのふた」だと思っている。彼らはアメリカだけを向いていれば自国の安全を図る事が出来る。日米安保の存続は、アメリカ、中国、北朝鮮のいずれにも共通の利益である。

 そこでアメリカは考えた。戦前は日本の軍事的脅威、戦後は日本の経済的脅威にさらされた。冷戦後は二つの脅威を同時に封じ込める必要がある。冷戦崩壊後の世界をこれまでとは全く異なる視点で見ているアメリカが、アジアにだけは冷戦が残っているとの口実で日米安保を存続させ、それに経済を絡めた。

 アメリカにとって中国は最大の市場であり、朝鮮半島、ロシア、中央アジアをにらむ時のパートナーである。北朝鮮の存在は日本にアメリカの軍事力のありがたさを思い起こさせる。奇妙なことだが、中国と北朝鮮は日米安保があるから日本を脅威に感じず、日本は中国と北朝鮮の脅威があるから日米安保を必要とする。そして自力で自国の安全を守れない国はどのような経済的要求にも応えなければならない。

 日米安保はアメリカにとって見事なまでに「日本封じ込め」を可能にした。だから金融危機で苦境に立つアメリカが苦境を分け与える相手は日本である。日本にカネがある限り日本のカネを利用できる。これがアメリカの対日戦略である。何が起きても日本は「日米同盟強化」を言い続けなければならない。こうして「仮想敵国日本」はアメリカの前から消え失せた。 

2009年4月 9日

さまよえる解散がようやく

 昨年の10月に断行するはずだった「解散」が、あちらこちらとさまよった挙げ句にようやく最終地点にたどり着いた。3月31日に麻生総理は、追加経済対策として補正予算案を今国会に提出する考えを示し、「野党が抵抗すれば解散も辞さず」を強調した。妙な話だがこれで解散の時期を決めるのは野党になった。

>>続きは「THE JOURNAL×Infoseek」で

2009年4月 3日

一神教の政治と多神教の政治

今回の国会探検は、小沢西松献金事件が世間を騒がせるなか、3月13日に行われた銀座田中塾「一神教の政治と多神教の政治」の模様の一部を音声でお送りします!

■一神教の政治と多神教の政治(公開は終了しました)
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■国会探検特別篇 アーカイブ
http://www.the-journal.jp/contents/kokkai/cat415/

Profile

田中良紹(たなか・よしつぐ)

-----<経歴>-----

1945年宮城県仙台市生まれ。
1969年慶應義塾大学経済学部卒業。
同年(株)東京放送(TBS)入社。
ドキュメンタリー・デイレクターとして「テレビ・ルポルタージュ」や「報道特集」を制作。また放送記者として裁判所、警察庁、警視庁、労働省、官邸、自民党、外務省、郵政省などを担当。ロッキード事件、各種公安事件、さらに田中角栄元総理の密着取材などを行う。
1990年にアメリカの議会チャンネルC-SPANの配給権を取得して(株)シー・ネットを設立。
TBSを退社後、1998年からCS放送で国会審議を中継する「国会TV」を開局するが、2001年に電波を止められ、ブロードバンドでの放送を開始する。
2007年7月、ブログを「国会探検」と改名し再スタート。

BookMarks

日本初の政治専門チャンネル!
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国会TV
http://kokkai.jctv.ne.jp/

-----<著書>-----


『裏支配─いま明かされる田中角栄の真実』
2011年1月、電子書籍


『メディア裏支配─語られざる巨大マスコミの暗闘史』
2005年3月、講談社

-----<編書>-----


『憲法調査会証言集─国のゆくえ』
2004年7月、現代書館

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