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2009年3月31日

小沢辞任論の「公」と「私」

 幕末維新に生きた勝海舟は「公」と「私」を峻別した政治家である。「公」とは天下国家の見地から政治を行なうことであり、「私」とは自らの利益を優先して政治を行なうことである。

 勝は徳川幕府の幕臣でありながら、徳川家を守る事は日本国全体の利益、すなわち「公」にはならないと考え、坂本龍馬ら尊皇攘夷を叫ぶ反体制の若者を周囲に集めて指導した。幕府打倒の先頭に立つ薩摩藩の西郷隆盛に対しても幕藩体制より「共和制」政治の実現が必要だと説いた。徳川家を守ろうとする人々から見れば「裏切り者」だが、勝にすればそんな考えこそが「私」の政治という事になる。

 その勝は薩長が戊辰戦争を起こして幕府を武力で倒した事を「私」であると批判した。勝によれば明治維新は薩長が権力を欲した「私」の政権交代である。勝は徳川慶喜の「大政奉還」こそ「公」であると主張した。「大政奉還」は徳川家が権力を朝廷に返して平和的に政権交代し、その後の新体制を挙国一致で作り上げようとしたものである。幕府を支えた人材と反徳川の人材で新時代を構築しようとした。それこそが「公」の政治だと勝は言う。

 2年前の「大連立」騒ぎの時、私はこの「大政奉還」を思い出した。それを決断した福田総理と仕掛けた小沢民主党代表の両者を「公」の政治家として評価した。ところが民主党もメディアも国民も「大連立」には強く反発した。国民の「民意」を無視する「裏切り」だと言った。私は政権交代についての考え方の違いにやりきれない思いを抱いた。

 民主党が選挙で勝って政権を取っただけで日本が良くなる訳はない。今この国が行き詰っているのは、戦後続いた自民党と官僚との協力関係が限界にぶつかったからである。官僚がシナリオを書き、それに政治が乗って、経済を主導した。その政官財の三角関係が世界を驚かす高度経済成長をもたらした。しかしそれゆえに世界はその成功の秘訣を解き明かし、日本という国の弱点を探り当てた。

 失敗は成功の母だが、成功は失敗の素になる。高度成長の成功に酔いしれた官僚と自民党の間に腐敗が生まれ、それが国民の目にも明らかとなった。日本を世界第二位の経済大国に押し上げた構造が今度は日本を凋落させる要因となっている。それを変えるところに政権交代の意義がある。新たな構造を作る作業は政権を取った民主党だけで出来るものではない。与党と野党は政策を巡る対立を抱えながら、官僚と政治との関係を変えることでは協力していかなければならない。民主党が政権を取ろうが自民党が政権を取ろうが、政治が官僚を主導する体制を作らないと冷戦後の国際政治に対応する事が出来ない。

 大連立で一時的な協力関係を構築した自民党と民主党が、次に政策を巡って対立し、選挙によって政権交代が図られれば、そうした新時代の政治体制になりえたと私は思ったが、その考えは理解されなかった。選挙でひたすら戦う政治は私には「私」の政治に見える。

 政権交代目前に起きた西松建設の政治献金疑惑を巡る検察の捜査は、献金疑惑の全容を解明しようとはしていない。多数の政治家や地方自治体の首長の名前が取り沙汰され、中には自殺をした人間までいるのに、それらの全容を解明する検察の意志が感じられない。感じられるのは小沢代表を辞任に追い込もうとする意志だけである。

 まず秘書の「逮捕」という衝撃によって辞任させようとした。それがうまく行かないと、与党の側から二階経済産業大臣一人を立件の対象にした。どのみち麻生内閣は改造目前である。それでなくとも二階大臣は辞任するはずだ。それを小沢代表の辞任を促す材料にするつもりに見える。それ以外にも世論調査や知事選の結果などが全て小沢辞任論の根拠となるよう仕向けられている。

 そこで小沢辞任論の根拠をひとつずつ考える。まず秘書逮捕という事実は辞任の根拠となりうるか。秘書が罪を認め、小沢氏も罪を認めれば辞任は当然と思われる。しかし秘書も本人も罪を認めていない。それならば裁判で判決が出るまで辞任はないと考えるのが普通である。二階大臣が仮に辞任をしても同様である。むしろ認めてもいないのに辞任する方が辻褄が合わない。

 「国民の声が辞任を求めているから謙虚に従うべきだ」という考えがある。世論調査の数字の事を言っている。しかし昨年以来7割近い国民が「総理を支持しない」つまり「総理を辞めろ」と言っているのに麻生総理は辞めない。その時に野党党首が同じ数字で辞めてしまったらお笑い種だ。それではとても政権交代を求める野党の党首足り得ない。大体、世論調査の数字だけで辞める政治リーダーなど世界にはいないのではないか。そんな気弱な人間は政治家にならない方が良い。国民の声とは世論調査ではなく選挙で示されるものだ。

 「説明責任を果たしていない」との批判がある。確かに検察の言う事と小沢代表の言う事は真っ向対立しているので「説明不足」に見える。しかしこれは検察と食い違っているためだから、小沢代表がいくら説明しても理解されない。検察と小沢代表の両方に説明を求めなければならない。検察が説明責任を果たさず裁判の場で説明すると言うのなら小沢代表もその時に説明すれば良い。説明がないから辞任しろと言うのは一方的な話である。

 「この問題が選挙に影響し政権交代が出来なくなるのは困る」と言う意見がある。これには多少の理がある。それを理解しているから、24日の記者会見で小沢代表は「辞任しないことの是非を国民に聞きたい」と言って早期の「解散・総選挙」を求めた。そのために党独自で選挙情勢分析を実施すると言う。その結果で政権交代に結びつかない事が判明すれば自ら身を引く覚悟だろう。それが今考えられる唯一の辞任の根拠である。つまり多少「公」を感じさせる辞任論である。

 それ以外は全て自分の選挙が苦しいから「辞めてもらった方が有利になる」とか、「選挙民に批判されるのが困る」とか、世間体を気にするようなつまらない「私」の辞任論ばかりである。もっとも私はただ単に選挙で政権交代することも「公」とは言えないと思っている人間だから、小沢代表の辞任論は全て「私」の政治の領域であり「公」はないのではないかと、泉下の勝海舟先生に聞いてみたいところである。


第11回銀座田中塾
日時:4月2日又は17日
    18;30~20;30
テーマ:国会改革こそ日本再生の道
場所;東京都中央区銀座6-13-16
    銀座ウォールビル401号室
会費;2500円(飲み物・軽食付)
申込み:銀座モリギャラリー
電話03-3357-0828
Email:morim-p@gol.com
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2009年3月28日

ガセネタ溢れる日本

 私が「報道特集」のディレクターをしていた頃、プロデューサーから「売り込みネタがあるから話を聞いて番組にしろ」と言われた。某地方局からの「売り込み」で、「広島と長崎の両方で被爆をした珍しい人物がいる。その人物を取材してドキュメンタリー番組を作ったら、ローカル局の大会で優秀賞を取った。出来ればこの話を全国ネットで放送して欲しい」と言う「売り込み」だった。

 その人物は被爆者団体の幹部を務めていた。住まいは関西だが「反核運動」などで時々は上京する。たまたま「反核運動」の全国大会が東京であり、上京した本人と面会した私は、珍しい被爆体験の話を聞いた。本人によれば、戦時中陸軍の航空隊に所属し、偵察飛行を任務としていた。8月6日に偵察のため調布飛行場を飛び立って太平洋を南下すると、眼下に日本に向かう米空軍爆撃機の機体を見つけた。後を追尾すると爆撃機は広島方面に向かい、その後白い閃光に目がくらんだ。キノコ雲が立ち上る広島の上空を飛行し、水を求めて川に向かう被爆者の姿を上空から見た。その時飛行機の風防ガラスを開けたために空中被爆した。

 調布飛行場に帰還してその事を上司に報告したが、真剣に聞いてくれなかった。翌日、戦局ますます多難のため部隊に鹿児島移動の命令が出た。8月9日、沖縄の米軍偵察のために飛び立つと長崎方面に再びキノコ雲を発見し、この時も原爆投下直後の長崎市を風防ガラスを開けて低空飛行で見た。そのため二度にわたって空中被爆した。本人はそう語った。

 地方局が番組にしたとはいえ、私はにわかに信じがたく、ウラをとるため所属部隊名や上官、同僚の名前などを本人から聞き出した。旧陸軍の名簿を探し出し、上官の居所を突き止めるのに1週間ほどかかった。上官は群馬県に住んでいた。訪ねていくと快く会ってくれたが、被爆者団体幹部が言う話は記憶になかった。しかし彼が部隊に所属していた記憶は甦ってきた。その男はパイロットではなく整備士だった。従って偵察機には搭乗出来ない。部隊に所属していたことが事実なら彼は被爆する筈がなかった。話は作り話と思われた。

 ところが彼は被爆手帳を持っている。なぜ手帳が入手出来たのか。しかも今では被爆者団体の幹部である。この事実を暴く方が報道の使命ではないかと思った。私は男の関西の自宅を訪れた。近くに田圃が広がる郊外に質素な住まいがあった。貧しい暮らしである事は一目瞭然。上官に確認し、彼の話が嘘であることを突き止めた事は言わずに、被爆手帳を入手した経緯だけを取材した。話を聞きながら私には、戦後の混乱期を生き抜くためにどんな嘘でも突き通さざるを得なかった日本人の姿が浮かんできた。被爆者を装う以外に生きる術はなかったのかもしれない。

 本来ならば社会を欺いてきたこの男を糾弾することが報道の使命と思いながら、私はこの取材を終わりにし、知り得た事は胸にしまい込もうと考えた。私の判断が正しかったかどうかは今でも分からない。しかしそれよりもなぜ地方局はウラも取らずに番組を作ったのかとその事だけが悔やまれた。20数年前の話である。

 この話を思い出したのは、日本テレビが「真相報道バンキシャ!」で虚偽報道を行い、また西松建設の事件を巡って新聞・テレビが数々の虚偽報道を続けているからである。「真相報道バンキシャ!」は、番組が「たれ込み」を求め、「たれ込み」をしてきた話のウラも取らずに「真相」として報道した。画面に顔を映さず、声も音声を変えた「おどろおどろしい」演出で、いかにも秘密を知る人物が「真相」を語っていると視聴者に思わせるやり方である。それが全くの嘘だった。

 西松建設の事件でも民主党の小沢代表が「続投表明」の記者会見をした直後に、NHKは「秘書は容疑を認めて自供した事が関係者を取材した結果分かりました」と報道した。それを聞いて私は不思議な報道だと首をひねった。NHKは誰に取材したのか。「自供した」事が分かるのは取り調べた検事か、自白した本人に聞くしかない。おそらく検察に取材した結果だろう。ではウラは取ったのか。ウラは本人に聞くしかない。NHKが「分かった」と言うのは本人にウラを取っていなければ言えない話だ。どのようにして拘留中の本人に聞いたのだろう。

 これがまともな報道機関なら、「検察が自供したと発表した」と報道し、一方の主張だけでウラは取っていないことを明示する。よりしっかりしたメディアなら「検察は自供したと発表したが、被疑者に取材をしていないので確認は取れていない」と報道する。ところがNHKは「分かった」と断定した。これは秘書が否定すればNHKが意図的に「誤報」を流した事になる。

 私の想像では、検察は「検察が発表した」と言われると困る。なぜならそれは嘘だから。だから「検察」と明示しないようにNHKに要請し、NHKはその要請を受けて嘘だと知りながら「関係者への取材で分かった」と自らの判断という体裁を取った。権力をかばったことになる。おそらくはその報道でどこからも指弾されないと甘い見通しの下にやったのではないか。

 「真相報道バンキシャ!」の誤報問題で日本テレビの社長は辞任したが、私は社長が辞任した程度で済む話ではないと思っている。少なくも欧米でこの様な問題が起こればその程度では済まない。なぜなら民主主義の根幹を揺るがす大問題だからだ。社会主義国家や独裁国家と違って民主主義国家は極めて繊細に出来ている。何事を決めるにも時間が掛かるし、手間も掛かる。何せ民主主義は「愚かな」国民に判断をさせ、それが「愚か」な結果を生まないようにしなければならないから、それだけ大変である。

 民主主義を「最悪の政治体制」と言ったのはチャーチルである。なぜなら国民は判断を間違えることが多いから。しかしチャーチルは「それでも他の政治体制よりはましだ」と言った。国民が自分で判断を間違えて苦しむのは自業自得だが、独裁者や官僚の判断の間違いで苦しまされてはたまらない。だから民主主義の方が「まだまし」なのである。従って民主主義にとって最も重要な事は、国民の判断を左右する「情報」である。

 民主主義社会の新聞やテレビは「社会の公器」と呼ばれ、他の企業より税制でも何でもとにかく優遇されている。それがウラも取らずに嘘を流したというのであれば社長辞任程度ではないだろう。潰されて当たり前だ。テレビ局は「国民の電波をお借り」して営業させて貰っているのだから、国民が「電波を返せ」と言えば返さなければならない。国民は電波をもっとまともな人たちに与えるよう総務省に命令すれば良い。

 それを総務省がやらないなら、国民が「不買運動」を起こす事だ。日本テレビを「視聴しない運動」やNHKの「受信料不払い運動」を起こせば二つとも簡単に潰れる。それより運動が起これば両社は慌ててまともになるよう努力するだろう。消費者が自らを守る方法は、消費者庁を作って官僚に守って貰う事ではない。「不買運動」をして悪徳企業を潰す方が効果的である。このところ嫌と言うほど味わったメディアの情報被害から国民を守るためには「見ない」、「読まない」運動を起こすことだ。新聞とテレビがなくともこの国は潰れない。そしてそうなれば傲慢なメディアも初めて自らを省みる事になる。

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2009年3月25日

これじゃオバマは生まれない

 2年前の参院選直後に、「権力にとって小沢民主党代表はスキャンダル攻撃の最大ターゲットになった」と傍観者の私が思ったぐらいだから、当の本人はもっと分かっていた筈である。現実の問題として攻撃に備え、対策を考えていたに違いない。そうでなければとても政治家など務まらない。すると小沢代表は福田政権に大連立を仕掛けた。

 自民党は次の衆議院選挙でどのような結果が出ようとも今より良くなる事はない。三分の二以上の議席を獲得することは100%ありえない。それなのに過半数を獲得すると自民党は地獄の苦しみを味わう事になる。政権をとって総理大臣を出しても再議決が出来ないから法案はすべて廃案になる。結局、野党の言うなりの総理大臣にしかなれない。

 「直近の民意は衆議院選挙結果だ」と叫んでみても野党がそれに応じなければならない理屈はない。参議院で過半数を失った自民党は参議院の民主党を分断するか、大連立をやる以外に政権運営を行う方法はない。それが分かっているから福田総理は大連立の道を選んだ。小沢代表は大連立の条件として公明党との連立解消を求めた。

 公明党はこれに驚愕した。与党から転落するだけでなく、下手をすると党の消滅につながりかねない。大連立に理解を示す福田総理には辞めて貰うしかない。民主党分断工作を担当していた麻生太郎氏と手を組んだ。麻生氏は道路建設を餌に民主党の道路族に離反を働きかけた。14人が離反すれば参議院の過半数を与党が握ることになり自民党の勝利である。しかし蓋を開けると離反はわずかに2人。大連立もうまくいかず、民主党分断も失敗する中で自民党総裁は福田氏から麻生氏に代わった。

 公明党と組んだ麻生政権に大連立の道はない。参議院の民主党を分断することだけが目的の政権である。そのためには衆議院選挙で過半数を得て、その勢いで参議院民主党を分断するしかない。しかし、もし分断できなければ前に述べた地獄の日々が待っている。

 大連立に理解を示す福田政権の下では小沢代表のスキャンダル攻撃が炸裂する可能性はなかった。しかし民主党分断を目的とする麻生政権では必ずある。そう思っていると西松建設の外為法違反容疑が明るみに出た。しかし数カ月以内に衆議院選挙が行われる時期である。これまでの検察なら決してやらなかった時期に、それに反して検察は前代未聞の捜査を行った。それならば前代未聞の大事件の筈である。どれほどの事案かと思ったら、何のことはない「形式犯」であった。

 世界中の民主主義国が禁じていない企業献金を我が国は禁止している。ところが企業は駄目だが政治団体なら良いという「まやかし」としか思えない仕組みの中で、事実上企業献金は認められてきた。それが今回の事案では「企業と認識しながら政治団体と書いたのが犯罪だ」という話である。その事がこの国の国益にどれほど反する犯罪なのか、いくら頭をひねっても分からない。ところがそれで日本列島は連日大騒ぎとなった。

 「悪い」と言っている人たちの理屈を聞くと、さらに頭がおかしくなる。検察は「国民の巨額の税金を使う公共事業を歪めた」のが「悪い」という理屈である。公共事業の発注元は国か地方自治体である。業者と政治家だけで公共工事は出来ない。それなら国と地方自治体が野党党首の言うことを聞いて入札に便宜を図った話なのかと思ったら、その事実が起訴状にはない。第一に国土交通省や自治体関係者の名前が全く出てきていない。それで何故「公共事業」と言えるのか、全く私の理解を越える。

 「巨額の献金だから悪い」と言う人がいる。なぜ巨額が悪いのか私には分からない。アメリカ大統領になる条件の第一は集金能力である。オバマはそれでヒラリーに勝った。彼がヒラリーを上回ったのは弁舌でも政策でもない。ひとえに資金で上回った。それも個人献金ではない。集めた金の大半はウォール街の企業献金である。それに文句を言う国民はいない。それが民主主義の民主主義たる由縁である。

 かつてソ連が崩壊し冷戦体制に終止符が打たれた時、アメリカの国会議員は大半が自費でモスクワに飛んだ。歴史的瞬間を自分の目で確かめるためである。その時日本の国会議員は一人もモスクワに行かなかった。日本の国会議員が海外視察をするときは大抵が税金を使った官費旅行である。官費で観光をして帰ってくる。これこそが税金の無駄遣い。議員の勉強には全く役立たない。情けない話だが私が知る限り日本の政治家はみな金がなくてピーピーしている。こちらが恥ずかしくなる位何かと言えば税金にすがる。それで良い仕事など出来るはずがない。

 国会議員という仕事は何もしなくとも務まる。国会と選挙区を往復し、多少演説などしていれば仕事をしているように思われる。しかしそんなことだけで本当に国民の財産と安全を守る事は出来ない。政治家の仕事は一種の情報産業だから、金をかける気になればどれほど金があっても足りない。そして金をかければかけるほど良い仕事が出来る。世界中から情報を集め、人と会い、その話を聞き、どこへでも出かけ、人脈を構築する。「金はなくとも政治が出来る」という政治家がいたら、国会と選挙区を往復しているサラリーマンのような政治家だと思った方が良い。

 「企業は利潤を求めるから企業献金は賄賂になる」と言った新聞記者がいた。日本はいつから社会主義国家になったのだろう。利潤追求を「悪」だという民主主義国家を私は知らない。それを言うなら私企業を全廃しなければならなくなる。新聞記者の所属する新聞社は利潤を追求しないのか。利潤を追求すると新聞の使命を果たせないのか。企業は社会的必要があるから生まれる。企業が追求する利益が社会と相容れないはずがない。それを「悪」だと言うのは「官僚の論理」である。官僚は本質的に「社会主義者」だから企業の利潤追求を苦々しく見ている。その思いをかつての社会党が代弁して自民党の足を引っ張った。それに新聞・テレビが追随し官僚組織にゴマをすった。55年体制の愚かさがいまだに続いている。

 今、世界は金融危機の真っ只中である。オバマもプーチンもサルコジもブラウンも胡錦涛も自国の富をいかに守り、他国の経済にいかに打ち勝つか、それに全力を上げている。弾丸こそ飛ばないが「戦争」の真っ最中とも言える。国家の死活がかかる重大な時期に、検察が政治の機能を損なわせる捜査に着手したことは、如何なる国益に基づくと判断したのか全く理解に苦しむ。しかもその事に政治の世界が何も言わない。世界は腹の中で笑っている。何と脆弱な政治体制か。今回の一連の出来事は歴史に「国益を損ねた事例」として記録されるだろう。

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2009年3月20日

政治とカネの本当の話(3)

 「昭和の妖怪」と呼ばれた岸信介は、戦前商工省のエリート官僚として満州で「産業開発5カ年計画」を主導し、その成果を日本に持ち帰っていわゆる「1940年体制」を構築した。官僚が企業を隅から隅まで統制して計画経済を行う仕組みである。それが戦後の経済成長モデルとなり日本を世界第二位の経済大国に押し上げた。官が司令塔となり、政治が後押しをして自動車、家電製品の輸出でカネを稼ぐ仕組みだが、現在の金融危機によってその構造は崩壊しかかっている。

 岸信介が「妖怪」と呼ばれた理由には色々あるが、一つはロッキード事件、グラマン事件、インドネシア賠償など「金権スキャンダル」の噂が絶えなかったにもかかわらず、一度も逮捕されなかった。岸は「政治資金は濾過器を通せばきれいになる」と語っていた。「濾過器」とは何か。官僚支配のこの国では官僚機構が関与した政治資金は「きれいになる」と言うのである。

 ロッキード事件は全日空が購入したトライスターと防衛庁が導入した対潜哨戒機P3Cの選定を巡って海外から日本の政界に55億円の賄賂が流れたが、摘発されたのは民間の部分だけで防衛庁が絡む疑惑には一切手がつけられなかった。政治家では田中角栄だけが5億円の収賄容疑で逮捕され、50億円の行き先は解明されなかった。

 岸信介とは対照的に「濾過器」を通さずに政治資金を集めた政治家が田中角栄である。田中は総理在任中の1974年に月刊誌「文芸春秋」が特集した「金脈研究」で失脚したと世間では思われているが、本人はロッキード事件で逮捕された後も金権批判を全く意に介していなかった。それどころか「俺は自分でカネを作った。だからひも付きでない。財界にも官僚にも借りはない」と胸を張っていた。しかし「濾過器」を通さなかった事で田中は「金権政治家」のレッテルを貼られた。

 官僚が国民を支配するノウハウには色々ある。前に説明した「誰も守ることの出来ない法律を作り、摘発は裁量によって行う」のも一つだが、他には「すべての施策を官僚が行い、民間にはやらせない」というのもある。そのため民間人が資金力を持ち、その金で社会活動を行うことを官僚は極度に嫌う。要するに「寄付」行為を認めない。

 欧米では税金も寄付もどちらも国民が社会に対して行う貢献である。社会にお世話になり、社会から利益を受けている以上、自分の収入に見合って社会を維持するコストを払う。税金と寄付との間に差はない。だから税金で貢献するか寄付で貢献するかを国民は選択できる。寄付をすればその分税金は控除される。金持ちは税金を払うより自分の名前を冠した劇場を寄付したり、公園を寄付したりする。つまり個人が自分の金で社会的施策を行う。

 ところがこれは著しく官僚支配を弱める。人々が国家より金持ちを頼るようになる。官僚国家の日本では「寄付」は「邪悪な考えの金持ちが私欲のために行う」と考えられ、好ましくないとされる。だから寄付をすると同じ金額の税金を取られる制度が作られ、日本に「寄付」の習慣がなくなった。その考えがそのまま政治の分野にも適用され、「政治献金」は「悪」だとする風潮が生まれた。

 かつて税制上認められていた政治献金は企業の「交際費」である。与党の1年生議員は当選すると企業を回って歩き、後援会への入会と政治献金を求めた。まだ企業が総会屋に利益供与を行うことが認められていた時代には、総会屋を担当する総務部が政治家も担当した。企業にとって政治家は総会屋と変わらず、何かの時の保険で、積極的にはお金を出したくない存在だから、政治家が企業から献金を受けるのは大変だった。

 そうした時に頼りになるのが官僚組織である。民間企業の許認可権を持つ役所が口を利けば、企業は直ちに献金してくれる。議員が大臣になりたがるのは、大臣になればそれ以降は役所がずっと面倒を見てくれるからだ。献金も集めやすくなる。選挙の票も集めてくれる。そして情報も教えてくれる。これが官僚組織が政治家をコントロールする手口である。こうして族議員が生まれてくる。

 政治家が自分で金を作ることや、民間が政治家を育てることは司法によって摘発の対象となった。そして「濾過器」を通らないと「汚れたカネ」として摘発の対象になる。これが政治を官僚組織に従属させ、国民を支配する官僚のノウハウなのである。

 ロッキード事件で丸紅の政治献金が賄賂と認定されると、日本の大企業は政治献金を嫌がるようになった。そこで政治献金の主体が大企業から中小企業やベンチャー企業に移るようになった。その代表がリクルート・グループである。そして三木内閣が政治資金の金額の「規制」に踏み込んだことから、政治献金の形が普通ではなくなった。

 本来、政治資金規正法の主旨は金額の「規制」ではなく、カネの「入り」と「出」を透明化することである。誰からいくら貰い、何に使ったかが分かれば、その政治家の働き振りが分かる。大して仕事をしない政治家は「入り」も「出」も少ない。政治活動を活発に行う政治家は金額が大きくなる。その使い道を見て有権者は政治家として有能かどうかを判断する。ところが三木内閣は「クリーン」を売り物に、世界の民主主義国がやらない金額の「規制」に踏み込んだ。これは政治の力を弱めたい官僚には都合が良かった。

 リクルート・グループは現金ではなく値上がりが確実の未公開株を政治家に提供し、売れば確実に金が手に入るようにした。この手法が違法として摘発されると次に絵画を政治献金に使う手法が現れた。絵画には高価な物もあり、現金を移動しなくとも所有権を移転するだけで献金をしたことになる。竹下登が関わったとされる「金屏風事件」でその一端が明るみに出た。

 金額を「規制」した結果、政治資金は次第に闇に潜るようになり、暴力団の世界と結びつくようになった。バブル期に日本の銀行が軒並みヤクザに絡め取られ、不良債権を累積させたように、政治の世界にもヤクザの資金が入るようになった。恐ろしい話である。それなのに何か不祥事が起きるたびに「もっと規制を強めろ」と言う声が上がるばかりで、「透明化が大事だ」と言う声は聞かれない。政治とカネの関係は国民の見えないところで地下経済と結びついている。


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2009年3月19日

官僚独裁制

 退任したシーファー駐日米国大使が最後の記者会見で、「どの国の政治にもねじれはある。ねじれは克服できる」と述べて、「ねじれ」を理由に政治を停滞させている日本を批判した。アメリカ政治に「ねじれ」は付き物である。アメリカでは大統領と連邦議員の両方を国民が選ぶ。国民には本能的にバランス感覚が働くのか、共和党大統領が選ばれる時には民主党が議会で多数を占める。つまり「ねじれ」になる。大統領がやりたい事を議会の多数が反対すれば政治は一歩も進まない。しかしアメリカ政治は停滞しない。何故ならそこに「民主主義」を機能させる「知恵」が働く。

>>続きは『THE JOURNAL×infoseek』で

2009年3月13日

国会探検特別編その6:日米関係の過去・現在・未来

今回の国会探検は、2月5日に行われた銀座田中塾「日米関係の過去・現在・未来」の模様の一部を音声でお送りします!

■日米関係の過去・現在・未来(公開は終了しました)

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■国会探検特別篇 アーカイブ
http://www.the-journal.jp/contents/kokkai/cat415/

2009年3月11日

危機が求めるもの

 グリーンスパン前FRB議長に「百年に一度の危機」と言われて、「まず景気対策だ!」と叫んだのは麻生総理と御手洗経団連会長である。しかし景気対策程度の小手先では解決出来ないからグリーンスパンは「百年に一度」と言った。我々は80年前の大恐慌に匹敵するかそれ以上の危機が訪れている事を直視すべきである。大恐慌は景気対策では跳ね返せず、資本主義を構造変化させ、戦争によらなければ解決出来なかった。

 1929年にニューヨーク証券市場で株価が大暴落した時、共和党のフーバー大統領は「古典派経済学」の自由主義に固執して世界を不況に陥れた。代わって登場した民主党のルーズベルト大統領は資本主義を修正し、「ニューディール政策」を行ったが、言われるほどの効果はなかった。アメリカの景気が回復したのは日本の真珠湾攻撃によって太平洋戦争が始まり、軍需生産が本格化した42年である。

 一方、世界では大恐慌の影響を受けずに経済成長に成功した国が二つあった。ソ連とドイツである。1917年の革命で共産主義国家となったソ連は、大恐慌の前年からスターリンが主導して計画経済を推進し、農業の集団化と重化学工業への転換を実現して世界を驚かせた。

 第一次世界大戦の敗北で失業と貧困にあえいでいたドイツでは33年にヒトラーが権力を握り、国家社会主義政策で完全雇用を成し遂げた。財政赤字をものともせずに軍需産業に投資をした結果である。必然的にドイツは軍事強国となり、第二次世界大戦を引き起こした。

 昭和恐慌に打ちひしがれた日本にも構造転換を図ろうとする人物が現れた。軍人石原莞爾は日本の工業力の脆弱さを痛感して満州に実験国家を作り、ソ連情勢に精通した満鉄調査部の宮崎正義と組んでソ連を真似た統制経済を推進した。国力のないまま戦争することに反対だった石原は日中戦争を巡って東条英機と衝突、太平洋戦争を前に引退したが、満州を舞台にした統制経済は商工省から派遣された岸信介、椎名悦三郎らに引き継がれ、彼らは満州での成果を日本国内に持ち込んだ。それが「1940年体制」と呼ばれる官僚主導の経済体制である。

 日本の資本主義経済は明治以来欧米と同じ仕組みで発達し、大正デモクラシーをもたらしたが、岸らはそれを根本から作り替えた。企業が証券市場から資金を得る「直接金融」をやめさせ、大蔵省の監督下にある銀行から融資を受ける「間接金融」に切り替えた。これで民間企業が国家の間接支配の下に置かれた。

 産業界を官僚の「行政指導」と「経済政策」に従わせ、官の指導を行き渡らせるため業界ごとに「統制会」を作らせた。経団連は戦前の「統制会」が戦後復活したものである。企業から株主の影響力を排除して内部昇格者に経営を委ね、「年功序列賃金」と「終身雇用制」で企業一家の仕組みを作った。下請け制度を導入し「系列」を作ったのもこの時である。これらが戦争遂行のため「国家総動員態勢」の下で行われた。1941年にヒトラーと会い、その後スターリンと会見した外交官松岡洋右は「日本人は道義的共産主義者である。中国との戦いも中国ではなく後ろにいるアングロサクソンの資本主義との戦いだ」と述べている。

 しかし日本もドイツも資本主義諸国に敗れた。ところが日本ではこの官僚主導の統制経済モデルが戦後に甦り、日本を世界第二位の経済大国に導くのである。「55年体制」の自民党で岸信介と椎名悦三郎の「満州コンビ」が権力を握り、彼らは通産省を拠点に日本の重化学工業化と輸出立国を「国家総動員態勢」で実現した。石炭産業を強制的に潰し、安価な石油を使って自動車、家電産業の国際競争力を高め、その輸出で外貨を稼ぐ経済構造が作られた。

 製造業の国際競争力を国が支援する裏側で、農業は保護を要する衰退産業にさせられ、保護のため国は地方に税金を移転する仕組みを作った。それが道路建設である。農村が自民党の票田となり道路族が強いのは輸出立国の裏返しだ。この経済構造はアメリカとの間に熾烈な摩擦を生んだ。「ニクソン・ショック」、「プラザ合意」など、アメリカは円高誘導を行って日本の輸出産業に打撃を与えたが、それでも日本は変わらない。いつしかアジア各国も日本を真似るようになった。輸入がなければ輸出は成り立たない。輸入大国となったアメリカは、その赤字を埋めるため様々な金融商品を作って売ることにした。その構造に破綻が生じた。それが目の前にある「百年に一度の危機」である。

 危機を脱するためにはこの構造に目を向ける必要がある。戦前の指導者は大恐慌に対抗して資本主義を排し統制経済体制を作った。それが戦後の高度経済成長をもたらした。しかし官僚統制型経済、製造業に特化して輸出で外貨を稼ぐ仕組み、官僚主導を担保するため政権交代をさせない仕組み、それらは既に限界に来ている。にもかかわらず構造だけは生き残って「百年に一度の危機」を招いた。今の日本に必要なのは次なる構造転換を構想出来る指導者である。景気対策程度で力んでいる場合ではない。

2009年3月10日

更迭できない理由

 漆間官房長副官は記者との懇談で発言した事を「記憶にない」と言い出した。麻生総理も一時は「誤報」とまで言ったから、この謀略コンビは報道機関に「シラを切り通せば何とかなる」と思っているのだろう。日本のメディアは「舐め切られて」いる。

 自民党内からも「官房副長官更迭論」が出ているのに、麻生総理には全くその気がないようだ。これほどの「チョンボ」をした人間を更迭できないのはそれだけの理由があると考えるしかない。それだけ二人の「絆」は強いと言う事だ。考えてみると、どんなに内閣支持率が下がっても、どんなに不祥事が起こっても、麻生総理は全くびくともしなかった。

  「かつての自民党なら誰にも傷がつかないように総理を交代させた」、「国民政党であることを自負していた自民党が民意に目をつむるのはおかしい」と私は書いてきたが、それほどに不可思議な行動を自民党が取り続けてきた理由も今となってはっきりした。小沢秘書逮捕の方針が官房副長官を経由して総理に伝えられ、それが一部の自民党幹部に伝えられていたからだ。麻生総理の交代論を主張した自民党幹部には知らされていなかった。しかし麻生続投を主張した幹部には伝わっていた可能性がある。彼らはその日を待ってきた。麻生総理はだから何を言われても「辞める気はない」と言い続けてきた。

 麻生総理が国民の不満の声や批判を「馬耳東風」と聞き流してこれたのは、官房副長官からの情報の支えがあったからだ。この二人はどうやら「一連托生」の関係なのだ。さすがに政敵つぶしに秘密警察を駆使したプーチン政権を真似したかっただけの事はある。しかし麻生総理がプーチンより不幸なのは日本の秘密警察がおしゃべりであったことだ。

 更迭できない理由はもうひとつある。麻生政権誕生直後に発売された「サンデー毎日」が興味ある記事を掲載していた。漆間官房副長官が上司に当たる河村官房長官の失脚を図ったという記事だった。麻生総理からスキャンダル追及のプロとして起用された事に応えたかったのか、事もあろうに「総理の女房役」のスキャンダルまで探っていたのである。

 記事によると漆間官房副長官は麻生総理に「河村官房長官の周辺には左翼がいる」と言って「更迭を進言した」と言う。無論麻生総理はこれに応じなかったが、「左翼と交流がある」と言う理由で失脚させようとする感覚は、戦前の「特高警察」を連想させる。そしてその頃、河村官房長官の「事務所費問題」がどこからかリークされ、メディアを賑わせていた。確か麻生政権誕生後初めての閣僚の不祥事であった。

 河村官房長官は、官房長官に向いているとは思えないが、実直な人柄で人望がある。戦前の貴族院議員で戦後は通産大臣や文部大臣を歴任した故田中龍夫衆議院議員の地盤を受け継いだ後継者である。「左翼と交流があった」からと言って、保守政治家である事に変わりはない。それを追い落とそうとしたのだから、この記事が事実なら相当に「ピントのボケた」事をやろうとした。

 河村官房長官の「事務所費問題」は一時は国会でも追及されたが、河村長官の人柄のせいか、追及は尻すぼみになった。この記事から推察できる事は、漆間官房副長官はスキャンダル情報を握ったら、上司であろうが身内であろうがお構いなしに追求する可能性があると言う事だ。これでは誰も手を付けられない。

 麻生総理が更迭を決めたら、麻生総理のスキャンダルが暴露される可能性だってないとは言えない。飼い犬に手を噛まれないようにするためには、餌をやり続けるしかない。しかしこれだと日本は警察や検察が最も力のある「警察国家」と言う事にならないか。日本が「警察国家」でない事を証明するためには麻生総理は飼い犬を切らなければならない。そして日本の報道機関がジャーナリズムであるためには、漆間発言をうやむやにしたら命取りになる。それでなくとも信頼が揺らいでいる新聞とテレビを見ようとする国民がいなくなる。メディアにも麻生政権と同様の危機が訪れる。

2009年3月 9日

政治とカネの本当の話(2)

 眉間にしわ寄せキャスターの番組は、昔から「もっともらしい嘘」を振りまくのが得意なのに何故か「報道番組」と称している。この前も某名誉教授が小沢秘書逮捕事件の感想を聞かれて、「政治に金がかかるのが問題だ。政治家はお金を使わずに節約をして生活することが出来ないのか」という趣旨の発言をしていた。そしてスタジオみんなが頷いた。「おかあさんといっしょ」程度の番組なら許される。しかし「報道番組」での発言である。これでは日本の政治は救われないと暗澹たる思いになった。

 政治家の仕事は「国民の財産と安全を守る」ことである。日本人の財産を狙い、安全を脅かす他国から日本人を守るのが仕事だ。オバマ、プーチン、胡錦涛、金正日らと互角に渡り合って日本を守らなければならない。庶民のような生活を心がけるのも結構だが、そんなことを政治家に期待する感覚を他国の人間は持っているだろうか。それよりも政治には大事なことがあると思っているのではないか。オバマやプーチンや胡錦涛に庶民のような暮らしを期待する学者やジャーナリストが他国にいるとは思えない。

 よく「選挙に金がかかりすぎる」と言う人がいる。そう言う人がいるために日本の選挙は民意を反映されない形になった。「金がかかりすぎるから」と言う理由で選挙期間は短くなり、お祭り騒ぎをやめさせられ、戸別訪問は禁止され、選挙カーで名前を連呼するだけの選挙になった。名前を連呼されて候補者の何が分かるのか。何も分からない。要するに「金がかかりすぎる」を口実に、国民に判断をさせない選挙になった。現職議員にとってその方が再選される可能性が高まるからだ。

 選挙期間が十分にあり、戸別訪問を認めて候補者と有権者とが会話をし、国民を選挙戦に参加させるためにお祭り騒ぎをやれば、国民に政治に参加しようという意欲が生まれる。「それだと自分たちに不利になる」と世襲議員や年寄り議員は考える。より若く、情熱があって、意欲的な議員が選ばれる可能性が高まる。政権交代も起きやすい。それをさせないための仕掛けが「金のかからない選挙」という名目で行われた。

 だから日本で選挙に金をかけるのは「悪」である。それに賛成したのが55年体制の野党だった。初めから政権交代を目指さない社会党にとって現状維持で何の問題もない。憲法改正をさせないために三分の一の議席だけを確保すれば良い。過半数は要らない。それが「金をかけない選挙」という思想と共鳴した。そして政権交代をさせたくない自民党と官僚とも利害が一致した。

 学者などがよく言う「金のかからない選挙」とはイギリス型の選挙である。これは日本の選挙と全然違う。候補者が後援会を組織して金を集め、有権者に名前を売り込み、「選挙区のために働きます」と訴える選挙ではない。政党が選挙を行う。候補者は政党から選挙区を指定され、自分の名前ではなく政党のマニフェストを売り込む。戸別訪問で政党の政策を説明して歩く。「候補者は人間でなく豚でも良い」と言われるほど候補者は重視されない。だからお金はかからない。と言うか、すべてを党で面倒見る。日本共産党や公明党のやっている選挙がこれに近い。

 しかし日本でやっている選挙はアメリカ型だ。アメリカ型はマニフェスト選挙ではない。候補者同士が競い合う。アメリカでは「選挙区のために働きます」と言って支持を訴える。支持者から献金を集め、多く集めた方が当選する。だから選挙は金集めの競争である。そのためにはお祭り騒ぎをやって有権者を政治に参加させる。選挙期間も勿論日本より長い。日本と違うのは選挙カーでの連呼ではなく戸別訪問が主体である。

 大統領選挙は長期戦である。1年間の戦いを制するのは金の力である。候補者は企業からも個人からも団体からも金を集める。オバマはそれでヒラリーに勝った。ヒラリーは最後は私費まで投じたが、選挙を続けることが出来なかった。選挙民はその様子を見ながらリーダー足りうる素質を見極める。「政策の競争」などでリーダーの素質は見抜けない。資金集めとスキャンダル攻撃をどう乗り切るかの対応力でリーダーの素質を見分ける。

 自民党の選挙はアメリカ型に近いのだが、日本で「金集め」は「悪」である。日本とアメリカ政治の何が一番違うかと言えば、政治と官僚の力関係である。アメリカは政治が官僚より優位に立ち、官僚をコントロールしている。日本では官僚が政治より優位にいて、政治が官僚にコントロールされる。官僚が最も嫌がるのは政治が力を持つことだ。そのため力の源泉になりかねない要素をことごとく封じ込めた。

 メディアと野党を使って「政治が汚れている」キャンペーンを張り、自民党の力ある政治家を次々「摘発」した。今では自民党も官僚の言うことを何でも聞く「おとなしい子羊」になった。官僚の言うことを聞かない政治家を許さない。それが霞ヶ関の本音である。政権交代が近づいた今、その矢が民主党に対して放たれた。政治資金規正法と公職選挙法は警察と検察がいつでも気に入らない政治家を「摘発」出来る道具である。政治とカネの関係を見誤ると日本の政治は何時までも混迷を続けることになる。

記者の資格

 この国では頭が悪くないと新聞やテレビの記者にはなれないのだろうか。
「政治の読み方」というコラムでも書いたが、権力者を取材する際、言った言葉を鵜呑みにするバカはいない。発言の裏にどういう意図が隠されているかを「読み解かなければ」記者をやる資格はない。

 権力闘争は情報戦である。敵を不利にし、味方を有利にする情報を振りまく事が最も重要である。そういう目で政治を読み解いていかなければ記者は仕事をした事にならない。権力者の言う事を右から左に伝えるだけならただの「御用聞き」だ。私が指摘したように、今回の麻生政権の仕掛けは「小沢代表を代表の座から引きずりおろす」事にある。引きずりおろす事さえ出来れば検察は事件の責任を問わない可能性がある。

 なぜなら相当に乱暴な論理で地検は捜査をしている。企業と企業の政治団体と実態は何も違わないのに、政治団体を企業と「認識」したかどうかで秘書を「逮捕」した。恐らく前例はない。また東北地方の建設工事に小沢代表が影響力を持っているかのようにメディアに書かせているが、野党に影響力などあるはずがない。もし野党が影響力を行使したら国土交通省はその時点で自民党から大目玉を食らう。そしてその時点で事件になっている。

 要するに地検がやっている事はナチス・ドイツのゲッベルスが得意とした「情報操作」である。かつて警察を取材していた頃、幹部から「検察はゲッベルスのやり方を習得した」と聞かされた事がある。警察の事件はマスコミも取材できる犯罪現場があるから「情報操作」は難しい。しかし検察の現場は「取調室」という密室しかない。誰も検察の発表の裏を取る事が出来ない。それを良い事にマスコミを使って「情報操作」をし、裁判の前に世論を誘導して裁判官が無罪の判決を出しにくい状況を作り出している。そういう話だった。警察と検察は仲間ではあるが、時には対立する事もある。その幹部は検察の捜査に批判的だった。

 今回もその情報操作にメディアは振り回されている。だからメディアは事件の本筋を追うよりも早くも「小沢代表の進退」に焦点を移した。それによってそこに権力の狙いがある事がはっきりした。地検もそうなってくれないと困る。小沢代表が辞任してくれれば事件の方も「幕引き」を図る事が出来るが、辞任してくれないと「幕引き」の仕様がなくなる。だから頼みの綱は民主党議員だ。民主党の中から小沢代表の足を引っ張る声が起こらないと困る。そのための「恐喝」と「買収」が水面下で行なわれているはずだ。政治を取材してきた私の経験では、こういうときには必ずそれが起きていた。それも分からないようでは記者として相当のボンクラだ。

 私がそう思ってみていると新聞記者出身の民主党議員と社会党出身の民主党議員が「小沢辞任」の旗を振り始めた。私の予想通りである。前者は新聞社のドンの影響下にある。後者は自民党と地下水脈でつながっていた旧社会党議員である。まさに権力の手先とは思わせないようにして利用できる格好の議員である。

 官房副長官の凡ミスで真相が公になりそうになった。慌てて二階経産相を人身御供にする事にした。献金を貰った議員は大勢いるが、決して最大派閥からは人身御供を出さない。最も小さな派閥が選ばれた。どうせこの派閥は次の選挙で二階氏以外は全員落選が予想されている。そして二階氏はこれで閣僚を辞任しても選挙に強いから必ず当選する。自民党には最小のマイナスで済む。

 この「二階辞任」が「小沢辞任」を迫る政府与党の切り札だ。「二階大臣が道義的責任を取って辞めたのに、小沢代表は道義的責任も取らないのか」とメディアに騒がせるのが、政府与党のシナリオだ。かつて「年金未納問題」で福田官房長官が辞任をし、それを待っていたかのようにテレビと新聞が菅代表に辞任を迫った事がある。そのシナリオの焼き直しだ。「毎度おなじみ」の変わり映えのしないシナリオなのだから、記者をやっていれば想像がつくだろう。

 そして権力の狙いは民主党代表に岡田克也氏を当てることだ。なぜなら官房副長官の手によって岡田氏のスキャンダルは既に仕込みが終ったからだ。最近自民党からは「小沢が辞めて岡田に代われば選挙は自民党に不利になる」という話が出ているらしい。誰に聞かせようとしているか。民主党議員に聞かせようとしている。それを聞けば自民党の思惑があからさまに見えてくるではないか。「自民党に不利になる」と言って「小沢おろし」を促進させようと言う事だ。

 岡田氏が代表になればスキャンダルは表面化しない。表面化させずに裏で「恐喝」する。「言う事を聞かなければ表に出すぞ」と言って脅す。これで霞が関は民主党に政権交代した後も民主党を手なずける事が出来る。自民党の政権復帰も3年以内には実現する。スキャンダルは岡田氏本人のものでなくても良い。家族、兄弟、親戚のスキャンダルでも「脅し」の効果はある。むしろその方が本人もつらい。権力者を操縦するため家族のスキャンダルが「脅し」の材料に使われた例を私はこれまで数々見てきた。

 本人が「脅し」に屈するのがいやで政権を投げ出す例もある。真相は未だに不明だが、細川総理の突然の辞任によって自民党は早期に政権復帰できた。岡田克也代表への流れを自民党も含めて作ろうとしているならば、まともな政治記者は過去の例に照らして想像力を働かせ、事態の推移を見守るものだ。

 ところで最近のテレビは「おバカ」のオンパレードになっているが、この前もひどい発言を聞いた。公明党の高木と言う議員が「疑惑の段階でも政治家は責任を取って辞任すべきだ」と驚くべき発言をしたが、誰も反応しなかった。検察捜査の段階での疑惑で問題を決してしまうなら、何のために裁判所があるのか。裁判制度をまるで否定する発言である。検察捜査は正しくない場合があるから裁判所があるのではないの。検察調書が裁判でひっくり返るのはよくある話ではないの。こんな発言をする人間が国会議員をやっていて、それが堂々とテレビに出てきて、誰もその発言を問題にしない。そんな国家とは何なの。

 また他では頭の悪そうなコメンテーターが「政治資金規正法はザル法だから」と発言していた。「ザル法」だと言っているのは誰なの。検察がそう言っているのではないの。検察が何故そう言うか考えた事があるの。検察は政治家を逮捕するのに、ある政治家は「摘発」するが、ある政治家は「お目こぼし」をしているから、「お目こぼし」を批判された時に「ザル法だから」と言い訳しているだけでないの。政治資金規正法のことも知らずに検察の言い分だけを信ずるバカが何故コメンテーターなの。

 こんなテレビを面白がる大人はどうでも良いが、子供たちまでバカになっていく事が怖いと思ってしまう毎日である。

2009年3月 8日

政治とカネの本当の話(1)

 企業献金は「悪」だと言う。なぜなら企業は「見返り」を求めるはずで、政治が企業の利益に左右され、公共の利益を損ねるからだと言う。一見もっともらしく聞えるが、なぜ企業献金が全て公共の利益に反すると断定できるのか。こうした考えは「民主主義の根本」を犯す事になりかねない。世界の民主主義国でこんな事を言う国はない。

 仮に政治家がA社から献金を受け、A社の要求に応えたとしても、それがA社の利益にとどまらず、広く公共の利益になることであったなら、それでも企業献金は「悪」なのか。企業献金を全て「悪」と言うためには、企業の利益が常に国民の利益に反するという前提に立たなければならない。こうした考えに私は極めて懐疑的である。

 まず前提として「民主主義政治」とは何かを考えよう。世の中は立場の異なる多種多様の人間が生きている。男と女、老人と子供、都会と農村、それらの人々の利益は必ずしも同じでない。立場の違う人間が対立し、いがみ合えばみんなが不幸になる。そこで立場の違う人間を「共生」させる知恵を出す事が必要になる。それが「政治の役割」である。

 民主主義でない政治はどうするか。例えば王様の政治や独裁政治では権力を持つ者が「正しい」と決めた「政策」を全員に押し付ける。その「政策」で救われる人間もいるが、命を失う人間も出てくる。しかし民主主義でない政治は、権力者が「正しい」と決めた事が全てである。無視される立場の声は一顧だにされない。

 民主主義政治は異なる立場の人間の声に耳を傾けようとする。だから様々な立場の人間が自分たちの代表を政治の場に送り込み、自分たちの要求を主張してもらう。政治の場では様々な意見がぶつかり合い、議論を重ね、お互いが相手の主張を理解した上で結論を出す。話が折り合えば「妥協」が成立する。話がつかなければ多数決で決める。その場合でも、少数意見を尊重し、みんなが少しずつ「譲歩」する修正を施し、なるべく不満が残らないようにする。民主主義政治は「正しい」政策を選ぶ政治ではない。みんなで話し合ってみんなで「妥協」する政治である。

 国民はそれぞれ自分たちの代表を選ぶ。そしてその議員を応援する。応援とは政治活動費を献金する事である。献金を多く集める政治家は多くの人から支持されている証拠である。いや違う。金持ちや企業からの献金の方が多額になると言うのなら、貧乏人は小額でも数を集めて対抗すれば良い。そして投票するのに金はかからないから、民主主義は貧乏人が不利になる仕組みになっていない。

 ところがこの国には「政治献金は金持ちを有利にする」と不満を言う人がいる。しかし献金をしなくとも投票の権利はあり、小額でも数を集めればパワーになるのに、それもしないで不満だけを言う身勝手な人間が多い。そういう人間に限って、他人が献金するのを妬ましく思うのか、妨害する。それが民主主義を妨害しているとは思わない。

 「利益誘導政治はけしからん」と言う人がいる。これも民主主義を否定する理屈である。民主主義政治で政治家がやる事は自分を応援してくれる人たちの主張を実現する事である。言い換えれば支持者に「利益」を誘導してやる事である。それを否定してしまったら民主主義政治は成り立たない。企業の利益を代表する政治家、労働者の利益を代表する政治家、女性の利益を代表する政治家、農家の利益を代表する政治家、それらの政治家がみな支持者のために働くところに民主主義がある。

 企業の利益を代表する政治家が「企業献金」を受けて、企業の利益を図るのは別に問題ではない。問題となるのは、その企業の利益と公共の利益が相反し、にも拘らず公共の利益にならない事を権力を持つ政治家がやった場合である。それは贈収賄と言う犯罪に当たるから捜査機関が摘発すればよい。しかし一般的な企業献金まで「悪」だとする考えは民主主義政治を否定する考えだと私は思っている。

 ところが日本では企業献金を「悪」だとして禁止している。そのため何が起きているか。企業が政治団体を作ればその献金は認められるという、「まやかし」と言うしかない制度が作られた。その政治団体が企業の利益と反する要求をするはずがない。企業そのものと考えておかしくない。それなのに企業は駄目で政治団体なら良いという不思議な仕組みの中に官僚支配のからくりがある。

 官僚が国民を支配する要諦は「守る事が難しい法律」を作る事である。車の法定速度を守ったら渋滞が起きる。誰も守っていないのが普通である。警察は普通は見逃している。それで国民生活に支障はない。しかし時々警察は捕まえる。運転手は「運が悪かった」と思う。この時々警察の都合で捕まえるところに官僚の「裁量」が働く。官僚は法律違反を常に見逃しながら、都合で取り締まる。警察に歯向かう人間は取り締まられ、警察にゴマをする人間は見逃される可能性がある。

 スピード違反だけの話ではない。公職選挙法も「厳格に守った人間は必ず落選する」と言われるほど「守る事が難しい法律」である。「お目こぼし」と「摘発」は警察の思いのままだ。税金も「何が脱税」で「何が節税」かの区別は難しい。政治資金規正法も「守るのが難しい」法律である。みんなで同じ事をやっていても、取り締まる方が目をつけた相手は「摘発」され、同じ事をやっているその他は「お目こぼし」になる。これで政治家はみな官僚に逆らえなくなる。

 政治資金規正法を厳しくすると、最も喜ぶのは官僚である。これで政治が官僚より優位に立つのを抑える事が出来る。政治が力を持てばいつでも「摘発」して見せ、メディアに「政治批判」をさせ、国民を「政治不信」に堕ち入るようにする。「政治不信」こそ官僚にとって最も都合が良い。これで政治家を官僚の奴隷にする事が出来る。その事に協力してきたのがかつての野党とメディアである。

 「政治は汚い」と国民に思わせるように官僚は仕組んできた、それに応えてメディアは「政治批判」をする事が「権力批判」だとばかりに、口を極めて政治を罵倒し、官僚と言う「真の権力」にゴマをすってきた。国民はこの国の権力の本当の姿を見せられないまま、政治に絶望してきた。

 アメリカには個人献金もあるが企業献金もある。日本ではオバマがネット献金を集めた話ばかりが伝えられているが、オバマを勝たせたのはウォールストリートの企業献金だと私は聞いている。政治献金は透明性が大事であって、裏金は問題にすべきだが、表に出ている政治資金で捜査機関が政治の世界に介入する事は民主主義国では許されない。そして金額の多少を問題にする国も民主主義国家ではない。それを問題と考えるのは、政治に力がつくと困る「官僚の論理」である。これを私は「民主主義」と対立する「官主主義」と呼んでいる。「小沢代表の金額が突出して多い」と問題にするのは官僚か、その奴隷に成り下がった政治家とメディアだけだ。次回は政治献金の金額を巡る「嘘」を書く事にする。

2009年3月 7日

プーチンの真似も出来ない

 民主党のスキャンダルを暴露するために麻生総理が起用したと私が見ていた官房副長官は、自分が仕組んだ「爆弾」が麻生政権を救ったと自慢したかったのだろう。懇談で余計な事をしゃべって問題になった。日本の官僚がこの程度にレベルダウンしているから、この国を官僚に任せては置けない。

 秘密警察を使って政敵を失脚させるロシアのプーチン政権を麻生総理は真似しようとしたのだろうか。警察官僚を近くに配置して政権をスタートさせた。しかし悲しいかなプーチンほどの愛国心も強い政治力も国民の人気もこの総理にはない。プーチンは「百年に一度の危機」に対抗するため強力な指導力で国家統制経済体制を作り、自国の産業を保護するため他国に対しては強硬姿勢をとっている。まるで戦前に岸信介らが作った「1940年体制」をロシアは再現しようとしている。

 ところがわが麻生内閣は「国際協調」とか「景気対策」とか言うばかりで、アメリカやロシアに対して軟弱な外交姿勢を見せている。アメリカもロシアも今は喉から手が出るほど金が欲しい。目を付けているのは日本の金だ。政府に金はなくとも国民には1500兆円の資産がある。その一部を提供せよと言われても不思議でない。どのようにして国民から吸い上げるかは日本に知恵を出させる。そういう状況が迫っている時にスキャンダルを暴露して選挙に勝とうとする程度では、とても国際社会に負けない国を作ろうとしているとは思えない。

 今回のスキャンダル暴露の目的は小沢代表の代表辞任にある。小沢代表のイメージを悪化させる事で民主党議員に不安を与え、選挙直前の議員心理を揺さぶるのが狙いである。小沢代表とのツーショット・ポスターを嫌がる議員が出てきて、それをマスコミに騒がせ、小沢氏が代表にふさわしくないと世間に思わせれば、それで目的は達せられる。

 恐らく何人かの民主党議員には「選挙を有利にしてやる」との餌でマスコミ界や経済界から説得が行われているはずだ。「恐喝」と「買収」が政治の裏舞台にはつき物だが、私が見てきた政治の経験では、まさにそれが行われるにふさわしい状況が今である。小沢代表辞任を言い出す民主党議員がいたら、手がまわったと考えて間違いない。本人がどう言おうとそれは信じない方が良い。選挙があると議員にとって最も怖いのはマスコミだ。筆先三寸で落選させられる。そして経済的支援には誰でもが飛びつく。

 官房副長官の「自供」で、さすがに政府与党は慌てた。せっかくの仕掛けが逆転する可能性があった。麻生政権が仕掛けて検察が動いた事が明らかになれば、政権も検察も吹っ飛ぶ。明治以来140年の官僚支配構造が崩壊する。政府与党は速やかに打ち消し発言を行なう一方、与党からも人身御供を出さざるを得なくなった。そうすれば公平感は保たれ、官房副長官の「自民党には捜査が及ばない」発言を打ち消す事が出来る。誰か犠牲者が選ばれる事になるだろう。与党側に傷がついても、目的は小沢氏の代表辞任だから、多少の犠牲には目をつむる。

 それほどに小沢代表を排除したい事を今回のスキャンダル暴露は示している。政権交代は仕方がない。しかし小沢代表に権力を握られるのは困る。それが現在の官僚側の本音である。何でも官僚の言う事を聞く自民党から何でも官僚の言う事を聞く民主党に代わるのはかまわない。今の民主党を見れば、口では官僚批判をするが、誰も権力のツボを知る者はいない。その程度の政治家を操る事は、これまで散々自民党でやってきた。政治家操縦のノウハウは十分にある。

 しかし、竹下内閣の時に官邸の中枢にいて官僚を操り、海部内閣では自民党幹事長として総理以上の権力を握った小沢代表だけは「手ごわい」。権力のツボを知っている人間に総理になられた霞が関はこれまでとは逆に操縦される側にまわってしまう。140年の官僚支配に終止符が打たれる。だから小沢代表だけは排除したい。明治以来の日本の歴史を見れば一目瞭然だ。官僚にとって「手ごわい」政治家は常に金がらみのスキャンダルで潰された。

 官僚支配に都合の良い法律が「政治資金規正法」である。そもそも政治資金は「規制」すべきものではない。これは民主主義の根本である。だからわざわざ「規正」と言う字を用いている。目的は政治資金の「入り」と「出」を透明にすることである。金額が多いとか少ないは関係ない。多いから悪いと言う考えを民主主義社会はとらない。アメリカなどは献金を多く集める政治家ほどリーダーになる資格がある。

 ところが三木内閣が「クリーン」を売り物にして、政治資金の「規制」に踏み込んだところからこの法律はおかしくなった。献金を集める事が「悪」と考えられ、ロッキード事件以後は企業献金が槍玉に上がり、献金は次第に闇に潜るようになる。今では企業献金は駄目だが企業の政治団体は献金して良いなどと「屁理屈」をこね回すような話になった。政治資金規正法は公職選挙法と共に権力には便利な支配の道具である。

 このところメディアでは「政治とカネ」の話がにぎやかだが、登場する学者、法律家、評論家らが語る「政治とカネ」の話はことごとくおかしい。驚くばかりの無知蒙昧である。「アメリカは個人献金で企業献金はない」とか「選挙に金をかけない政治が民主主義だ」とか信じられない大嘘がまかり通っている。「政治とカネ」の関係についてこれほど嘘が大手を振って歩いている国も珍しい。そこで「本当の話」を次回から書く事にする。

田中良紹さんが小沢問題について語る!(3/7 22:00〜 BS11『にっぽんサイコー』)

3月7日22時から、BS11デジタルで放送中の『にっぽんサイコー!』に田中良紹さんが出演します!

テーマは「日本とアメリカの政治資金のあり方」。

新党日本の田中康夫代表と一緒に西松献金事件を根本的な次元から徹底解析します。

ぜひご覧ください!    (THE JOURNAL運営事務局)

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BS11『日本サイコー』

■放送日
 3月7日(土) 22:00~22:30

■ゲスト
 田中良紹×田中康夫(新党日本代表・参議院議員)

■番組URL
 http://www.bs11.jp/news/213/

2009年3月 4日

予言が現実になった

 麻生政権誕生時に私が予言したことが現実になった。「麻生政権は民主党の小沢代表をターゲットにスキャンダルを暴露する以外に生き延びる術はない」と言った事がその通りになった。

 実は07年の参議院選挙惨敗以来、政府与党は民主党の小沢代表を失脚させる事に専念してきた。小沢代表さえいなくなれば、仮に政権交代が起きたとしても民主党は少しも怖くない。なぜなら小沢代表以外に「権力」の裏表を知る人間が民主党にはいないからだ。

 与党と官僚とが微妙な隙間を作りながら複雑に絡まり合い、どこに権力のポイントがあるのかを分からなくする日本の統治構造は、国会議員であっても誰も内実を知らない。ましてそれを縦横に操る事の出来る人間など滅多にいない。しかしかつて権力の内側に身を置き、権力を操った事のある「経験者」が小沢一郎氏である。霞ヶ関の権力機構からすれば最も「目障り」で「恐ろしい」存在だった。

 小沢氏がいなくなれば、民主党を権力の手のひらに載せ、今の自民党と同じように溶かしてしまう事が出来る。しかし小沢氏の手で政権交代になると本当に霞ヶ関は解体されかねない。だから07年から小沢氏は権力にとってスキャンダル暴露の最大ターゲットであった。

 その事は当然小沢氏も分かっていた。だから07年11月に福田政権に対して「大連立」を仕掛けたと私は見ていた。「大連立」は参議院選挙で権力の半分を失った自民党が権力にしがみつくための唯一の方法である。次の衆議院選挙で勝ったとしても三分の二以上の議席は維持できない。参議院選挙で過半数を獲得するまで自民党は権力が半分の状態を続けなければならない。10年以上もその状態が続く事になる。しかし「大連立」が実現すれば権力の座に居続けられる。それを見透かして小沢氏は「大連立」を仕掛けた。

 民主党には3つのメリットがあった。一つは権力の内実を知らない若手議員に統治行為の訓練をさせる機会が得られる。二つ目はあわよくば自民党から有為の人材を引き抜くチャンスになる。そして三つ目は大連立に前向きな小沢氏を自民党はスキャンダルで潰せなくなる。「大連立」には「一石四鳥」の効果があると私は見ていた。

 しかし「大連立」は頓挫した。それでも福田政権が続く限り、小沢氏のスキャンダル暴露はないだろうと思っていた。福田政権は民主党と対立する事の愚かさを分かっていると思ったからである。ところが麻生政権が誕生したとき、人事を見て考えを変えた。今度は民主党のスキャンダルを暴露するための政権だと思った。官房副長官に前警察庁長官を起用したからである。警察庁内部からもその能力には疑問符をつけられ、とても霞ヶ関を束ねる事に向いていない人物をなぜ起用したのかが問題である。

 検察は悪い人間を捕まえる捜査機関ではない。時の権力者にとって障害となる人間を捕まえるところである。ロッキード事件が端的にそれを物語っている。55億円の賄賂が海外から日本の政治家に流れたとされる事件で、解明されたのは田中角栄元総理に流れた5億円だけである。後は闇の中に消えた。ところがこの事件を「総理大臣の犯罪」に仕立てて大騒ぎし、解明されたと国民に思わせたのは検察とメディアである。「本ボシ」は今でも偉そうな顔をしてご活躍だ。

 これまで権力者のお先棒を担いできた検察だが、かつては政治的中立という「建前」を一応は守る姿勢を示した。選挙がある時期に捜査着手は避けてきた。海外逃亡の恐れでもなければ捜査を先に延ばしても何の支障もない。ところが今回はあまりにも露骨に意図が見え見えの時期の捜査である。私はその事に驚いた。いずれやるとは思っていたが、ここまでタイミングを合わせられると、むしろ追いつめられているのは権力の側ではないかと思えてくる。

 容疑は政治資金規正法違反だと言うが、そもそも政治資金規正法という法律がいわくつきのおかしな法律である。国民は規正の「正」が「制」でない意味をよくよく考えた方が良い。本来政治資金を「規制」すべきでないと言うのが民主主義の考え方である。政治資金規正法の本来の目的は金額の規制ではなく、資金の「透明化」にあった。ところが三木内閣が金額の規制に踏み込み、それを「クリーン」と宣伝したため、日本では政治献金に「悪」のイメージが付きまとうようになった。

 アメリカ大統領選挙を見れば分かるが、政治家にとって重要な能力の一つは金を集める事である。オバマがヒラリーに勝ったのも集金能力であった。政治資金は政治家の力量を計る物差しというのが民主主義国家である。ところが日本で「金権政治家」は悪の代名詞だ。なぜなら戦前から官僚機構は力のある政治家を排除する論理として「金権政治」を使ってきた。星亨や原敬など、明治、大正時代に官僚と戦った政治家はみな官僚から「金権政治家」のレッテルを貼られ、新聞に批判されて、憤った国民に暗殺された。官僚機構が権力を脅かされると「カネのスキャンダル」を持ち出すのが昔からの常套手段なのだ。

 ところで今回はどうなるか。こんなに露骨な選挙妨害にメディアと国民がどう反応するかでこの国の民主主義のレベルが分かる。今封切られているアメリカ映画「チェンジリング」は1920年代の実話で、堕落した警察に立ち向かう一人の女性を描いているが、権力を持つ警察に立ち向かう事は難しく精神病院に監禁される。しかし最後には市民が警察に抗議のデモをかけるシーンがあった。民衆が官僚の横暴に立ち上がるのである。民衆が立ち上がるためには警察発表を鵜呑みにしないメディアの存在が必要である。検察の言う通りにしか報道しないのが日本のメディアだが、産経新聞の宮本雅史記者のように、著書「歪んだ正義」(情報センター出版局)で検察の実像を書いた勇気あるジャーナリストもいる。どのような報道が行われるかをまずは注目したい。

Profile

田中良紹(たなか・よしつぐ)

-----<経歴>-----

1945年宮城県仙台市生まれ。
1969年慶應義塾大学経済学部卒業。
同年(株)東京放送(TBS)入社。
ドキュメンタリー・デイレクターとして「テレビ・ルポルタージュ」や「報道特集」を制作。また放送記者として裁判所、警察庁、警視庁、労働省、官邸、自民党、外務省、郵政省などを担当。ロッキード事件、各種公安事件、さらに田中角栄元総理の密着取材などを行う。
1990年にアメリカの議会チャンネルC-SPANの配給権を取得して(株)シー・ネットを設立。
TBSを退社後、1998年からCS放送で国会審議を中継する「国会TV」を開局するが、2001年に電波を止められ、ブロードバンドでの放送を開始する。
2007年7月、ブログを「国会探検」と改名し再スタート。

BookMarks

日本初の政治専門チャンネル!
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国会TV
http://kokkai.jctv.ne.jp/

-----<著書>-----


『裏支配─いま明かされる田中角栄の真実』
2011年1月、電子書籍


『メディア裏支配─語られざる巨大マスコミの暗闘史』
2005年3月、講談社

-----<編書>-----


『憲法調査会証言集─国のゆくえ』
2004年7月、現代書館

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