日本の外交感覚
麻生総理は「外交がお得意」なのだと言う。「支持率が下がれば下がるほど得意の外交に力を入れて支持率挽回を図る」とメディアは解説している。2月にはロシアのメドベージェフ大統領やアメリカのオバマ大統領と首脳会談を行った。それがどれほど麻生総理を満足させたかは知らない。しかし「国民の支持を失った指導者が外交に力を入れると国益を損ねる」と言うのが外交の世界の常識である。それを許している日本にはまともな外交感覚がない事になる。
明治以来の外交史を振り返ると、悲しいことだが確かにこの国の外交音痴振りが目に付く。「明治の元勲」と言われた人たちの外交感覚は幼稚である。尊皇攘夷を錦の御旗にして徳川幕府を破った明治新政府が真っ先にやった事は尊皇「尊」夷への転換だった。日本の伝統をかなぐり捨てて外国の真似をした。真似をするのは良いのだが一流の真似ではない。明治の元勲は二流にあこがれた。
明治4年に海外視察に出発した岩倉使節団は、アメリカ、イギリス、フランスなどの先進国に圧倒され、小国プロシアでやっと真似をすべき国を見つけた気分になった。特に大国フランスとの戦争に勝利した鉄血宰相ビスマルクに影響された。大久保利通や伊藤博文は帰国後ビスマルクの写真を部屋に飾ったと言う。ビスマルクは大の議会嫌いで、鉄(大砲)と血(兵隊)によって政治を行うことの重要さを彼らに説いた。薩長藩閥政府が「超然主義」と称して議会政治を無視し、官僚政治を推し進めた理由はビスマルクに心酔したからである。
明治38年の日露戦争勝利は国民を熱狂させ、国際社会に日本の名を轟かせた。特にバルティック艦隊を撃破した日本海海戦はアメリカのセオドア・ルーズベルト大統領を興奮させた。ルーズベルトは極東で最も恐れていたロシアに対する防波堤として日本を利用しようと考えた。彼は率先して日露の講和に乗り出し、ポーツマスではロシアに戦争を終結するよう迫った。
一方でルーズベルトは、ペリー来航から半世紀でここまで力をつけた日本海軍に恐怖した。太平洋を日本に支配されないためハワイ要塞化を考え、日本を仮想敵国とする「オレンジ作戦計画(ウォー・プラン・オレンジ)」に基いて大西洋艦隊の太平洋巡航というデモンストレーションを敢行した。
「オレンジ作戦計画」は日露戦争が始まった明治37年に米海軍によって策定された。サンフランシスコ・オアフ・ミッドウェイ・グアム・マニラ・沖縄を経て日本本土に迫る戦争計画である。後に日米が衝突した太平洋戦争で米軍はほぼその通りのルートで日本を攻撃した。
アメリカが日本を仮想敵と見るのは国家として当然である。ところが日本側には「甘え」があった。朝鮮総督となった伊藤博文は執務室に天皇とルーズベルトの写真を飾り、大西洋艦隊の太平洋巡航を日本側は日本との同盟を強調する姿勢と見た。新聞は日本に寄港した米艦隊を「友好の印」と記事に書いた。
日露戦争を「ロシアがもう少し戦争を継続すれば日本は負けた」と分析したのは陸軍の石原莞爾である。彼は列強に伍せるほど日本の国力はないと見て、アメリカとの「最終戦争」に備えるため、満州という実験国家でソ連型の計画経済を行い、重化学工業化を進めようとした。そして日本は十分な国力を持つまで「決して戦争をすべきではない」と主張した。
ところが石原の意に反して日本は戦争に突入する。どのような戦略と作戦計画で日本は中国とアメリカに勝利しようとしたのか、それが全く分からない。ハワイを奇襲攻撃するだけで何故アメリカに勝つことが出来るのか。ひたすらドイツ、イタリアとの「同盟」の力を頼み、ソ連との「不可侵条約」を信じたとしか思えない。果たして他国を信じ、他国の力に頼ろうとする外交などこの世にあるのだろうか。
戦後の日本外交はさらにひどい。冷戦が始まり、朝鮮戦争が起きたおかげで、日本はアメリカによって戦争の発進基地、補給基地と位置づけられ、工業国として復興されることになった。経済復興を最優先に考えた吉田茂は日米安保条約を締結し、軍事をアメリカに委ねる事にした。独立国としてはあり得ない選択である。条約の署名は吉田がたった一人で行った。従属的な内容だったからである。同行した池田勇人など後輩を立ち会わせれば責任が及んで政治生命に影響することを吉田は恐れた。
それほどに従属的な条約を対等に近づけた岸信介は60年安保闘争で政権を失った。しかし岸の功績は別のところにある。石原が東条英機によって追い出された後の満州で、岸と椎名悦三郎の官僚コンビは計画経済を練り上げ、それを本国に持ち帰り、官僚が民間経済をすべて統制する戦時体制を作り上げた。いわゆる「1940年体制」である。それを二人は戦後日本の経済成長モデルとして復活させた。
貿易立国を国是とし、自動車と家電製品など製造業の国際競争力を「国家総動員」で高める仕組みである。通産省を司令塔に、財界も労働界も、与党も野党も、メディアも国民もすべてが輸出主導の経済体制に協力した。それが日本の高度経済成長を生み出す。その影響で世界経済は混乱した。集中豪雨的な日本製品の輸出攻勢に海外の製造業は大打撃を受けた。中でもアメリカは深刻だった。こうして日米経済戦争が勃発する。
90年代にアメリカは日本を仮想敵国と断定した。ソ連に対する「封じ込め戦略」を日本経済にも適用した。一方でアメリカは「経済大国となった日本は必ず自立する」と考えた。キッシンジャーは「経済大国が軍事大国化しなかった例はない。アメリカの核の傘から日本は自立する」と予言した。しかし日本は経済大国になっても自立するのが嫌いだった。アメリカに「甘える」道を選択した。
湾岸危機が起きた時、日本政府は国会も開かずにひたすらアメリカに資金協力を打診した。アメリカに協力をする事で何とか解決して貰おうと考えた。これにアメリカが呆れた。中東の石油は資源のない日本にとって経済の生命線である。国家の生死に関わる重要問題を国会で議論もせず、ひたすら他国に解決して貰おうという「甘え」は何なのか。「日本を経済大国だと思ったが間違いだった。経済が大きくなっても所詮は従属国だ」。ワシントンはそう考えた。
アメリカに対日脅威に代わる対日侮蔑が生まれた。金がある間は大事にするが、国家として相手をする必要はない。ところが金を出しても感謝されない日本では、「アメリカは金より人的貢献を求めている」と、またまたアメリカの顔色を伺う事を言い出した。アメリカが何を求めているかではなく、日本が何をやるかを自分の頭で考えようとしない。アメリカは表で笑顔を見せながら腹の中では馬鹿にする。それがこの20年ほど続いている。
日米同盟以外の外交構想を持つことの出来ない国をアメリカが重視するはずがない。自分のことを自分の頭で考えられない国を世界が相手にするはずもない。それでも大事にされるのは日本人が金持ちだからだ。振り込め詐欺がなくならないほど日本人は金持ちだ。それは世界も知っている。麻生総理が望めば外国首脳は誰でも会ってくれるだろう。しかしそれが日本の不幸なのである。
第10回銀座田中塾
日時:2009年3月5日又は13日
午後6時半~8時半
テーマ:一神教の政治と多神教の政治
場所:東京都中央区銀座6-13-15
銀座ウォールレジデンス401号
会費:2500円(飲み物・軽食)
どちらかの日を指定して
電話:03-3357-0828
Email:morim-p@gol.com
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