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2008年5月30日

構造改革は見果てぬ夢

 小泉元総理が最近出版した「音楽遍歴」によると、総理在任中に構造改革を断行した時はミュージカル「ラ・マンチャの男」のテーマ・ソング「見果てぬ夢」の一節「敵はあまたなりとも、我は勇みて行かん」で自らを鼓舞したという。

 構造改革という「不可能な夢」に立ち向かった勇気をドン・キホーテになぞらえて見せるところなど大向こうから声がかかりそうで「役者やのう」と感心してしまうが、しかし小泉構造改革は今や本当に「見果てぬ夢」になりそうな気配がある。

 小泉政権が郵政選挙の圧勝の勢いで導入した後期高齢者医療制度がこの4月から施行され、これまで最も自民党を支えてきたはずのお年寄りが一斉に怒っている。75歳以上の老人をひとまとめにして自己責任を押しつけるやり方に我慢がならないという怒りである。すると今度は自民党内から小泉政権が「2006年の骨太の方針」に盛り込んだ「毎年2200億円の社会保障費の削減」は止めるべきだとの声が上がってきた。全国特定郵便局長会も今年から「民営化見直し」で政治活動を行っていくという。こうした動きを見ると小泉構造改革はどうやら「風前の灯火」になってきたように見える。

 小泉構造改革とは一口で言うとアメリカ共和党に代表される「小さな政府」を志向する政治だという。アメリカの「小さな政府」はなるべく税金を取らない代わりに国民を助けることもしない。あくまでも自己責任が原則である。経済を市場に任せ、規制を緩和し、自由に競争をさせて国を繁栄させる。平等よりも自由が優先する。国民から一杯税金を取ってその代わり国が何でも面倒を見る「大きな政府」の福祉国家とは全く逆の政治である。

 そもそもアメリカでは「福祉は悪」と考えられる。努力しない者も助けることになるからだ。現在大統領選挙で劣勢に苦しむヒラリー・クリントンが大統領を目指しているのは日本のような「国民皆保険制度」を実現するためだが、これがアメリカでは評判が悪い。「国民皆保険」は社会主義だと思われる。マイケル・ムーア監督が「シッコ」という映画で描いたのはそうしたアメリカの現実で、「シッコ」ではヨーロッパやカナダ、さらにはキューバの医療制度の方がアメリカよりも人に優しい様子が「9・11」テロ事件と絡めて描かれていた。

 従って「小さな政府」を目指した小泉構造改革に国民が痛みを感ずるのは当然である。小泉元総理も就任当初から「痛みに耐えて貰わないと構造改革は出来ない」と力説していた。その頃国民はそれを熱狂的に支持した。ところが同じ国民が今や「痛みに耐え切れない」と悲鳴を挙げている。日本にはアメリカ流の「小さな政府」は無理なのだろうか。

 そもそも日本の政治は官僚が主導してきたから一貫して「大きな政府」の政治だった。何でも国が振付けて国民はその通りに踊らされてきた。その仕組みは戦後の復興過程で極めて有効に作用した。結果として日本は世界一の長寿国で世界第二位の経済大国に上り詰めた。ところが貧しさから脱するための仕組みは豊かになるとマイナスに作用し始める。国民は自立を求めるようになり、政治にも官僚主導からの脱却が求められた。

 しかしそれまでの長い習慣は簡単に変わらない。自己責任原則はなかなか日本人には身につかない。何か問題が起こるとすぐ国のせいにして政府の責任を追及する。しかし政府を追及すればするほど国の権限が強まることを忘れている。政府は追及されて困った顔をしながら実はそれを権力強化に利用する。なんでも政府の責任にする国民のお陰で官僚機構は権限の幅を広げる事が出来た。そのことを最初に指摘したのが小沢一郎氏の「日本改造計画」だった。子供が池に落ちても国民は政府のせいにする。お陰で日本の観光地は柵だらけだが、アメリカのグランドキャニオンには柵がないという書き出しだったと思う。

 日本では自民党も社会党も全ての政党が「大きな政府」で、「小さな政府」を主張する政党はなかったから「日本改造計画」は新鮮だった。その頃はいつの日にか日本にも「小さな政府」を主張する政党が現れるのだろうと思っていたが、小泉元総理がそれを主張した。そしてそれを霞が関の官僚機構が後押しした。官僚が後押ししたあたりから日本の「小さな政府」はアメリカと様子が違ってくる。

 「官から民へ」をうたい文句に、経済財政諮問会議に権限を集中して、霞が関とは別のところで政策決定を行っているように見せながら、実は官僚機構が後押しして構造改革が始まった。道路公団民営化、規制緩和、中央から地方への税源委譲など「小さな政府」の定番メニューには一通り手をつけたが、しかし肝心なところがアメリカと全く違っていた。それは国民の負担を極力減らすという「小さな」の語源に関わる部分である。

 「小さな政府」というのは経済に占める政府の比重を限りなく小さくすることで、税金を極力取らない事が前提になる。その代わり自分の事は自分でやりなさい。税金を取らない分だけお金が消費に回るので経済が成長する。大金持ちになるチャンスもあれば貧乏になるリスクもあるという社会である。ところが日本では「何よりも財政の均衡が重要」という財務省の要求を最優先にしたため、国民には減税の恩恵が全く与えられなかった。減税どころか逆に恒久的とされていた定率減税の廃止・縮小に手がつけられ、さらに医療、年金、介護などの国民負担が増大し、生活保護費や児童扶養手当が削減された。これではアメリカの「小さな政府」と似ても似つかない。まるで逆である。増税しながら自己責任を要求されては国民は悲鳴を上げるしかない。

 だから最近の一連の動きは当然で、小泉構造改革が「小さな政府」であるかのようなまやかしの議論はもうやめたほうが良いと思っていた。官僚が主導する「小さな政府」などありうるはずがない。福田政権は小泉政治を継承してはいないのだから「小さな政府」という看板を下ろして、むしろ高齢化社会に対応する福祉国家を目指すべきではないかと思っていたら、自民党の綱領に「小さな政府を目指す」と書いてあることに気がついた。3年前の結党50周年に作られた新綱領で自民党は、「行政の肥大化を防ぎ、効率的な、透明性の高い、信頼される行政を目指します」と謳っている。

 これを読んで考え込んでしまった。この綱領で使われている「小さな政府」の意味は世界で通用する「小さな政府」とは違うようだ。要するに行政を無駄のないようにスリム化すると言っているに過ぎない。行政のスリム化ならばわざわざ綱領に掲げる必要もないほど当たり前のことで、恐らく「大きな政府」の国だってやっている事だと思う。それとも自民党は「大きな政府」の意味を行政の無駄がある事だとでも思っているのだろうか。日本を代表する政権政党ならば「小さな政府」を正しい意味に使ってもらいたい。そうしないと「小さな政府の・ようなもの」が綱領に書かれていて、日本には「の・ようなもの」が蔓延していると思われてしまう。

2008年5月25日

早すぎる観測気球

 通常国会の閉幕までまだ半月以上もあるというのに、与党側からは早くも次の臨時国会の召集日程について観測気球が上がっている。こんな事はかつて経験がない。150日間の通常国会は2度目の再議決が行われた117日目辺りからもはや気の抜けたビールである。今月末から野党は高齢者医療問題を軸に対決姿勢を強めて国会を盛り上げ、会期末には福田総理に対する問責決議案を可決するとの話もあるが、可決してもすぐに国会は終わってしまうからこれも気が抜けた話である。与野党の関心はもはや通常国会にはなく、来年1月に期限の切れる海上給油法案をどうするかなど臨時国会の行方に移っている。

 与党国対が打ち上げた臨時国会の召集時期はお盆明けの8月18日である。早くても9月、通常なら10月というのが例年の召集時期だから異例の早期召集となる。理由は60日規定を使った再議決を行うためには8月に召集する必要があるというものだ。しかしこれは観測気球であるからまともに受け止める必要はない。与党側はこの観測気球に対する様々な反応を見定めて改めて決めることになる。無論最終的には福田総理が決断する。

 ところで本当に与党側が海上給油法案を去年と同様の再議決によって延長させようと決めているならば、臨時国会の議論もまた去年と同じ事の繰り返しになる。与党は海上給油が最も安全でしかも各国から感謝される国際貢献だと主張する。給油の油をどこからいくらで誰の仲介で買っているかという質問には「テロリストに情報を与えることになる」と答弁を拒否する。そうした議論が繰り返され、しかるべき時期に衆議院が圧倒的多数で可決、あとは野党が支配する参議院で60日間採決されずにずるずるし、衆議院で再び再議決というお決まりのパターンになる。何が国際貢献かの議論は全くかみ合わずに終わる。

 なんとも進歩がないと言うか新味のない国会が今から目に浮かぶようで、国会ウォッチャーとしては再放送を見せられるようなことは勘弁してくれと言いたくなる。国民も50年振りという再議決に初めは興味を持ったかもしれないが、ワンパターンの繰り返しでは飽きてしまって見る気もしなくなる。結果はさらなる内閣支持率の低下と政治全体へのアパシーにつながる。与党がそんな臨時国会を考えているならばそれは最悪のシナリオと言わなければならない。

 そもそも1年限りの国際貢献策でなく、きちんとした恒久法を作るべきだとの議論があった。そしてそれには自民党も民主党も前向きだった。恒久法となれば自民党と民主党の本格的な共同作業が必要となる。勿論自衛隊の海外派遣を巡って自民党と民主党の考えは同じでない。両者の最大の相違は自民党が日米同盟を優先しているのに対し、民主党が国連中心主義を採っているところにある。日米同盟重視の考えは、日本はアメリカの核の傘の下にあり、戦後の安全保障は常にアメリカによって守られてきたという冷戦時代以来の現実を重視する立場である。これに対して民主党は、アメリカによって守られてきた日本の安全には日本国憲法と相容れないところがあり、冷戦時代はやむを得ないにしても、冷戦後は国連の下で国際貢献を行うべきだとする立場である。しかし私は自民党と民主党の安全保障政策に全く接点が無いとは思わない。

 冷戦の終結以降安全保障の概念が変化してきているのは確かである。第一に国家対国家の戦争はなくなった。戦争と言えるのは内戦かテロとの戦いである。その一方で軍事ではなく国境を越えたマネーが一国の政治体制を揺るがすようになった。1997年のアジア通貨危機ではインドネシアのスハルト大統領が一発の銃弾も一兵も動かない状態で、ファンドマネーの力によって独裁政権の地位を放棄させられた。現在アメリカの最大の「仮想敵」は実は中国でもロシアでもアルカイダでもなくドルを脅かすユーロだと私は思っているが、冷戦崩壊の直後にはアメリカが「日本経済」を「仮想敵」と断定し「日本経済封じ込め戦略」を作った事がある。そうしたことを念頭に置いて日本は自国の安全保障政策を考える時に来ていると私は思っている。

 そうしたところ昨年の大連立を巡る動きの中で「福田総理は民主党の安全保障政策を受け入れる考えを表明した」と伝えられた。当時も書いたが、もしそれが事実なら「まさに画期的なこと」である。福田総理の決断は徳川慶喜の「大政奉還」にも匹敵する平和的政権移譲の第一歩を踏み出したと私は思った。しかしかつて徳川慶喜の決断を理解できる人間は少数だった。「大政奉還」を画策した坂本龍馬も、賛同した勝海舟も勤皇と佐幕の双方から「裏切り者」扱いをされ、龍馬などは直後に暗殺されてしまう。こうして平和的政権交代は消え「武力倒幕」を叫ぶ薩摩、長州が勢いを得て日本は内戦に突入、出来上がった明治新政府は龍馬が理想とした政治体制とは異なるものだったというのが私の幕末維新史の理解だが、去年の大連立もまた轟々たる非難にさらされた。「武力倒幕」ならぬ「選挙決戦」が叫ばれ、そのためにそれ以降は「内戦状態」が続いて政治は機能不全に陥っている。

 またそれより前「戦後レジームからの脱却」を唱えた安倍総理はヨーロッパ訪問の際に日本の総理として初めてNATO本部を訪れ、「日本はNATO軍とも協力して国際貢献を果たしたい」と演説した。これにも私は注目した。これまでアメリカとの二国間関係の中でしか軍事的な国際貢献を考えなかった日本が初めてNATO軍との連携に踏み切ろうとしたのである。まさに冷戦後の世界情勢に見合った動きだと思った。そして民主党の国連中心主義の国際貢献策にもNATO軍が指揮を取るアフガニスタンの治安維持部隊への参加が謳われている。自民党と民主党の間に接点を見出す事は出来るのである。

 ところが大連立が葬り去られ「選挙決戦」が叫ばれてからは両党の対立が宿命付けられた。自民党はアフガニスタンの治安維持部隊への参加を海上給油よりも危険だとの理由で反対した。こうした対応は安倍総理のNATO演説と相反するだけでなく、いつまでこの国は国際貢献を危険か危険でないかという次元やアメリカとの二国間関係の中だけでしか考えないのかという思いを抱かせる。しかし再議決を前提にした政治の論理からは結局こうした対応しか生み出されない。

 再議決と言う枠組みから離れさえすれば、恒久法を巡る話し合いを自民党と民主党が行う事は可能になり、新たな政治枠組みの構築へと向かうことになるが、国会の召集日程が最議決を前提として決められるようではそれも絶望的である。
 最終的に国会日程を決める福田総理が恒久法の作成に踏み切るのか、去年以来の海上給油法案の延長で事を収めようとするのかによって召集日程も変わることになるが、出来るならば安全保障政策だけは与野党が対立せずに共同で恒久法の作成作業に入ることを望みたい。成熟した民主主義国家では内政問題は別にして安全保障政策で与野党が決定的に対立することなどありえないのだから。

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2008年5月16日

山場を過ぎて分かったこと

 道路を巡る2度の再議決で今国会は山場を越えた。未体験ゾーンの国会は高等数学の世界だと言われるが、2度の再議決にもわかりにくい事が多い。しかしその難解な政治から従来とは違う与野党の実態を読み解かなければならない。どこまで迫れるか、とりあえず私に分かった事を整理してみる。

 政府与党にとって今国会最大の課題は参議院の過半数を野党に握られた中でいかに予算を成立させるかであった。予算そのものの成立は問題ないが、裏付けとなる歳入法案の成立には再議決が必要になる。ところが今年の歳入法案は道路特定財源の暫定税率を延長する必要があった。折しも原油価格が急騰して経済と国民生活を直撃している。ガソリン価格を下げれば国民は喜ぶが、それと逆行する再議決をどのように行うか、それが問題であった。

政府与党には小泉政権以来の「道路特定財源の一般財源化」という基本方針がある反面、小泉改革が参議院選挙の大敗を招いたという自民党内の声が福田政権を誕生させ、一般財源化に反対の道路族が復権して党の中枢権力を握っている。その狭間で福田政権と道路族とがどう折り合いをつけるのか。そこにまず注目してみた。

国会に出てきた法案は道路特定財源を維持し10年間に59兆円を投入して1万4千キロの道路を建設するというもので、これまで5年ごとに作成されてきた道路計画の倍の規模に膨れ上がっている。復権した道路族が巻き返したかに見えるが、実は追い込まれているのは道路族である。だからこそ数字を目一杯膨らませる必要があった。道路特定財源の一般財源化は認めたくないが、それが参議院を握った野党に攻撃の口実を与えるのであれば最終的には認めざるを得ない。むしろ一般財源化の下で思い通りの財源を勝ち取りたい。そのため最大限の抵抗は続ける。道路族は名を捨てて実を取る作戦に出た。

一方の福田総理は小泉総理と対照的な戦術を採用した。小泉流とは道路族を「抵抗勢力」に仕立てて派手な党内抗争を繰り広げ、それによって国民の人気を勝ち取る一方、肝心の部分では譲歩して水面下で道路族と手を握るやり方である。国民の目くらましが狙いだが、これは何度も繰り返せる手法ではない。だから郵政民営化では本当に自民党を分裂させるところまで行った。その後遺症に自民党は今も苦しんでいる。しかも去年の参議院選挙で自民党は半死状態となった。小泉流をやれる余裕はもはやない。

福田総理が選んだのは国会の半分の権力を握った民主党に追い込まれることで一般財源化を成し遂げる手法であった。いわば自力ではなく他力で問題を解決するやり方である。野党と世論が強ければ道路族を制圧する事が出来る。しかも自分は決定的に道路族とは対立しない。表向き自分も追い込まれるが「肉を切らせて骨を切る」で、参議院を野党に握られている現状では他に方法もない。福田総理はこの他力本願手法を一般財源化を悲願としてきた財務省を後ろ盾に実行した。総理の指導力が全く見えないのも、国民に分かりにくいのも当然である。内閣支持率の低下も本人は想定内の事だったと思う。

他力本願であるから民主党が強硬に反対してくれないと実は困る。民主党が「3月決戦」を叫ぶのは決して悪いことではない。民主党がいったんガソリン値下げに持ち込みたいというならばそれをやらせても良い。国民世論が燃え上がり再議決のハードルが高くなれば、それはそれで仕方がない。ただし今年の税収に穴が開くことだけは何としても避ける。だから暫定税率再引き上げの法案とそれを道路に使う法案とをわざわざ分離して、2度も再議決をするように仕組んだ。1度目の再議決は可能でも2度目は難しくなることを見越した上での仕掛けである。

福田政権は予算と予算関連法案を民主党の顔を逆なでするように2月中に強行採決してみせた。民主党にしてみれば審議拒否の絶好の口実が与えられ、暫定税率の期限切れ、ガソリン値下げに持ち込む事が出来た。またこの時に道路族にとっては最も大事な道路財源特例法案の採決時期を後ろにずらして再議決が2度になるよう仕組まれた。全て福田総理の指示によるものである。表には見えない形で福田総理は道路特定財源の一般財源化と来年以降の暫定税率の廃止を画策していた。しかし国民のガソリン再値上げに対する怒りと自民党内の道路族に対する反発が予想よりも弱かった。逆に自民党道路族はしぶとさを見せつけた。だから一般財源化の閣議決定は出来ても自民党総務会はいまだに総理の一般財源化の方針を了承していない。2度の再議決は何も起こらずに粛々と行われ、ガソリンは大した混乱もなく再値上げされた。福田総理の想定どおりではなかったように思う。

今回はっきりした事は自民党内の若手改革派と称する議員たちの非力さである。追い込まれた道路族は土俵際の強さを見せつけたが、改革派と称する議員たちはいともたやすく再議決に応じている。1度目の再議決には欠陥予算にさせないという大義名分がある。しかし2度目は改革派議員にとって何の大義もない。議院内閣制だから党議拘束に縛られたと言うかもしれない。しかし議員を縛る党議拘束とは選挙のマニフェストに書いてある事だけの筈だ。59兆円で1万4千キロの道路を作る計画が果たして自民党の選挙マニフェストに書いてあったのだろうか。書いてなければ堂々と自分の考えで投票すべきである。自民党若手と言えば国土交通副大臣の選挙マニフェストに暫定税率廃止が謳われていたと言う。それを国会で追及された本人は「その時は不勉強だった。今は間違いに気づいた」と答弁して暫定税率延長を主張した。選挙民に見せたマニフェストに嘘を書いたと言って平然としている。その程度の議員が副大臣をやっている。そしてこの国のマニフェスト選挙とはその程度なのである。

 次に野党の対応で確認させられた事は参議院を押さえただけでは政権を追い込めないという当たり前の事実である。民主党は早くから「3月決戦」と称して政府与党を解散に追い込むと息巻いていた。しかしいくら息巻いても予算を成立させなければ国家の機能は麻痺する。軽々に出来ることではない。解散に追い込むためには国民の圧倒的な後押しが必要となる。

 時の政権が予算が通らないのを理由に解散に打って出たという話は聞いた事がない。あるとすれば総辞職である。1989年に竹下政権は予算成立と引き換えに総辞職した。その時は消費税値上げとリクルートスキャンダルのダブルパンチに国民が怒りの声を上げていた。野党は「衆議院」で一切の予算審議に応じず、年度末を過ぎて4月下旬まで国会は空転した。それでも国民は野党の審議拒否を支持した。それ程の国民の怒りがなければ「3月決戦」は無理である。だから「3月決戦」はないと私は当初から思っていた。

 しかも衆議院の三分の二を押さえられていれば、参議院でどんなに頑張っても60日後には再議決される。だから政府を解散や総辞職に追い込むには89年のように衆議院で徹底した審議拒否をするしかない。しかし与党が三分の二を有している衆議院で徹底した審議拒否などできるだろうか。また参議院で問責決議案を可決して解散に追い込むような話もあるが、可決したとしても参議院が空転するだけで衆議院には影響しない。それでは解散も内閣総辞職にもならない。その事を今回改めて確認した。

 つまり解散や総辞職に追い込むには他の要素が必要になる。国民の巨大な怒りとか与党内部の分裂である。それもないのに「解散に追い込む」とか「決戦だ」というのはそろそろ止めた方が良いかもしれない。「狼少年」のそしりを免れなくなる。むしろ民主党が反対の法案は成立しないことを与党も国民も身にしみた。だからそのことを最大限に利用した攻め方を考えるべきだと思う。

 現状で与党が最も力を入れ常に狙っているのは民主党の分断である。参議院民主党から17人の造反が出れば、内閣支持率が1%になったとしても与党の勝利になる。だから与党は陰に陽に民主党議員に造反を働き続けているはずだ。今回の道路問題の最大の注目点もそこにあった。結果は2名の造反だった。当初は執行部の方針に反対する署名が17人を越えたと言われていたが、実際に行動を起こした数はそれより随分少なかった。そうなると与党は参議院民主党に対してこれまで以上に造反を呼びかける事になる。また9月に予定される民主党代表選挙で小沢代表の再選をいかに阻止するかにも力を入れるはずだ。与党にとっても野党にとっても分断工作がこれからの死活問題となる。

 そして今国会で他力本願手法をとった福田総理には国会が終わると他力本願の機会は失われる。閣議決定は認めても党の総務会決定に持ち込ませない道路族に対し、今後はどのような手法で「道路財源」から「生活財源」を奪い取ろうとするのか、そこらがこれからの見所となる。

2008年5月 5日

政党政治は権力を握れるか

 権力は必ず腐敗する。これは否定できない真理である。だからいつか権力は交代させる必要がある。しかし自ら進んで交代する権力はない。最後の最後までその地位にしがみつく。そのため政権末期の政治は惨憺たるものになる。惨憺たる政治になる前に交代させるには国民の先見性が必要だが、権力にはメディアを操作して国民を惑わす力があるからそれもなかなか容易でない。

 戦後の「55年体制」は、与党の自民党が官僚と一体化して権力基盤を強化したのに対し、野党の社会党は与党から権力を奪う事を断念し労働組合的役割に徹することにした。社会党は選挙で議席の過半数の候補者を擁立せず、そのため国民がどんなに野党に投票しても権力は交代しない。せいぜいお灸をすえる程度である。むしろ権力交代に見えたのは自民党内の派閥抗争による総理の首のすげ替えである。メディアは自民党総裁選挙を国家的一大イベントに仕立て上げ、投票権を持たない国民がそれに一喜一憂した。誠に奇妙な光景だがそれは今でも続いている。

 政権獲得を目指さない野党は楽だ。国家運営の政策を作る必要がない。役割は与党が出した法案を修正するだけである。そのため社会党は専ら国会運営に力を入れた。一方で官僚と一体化した自民党も政策は基本的に官僚任せである。日本で議員立法が少ない理由がここにある。例外は田中角栄元総理で一人だけ突出している。最近話題の道路特定財源をはじめ33本の法案を議員提案して成立させた。共同提案など間接的なものまで含めると100本を越えると言う。しかしほとんどの議員は議員立法なんか関係ない。霞が関が作った法案を承認するだけである。日本では行政府が法案を作り立法府が法律に仕上げる。立法府はまるで行政府の下請けである。

 1月から始まる通常国会は3月末までは予算審議に集中する。予算があがるまで他の委員会は開かれない。予算委員会には全大臣が出席し、他の委員会で議論すべき問題も全てそこで扱われる。異常なまでの偏重ぶりだが、予算委員会を裏で仕切っているのはGHQによって戦後日本統治の中核に置かれた旧大蔵省(現財務省)である。質問と答弁を作るのも委員会運営のシナリオを作るのも大蔵省で、何故か最初の2日間はNHKがテレビ中継する。予算委員会しかテレビ中継しないから国民はそれを国会だと思い込む。この仕組みはこの国の立法府が大蔵省(現財務省)の掌にある事を象徴していると私は思う。

 予算委員会しかテレビ中継しないため野党はそこで国民受けを狙う。「爆弾男」と呼ばれる議員が大声を張り上げてスキャンダルを追及し審議は必ずストップする。それによって予算の中身が詮索されないのは大蔵省にとって都合がいい。スキャンダルで与野党がぶつかり合うのも官僚にとっては都合がいい。政治は「相も変わらずスキャンダルまみれ」の印象を国民に与える事になる。日本を支えているのは国民に選ばれた政治家よりも官僚と財界だ。それをメディアに宣伝させる。記者クラブで官僚組織に洗脳された記者たちは「政治を批判するのがジャーナリズム」と思い込み、政党の「党利党略」を徹底的に批判する。

 国会でスキャンダル追及に血道をあげるのは愚かだと私も思う。しかし「党利党略」という批判は的外れだ。アメリカでもイギリスでも政党政治はみな「党利党略」だ。それを否定したら政党政治など成り立たない。しかし官僚支配が長く続くこの国では政党がいかにも汚れているようにメディアは報道し、何かにつけて「党利党略」、「私利私欲」、「利益誘導」、「金権腐敗」などのレッテル貼りが行われる。国民が選挙で選ぶ政党政治をメディアは常に批判する。まるで戦前の政党政治批判が今だに続いている。

 審議が止まると裏舞台で与野党の国対政治が始まる、あらゆる法案が取引の対象となり、議論をしないうちから「成立」か「継続」か「廃案」かの方針が決まる。審議が再開されると方針通りに法案は処理される。それが当たり前になったとき、さすがに与野党の中から疑問の声が上がってきた。議論もせずに法案を成立させて日本の将来は大丈夫か。折りしもリクルート事件が起きて政治はスキャンダルまみれとなり、「55年体制」の歪みをどう正すかを政治家たちは考え始めた。

 同じ頃、経済大国になった日本を世界もおかしいと思っていた。何故日本経済が強いのか、それを分析すると企業の後ろに官庁がいて政治もそれを後押ししている。政官財癒着の構造である。日本は資本主義の顔をしているが実は資本主義でない。まるで国家社会主義そのものだ。そこから「日本異質論」が叫ばれた。日本との交渉に業を煮やしたアメリカ政府は遂に「日本の諸悪の根源は大蔵省、通産省、それに東大赤門」と喝破した。

 問題の根源は官僚と自民党が一体化して権力が肥大化し、官僚にも自民党にも腐敗が蔓延した事にある。万年与党体制を改めて政権交代可能な政治にすることが急務とされ、小選挙区制の導入が検討された。しかし私は選挙制度の改革だけでは不十分だと思っていた。この国の官僚支配は選挙制度を変えるだけで解消するほど生易しいものではない。140年間の支配構造は国民の意識の隅々にまで刷り込まれている。

 国権の最高機関と言われる国会が行政府の下請けだと指摘したが、国会議員にとって霞が関ほど頼りがいのある所はない。政策を考えるための情報は全て霞が関に揃っている。それを上回る組織は日本中どこにもない。情報源が一つしかなければそこと喧嘩など出来ない。また霞が関は政治資金の面でもありがたい。企業は監督官庁の言うことなら何でも聞いてくれるから、パーティ券もさばいてもらえる。その上選挙の票まで頂ける。地元の陳情を受け入れて「○○先生のお陰ですよ」と言ってくれれば選挙民は大喜びだ。だから霞が関には逆らえない。逆らえば落選の恐れが出てくる。

 官僚支配を崩すため霞が関と喧嘩しろと国会議員にけしかけても、なかなか出来ることではない。誰かさんのように喧嘩をするポーズだけとって裏で手を握ることになりかねない。それに霞が関を批判して力を弱めさせてもそれが国民のためになるのか疑問である。大事な事は霞が関の足を引っ張るよりも立法府を国権の最高機関にふさわしい権力に育て上げることだ。国会はいつまでも行政府の下請けでなく自立した本来の立法機関になるべきだ。そのためにはまず霞が関の情報に頼らずに立法できる体制を作ることである。国会と政党が独自の情報収集機能を持つことである。

 ベトナム戦争に敗れたアメリカは深刻に敗因を分析した。議会には国防省とCIAの情報を鵜呑みにして戦争突入を認めてしまった苦い思いがある。そこから議会は行政府とは別に自らも情報収集機能を持つ事を考えた。立法のための調査担当部局を増員し、800人規模の研究者を擁するシンクタンクを作った。議会調査局(CRS)と言う。日本の国会は戦後GHQによって作り変えられたからアメリカ議会のコピーである。同じ部局が調査立法考査局の名称で存在する。その人員は150人規模だが、これをアメリカ議会並みに増強する事はその気になれば出来るはずである。

 国民が一人当たり250円負担している政党助成金は当初政党のシンクタンク機能を拡充するためと説明されていた。それが議員たちに山分けされてしまっている。どうも情けない限りだが、国会が官僚政治から脱却し政党政治に権力を取り戻すためには是非とも政党のシンクタンク機能を充実させてもらいたい。国会議員はこれからは霞が関が集めた情報だけでなく、国会、政党、それに民間のシンクタンクが集めた情報を多角的に活用して立法作業に従事すべきである。そうしないと世界最先端の高齢化社会に向かっている日本が世界のモデルになることなど望めない。

 かつて小泉総理は官僚政治から脱却するため内閣機能の強化と称して財政諮問会議を活用し、安倍総理も同様の理由で総理補佐官の数を増やした。しかし私はそんな程度のことで官僚政治からの脱却など出来るはずがないと当時のコラムに書いた。なぜなら財政諮問会議も総理補佐官も所詮は霞が関の情報に頼って活動するしかないからである。官僚政治からの脱却を本気で口にするならば内閣機能の強化よりも国会機能の強化を真剣に考えるべきである。

 昨年の選挙で初めて野党が国会の一院を押さえ、この国の権力構造に大きな変化が生じた。国会に2つの権力が生まれ、法案が政府与党の思い通りにはならなくなった。これは大袈裟に言えば118年間の議会政治にとって初めての事態である。そのために手探りの政治が始まり、メディアは「政治の機能不全」と嘆いている。しかし明治からの政官攻防史をひもといてみれば、日本の政治はやっと坂本竜馬の理想の入り口に立つことになったと見ることも出来る。何も嘆くことはない。むしろ立法府を本当に国権の最高機関にするための第一歩を踏み出せば良いのである。

2008年5月 2日

政治に権力はあるか-政官攻防史をひもとく

 日本の最高権力者は内閣総理大臣とされる。内閣総理大臣には選挙で国民の過半数の支持を得た政党の代表が就任する。従って国民の選挙で政治権力は交代するはずである。ところが日本国民はかつて一度も選挙による権力の交代を経験した事がない。

 先進民主主義国で政権交代は当たり前である。お隣の韓国や台湾でも政権交代は行われている。しかし日本では行われた事がない。その上この20年ほどは内閣総理大臣が最高権力者であるのか疑わしい政治も続いてきた。一体日本の権力はどこにあるのか。我々の選挙によって権力は交代するのか。それを考えてみる。

 近代議会政治が日本に始まったのは118年前のことである。長く鎖国をしてきた東洋の島国が言論で事を決する制度を一世紀以上も前に導入したのは奇跡だと言われている。議会政治の導入を構想したのはあの坂本竜馬で、大政奉還後の政治体制を起草した「船中八策」に、「上下議政局を設け、議員を置きて・・・万機公議に決すべき」と書いた。これが明治政府の基本方針である「五箇条のご誓文」の第一条に「広く会議を興し万機公論に決すべし」と盛り込まれる事になる。

 明治新政府はスタートに当たって立憲政治を宣言したかに見える。しかし倒幕の中心だった薩長は藩閥政府を作って政治権力を独占し容易に議会の開設を認めなかった。民選議会を求める自由民権運動は政府によって弾圧された。後に明治政府の外務大臣を務めた陸奥宗光は海援隊で坂本竜馬の腹心だったが、竜馬を敬愛し議会政治を理想としたため官僚政治を主導した大久保利通と対立し投獄された。大日本帝国議会が開設されたのは明治政府が誕生してから23年も後の事で、既に政治権力は天皇を後ろ盾とする官僚に握られていた。以来日本の政党政治は絶えず官僚政治に挑戦するが連戦連敗を繰り返す事になる。

 江戸の左官屋の息子に生まれた星亨は英語を学んで英語教師となるが、維新後は陸奥宗光の推薦で明治政府の役人となる。星は役人を務めながらも藩閥政治を批判し、衆議院議員に立候補してついには衆議院議長になる。第4次伊藤内閣では逓信大臣を務め、積極財政で地域への利益誘導を図るなど辣腕を振るうが、官僚の側から「金権政治家」のレッテルを貼られて明治34年に暗殺された。

 盛岡藩士の家に生まれた原敬は新聞記者を経た後に外務省に入り、陸奥宗光に重用されて外務次官になるが、その後立憲政友会に入って政界に進出、大正7年に内閣総理大臣に就任した。爵位を受けることを終生拒んだため「平民宰相」と呼ばれる。原の総理就任により日本で初の政党内閣が組閣され、官僚政治に対抗する政党政治がようやく権力を握ることになった。このように日本は天皇を後ろ盾とした官僚支配が続く一方で、大日本帝国議会を拠り所とする民主主義もまた着実に前進し、大正デモクラシーが花開くのである。

 原敬は地方の鉄道建設に力を入れるなど積極政策をとる一方で官僚と激しく対立し、官僚派の拠点である貴族院の分断を図ったため「党利党略の政治家」、「金権腐敗の政治家」のレッテルを貼られ、大正10年に東京駅頭で暗殺された。死後資産を調べたところ私財を蓄積した形跡はなかったという。
 「党利党略」や「金権腐敗」などの政治家批判は最近でもマスコミが好んで使うが、明治以来の官僚政治が強力な政党政治家の台頭を恐れて使った言葉である事を国民はよくよく認識する必要がある。

 大正デモクラシーの後、日本の政党政治は冬の時代を迎える。ロシア革命を契機に国内に国家社会主義が台頭し、日本は軍部が力を持つ全体主義への道をたどる。昭和7年の5・15事件によって原敬以来の政党内閣に終止符が打たれ、その後は軍人内閣が続くことになった。官僚の中にもソ連の計画経済をモデルに国家管理を進める岸信介や平沼騏一郎など「革新官僚」が現れて経済は統制的色彩を強めた。昭和13年には日本を戦時体制に塗り替える国家総動員法が成立して日本は戦争への道を突き進む。

 昭和20年の敗戦によって日本はアメリカの占領下に置かれた。よく「戦前・戦後」と言って、戦前は民主主義にあらざる時代で戦後初めて民主主義が到来したかのように思われているがそれは大きな誤りである。日本の近代は「戦前・占領期・独立後」と認識すべきで、戦前にも民主主義が花開いた時代はあり、占領期や独立後の日本の民主主義が本当に西欧の民主主義と同じであるかは疑問である。

 占領期にアメリカは「民主化」の名の下に様々な改革を行った。軍部や財閥は解体され、政党政治が復活した。しかし力のある政治家は公職追放で直ちに政界には復帰出来ず、アメリカが占領期の7年間に日本統治に利用したのは官僚だった。戦前の内務省は解体されたが、財政と金融を司る大蔵省が日本統治の中核に据えられた。占領期には絶対王政にも似た権力をGHQが握り、情報は厳しく統制され、マスコミには寸分の批判も許されず、権力の執行機関としての官僚組織は絶大な力を持った。

 野口悠紀雄一橋大学名誉教授がいみじくも指摘しているように、日本の官僚はアメリカの占領政策の下で実は戦前の国家総動員体制を少しも変えることなく、戦時下の統治構造を残すことに成功した。従って戦後の日本にはかつて国家社会主義を目指した革新官僚の思想と戦争のための総動員体制の仕組みが残ることになり、それらが戦後官僚支配の構造を支えている。マスコミと権力との関係も変わったように見えて本質は変わらず、戦後の国民は官僚の情報操作の下に置かれることになる。つまり歴史上最も政党政治が押さえつけられた時期の統治構造が民主主義の装いを凝らして今なお生き続けているのである。

 しかも前回指摘したように、この時期には議院内閣制という英国型の政治体制と議院内閣制とは全く異質なアメリカ型の議会制度が接ぎ木され、それがその後の日本の民主主義に大きな混乱をもたらすようになる。

 昭和21年に新選挙法による衆議院選挙が行われて政党政治は復活した。しかし占領期に権力を握っていたのは政治ではなくGHQのアメリカである。それでは独立後に政治は権力を奪還できたのか。独立後の政治体制とは自由民主党と社会党の二大政党によるいわゆる「55年体制」である。これもまた世界に類例のない奇妙な政治体制であった。野党である社会党は野党でありながら権力奪取を求めず、与党に対する異議申し立てだけに専念した。一方で自民党は明治以来の政党政治が目指してきた官僚政治との対決をやめて官僚政治と一体化した。こうして明治以来政党政治を弾圧してきた官僚政治が政党政治の衣をまとい、政権交代のない二大政党制が「民主主義」の衣をまとって確立された。

 この奇妙な「民主主義」によって日本は世界が目を見張るような経済成長を成し遂げる。政治と官僚と財界が一体となったまさに「戦時体制」によって日本は世界第二位の経済大国に上り詰める。戦前に国家社会主義を目指した革新官僚の思想は戦後に受け継がれ、それが見事に花開いたことでソ連や中国からは社会主義の成功例として絶賛された。
 しかし成功の陰には必ずひずみがある。経済大国になると同時にこの奇妙な「民主主義」の矛盾が次々に噴出し、一体化したはずの政党政治と官僚支配の間にも亀裂が入るようになった。国民は政治の閉塞感をひしひしと感ずるようになり、「政治改革」が叫ばれるようになるのである。(続く)

お知らせ:
5月12日(月)開催予定の「銀座田中塾」は
定員オーバーとなりましたので締め切りましたが、
26日(月)午後6:30~8;30まで
同じ内容で再度「銀座田中塾」を行うことになりました。

参加御希望の方は
電話03-5541-2070
Email:morim-p@gol.com
でお申し込みください。

参加費
2500円(軽食・飲み物)
会場
東京都中央区新富1-16-6
新富町営和ビル5F
銀座モリギャラリー

「なんで日本はおかしな国になったのか」を
参加者と一緒に考える会です。


 

Profile

田中良紹(たなか・よしつぐ)

-----<経歴>-----

1945年宮城県仙台市生まれ。
1969年慶應義塾大学経済学部卒業。
同年(株)東京放送(TBS)入社。
ドキュメンタリー・デイレクターとして「テレビ・ルポルタージュ」や「報道特集」を制作。また放送記者として裁判所、警察庁、警視庁、労働省、官邸、自民党、外務省、郵政省などを担当。ロッキード事件、各種公安事件、さらに田中角栄元総理の密着取材などを行う。
1990年にアメリカの議会チャンネルC-SPANの配給権を取得して(株)シー・ネットを設立。
TBSを退社後、1998年からCS放送で国会審議を中継する「国会TV」を開局するが、2001年に電波を止められ、ブロードバンドでの放送を開始する。
2007年7月、ブログを「国会探検」と改名し再スタート。

BookMarks

日本初の政治専門チャンネル!
↓ ↓ ↓
国会TV
http://kokkai.jctv.ne.jp/

-----<著書>-----


『裏支配─いま明かされる田中角栄の真実』
2011年1月、電子書籍


『メディア裏支配─語られざる巨大マスコミの暗闘史』
2005年3月、講談社

-----<編書>-----


『憲法調査会証言集─国のゆくえ』
2004年7月、現代書館

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