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2008年4月25日

「接ぎ木民主主義」を認識すべき時

 「ねじれ」国会の惨状に悲憤慷慨して、「政治を見るのも嫌」になったり、「一面的な政治報道に嫌気」をさす人が増えているという。
メディアが毎度伝えているのは「まるで指導力の無い総理と何でも政局に絡めて政治を停滞させる野党党首という図式」だから、そういう目で見れば「政治を見るのも嫌」になって絶望するのは当然である。
しかし「誰が総理になっても指動力を発揮できず」、「誰が野党党首でも政治は停滞する」としたら、国民の政治に対する見方も変わるのではないか。「一面的な政治報道に嫌気」をさす人も増えているというから、メディアとは異なる政治の見方を提示して絶望から救う必要がある。  

 これまで与党が衆参両院で多数を占めてきたために表面化しなかったこの国の奇妙な政治制度が「ねじれ」によって顕在化してきたというのが、昨年の7月29日以来私がコラムで書き続けてきたことである。福田総理や小沢民主党代表が特別に駄目な政治家であるわけがなく、この国の奇妙な政治制度から「国民が嫌になる」政治が導き出されている。その意味で「ねじれ」はわが国の政治制度を再度認識してみる絶好のチャンスである。
 

 戦前の日本は世襲の君主を戴く立憲君主国として日本とよく似た英国の政治制度を取り入れた。英国の制度は国民が直接首相を選ぶのではなく、議会が首相を選ぶ議院内閣制で、議会は世襲の貴族院と選挙で国民から選ばれる下院との二院制である。さらに英国議会は委員会でなく本会議で議論を重ねる本会議中心主義をとっている。大日本帝国議会もまた世襲の貴族院と選挙で選ばれる衆議院の二院制を採用し本会議中心主義の議会運営を行った。戦前の日本は立派に英国型民主主義制度の国だったのである。

 ところが敗戦後のアメリカによる占領支配の中で民主化の名の下に日本の議会は大きく変えられた。議院内閣制をそのままにしながら、貴族院が廃止されて参議院となり、本会議中心主義から委員会中心主義に変わった。その仕組みは大統領制をとるアメリカ議会と良く似ていて英国議会とは似ても似つかない。つまり英国型の議院内閣制という原木に大統領制をとるアメリカ型の議会制度が「接ぎ木」されたのである。

 英国型の民主主義を大雑把に言えば、国民は選挙で政党の政策を選ぶ。「候補者は豚でも良い」と冗談で言われるほど、誰が候補者かは関係ない。選挙で候補者の名前を連呼することなどない。選挙運動とは党のマニフェストを理解させるための運動である。だからマニフェストが極めて重要な意味を持つ。候補者は党のマニフェストに縛られ、議員になれば党議拘束がかけられる。その結果国民の多数から支持された与党の政策はその通りに遂行されることになり野党は妨害などしない。妨害すれば民意を無視した反民主主義的行為と見なされる。野党に出来る事は与党の政策を批判することである。毎週水曜日の午後に行われる30分間の「クエスチョンタイム」で政策論争をし、次の選挙のマニフェストを作成して国民に支持を訴える。

 ところがアメリカ型民主主義はこれとは全く異なる。大統領は国民から直接選挙で選ばれるが、議員もまた選挙で選ばれる。大統領が所属する政党と議会の多数党が異なるのは毎度のことで、そこで議員に党議拘束などかけたら政治は全く機能しなくなる。だからアメリカの政治にはマニフェストも党議拘束も無い。選挙で選ばれるのは政党の政策ではなく候補者個人である。候補者は自分が選挙区のためにどれほど貢献するかを訴えて競い合う。こうして選ばれた議員は党には縛られずに自らの考えで投票する。民主党議員が共和党大統領の政策を支持することなど日常茶飯事である。法案は委員会に付託されて議論を重ね本会議で採決されるが、党議拘束が無いから投票結果は最後の最後まで分からない。大統領は反対党の議員に電話をかけまくって支持を求める。委員会中心主義の議会運営は法案を成立させるかどうかで駆け引きを繰り広げ、法案を成立させないための審議妨害も行われる。議会と大統領とが対立して政治が機能しなくなるのを避けるため大統領には議会に対する拒否権も与えられる。これがアメリカ型民主主義の政治である。

 英国型もアメリカ型もそれぞれに首尾一貫していると思うが、その「接ぎ木」である日本の政治制度は「接ぎ木」であるが故の矛盾に満ち満ちている。最近は日本でもマニフェスト選挙などと言うから英国型の選挙が行われるかと言えばまるで違う。候補者の名前を連呼して個人を売り込み、選挙区へのサービスを訴えるというまるでアメリカ型の選挙である。ところがそのアメリカ型の選挙で当選した議員が国会に行くと一転して党議拘束に縛られて個人の意思は無視される。それでは党議拘束があるから英国のように与党の政策がすいすい通るかと思えば、委員会中心主義の国会運営はそうはいかない。野党は法案ごとに徹底的に抵抗して審議妨害を行い成立を阻もうとする。国会運営はアメリカ型であって英国型ではない。

 しかも日本の国会には英国型ともアメリカ型とも異なる会期制がある。通常国会と臨時国会をあわせても国会が開かれるのは1年間に200日程度である。会期中に成立しない法案は廃案になる可能性があるから野党が物理的抵抗を行って廃案を目指すのも理屈の上からは分からなくもない。因みに英国の議会は1年間、アメリカでは議員の任期である2年間が1つの会期である。

 その上でもっと問題なのが日本の二院制である。英国は世襲の貴族院と選挙で選ばれる下院からなるが、国民の代表である下院で決まった事が議会の決定となる。貴族院には実質的な権限がなく事実上の一院制と言っても良い。
これに対してアメリカの二院制はいずれも選挙で選ばれるが下院が人口に比例して小選挙区から選ばれるのに対して上院は各州から2名が選ばれる。下院は国民の代表であり上院は州の代表という事になる。二院の役割も異なり下院は予算と関連法案について優先権を持ち、上院は条約の批准承認権や大統領が指名した人事案の承認権を持つ。つまり上院と下院は全く異なるものを代表し、異なる役割を持っているのである。二院の意味がはっきりしている。

 ところが日本の二院制は英国ともアメリカとも異なる特異な仕組みである。日本国憲法を作るに際して、アメリカは当初貴族院を廃して一院制にしようとしたが、日本側が巻き返して二院制を存続させ、議員を選挙で選ぶことを条件に参議院が創設されたという。この参議院が何を代表するものなのか、なかなか良く分からない。一時期は与党の議員に官僚出身者が多く、野党の議員には労働組合OBが多い傾向があった。しかし最近では「一票の格差」を訴える定数訴訟などの影響もあって次第に衆議院と変わらない国民の代表的な要素が強くなった。そうなるとますます二院の意味が分からなくなる。

 むしろ日本国憲法が、参議院で否決された法案は衆議院の三分の二以上の賛成がないと再可決されないという高いハードルを課したことから、参議院の法案採決を巡る権限が強くなり、時の政権は常に参議院の意向を尊重しないと政治が進まなくなる事に苦心してきた。そのため参議院は昔から「良識の府」ならぬ「政局の府」と言われてきた。かつて佐藤栄作総理は「参議院を制する者が政界を制する」と語った事がある。与党内で参議院の実力者を「天皇」とか「法王」と呼ぶ慣わしがあったのはそうした事情を物語っている。闇将軍と言われた田中角栄氏も参議院の多数を擁することで自民党を裏支配した。

 その参議院を野党に握られたらどうなるか。現状はたまたま衆議院で三分の二以上を与党が有しているから与党の顔をしていられる。しかし次の選挙で三分の二を失えば悲惨なことになる。過半数を失えば政権交代が実現するからまだ分かり易いが、過半数を取ってしまうと本当に困る。選挙でマニフェストに掲げた事が全て通らなくなる。伊吹自民党幹事長が「選挙で勝って政界再編の主導権を握る」と言っているのは、選挙で与党が過半数の支持を得ても再編に打って出ないと何も出来ない。だから自民党は自民党でなくなる方向を目指すという意味だ。選挙に勝った党がそれゆえに消滅するというのも変な話だが、それが日本政治の現実なのである。

 総理大臣在任最長記録を持つ佐藤栄作氏ですら「参議院を制する者が政界を制する」と言って、参議院の権限の強大さを認めていた。その参議院を野党に奪われた総理が通常の総理のように振舞えないのは当たり前である。参議院には解散が無いから選挙で問題を解決することはできない。指導力を発揮しようとすれば逆に墓穴を掘ることにもなりかねない。出来る事はじっと耐えて野党第一党である民主党の分断に力を傾けるだけである。

 一方の小沢代表は相手が選挙に打って出られない事は百も承知である。しかし周囲からは早期解散に追い込めとの期待がある。それを無視は出来ないから強硬姿勢を示しつつも分断工作にも備えなければならない。来年の秋までには必ず選挙があるが、選挙は政界再編と二重写しになる可能性がある。選挙で単独過半数を獲得する戦略と選挙後の再編に備えた戦略との二つの可能性を追求しなければならない。とても単純な道ではない。

 日本の政治は英国やアメリカが選挙で政権交代を繰り返すような単純な図式に当てはまらない。しかしそれもこれも私には日本の政治制度がもたらす特殊な民主主義の結果のように思える。そこを認識して今後の事を考えないとただただ絶望することになってしまう。そしてもうひとつ日本には果たして政治に権力が与えられているのかという別の問題もある。次回はそれを考えてみたい。

2008年4月18日

奇妙な政治を懸命に読む

 なんとも奇妙な政治が進行している。総理大臣がこれまでの主張を覆して道路特定財源の一般財源化に言及しても、それが政府与党の正式決定とはならず、またガソリン税の暫定税率が期限切れとなって日々税収が失われているのに、政府は極めて冷静で慌てる様子もない。口では困ったと言うが必死になって打開するそぶりを見せない。4月末の再議決が既定路線のように言われ、与野党から共に「決戦」の掛け声だけは上がっているが、どこにも緊迫感が感じられない。
 現在の政治は従来の常識では図れない「高等数学の世界」と言われているので、これまでの動きをもう一度整理して頭を冷やして考えてみたい。

 大前提は昨年の参議院選挙の結果である。日本の政治に二つの権力が生まれ、政府与党の思い通りにはならない状況が現れた。与野党に共通した政策しか実現できない構造である。言い換えれば選挙で掲げた党独自のマニフェストは通らない。予算も関連法案が通らないと執行できない可能性がある。人体で言うと血液の流れが止まるかもしれない状態に日本はある。

 その大事な予算関連法案の中で与野党の意見が対立する暫定税率が丁度今年の3月末で期限切れを迎えた。与党は暫定税率を10年間延長して道路建設を行う事が国民生活のためになるという立場。野党は暫定税率を廃止してそれを国民に還元する事が国民生活のためになるという立場である。双方が自説に固執すると血液の流れが止まることになる。

 暫定税率の議論は衆議院の財務金融委員会と総務委員会で2月22日から始まった。2つの委員会にまたがるのは暫定税率による税収が国と地方にまたがるからである。そしてもうひとつ2月22日に国土交通委員会で道路財源特例法案が審議入りした。これは暫定税率分を含む道路特定財源を今後10年間道路建設に充てるための法律である。この3つの委員会で法案が通らないと政府与党の方針は実現しない。

 財務金融委員会と総務委員会の法案は予算案と同じ2月29日に可決されて参議院に送られた。ところが国土交通委員会だけは法案の採決を見送った。これがこの政局を読み解くための鍵になる。つまり政府与党は暫定税率の再議決を4月29日以降と想定しながら、その税収分を道路建設に充てる法案の再議決時期をそれより先にずらしたのである。結果的に国土交通委員会の採決は3月12日となり再議決の時期は5月12日以降となった。

 政府与党が本気で道路特定財源と暫定税率を維持し、10年間で1万4千キロの道路を作り続けるつもりならこんな事はしない。そこから道路族とは異なる政府の狙いを読み解かなければならない。問題は道路族と野党の主張との間でどこに着地するかである。表向き衆議院優位と言いながら実は参議院に大いなる権力を与えている日本国憲法の下では、参議院を握った野党は強気である。一方で利権に生きてきた道路族は表の勝利を求めているわけではない。敵に勝利を与えながらどれだけ骨抜きにして利権を守るかだけを考えている。だから道路特定財源の維持、暫定税率の10年延長、道路中期計画の完全履行という表の看板は交渉の道具に過ぎない。そうした中で3月27日、福田総理は平成21年度からの道路特定財源の一般財源化に言及し、野党との修正協議を求める姿勢を示した。

 ところが奇妙なことに閣議決定と総務会決定という二つの機関決定はなされなかった。総理の個人的考えに過ぎないということになる。これでは野党は修正協議に応じられない。
これまでの政治の常識では暫定税率期限切れぎりぎりに党首会談がセットされ、混乱回避を大義名分に大胆な妥協が図られるのが普通だった。しかし今回はそれに見合う舞台装置が作られなかった。今回想定された大胆な妥協とは今年からの一般財源化と来年度からの暫定税率の環境税などへの移行である。それが落としどころになるというサインを双方は何度も発信している。しかし道路族との調整がつかないため機関決定が出来ない事態となった。こうして4月1日、暫定税率は期限切れとなる。

 暫定税率が期限切れとなる中での第二幕が始まると、メディアはこれで4月29日以降の再議決が確定し、その直前に行われる山口2区の補欠選挙の結果が事の帰趨を決めると騒ぎ出した。これは奇妙な話である。第一に4月29日以降の再議決とは参議院で野党が法案を否決しない事が前提になる。否決をすれば与党は速やかに衆議院で再議決が出来る。仮に与党内に再議決に造反する動きがあり、かつ山口2区の補選で野党が不利な情勢であれば、野党はさっさと法案を否決して与党にボールを投げた方が得だと考えてもおかしくない。そうでなくとも参議院で4月4日に審議入りした法案を4月29日まで採決しないと3週間以上も審議することになる。衆議院では1週間で採決した法案をそんなに引き延ばすのはおかしいと批判するのがいつものメディアではないか。また暫定税率の行方を300選挙区の中の1つの選挙民に委ねるというのもまともな考えとは言えない。それなのにメディアは誰かの操作に踊らされて一斉に同じ事を言い始めた。

 ガソリンの値段が下がった中での第二幕はどうなるか。日を追うごとに安い値段は既成事実化する。先に行けば行くほど再値上げに対する国民の反発は強くなる。その中で道路族の要求通りにするためには2度の再議決が必要となる。そう仕組んだのは政府与党である。野党のせいにしながらも状況を難しくしているのは実は福田政権なのである。そういう形でしか道路族を押さえる事が出来ないからだと思う。1度目の再議決をやるとどうなるか。ガソリンの再値上げで国民の怒りは爆発する。混乱も起きる。野党は問責決議案を提出して可決するかもしれない。とても2度目の再議決が出来る状況ではなくなる。

 1度だけの再議決の場合、税収は確保される。しかし2度目がないから道路に使うことは出来ない。道路は一般財源の中から必要と思われるところだけを作る話になる。道路族が主張してきた道路中期計画は大幅に変更される。これは財務省にとって思い通りのシナリオである。小泉政権のように総務会を強行突破し、抵抗勢力を追い出すような手法ではないが、結果として道路族を制圧したことになる。

 道路族は表向き制圧される。しかしおそらくその過程で道路を作り続ける事の確約を迫り、今度は一般財源の中からどれだけ道路に振り向けさせるか、裏の世界で力を発揮するようになる。それが保証されれば道路族も鉾を納める。これが想定される一つのシナリオである。しかし与党内の反道路族が強ければ再議決は1度目も出来ない。むしろ福田総理の提案を機関決定した上で民主党との修正協議に持ち込み、暫定税率廃止と将来の税制改正を与野党で話し合う仕組みを作ることになる。それも考えられるシナリオだと思うが、反道路族の声がいっこうに聞こえてこないのが現状である。

 昔の自民党なら今頃は若手議員が徒党を組んで執行部を突き上げ、様々な動きを見せていたと思う。良くも悪くもそれが政権政党の活力だった。ところが今ではそんな光景にお目にかかる事がない。若手政治家は驚くほどにおとなしくなった。若手政治家が声を張り上げている相手は党の執行部ではない。お笑いタレントを相手にしたテレビの中だけである。おそらく世界中どこの国にも無い光景だと思う。これも奇妙な政治の流れというしかない。

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 「銀座田中塾」第1回を開催します。
 日本は何でこんなにおかしな国になったのか
 みんなで一緒に解明していこうという会で
 月に1回行います。
 会費2500円(軽食・飲み物付き)
 申し込み先
 電話03-5541-2070
 Email:morim-p@gol.com
 先着30名限定です。
 会場:
 東京都中央区新富1-16-8
 新富町営和ビル5F
 銀座モリギャラリー 

2008年4月11日

政治の見方

 日々新聞やテレビを見ていると政治に対する見方がまるで私と違うのでなんとも絶望的な気持ちになる。私の理解が足りないのか、それともわが国のジャーナリズムが根本的におかしいのか。これまで随分とメディア批判をしてきたが、ここに再度私と新聞・テレビの見方の違いを列挙して、謙虚に批判を待ちたいと思う。

 まずわが国の新聞とテレビは極めて情緒的、感情的に政治を批判する傾向がある。庶民が政治に対して怒ったり嘆いたりするのは分かるが、「ジャーナリズムが一緒に怒ったり嘆いたりしてどうする」と私は思っている。少なくも政治に通じたプロならば、なぜ政治がこうなっているのかをその深層にいたるまで解き明かすことが使命であり、庶民と一緒に踊ってしまってはその使命を果たせない。

 例えば党首討論である。1月の党首討論で新聞とテレビは「がっかり」、「裏切り」、「拍子抜け」などあらん限りの表現で党首討論を批判した。それは自分たちが想定した党首討論と違ってちっとも福田総理と小沢民主党代表が衝突しなかったという理由による。「木戸銭返せ」と叫んだ評論家もいたが、党首討論はプロレスではない。

そもそも対決型でなければ党首討論でないという考えが私には分からない。政治が常に戦闘モードでいるわけではない。選挙になればそれは戦争だが、その手前で静かに策略を練る時もあれば、時には敵味方が協力モードに入る時もある。昔「楽しくなければテレビじゃない」と言って軽薄な風潮を生み出したテレビ局があるが、「対決しなければ政治じゃない」というのも決して世の中を良くすることにはならない軽薄な考えだと私は思う。

対決しない事を批判するよりもなぜ二人の党首がお互いをいたわりあう姿勢に終始したかを分析し、政治が今どのような状態にあるのかを解き明かすことがジャーナリズムの使命ではないか。そういう目で見れば「小沢代表と私の考えに変わりはない」という言葉を何度も繰り返した福田総理と、一方で海上給油問題やガソリンの暫定税率に触れずに年金問題だけを取り上げて激しく攻め立てなかった小沢代表から両者の置かれた状況とその後の戦略を読み取る事が出来るのである。しかしそうしたことに注目したメディアは一つもなかった。

 前回の党首討論を見る目がその程度だったから、今回もまた同レベルの情緒的な解説が溢れている。新聞には「やっと党首討論らしくなってきた」とか「権力の乱用だと激しく民主党批判」とかの見出しが躍っている。しかし私はそんな事よりもどちらが総理でどちらが野党の党首なのか、攻守入れ替わったようなところに今回の党首討論の面白さがあったと思っている。

 今回の討論では初めに小沢代表が福田総理の表明した道路特定財源の一般財源化が機関決定されていない点を質した。一般財源化が閣議決定も党の総務会決定もなされていないからである。つまり総理は道路族をまだ自らの手で制圧していないのである。しないまま暫定税率を期限切れにして「こうなったのは民主党の強硬姿勢のせいだ」ということにしている。その点を突いた。

 自民党総務会は全会一致が原則である。ところが郵政民営化の時に小泉総理は総務会を強行突破するため初めて多数決を採用した。それが自民党分裂の始まりになった。今回の道路でも全会一致だと総務会を通らない可能性がある。だから機関決定をしないまま野党との修正協議に持ち込んで、すべてを野党に押し切られた形にしようとしている。それは駄目ですよ。自分の手で党内を押さえてからでないと協議には応じませんよと小沢氏は言ったのである。

 総理は一応「やりますよ」と言いながらその話にはあまり触れたがらない。むしろ日銀総裁人事に話を移した。これは民主党を分断する格好の材料だから総理はなるべくこの話をしたい。そこで「誰を信用したらよいか正直翻弄されました」とか「権力の乱用です」などと小沢代表の強硬姿勢に反発する民主党内の勢力に向けたアピールを行った。さらに総理は「ねじれ国会」の現状についても、参議院で否決をせずにずるずる引き延ばす民主党の戦術について「時間がかかりすぎますよ」と文句を言い、「かわいそうなくらい苦労してますよ」と国民に同情を求める発言を行った。

 これが「民主党を激しく批判した」と言うことなのだろうか。それよりも「思うようにならない国会運営に嘆き節」というのが私の見方である。「青筋立てて怒った」という記事もあったが、私にはむしろ小沢代表に何とかしてくれとお願いをしているように聞こえた。福田総理のこれまでにない口ぶりに、小沢代表は苦笑するばかりだった。むしろ2兆6千億円の財源不足をどうするのかと福田総理が質問し、小沢代表が財源のありかを指摘したやり取りは、総理と野党党首の立場を入れ替えたようで、私などはそちらの方に注目した。それにしても新聞・テレビと私とではどうしてこんなに見方が違うのだろう。

 今回の党首討論のキーワードは「激しい民主党批判」ではない。「去年の参議院選挙の結果」である。小沢代表は「参議院で野党が過半数を頂いたという事は、予算編成も事前に野党と協議しなければ駄目だということだ」と発言した。「与党が一方的に予算を作って、衆参両院で多数を持っていた昔のように、とにかく早く通せというのはもう通らない。それを政府与党は全く理解していない」と言った。理解していないのは新聞やテレビも同じである。

 私が何度も書いてきたように参議院で野党に過半数を握られた政権はもうおしまいなのである。私が野党の肩を持って言っているのではない。日本国憲法がそうなっている。それがおかしいと言うなら憲法を変えるしかない。因みに私はおかしいと思っているのでこの一点だけでも憲法は変えるべきだと考えている。ともかく現状ではそれが「冷徹な現実」である。だから野党の協力が無ければ予算も通らないし、日銀総裁も決められない。全て事前に野党と協議して決めるしかない。つまり大連立と同じような状態にならないと政治は何も動かない。これが憲法が定めた日本政治の仕組みなのである。

 ところがそれをみんなが理解しない。民主党議員は「選挙だ。政権交代だ」と叫んで与野党対決にのみ目を奪われている。もうとっくに政権交代を手中にしているのだから選挙を叫ぶよりも政権の取り方と取った後の事を考えなければならないのに、それに気付いていない。衆議院選挙で単独過半数を得られずに社民党や国民新党との連立政権になれば、自民党はその分断を図ってくる。中選挙区制を打ち出して公明党だけでなく社民党や共産党を自分の側に取り込むつもりだ。民主党が単独過半数を獲得すれば、今度は徹底したスキャンダル攻撃を仕掛けると私は見ている。自民党はその材料を着々仕込んでいるはずである。その上霞が関を操縦するのも大変だ。それらを考えずに政権交代を叫んでみても短命政権に終わるだけで大した意味はないと私は思っている。

 もう一方で福田政権はもう持たないとメディアは後継総理を探している。「選挙に強いのは誰か」と騒いでいる。こうした動きも私にはさっぱり理解できない。選挙に弱い総理ならば民主党政権がスムーズに誕生して日本政治は困らない。自民党は民主党政権を倒す作業に取り掛かれば良い。しかし選挙に強い総理になると自民党は今よりもさらに紛らわしい状態に陥る。選挙に強い総理と言っても衆議院で三分の二は上回れない。戦争でも起きない限り自民党が三分の二を上回る事は難しい。

 すると自民党政権は再議決が出来ないから選挙でマニフェストに掲げた政策を実現する事が出来なくなる。ことごとく参議院で否決される。民主党が掲げたマニフェストも衆議院で否決されるから実現できない。直近の民意は衆議院だと言って自民党の政策に参議院は反対するなということにすると、参議院は要らないという話になる。誠に困った状態に陥る。全て与野党で事前協議するしかなくなるが、選挙に強い総理というのは国民の支持も高いだろうから易々と野党に妥協するわけにもいかない。むしろ福田総理のように柳に風で独自カラーを出さなかった総理の方が良かったという話になる。
私は福田総理はまさに参議院で過半数割れした状況にふさわしい総理だと思っている。そこがまた新聞やテレビと見方が全く違っている。

 マニフェスト選挙といえば、それが政治改革の本命だという人たちがいる。しかしこの国にはマニフェストが実現できない政治の仕組みが存在する。議院内閣制なのに国会だけは大統領制のアメリカと同じ委員会中心主義で、法案ごとに与野党がせめぎあう事になり、マニフェストの意義は薄れるようになっている。それなのにマニフェスト選挙を実現する議員連盟に107名も議員が集まり、全メディアがそれを評価している。これも私とは考えが違う。マニフェストの意義を発揮できない国会の仕組みを変える事こそが政治改革であり、マニフェスト選挙が政治改革であるわけがない

2008年4月 6日

財務省という権力のシナリオ

 暫定税率の期限切れによって福田政権は絶体絶命の窮地に追い込まれたとの見方がメディアに溢れている。なす術も無く窮地に追い込まれた福田政権を最悪の無能政権と見る向きもある。しかし自公政権の権力は既に昨年の7月29日にほぼ喪失したので、ここで窮地に追い込まれたかのような見方は当たらないと私は指摘してきた。むしろ今回の一連の動きを見ていると、福田総理は自らが置かれた立場を理解しており、自らを窮地に追い込むことで逆に活路を見出すシナリオを描いているように見える。そしてそのシナリオを書いているのは財務省だと私は思う。権力の中の権力と言われる役所が政治のシナリオに深く関わっている事情を説明したい。

 まずは繰り返しになるが政治の現状を整理してみる。参議院で過半数を失った与党は予算を通す事が出来ない。予算そのものは参議院で否決されても自然成立するが、歳入法案が年度末までに通らないと欠陥予算になり、通らないのと同じになる。これは財政を司る財務省にとって由々しき事態である。衆議院の三分の二で再可決が出来るというが野党が否決をしないと60日条項を使うしかない。従って年度末までに成立させるためには歳入法案を1月末に衆議院通過させなければならなかった。そのため通常国会をいつもより早く1月18日に召集した。しかし1月に歳入法案を採決すれば国会は与野党全面対決となって4月まで一切開かれなくなる可能性があった。民主党の言う「3月決戦」が現実味を帯び、福田総理は解散総選挙に踏み切らざるを得なくなる。

 それを回避するため福田総理は野党の要求を受け入れて道路特定財源の一般財源化と暫定税率廃止の方向を模索する腹を固めた。総理が修正に傾いたことで「3月決戦」はなくなった。しかし一方で総理は道路族、国土交通省、業界団体を敵にまわすことになる。小泉総理も制圧出来なかった既得権益との戦いである。どのように道路の権力と戦うか。その戦いのシナリオを道路特定財源の一般財源化を悲願とする財務省が書くのは少しも不思議でない。

 財務省は特定の目的に使われる税金を認めたくない。税金をどこにどう配分するかの決定権を握るところに財務省の力の源泉があり、財務省の裁量権が届かない特定財源には絶対反対である。これまで「福祉目的税」構想が何度も挫折して来たのもそういう理由による。
半世紀前に道路特定財源が実現したのは、田中角栄という天才的な政治家の力によるところが大で、それは日本の経済発展に大きく貢献した。しかしその後この財源は既得権益となり、財務省の手の届かないところで利権に群がる集団によって壮大な無駄遣いが行われてきた。

 今の国会ではその無駄遣いの実態が次々に明るみに出た。眉間にしわ寄せニュースキャスターなどは鬼の首でも取ったかのように「こんなにひどい無駄を見過ごしてきた政治と官の責任は重大だ」と叫んでいたが、それらの情報の出所を確かめた上で発言しているのだろうか。メディアが発掘した情報なのか、あるいは野党が調査をした結果なのか。中にはそうした努力の成果があるかもしれない。しかし私は権力の側が意図的に流すか、あるいは権力がそれとは知られぬように調査に協力しなければあれだけの情報が出てくる事はありえないと思っている。
 
 財務省の立場からすると道路特定財源の一般財源化は今年からでも実現したい。一方で暫定税率の廃止は認めても税収が減るのは困る。2兆6千億円もの歳入がなくなれば今年度の予算は執行できない。財務省にとって都合が良いのは、暫定税膣の廃止は来年度からにしてもらい、来年度から廃止になって減る2兆6千億円を消費税の値上げでカバーすることだ。2兆6千億円は消費税の1%に当たる。暫定税率を廃止して消費税の値上げを実現する。そこに財務省のシナリオの狙いがあるのではないか。福田総理はこのところ暫定税率に言及する時には必ず「消費税の1%」を入れるようになった。

 福田総理にすれば、このシナリオによって小泉総理も成しえなかった道路特定財源の一般財源化を実現して歴史に名を残す事が出来る。一方では民主党に暫定税率廃止の責任を負わせ、消費税1%値上げを民主党のせいにする事が出来る。もし民主党が消費税値上げにも反対すれば無責任な政党として「政権担当能力なし」のレッテルを貼る事も出来る。そんな高等戦術が暫定税率を巡る混乱の後ろにあるように思う。

 なぜ私がこんな見方をするかと言えば、これと良く似たシナリオを2004年の通常国会で経験したからである。小泉政権は年金改革法案を「百年安心プラン」と称して国会に提出した。しかし中身は国民の負担が増え、給付が下がるというもので国民の反発が必至の法案だった。これをどのように成立させるのか。私は国会運営を注目していた。

 まず当時の小泉総理は審議入り直前にテレビ朝日の「サンデー・プロジェクト」に出演し、「年金は一元化が望ましい」と発言した。年金一元化は民主党の年来の主張である。「それなら今の法案を撤回しろ」と民主党は反発する。審議は冒頭から空転した。しかしこれは法案の議論に入らせないための政府与党側の策略である。民主党はそれに乗せられた。1週間すると東京地検特捜部が社会保険庁の元長官を収賄容疑で逮捕した。野党は今度は社会保険庁の汚れた体質追及を始める。これで2週間が空費した。

 次に飛び出したのが3人の閣僚の年金未納問題である。民主党はこのスキャンダルに飛びつき菅代表は問題閣僚を「未納三兄弟」と呼んで激しく責任を追及した。私はこの情報の出所に疑問を持った。東京地検の逮捕と時を同じく出てきたスキャンダルに権力の操作を感じた。未納の事実を知りうるのは権力の側だけである。連日未納情報が小出しにリークされ、それにメディアはフィーバーした。眉間にしわ寄せキャスターの番組は未納政治家の顔写真をスタジオ一杯に並べ、キャスターは口を極めて政治家を批判した。誰も法案の中身などに関心を持たなくなった。

 小泉総理と外交問題で対立していた福田官房長官の未納が報道されると、福田氏はさっさと官房長官を辞任した。それを待っていたかのように菅民主党代表の未納がリークされた。そうなるとメディアはもう止まらない。みんなで菅氏の首にロープを巻いた。窮地に立った民主党は与党が提案する「三党合意」を受け入れた。「三党合意」は将来の消費税上げを民主党に飲ませるためのものである。この時私はこのシナリオを書いているのは財務省だと確信した。社会保険庁を潰して保険料の徴収業務を財務省の管轄にする。そして最大の狙いは消費税上げの片棒を民主党に担がせる事にある。このシナリオにメディアは完全に利用され、民主党も代表の首を取られた上に与党と財務省の手のひらに乗せられた。

 法案の中身だけを議論していけば国民の反対を強めさせ、廃案に追い込む事が出来たかもしれない。しかし年金改革法案は、スキャンダルの陰に隠れてしっかり成立した。未納政治家のリークの順番には明確な意図が感じられる。見事な権力側のシナリオであった。

 NHKの国会中継はなぜか予算委員会質疑の最初の各党一巡だけを放送する。予算委員会は数ある委員会の中の一つに過ぎないが特別扱いをされている。予算は全省庁にまたがるから国会を代表させる事が出来るというのが表向きの理由だが、外国で予算委員会を特別扱いしている例を私は知らない。お陰で国会は予算委員会の質疑だけだと勘違いしている国民も大勢いる。考えてみると予算委員会は財務省所管の委員会である。舞台裏では与党と野党の議員に財務省の官僚がはりついて質問と答弁を作っている。つまり国民は財務省が振付けた委員会だけを国会として見させられている。

 NHKが予算委員会しか中継しないため野党はその場を最大限に利用しようと最も効果的なスキャンダル追及を行う。予算の中身はほとんど議論されない。それは財務省にとって都合が良い。国民の注目を浴びることなく予算はスムーズに成立していく。一方で日本の国会はスキャンダル合戦となり、国民の意識に政治家がダーティな存在として刷り込まれる。それはまた政治家の力を相対的に弱め、官僚支配の継続を助ける。NHKが予算委員会の中継しかしない「慣例」は、この国の政治にいかに財務省が影響力を行使しているかの証左でもある。

 これまで政治改革を叫ぶ者は、選挙制度改革が第一だと言い、次いで官僚組織の改革を求めてきた。しかし結果としてこの国の官僚支配が少しでも変わっただろうか。必要な事は国会が官僚支配から脱することである。政治家が国会機能を強化して、独自の情報収集機能を持ち、独自の予算作成機能を持ち、そして行政監視機能を持つことである。そうすれば政治家が自分で政治のシナリオを書く事が出来るようになり本当の政治改革が始まる。

2008年4月 2日

追い込まれているのは誰か

 4月1日の午前0時を期してガソリン税の暫定税率が期限切れを迎え、製油所から出荷されるガソリンは1ℓ当たり25円値下げされることになった。値下げされたガソリンが店頭に届くまでには2,3日かかるのだが、ガソリンスタンドでは早くも値下げ競争が始まってメディアはその混乱ぶりを大きく取り上げている。

 こうした事態を福田総理が「政治のツケを国民にまわすことになった」と述べて謝罪したことから、メディアは口をそろえて「政治は機能不全」と大仰に騒いでいる。
その上で「再議決をためらうな」と主張する読売新聞と産経新聞、「解散総選挙で国民の信を問え」と主張する毎日新聞、「再可決して一般財源化の公約を果たせ」と主張する日本経済新聞、「どちらが有権者に説得力を持つか競い合うしかない」と何やら匙を投げたような朝日新聞と社説は各社各様だが、嘆きぶりは各社とも共通している。

 日銀総裁人事に続いて再び新聞の社説に異議を申し立てることになるが、我々が目にしている政治の現状は本当に「機能不全」なのだろうか。私にはそうは思えない。私には道路特定財源を一般財源化し、暫定税率を来年度から廃止するための政治プロセスにあると映っている。
おそらく認識の違いの第一は去年の7月29日の前と後で政治の構図が全く変わった事に気付いているかいないか、第二は与野党対立の裏側に実はもっと大きな対立がある事を知っているかいないかではないかと思う。

 何度も書いてきたが参議院で過半数を失った与党は、野党の協力なしには何も決める事が出来ないという「冷徹な現実」がある。従って予算を通すにも野党の協力は不可欠である。しかし平成20年度予算案は野党との事前協議なしに与党だけで作成された。だから野党が反対する道路特定財源、道路中期計画、暫定税率維持がそのまま国会を通らない事は政府与党も百も承知だった。修正は必ず必要になる。原案には修正のノリシロが付けられた。通常5年間で更新してきた暫定税率や中期計画の期間をわざわざ10年と長くしていざとなれば元の5年に戻すというノリシロである。

 これは野党から見れば「冷徹な現実」を軽く見た「ふざけたノリシロ」である。当然道路特定財源の一般財源化と暫定税率の廃止がなければ認めないことになった。しかし満額回答でなければ駄目と言うのも強硬すぎる。暫定税率に関しては20年度からの廃止にこだわらない姿勢を民主党は当初から見せていた。「ガソリン値下げ隊」が全国を遊説することも自粛した。国民に火がついて「今年からの値下げ」を止められなくなることを恐れたからである。

 これに対して福田総理は当初から野党の要求を受け入れるしかないと考えていた。しかしそれは道路族議員、国土交通省、関係業界を敵にまわす事になる。かつて一般財源化を声高に叫びながら小泉前総理は道路族を制圧する事が出来なかった。道路公団民営化をはじめ道路改革は全てが骨抜きにされた。当時の古賀誠道路調査会長が満足げな顔をしていた事を覚えている方も多いだろう。小泉前総理が成し遂げられなかった事をやらなければ予算は通らない。それを福田総理は覚悟していたはずである。

 敵は野党ではなく政府与党の側にいる。小泉前総理はその敵を「抵抗勢力」と呼んで戦う相手とした。しかし道路族のドンはいまや自民党執行部の重鎮の座にある。これを「抵抗勢力」と呼ぶ事は福田総理には出来ない。しかも7月29日以降の政府与党は野党の協力なしには何も出来ない。そこから出てくる答は一つである。野党に徹底して反対を貫いてもらい、やむなく要求を受け入れざるをえなくなって初めて小泉前総理が勝てなかった相手を黙らせる事が出来る。自分から民主党案を丸呑みは出来ないが、結果として丸呑みに近い形で決着する。そのためには誰もが仕方ないと思うほどの混乱が必要になる。

 それは狭い道である。しかし福田総理はその道を歩んでいると私には見える。郵政事業の既得権益と戦うために小泉総理は前代未聞の分裂選挙を仕組んだ。一か八かの賭けだったと思う。それほどに既得権益との戦いは大変である。何も知らないテレビのニュースキャスターは「政治家が議論を尽くせば世の中は正しい方向に動く」かの如く言うが、世の中がそうならば実は政治家なんか要らない。学者や評論家や教師が正論を唱えていけば世界は幸福になれる。しかしそうはならないから政治が必要で、政治家が権謀術数を尽くさなければ世の中は何も変えられない。不幸なことかもしれないがそれが人間社会の現実である。

 3月27日、福田総理は突然記者会見を開いて道路特定財源の21年度からの一般財源化に言及した。寝耳に水の自民党執行部は「殿、ご乱心」と叫んだと言う。翌日の参議院予算委員会で福田総理は「20年度に限り暫定税率を認めて欲しい」と発言し、暫定税率についても21年度から廃止する事を臭わせた。議場は一瞬どよめき、質問者の社民党福島みずほ氏は「総理の発言を重く受け止める」と答えて野党も妥協できる姿勢を示した。しかしその後の福田総理は一転して暫定税率維持を繰り返すようになる。私はあの発言を野党に対して腹の内を一瞬見せたサインだと思っている。

 それからの福田総理はまるで財務省の代理人のようだ。「暫定税率の2兆6千億円は消費税の1%に当たる」とか、「暫定税率と呼ぶかどうかは分からないが、税収を維持しないと教育や福祉がおろそかになる」などの発言を繰り返し、民主党の言うとおりに暫定税率を廃止した場合にはその代わりに消費税上げを認めろという口ぶりだ。そこらがこれから想定される党首会談の交渉マターになると思われる。

 最終決着の舞台となるだろう党首会談が実現するためには、民主党の中から「修正協議に応ずる事が必要だ」との声が上がらなければならない。小沢代表には大連立を民主党内から拒否された経緯があり、自分から「党首会談を受ける」とは言えない。今はひたすら強硬姿勢を続けるしかない。早期の解散総選挙に言及するなどの小沢代表の強硬姿勢は自民党内の道路族と反道路族との対立を強めさせ、間接的に道路族を押さえなければならない福田総理を助けている。

 しかし強硬姿勢は同時に民主党自身に対する批判も強めさせる事になる。そうなればすでに前原誠司前代表が表明しているように小沢代表に批判的な勢力は強硬姿勢に反対して「修正協議を行うべし」との声を強めることになる。それが大勢になれば小沢代表は党内から足を引っ張られることなく党首会談に臨む事が出来るようになる。

 半世紀続いてきた道路特定財源をやめる事も、30年間続いてきた暫定税率をやめる事も既得権益の側からすれば自分たちの生死を賭けた重大事である。彼らは小泉内閣以来死に物狂いの抵抗を続けてきたと思う。しかし今その既得権益が大きく後退せざるを得ないところまで追い込まれた。追い込まれているのは政治ではない。道路利権をむさぼってきた既得権益である。勿論一般財源化が実現すれば全て問題が解決されるわけではない。今度は違う形で生き残るための方策が考えられ、違う形の既得権益が生まれて来る。それは人間が生きている限り絶える事はない。だからまたそれを変えるために権謀術数を尽くす政治が必要になる。

 私は政治が常に正しい事を実現するとは思っていないが、あまりにも情緒的な政治批判を見るとつい文句を言いたくなる。今回メディアは政治を機能不全と決め付けたが、それを言うなら去年の7月29日からすでに機能不全に陥っていることに気付かずにきた自らの不明を恥ずべきである。
 また参議院で過半数を失った与党が幸か不幸か衆議院で三分の二を有している現状は、いくらマスコミが叫んでも、そしてそれが正論であろうとも与党が衆議院選挙に踏み切るはずがないことを知るべきである。与党が解散総選挙を決断するのはそれによって民主党が分裂し、参議院から17人が与党に合流する時だけである。

 さらに新聞が「予算関連法案を再可決しろ」と叫んでみても、それは全く現実味が無いことに気付くべきである。第一に予算関連法案を再可決すると、福田総理が表明した21年度からの一般財源化の方針と相容れなくなり、道路族は喜ぶが、財務省が怒ることになる。それによって与党内抗争が勃発する。またそれ以前に与党から17人が再可決に反対すれば三分の二は失われ、再可決そのものが出来なくなる。選挙の事を考えれば値上げに賛成したい議員はいないだろう。道路族のために落選したくないと思う議員は17人を上回るはずだ。さらに仮に財務省を押さえ、議員の造反を押さえても、実は予算関連法案の再可決だけでは暫定税率分の予算を道路建設に使う事が出来ない。そのためにはもう一本の法案の再可決が必要となり、それは5月13日以降でないと再可決が出来ない。だから新聞が「再可決をしろ」と言うのはほとんど無責任な主張なのである。そしてもっと理解できないのは再可決の時期を4月29日以降と見て、27日の山口2区の補欠選挙の争点になるとの解説まである事だ。そうなるためには民主党が参議院での法案の採決を29日まで行わずにずるずると引き延ばす必要がある。そんなことが可能だろうか。もっと早い時点で問題は決着するはずである。なんとも無責任な見方がメディアには溢れている。一体わが国のメディアはどうなっているのだろうか。

Profile

田中良紹(たなか・よしつぐ)

-----<経歴>-----

1945年宮城県仙台市生まれ。
1969年慶應義塾大学経済学部卒業。
同年(株)東京放送(TBS)入社。
ドキュメンタリー・デイレクターとして「テレビ・ルポルタージュ」や「報道特集」を制作。また放送記者として裁判所、警察庁、警視庁、労働省、官邸、自民党、外務省、郵政省などを担当。ロッキード事件、各種公安事件、さらに田中角栄元総理の密着取材などを行う。
1990年にアメリカの議会チャンネルC-SPANの配給権を取得して(株)シー・ネットを設立。
TBSを退社後、1998年からCS放送で国会審議を中継する「国会TV」を開局するが、2001年に電波を止められ、ブロードバンドでの放送を開始する。
2007年7月、ブログを「国会探検」と改名し再スタート。

BookMarks

日本初の政治専門チャンネル!
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国会TV
http://kokkai.jctv.ne.jp/

-----<著書>-----


『裏支配─いま明かされる田中角栄の真実』
2011年1月、電子書籍


『メディア裏支配─語られざる巨大マスコミの暗闘史』
2005年3月、講談社

-----<編書>-----


『憲法調査会証言集─国のゆくえ』
2004年7月、現代書館

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