権力が空白の13日間(2)
一方、小泉路線を支持するグループにとって安倍総理の自爆は大いなる誤算だった。安倍政権は小泉路線を継承する政権である。小泉グループはいわば主流中の主流であった。さらにいざという時のためには小池百合子氏を常に閣内に置いて後継とする構えを見せてきた。ところが小池氏は守屋防衛事務次官の更迭問題を巡って官邸と衝突、閣外に去ることになる。さらに麻生幹事長は就任と同時に反小泉の政治を行うことを宣言して安倍総理を取り込み、小泉支持勢力と敵対することになった。
そうした危機的状況にあって小泉支持勢力は総裁候補を立てることが出来なかった。最後の切り札となる小泉再登板も、それを求める署名が40名に満たず、情勢を見極めた小泉氏は福田支持を表明せざるをえなくなった。そのことで長年小泉氏を支えてきた飯嶋勲秘書は辞表を提出した。小泉氏はすでにかつての小泉氏でなく、参議院選挙の惨敗と安倍政権の自爆によって小泉政治も過去のものとなった。
自民党9派閥中8派閥に支持された福田氏が総裁選挙に勝利する事は初めから決まっていた。しかし対立候補が出なければ自民党は古い派閥政治に戻ったと批判される。総裁選は福田と麻生の一騎打ちを演出する必要があった。このあたりから自民党は本当にかつての本来の自民党の姿に戻って行くことになる。イデオロギーの政党でなく、野党と戦う政党でもなく、権力を維持する事だけを目的とした権力政党としての自民党である。
長年にわたって一党支配を続けてきた自民党の知恵は、決して政党としてのイデオロギーを前面に出さず、野党の要求を全て飲み込むことによって野党の存在を見えなくする所にある。しかもかつて村山政権を誕生させたように野党の党首を総理に担ぐことすらいとわない。それが自民党なのである。これまで権力を維持し続けてこられたのはそうした融通無碍のやり方にあった。
そのことを自民党総裁選で福田氏は早くも実践してみせた。福田氏が掲げた政治目標は、何と小沢代表が自民党を離党して以来掲げてきたのとまるで同じ「自立と共生」である。小沢氏は苦笑して見せたが、それはこれからの自民党が民主党と同じ主張をしていく事を暗示している。かつて社会党と連立を組んだ自民党である。今の民主党と同じ主張をするくらい何の不思議もない。
臨時国会で自民党との対立軸を作り、堂々の論戦を行うことで、早期に解散・総選挙に追い込もうとしてきた民主党は戦略の練り直しを迫られることになった。相手は大連立という目に見える形ではないが、大連立と同じように民主党の主張を全て飲み込もうと身構えている。安倍政権とは180度異なる対応をしなければならなくなった。
自民党との差別化を意識する余り左に寄りすぎれば、そこをつけこまれて国民の支持を失うことになる。安倍政権のように強行採決などの目に見える強硬戦術は決してやらないだろうから、民主党にとっては以前より厄介な国会運営を強いられる事になる。
23日に行われた自民党総裁選挙は福田康夫氏330票、麻生太郎氏197票という絶妙の票差で福田氏が勝利した。実に自民党らしい選挙結果である。福田氏は圧勝しなければならない。しかし麻生氏も善戦と言われなければならない。その微妙な線をそのとおりに実現して見せた。麻生氏が200票を超えれば麻生善戦の映りが強くなる。その少し手前で止めたところに神の手のような絶妙の味わいがある。仕組んでいるとは言わないが、小泉時代以前の自民党の選挙結果には必ずそう感じさせるものがあった。それが復活してきた。
24日に行われた党役員人事では意外な事が起きた。事前に幹事長と見られていた古賀誠氏が総務会長を打診され、それを蹴って選挙対策委員長に就任し、選挙対策委員長は党三役と並ぶ四役に格上げされることになった。総裁の指名を公然と拒否した例は珍しい。さらに驚かされたのは伊吹文明氏が幹事長に就任したことだ。誰もが首をかしげる人事であった。
古賀誠、伊吹文明、二階俊博、谷垣禎一の四氏が党四役の候補者だったとすれば、私の見立てでは福田氏の考えた幹事長は谷垣禎一氏、政調会長に伊吹文明氏、総務会長古賀誠氏、選挙対策委員長二階俊博氏だったのではないか。これならば重量級の配置でありながら、若い谷垣氏を幹事長という要職につけることでフレッシュさも感じさせる。
しかし幹事長を狙っていた古賀氏は総務会長に不満だった。幹事長に匹敵する役職になりうる選挙対策委員長を自ら望み福田総裁に飲ませた。それでは二階氏は不満である。しかし相手が先輩格の古賀氏であれば仕方がない。二階氏は不承不承総務会長に留任した。幹事長の谷垣氏には森元総理が反対した。かつては加藤紘一氏と共に森内閣に楯突いたことのある谷垣氏である。それを許す気にはまだなれない。こうして伊吹氏と谷垣氏が入れ替わり、消去法で伊吹幹事長が誕生した。
今回の四役人事は福田氏が古賀氏や森元総理に妥協を迫られたことになる。そのことが今後の政権運営にどのような影響を与えるか、そこは注目して見ていかなければならない。ただし安倍総理と違うのは人に相談しながらやった人事ではないと感じさせていることだ。人事は自分で考える、しかし他人の意見も取り入れて柔軟に対応する、福田氏はそんな人事を行う権力者だと思われる。
同じ日に行われた安倍総理の記者会見は、突然の辞任の原因が病気であることを世間に確定させるためのパフォーマンスであった。本人がそうだと言えば誰も否定は出来なくなる。これからは病気のせいで辞任したという話が定着することになる。しかし本人が必ず真実を語るとは限らない。歴史は本人が自分に都合の良いようにしか語らない事を教えてくれる。仮に病気が原因だとすれば、これからは何故、いつから病気になり、いつ辞任を決断したのかが追及されることになる。そうしたことに蓋をしたければ、いったんは政界から身を引き、世間からも身を隠したほうが賢明だ。国会議員を続ければ常に世間からもメディアからも監視され続ける事になる。それもかなりつらいことではないか。潔く議員辞職をしたほうが再び政治家として再生する道も開けると思うのだが、安倍氏にはそれとは異なる人生観があるようだ。
25日夜に行われた初の総理会見で、福田総理は自らの内閣を「背水の陣内閣」と命名した。自らの政治課題として政治の信頼を取り戻す事を真っ先に掲げ、年金と政治とカネの問題を優先すると言ったあたりに重心の低さを感じた。
安倍政権が終始攻めに徹して自滅したのとは逆に、福田政権は終始守りに徹する構えで、前国会とは攻守ところを変えた攻防戦がいよいよ始まろうとしている。13日間の政治空白で、日本政治は世界中にその脆弱性と異様さを見せ付けたが、168臨時国会の論戦によって是非信頼回復を図ってもらいたいと願うばかりだ。


