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2007年7月24日

ジャズ・ツアーで参院選を考える

 国会TVから身を引き自由の身になったところ、30年来の友人であるジャズ・ドラマーの中村達也から「一緒に旅に出ないか」との誘いがあった。今回は東北・北海道を演奏して回るという。出発は7月12日、帰京は29日と奇しくも参議院選挙と同じ日程である。考えてみれば国会TVの放送を始めてから9年間は旅行らしき旅行もしていない。永田町を離れて選挙を見ると何が見えるか、そんなことも考えてジャズ・ツアーに同行することにした。

 7月12日(木)、参議院選挙公示日の朝、ワゴン車に楽器を満載し、62歳のドラマー中村達也、63歳のピアニスト上野輝明、52歳のベーシスト原田和光と共に東京を後に最初の演奏地である山形県に向かう。東北道を福島飯坂インターチェンジで降り、山を越えて午後3時前に山形県川西町に到着した。その6時間の行程で1枚の選挙ポスターも1台の街宣車も目にしない。選挙は本当に始まったのかと思う。

 その夜演奏をするライブハウス「スペースジャム」はのどかな田園の中にぽつんと1軒だけあった。一体こんなところにジャズを聴きに来る人間がいるのだろうか。しかし私の心配は杞憂だった。夜8時の演奏時間になるとどこからともなく老若男女が集まり、小さなライブハウスは満杯になる。平均年齢59歳という高齢トリオだからテクニックは勿論抜群だが、エネルギーも半端じゃなかった。最後は聴衆がみな立ち上がって手拍子するなど演奏は初日から大いに盛り上がる。

 7月13日(金)、山形から国道13号線を秋田に向かって北上する。すると道路沿いには安倍総理の顔に「成長を実感に!」とコピーされたポスターが延々と立ち並ぶ。民主党の小沢代表の顔に「国民の生活が第一」と書かれたポスターもあるが、その数は10分の1ぐらい。自民党はまさに物量作戦だ。たまに「公明党がやりました」という文字だけのポスターも目にするが、多いのは自民党と民主党、それも数では圧倒的に自民党だ。「やはりカネの力の差かなあ」と考えてしまう。

 そのうち「成長を実感に」というコピーが日本語として何かおかしくないかという気になる。言いたいことは「私が成長を実感できるように改善します」なのだろうが、それを「成長を実感に」と表現するのはなんか変だ。それにこのコピーは国民に経済成長を感じさせることが出来ない「負い目」を表現しているようで、前向きなコピーとは思えない。
北海道では「比例代表も自民党」というポスターをよく見た。これもわざわざそう言わざるをえないところに、公明党との選挙協力の負の部分を見るようで、今回の自民党のポスターは自分たちの弱みを表現している後ろ向きのポスターだと思う。その上で最大の問題は、安倍総理の顔のポスターがいたるところ大量に張られているためまるで全体主義国家の独裁者のような感じになってしまっていることだ。数が多ければ良いというものでもないだろう。逆効果だと思った。

それに比べて民主党のポスターは、コピーも「国民の生活が第一」と「このままでは日本があぶない」の2種類があり、さらに文字のデザインも多様でポスターの種類が多い。道路を走破している側からみるとこちらの方が効果的だ。

午後3時前、秋田市内に入るが、街は静かで選挙の雰囲気はない。しかし安倍総理と小沢代表というトップがこの日それぞれ秋田市内に入って応援していたことを翌日の新聞で知った。それにしては市内で街宣車を見ることもスピーカーの声を聞くことも全くなかったのは何故だろう。

7月14日(土)、秋田市から東北の小京都と言われる角館を通り、奥羽山脈を越えて岩手県に入る。小沢王国と言われる岩手だが、出迎えたのは自民党鈴木俊一衆議院議員の「岩手に活力を!」というポスターだった。盛岡市内で昼食を取るが、ここも静かで選挙が行われている感じがしない。午後からこの日演奏を行う宮古市に向かう。宮古は人もまばらでいわゆるシャッター通りの町という感じだった。ここで初めて社民党のポスターを見た。「なくせ格差、つくろう安心、目指せ平和」の文字に福島党首が微笑んでいる。

「大型の台風4号が九州に上陸」とのニュースが流れた。被災者の方には申し訳ないが選挙中の災害は与党に有利になるものだ。逆風と言われる安倍政権だがもしかするとまだツキに見放されていないということか。

7月15日(日)、早朝宮古市を出て一路青森へ。青森市内で自民党と民主党の候補者事務所前を通ったが何も動きはない。フェリーに乗船して函館へ。函館も静寂そのものだった。本当に選挙はどこで行われているのだろう。

7月16日(月)、函館から伊達市に向かう。昼食を取るために立ち寄った函館本線森駅近くのラーメン屋で中越沖地震のニュースを知った。台風に続いて地震まで起きた。またまた与党に有利な状況が出てきた。安倍政権はこれを最大限に利用しようとするだろう。案の定安倍総理は選挙遊説を打ち切ってその日のうちに現地入りした。しかしこの地震で東京電力の柏崎刈羽原子力発電所で火災が発生したことが報じられる。原発事故が起きてしまえば災害が与党に有利という状況は一転する。政府与党に対する不信が増大して選挙は完全に不利になる。現実に放射能漏れが分かり、安倍政権にとって選挙を有利に運べるはずの材料があっという間にそうではなくなった。

7月17日(火)、伊達市から北海道を南から北へと縦断して日本海側の留萌に向かう。留萌では自民党も民主党のポスターも全く見ることはなかった。その代わり初めて9条ネットと新党大地のポスターを見た。街宣車にも初めて遭遇した。無所属の羽柴秀吉候補の車だった。留萌市長は故中川一郎衆議院議員の秘書だったと言うが、自民党も民主党もこの地はもう捨ててしまっているのだろうか。

寿司屋ではおやじが寿司を握りながら「小泉内閣で北海道出身の大臣が3人も誕生したけど、何もいい事はなかったね」と言った。テレビニュースで顔に絆創膏を張った赤城農水大臣の顔が映ると、勤め帰りのサラリーマンらしき男性が「無精ひげ生やした大臣なんて見たことねえな」とあきれ顔で言う。横にいた初老の男が「しかしあの実家は豪邸だねえ」と感心したように言った。そこでみんな黙り込んで酒を啜った。

この日のコンサートには市長も駆けつけ、地元のバンドとの競演で大いに盛り上がる。

7月18日(水)、留萌から旭川へ。真宗大谷派のお寺の本堂で檀家を集めてのジャズ・コンサート。中年のおばさんたちが元気だ。すぐリズムに乗って合いの手を入れてくる。

7月19日(木)、旭川から層雲峡、屈斜路湖、摩周湖を通って釧路湿原の標茶町へ。ホテルの庭での野外コンサート。旭川から4時間移動しただけで気温が32度から15度に下がる。寒い。聴衆はみんな手袋をしてコートにマフラー姿。おばさんたちが最前列に陣取ってここでも元気だ。乗ってくるとみんな立ち上がって踊りだす。あと5年ほどで日本は65歳以上が4人に1人の高齢化社会を迎えるが、この元気さを見ればそれほど心配しなくとも大丈夫か。民主党の女性町会議長が受付を務めていたが、ホテルの社長は自民党と民主党の板ばさみで選挙はつらいと嘆いていた。

7月20日(金)、釧路湿原を横断して帯広へ。「ランチョ・エルパソ」というレストランでのサマー・クリスマス・パーティ。主催者の社長は唯一帯広に残された「ばんえい競馬」を存続させるために何か知恵を貸して欲しいと言う。そして選挙の話になると「安倍さんは何でああなの。何でも強行し過ぎだよねえ。理解ができない」と言った。

私はテレビのニュースで安倍総理が拳を振り上げて演説する様を見て、何であんなに力を込めるのか不思議に思っていた。力を込めるのが似合う人と似合わない人がいる。安倍総理は全く似合わない。この人は「誠実にまじめに仕事をします」と言って、力んだりせずに淡々と話すのが最も似合っている。野党を批判するのもやらない方がいい。小泉前総理は野党よりも自民党を批判したから人気があった。野党を批判して喝采を送るのは根っからの自民党支持者だけで、無党派は離れていくだけだ。何故票を減らすようなことをするのかが分からない。そしてもっといけないのは「勝たせてください」などと国民にお願いをすることだ。まさに自らを負け犬にしてしまっている。国民は哀願するような総理に国政を任せる気にはならないものだ。

これまで安倍内閣の支持率を下げさせたのは、安倍総理自身の問題ではないと言われてきた。しかしここにきて国民が疑問を感じているのは安倍総理自身の資質に対してではないだろうか。選挙公示後各地を回ってみて、人は直接口にはしないが、とても冷ややかな目で安倍政権を見ているのが分かる。それが民主党への支持に直結するかどうか、それが最大のポイントだが、安倍総理が民主党を批判すればするほど、力めば力むほど民主党への支持が増えることになると思う。歯車はそのように動いている。何かとてつもないことでも起こらない限り、歯車の向きは変わらない。

新潟県中越沖地震の影響を受けて、ジャズ・ツアーも長岡、新潟でのコンサートが中止になった。そのため21、22日の札幌、23日の仙台公演を終えたところでいったんは帰京することになった。12日間の強行日程だったが体は疲れたと言うよりも爽快感でいっぱいだ。

2007年7月19日

選挙の予測は当たらない

マスコミの選挙予測がぴたりと当たることなどまずない。一つにはアナウンスメント効果と言って、選挙予測報道で不利とされた政党や候補者が実際の選挙では有利になり、逆に有利と報道されると不利になる傾向があるからである。報道を見た有権者に「判官びいき」の心理が作用するのである。だから候補者は「当選確実」と予想されるよりも「当落線上すれすれ」と報道されることを喜ぶ。

「当選確実」の二重丸をつけられると落選の可能性も出てくる。どんなに候補者が引き締めを図っても運動員に緩みが出る一方、支持者も安心してしまいどうしても投票しなければという気にならない。世界一の発行部数を誇る新聞社の政治部記者が、「上層部からの指示で落選させたい候補者の予想を実際の調査とは異なる二重丸に変えさせられた」と小声で教えてくれたことがある。落選させたければ新聞社は二重丸の予想をつけるのである。

しかしアナウンスメント効果には時として全く逆のことも起こる。有利だと伝えられると「勝ち馬に乗ろう」という心理が働いて、さらに多くの票を獲得する場合があるのである。

今回の選挙ではどのメディアもはじめから与党に厳しい予測をしているが、その危機感をバネに与党陣営は引き締まっている。与党が死に物狂いの選挙戦を展開し、反対に野党陣営が上滑りすると、予想とは異なる結果が出てくることになる。与党は予想より負けない。それとは逆に有権者が勝ち馬の野党に乗って、巨大与党が支配する衆議院に対抗する勢力を参議院に作ろうとすれば、与党は予想以上の大惨敗となる。どちらに動くかは選挙戦最終日まで何が起きるかを見極めないとわからない。

2005年の郵政選挙ではどのメディアも小泉総理が本気で自民党分裂選挙に打って出るとは思っていなかった。分裂選挙は自民党に有利なはずがなく、自民党は選挙に勝てないと言っていた。分裂選挙で民主党が漁夫の利を得るとも言われていた、しかし私はそれとは違う見方をしていた。歴史の前例を探してみると、分裂選挙は不利どころか有利に働いた事例があったからである。

私が注目していたのは1952年に行われた吉田茂総理による抜き打ち解散・総選挙である。サンフランシスコ講和条約によって独立を果たした日本が再軍備を行うかどうかで、自民党の前身である自由党は二つに割れていた。再軍備を主張していた鳩山一郎グループとそれに慎重な吉田茂グループとの対立である。暗に吉田総理の退陣を求める鳩山一派を排除するため吉田総理は8月28日に抜き打ち解散を強行した。

小泉総理も抵抗勢力を自民党から排除するため8月8日に解散を強行した。8月の解散というのは日本の政治史上この二例しかない。

自由党は赤薔薇組と白薔薇組とに分かれて分裂選挙を戦った。結果は分裂選挙にもかかわらず自由党が過半数を超える240議席を獲得し、野党の共産党が全員落選した。選挙後鳩山一郎氏は吉田総理に妥協して自由党分裂は回避された。

小泉総理はこの事例を頭においた上で郵政選挙を行ったと私は見ている。そして結果は予想を超える自民党の圧勝となった。

それでは今回の選挙に良く似た前例はあるのだろうか。

参議院選挙の年に国会の会期を延長することはまずない。ところが今回は安倍総理がどうしても公務員制度改革法案を成立させたいと会期を12日間延長した。この滅多にない会期延長の前例は、通常国会が1月に召集されるようになってからは1998年の一回だけである。当時の橋本総理が予算を成立させた後にさらに補正予算を組むため8日間の会期延長を行った。なにやら似ている。そこでそのときの政治状況と今とを比較してみた。

93年の衆議院選挙で野党に転じた自民党は、国民的人気のある橋本龍太郎氏を総理に立てて96年の総選挙で新進党と戦い衆議院の過半数を回復した。しかし参議院では89年の大惨敗以来なお過半数を割り込んでいて連立を組まないと政権運営ができない。現在の自民党も衆議院では十分すぎるほどの議席を持ってはいるものの、参議院は公明党と組まないと過半数を上回らないので単独では政権運営が出来ない。全く同じ状況である。

しかし98年の選挙では自民党は参議院でも単独過半数を確保することが目標だった。そうしないと安定的な政権運営が出来ない。しかし現在ではその目標は消え失せて、公明党と合わせて過半数を取りたいというレベルに下がった。自民党単独政権はもはや過去の話となった。

橋本龍太郎氏も安倍晋三氏もその国民的人気によって総理に推された。二人とも甘いマスクのせいか特に女性に人気がある。就任当初は高い内閣支持率を誇ったが、参議院選挙を前にしての支持率は二人とも危険水域にまで落ち込んでいる。98年6月の橋本内閣支持率は朝日新聞26%、読売新聞29.9%と3割を切った。橋本内閣はロッキード事件で有罪となった佐藤孝行氏を入閣させたことと消費税率を上げたことが支持率急落の原因である。安倍内閣の支持率も最近の調査では3割を割り込むようになった。こちらは年金記録問題と松岡農水大臣の自殺が急落の始まりだが、いずれも「政治とカネ」の問題と生活不安の問題という点で共通している。

自殺といえば98年にも議員の自殺者が出た。株の取引疑惑で逮捕されようとしていた新井将敬衆議院議員が逮捕の許諾請求を国会が議決する直前に首をつって自殺した。

98年の参議院選挙用の目玉として橋本総理が力を入れたのは霞が関の改革だった。通常国会で中央省庁改革法を成立させ、省庁の数を1府12省にスリム化することにした。

安倍総理も参議院選挙を意識して官僚の天下りを規制する公務員制度改革法の成立に力を入れた。国会の会期を延長してまでも安倍総理は成立を図った。

98年の選挙は自民党が単独過半数を目指していたように、必ずしも自民党に不利な選挙と思われてはいなかった。序盤でマスコミは「自民堅調の戦い」と報道したが、結果は改選議席61を17議席も下回る44議席で惨敗だった。選挙中に橋本総理の定率減税を巡る発言が恒久なのかどうかで二転三転したためだと言われている。

安倍総理も選挙前に「消費税を上げないとは言っていない」と消費税引き上げを示唆する発言を行ったが、その後一転して「消費税上げは回避できる」と発言するなど、発言にブレが出た。

選挙結果を受けて橋本総理は退陣を決め、後任には外務大臣の小渕恵三氏が就任した。

今回の選挙結果で安倍総理退陣があるとすればデッドラインはどのあたりか。公明党と合わせて過半数を確保するためには自公で64議席とらなければならない。公明党の獲得議席数を13とすると自民党は51議席取らなければならないが、すでに新党日本の荒井広幸参議院議員や民主党の会派に所属していた無所属の松下新平参議院議員が野党を離れることを表明している。そのため49議席でも過半数は超える。保守系無所属議員への多数派工作なども考えられ、もう少し少なくとも退陣はしないだろう。

しかし98年選挙と同様の44議席かそれ以下ならばやはり退陣をせざるを得なくなる。そうなれば後任候補の筆頭は98年同様に外務大臣の職にある者ということになるのだろうか。

もしそうなればまさに歴史は繰り返すだ。ただ冒頭で述べたように選挙予測は当たらないのが常なので、そこのところはよくよくご理解をいただきたい。

2007年7月14日

見果てぬ夢のC-SPAN

 前回までのタイトル「国会TV縮刷版」が今回からは「国会探検」に変わった。

 理由は、私が日本初の政治専門チャンネルとして1998年に立ち上げた「国会TV」から私自身が身を引き、「国会TV」とは無縁になったからだ。

 以前「政治を育てるテレビ」でも紹介したが、私が「国会TV」を構想したのはアメリカの議会チャンネルC-SPANと出会ったことによる。議会チャンネルと聞くと議会の審議をただ垂れ流す国営放送のようなイメージを持っていたが、C-SPANはむしろジャーナリズムであることを前面に打ち出し、しかし既存のジャーナリズムとも一線を画すユニークな存在であった。

 「国が国民に議会見せる」のではなく、「国民が議会を監視する」ためのテレビだというのがC-SPANの根本哲学である。だから国から補助金はもらわない。どの委員会を放送するかも政党や政治家から指図されない。C-SPANが独自の考えで決める。批判されないことが「公平」ではない。国民の2割から「右寄り過ぎる」と批判され、別の2割から「左寄り過ぎる」と批判されることが「公平」だと言う。もちろん政治を面白おかしくデフォルメして視聴率を追及することなど絶対にやらない。視聴率追及は堕落の原因だと考えている。議会だけを放送する訳でもない。政治家に直接国民が電話で質問するスタジオ番組「コール・イン・ショー」を毎日放送している。

 しかし私が何よりも感心したのは、C-SPANが選挙権のない若者の政治教育に力を入れていたことである。全米の高校と大学を中継車が回って歩き、学生に政治討論をさせて放送する傍ら、教師には議会審議を教材に使うよう呼びかけていた。

 ちょうど冷戦体制が終わりを告げようとしていた頃、世界も日本も政治は大きな曲がり角を迎えていた。日本ではリクルート事件と消費税の導入によって国民の政治不信が頂点に達し、小学生が将来なりたくないと答えた職業に「政治家」があった。

 日本にもC-SPANのようなテレビが必要だ。そう思って知り合いの政治家、学者、ジャーナリストらに話をすると、みな賛同してくれた。ところがいざ「国会TV」を立ち上げようとすると思いがけない障害が次々に発生した。

 旧文部省に政治教育のためのテレビの必要性を話すと、「社会党と共産党の議員しか見せない先生がいますからね」と冷ややかに言われた。

 旧郵政省はNHKと民放の既得権益の擁護者だから新規参入を阻止するのが仕事である。

 日本にケーブルテレビや衛星放送の多チャンネルは永久に普及しない。だから法律で義務付けでもしない限りC-SPANのようなテレビは実現しないと言われた。

 国会事務局は奇怪なことを言った。「国会テレビが出来ると速記者が首になる」というのである。「そんなことはない」と言おうと思い調べてみると、日本の国会には異常なほど数多くの速記者がいることがわかった。どの国の議会でも1つの委員会に速記者は1人だが、わが国では同時に4人が速記を取り15分おきに交代する。なぜかと言えば速記者の養成学校が国会職員の唯一の天下り先だった。衆議院と参議院の職員が平等に天下りできるように衆議院と参議院で速記の字体をわざわざ変えて養成学校は2つもあった。

 そして旧大蔵省も国会TV絶対反対だった。なぜなら国会を事実上手のひらの上に乗せて政治のシナリオを書いてきたのは権力の中の権力といわれた大蔵省だからである。大蔵省が仕切る予算委員会は、だから数ある委員会の中でも特別の意味を持ち、NHKが予算委員会だけを中継するのもそのためである。国民は予算委員会が国会だと今でも思っている。外国の議会にも予算委員会はあるが日本のように特別の意味を持っているわけではない。

 放送を開始した当初から、「国会TVを民間がやるのはおかしい」、「国会の審議だけを放送しろ」、「国から補助金をもらえ」などと言われ続けたが、一方ではC-SPANが成り立つことが出来た「ベーシック・サービス」というビジネス・スキームが日本では訳のわからぬ理由で消滅してしまった。そのためCS放送では続けられなくなり、インターネットで事業を続けてきたが、ついに私の力ではどうすることもできなくなった。

 私が引いた後も「国会TV」は存続する。ただしC-SPANのような内容ではない。国会審議だけを放送するチャンネルとして再建を目指すことになった。私としては誠に残念だが致し方ない。

 C-SPANと同じようなテレビはアメリカに次いでイギリスに誕生し、アジアでは日本に先駆けて台湾に実現したが、日本では成り立つことが出来なかった。

 日本に議会が開設されたのは百年以上も前のことだ。東洋の島国に言論によって物事を決する仕組みができたのは奇跡だと言われている。明治天皇の五箇条のご誓文には「広く会議を興し、万機公論に決すべし」とあるが、坂本竜馬が「船中八策」にしたためたものがルーツとされている。竜馬に言論による政治を教えたのは誰か、歴史研究としても興味あるテーマだ。いずれにしても百年以上前の日本は議会先進国だったのである。

 ところが官僚支配が長く続くうちに日本では国会を軽視し、蔑視し、馬鹿にするような風潮が生まれた。これほど政治家を軽んじ、国権の最高機関と言われる国会が無視されている国も珍しい。

 例えば、わが国の国会には「秘密会」がない。外交の機密情報は国民の前に明らかにする訳にはいかないが、与野党の議員がその情報を知らなければ自国の存亡にかかわる重大な問題を論ずることは出来ない。だから各国の議会には「秘密会」が存在し、議員には秘密保持が義務づけられている。

 わが国の国会に秘密会がないということは、議員には国家の重要な機密情報が知らされていないことを意味する。官僚とごく一部の政治家だけが国家の命運にかかわる情報を握り続けている。情報を議員に知らせると、それが旧ソ連、中国、北朝鮮に筒抜けになるという理由で冷戦時代には官僚が情報を独占してきた。しかし冷戦が終わった今でもそれを引きずっているのはどうしたことか。

国会は国民の代表が集う国権の最高機関と言われながら、国民にはその実態が全く知らされない聖域となっている。この聖域を守ろうとする者にはC-SPANのように国会のあるがままの姿を映しだすテレビは困った存在だと思われたに違いない、

 C-SPANのようなテレビは様々な障害によってひとまず姿を消すことになった。しかし国会がいつまでも聖域のままで良いはずがない。これからは文章によって聖域の探検に乗り出すことにする。

2007年7月 1日

年金問題の闇

 宙に浮いた年金記録が5000万件もあったという事実は参議院選挙の行方をも左右する大問題となっているが、社会保険庁のお粗末さだけに目を奪われていると、とんでもない落とし穴にはまり込んでしまう危険があると私は思っている。

 それは3年前に大騒ぎとなった年金未納問題が、当時審議されていた年金法案から国民の目をそらさせ、福田康夫官房長官、菅直人民主党代表らを次々辞任に追い込み、小沢一郎氏の民主党代表就任を阻み、最後は社会保障財源として消費税導入に道を開く「三党合意」に民主党が組み込まれるなど政略の道具に使われた記憶があるからだ。

 当時の政治の流れを見ていると誰かのシナリオに国中が乗せられているのではないかと思った。誰かというのは個人ではない。権力のシナリオと言う意味である。

 3年前の通常国会を思い出して欲しい。イラクへの自衛隊派遣と年金改革法案が最大の焦点で、しかも夏には参議院選挙が予定されていた。そのため国会は今年と同様に冒頭から荒れ模様だった。国会の前半でイラク支援法が強行採決され、年金改革法案が審議入りしたのは4月1日である。法案の中身は少子高齢化に対応するため年金保険料の負担は増えるが、給付の方は必ずしも上がらないというもので、国民には喜ばれない内容のものであった。それをどのようにして政府・与党は成立させたのか。

 まず小泉総理が審議入り直前の3月28日の「サンデー・プロジェクト」にテレビ出演して、「将来は年金一元化が望ましい」と民主党の年来の主張に合わせる発言をした。この発言に民主党は翻弄される。後で考えれば「三党合意」のための布石が打たれたと思うのだが、当時は小泉総理が自ら提出した年金法案の不十分さを認めたとして民主党はその事だけを攻め立てた。
 
 次に4月14日、年金審議の最中に東京地検特捜部が贈収賄事件で元社会保険庁長官を逮捕する。これによって世間には社会保険庁という役所は解体する必要があるという認識が広まった。
 
 そして4月23日、麻生太郎、中川昭一、石破茂氏ら三閣僚の年金未納の事実が発覚する。いよいよ未納フィーバーの始まりである。年金法案の中身の議論はどこかへ吹き飛んでしまった。民主党の菅代表はひたすら「未納三兄弟」を国民に訴える。参議院選挙を意識したためだが、政府・与党には好都合の展開であった。誰が年金未納の情報をリークしているかといえば、情報を知りうるのは権力の側である。リークしている側はある意図を持ってシナリオ通りにリークしているのである。にもかかわらず民主党はこの情報に踊らされて、未納問題をことさらに大きくした。
 
 4月28日、法案の中身の議論がないまま衆議院の委員会では与党単独で法案が採決された。審議入りしてから採決まで与野党がそろって出席したのはわずかに6日間である。

 そうした中で小泉総理とは外交方針を巡ってことごとく対立していた福田康夫官房長官の未納が週刊誌で暴露され、次いで菅民主党代表の名前も明らかになった。その頃のマスコミは年金問題など眼中になくなり完全に未納糾弾モードだから、福田官房長官が辞任を表明すると菅代表の辞任もまた「絶対」でなければならなくなった。代表辞任が迫られる中で年金法案絶対反対を主張していた民主党は、反対どころか「年金一元化のための協議機関をつくる」という名目で「三党合意」に署名してしまう。これでシナリオを書いた側の目的は達成された。

 法案が参議院に移ると、驚いたことに小泉総理も、公明党の幹部も、法案を作成した厚生労働副大臣も、衆議院厚生労働委員長も年金未納であることが明らかになった。しかし菅民主党代表が辞めた後では、誰も辞任が必要だとは言わなくなる。ただ菅代表の後任と見られていた小沢一郎氏が自ら未納の事実を明らかにして代表就任を辞退した。権力の側は小沢氏の未納のことも知っていたはずだから、仮に小沢氏が就任していれば当然未納の情報はリークされることになっていたはずである。

 こうして国民に喜ばれない内容の法案は未納騒ぎのために関心の外になり、無事に成立を果たすことが出来た。さらにこの過程で社会保険庁の解体が決定的となり、民主党は社会保障政策での共同責任を負わされることになった。一石三鳥の見事なシナリオだと私は思った。後に民主党は「三党合意」を反故にしたから、もしかするとまんまと乗せられたことに気づいたのかもしれない。

 そうした3年前の記憶があるため、今回の宙に浮いた年金記録問題も素直に野党の追及によってあぶりだされたと考える気になれない。民主党の長妻議員が時間をかけて追及してきた成果であることは間違いないが、しかし5000万件という衝撃的な数字をなぜ社会保険庁は公表したのか。問題解決と称してやろうとしていることは何なのか。そこらを見極めないと「未納三兄弟」の時のように足元をすくわれることにもなりかねない。その裏側に何があるのかを見つけ出さなければならないと思う。

 今回も国民の関心は年金記録問題の方にだけ向いて社会保険庁改革法案には向かなかった。社会保険庁を解体して新組織にすることが一体何を意味するのか、新組織は年金記録問題を解決できるのか。年金記録問題よりも大きな闇を葬り去るために新組織を作るのではないか。国鉄民営化の時のように膨大な赤字を解消するために税金を投入することはないのか。様々な問題点を指摘されながら法案は強行採決された。
 
 年金問題を巡る情報のほとんどは実は隠されたままである。我々は氷山の一角だけを見て議論している事を忘れてはならない。年金問題にはまだ闇の部分があるはずなのだ。それをいかにして日の光に当てる事が出来るか。それが最大の問題なのである。

Profile

田中良紹(たなか・よしつぐ)

-----<経歴>-----

1945年宮城県仙台市生まれ。
1969年慶應義塾大学経済学部卒業。
同年(株)東京放送(TBS)入社。
ドキュメンタリー・デイレクターとして「テレビ・ルポルタージュ」や「報道特集」を制作。また放送記者として裁判所、警察庁、警視庁、労働省、官邸、自民党、外務省、郵政省などを担当。ロッキード事件、各種公安事件、さらに田中角栄元総理の密着取材などを行う。
1990年にアメリカの議会チャンネルC-SPANの配給権を取得して(株)シー・ネットを設立。
TBSを退社後、1998年からCS放送で国会審議を中継する「国会TV」を開局するが、2001年に電波を止められ、ブロードバンドでの放送を開始する。
2007年7月、ブログを「国会探検」と改名し再スタート。

BookMarks

日本初の政治専門チャンネル!
↓ ↓ ↓
国会TV
http://kokkai.jctv.ne.jp/

-----<著書>-----


『裏支配─いま明かされる田中角栄の真実』
2011年1月、電子書籍


『メディア裏支配─語られざる巨大マスコミの暗闘史』
2005年3月、講談社

-----<編書>-----


『憲法調査会証言集─国のゆくえ』
2004年7月、現代書館

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