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3/11以降の学者の良心 ── 山本義隆の『福島の原発事故をめぐって』

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 僕らは危機に瀕すると本を読みたくなる。先人たちの知恵、同時代人との共鳴、後世の人々へ残しておくべきもの。時空の広がりのなかでそのような切実な<何か>を想像力が悲鳴を上げるように求めたくなるのだろうか。3/11以降、僕らが接した情報量は実に膨大だが、そのなかで、何が本当に必要で、何が不要なのかが徐々にわかってきたように思う。トンデモ本から本質的な思索を求める書物に至るまで、僕らは自分自身の力で必要な書物を探していこう。だが、ガイドくらいはあってもいい。そのようなガイド集のミニガイドにでもなればと思って記してみる。

 雑誌『現代思想』7月臨時増刊号がいち早くそのような特集本を出していた。「震災以降を生きるための50冊」。斉藤環が『パウル・ツェラン詩集』を、鵜飼哲が『グスコーブドリの日記』などをそれぞれあげて、3/11と正面から向き合っていた。だがこの特集はやや拙速な印象を受けた。事態が時間の経過とともにより深刻であることがさらに明らかになってきているからだ。

 今年の7月の段階で、坂本龍一さんが仲間と一緒にセレクトした作品アンソロジー『いまだから読みたい本 ── 3.11後の日本』(小学館)が出版された。これがなかなかいい。セヴァン・カリス=スズキ(当時12歳)の1992年国連地球環境サミット(リオデジャネイロ)での伝説的スピーチや、伊丹万作の「戦争責任者の問題」、さらに管啓次郎の「七世代の掟」などが収録されていて、そのセレクションのセンスのよさがひしひしと伝わってくる。なかでも手塚治虫の「アトムの哀しみ」は、手塚を原発推進派などと指弾して溜飲を下げたつもりになっている浅薄な思考の持ち主にぜひとも読んでほしい作品だ。

 さて、僕自身は3/11以降に出版された書物の中で是非ともこの本を推薦しておきたいと思った。この8月25日に出版されたばかりの山本義隆『福島の原発事故をめぐって ── いくつか学び考えたこと』(みすず書房)からはさまざまな教示を得たが、向き合うのが困難でかつ本質的なことがらを、平易な言葉でわかりやすく説いていこうという姿勢に打たれた。「科学技術と自然」のパラダイムの歴史的変遷から考察を加え、原子力発電が原理的に未熟な技術であらざるを得ないことを直視する。この期に及んでまで、脱原発は夢想だとか、自然再生エネルギーはメインのエネルギー源にはなり得ないことは証明済みだ、とか言っているあれらの人々にも是非とも読んでほしい本だ。

(前略)それでも原発はやめなければならないと思っている。事故のもたらす被害があまりにも大きいだけではない。いずれウラン資源も枯渇するであろう。しかしその間に、地球の大気と海洋そして大地を放射性物質で汚染し、何世代・何十世代も後の日本人に、いや人類に、何万年も毒性を失わない大量の廃棄物、そして人の近づくことのできないいくつもの廃炉跡、さらには半径何キロ圏にもわたって人間の生活を拒むことになる事故の跡地、などを残す権利はわれわれにはない。そのようなものを後世に押し付けるということは、端的に子孫に対する犯罪である。(同書92-93ページより)

 このように、山本は、<原発ファシズム>という言葉を用いて、原発という巨大技術の非人道的な本質を言い当て、「国策民営」によってこれ以上、原発を維持・稼動させることが「端的に子孫に対する犯罪である」ときっぱりと断ずる。在野のひとりの物理学者、誠実な学究の徒の心の底からの警告の書、良心の書である。

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金平 様

山本義隆氏は、「原発ファシズム」という言葉を用いて、原発という巨大技術の非人道的本質を言い当て、原発を維持、稼働させることは子孫に対する犯罪行為であると、述べている。

上記金平様の紹介記事によって、概略を理解できますが、「福島の原発をめぐって いくつかまなびえたこと」(みすず書房)を購入し読んでみたい。

太陽エネルギーに準ずる原子力エネルギーは、恒常的なものであって、一時的存在にすぎない人間が管理し使いこなそうとすることは傲慢な考え方ではないか。エネルギーの本源は万物の本源でもあり、太陽光に求める再生エネルギーの活用こそが本来の姿であり、コストなど人間生活の技術的問題が優先して、不可侵のエネルギー創造に関与しようとすることは、絶対に許されることではないと考えております。

自然と技術の境界というか、絶対性と相対性の融合世界は、言葉意識の世界でしか体験できない世界であり、具体的事象に求め続けることの愚かさを知るということの難しさを知らされている気持がしています。

山本義隆といえばあの東大全共闘の議長ですね。
東大闘争の敗北の結果として関村教授以下の曲学阿世の教授らが生れてきたと私は思います。
 大学が産学共同路線に大きく舵を切ろうとしたとき、「大学解体」を掲げて戦いながら、権威主義と大學を産業資本の僕としたい権力の前に東大全共闘は敗北したと私は部外者ですが総括しています。再度言いますが、その結果今度の福島の原発事故における東大のお偉いさんの「心配ありません」しか言えないくだらない学者が東大から量産されてきたと思います。(児玉先生のような人は例外中の例外でしょう。)
 山本義隆氏にはもっともっと発言してもらいたいですね。今度の本ぜひ買って読んでみます。

今回の一連の事象で明らかになたのは、学者への失望でしょう。学者が、自らの主張を自らの信念で行うという信頼が失われ、その依って立つ利害の立場によって発言していることが白日の下に曝されてしまいましたね。
 悲しむべきとしか言いようがありません。
 原子力に関して言えば、それが平和的であれ軍事的であら、人類が作り出した途方もない劇毒物を、除毒も除染も、減殺もできずに、拡散するしかないという絶望感しかもたらさなかったことです。
 これも又取り返しにつかない不幸としか言いようがありません。全ての原子力は、直ちに廃棄されるべきです。

世の中、本が多すぎる。そして高すぎる。ミニガイド大歓迎です。早速書店に行ってみます。
「100,000万年後の安全」という映画をご覧になりましたか。原発の何が恐いって、ゴミの問題です。もちろん現在進行形が一番影響はありますが、危険を自覚、認識のもとに向き合っているのに対して、人目に触れずに隠されたゴミは、その存在を後世にきちんと伝えられるという確証はありません。そこに大地震が起きたら?多くのSFにあるように、「人間は一体なんてことをしてくれたんだ」という時代が遠い将来あるという想定をしておくべきだと思います。
被爆国として、原発事故後の緩やかさは何だろう、と思う時があります。チェルノブイリの時にフランスのチーズが敬遠されたことを思えば、小さい子供がいる親に被災地支援と訴えても東北の産物に手が出ないのは仕方ありません。学校の校庭を掘り返して土を入れ替えても、雨の日に野球をしている我が子が滑り込みして土まみれになると思うと、そんな対策で安心できるとは思えません。それでは汚染された土をどこに持っていくのか。何も解決されていません。「安心な数値ですよ」「心配しすぎですよ」と言い続ける政治家、学者さんにはあと100年生きて検証していただきたいと思います。これからも原発は必要だという方は100,000年生きていただきましょう。

『かの悪名高き動燃』と言われ続けて数十年、彼等に原子力を預けたのは自民党政権であり国民です。
何も今に始まったのではない。
錦の御旗にしたいが為に湯川秀樹先生や坂田昌一先生を引っ張り出し、
抗議の辞任をすれば『原発の専門家ではない』などと言う。
ノーベル賞級の先生は反原子力ではないにしろ反動燃だった。
児玉先生は例外ではない。
動燃は落第生の行く所だったのだ。

元東大全共闘議長の山本義隆氏ですね。
以前、ご本人にうかがったのですが山本氏は、某重電メーカーの下請けか孫請けで原子力発電プラントの設計の一部を担当したことがあるそうです。私はまだ本書を読んでいませんが(早速Amazonに注文しました)、本文中にもそのことが書かれているかも知れません。元請けの重電メーカーは山本氏が設計の一部を担当していることなど知る由もありません。それどころか、誰もプラント設計の全体像を細部に亘っては把握していないとのこで、恐るべき話でした。
理論物理学の泰山北斗、そして原発プラントの設計にも詳しい同氏の知性の反乱に期待します。

こちらの本、別なところで紹介されていたので、気になって読みました。

今の原発・東電報道で、あちらこちらで騒がれれば騒がれるほど、「原発=原爆」であるという、本質から目を反らされていくような印象を持ちます。

この本で言われている「原発=原爆技術の保持」という本質は、誰も発言しないし報道されない!そんなところから想像すると、きっとそのことが本質なんだろな・・と。そんな思いが確信に変わりました。

その一方で、マスゴミ各社がいかに、国策に加担しているかも、確信するようにもなりました。

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Profile

金平茂紀(かねひら・しげのり)

-----<経歴>-----

1953年北海道旭川市生まれ。1977年に在京の民間放送局に入社、以降、一貫して報道局で、報道記者、ディレクター、プロデューサーをつとめる。「ニュースコープ」副編集長歴任後、1991年から1994年まで在モスクワ特派員。ソ連の崩壊を取材。帰国後、同局で筑紫哲也氏がアンカーマンをつとめるニュース番組のデスクを8年間つとめる。2002年5月より在ワシントン特派員となり2005年6月帰国。報道局長を歴任後、2008年7月よりアメリカ総局長としてニューヨーク勤務。コロンビア大学東アジア研究所の客員研究員。2010年9月に帰国。10月より同局「報道特集」キャスター兼TBSテレビ執行役員。

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