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2011年8月27日

3/11以降の学者の良心 ── 山本義隆の『福島の原発事故をめぐって』

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 僕らは危機に瀕すると本を読みたくなる。先人たちの知恵、同時代人との共鳴、後世の人々へ残しておくべきもの。時空の広がりのなかでそのような切実な<何か>を想像力が悲鳴を上げるように求めたくなるのだろうか。3/11以降、僕らが接した情報量は実に膨大だが、そのなかで、何が本当に必要で、何が不要なのかが徐々にわかってきたように思う。トンデモ本から本質的な思索を求める書物に至るまで、僕らは自分自身の力で必要な書物を探していこう。だが、ガイドくらいはあってもいい。そのようなガイド集のミニガイドにでもなればと思って記してみる。

 雑誌『現代思想』7月臨時増刊号がいち早くそのような特集本を出していた。「震災以降を生きるための50冊」。斉藤環が『パウル・ツェラン詩集』を、鵜飼哲が『グスコーブドリの日記』などをそれぞれあげて、3/11と正面から向き合っていた。だがこの特集はやや拙速な印象を受けた。事態が時間の経過とともにより深刻であることがさらに明らかになってきているからだ。

 今年の7月の段階で、坂本龍一さんが仲間と一緒にセレクトした作品アンソロジー『いまだから読みたい本 ── 3.11後の日本』(小学館)が出版された。これがなかなかいい。セヴァン・カリス=スズキ(当時12歳)の1992年国連地球環境サミット(リオデジャネイロ)での伝説的スピーチや、伊丹万作の「戦争責任者の問題」、さらに管啓次郎の「七世代の掟」などが収録されていて、そのセレクションのセンスのよさがひしひしと伝わってくる。なかでも手塚治虫の「アトムの哀しみ」は、手塚を原発推進派などと指弾して溜飲を下げたつもりになっている浅薄な思考の持ち主にぜひとも読んでほしい作品だ。

 さて、僕自身は3/11以降に出版された書物の中で是非ともこの本を推薦しておきたいと思った。この8月25日に出版されたばかりの山本義隆『福島の原発事故をめぐって ── いくつか学び考えたこと』(みすず書房)からはさまざまな教示を得たが、向き合うのが困難でかつ本質的なことがらを、平易な言葉でわかりやすく説いていこうという姿勢に打たれた。「科学技術と自然」のパラダイムの歴史的変遷から考察を加え、原子力発電が原理的に未熟な技術であらざるを得ないことを直視する。この期に及んでまで、脱原発は夢想だとか、自然再生エネルギーはメインのエネルギー源にはなり得ないことは証明済みだ、とか言っているあれらの人々にも是非とも読んでほしい本だ。

(前略)それでも原発はやめなければならないと思っている。事故のもたらす被害があまりにも大きいだけではない。いずれウラン資源も枯渇するであろう。しかしその間に、地球の大気と海洋そして大地を放射性物質で汚染し、何世代・何十世代も後の日本人に、いや人類に、何万年も毒性を失わない大量の廃棄物、そして人の近づくことのできないいくつもの廃炉跡、さらには半径何キロ圏にもわたって人間の生活を拒むことになる事故の跡地、などを残す権利はわれわれにはない。そのようなものを後世に押し付けるということは、端的に子孫に対する犯罪である。(同書92-93ページより)

 このように、山本は、<原発ファシズム>という言葉を用いて、原発という巨大技術の非人道的な本質を言い当て、「国策民営」によってこれ以上、原発を維持・稼動させることが「端的に子孫に対する犯罪である」ときっぱりと断ずる。在野のひとりの物理学者、誠実な学究の徒の心の底からの警告の書、良心の書である。

2011年8月22日

北海道出身者として恥ずかしい

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↑秀作;STV「北海道原発議会の三日間」より

 高橋はるみ北海道知事が泊原発3号機の運転再開にゴーサインを出し、もうすでに同原発は稼働している。北海道出身者として、福島第一原発事故後に最初に定期点検から原発の運転を再開させたのが北海道民だなんて、何と不名誉なことか! 北海道出身者として恥ずかしい。福島の事故後に、定期点検中だった原発のうち再稼働第一号となるだろうとみなされていた九州電力玄海2,3号機が、玄海町長、そして佐賀県知事らの再稼働に向けての強引な舵とりを見せるなかで、「やらせメール」事件が発覚し、再稼働が頓挫したあと、その"栄誉"のお鉢が北海道民に回ってきたというわけだ。佐賀県の行政の対応ぶりもおぞましいけれど、北海道の対応も決して劣らずに「はじめに結論ありき」の様相を呈しているようにみえた。道議会でのおざなり審議などを少なくとも道外から見る限りでは。

 思い起こせば、泊原発も建設計画の段階から道民の世論を二分していた歴史があった。1988年、泊原発の運転の是非とを問う条例制定の請求が90万人と(全道の有権者のほぼ4分の1!)いう空前の数を集めた。翌年、道議会で審議された結果、党派間の駆け引きで何と2票差で否決されるという道議会史上の汚点となる現実があった。90万人分の自筆の署名簿はその後、ゴミとして道によって焼却された。当時の知事は現在の衆議院議長の横路孝弘氏である。先日、札幌に取材に行った際に、当時の関係者の話を聞いた。福島の事故を受けて、彼らは、あの時、横路知事が「裏切って」いなかったら北海道の泊原発の運転は見送られた可能性もあったんだと悔しがっていた。同議会での2票差の否決のカギを握っていた中間会派の3人の取り込みが最後に運命を握った。3人のうち一人は北電関係者。あとの2人は実はどちらかといえば原発には反対の立場だったという。それが知事の態度によって動いたのだという。この2人はすでに物故者となっていた。死人に口なし。

 さて、北海道は自然再生可能エネルギーの実践にもっとも適している地の利がある。原発に頼らないエネルギー政策に最も進みやすい場所なのだ。にもかかわらず、現在の高橋知事は、そのような想像力はほぼゼロに近い。もともと彼女は旧通産省出身の原発容認派で、自らの政治資金管理団体「萌春会」の会長は、元北海道電力会長の南山英雄氏。「萌春会」には、毎年、北海道電力役員からの「定額」献金が行われている。札幌の地元のジャーナリストに聞いたら、「高橋知事は財界に人気があるんですよ、特におじいちゃんに。はるみちゃん!ってね」との答が返ってきた。また北海道庁から北海道電力やその関連会社への「天下り」再就職というルートが、高橋知事就任以降続いている。電力需要がそれほど逼迫していない北海道において、なぜそこまで原発維持に奉仕するのかは本人に伺うしかないだろう。先ごろ秋田で開催された全国知事会での彼女の発言を聞く限り、脱原発路線とははっきりと距離を置いているのがわかった。滋賀や神奈川、鳥取、長野の知事らとはずいぶん違っていた印象だ。

 僕は北海道で生まれ育ったので、北海道の道民性を多少は理解しているつもりだ。僕が高校生くらいだった頃(ずいぶん昔だなあ)、地元で就職するとなると、最も人気が高かった安定就職先ベスト3は、(1)北海道拓殖銀行(2)北海道電力(3)北海道庁 だった。拓銀はもうない。道庁は官僚体質と腐敗が指摘されている。残るは北電。電力会社の「幕藩体制」といわれるなかでは「外様」であるにもかかわらず、現知事に危機意識が希薄で想像力が乏しいので、後ろ向きになっているとすれば残念至極だ。再生可能自然エネルギーの先進企業になってくれればと願うのだが。北海道はきれいないい土地柄だからこそ。

2011年8月 1日

ホアンイン ゼンイン アホ

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↑ 原子力安全保安院のホームページより

 何をいまさら、という声も聞こえてくるけれど、原子力安全保安院が、電力会社に対して、原子力事業に絡んだ地元説明会やシンポジウムなどで、「やらせ」「仕込み」を督促していた事実が次々に明るみになりつつある。原子力施設を安全性の観点から規制・チェックするはずの機関のやることかよ、と建前では言いたくなるが、原子力ムラのなかではいわば周知の事実。今回の場合、電力会社側からの「自分たちだけ悪役扱いされるのはごめんだ。保安院さんよ、アンタにだけは言われたくない」という意趣返しの要素も強いのではないか。病巣はもっと、もっと深いのだ。ちなみに、保安院のホームページにはわざわざ、同院の行動規範のひとつとして「『中立性・公正性』を大前提として安全・保安行政を遂行します」と高らかに謳っているのだから、ブラックジョークにもならない。同ホームページは誰でも見ることができるのでチェックしてみるとよい。

 そこには「広聴・広報活動」の一環として、原子力安全保安院テレビ(通称NISAーTV=ニサテレビ)というのがあって、テレビ番組形式で保安院の活動をいろいろ紹介しているのだが、なかにはこれが保安院の作るべきものかと首をかしげたくなる代物もある。どの番組にも女子アナ(元福井放送とか)が登場してきており、おそらくこれらの番組を実際に制作したのは民放系のプロダクションだったりするのだろう。保安院の「広聴・広報活動」の評価のアドバイザーになっていた読売新聞の科学部記者も同ホームページには明記されている。僕らメディアの加担の現実も根深い。

 孫正義氏が「保安院、全員アホ」(ホアンインゼンインアホ)という回文を面白がっていたそうだ。飯田哲也氏がどこかの講演会で話していたが、まさにこの回文の通りの状況が現れつつある。そこで、僕も回文をひとつ考えてみた。

 いかん!原子炉の炉心、限界。(イカンゲンシロノロシンゲンカイ)

Profile

金平茂紀(かねひら・しげのり)

-----<経歴>-----

1953年北海道旭川市生まれ。1977年に在京の民間放送局に入社、以降、一貫して報道局で、報道記者、ディレクター、プロデューサーをつとめる。「ニュースコープ」副編集長歴任後、1991年から1994年まで在モスクワ特派員。ソ連の崩壊を取材。帰国後、同局で筑紫哲也氏がアンカーマンをつとめるニュース番組のデスクを8年間つとめる。2002年5月より在ワシントン特派員となり2005年6月帰国。報道局長を歴任後、2008年7月よりアメリカ総局長としてニューヨーク勤務。コロンビア大学東アジア研究所の客員研究員。2010年9月に帰国。10月より同局「報道特集」キャスター兼TBSテレビ執行役員。

BookMarks

-----<著書>-----

ブログが本になりました!
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『NY発 それでもオバマは歴史を変える』
2010年11月、かもがわ出版


『報道再生 グーグルとメディア崩壊』
2010年12月、角川書店


『報道局長業務外日誌』
2009年6月、青林工藝舎


『米原万里を語る』
2009年5月、かもがわ出版、共著


『テレビニュースは終わらない』
2007年7月、集英社

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『ホワイトハウスから徒歩5分』
2007年6月、リトル・モア


慶應義塾大学出版会、部分執筆


『ジャーナリズムの条件4』
2005年5月、岩波書店、部分執筆


『従軍のポリティクス』
2004年7月、青弓社、部分執筆


『二十三時的』
2002年11月、スイッチパブリッシング

『電視的』
1997年12月、太田出版

『ロシアより愛をこめて』
1995年3月、筑摩書房

『世紀末モスクワを行く』
1994年12月、パルコ出版

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