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ひとを殺して歓喜する国民にはなりたくない
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一体どこの国の外務省なのか? »

ひとを殺して歓喜する国民にはなりたくない

 ビンラディン殺害の第一報を聞いたのは、津波で壊滅した岩手県陸前高田市の取材中で、県立高田高校校舎に向かう車中でのことだった。強い風が吹き荒れていた。津波に抗して景勝地に一本だけ生き残った松原の松の木もようやく立っているという感じだった。オバマ大統領がまもなく演説を行うという知らせだった。米軍特殊部隊がパキスタンでビンラディンを殺害した。生きて捕捉するオプションは元々なかったという。つまり、「見つけ次第、殺せ」とオバマ大統領は命じたのだ。

 「Justice has been done.」とオバマ大統領はテレビ演説の締めくくりで言った。ニューヨークのグランド・ゼロやホワイトハウス前にたくさんの人々が集まり「USA!」を連呼した。ひとを殺して歓喜する国民がそこにいる。

 10年前の9月11日のワールド・トレードセンター崩落後に世界中に配信された映像があったのを覚えている。事件後、パレスチナの地で歓喜するパレスチナ人たちの様子だった。そのテレビ映像をみて「文明国」の人々は言った。何という人々だ。あんな悲劇に歓喜する人々がいるなんて。だから僕らはいま同じように言おう。ひとを殺して歓喜する国民にはなりたくない。今朝の新聞をみた。朝日新聞に最上敏樹が「拘束・裁判が世界の潮流」と主張し、今回の国家の明確な意志による「暗殺」を容認しない意見も紹介している程度で、他紙にはほとんどそのような主張はみられなかった。わずかに毎日新聞が「人々が一人の死を喜ぶ姿に少しうろたえている」というコネティカット州の9・11遺族の談話を載せていたくらい。日本政府は「テロ対策の顕著な前進を歓迎し、関係者の努力に敬意を表する」との談話を発表した。

 世界はもっともっと危険な方向に漂流しだしている。大震災後と現在進行形の原発事故のなかにある日本でそのように思う。

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この一覧は、次のエントリーを参照しています: ひとを殺して歓喜する国民にはなりたくない:

» アンパンマンの「正義」とアメリカ合衆国の「正義」 送信元 てんしな?日々
「正義」って、一体何でしょう?・・・ やなせたかしさんについての記事と、 ビンラディン殺害についての記事を読み比べて、 同じ「正義」という言葉を使っていて... [詳しくはこちら]

» この暗殺は高くつく? 送信元 みんななかよく
けして倫理的ではないと思うんですが、合理的な行動だと思う。 ビンラディン殺害。 身柄を拘束してアメリカ国内で裁判というのは、アルカイダ系のグループが人... [詳しくはこちら]

コメント (17)

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ご理解・ご協力のほどよろしくお願いいたします。

金平 様

人間としての良心をお聞きし、一人の人間として、素直に共感しています。

無差別テロは許されることではないというのは当然であるが、その判断がどのような状況とか立場でなされたかが、非常に重要です。

人間社会に、絶対平等などということは言葉の上ではあっても、現実事実の上ではありえないことであるが、多くの人は、一方的情報によって偏った判断をしているのに、自己認識することなく、手前がってな自己判断によって、自己正当化しているのが、現実の姿であることを否定できない。

テロをする人たちの、社会における地位、名誉、経済状態がどのようなものか、実態を把握している人がどれだけいるか。そのことを知らないで、上面のテロ現象を見て、判断していては、オサマビンラディン一人で解決することではない。

殺し合いで、喜び、悲しんでいる間は、その現象が拡大することはあっても、終息に向かうということはありえない。新たな凄惨な殺し合いの終わりの始まりにならなければいいのだが。望みようもないことなのでしょう。

オバマはいかにもあざとい。
確かにアメリカ国内での求心力回復には役立ったのでしょう。
アフガン空爆したら人気がV字回復したクリントンを思い出す、というブロガーがいましたが、私も同意。
そしてアメリカだって「テロ国家」だとも。

皮肉なことにグランド・ゼロやホワイトハウス前の熱狂をよそに、ますますアメリカは「1984年」で描かれた世界感に近い国家による管理が強まるのかもしれない。

そして日本でも震災・原発事故をてこに非常事態条項がないことを憲法改定の理由にしようとする勢力が結集していますね。
くしくも「絶対安全な原発システムの研究」とか「地下式原発の開発」とか言っておられる方々もいる。
それこそ原発推進の立役者であり、現在も熱心に原発推進を唱える大勲位を座長に。

改憲論者もさまざまですが、事故検証もこれからだというのに、非常事態条項を憲法上必要だとする原発推進派の改憲論には一切与しません。

激しく共感するご意見です。今この時に、このときだからこそあなたがこのような発言をなさったことに深く敬意を表します。あなたの意見とともにわたしもあります。システムのもつ悪意を標的に指摘すること、それこそジャーナリズムのもつ正義、ではないでしょうか。がんばってほしい、ひたすたそう思わせる指摘提言です。おっしゃるとおり、です。

<金平様>
こんにちは。ビンラディン捕獲作戦は別名「ジェロニモ」、ふざけた名前です。
ジェロニモはアパッチの戦士であり、白人に対して戦った男です。ビンラディンをジェロニモに擬えているなら失礼であり、白人の驕りでしかありません。
アメリカは、他国の文化を理解しようとしない。だから、日本の家族的な経営をグローバルスタンダードに合わないと攻撃し、株主が儲けて、従業員を非正規にして、会社への帰属意識を薄めて、技術力を弱めた。
アメリカは、国の歴史が浅く、貧富の差が激しく、医療ですら格差がある国であり、私には文化的な国とは思えない。
特に他国の文化を破壊する行為が許せない。ビンラディンは元々、CIAの工作員であったと報じられています。
イラクのフセインも同様です。イスラムの裏切り者を利用して、その後、彼らがコントロールできなくなると一転して殺害する。腹が立ってならない。そして、その背景には石油利権という強欲が見え隠れする。
オバマやクリントンが殺害場面の中継を喜びをもって視聴するなど、気持ち悪くて仕方ない。死生観が東洋人とは決定的に違うのでしょう。
日本はヤオヨロズの神、即ち風や太陽や水などの自然界にたいして畏れを抱き、信仰してきた。また、キリストは神のしもべであり、決して神にはなれないのと比して、仏は誰でも死ねばなれる。たとえ村八分の家であっても葬式だけは、残りの二分の範疇であり、死者に対しては、礼節をもって、きちんと弔ってきた。
私は他宗教に対して戦争までして弾圧する国と比べて我が国の方が圧倒的に懐深い文化だと思う。
推測でしかないが、ビンラディンの居場所を知っていながら監視してきたアメリカが、オバマの大統領の再選に向けて利用されたと思う。

金平さんなら、アメリカで違った表情も取材できたのではと残念です。ひょっとして、日本のメディアが「歓喜している」絵しか報道していないのでは。ツイッターでは「みな歓喜している?そんなことはない」と言っている人もいる。

自由な取材ができる国で、十分な取材能力がないのではと、被告にもならなかったビンラデンに思う。

投稿がオフリミットとなる基準が良くわからないので今度は端的に書きます・・

「ひとを殺して歓喜する国民にはなりたくない」
はその通りなのですが、
歓喜する側と眉をひそめる側が偏向無く報道されてからでないとアメリカを軽々に論評することは避けるべきかと

オバマ氏が直接殺害命令したかの真偽はともかくとして、この事実に熱狂する反応は、私も不快感を覚える。ただ、これも人間心理として、先導されているとも受け取れないだろうか。デモやクーデターも興味本位で参加する場合もある。それらを一括りに捉えて思考する危険性もある。
今日の「asahi.com:朝日新聞web板」は、興味深い記事が多いと私は感じている。
【スーパーマン「私は米政府の手先じゃない」 国籍捨てる】http://www.asahi.com/international/update/0501/TKY201105010156.html
この意見に対してのアメリカ国内の反応もそれぞれ紹介してある。
オバマ氏は、どうした反応を示すのか知りたい欲望に駆られています。

自国にとって好ましからざる人物を暗殺する事がアメリカの言う民主主義なのか。証拠と、裁判によって「犯罪者?」を裁くべきなのに、民主主義を標榜するテロリストに過ぎない事を証明した。
さらにリビアへの攻撃に対し日本のマスコミはなぜ是とするのか?
内政干渉であり、かつてCIAが行ってきたような政権転覆工作がなぜ許されるのか。
かつてのベトナム戦争、イラク戦争を批判する視点がまったく見られない。すべてアメリカ、NATOが正しいのか?

今度は、殺した相手がどういう状態だったかを検証しようとしている。
本当に変な国だ。
そんなお為ごかしをして、自らを免責しているのだろう。
公平なフェアな国だと。
チャンチャラおかしい。

そんな事やるくらいなら、自らをよく考えるがいい。
チャールトン・ヘストンは、銃を持たない相手を打たない。
グレゴリー・ペックは、傷ついた相手を攻撃しない。
ジョン・うウェインは、女性を撃たないし殺さない。
そんなアメリカの正義は、どこへ行ったと云うのか。

大体、考えてみるが良い。
ビン=ラーディンを、生きて捕まえてしまったら、
ましてや裁判などに出してしまったら、
アメリカが中東でやってきた事が、全て満天下に明らかにされてしまうのだろう。

ホント、人を殺して歓喜する国民にはなりたくありません。

オサマ・ビンラディンの暗殺は事の真相はどうであれ、オバマ政権がアフガンやイラクから撤退するためのイベントとして必要だったと思います。
そのためにビンラディンの遺体はどーでもよく、白い布に包んで海に捨て、本人確認は済んでいると言い張って、再検証できなくしているのです。
本当のことは分かりません、ただアメリカにとってテロとの戦争終結のロードマップの通過点であり、産軍複合体の暴走に少しでもプレーキがかかるならそれでいいんじゃないかと思います。
暗殺に成功したと狂喜乱舞する国民性のことはまた別問題だと思います。もしかすると喜んでいたアメリカ国民は、これでやっとブッシュが始めたテロとの戦いに出口が見えたということで喜んでいたのかも知れません。

どうにもこうにも気が晴れない。
頭の中にずーっともやもやしたものがあって、そのもやもやが9.11で具体化され、不思議なことに、まるで気体の様に3.11と交わった。
そして、オサマ・ビンラディンは土に還る事は許されず、海に沈んだ。

一体何が問題で、誰が何を失い、誰が何を得たのか?
失ったものだけしか見えてこず、得た者は雲隠れ。
吊し上げなきゃならない、もう一方の重罪人は、既に左団扇で次の標的をでっち上げているのだろうか。

若い頃、アメリカから学んだ私にとっては大きく影響を受けた“疑問”や“矛盾”への抵抗、あれは一体何だったんだろう?

いつになったら世界中が「アメリカは間違っている」って言うんだろう。

いつになったら日本中が「菅政権は間違っている」って言うんだろうか。

北米在住者です。
殺害の報道後、こちらのTVではホワイトハウスやグラウンドゼロで歓喜しお祭り騒ぎになっている様子が映し出されていて、私も強い違和感を抱きました。
アメリカはキリスト教徒が建国した国、キリスト教といえば、右の頬を打たれたら・・や、汝の敵を愛せ、じゃないですか?今のアメリカはキリスト教国家ではありませんが。
ビンラディンの犯した罪を許したまえ、と祈り捧げるのがあるべき姿じゃないかと思いました。
また、法治国家において殺害という復讐が許されるということも、信じがたく思いました。
単純に、人が一人殺されたことを喜ぶ姿に人間の恐ろしさ、愚かさを感じるとともに、こんなんだから、地球上からテロはなくならないんだとも思いました。

これは、アメリカ国民すべてがビンラディン殺害を歓迎しているという事実が証明できれば問題ないが、
そうでなければ、アメリカ国民に対する誹謗中傷ではないか?

この辺は厳しく見ていきたい。

意見さんの
「アメリカ国民に対する誹謗中傷」というご意見もわからないではありません。
最初にこのタイトル
「人を殺して歓喜する国民にはなりたくない」を見たとき、何とも変な気が私もしました。
「人を殺して歓喜する人間にはなりたくない」というタイトルでしたらすんなり心に入ってきたと思いますが、「国民」という言葉に引っかかりを感じました。
まあ、言葉は曖昧な部分があるので言葉として成り立っている、という面もあると思いますので、目くじらをたてる必要もないのかも知れませんが、報道では時々この曖昧さを逆手にとって<誘導>を行うこともあるのでしょうから、気をつけようと思っております。
(金平さんの記事が誘導だ、といっている訳ではありませんので悪しからず。)

「10年前の9月11日のワールド・トレードセンター崩落後に世界中に配信された映像があったのを覚えている。事件後、パレスチナの地で歓喜するパレスチナ人たちの様子だった。そのテレビ映像をみて「文明国」の人々は言った。何という人々だ。あんな悲劇に歓喜する人々がいるなんて。」との事ですが、BBC、CNN等が、イスラエル軍のパレスチナ占領地区から撤退する時のパレスチナの人々が歓喜している所の映像を、2001年9月11日のワールド・トレード・センターに対する攻撃に歓喜するパレスチナの人々として放送し、後に小さく(出来るだけ気付かれないようにするためか?)訂正を出したという、例の映像の事でしょうか? パレスチナの人々が「ひとを殺して歓喜す」人々と読まれかねませんが・・・

金平 様

このような時に・・・とおっしゃる方もいるかもしれませんが、GWはハワイにおりました。

夜、ワイキキのインターナショナルマーケットという小さなお店が並んでいるところを歩いている時に、English speaker ではないような、なまりのあるおばさんが、電話をしており、「ウサマビンラディン Dead?」と話をしており、その声に周りが反応していました。

その後ホテルに戻ってニュースを付けると。。。どのニュースもNYCのグラウンドゼロからの中継をやっており、すでに真夜中にもかかわらず、大勢が詰めかけていました。アナウンスについても「喜びに満ち溢れています」とかなんだとか。

その日から連日連夜、昼も夜も中継先からの喜びの声を拾っていました。ホノルルのカラカウア通りにも夜には数十人の若者が固まり、喜びの演説と歌さえも歌っていました。正直、鳥肌が立つほどぞっとしました。

許されない行為をしたことでの結果として死ということだとしても、
このように人の死というものに対しての大騒ぎぶりというのは、驚きを飛び越え、異常とさえも思いました。

ただし、アメリカ人全てがこのような状態であるわけではなく、グラウンドゼロに集まっている人なり、大騒ぎで喜びを表現している人たちは、若者が多いような気がしました。子供時代に、9.11 を体験して、ウサマビンラディンこそが全悪であると、体中精神的にも染みついてしまっている結果なのではないかと気の毒にも感じました。

海に埋葬したという、不可思議な結果を残している今回の事件ですが、いったん区切りはついたものの、根本的な終結ではないので、まだまだ奥深いテロとの根を感じざるをえません。

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Profile

金平茂紀(かねひら・しげのり)

-----<経歴>-----

1953年北海道旭川市生まれ。1977年に在京の民間放送局に入社、以降、一貫して報道局で、報道記者、ディレクター、プロデューサーをつとめる。「ニュースコープ」副編集長歴任後、1991年から1994年まで在モスクワ特派員。ソ連の崩壊を取材。帰国後、同局で筑紫哲也氏がアンカーマンをつとめるニュース番組のデスクを8年間つとめる。2002年5月より在ワシントン特派員となり2005年6月帰国。報道局長を歴任後、2008年7月よりアメリカ総局長としてニューヨーク勤務。コロンビア大学東アジア研究所の客員研究員。2010年9月に帰国。10月より同局「報道特集」キャスター兼TBSテレビ執行役員。

BookMarks

-----<著書>-----

ブログが本になりました!
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『NY発 それでもオバマは歴史を変える』
2010年11月、かもがわ出版


『報道再生 グーグルとメディア崩壊』
2010年12月、角川書店


『報道局長業務外日誌』
2009年6月、青林工藝舎


『米原万里を語る』
2009年5月、かもがわ出版、共著


『テレビニュースは終わらない』
2007年7月、集英社

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『ホワイトハウスから徒歩5分』
2007年6月、リトル・モア


慶應義塾大学出版会、部分執筆


『ジャーナリズムの条件4』
2005年5月、岩波書店、部分執筆


『従軍のポリティクス』
2004年7月、青弓社、部分執筆


『二十三時的』
2002年11月、スイッチパブリッシング

『電視的』
1997年12月、太田出版

『ロシアより愛をこめて』
1995年3月、筑摩書房

『世紀末モスクワを行く』
1994年12月、パルコ出版

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