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2008年5月18日

星野博美のひとをみる視線のやわらかさ

星野博美さんの新著『愚か者、中国をゆく』(光文社新書)を一気に読んだ。この本、いいなあ。星野さんの本ではあの『謝々!チャイニーズ』と甲乙つけがたいほど、両方とも一番好きな作品になりそう。まるで青春ロードムービーなのだ。けれども、昨今の日本人の中国および中国人をみる視線の変化を思うとき、星野さんの中国人および中国という広大な国をみる視線の柔らかさというか、想像力の柔軟さにぐいぐいと惹かれる。この本を読んでいて、何となく僕がソ連特派員時代のモスクワとか地方都市で体験した理不尽さと暖かさの同居したほろ苦い出来事が思い出されたりするのだ。
先にロードムービーと書いたが、この本は1987年5月4日から6月4日まで、星野さんが当時、香港の留学生だった頃、アメリカ人の友人マイケルと出かけた香港~ウルムチまでの旧シルクロードの一部を辿る旅の記録だ。鉄道を主な移動手段にしている。その座席をめぐる種別が物語のキーワードになっていて、軟臥(一等寝台)、軟座(一等座席)、硬臥(二等寝台)、硬座(二等座席)、無座(座席なし)という「5種別」が、あらゆるドラマの展開の起点・起動点になっている。平等を建前とする社会の「種別」は実質的には、権力の格差=つまり特権の存在を意味しているのだが、そこで繰り広げられる喜怒哀楽の現実のドラマ。笑いながら泣きたくもなる。そこに暮らしている人々と旅人。そこに同じ血が流れている人間としてのつながりを認めるのかどうか。そこが根本だ。ウイグルの項にある写真がどれもいい。
 中国の反日感情や、ギョーザ事件。チベット暴動の鎮圧、北京五輪問題、さらには直近の四川大地震の扱いなど最近の日本の対中国観の変化を大いに感じるにつけ、この本は多くの人に読んで欲しい本だ。
 最後に。マイケルという人物とのせつないこころの物語としても、僕はこの本を読みました。こういうのは好きですね。

2008年5月17日

沖縄で魂を揺さぶられる

久しぶりに沖縄に来た。沖縄を訪れた時には必ず、まるで「儀式」のように沖縄そばを食べることにしている。この十数年は、国際通りにある宮古そばの「どらえもん」と決まっている。今回もそうした。沖縄という土地が大好きだ。僕は北海道生まれ、北海道育ちなのに沖縄に惹かれる。同質のDNAのようなものを感じるのだ。
さて、その沖縄で初日から魂を揺さぶられるような体験をした。ひとつは県立沖縄美術館で今日から始まった『情熱と戦争の狭間で』展。友人の土江真樹子さんが企画したこの作品展は、戦没画学生の作品を収集する長野の「無言館」の作品群と、沖縄の画家たちの戦争の記憶をたどる作品群のコラボレーションなのだが、両方の展示が互いの認識を深めあう効果をしっかりと保っている。1+1以上の相乗効果を生んでいるのだ。「無言館」の作品についてはすでに多くの言葉がいろいろな箇所で費やされているのでここでは触れないが、僕にとって新鮮だったのは沖縄の画家・アーティストたちの戦争の記憶の重層性、多義性である。例えば、山田真の『沖縄戦』は英字新聞Daily Okinawan の挿絵として1947年に描かれたものだが掲載が見送られた。すさまじい作品である。大嶺政敏の戦前作品『増産戦士』と、40年後に描かれた『集団自決供養』に至るまでも通底する一種の静謐感覚。山元恵一の『司祭』『角笛』『人の祈り』の朱色に込められた悲しみ。与儀達治の『怨』『=0(イコールゼロ)』にみられる、戦争の記憶においてさえ隠されようとしているものへの直視。見る者の想像力がどんどんと拡げられる。
夜、桜坂劇場でタテタカコのライブを聴く。こころに沁みた。沁みすぎた。『君は今』から始まって2曲目の『宝石』くらいでもう涙腺の決壊が始まった。ダメだね。こんなにピュアな声は、相当初期の頃の坂本美雨にちょっと聴けたような記憶もあるけれど、中島みゆきとも違うし、矢野顕子とも違うし、もちろん綾戸智絵みたいにはなっていないし。とにかく、こころに直線として突き刺さってくる硬質な純粋な歌声はただごとではない。これは事件だ。

2008年5月 7日

何てすばらしいドキュメンタリーなんだろうか

このところヒドく疲れ気味で心を休めたいと思っていたので、うるさい地上波のテレビを避けて、友人の家で、NHKのBSハイビジョンを何気なくみていた。そうしたらアイルランドのアラン諸島の小さな島の人々の生活を追ったドキュメンタリー作品が放映されていて、どんどん引き込まれてしまった。何てすばらしいドキュメンタリー作品なんだと。人口54人のイニシュ・マン島で営まれている暮らし。ゲール語を話しケルト文化を守っている人々。あわてて新聞の番組欄をみたら『シリーズ 天涯の地に少年は育つ・アイルランド荒波に編むセーター』と出ていた。押しつけがましくなく、余計なBGMなんかなく、過剰なスーパーもなく、ただただ暮らしぶりを謙虚に映し出す。人間が引き継ぐべきもの・ことが映像から自然に伝わってくる。カメラワークの何と見事なことか。こういうドキュメンタリーをみると、こころが洗われる。おしまいのエンドテロップをみて、一体どこの誰がこんなすばらしい作品を作ったのかと注視していたら、ドキュメンタリー・ジャパンって出てきて、ああ、やっぱりな、という嬉しい思いがこころに拡がった。

2008年5月 6日

タテタカコの存在感

必然的に出会ってしまう歌い手というのがいるものである。是枝裕和監督の映画『誰も知らない』のなかで使われていた未知の歌手の歌が流れた時に、映画館で不覚にも涙腺が一気に破れたことを覚えている。ワシントンDCのEストリート・シネマという劇場でだった。その歌は『宝石』という歌で、歌っていたのはタテタカコという人だということを後から知った。それから4年の時間が過ぎた。そのタテタカコの新譜を聴いた。何と存在感のある歌手なんだろう。併収されているDVDには3人の写真家・美術家が曲に合わせて写真映像をつけている。何だかそれをみて胸が締め付けられるような、苦しいような感情を覚えた。「君は今(写真;奈良美智)」「遠い日(写真;小林紀晴)」「人の住む街(写真;橋口譲二)」。ライブで肉声を聞きたい歌手である。

2008年5月 4日

「羊に率いられた獅子」を描く愚直さ

最近では映画館で封切り映画をみる機会がぐっと減った。これはヤバいと思い、帰省先の富山市で『大いなる陰謀』というのをみた。富山市内でやっている映画があまりにもロクでもない作品ばかりで他にみるものがないのだ。大体にして映画館がパチンコ屋と同居しているシネコン系の郊外型。どこの地方都市も今や映画館はこんな有様なのだろうか。ロバート・レッドフォード監督・出演の『大いなる陰謀』の原題は「Lion for Lamb」。「(臆病な)羊に率いられた(高貴な)ライオン」とでもいうほどの含意が込められているのだろう。対テロ戦争を押し進める共和党政治家たち(=実戦経験の全くない羊)が、すっかり無力になったマスコミを使って、無理な軍事作戦を遂行し、未来のある若者たち(=ライオン)を戦場で死なせている、というメッセージがあまりにも前面に出すぎている。この映画の登場人物のなかで、高貴でまともな人間として描かれているのは、戦場で戦死する黒人系、ヒスパニック系の2人の若者のみ。この単純な構造がこの映画をかえって深みのないものにしている。描き方としてはむしろ愚直。ブッシュ政権末期に特有の映画とみなされてしまうだろう。そこが残念だ。ただ、映画『靖国』の事前試写を求める国会議員のいる国と、レームダックとは言え現在の政権の戦争政策を堂々と批判するこのような映画をトップスターたちと共に制作し、世界中に一般公開している国のどちらがまともな国か。それを考えてみてもいいのかもしれない。そう言えば、この映画の配給はあのマードックのニュースコーポレーション傘下の20世紀フォックスだった。ニヤリ。

Profile

田原総一朗(たはら・そういちろう)

-----<経歴>-----

1934年、滋賀県彦根市生まれ。
早稲田大学文学部卒。
岩波映画製作所、テレビ東京を経て、77年フリーに。
テレビ東京時代の連続番組「ドキュメンタリー青春」で、取材対象者に肉薄する独特のインタビュー手法で注目を浴びる。
現在は政治・経済・メディア・IT等、時代の最先端の問題をとらえ、活字と放送の両メディアにわたり精力的な評論活動を続けている。
テレビジャーナリズムの新しい地平を拓いたとして、98年ギャラクシー35周年記念賞(城戸又一賞)を受賞した。
2002年より母校・早稲田大学で「大隈塾」を開講。塾頭として未来のリーダーを育てるべく、学生や社会人の指導にあたっている。

-----<出演>-----

『朝まで生テレビ!』
(TV朝日、毎月最終金曜25時?)

『サンデープロジェクト』
(TV朝日、毎週日曜10時?)

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