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2008年2月29日

宮崎・綾町は実にいいところだった。

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観光スポット、宮崎県庁

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綾町の雛山まつり

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綾の手紬染織工房の藍染め

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綾の照葉樹林

きのうから宮崎県に来ている。宮崎と言えば、例の知事の誕生以来、県庁が一大観光名所になって、今も1日に1000人から5000人の見学者が訪れているのだという。県庁の建物はとても古い趣のある外観だったが、今日はそこを素通りして、綾町という町に来た。町づくりへの強い意志が感じられる場所だ。自然に恵まれていて、工芸・陶芸・ものづくりの文化と農業がいい具合に共生しているようだ。沖縄生まれの秋山真和さんが主宰する「綾の手染織工房」にうかがって、藍染めの伝統の技法や、幻の絹と言われる「小石丸」を用いた昔ながらの絹糸生産のプロセスを見ているうちに、こうした技法が日本の強みだった時代がかつてあったことを今更ながらに思った。なぜなら、この国では、こうした技法の殆どすべてが死滅しかかっているから。安い労働力を求めた末、技術がまるごと海外に移転・流失して産業の空洞化がここまで進んでしまった。気づいた時にはもう手遅れなのだ。中国のギョーザを責める前に、食物づくりの空洞化をここまで推し進めてきた国のありようもどこかで意識しなければ。2000ヘクタールもある照葉樹林のほんの入り口まで、ボランティアガイドの金丸文昭さんに案内していただいたあと、「酒泉の杜」で銘酒に出会う。

綾町のような可能性を秘めた町がまだまだ日本にはあるはずだ。

2008年2月26日

禍々しい、ただごとではない写真・安楽寺えみ

ラット・ホール・ギャラリーで「Snail Diary」と銘打たれた写真家・安楽寺えみの写真展をみた。このギャラリー周辺は、奇妙な渇いた空気の漂っている場所だな、と思ってしまう。一言で言えば居心地が悪い。まあ、いいや。で、展示されている写真だけれども、非常に危険かつ禍々しい。生身の迫力というものを感じる。何だか、草間弥生にも通じるものを感じた。写真はときおり撮った人物を残酷なまでに曝すことがある。そういうことで写真を撮った安楽寺えみという人物の方に関心が向かってしまうことがある。この写真展で、自身を蝸牛(Snail)に擬している安楽寺えみという写真家について、僕は飯沢耕太郎による紹介文以外には全く知らない。ただ、この禍々しさはただごとではない。なぜ写真が撮られるのか。そういう本質的な問いが、これらの写真から浮かび上がってくるほどだ。アメリカのNazraeli Press から発行された安楽寺の写真集をゆっくりとみながら、そんな思いを一層強くした。

2008年2月24日

ああ、関係が壊れていく

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『パワー系181』
2007年12月、集英社

すばる文学賞受賞作の『パワー系181』(墨谷渉)を読む。で、3日前のパーティーで、直木賞作家、桜庭一樹さんの言っていたことを思い出した。自分は小説に普遍性と現代性の両方を持たせたいのだという趣旨の挨拶だった。『パワー系181』の現代性と普遍性は何だろうか。グロテスクなものを見せられても笑えないし、かといって悲しみが拡がるわけでもなく、ひたすら関係の崩壊してしまった男と女のありようの描写に、どっと疲れるのだ。カタルシスなんかない。その荒涼とした風景に確かに現代性はあるのだろう。みんな、どこかで気づいているのだ。ああ、関係が壊れていく、と。痛めつけたり、痛めつけられたりしなければ、つながれない=関係を切り結べない。けれども、そこに人間のありようの普遍性なるものが潜んでいるのか。恐ろしいことに、おそらく、潜んでいるのだ。

2008年2月23日

芥川・直木賞パーティーにおける捕食事情

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挨拶をする川上未映子さん

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桜庭さんと川上さん

昨夜は、ブンガク業界の方々にとっては忙しい夜だったのかもしれない。第138回芥川・直木賞授賞式が丸の内の東京會舘で挙行された。エレベーターが人で溢れている。何だか初詣でみたいだな。芥川賞の川上未映子さんについては、この欄で何度も触れている。僕は大ファンである。直木賞の桜庭一樹さんについても、実はこの日誌で『旭川を舞台にした少女漫画的不可思議小説』(2006年12月15日)で書いた。その桜庭さんの受賞挨拶がなかなかよかった。和服で決めた桜庭さんは、作家の仕事は<みんなが何となくわかっていることに名前をつけること>、私は<小説に普遍性と現代性を持たせたいと思っています>などと述べていた。この2人の作家に直接お祝いの言葉を述べたいという人々で長蛇の列ができていて、その間、僕を含む「諦め組」「ミーハー組」はひたすらパーティーめしを食べた。ご一緒したYさんによれば、東京會舘のビュッフェはローストビーフがうまいのだという。で、そこの列をみると確かに長いのだった。アジア風の魚スープに人気があって、業界の方々に混じってグビグビと下品に食べた。のびきったスパゲッティも食べた。稲庭うどんも食べた。でもこういうパーティでの捕食は、やはりちゃんと食事をした感じとはほど遠いのだ。常に心ここにあらずの感じで口にものを詰め込むので。大体ろくに咀嚼していない。ほとんど飲み込んでいる。食べ散らかした食器が積み上げられたテーブルが目に入る。やだね。その後に開かれた川上さんの二次会に顔を出した。こっちの方はアットホームな感じでよかったですね。これからの川上さんの創作活動に恵みあれ。

2008年2月22日

ルポルタージュの威力を思い知る

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『ルポ 貧困大国アメリカ(岩波新書 新赤版 1112)』
2008年1月、岩波書店

ネット上に活字や映像があふれる情報過多の時代だからこそ、自分の足で直に歩いて得た事実に重みと価値を感じる。堤未果の『ルポ 貧困大国アメリカ(岩波新書 新赤版 1112)』(岩波新書)は、実によく足を使って取材されたアメリカ社会の現状報告だ。冨の分布の極端な二極化、金持ちはますます肥え太り、貧困層が途轍もない勢いで増していく。中間層が消えていく。この本は、そのアメリカ社会の現実を活写している。ミルトン・フリードマン(経済学者)の主張が何をもたらしたのか。「改革」という名の市場原理礼賛、ハイエナのための規制緩和はアメリカだけの専売特許ではない。この日本においても鋭い矛盾を孕みながら現在進行形で起きていることがらだ。

  かつて「市場原理」の導入は、バラ色の未来を運んでくるかのようにうたわれた。競争によりサービスの質が上がり、国民の生活が今よりももっと便利で豊かになるというイメージだ。だが、政府が国際競争力をつけようと規制緩和や法人税の引下げで大企業を優遇し、その分社会保障費を削減することによって帳尻を合わせようとした結果、中間層は消滅し、貧困層は「勝ち組」の利益を拡大するシステムの中にしっかりと組み込まれてしまった。グローバル市場において最も効率よく利益を生み出すもののひとつに弱者を食いものにする「貧困ビジネス」があるが、その国家レベルのものが「戦争」だ。(本書より)

教育、医療、住宅供給、兵役、年金、個人のプライバシーが、「民営化」の掛け声のもとに金儲けの対象になった時、いったい何が起きてしまうのか。戦争の「民営化」「外注化」や医療現場の荒廃ぶりが強く心に残る。これは日本への警告の本だと実感した。

2008年2月18日

清志郎@ブルーノート

ハコ(容れもの)によって演奏曲目やスタイルも随分と変わる。完全復活した忌野清志郎たちのこの夜の演奏に対するお客さんのリアクションも2月10日の武道館とはかなり違っていた。当たり前だよね、ブルーノートだもん。筑紫哲也の前説から始まって、目の前の狭いステージでの演奏をお客は十二分に楽しんだ。こりゃあ相当な贅沢だ。清志郎の魅力のひとつは「永遠の少年」のようなところにある。この点はホントに一貫して変わっていないのだ。それにしても一緒にやってるミュージシャンたちの面子の超豪華なことよ。梅津も片山も仲井戸も三宅もみんなスゲえや。元気をまたもやもらった。1週間はダイジョブだなあ。

2008年2月15日

青林工藝舎創立十周年を祝う

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あの『ガロ』(青林堂)の魂を引き継ぐ漫画雑誌『アックス』を刊行し続けている青林工藝舎が創立十年を迎えた。そのお祝いのパーティーがあったので出かけた。大勢の人が来ていた。よかったですね。手塚能理子さんたちの「持続の意志」がなければ、今の出版界の事情ではとっくに『ガロ』の魂は消滅していたかもしれない。僕はファンのひとりとして参加したのだが、そう言えば、『ガロ』には長井勝一さんの追悼文を書かせていただいたことがあった。『ガロ』20周年の企画取材もテレビでやったことがあったなあ。もう遙か昔の過去だ。花輪和一さんの減刑嘆願署名にサインした記憶もよみがえってきた。後にも先にも署名活動に名前を連ねたのはあの時だけだったかも。会場でひさうちみちおさんにお会いした。ひさうちさんの『唄の上手な娘』(もう絶版かな)の解説文を書かせていただいたことがある。もう随分と昔のことだけれど、ひさうちさんからそのお礼を言われて嬉しくなった。しりあがり寿、根本敬、内田春菊、林静一、蛭子能収、平口広美、丸尾末広等々といったディープな漫画家たちがつどっているこの場こそは、実は、日本の強烈な文化の発信地なのだと思っている。十周年おめでとうございます。

2008年2月14日

『ノーカントリー』は出来のいい娯楽作品だ。

コーエン兄弟の新作『ノーカントリー』をみた。面白い。こういう映画がアカデミー賞の最多8部門ノミネート作品になるとは、アメリカの映画状況はかなりいい状態なんだろう。何しろ、サイコパス=偏執的殺し屋シガー役のスペイン人男優ハビエル・バルデムの存在感がすごいのだ。時代遅れの大昔のリンゴ・スターみたいな髪型で、屠畜用圧搾空気ボンベを持って歩く姿は、網膜に焼き付くほど強烈。日本で缶コーヒー・ボスのテレビCMに出ているあのトミー・リー・ジョーンズの老保安官役(主役)が完全に食われてしまっている。この『ノーカントリー』には、あの『ナチュラル・ボーン・キラーズ』で狂気の殺人鬼を演じていたウッディ・ハレルソンも出ている。でも、彼の方が前述のシガーに比べるとはるかにまともに見える(?)んだから不思議なもんだ。原作のコーマック・マッカーシーの小説『No Country for Old Men』(邦題『血と暴力の国』)を読んでから映画をみたのだけれど、かなり原作には忠実な作品だったと思う。『ファーゴ』『オー・ブラザー』とコーヘン兄弟の作品を見続けてきたが、次は何を見るか。『ビッグ・リボウスキ』か『バーバー』あたりかな。

2008年2月10日

誇り高く生きよう

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僕は横浜の港北ニュータウンという所に住んでいる。ここはまだ人口増加地域なんだという。まさか、そこの本屋さんに、川上未映子さんが来るとは思わなかった。「芥川賞作家・川上未映子サイン会」と銘打って、『先端で、さすわ 刺されるわ そらええわ』(青土社)お買いあげ先着100名様にサインをいただけるというのだ。その本屋さんへは自宅から歩いていけるので、ミーハーとしては、サイン会に行ってしまったのだ。僕の順番は70番だった。サイン会というものに来たのは生まれて初めてのことだ。これがなかなか面白い。ファンというのはしっかりと存在しているものだ、僕も含めて。サイン会風景をNHKのカメラやら、出版社の人やらが取り巻いていた。僕もデジカメで撮ろうとしたら、書店の若い兄ちゃんが「撮影は禁止なんですが」と邪魔しに来た。それでうまく撮れなかったのがこの写真だ。

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サイン会をそこそこに抜け出して、武道館へと向かう。今日は忌野清志郎の完全復活ライブなのだ。まいった。3時間、清志郎は力の限り歌い続けた。完全復活だ。すげえや。感動した。『誇り高く生きよう』『デイドリーム・ビリーバー』『いいことばかりはありゃしない』と続いたあたりで涙腺が破れちまった。冒頭、抗ガン剤で髪がすっかり抜け落ちた頭が、2年がかりで毛髪が復活し、ロッカーとして生き返っていくさまがビデオクリップで紹介された。清志郎は生涯一ロッカーなんだ。デビュー曲の『僕の好きな先生』も歌っていた。モデルになった先生がこのコンサートに招待されていると、マネージャーの相澤さんが教えてくれた。『E気持ち』とか歌っているあたりでは、横の方の席にいた柳美里母子が踊り狂っていたのが目に入った。ファンの折り鶴で作ったマントも着ていた。ラストには、ステージに清志郎の2人のお子さんが登場して、お父さんに花束を贈っていた。まいったな。写真を撮ったが、豆粒みたいな清志郎がかすかに写っていた。清志郎の声って、何てステキなんだろう。だから彼の回りにはこれだけすごい音楽野郎たちが集まる。自分の意志を貫き、誇り高く生きること。ものすごい勇気をもらった。お客さんたち誰もが勇気と愛をもらった貴重な一夜だった。

2008年2月 6日

『調査情報』を購読してくださいませ

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この欄は「業務外」日誌なので、「業務」に関係したことはあまり書きたくないのだけれども、たまには「営業」をすることもある。あの本はいい本だから買ってくださいとか、こういう雑誌は読んでも損はないですぜ、とか。それで、この欄に取り上げるのは、たまたま自分のいる会社が出している雑誌なのだ。まあ、手前味噌にはなるが、放送局が出している雑誌では一番マトモだと思うから「営業」してしまうことにする。だって、たとえばNHKからだと『放送文化』とかあるけど、ほとんど読むとこないもんね。『放送研究と調査』の方が、まだマシかも。フジテレビには『アウラ』がある。『調査情報』の創刊は1958年(昭和33年)8月、今出ているのが通巻480号だという。今は隔月刊だが、以前は月刊だった。かつては沢木耕太郎とか吉本隆明なんかも執筆陣に名を連ねていたことがある。何を隠そう、僕もここで『メディア論の彼方へ』という連載を受け持っている。自由闊達な紙面作りは歴代の編集長・編集者らの努力の賜物だろう。最近はめっきり雑誌を読まなくなったが、いいものはいい。『クーリエ』の森巣博の連載とか、『みすず』、『ちくま』(なだいなだの連載)、『翼の王国』(鹿島茂の「稀書探訪」)なんぞを、まだ読み続けている。『調査情報』は隔月刊で1冊790円。購読して絶対に損はないですよお。お申し込みは、次のところまで。
 
FAX: 03-3586-6017
Mail: tbsmedia@mbr.nifty.com

2008年2月 4日

冷凍ギョーザ事件の只中にみた映画『フィクサー』

今年のアカデミー賞の主要7部門にノミネートされている作品の上に、一応、農薬会社の犯罪的行為を扱った社会派作品を自認し、主演がジョージ・クルーニーとあっては見ないわけにはいかない。で、まず思ったのは、この『フィクサー』という作品は、実に良くできたエンターテインメント(娯楽作品)だということ。120分の上映時間はアッという間だった。それほど緊張感が小気味よく持続されていた。ジョージ・クルーニーの演技は、あの『グッドナイト&グッドラック』よりもずっと輝いているようにみえた。利潤追求のためならば企業というのは何だってやる。それを「良心」という名の下に、内部告発したり、止めようとしたりする勇気ある人間がいる。そういう筋立てはよくあるものだ。随分前の『インサイダー』という映画もそうだった。けれども最終的には「良心」が勝利を収める。それはハリウッド映画のいわば決まり事である。現実はそうではない。『インサイダー』の時もそうだったが、最大手の農薬会社や製薬会社、食品会社などは、法律事務所の選択のみならず、映画会社やテレビ会社、メディア企業の経営にも強い影響力を行使できる。アカデミー賞へのノミネート自体に圧力をかけることだって可能だ。そういうなかで、もし『フィクサー』がオスカーをとったならば、明らかに何かの変化の兆候をそこに読みとることができるというものだ。折から、中国から輸入された冷凍ギョーザによる中毒事件がこの国を騒がせている。おそらく何人もの『フィクサー』たちがこの出来事の背景で動いているだろう。映画のように「良心」がラストシーンで勝利してハッピーエンドになるかどうか。それを決めるのは「利潤」ではなく「真実」であって欲しい。

2008年2月 3日

バルガス=リョサ『楽園への道』に揺さぶられる

通勤時間などに読み継いできたマリオ・バルガス=リョサの『楽園への道』をようやく読み終えた。すげえや、この小説は。スケールからして、ケータイ小説が何とかかんとか言ってるニッポンの最近の一部の小説なんか目じゃないと思う。歴史小説という体裁をとっているが、中身の方は、人間の魂の救済をもとめた個人の勇気のストーリーと言った方がいい。河出書房新社の世界文学全集はラインナップがとてもいい。第一巻の『オン・ザ・ロード』で魅了され、さらにこの第二巻で、全卷読破する気力が沸いてきたぞ。と同時に、ポール・ゴーギャンの絵画をじっくりと見てみたいと思うようになった。どこの出版社の画集が一番いいのだろうか。そして、もうひとりの主人公、ゴーギャンの祖母、社会主義者フローラ・トリスタンの伝記部分にも興味が沸いてきた。だって、今のこのひどい格差社会を脱する方法の根本のところには、やっぱり彼女やカール・マルクスがいるかもしれないのではないか。翻訳なのだが、とてもすんなりと読める。一個だけ、「アンダルシア女」という表現がニュアンスと語感がちょっと伝わりにくいかなと思ったけれども。でもとにかくすげえや、この小説は。こんな人物が、ペルーの大統領選挙に出て(1990年)、あのフジモリに負けていたとは、何だかスゴい落差を感じるのだが。政治のなかのバルガス=リョサと小説家の彼との間に。

2008年2月 2日

ハラショー! バシュメット!

かつて1991年からモスクワに住んでいた頃に出会い、ファンになってしまい、いまだに聴き続けている音楽家のひとりに、ヴィオラのユーリー・バシュメットがいる。1953年生まれだから自分と同じ年齢の人だ。その後、ワシントンDCに勤務していた頃も、確かボルティモアまで彼の演奏を聴きに行った。そのバシュメット率いるモスクワ・ソロイスツ合奏団の演奏を横浜で久し振りにみた。ゲストは諏訪内晶子。かつてのソ連~ロシアの音楽家たちの素晴らしい美点のひとつは、後進を育てるということだ。リヒテルやロストロポーヴィチらは熱心に後進を育てた。バシュメットもそうだ。若い才能を育てる。そしてお互いを高めあう。この日の演奏をみていてつくづくそう思った。時にヴィオラの弦を指揮棒に換え、変幻自在に演奏者と指揮者、教育者のあいだを行き来する。気付くのは、ソ連時代に身につけていた粗末な衣装が、どんどん洗練されてきてお洒落な良い衣装を着るようになったなあ、と。モーツァルトの曲が中心に据えられたプログラムだった。アンコールは3曲に及んだが、1曲目の「G線上のアリア」に続く2曲目のロシア民謡「シュニトゥケのポルカ」にすっかり魅了されてしまった。終わってみると諏訪内の演奏はあまり印象に残らず、バシュメットと彼のモスクワ・ソロイスツ合奏団の力強い団結ぶりばかりが強烈にこころに刻まれていた。ハラショー! ブラボー! バシュメット! ロシアは激動に揺られながら、音楽家たちの豊かな才能は枯渇していない。

Profile

田原総一朗(たはら・そういちろう)

-----<経歴>-----

1934年、滋賀県彦根市生まれ。
早稲田大学文学部卒。
岩波映画製作所、テレビ東京を経て、77年フリーに。
テレビ東京時代の連続番組「ドキュメンタリー青春」で、取材対象者に肉薄する独特のインタビュー手法で注目を浴びる。
現在は政治・経済・メディア・IT等、時代の最先端の問題をとらえ、活字と放送の両メディアにわたり精力的な評論活動を続けている。
テレビジャーナリズムの新しい地平を拓いたとして、98年ギャラクシー35周年記念賞(城戸又一賞)を受賞した。
2002年より母校・早稲田大学で「大隈塾」を開講。塾頭として未来のリーダーを育てるべく、学生や社会人の指導にあたっている。

-----<出演>-----

『朝まで生テレビ!』
(TV朝日、毎月最終金曜25時?)

『サンデープロジェクト』
(TV朝日、毎週日曜10時?)

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