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2007年11月30日

清志郎は完全復活したもんね。

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忌野清志郎(中央)と竹中直人(左)と3人で

先日、忌野清志郎さんと再会する機会があった。竹中直人さんのラジオ番組に出演していたので、訪ねていったら、これがとても面白い番組になっていた。話をするって、本当はとても面白いことなのだ。清志郎は、来年の2月10日に、武道館で完全復活コンサートをやることになっている。咽頭ガンを克服しての大舞台だ。絶対に見に行くぞ。やな話ばっかりに覆われたニッポンを、世界を、けっ飛ばして欲しいもんだ。髪の毛もふさふさと生えていて完全復活しているし。清志郎の歌を聴いていると、人間のやさしいこころがまだ残ってることを思い知らされるようなところがある。同時代に生きてきて、本当によかったなあ、と思う。

2007年11月27日

今すぐ書店に行って「文学界」を買って……

この「業務外日誌」を読んだあなたは、今すぐパソコンを閉じて書店に走り、月刊誌「文学界」12月号(定価950円)を買って、その126ページから165ページにかけて掲載されている川上未映子の新作『乳と卵』を読んだ方がいい、こんな文章読んでるより。小説家が誕生する現場に立ち会う興奮。こういう興奮は無性に他人と共有したくなるのだ。関西弁の語りが戯作者のツールとして、もはやしっかりと根をおろしてしまっている。おんなであることの記号として頻出する、卵、初潮、受精、月経、豊胸といったタームから拡がっていく究極的な孤独の感情。ある箇所は、連合赤軍事件の遠山美枝子と永田洋子のあいだで交わされた「おんなであること」を否定する会話を想起させたり、またある箇所は、ドストエフスキーの小説に登場する母子を想起させたりする。「ほんまのこと」=真実。「ほんまのことなんてな、ないこともあるねんで、何もないこともあるねんで」。玉子まみれになった巻子から、僕は、だし巻き玉子を連想して、ほんまに涙が出たね。 

2007年11月23日

大阪でM・ベジャールの訃報に接する

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ホテルの窓からみた大阪市内の風景

きのうから大阪にいる。パリの池田特派員からのメールで、モーリス・ベジャールの死去を知る。結局、今年の2月に幸運にもパリでみることができたモーリス・ベジャール80歳記念公演のステージが最後になった。(2007年2月12日の日誌欄参照) その公演『Le Best-of de Maurice Bejart』。集大成といった感じか。あの時も幕切れのシーンでは、ステージの上でベジャールは車椅子に座っていたものなあ。この公演はベジャール自身の振り付け師としての人生を振り返るフラッシュバックのような内容だった。やがて訪れる死に対する予感に満ちていたとも言える。でも、僕らは、こういう人の同時代に生きていて、ジョルジュ・ドンのボレロとかを生身で実際にみることができて本当に運がよかった。まさに現代のディアギレフとでもいうべき偉大な存在。こういう人の存在で、人生が決定的に変化した人がたくさんいることだろう。ようし、これからも貪欲に踊りに接していくぞ、と。そんなことを高層ホテルの窓から大阪の無機質な風景を眺めながら思った。

2007年11月21日

「写真新世紀」のみずみずしさ

東京都写真美術館の「写真新世紀」をみるのが楽しみだ。毎年、新人発掘の登竜門の役割を果たしているらしい。若い人たちのなかで、写真家を志している裾野が確実に広がってきているように思う。今年の入選作のなかで個人的に興味を持ったのは、2人いて、何故かともにモノクローム写真を出品していた人だ。ひとりはエグチマサルという人の「生きている」。もうひとりは、ヤン・スン・ウーという韓国籍の人の「チューインガム」。人間という生き物の日常が営まれていることの生々しさというか、モノクロームから立ち上る独特の臭いがある。この人たちは写真を撮らずにいられないくらい濃い何ものかをもっていると思ってしまうのだ。ほか、優秀賞に選ばれた黒澤めぐみの「二重性活」も濃いなあ。若い人たちの視線がこういう方向に向かっているのが楽しい。世界はまだまだ秘密と謎に満ちているし、写真はまだそれと付き合うためのきわめて有効な武器であることに間違いはない。

2007年11月20日

川上未映子さん、おめでとうございます。

早稲田大学が主催する坪内逍遙大賞というのが創設されたのだそうだ。その第一回の大賞受賞者に、村上春樹が選ばれた。そんで、奨励賞というのもついていて、川上未映子さんが受賞したのだ。これは大変いいことだ。「おめでとう」を言いたくて、授賞式とパーティーに顔を出す。授賞式はもちろん撮影厳禁。初めはちょっと固苦しい空気が感じられたが、沼野充義さんの受賞理由についてのスピーチがなかなかよくて、空気が徐々になごんできた。「わたしはゴッホに言うたりたい」なんかを引用したりして。司会者も「ムラカミヒデキさん」などと大賞受賞者の名前を間違えたりして、それはそれでよかった。僕はパーティーは苦手だが、旧知のYさんとともに、さっそく会場で一番チャーミングだった川上さんにお会いして、緊張気味にお祝いの言葉を伝え、早々と会場を後にした。才能は見いだされてこそ華。

2007年11月18日

『円生と志ん生』に泣き笑う

こまつ座の『円生と志ん生』をみる。昭和20年8月、敗戦後のソ連軍の進攻を受ける前後、旧満州国・大連市にいた五代目志ん生こと美濃部孝蔵(角野卓造)と、六代目円生こと山崎松尾(辻萬長)の残留体験・地獄めぐりのストーリーである。途中休憩を挟んでの2幕に入って俄然、この芝居はエネルギーをぐいぐいと増してくる。角野の「救世主」の演技にとんでもないリアリティがみなぎり、泣いて笑ってまた泣いて、最後には大笑いする。井上芝居の人間賛歌にまたもや勇気をもらう。脇を固める4人の女性陣の演技がとても魅力的だった。いいなあ、やっぱり、芝居は現実より真実だ。

2007年11月17日

戦争から米兵を脱走させた運動がこの日本にあったという事実

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思い出を語る鶴見俊輔氏と室謙二氏

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講演中の小熊英二氏

主催が「元ベ平連・元ジャテック・元イントレピッドの4人の会有志」という、「元」が3つもついたうえ「有志」というんだから、ほとんど個人主催というのが実情なのだろう。決して大きくはない規模のその映画・講演会に出かけた。思ったよりもたくさんの人が来ていた。平均年齢60歳くらい? 今からちょうど40年前の1967年11月、横須賀に寄港した米空母イントレピッドから4人の米兵が脱走した。ベ平連が彼らを匿い、スウェーデンに亡命させた。この出来事は今現在にどのようにつながっているのか。この出来事は今現在の日本人の想像力に何をもたらす可能性があるのか(ないのか)? 鶴見俊輔と室謙二が楽しそうに思い出を語った。吉川勇一も吉岡忍も思い出を語った。でも、この日のプログラムで個人的に一番面白かったのは、小熊英二の講演だった。その怜悧な分析的理性や、大胆な裁断=言い切りの手法に多少の違和感を覚えながらも、同時に、こういう発言をしっかりとする小熊の心意気に感心した。ここでは詳述できないが、ジャテックの歴史はまだまだ謎の部分が多い。ベトナム戦争から米兵を脱走させた運動がこの日本にあったという事実。40年前の日本では、ベトナム戦争で費やされる油の輸送を止める行動があった。今はインド洋上での油の補給が国是のような扱いを受けている。けれども、この油は40年を隔てても本質的につながっている。

2007年11月15日

「孤立を怖れぬ精鋭だけが歴史を変える」

六本木のミニシアターでATG映画の連続上映会が開かれている。ATG映画は、高校生から大学生だった頃にかけてよくみた。僕は今でも「いちばん好きな邦画は?」と聞かれたら、迷わず「初恋:地獄篇」!と勢いよく答えることにしている。実際面白かったしね。

数あるATG映画のなかでも異彩を放っていた作品のひとつが、若松孝二が1972年に撮った『天使の恍惚』だ。あさま山荘事件のあった年である。あの年によくあんな観念的かつ暴力的かつ黙示的なパートカラー映画を作ったもんだ。「孤立を怖れぬ精鋭だけが歴史を変える」なんて言う台詞がばんばん飛び交っている。のちに日本赤軍のメンバーになった足立正生や和光晴生までが制作に参加(出演)している。その意味では映画のなかと現実が地続きになっているのだ。そんな危険な映画なんて今の日本ではありえないかもしれない。横山リエさんも(今は新宿の「GOD」のママさんをやっておられるが)、吉沢健も、山下洋輔も、みんなみんな若かった。当たり前だけれど。白黒映画がいきなりカラーとなるSEXシーンは、今見ると極端に動きが抑制されていて何だか不思議な感じがする。

何で今、このようなATG映画のレトロスペクティブなのか? 時代があの手触りを求めているのか?

2007年11月14日

失われたアメリカの時を求めて

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『MY LOST AMERICA』
2007年11月、リトル・モア

中野正貴の写真集『MY LOST AMERICA』(リトルモア刊)にやられてしまった。とてもいい写真集だ。

さまざまな思念が広がる。NYとロスという都市の風景に向けられた中野の視線から喚起される、あの時代(レーガン政権下の「繁栄」の80年代!)の空気。と同時に、時代を超えて共有される人間の感情の愛おしさ。情動こそが真実だ。1977年に撮られた2枚の写真から、1996年に撮られたあのワールドトレードセンターのあまりにも黙示的な一枚の写真まで、170点あまりの写真をじっくりと見終わると、「9/11以前」に確かにあったアメリカの貌を強烈に刻印される思いもする。と同時に撮られてもいないのに迫ってくる「9/11以降」のアメリカの異質な貌のことも意識されてくる。いいな。

2007年11月11日

『善き人のためのソナタ』はニッポンをも撃つ

ワシントンDC在住のIさんから「今年度のベスト映画と言えばこれですね」と薦められた『善き人のためのソナタ』を今頃になってようやくみた。考えてみれば、ドイツ映画は、ワシントンDCに住んでいた時にみた『グッバイ・レーニン』以来だから、映画の分野では僕はいつのまにかドイツ嫌いになっていたのだ。シュタージという秘密警察の網が張り巡らされていた東ドイツの1984年が舞台である。そう、ジョージョ・オーウェルのディストピア小説のタイトルの年。オーウェルの預言通り、社会主義が抑圧装置に転化し、国家が監獄になっていた年に、シュタージの男を激しく揺り動かしたのは、ピアノ曲「善き人のためのソナタ」。音楽には自由に向かう原初の力があるのだから。そして演劇にも。この映画で記憶に張り付くのは、体制が変わろうとどうなろうと、ちゃっかりと生き残っている大臣の存在である。それは僕らの国ニッポンにおいても、1945年を挟んで起きてきたことがらであり、ニッポンの国家の体制がそのような虚妄の上に再出発を遂げたという歴史的事実がある。その意味では『善き人のためのソナタ』はニッポンをも撃つ。そして、国民の安全のためをスローガンに国民総監視体制をとりつつある世界の国々をも。ちなみに、現在のロシア大統領であるプーチンは、かつてKGBの要員だったが、この映画のエピローグとして語られる1985年から1990年までの5年間、東ドイツに勤務していた。事実は歴史にウソをつかない。

2007年11月10日

今、教養の場はどこにあるって?

新宿の紀伊国屋ホールで「書物復権2007」という連続講座の2回目、「大学の<知>、街の<知>」というのを聴きに(見に)行った。1回目は業務のために行けなかった。残念。というのは、業務の方が実にくだらなかったからである。サブタイトルが「今、教養の場はどこにある?」とある。教養ねえ。例えば東京大学教養学部教養学科に教養はあるか? そういう話を聞きたいわけではない。で、出かけた目的は、管啓次郎という人の話を聞くためだ。案の定、この人の言うことだけが突出して面白かった。ラディカルな<知>というものが生き残っているとすれば、このような人の発言から垣間見ることができる想像力のチカラのことを言うのではないか。そう思って2時間ばかりの盛り上がらない講演を聴いていた。

さて、例えば、新宿・紀伊国屋書店を舞台にした昔の映画『新宿泥棒日記』当時の紀伊国屋ホールと、現在の紀伊国屋ホールの構造と機能を比較すること。そういう所から何かが始まるんじゃないか? そう言えば、僕は、三島由紀夫『サド侯爵夫人』を小川真由美が演じているのを、このホールでみていたことがあるな、あの壁にある飾り付けのようなものは当時と全く変わっていないな、などと思い出していた。今、紀伊国屋ホールに教養はあるか?

2007年11月 9日

イスラエルのダンス・カンパニーの越境性

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ポスト・パフォーマンス・トークでのインバル・ピント(左端)とアヴシャロム・ポラック(右端)

イスラエルのコンテンポラリー・ダンスのなかでも、世界的に高い評価を受けているというインバル・ピント・ダンス・カンパニーの『Hydra』(世界初演)をみた。これがなかなか素敵だった。幻想的かつ実験性・ポエジーに溢れたステージに魅了された。客演した2人の日本人ダンサー(大植真太郎と森山開次)のダンスも、それぞれが全く違う個性を強烈に放っていて引き込まれた。ちょっと遠くからみていると、若い頃の忌野清志郎と亀田弘毅がダンサーに生まれ変わったみたいにも見えなくみないけれど(笑)、その動きの切れのよさと言ったら。空気を見事にカットしていた。ポスト・パフォーマンス・トークまでみていたが、36歳と37歳のこの若き振り付け師の才能に、どこかイスラエルという国家の属性を勝手に重ねて思い描いてしまうのは、自分にある種の思いこみがあるからだろうか。ダンスに国籍はあるか? ダンスは越境するか? ダンスで平和を実現できるか? このような問いを発することができないまま、帰路についた。ただ、この日にみた舞台には確かに越境性があると思ったのだ。

2007年11月 8日

グルーシェニカのような女性がいたら

今年読んだ本の中で最大の収穫は、やはり『カラマーゾフの兄弟』(全5巻 光文社古典新訳文庫)だったけれども、そのなかでも際立った魅力の登場人物に、高級娼婦グルーシェニカがいる。その昔、マリリン・モンローがアクターズ・スタジオで演技を学んでいた当時(1950年代の中頃)に、「グルーシェニカ役をやってみたい」と述べたそうだが、この官能的な役どころは、確かにモンローにとっては適役と映ったのだろう。天衣無縫の娼婦性と天使性を兼ね備えたファム・ファタル(運命の女性)としてのグルーシェニカ。そういう女性が現実にいたら、大体の男どもはイチコロだろう。その後の時代で、同系列の女性と言えば、マドンナとかスカーレット・ヨハンソンとかなんだろうか。日本の女優のなかでは、もしかして夏木マリかも。

2007年11月 7日

猫より他に神はなし

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わが愛猫ナージャ

町田康はかなりの猫好きである。前作『猫にかまけて』にも泣かされたが、今度の『猫のあしあと』も、僕ら猫族には「むふふ」と緩まされてしまう本である。猫より他に神はなし。善悪の彼岸を生き抜く猫たちは、この小さい小さい人間どもよりも遙かに自由だよな。猫は仕事なんかないし、ましてや役職を辞任なんかしないし、辞任を撤回したりなんかしないし。猫には政党もないし。猫にはマスコミだってないだろう。ただ、人間と同じように生き死にはある。切ないね。この本に出てくる猫の死をみとるシーンに激しく動揺した。この本、フランス装の造本もいいし、町田康の奥様が撮られたと思われる写真もセンスがいい。好きな本だ。こういう本を読みながらふと考える。最近は身辺であまりいいことがないので、猫と水泳とワインに逃げ込んでいるのだろうか、と。ダメだね。でもなあ、猫がいて、プールで泳いで、あと、ワインがあればいいや、この世の中なんて。そう思ってしまうのも事実。

2007年11月 3日

なぜ今、昭和レトロなのか

北海道・旭川市のメインストリート、平和通り=買い物公園は、日本で最初の歩行者天国(ノーカー道路)を実現した地だ。僕が中学生の頃だが、当時はなかなかの賑わいを見せていたものだ。映画館も沢山あったが、そこで『ロメオとジュリエット』だの『白い恋人たち』、それから『2001年宇宙の旅』、西ドイツかスウェーデン映画だったかの性科学映画『女体の神秘』(!)だのをみた記憶がある。それが、今、この街も地方都市の例外に漏れず、郊外型の大型ショッピングセンター内に併設されたシネコンに席巻され、中心部の映画館が次々に姿を消してしまった。たった一軒だけ残っている旭川東宝で、邦画が2本かかっていた。なぜかどちらにも行列が出来ていた。『Always 続・三丁目の夕日』。昭和30年代初めの日本がまだモノが欠乏していた時代のストーリーだ。貧しかったけれども暖かかったあの旧き良き時代。VFXで再現された当時の東京は美しすぎて、セピア色の記憶がねつ造されている。にもかかわらず、僕を含めてこれほどの観客を集めている。昭和レトロへの郷愁。この映画館にまつわる自分の記憶と、この映画を重ね合わせながら、頬をゆるめている自分が気恥ずかしい。でも、なぜ今、昭和レトロなのか。映画館を出て、街の風景をちょっと眺めてみて、その理由がわかるような気がした。旭川はきのうは雪がちらついた。

Profile

田原総一朗(たはら・そういちろう)

-----<経歴>-----

1934年、滋賀県彦根市生まれ。
早稲田大学文学部卒。
岩波映画製作所、テレビ東京を経て、77年フリーに。
テレビ東京時代の連続番組「ドキュメンタリー青春」で、取材対象者に肉薄する独特のインタビュー手法で注目を浴びる。
現在は政治・経済・メディア・IT等、時代の最先端の問題をとらえ、活字と放送の両メディアにわたり精力的な評論活動を続けている。
テレビジャーナリズムの新しい地平を拓いたとして、98年ギャラクシー35周年記念賞(城戸又一賞)を受賞した。
2002年より母校・早稲田大学で「大隈塾」を開講。塾頭として未来のリーダーを育てるべく、学生や社会人の指導にあたっている。

-----<出演>-----

『朝まで生テレビ!』
(TV朝日、毎月最終金曜25時?)

『サンデープロジェクト』
(TV朝日、毎週日曜10時?)

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