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2007年10月31日

昭和の終焉期を写真でみる

東京都写真美術館の全4部作の写真展『昭和 写真の1945~1989』が完結した。そのすべてをみたが、第4部はオイルショック以降バブル期に至る、普通に考えれば、昭和のなかでもつまらない「スカ」の時代なのだが、写真展の方は案外面白いのだった。作家性の強く出ている写真群は別として、記録としての「風景の変容」が写真家の目で鋭く捉えられていて、ひきこまれた。大規模開発の造成地を撮った小林のりお『ランドスケープ』とか、解体寸前の建物を撮った宮本隆司『建築の黙示録』などは、やはり我々がどこから来てどこに向かっているのかを考えさせられるのだ。荒木経惟の『写真論 1988-1989』は昭和の最後の瞬間をしっかりとおさめていた。この写真展の大ジメに相応しい写真だ。やはり写真は時代とともに存在する。

2007年10月26日

『ワールド・トレード・センター』~終末から希望を紡ぐ~

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先日、劇団・燐光群『ワールド・トレード・センター』をみた。9・11同時多発テロを日本の小劇団がどのように描くのか。スズナリの狭い席に座ってみているうちに、他人事ではないある種の身体的な記憶がよみがえってきて、ついには身を乗り出すようにしてみていた。そうだ、そうだったんだ。あの日、僕は「NEWS23」の担当編集長で、日本に接近していた台風中継の準備で各局と連絡をしていたりしていた。「NYで、セスナ機がビルに衝突したらしいよ」というノンビリした誰かの発言が僕が記憶している一報だった。NYからの生衛星回線の映像をみていて、どうもこれはセスナ機どころじゃないぞ、変だぞと考えていた僕らの目の前の中継回線映像で、二機目が突っ込んだ。その時、僕の真横にいた斉藤道雄さん(当時のNEWS23プロデューサー)が「テロだ!」と短く叫んだ。その後のことは、いつか別の箇所で詳しく書く機会もあるだろう。
 
燐光群のWTCは、在NYの日系情報誌の編集室が舞台になっている。だから登場人物たちは、消防士に友人のいる劇団のアンダースタディ(代役)のニューヨーカーたった一人を除いては、全員が在NYの日本人たちだ。だから、異邦人である在NY日本人の目から見たあの惨劇が、どのようなトラウマを残し、終末を刻印し、彼らがそこから新たな希望を紡ぎ出して行こうとするのか。実に密度の濃い日本人にとってのWTCストーリーだ。オリバー・ストーンの例の映画より、よっぽど日本人である僕らにはリアリティをもって迫ってくると思う。

2007年10月24日

しりあがり寿の『ゲロゲロプースカ』がスゴい

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『ゲロゲロプースカ』
2007年2月、エンターブレイン

こういう贅沢な造本もあるか。章によって色を使い分けた上、さらに選ばれた紙質がいい。しりあがり寿さんの新刊『ゲロゲロプースカ』(エンターブレイン)をさっそく読んだ。黙示録的な近未来ストーリー。少子化が行き着き、もはやこどもが滅亡しつつある人間社会が舞台だ。『方舟』『ジャカランダ』に連なるブンガク作品だ。そもそも人間社会の発展・進歩って一体何なのか。そういうことどもを考えさせられる漫画なんか、そうそうあるもんじゃない。ところが、しりあがり寿の漫画はさらりとそういうことをやってのけるのだ。しかも軽い繊細なタッチで。しりあがりさん。いただいた屏風はとても評判がいいです。また四谷で飲みましょうね。

2007年10月20日

今こそ「実録・連合赤軍」をみよ

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東京国際映画祭の会場の六本木ヒルズは、いつ行っても嫌な場所だと思う。朝10時前、映画館の前には当日券を求める人の列が出来ているではないか。なぜ、いま、連合赤軍などという、しんどいテーマを扱った映画をみようという人たちがこれほどいるのか。とりわけ若い観客たちが多いのに驚く。3時間10分という上映時間の長さなんか全く感じさせない緊張感が続く。山岳ベースでの壮絶なリンチ=総括のシーン、とりわけ、重信房子の親友だった遠山美枝子(坂井真紀のすさまじい演技!)の総括シーンは、この映画のもっとも揺さぶられるシーンだ。胸が締めつけられる思いがする。あさま山荘に籠城し銃撃戦を闘った加藤三兄弟の末弟(当時、高校生)が最後に絶叫したことばに、若松監督の若い世代への希望が託されているとみた。30年前の今日、学生たちが防衛庁に突入していた。ベトナム戦争のさなか、米軍へのジェット燃料輸送を市民・学生らが実力で止める抗議行動があった。この日本でのことだ。熱い時代だったなどというノスタルジックな物言いをする前に、今現在続いているイラク戦争への給油活動との連続性を問う想像力がもとめられている。今こそ「実録・連合赤軍」をみよ。

『実録・連合赤軍』制作委員会
http://wakamatsukoji.org/

2007年10月18日

The River Must Flow. / I’ll Be There.

今日からプライベートで行くつもりだったボストン旅行を、昨夜キャンセルした。残念だ。心身ともに弱ってきている時には、聴きふるした昔のCDを取り出してきて再び聴く。若い頃にレコード盤で聴いていた「渡辺香津美KYLYN LIVE」はそういうなかの1枚だ。1979年2月に六本木のピットインで行われたLIVE。これがすごくいい。当時も今もクール。全然古びてないもんね。特に矢野顕子とのセッションで演奏されたうちの2曲The River Must Flow. / I’ll Be There. は何度繰り返し聴いたことか。何だか「希望」とか「若い強さ」とか「遠くまで行くんだ」みたいな決意表明、そういう空気が濃厚にあるものな。I’ll Be There.なんか特にそうだ。こころの薬だ。向井秀徳とか、日本のラッパーたちが逆立ちしてもかなわんだろ。そう、あの時きみは若かった、けど、ノスタルジーなんかには逃げ込むな。JAGATARAの江戸アケミが言っていたように、今が最高だと転がっていこうぜ。

2007年10月17日

「荒地」に集った詩人たちの凄まじいまでの生への欲求

僕が「業務外日誌」を記している理由のひとつには、業務<内>での出来事が、あまりにも馬鹿馬鹿しく、同時に、深刻で、かつ職業倫理にまつわる判断を刻々と強いられるので、それらをレアな形で表出することは避けたいということがある。これはホンネだ。だから、今の自分の仕事には直接関係していないような体裁で、業務<外>のことを書くということは、ある意味で何かから逃げているという側面があるのかもしれない。ただ、この業務<外>のことがらは、業務<内>のことがらと密接に関係していて、ひどい仕事にぶち当たった時などには、仕事の<外>であえぐように必至に何かを探し求めていることがあるのだ。

ねじめ正一の『荒地の恋』(文藝春秋)を読んだ。この生々しさをなぜ今の自分は求めているのか。その理由を自分ではよくわかっているつもりだ。同人詩誌『荒地』に集った田村隆一や鮎川信夫らとの入り組んだ関係の中で、53歳にして田村の妻・明子を奪ってしまった詩人・北村太郎の凄まじいまでの生への欲求。あまりにも生々しいひとりの詩人の人生の側面を、このような魅力的な小説に仕立て上げられて目の前に差し出されると、たじろぐ。濃密に生きること。あの時代の詩人という人種の、そこへの欲求の強さに感動を覚えずにはいられない。北村太郎の詩が無性に読みたくなった。

2007年10月14日

ETV特集のドストエフスキーのきまじめさ

通勤時間や移動時間を利用して、ようやく3巻目まで読みすすんできた「カラマーゾフの兄弟」(光文社古典文庫)について、NHKのETV特集が大々的な特集番組をやっていた。みてしまった。失敗したな。みなきゃよかった。4巻・5巻の読書の楽しみが減ってしまうではないか。というのはウソで、翻訳者の外語大学長の亀山郁夫さんが出演されていたが、温厚篤実を絵に描いたような人物とお見受けした。番組も本当にきまじめな作りだった。この文庫が売れに売れているそうで喜ばしい限りだ。「カラマーゾフの兄弟」は読めば読むほど深い。130年以上も前に書かれた帝政ロシア下での小説がなぜこれほど今の日本の僕らに迫ってくるのか。文学の魅力の原点を見る思いだ。日本のテレビでこの本のことを取り上げた番組が果たしていくつあるだろう。これは大ニュースなのにね。

2007年10月12日

やっぱりかなり違う映画と原作の出来

面白い小説が面白い映画になるとは限らない。いや、むしろ面白い小説が面白い映画になることなんて例外的なことだと思った方がいい。ミラン・クンデラの『存在の耐えられない軽さ』なんかがその希有な例だろう。それで、やっぱり奥田英朗『サウスバウンド』の角川映画(森田芳光監督)は、残念ながら小説にははるかに届かずだった。脚本が粗い。言葉が軽い。あの時代の陰影みたいなものもまるでなし。活動家=アナキストという雑駁な扱いなんかも、アナキストが聞いたら怒るぜ。台東区に場所を移しちゃったりしたのもマイナス。キャスティングも、豊川悦司はいいとして、天海祐希は沖縄の日射しを嫌がってるのがモロに見えてて何か違うよなあ。もっと若けりゃあ、原田芳雄と桃井かおりなんだろうけれど、まあ無理か。原作とは違うストーリー、「ニュースキャスター」がリタイアして沖縄のリゾートに移り住んでくる予定なんていう、映画人のテレビ人に対する悪意丸出しの設定には、同じ穴の何とかだろ、と呟きたくなったけれどもね。沖縄の小学校にいた東京からの転校生の女の子役がぴたっとはまっていたくらいか。そうだ、ちゃんと若松孝二の映画でもみよう。

2007年10月 9日

地方の「実」、都市の「虚」

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タケダワイナリーで樽出しされるワイン
撮影:高瀬秀樹

山形県を旅した。去年の春も訪ねた上山町のタケダワイナリーの収穫祭に参加するのがメインの目的の旅行だったのだが、それ以外にも多くの収穫があって楽しい旅行だった。タケダワイナリーでは、社長の岸平典子さんのワインづくりにかける深い思いが伝わってきて、こころから応援したい気持ちになった。契約農家のぶどうの出来・不出来によって、ワインの出来・不出来は決定的に左右される。岸平さんは、その土地のぶどうで作ることに強いこだわりをもっている。いたずらに外国から原酒を輸入したりはしない。だからブドウが不作の時はワインに欠品が出る。そのことを覚悟している。すごい覚悟である。収穫祭のあいさつでそのことをさらりと言ってのける岸平さんに「実」を感じた。それにしても、樽出しのワインがあんなに美味とは。もちろん「キュベ・ヨシコ」は最高に美味だったけれど。

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庄内の歴史を伝える致道館にて
撮影:高瀬秀樹

翌日回った鶴岡の致道博物館で、庄内藩の歴史を垣間見ることができたけれど、江戸時代の庄内藩がとても面白い。全く知らなかったが、1840年にあったという「天保おすわり一件」という農民運動がとても興味深い。善政を敷いていた藩主の国替えに農民が反対して座り込みの実力行使をしたのだ。ついには国替えそのものが取りやめになったのだという。たった3日の山形旅行だったが、地方には「実」がまだ残っているところが確実にある。東京に戻って「虚」に包囲されながら、そのことを強く強く思う。

2007年10月 6日

ボレロとフラメンコはあわないか

このあいだ、この欄で、「ボレロ」と「水戸黄門」の主題歌の親和性について書いたけれど、来日中のスペイン国立バレエ団の「ボレロ」をみた。これが何というか、「ボレロ」の曲の官能と、フラメンコのもつ凛々しさの間で、奇妙な化学反応を起こしてしまっているようで、なおかつ統制の行き届いたバレエ風のフラメンコにも違和感を抱きながら見てしまったので、正直言ってしっくりこなかったのだ。群舞にしてもフラメンコはもっと自由なような気がしたのは、ガデス舞踏団とどこかで比較しているからなのだろうか。もっとも、このスペイン国立バレエ団の初代芸術監督はアントニオ・ガデスだったのだが。困ったなあ、と思っていたら、休憩後に日本初演の「ゴルベス・ダ・ラ・ヴィダ」になって、ようやくフラメンコの血を感じるようになった。この演目は、年老いた男性の踊り手が、若い踊り手に芸を継承していくという筋書きなのだが、そこにガデスの影を読み込むこともできる。アンコールになって、ようやく地のフラメンコの魅力が出てきたように思ってしまった。思うに、フラメンコの群舞はひとつひとつの動きがあまりにも揃いすぎていると、かえってしまらなくなるような所がある。各自が勝手に同じ型を踊り、かつ個性を発揮しながら、全体としてひとつになっているようなマグマのような群舞。そんなことを考えながら会場をあとにした。

2007年10月 3日

ボレロと水戸黄門

過日、渋谷近辺のバーのカウンターに座っていた時に、耳にした話。ラベルの『ボレロ』と言えば、古い映画だがクロード・ルルーシュの『愛と哀しみのボレロ』で、ジョルジュ・ドンの官能的な踊りと共に記憶している人もいるだろう。生前のジョルジュ・ドンのなま『ボレロ』を、NHKホールでみたのは、もう20年くらい前かな? いかったなあ。それで、その『ボレロ』をバーで聴きながら、「うーん、水戸黄門はうまくボレロをパクってるなあ」などと言っている人がいた。水戸黄門のあのテーマソング、<人生楽ありゃ苦もあるさあー>っていうアレ。何かすーっと『ボレロ』と水戸黄門が自分のなかでつながった。そうだなあ、あの曲って本当にボレロが基調になっているものなあ。じゃん・じゃ・じゃ・じゃ・じゃん・じゃ・じゃ・じゃ・じゃ・じゃ・じゃ・じゃ・じゃ・じゃ・じゃんって。もともと『ボレロ』はヨーロッパ世界では十分に異教的な要素に溢れた曲なのだろうが、水戸黄門の方は、異教どころか、短調のゆえに、歌詞がやたらと儒教しているから、『ボレロ』の極東アジア版というところだろうか。<泣くのがイヤならさあ歩け>って『ボレロ』と無関係だものなあ。

Profile

田原総一朗(たはら・そういちろう)

-----<経歴>-----

1934年、滋賀県彦根市生まれ。
早稲田大学文学部卒。
岩波映画製作所、テレビ東京を経て、77年フリーに。
テレビ東京時代の連続番組「ドキュメンタリー青春」で、取材対象者に肉薄する独特のインタビュー手法で注目を浴びる。
現在は政治・経済・メディア・IT等、時代の最先端の問題をとらえ、活字と放送の両メディアにわたり精力的な評論活動を続けている。
テレビジャーナリズムの新しい地平を拓いたとして、98年ギャラクシー35周年記念賞(城戸又一賞)を受賞した。
2002年より母校・早稲田大学で「大隈塾」を開講。塾頭として未来のリーダーを育てるべく、学生や社会人の指導にあたっている。

-----<出演>-----

『朝まで生テレビ!』
(TV朝日、毎月最終金曜25時?)

『サンデープロジェクト』
(TV朝日、毎週日曜10時?)

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