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2007年7月30日

タラフ・ドゥ・ハイドゥークスと「民意」

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参議院選挙で示された「民意」が、なし崩し的に蹂躙されようとしている時には、「民意」にどっかり根をおろした土臭い音楽を無性に聴きたくなるというものだ。ルーマニアが生んだジプシー・バンド、タラフ・ドゥ・ハイドゥークスの新CDが送られてきた。『仮面舞踏会』。すっばらしい!来日した彼らのライブをこれまでに3度ほどみたことがあるが、とんでもないブッ飛んだバンドだった。一言で言えば、人さらいみたいに危険で、かつ魅力に満ちた性悪のチンドン屋みたいな人たち。マヌエル・デ・ファリアの『恋は魔術師』の「火祭りの踊り」とか、『ペルシャの市場にて』とか、それらのクラシック楽曲が、もうメチャクチャに演歌みたいな奏法で楽しく、楽しく奏でられる。9月にまたまた来日するそうだ。来日するたびに彼らのライブをみていて、僕は、彼らが日本の婦女子を密かに誘拐して故国にさらって行っているような気がしているのだ。だってあんな楽しいバンドには誰だってついて行きたくなるもの。

2007年7月25日

ガルシア=マルケスに今頃ハマってどうすんだよ。

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『コレラの時代の愛』
2006年10月、新潮社

電車や車で移動中に読み継いできた『コレラの時代の愛』をようやく読了した。いい本を読めたなあ、という満足感に浸る。これを恋愛小説と呼ぶべきか。とてもそういう範疇には収まりきらない、深くて切ない<観念>小説である。そもそも恋愛なるものが<観念>という化け物の一種なのだろうから。52年あまりにわたってひとりの女性をひたすら想い続けるという限りなく狂気にも近い純粋<観念>が、時間=老いという現実によって破壊されそうになる直前まで叙述される。成就する恋愛<観念>と、成立しない性愛が、いかに悲しく人間の本質を射抜いていることか。もともとは新聞記者だったガルシア=マルケスの叙述のエネルギーというか、語るちからに強烈なものを感じる。それにしても、今頃ガルシア=マルケスにはまってどうすんだよ、という感じだけれど。次は彼の何を読もうか。今年の夏はガルシア=マルケス祭かな。

2007年7月24日

良心的なアメリカ人が原爆を落とした

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スティーブン・オカザキ監督のドキュメンタリー映画『ヒロシマナガサキ』をみる機会を得た。アメリカ軍がつぶさに記録していた被爆直後の広島・長崎の映像フィルム、写真に加え、生き残った被爆者たちが描いた地獄絵、さらに被爆者たちがカメラを正視して語る証言の重さに、圧倒される。ひとりの女性が語っていた「死ぬ勇気」「生きる勇気」という語に接して、感想めいたことばを発することもためらわれる。

2つだけ書き留めておきたい。

ひとつは原爆を投下したアメリカ軍側に、強い「記録する情熱」のようなものがあったということ。彼らは何のために被爆者を記録していたのだろう。何の目的で。

もうひとつ。原爆乙女なる女性被爆者たちがアメリカで治療を無料で受けられると訪米する。そこに同行した日本人牧師がアメリカのテレビ番組に生出演する。そこで、原爆を投下した軍人と「感動の対面」をする設定。原爆を投下したことに自責の念を抱いているような発言をするパイロット(?)らしい「良心的なアメリカ人」が、実は原爆を落としたのである。そのようなテレビショーの成立の根底に流れている、アメリカ自身の自己救済=贖罪の意図。投下した責任は、このプロセスを経て、彼方へと霧散するのか。投下した側、投下された側、同じ人間じゃないか、このように理解し合える、握手しあえる、と。

この映画は、今年の8月6日に全米のHBO系で放送されるという。

2007年7月22日

島田虎之介『トロイメライ』は傑作だ

中国人ピアニストLang Langがコンサートで、ラフマニノフのピアノ協奏曲のあとだったかで、アンコールに応えて、『トロイメライ』を弾くのを聴いた時、一気にこころが浄化されたように感じたことがある。

音楽は人生の何かを決定的に変えることができる。

島田虎之介の『トロイメライ』(青林工藝舎)を読んだ。この感覚。アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督の映画『アモーレス・ペロス』『バベル』のような、世界の不可思議な連関性についての物語。いくつもの別個に見える出来事が、神の摂理のごとく、つながっている。物語の語り手は、それを神の視点のごとく紡ぎ出して再構成し、この世界の謎解きをしてみせる。その手口の鮮やかさ、スマートさ、鋭さ。オシャマンベとか由利徹とか、島田って一体いくつの人なんだろう? 一流のストーリーテラーである島田は、その緊張感漂うモノクロームの画調と相俟って、みごとに魅力的な謎解きを見せてくれる。

漫画も人生の何かを決定的に変えることができる。

2007年7月21日

JOYCEまで4メートル

ボサノバ歌手のJOYCEが日本に出稼ぎにきた。まあ、ジョイスを生でみられるというので、横浜の赤レンガまで2度足を運んだ。と言うのは、MOTION BLUE YOKOHAMAという会場は事前に整理券を配るので、良い席でみるためには開演のずいぶん前に整理券を取りに行かなければならないのだ。ブルーノート東京と同じ。実際の開演の4時間半も前に行った甲斐があって、JOYCEからわずか4メートルの正面の席を確保できたのだけれど。今回のジャパン・ツアーは、新CD「SAMBA-JAZZ & OUTRAS BOSSAS」発売記念ツアーということだけれど、けっこう手を抜いていたような感じ。以前、トニーニョ・オルタと一緒に来た時に比べてだけれど。ひとつには会場が富裕層の若者を相手にしている場所なので(ブルーノート東京と同じ。料金もとても割高)、客のノリが極度に悪いのだ。サンバやボサノバを聴いている若い客の多くは、能面のように表情をあんまり崩さないし。これじゃあ演じている方も楽しくないだろうな、と思う。ブラジルの客なら今夜みたいな出来なら結構怒ると思うけど。出稼ぎと割り切って聴くべし。

2007年7月20日

美しい国の「渋さ知らズ」

ホントに久しぶりに「渋さ知らズ」をみた。吉祥寺のスターパインズ・カフェ。相変わらずのメガテンションだけれど、ウーロン茶を飲みながらも、頭の中がグルグルしてきて、JAGATARAとか、天国注射の夜とか、いろんなものを思い出しながら、最後になぜか「美しい国」という語に行き着いたぞ。美しい国の渋さ知らズ!だなんて。何かの冗談だろ。片山広明はすんごいのだけれど、それを取り巻く男どもと女どもの演者たちの何と楽しいことよ。美しい! 不破大輔の動きはコンダクターとは何かという問いを無意味化する。段取りという指揮者の機能をこれほどまでに強烈に体現している男はいないよね。けれども「ナダム」とか「本多工務店のテーマ」とか聴きながら、ちょっと前に唐十郎の紅テントを見たときにも感じた奇妙な感覚が蘇ってきた。若い人たちが蝟集するこのエネルギーには、現実界への通路というか回路がないんじゃないかって。自閉した空間内で自己完了するラディカリズム。それは僕ら聴く側の問題でもあるのだろう。僕はもう若くないけれど。でも、何で「美しい国」と「渋さ知らズ」が共存できるのか。日本はヤバイ国になった。

2007年7月15日

関西パンク・川上未映子──自意識の綱渡り芸

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『そら頭はでかいです、世界がすこんと入ります』
2006年11月、ヒヨコ舎

畏友ヨトさんの激奨で、川上未映子のブログ日誌単行本化『そら頭はでかいです、世界がすこんと入ります』を一気に読む。これ、いい! 面白い! 大阪弁での小気味良い突っ張り具合と自意識の綱渡り芸のハラハラさせられる心地よさ。文体みたいなもんが出来あがっているような、いないような。町田康とは確かに違うよな。大昔、ガキだった頃、はやり歌のヒットチャートは、アメリカのビルボードよりはイギリスのメロディメーカーなんかの方が断然カッコよかった。そういう、かつてのイギリスの位置が大阪に似てるというか。マージナルとか周縁とかともちょっと違う。ブントだって関西派の方が断然ラディカルだった。だから日本のパンクだって、ローザルクセンブルクなんて名乗るグループはやっぱり関西だった。川上未映子にもそういう関西パンクの臭いがする。それでいて、どうしようもなく浪速節だったりする。遠い家族との思い出や、「私はゴッホにゆうたりたい」なんか浪曲子守歌みたいだもんなあ。歌手としての彼女。坂本弘道らとのユニットはどんなんだろうか? 以前、表参道の「月見ル君想フ」でのライブを予約したが、急に仕事が入って見逃してしまったのが残念。早川義夫が好きって、一体どういう30歳なんだ? わははは。いいな。何だか川上の本を読み終わってから、カフカの言葉を思い出した。「世界と君との戦いでは、世界に味方せよ」というの。

2007年7月14日

ガルシア=マルケスの生命讃歌

瀬戸内寂聴『秘花』があまりにも面白かったからか、「人間が生きるということ=なまなましい恋愛感情」という小説がやたらと読みたいのである。コロンビアが生んだ偉大なる小説家ガルシア=マルケスの『わが悲しき娼婦たちの思い出』は、作者が77歳だった2004年に出版された作品だ。その書き出しはこうだ。

満九十歳の誕生日に、うら若い処女を狂ったように愛して、自分の誕生祝いにしようと考えた。(同書より)

何という書き出しか。この背徳への情熱。すばらしい。九十歳の主人公が娼館で出会った14歳の少女デルガディーナに対し身を焦がすような恋情を抱く。ひたすら老主人公の狂おしいほどの恋情が描かれる。描かれているのは<観念>である。だからこれはナボコフの『ロリータ』とは全く異なった種類の小説なのだ。その結果、この作品は、人間がなまなましく生きること(それは悲劇であるかもしれない)へのオマージュ=称揚となっている。

正直言って、自分の心をどう処理していいか分からなかった。それに恋をしているはずなのに、自分がふがいなく、情けなくて、しみじみ老いを感じるようになった。(同書より)

この錯乱する九十歳の老人が美しい。悲しい。艶めかしい。刊行中の日本版「ガルシア=マルケスの全小説」は装幀がとてもよくて、本好きには堪えられない。

2007年7月 7日

昭和のヒーロー・ヒロインたちの肖像

写真美術館の連続写真展「昭和 写真の1945~1989」の第二部「ヒーロー・ヒロインの時代」をみる。いかに自分が昭和人であるかを思い知る。ほとんどの肖像が自分の見知っている人物だものなあ。ひとりだけあまりよく知らない、あるいはもう忘れてしまっているのか、とびきり美しい女性モデルで丘ひろみという人の肖像写真があったけれど。現在には欠けていて、昭和のヒーロー・ヒロインにはあったもの、それは何とも表現しがたいけれど品位のようなものかもしれない。会場には、1961年に撮られた女優・太地喜和子(当時17歳)の肖像や、1969年に篠山紀信が撮影したカルメン・マキのヌードなどいくつも記憶に焼き付くような写真があった。日本の戦後のいわゆる美女の系譜のなかで、今現在ほどその美の基準自体が消滅したことはないのかもしれない、などとボンヤリと考えていた。一方のヒーロー。男の顔もとてもいい。それにしても、「カメラ毎日」とか当時の写真誌の何と突っ張っていたことよ。

2007年7月 5日

金徳洙サムルノリという奇蹟

芸道50周年と銘打って来日公演を続けている金徳洙(Kim Duk-Soo )のステージをみた。感動に打ち震える。エロティシズムとは死にまで至る生の称揚だとは、バタイユの定義だが、金徳洙とサムルノリの芸からは、この「生の称揚」という奇蹟が実際に舞台の上で生来するのを体験させられるのだ。このすさまじいエネルギーの放逸。サムルノリのメンバーも初期の頃とは大いに世代交代を遂げているが、それでも奇蹟を招致するその技と精神は確実に受け継がれている。そしてその中心に金徳洙がいる。
 
 僕が、金徳洙と初期のサムルノリをみたのは、あれは1986年頃ではなかっただろうか?練馬かどこかの大きな野外グラウンドで、喜納昌吉&チャンプルーズや伊藤多喜雄たちとのジョイントイベントだったように記憶している。これがスゴいなんてもんじゃなかった。金徳洙とサムルノリの芸に圧倒されて、まるで「ハメルンの笛吹き」に惹かれてどこまでもついていく子供たちみたいに、観客たちは(僕も含めて)、金徳洙たち演者たちを先頭にグラウンドを何周も回ったのだ。あれは何だったんだろう。

金徳洙は1952年生まれだから、僕らと同世代の人だが、このエネルギッシュな人物の発するパワーに無性に嬉しくなった。

ゲスト出演した山下洋輔、林英哲とのコラボレーションも楽しくて、贅沢三昧。

2007年7月 3日

清水靖晃&サキソフォネッツの限りなき冒険

サキソフォンでバッハに果敢に挑んだ清水靖晃&サキソフォネッツが新しいアルバムを出した。その『PENTATONICA』は、新しい領域に挑戦する清水らの心意気がひしひしと伝わってくる好アルバムだ。タイトルのペンタトニカとは5音音階のことだ。アジアやアフリカといった非西欧圏の演歌・流行歌などで用いられている5音音階によって奏でられる曲に漂う、あの郷愁、なつかしさ、そして躍動感。キリスト教聖歌に対するチンドン屋音楽。天空をめざす垂直的な西欧舞踊に対する地べたに這い蹲る日本の舞踏。そういう対比とパラレルのようにも思える7音階と5音階の対比。それにしても、何だかクレイジーキャッツのかつての名曲「ホンダラ行進曲」を思い出してしまったエチオピア古謡「デュ・セマン・ハゲレ」の奇妙な歌詞。この歌詞に清水の不可思議な歌声があっている。残念ながら東京でのコンサートには行けなかったが、いつか生を聴いてみよう。

2007年7月 1日

至福の時間 ミシェル・カミーロ・トリオ

この頃何が気持ちいいかと言えば、プールで長距離泳いだ後に、等距離分サウナに入り(千米=10分、二千米=20分)、そのあと冷たい水風呂に入ってカラダを冷やした瞬間のあの気持ちEに勝るものはなかなかないもんね。けれども今日は、その水風呂1000回分よりも気持ちのいい至福の時間をすごした。ミシェル・カミーロのステージをみたのだ。ドミニカ出身のこの超絶ピアニストの演奏を初めてみたのは、ワシントンDCのケネディセンターでだったが、いやはや東京でもみられるとは思わなかった。ブルーノート東京は、裕福な若年層がメインの客層なので、実はあんまり好きではないが、今日はそんな思いを吹っ飛ばしてくれるほどの幸福な気分に浸れた。新アルバム『Spirit of the Moment』発売記念の世界ツアーの一環での来日。ピアノ・トリオと言えば3人の呼吸である。キューバ人ベイシストのチャールズ・フローレス、ダニエル・プリエトのドラムスとの鬼気迫るスリリングな掛け合い、かと思うと、こころの奥底まで響いてくる甘美なバラードも。マイルスやコルトレーン、ビル・エヴァンスの遺伝子がどこかに混入しているカミーロの演奏を聴きながら、音楽のちからを全身に感じて、水風呂1000回以上の感謝。

Profile

田原総一朗(たはら・そういちろう)

-----<経歴>-----

1934年、滋賀県彦根市生まれ。
早稲田大学文学部卒。
岩波映画製作所、テレビ東京を経て、77年フリーに。
テレビ東京時代の連続番組「ドキュメンタリー青春」で、取材対象者に肉薄する独特のインタビュー手法で注目を浴びる。
現在は政治・経済・メディア・IT等、時代の最先端の問題をとらえ、活字と放送の両メディアにわたり精力的な評論活動を続けている。
テレビジャーナリズムの新しい地平を拓いたとして、98年ギャラクシー35周年記念賞(城戸又一賞)を受賞した。
2002年より母校・早稲田大学で「大隈塾」を開講。塾頭として未来のリーダーを育てるべく、学生や社会人の指導にあたっている。

-----<出演>-----

『朝まで生テレビ!』
(TV朝日、毎月最終金曜25時?)

『サンデープロジェクト』
(TV朝日、毎週日曜10時?)

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