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2007年6月24日

『殯の森』に賞を与える映画人たちの矜持

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遅ればせながら、河瀬直美の『殯の森(もがりのもり)』をみた。カンヌでグランプリを受賞した作品。すばらしい。こういう日本映画をまだみられることの幸運を思う。人間は、有限な時間を生きる生物にすぎないのだが、観念をもつが故に人間になっている。何も哲学的なことを言っているのではない。観念という持続、あるいは希望、または化け物は、僕らが自意識を持って以来ずっとまとわりついているものだ。亡き妻を思う認知症の男性の行動、それに気圧されるように関係を切り結んでいくヒロインの抱えている喪失という観念。田園、原生林という思索の原風景をみせられているうちに、いつのまにかぐいぐいとこの映画のなかに惹きこまれている自分に気づく。こういう作品に賞を与えようとするヨーロッパの映画人たちの矜持のようなものが、何か無性に嬉しいような気になる。一時期のハリウッド映画の見過ぎの反動かな。まさか。

2007年6月23日

写真家・比嘉康雄の撮ろうとした風景

今年も沖縄の地で慰霊の日を迎えた。大竹昭子の名著『眼の狩人』でも触れられている沖縄の写真家・比嘉康雄の写真集『生まれ島・沖縄』(ニライ社)が無造作に書店の本棚に置かれていた。那覇の本屋さんに来ていつも楽しみにしているのは、郷土についてのたくさんの本が出版されていることだ。その写真集のなかの何気ない1枚の写真に、「集団自決を知る人 座間味島 1970・11」というのがある。初老の婦人がカメラに向かって笑いかけている。比嘉はおそらく彼女から集団自決の話をじっくりと聞いた後に、この写真をとったのだろう。彼女の表情からは、撮影しているひとを信用しているという安心感のようなものが伝わってくる。あるいは、1970年に撮られたコザ・胡屋の娼婦たちの写真。どの写真にも比嘉の故郷の島への愛情が感じられる。即座にこの写真集を購入する。外に出ると、琉大の学生たちが何かを頻りにラウドスピーカーで訴えていた。梅雨の明けた暑い暑い一日だ。

2007年6月22日

『沖縄密約』が完膚なきまで暴く国家のウソ

沖縄にいる。西山太吉さんの『沖縄密約』(岩波新書)の出版記念会が那覇で行われた。この本の出版を祝うパーティーが沖縄の地で行われること自体が意義深い。

*    *    *    *

あるところに嘘つきがいた。
嘘つきが言うには「私は一度もウソをついたことがない」。
そのことば自体が嘘つきであることを自己証明する。
だから、彼が「これだけは本当のことだ、僕は死にそうだ」と言ってももはや誰も信じなかった。
嘘つきのお葬式には誰一人参列しなかった。
誰一人、本当に死ぬとは信じなかったから。

*    *    *    *

国がウソをつくと、「道義」が地に堕ちる。その国の国民は、国家がウソをついているのだから、国民としてウソをついても何とも思わなくなる。果ては、国家のウソをチェックする筈のマスメディアもウソをつく。納豆がダイエットに効くとか。誰も彼もがウソを何とも思わなくなる。沖縄返還にともなう日米間の密約が「ない」という国の人々がいる。アメリカ政府の公文書が密約が「あった」と明確に語り、沖縄返還交渉にあたった外務省の当事者までもが、密約が「あった」と、良心のそこから振り絞るように語っているにもかかわらず、それらの人々は「あった」ことを「ない」と言っている。ならば、アメリカはウソつきか?

出版記念パーティーの会場で、西山さんはとても元気そうだった。「あった」ことを「なかった」とは新聞記者の良心にかけて言えないのだから。この本は確信に裏打ちされているのだ。那覇の地では、沖縄戦の集団自決に関するもうひとつのウソが今まかり通ろうとしている。

2007年6月21日

人間の生の生臭さと愛おしさについて

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『秘花』
2007年5月、新潮社

瀬戸内寂聴の新作『秘花』にすっかり魅了されてしまった。小説はだからやめられない。将軍・足利義満の寵愛を得て、若くして能の世界の絶頂をきわめた世阿弥が、理不尽にも、72歳の時に佐渡へ流刑となって運命が反転、彼の地で80歳で没するまでの波乱の生涯を、ここまで官能的に描き切れるものか。小説には官能がなければ、つまらない。狂おしいほどの官能こそが人間の生の本質そのものなのに。官能=恋の本質について、「秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず」「恋も秘すれば花」とは何という至言か。また花とは「色気だ。惚れさせる魅力だ」という晩年の世阿弥の台詞の何というぴたりとした収まり方か。椿、紗江という女性の描かれ方の何と切ないことか。全編、品格と官能が矛盾なく満ちあふれるこの小説に、ただただ圧倒されるのみ。85歳の瀬戸内寂聴が官能を描き切る迫力に乾杯。男どもには書けない小説ではないか。人間の生の生臭さと愛おしさについて、感得させられた気になるから不思議だ。

2007年6月19日

ソクーロフの『太陽』が照射するもの

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『太陽』
2007年3月、クロックワークス

本当に遅ればせながら、アレクサンドル・ソクーロフの『太陽』をみた。もともとは2005年の映画で、日本公開は遅れに遅れたが、あらためてイッセイ尾形という役者の恐ろしさに感じいってしまった。桃井かおりの皇后役なんかを見ていると、何だかイッセイ尾形の舞台での2人の掛け合い芝居をみているような気になってしまった。それはまるで演技していないような演技なのだ。一国の元首が、海洋生物=カニの研究を戦争末期まで継続していたという時代の狂気。『太陽』というタイトルに託された時代の風向計の指し示していた方向を、現在の日本人である僕らはいかに読みとるべきか。この映画はある種の密室劇であり、戦争末期の昭和天皇の内面を照射することに主眼が置かれているのだろうが、それ以上に、ロシアの映画監督が、このような映画をつくりあげた事実によって逆照射される、何も考えない日本の現実に思いが行ってしまう。何が狂気であり、何が正気なのか。戦後の終焉を言うのは早すぎないか。

2007年6月18日

現実界への抜け道がなくなった?――唐十郎ふたたび

きのう唐十郎を実に久しぶりに観た。17日が『行商人ネモ』の千秋楽にあたるということで、井の頭公園内の紅テントにはたくさんの客が押し寄せていた。本当に若い人ばっか。こりゃ何なんだろう。アングラ演劇が本当にアングラであった時代には、紅テントのすぐ向こうにはヒリヒリする現実界があった。その現実界への抜け道、通路が劇自体にも仕掛けられていたような記憶がある。大昔に出た本だが、山口猛の『紅テント青春録』という本のなかで紹介されていたエピソードがある。全くのうろ覚えだけれど、紅テントの劇のなかである役者が舞台中央の花道を全速力で駈けだしていくシーンがあったのだが、その役者はそのまま花道から出口に突っ走って外に出たまま、以降、行方不明になってしまったというのだ。まあ、そんなことは滅多にあるもんじゃないが、この世界で起きていることと劇とは<想像力>というねじれの中で、つながっていた。今回の『行商人ネモ』の舞台には、妄想のもつパワーがみなぎっていたが、それらのパワーがどこか自閉しているのだ。だからあんまり怖くない。客もどこか安心しているのだ。なぜなのだろうか? 現実界がもはや変質してしまったからか、それとも、ことば自体が変質してしまったのか。十貫寺梅軒、鳥山昌克、それに藤井由紀にとんでもない存在感を感じた。

2007年6月16日

ベン・シャーンの第五福竜丸

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『ここが家だ ベン・シャーンの第五福竜丸』
2006年9月、集英社

出会いはいろいろな所に転がっている。先日、石内都さんの出版記念パーティーでたまたま知り合った編集者・山本純司さんから送られてきた『ここが家だ ベン・シャーンの第五福竜丸』に心を動かされた。絵本の持つ力強さに。ベン・シャーンの絵から伝わってくる怒り。アーサー・ビナードの文章の直線を思わせる意志。このような絵本に出会うのも久しぶりのことだ。

「久保山さんのことを わすれない」とひとびとは いった。けれど わすれるのを じっとまっている ひとたちもいる。

第五福竜丸についての仕事を忘れてはならない、と自分にあらためて言い聞かせる。大いに勇気をもらった。

2007年6月15日

傷のある女性は絶対的な無垢に近い存在なのだ

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『INNOCENCE』
2007年5月、赤々舎

石内都さんの新しい写真集『INNOCENCE』(赤々舎)を手にすると、写真とは生きることだという思いを強烈に抱かされる。生きていることそのものの存在の重み。美醜、善悪、正邪、老若、あらゆる二分法的な価値基準を越える生そのものへのいとおしい感情。石内さんの強い意志が伝わってくる。石内さんは言う。

「この1、2年、傷のある女性たちと出会う機会が多く、集中的に撮影をした。からだに傷の在る女性は、なぜか絶対的な無垢に近い存在なのだと勝手にきめていた。その根拠はアイマイなのだが、“INNOCENCE”を作る過程において、少し自信をもっていいかもしれないと思えるようになった」(同写真集より)

『Mother』の写真からも感じられたこのリアルで生そのものに向き合う強い強い感情。出版記念パーティーに詰めかけた人たちのなかに、モデルとなった傷の在る女性たちがいらしたが、このような撮られ方に心から感謝している様子が伝わってきた。繰り返すが、写真とは生きることだと思う。

2007年6月14日

Occupied Japanは今の日本より明るかった?

写真美術館で開催中の「昭和」写真展の第1部「Occupied Japan(占領下の日本)」をみた。そこに展示されている写真には、現下の日本よりも活力が満ちているように感じられるのはなぜだろうか。敗戦という切断点の直後からの1951年のサンフランシスコ講和条約締結までの米軍占領下という特殊な状況下で、なぜか日本人の表情は明るいのだ。田村茂の「浮浪児」や、林忠彦の「復員兵(品川駅)」、山端庸介「防空壕に避難して助かった女性、長崎」。とても有名な写真ばかりが展示されている。敗戦後、堰を切ったように撮られたヌード写真の多くが、戦前の従軍写真家によって撮影されているというあられもない事実。戦闘機や兵士が、ヌードに転化する化学変化って一体何だろう? 細江英公の「乞食の父子」「乞食の母子」にもこころを惹かれた。それにしても原爆投下後の広島市街の、なあんにもなくなってしまったパノラマ写真のあっけらかんとしていることよ。原爆ドーム以外何も残っていないではないか。都心の道路標識が英語表示になっていることが、占領下では当たり前の事実だったことを写真から知る。第二部以降が楽しみだ。

2007年6月 8日

函館の、神と仏が集う丘

仕事で函館に行く。仕事が終わって、帰りしなにどうしても立ち寄りたい場所があった。それは、函館聖ハリストス正教会だ。1860年(万延元年)に函館ロシア領事館の付属聖堂として建立されたという古い歴史をもつ。1907年に大火で初代の建物は焼失したが、1916年(大正5年)に現在の聖堂が建てられた。ロシア風ビザンチン様式といわれるハイカラな建物。天気がとてもよく、緑の豊かな聖堂の回りには、写生をする画学生や子どもたちがたくさんいた。ゆったりと写生をしているなんて、こんな風景は東京ではお目にかかれない。それで何故、函館聖ハリストス正教会かというと、大野一雄のことを考えていたからだ。函館に生まれた大野は幼い頃、この聖ハリストス正教会と出会っていた。彼の『死海』には、正教会聖歌の「大連祷」にあわせて踊るパートがある。これがいかに素晴らしいものであったか。その「大連祷」に感動して、僕はかつてお茶の水のニコライ聖堂まで出かけていって、レコードを購入したことがある。日本語の独特の歌詞がついた素晴らしい曲だった。

函館聖ハリストス正教会のなかに入る。思ったよりも小さな聖堂だ。だがイコンが一同に配置されている復活聖堂は聖なる空気に充ち満ちている。神聖な場所なのだ。大野がこどもの頃この場所からどのようなインスピレーションを得ていたのかはわからない。だが、あきらかに大野のダンスの原点のひとつがこの場所に確実に結びついているように思えたのだ。函館のこのあたり元町には聖ハリストス正教会のほかに、カトリック元町教会、聖ヨハネ教会が隣りあうように建っている。そのすぐ後ろには、東本願寺函館別院まである。さながら神と仏が丘に向かって集っているような場所だ。正教会聖歌のCDをもとめて「大連祷」を聴いたが、ニコライ聖堂のレコードに収録されていた「大連祷」にははるか遠く及ばない。

2007年6月 1日

45歳のチーフタンズはすっばらしい!

伝統音楽の担い手たちは、とかく内向きになる。というのはウソだ。チーフタンズをみるのはワシントンDCのケネディセンター以来だから、随分久しぶり。でもいいね、やっぱ。DCではピラツキ兄弟のフィードルとダンスに驚愕した記憶があるけれど、今夜のステージは、それからはるかに進化していた。内向きどころか、異文化との出会いを楽しんでいるようにもみえる。ピラツキ兄弟のみならず、共演で出てきたリアダンというアイルランドの若手女性グループもいいし、日本の林英哲とか元ちとせまで出てきて共演するなんてこのステージは贅沢すぎるというもんだ。今夜のお客さんは本当に得をしたと思う。2曲目の『Galician Jig Muineira』の美しいこと。アンコールの『An Dro』では、観客たちが手をつないで踊りステージの上で本当に楽しそうだった。それも押しつけがましくなくって。こんなにすっばらしいステージをみられた幸運を話さずにいられない。結成から45年のアイリッシュ・トラッド・フォークの「重鎮」にして「前衛」は、まだまだ走っているし、チーフタンズの子どもたち、孫たちが生まれ続けている。

Profile

田原総一朗(たはら・そういちろう)

-----<経歴>-----

1934年、滋賀県彦根市生まれ。
早稲田大学文学部卒。
岩波映画製作所、テレビ東京を経て、77年フリーに。
テレビ東京時代の連続番組「ドキュメンタリー青春」で、取材対象者に肉薄する独特のインタビュー手法で注目を浴びる。
現在は政治・経済・メディア・IT等、時代の最先端の問題をとらえ、活字と放送の両メディアにわたり精力的な評論活動を続けている。
テレビジャーナリズムの新しい地平を拓いたとして、98年ギャラクシー35周年記念賞(城戸又一賞)を受賞した。
2002年より母校・早稲田大学で「大隈塾」を開講。塾頭として未来のリーダーを育てるべく、学生や社会人の指導にあたっている。

-----<出演>-----

『朝まで生テレビ!』
(TV朝日、毎月最終金曜25時?)

『サンデープロジェクト』
(TV朝日、毎週日曜10時?)

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