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2007年4月28日

ひとは死んでも、生き残る~その3

うーむ。まわる、まわるよ、時代はまわる。自分のこれまでの人生で、それなりの影響を受けた人々が次々と亡くなっていく。エリツィンが亡くなったことを先日この欄で書いたら、今度はロストロポーヴィチの訃報が入ってきた。1991年のクーデター未遂事件の時に、亡命先からノービザでモスクワ空港に突入してきたあの熱い熱い音楽家。当時、僕はモスクワ特派員で毎日、ソ連崩壊ストーリーを追うことで右往左往していた。そんな折りに、ロストロポーヴィチはエリツィンへの無条件支持をテレビで語っていた記憶があるけれど、それももう16年も前のことだ。日本贔屓でお寿司のトロが大好きだった人。今年の1月、休暇を過ごしたパリからの帰途、僕はドゴール空港で偶然にも指揮者の小沢征爾さんにお会いした。その時、小沢さんからお聞きした話では、ロストロポーヴィチとオーディションの審査員をやっていたけれど、途中、ロストロポーヴィチが体調を崩してモスクワに急遽戻ったということを聞かされた。80歳だ。体調はそれほど万全ではなかったのだろう。結局、ワシントンのケネディ・センターでの指揮をみたのが最後になってしまったけれど、ああいう熱い音楽家は、商業主義全盛の今の音楽ビジネスの世界からはもう出てこないのではないか。合掌。

2007年4月24日

ひとは死んでも、生き残る~その2

おととい、この欄に故・東由多加のことを書いたら、その翌日の23日に、2人の人物が亡くなったことをニュースで知って、結構感傷的になっている。バカか、俺は。その2人というのは、ロシアのボリス・エリツィン前大統領と、アメリカのジャーナリスト、デイビッド・ハルバースタムである。エリツィンは僕がモスクワ特派員時代に取材対象だった人だ。欠点だらけの政治家だったが、憎めないキャラクターだった。ウォッカ好きの酔っぱらい。ロシア人は総じてゴルバチョフよりもエリツィンを好いていた。将来、学校の歴史の教科書にゴチック太文字で書かれるのはゴルバチョフの方だろうが、ソ連の崩壊、冷戦構造の終焉は、エリツィンなしにはありえなかったことだと思う。ゴルバチョフひとりの力、ましてやレーガンの力ではないのだ。エリツィンの役割は魯迅の小説に登場する「馬鹿」の力だ。ロシア最高会議ビル前で戦車に駆け上って民衆に応えた姿を忘れない。

もうひとりのジャーナリスト、ハルバースタム。こういうジャーナリストがいたので、アメリカは救われたのだ。彼がジャーナリズムの機能の中心に据えていた「アジェンダ・セッティング(議題設定)」という言葉の重みを、いまの日本でヒリヒリするくらい考えている。胃液が大量に分泌される思いがする。本当に、ひとは死んでも、生き残る。ちょっと、この項は「業務外日誌」的じゃないね。

2007年4月22日

ひとは死んでも、生き残る

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『月へのぼったケンタロウくん』
2007年4月、ポプラ社

2000年のことだが、故・東由多加が柳美里の出産に深く関わって、まるで自らの生命を賭すように、死の間際に「童話を書きたい」と擦れ声で語っていたシーンが脳裏にこびりついている。柳美里は東の死後、この言葉を忘れてはいないことを、身を以て証明したかったのだろう。『月へのぼったケンタロウくん』(柳美里 ポプラ社)。この本の一行。

おじいさんは死んでも、おじいさんとのやくそくは生きていたのです。

ひとは生物として死んでも、社会的な事実として、生き残る。ひとの記憶のなかに、思い出のなかに、あるいは関わった、交わったひとびとのその後の生き方のなかに、価値観のなかに、その人間の痕跡は生き残る。そのひとへの思い、愛情、憎しみ、ともにした悲しみ、ともにした喜びは、残る。

ただ、この童話の挿絵は、勝手に自分が思い描いていたイメージとちょっとズレていて、戸惑ったのが正直な感想だ。淡く、きれいで、どこか東の思いの濃度と釣り合わない気がしたのだが、もちろん柳美里にとってみれば大きなお世話だろう。

2007年4月21日

血塗られたダイアモンド

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映画『ブラッド・ダイアモンド』はよくできた娯楽作品だ。徹底的にハリウッド的、つまり「善-悪」二元図式が貫かれる。主役の白人ディカプリオと、白人女性ジャーナリスト役のジェニファー・コネリー、それに家族を思う「よい黒人」役のジャイモン・フンスーの3人を善玉側の中核に据えてドラマが進行する冒険大活劇である。ジェニファー・コネリーという女優は魅力的だなあ、などと、この映画を楽しんで、しばらくしてから、僕はぼんやりと考えた。この映画を『ダーウィンの悪夢』のフーベルト・ザウパー監督がみたら何と評するだろうか。笑うか。舌打ちするか。怒りだすか。そんなことを思ったのは、ザウパー監督が以前、次のように言っていたからだ。

『ダーウィンの悪夢』では、ある魚の奇怪なサクセス・ストーリーと、この「生存適者」をめぐる一時的なブームを、新世界秩序と呼ばれる、皮肉で恐ろしいアレゴリーに変形することを試みた。だから似たような映画をシエラレオネでもつくることができる。魚をダイヤに変えるだけでいい。(『グローバル化と奈落の夢』より)

シエラレオネのダイアモンドをテーマにつくられたハリウッド映画。頭ごなしに否定の言葉を投げつける気になれないのは、この映画を見終わった観客の相当部分は、今後、ダイアモンドを嬉々として購入したいとは思わなくなるような気がするからだ。甘いかな。

2007年4月17日

世界はつながっている〜『アモーレス・ペロス』

映画『Babel』については、この「業務外日誌」欄で、今年の1月5日、11日に記してきたが、そのアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督の旧作というか実質的なデビュー作『アモーレス・ペロス』をみる機会があった。世界はつながっている。この映画は『Babel』の原型みたいな映画だが、密度は『Babel』以上かもしれない。闘犬(Dog Fight)に群がる貧しき人々や、元左翼ゲリラのインテリ殺し屋の漂流する人生、超売れっ子モデルが見舞われる理不尽な運命が、複雑なこより糸のようにつながっていく。運命の不可知論。演じている役者たちの何と人間くさいことか。登場する誰もが絶対的に正しくなく、誰もが問題を抱えている。救いはどこにも用意されていない。この映画の視点は、敢えて言えば、誰の悲運をも平等に見据える神の視点なのかもしれない。

2007年4月15日

カザフスタン/アメリカ、どっちがひどい?

ワシントンDCの友人から送られてきたDVDで映画『Boяat』をみる。アメリカでは大受けした映画だという。荒筋は、カザフスタン人の特派員Boяatが、自国民のためにアメリカに派遣され、アメリカ人の生活様式をリポートするという触れ込み。ところがBoяatは途中からそんな任務なんてどうでもよくなって、ロス在住のアイドルタレントに会いに行くために旅に出るという一種の「トンデモ」映画である。見終わっていやあな不快感が残る。なぜなのだろうか? ひとつはカザフスタンという「後進国」に対するこの映画の露骨な「嘲り」が度を超しているということがある。Boяatの奇態な振る舞いは、パロディとしての敷居を遙かに踏み越えていて、本当のカザフスタンの人々がこの映画をみたら確実に怒り出すだろう(主役のBoяatはロシア系アメリカ人)。一見、マイケル・ムーア的なロードムービー的突撃取材で、さまざまなアメリカ人たちに接し、彼らの生活ぶりを取材するのだが、そのやり方は言いようのない不快感を残すのだ。あざといのである。この映画の制作者たちの言いたいことはおそらくこうだろう。「こんなにヒドいカザフスタン人特派員なんですけれど、彼の目に映った私たちアメリカ人と、一体どっちが本当にクレイジーだと思いますか?」 多くのカザフスタン人がいまだに抱いているユダヤ人への偏見、アメリカのキリスト教原理主義者たちの奇怪な集会、保守的な上流社会のサークルのうわべだけの寛容さなど、登場してくるアメリカ人の断面を斬りつけるのに、それよりももっと「劣った」狂言回しを設定する身振りが、この不快感のみなもとのような気がする。こういう映画がアメリカで受けたことのアメリカ社会の不健康さこそが問題なのだろう。

2007年4月13日

田中泯の舞踏ロードムービー『ウミヒコヤマヒコマイヒコ』

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きのうこの欄で書いたばかりのローザスが、ヨーロッパの垂直方向に挑む舞踏、受苦としての恍惚をめざす舞踏だとすると、田中泯の舞踏は、まずそこに「ある」ことから始まり、そこと同化する、横たわる、水平方向の舞踏であって、受苦(passion)という考え方はない。インドネシアを45日間かけて旅をしながら踊るような、歩くような、ただただ風景に同化するような不思議な移動ロードムービー『ウミヒコヤマヒコマイヒコ』(油谷勝海監督)。この強烈な「郷愁」はどこからくるのか。自分がアジア人であることに拠るのか。冒頭のインドネシアのこどもたちの路上での踊りにガツンとまずやられる。観客としての牛が田中の踊り、存在感に恐怖を抱いて激しく反応するシーン、水田の沼で踊る田中にインドネシアのこどもたちが一斉に泥を投げつけるシーンなどいくつもの印象深いシーンが脳裏に残っている。映像に溢れる緑色が美しい。

2007年4月12日

ローザス 限界に挑む舞踏

ベルギーに拠点をおくダンス・カンパニー、ローザスの「デッシュ(Desh)」をみる。アンヌ・テレサ・ドゥ・ケースマイケル振り付けで自らもステージで踊る。「デッシュ」は、インド音楽ラーガが基底にある舞台なのだが、この音楽がもつ独特のグルーブ感にシンクロして、3人のダンサーが、漂うようにたゆたうように、時に切れのよい捻れが加わり、痙攣的な美が醸し出される。何と言っても、ジョン・コルトレーンの「インディア」(ヴィレッジ・ヴァンガードでのライブ盤)を舞うサルヴァ・サンチェスのソロが凄まじい。途中、あまりにも緊張を強いられて、その緊張の糸がプツンと切れて、ステージ端で呼吸を整える場面があった。ケースマイケル自身も、最後のパートではマリオン・バレスターについて行けず、何度か休止していた。ローザスはやはり、限界に挑むヨーロッパ型舞踏の代表なのだ。インド古典音楽を素材にしていても。

2007年4月11日

スラヴォイ・ジジェクの強靱な思考

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『イラク ユートピアへの葬送』
2004年5月、河出書房新社

イラクのサダム・フセイン政権が崩壊してから昨日で丸4年が経過した。イラクについてあまりにも多くのことが語られているので、もはやそれらの言説を遮断しようと言う無意識の機制が働き、イラクは日本人にとってはもはや過去のことになってしまったかのようだ。2004年の本だが、スロベニアの思想家スラヴォイ・ジジェクの『イラク ユートピアへの葬送』(原題 IRAQ: The Borrowed Kettle 借りてきた薬缶)を読む。ヨーロッパ、しかも旧東欧圏からのこのような強靱な思考に立ち会うと、日本やアメリカの薄っぺらな物言いが恥ずかしくなる。ジジェクはイラクを薬缶に例えているが、開戦前、武力攻撃をめぐって、ブッシュとパウエルの間で交わされた会話に「壊した花瓶」の例えがあったことを思い出した。お店にズカズカ入っていって誤って花瓶を壊してしまったら、そのお客は当然その花瓶代を払わなきゃならない、とか何とかのパウエル発言があったというウッドワードの記述だったと思う。いずれにしても、イラクはアメリカにとっては、花瓶か薬缶のような存在なのか。この本の注釈で初めて知ったのだが、例のジェシカ・リンチの救出劇の後日談。彼女を病院で手厚く看護し実際の救出に関与したイラクの医師、アリ・リハイエフが、その後、彼女の故郷ウエストバージニア州を訪ねたところ、彼女は回想録の出版準備に忙しいということで面会を果たせず、さらに地元市民たちは「ラマダン」断食中のリハイエフ氏の事情を全く考えずに大宴会を準備し、メインに特産豚ハムを用意していたという。この一方的な善意の臆面のなさを指摘できるのはジジェクだからである。
ジジェクのラディカルな思考は、冷戦終結以降のリベラルの総退却を根底から撃っている点にある。社会主義の可能性をいち早く売却処分に付したリベラルたちこそが最も反動的だと言っているかのようだ。

その本質上ユートピアは、不可能な理想社会を思い描くこととは関係がない。ユートピアを特徴づけるのは、どこにもない(u-topic)空間を、文字どおりに構築することなのであって、それは既存の限界の、すなわち現存の社会空間において「可能」であると思われるものの限界の、外側にあるような社会領域の構築である。(同書より)

ジジェクは、マリオ・バルガス=リョサの『世界終末戦争』に描かれたカヌードスという実存したユートピア・コミュニティに触発されて、大まじめにその可能性を語っている。俗流コミュニズム崩壊のあとのコミュニストの良心はいかにして可能か。ジジェクの発言にそのほのかな可能性を垣間見ることができる。

2007年4月 8日

ブログ化する小説の「不健康」をどうみるか?

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『わたしたちに許された特別な時間の終わり』
2007年2月、新潮社

携帯メール・ブログ・ニート時代の来るべき小説なんてものがあるとしたら、これなのだろうか。『わたしたちに許された特別な時間の終わり』(岡田利規 新潮社)。その昔、「極私的」という言葉が流行って、詩人の鈴木志郎康が書く「プアプア詩」を読んでいたことがあったが、この小説に比べたら何と「プアプア詩」は健康(!)だったことだろう。『三月の5日間』は、イラク戦争が始まる直前にいわば行きずりの男女が渋谷のラブホテルに4泊5日してヤリまくる話だが、かと言ってポルノではない。大体、性描写がほとんどない。それはあの当時でさえ上滑りしていた日本の「反戦」気分を捉えようとしているようにも読めるが、僕は、これは、ひょっとして井上陽水の『傘がない』なんじゃないか、などと唐突に思い始めた。この「つながりの欠如」は、一見、反戦運動が求める「連帯」「共闘」とは対極にあるようにみえるが、しかしながら、ほんのとなりに近接しているものだ。むしろ僕にはこの本に収録されている二作目『わたしの場所の複数』の方に強い魅力と反発を同時に感じた。ほとんどブログ日記を模したようにダラダラと書かれているこの小説に漂う絶望と渇望。作者のことは何も知らないが、前田司郎とか本谷有希子とかとおんなじ圏にいる人なのかな。

2007年4月 7日

極度の後味の悪さ/学者であることの誠実性

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『中沢新一批判、あるいは宗教的テロリズムについて』
2007月4月、亜紀書房

宗教学者・島田裕己は、実は僕の高校の同窓生で、都立西高時代、クラブ活動で園芸部に所属していた彼は、よく部室にあった植物に水をやったりしていたのを目撃した記憶がある。とてももの静かな高校生だった気がする。と、こんなことを記しても、島田裕己について、ほとんど何も語ったことにはならない。当たり前である。大体、僕は島田君とは、僕がしょっちゅう隣のクラブ部屋にたむろしていたとは言え、面識もなく、おそらく一度も会話を交わしたこともなかったかもしれない。彼の近著『中沢新一批判、あるいは宗教的テロリズムについて』(亜紀書房)を読んで感じるのは、オウム事件の時に彼が被った受難とは別次元で、これは結構きびしい場所に彼が追い込まれているのだな、という極度の後味の悪さだ。オウム事件当時のさまざまな言説のなかで、中沢新一と浅田彰が雑誌『諸君』で行った対談は、<学者であることの誠実性>という点で、今でも記憶に残っている、一言では表現できないような後味の悪い代物だった。その<学者であることの誠実性>にこだわって本書が書かれたのだとしたら、中沢を論難するその手法・ロジックの性急さに違和感を覚えざるを得ないのだ。ちなみに僕はあれ以来、中沢や浅田の著述はひとつも読んでいない。

2007年4月 6日

最初の女性宇宙飛行士テレシコワの秘話

仕事柄たくさん手元に情報紙が届く。対文協(JCA)のニュースレターもそういうなかの一つだが、最新号にとても面白い記事が掲載されていた。ソ連時代から続いている『論拠と事実』に載っている記事の要約だが、世界初の女性宇宙飛行士、ワレンチナ・テレシコワが古稀を迎えたのを機に書かれた初の宇宙飛行当時の秘話。これがとても面白いのだ。テレシコワを含む5人の女性が宇宙飛行士の秘密部隊としてソ連指導部から招集された。当時の共産党書記長はニキータ・フルシチョフ。訓練から選抜に至まで、すべてが厳格な国家機密のベールの中で行われた。もっとも面白いのは、宇宙飛行中、テレシコワが何度も気を失い、何も食べられず、常に吐いていたという。しかし、彼女はソ連のPRのためカメラに向かって何度も微笑み続け「私はかもめ、飛行は順調」と伝えたのだという。しかし我慢できず「わっ、大変」と何度も叫んだのだという。地球に帰還したときも気を失い、病院で正気に戻ったが、ソ連指導部は、帰還後の「まともな姿」を報じる必要からテレシコワに宇宙服を着せ、着陸地点に戻してテレビ用の撮影が行われたのだという。今で言う「やらせ」である。事実は国家によって操作される場合すらある。だから真実かどうかを国家が判定するということは本当は危険きわまりないことなのだ。テレシコワさんは「わたしはかもめ」だったが、本当はその前にひとりの人間だったのだ。

2007年4月 5日

アメリカの洒落っ気商品をいただく

NY在住のAさんが久しぶりに東京に帰ってきて先日お会いした。彼女から小さなおみやげをいただいたのだが、それが、ブッシュ大統領退任までの残り時間を秒単位までカウントダウンするウォッチつきのキーチェインなのだった。結構アメリカでも人気があるらしい。(日本でも入手可能だそうだhttp://www.shop-com.jp/op/prod-41340648)。こういう洒落が商品になるところがいかにもアメリカだな、と思う。ちなみにブッシュ氏が大統領として最後の日となるのは、新大統領の就任式が行われる2009年1月20日である。この日、大統領の就任式でバイブルに手をおき、宣誓を行う人物は誰なのだろうか? 話題は専らそっちの方にと向かったけれど、アメリカ政治史上、初の女性大統領とか有色人種大統領とかが登場している可能性があるのだから、かの国の政治のダイナミズムの幅広さを考えさせられる気がする。ところで、Bush’s Last Day Keychainの方は、今も快調に時を刻んでいる。僕らの国で、このような洒落が通じるまでには、まだ相当の時間がかかるのかもしれない。

Profile

田原総一朗(たはら・そういちろう)

-----<経歴>-----

1934年、滋賀県彦根市生まれ。
早稲田大学文学部卒。
岩波映画製作所、テレビ東京を経て、77年フリーに。
テレビ東京時代の連続番組「ドキュメンタリー青春」で、取材対象者に肉薄する独特のインタビュー手法で注目を浴びる。
現在は政治・経済・メディア・IT等、時代の最先端の問題をとらえ、活字と放送の両メディアにわたり精力的な評論活動を続けている。
テレビジャーナリズムの新しい地平を拓いたとして、98年ギャラクシー35周年記念賞(城戸又一賞)を受賞した。
2002年より母校・早稲田大学で「大隈塾」を開講。塾頭として未来のリーダーを育てるべく、学生や社会人の指導にあたっている。

-----<出演>-----

『朝まで生テレビ!』
(TV朝日、毎月最終金曜25時?)

『サンデープロジェクト』
(TV朝日、毎週日曜10時?)

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