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2007年2月28日

ダーウィンの悪夢・沖縄バージョン

先週の後半、久しぶりに沖縄に行ってきた。と言っても、仕事での出張絡みだった。那覇以外にも恩納村に足を伸ばした。地元の旧知の人たちと話す機会があった。沖縄と言えば米軍基地のことしか話さないようなタイプの人たちとは全然違う人たちだった。彼らの話を聞いているうちに、沖縄の風景の急激な変わりようと相俟って、いろんなことを考えさせられた。唐突だけれど、僕は映画『ダーウィンの悪夢』のことを思い出していた。「格差」という矛盾が一番露骨に現れている土地がひょっとして今は沖縄になっているのかもしれない。沖縄は今、空前の不動産バブルにあるのだという。ガイシ(外資)という名のナイルパーチが沖縄に次々に放流され、このガイシは沖縄を食い荒らしている。青い海を見下ろす丘陵地に次々とガイシやホンド資本が入ってきて、高級リゾートや別荘を次々に建てる。沖縄好きのブンカジンもそこに別荘をもって快適な暮らしを始めている。どこが悪いんだい?と言われれば、それまでだけれど。石垣島の土地も、芸能人の別荘とかがバンバン建っている。団塊世代が第二の人生を始めるということで沖縄に移住するケースが増えているが、ガイシや、なぜかお金をたくさん持っている若い人たちが、ダンカイなんてお構いなしにどんどん土地を買い漁る。だから地価がどんどん上がる。それで、もともと沖縄に生まれ住んで暮らしている人たちは幸福度が増すんだろうか? ガイシが入れば雇用が増える。沖縄は全体としてはものすごく豊かになったよ。ガイシもホンドも地元資本もカネであることに何の違いがあるんだ?と問い返されれば僕も答えに窮する。『ダーウィンの悪夢』と一緒にするなよ、との反発の声も聞こえてくるような気がする。ならば、この業務外日誌は書かなかった方がよかったかと自問すると、書くべしとの内心の声を抑えられなかった。

2007年2月25日

ガデスなきガデス舞踊団をガデスがみたら

アントニオ・ガデスが亡くなった翌年(2005年)に設立された財団によって、ガデス舞踊団は維持されることになった。けれども「ガデスがいないガデス舞踊団なんて」と、どこか心の中で思いながらも、フラメンコに流れるパッションはそんなに簡単に潰えるものではないと思い直したりもしていた。渋谷のオーチャード・ホールで、そのアントニオ・ガデス舞踊団の名作『血の婚礼』と『フラメンコ組曲』をみた。ガデスの役回りを演じるアドリアン・ガリアは本当にガデスそっくり。でも僕は、ガデスの実物を見てしまっているからか、どこかもの足りない気がするのだ。ステラ・アラウソの方は、すでにガデスと共に踊っていたのを見ているので、ますます凄みを増したことがわかるのだが。前半の『血の婚礼』はこれ以上の短縮版はないと思えるほどカットされているので、スケールが随分小さくなったようで正直がっかりした。ところが休憩を挟んで始まった『フラメンコ組曲』の方はガデス舞踊団の名前の面目躍如といった感じで素晴らしかった。ガデス舞踊団の魅力は群舞にある。94年の『アンダルシアの嵐』は群舞の究極まで行った作品だったと思う。きょう見た『フラメンコ組曲』も群舞の切れがよい。群舞には精神性が宿る。それは共和制とかコンミューンとかいう語とどこかで通じる精神性だ。おしまいの方で、中央に円陣を組んで天空にダンサーたちが手を差し伸べるシーンがある。天国にいるガデスへのオマージュを表しているようだ。ガデスなきガデス舞踊団の舞踊を天国のガデスがみていたら、厳しい言葉を吐くのだろうか。そんなんじゃダメだ、と。けれども僕にはガデスが、何も言わずににっこりと笑うような気がしてならない。

2007年2月20日

追悼・ナベゾ=渡辺和博さん

いささか遅すぎる追悼であるのだけれど記しておきたい。『ガロ』系の人がまた一人いなくなった。56歳。膵臓ガンとの闘病生活を送っていたという。ヘタウマ時代の『ガロ』も結構勢いがあったものなあ。その中心にいた一人が渡辺さんだ。家の本棚には『タラコクリーム』『タラコステーキ』に加えて、『熊猫人民公社』とか、それに今でも一番好きな『ホーケー文明のあけぼの』(朝日出版社1985年5月)があった。朝日出版社の「週刊本」シリーズは、今から考えるとトンデモない傑作が含まれていた。『映像要理』(四方田犬彦)、『本本堂未刊行図書目録』(坂本龍一)、『都はるみに捧げる』(中上健次)、『超芸術トマソン』(赤瀬川原平)、『無共闘世代』(泉麻人)等々。なかでも渡辺の『ホーケー文明のあけぼの』は突出して面白かった記憶がある。渡辺和博の作品は、ジメっとしていない一方で独特のペーソスが漂っていた。「熊猫人民公社」では中華人民共和国の集団主義をちょっとおちょくり、「お父さんのネジ」では<人間とロボットの共存と矛盾>という、手塚治虫的なテーマをさらっと描いていたりした。『ガロ』系のパーティーでお会いしたことが2、3回だけあったと思う。その渡辺さんに自分がイラストに描かれたことがあった。モスクワ特派員時代のことだ。あるエッセイストの週刊誌の連載コラムの挿絵用に描かれたもの。当時、東京からモスクワに郵送されてきたその週刊誌の挿絵は、今でも僕の宝物のひとつだ。『ホーケー文明のあけぼの』によれば、こういう人間は「○ホ」だよな、と思う。渡辺さん、やすらかに。

2007年2月19日

Yo La Tengoはまだパンクっぽさを維持してる

ワシントンDCにいた時に、Sさんから教えてもらったYo La Tengoというニュージャージー出身のインディーズ系ロックバンドがあって(いや、彼らの場合、ロックという規定がバカバカしいけど)、その小気味よい突っ張り具合(パンクっぽさ)が気に入っていた。「Nuclear War」という曲が特に。そのYo La Tengoが東京の渋谷でLIVEをやるというので、のぞいいてみた。なるほど3人というのは最小にして最強のユニットだな、と思う。女性のドラマー、ジョージア・ハブリーのおっかないくらいの存在感が際立っている。かっこいいよな。彼らの奏でる音には、バラードあり、ラテンあり、ノイズあり、フリージャズみたいのまであって、実に幅がある。会場のオンエア・イーストは、僕の半分以下の年齢のガキンチョどもや、東京在住の不良アメリカ人たちで一杯だ。破壊的なノイズで盛り上がって「極点」に至るパターンの曲は、何だか薬物の影響があるみたいで、すごいと言えばすごいけれど。アメリカには、まだ、こういう破壊的な過激さを維持しているインディーズも生き残っているのだ。日本にもいなくなっちゃったわけじゃないけれど。でも、(全く関係ない文脈だけど)こないだ聴いた平原綾香とか、やっぱり詞の内容とか少年アニメみたいだもんなあ。Yo La Tengoみたいなのはなかなかいないぜ。

2007年2月17日

歴史の大波のなかで貫かれた愛情

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『ヴケリッチの妻・淑子』
2006年12月、同時代社

これほど美しい生き方をしたと思った女性もなかなかいない。片島紀男『ヴケリッチの妻・淑子』(同時代社)は、「ゾルゲ事件」で日本の特高警察に摘発されたユーゴスラビア人、ブランコ・ド・ヴケリッチの妻・山崎淑子の生涯を描いたノンフィクション作品だ。「ゾルゲ事件」の最後の生き証人と言われていた山崎淑子は、2006年5月3日、横浜で息を引き取った。90歳だったという。残念ながら僕は、NHKの片島氏によるドキュメンタリー作品『アジアをスクープした男・特派員ロベール・ギランの四〇年』(1992年)と『愛は国境を越えて ブランコ・ド・ヴケリッチ夫人山崎淑子』(1998年)を見逃している。前者の放映時はモスクワに特派員として赴任していたので見られなかったが、後者を機会があれば是非ともみてみたい。この本を読み終えると、軽々な言葉を発することがおそろしくなる。敬虔な気持ちが自然に沸いてくる。TVドキュメンタリーの取材を通して人と関わることの「重さと責任」。片島氏と同じテレビの世界の一端にいるがゆえにそのことを強烈に突きつけられる感じがする。特に今のようなテレビの荒野においては。こうしてはいられない。それにしても、終戦の7ヶ月前に網走刑務所で無念の獄死を遂げたヴケリッチは、あの世から、ソ連邦の消滅と故国ユーゴスラビアの解体をどのような想いでみているのだろうか。理想と希望が潰えていくことだけが私たちの歴史なのではない。本の中で紹介されている淑子とヴケリッチの書簡には、絶望的な状況のなかで、なおも希望が語られていた。

2007年2月16日

ものわかりのいい森山大道

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写真家・森山大道はもはや伝説化されている人物だ。1972年に刊行した個人誌のような写真誌『記録』再刊(第6号)記念イベントがあったのでのぞいてみた。トークショーである。実物の森山大道をみるのは、実は、これが初めてのことだ。黒ずくめのファッション。長髪。全身に含羞が充満しているのかと思いきや、トークショーを聞いているとそうでもないのかな。時代というものは遷ろう。中平卓馬はその間に倒れて記憶をなくしている。だが、回顧に浸るのは早すぎる。何を期待して、僕はここに来たのか。話を聞いているうちに自問し始めた。会場にトークを聞きに来ている人たちは若い人だらけだ。写真を勉強している学生たちだろうか。若い人たちにとっては、森山は神様みたいな存在なのだろう。トークショーが終わって、会場とのQ&Aになって、若い女の子がこんな質問をした。『今は、何か事件のような出来事が起きると、回りの人たちがみんな一斉に携帯についているカメラで映像を撮り始める。ボタンひとつで簡単に映像が撮れる。それを見ていると何だか気持ちが悪くなる。森山さんは長い間、写真を撮ってこられて、撮るのが嫌になることがありませんか?」。随分と鋭い質問をする少女だ。それに対して森山は『長くやっていると何となくうとましいという気分の時もなくはないですよ。僕にとっては、路上スナップというのが基本の写真だから、なるべく歩いて撮ろうと思っている。プロのカメラであろうが携帯であろうが写真は写っちゃう。カメラにはもともと武器というニュアンスがなくはない。僕はそれをあんまり意識しないようにしているけれども、僕も自分なりのモラルコードは最後まであって、撮りたくないものは撮らない。今日は写真撮るのは嫌だなあという日もあります』。誠実な答だったと思うけれども、何だかものわかりがよくて、やさしい声と語りを聞いているうちに、もっと突っ張って欲しいよな、と勝手に思ってしまった。それで思わず聞いてしまった。『1972年と2007年じゃ、見えている風景から<いかがわしさ>が消されていくのを感じていませんか?』と。

森山大道オフィシャルサイト
http://www.moriyamadaido.com/

2007年2月14日

清志郎は元気だぞ!!

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バレンタインデーの今日は、仕事上のことでシンドいことが立て続けに起きて、本当にまいっていた。そんな時に、唯一こちらが励まされるようなとても良いことがあった。忌野清志郎さんがひょっこり職場に訪ねてみえたのだ。2人の女性Aさん、Bさんを連れだって。思ってたよりも、ずっと元気だぞ!! よかった! 1月21日には渋谷BOXXの石田長生ライブにゲスト出演したそうだ。嬉しいもんね。忌野さんにはお願いしたいことが一杯あって、そのうちの最も緊要な用件を頼んでしまった。新しく出版される拙著(リトルモア発行『ホワイトハウスから徒歩5分・増補版』)の腹帯文をお願いしたのだった。僕がワシントンにいた時には爪弾きにされていたディクシー・チックスも、先日、グラミー賞を受賞したことだし、アメリカの空気が変化していることを感じる。『ホワイトハウスから徒歩5分』を記していた時とは随分と違ってきた。日本の戦後史は、アメリカの1~2周遅れのサーキットを歩んできたような歴史だ。本当に夜明けは近いか? 清志郎さんと一緒に見届けよう。

2007年2月12日

ベスト・オブ・モーリス・ベジャール

仕事でパリに来ている。今日は休日だ。ちょっとばかり興奮している。今、ベジャールをみてきたところだ。会場のPalais des sportsは元々がスポーツをみせる会場だから結構大きいけれど満杯になっていた。モーリス・ベジャールの80歳記念の公演『Le Best-of de Maurice Bejart』。集大成といった感じか。『春の祭典』から入る。ベジャールの『春の祭典』は、ピナ・バウシュのとは違って、<犠牲>ではなく、<生のエネルギー>が前面に出ている。この公演のサブタイトルが『愛、ダンス』(L’Amour-La Danse)となっているように、生の躍動=ダンスなのだ。すさまじいエネルギーに満ちた生の賛歌。しかし、休憩をはさんで二幕目に入ってから、愛を阻むものとして<戦争>が提示される。<戦争>のテーマでは、何やら戦闘を称揚するような黒人女性ダンサーが出てきたりして、何だかコンドリーザ・ライスを想起してしまった。それに、どう考えても中国の国家パワーを連想させるような東洋系の男性ダンサーの踊りがあるのだが、その動きがすばらしい。プログラムで東洋系のダンサーの名前をさがすと2人いて、ひとりがKeisuke Nasuno(日本人?)、もうひとりがShi Qi Weng(中国人?)。どっちかな?

フィナーレは、『春の祭典』に戻って、それからが圧巻で、クイーンの『The Show Must Go On』でしめる。会場全体が轟音のような拍手に包まれた。僕の隣に座っていたフランス人のおばさんはクイーンの歌を一緒に大合唱していた。この盛り上がり方って何なんだろう? ホントにバレエか? そんなふうに思っていたら、自分も思わず足踏みしているのに気づいた。ちょうど、旅の移動中にロシア・バレエ団のディアギレフの本を読み始めていたので、ベジャールとディアギレフのイメージが自分の中ですっかり重なってしまっている。ベジャール本人は、最後にステージに登場した。椅子に座ったまま。黒いセーターに赤いマフラーを巻いていた。実に決まっている。やっぱり現代のディアギレフだ。ベジャールもジョルジュ・ドンも生きているうちに生でみておいてよかったなあ。同時代に生きていたからの幸運だ。だってこれから生まれてくる人たちは、こういう神話化してしまうような人たちのパフォーマンスをDVDとかでしか見られないものね。帰りの地下鉄の客は大部分がベジャールを観た人々。皆一様に表情が上気していて幸せそう。文化は人を幸せにするパワーを持っていることを今晩はしっかりと確認したぞ。

2007年2月 5日

雑誌の連載モノはやっぱり捨てがたい

いくらネットだ、ブログだのと言ったって、本や雑誌、つまり印刷メディアの書き物の魅力は捨てがたいよな、と僕は思っている。大体、このブログだって、本のことについて書いた回が相当に多いはずだ。特に雑誌の連載モノは、その掲載時の世の中の空気と微妙に反応して読む人の意識を揺さぶってくれるので面白い。僕が欠かさず読んでいる雑誌の連載は例えばこんなのだ。

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月刊「ちくま」第431号2007年2月号

★筑摩書房のPR誌『ちくま』(奈良美智の表紙が毎号楽しみ)に連載されている、なだいなだの「人 間、とりあえず主義」。これは大好きだ。その主張が全部まとも。ラディカルなオヤジだ。

★全日空のPR誌『翼の王国』に連載されている椎根和の「ICON68-79」。この人の文章も大好きだ。じわりとこころに沁みてくる。最近の横尾忠則、三島由紀夫、ニール・ヤング、どれもよかった。

★TBS『新・調査情報』に載っている大先輩・今野勉さんの「『dA』の時代 テレビも私も青春だった」。民間放送のテレビの草創期~安定期にあった熱いものが、「正史」には載っていないエピソードから確実に伝わってくるのだ。

まだ他にもいくつかあるけれど、魅力ある連載モノは長く続いてい欲しいと思うのだ。

2007年2月 4日

凛としたNHK職員がいた

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新宿の紀伊国屋サザンシアターで、こまつ座『私はだれでしょう』をみる。戦後まもなくの頃、NHKラジオが放送していた『尋ね人』という人気番組があった。戦争で生き別れになった人と人を結びつけて「ラジオのちから」を発揮していたのだという。それまでの国策放送から一転して、ラジオは民衆のために働き始めた。何のための放送なのか。まさに放送、いや、報道の起点がそこに見いだされたのだろう。GHQ監視下にありながらも、凛としたNHK職員がいたことを、この劇をみながら泣き笑いして確認したあとに、この昭和史劇が、いまの現実の放送と地続きになっていることに気づき慄然とする。劇中の「電波は民衆のもの。政治家やお偉いさんが外からとやかく言うものではない」という趣旨の何気ない台詞が、今のNHKを、そしてすべての民間放送局、いや報道機関全体を撃つ仕掛けになっているのかもしれない。梅沢昌代の演技は、もうここまで来ると、こまつ座のコアを形成している感がある。僕が井上ひさしさんの名前を最初に知ったのは、NHKの『ひょっこりひょうたん島』の作者としてだったと思う。それだけに、ひさしさんのNHKへの愛情がとても強く感じられた(「シャワーソング」とかよくわかる)。ああ、そう言えば、阪神大震災の時に在阪のラジオが、『尋ね人』や避難所情報を放送して、テレビをはるかに凌ぐ働きをしたことを思い出した。放送で仕事をしている人たちとは、いったい誰でしょう? 誰であるべきなのでしょう? 

Profile

田原総一朗(たはら・そういちろう)

-----<経歴>-----

1934年、滋賀県彦根市生まれ。
早稲田大学文学部卒。
岩波映画製作所、テレビ東京を経て、77年フリーに。
テレビ東京時代の連続番組「ドキュメンタリー青春」で、取材対象者に肉薄する独特のインタビュー手法で注目を浴びる。
現在は政治・経済・メディア・IT等、時代の最先端の問題をとらえ、活字と放送の両メディアにわたり精力的な評論活動を続けている。
テレビジャーナリズムの新しい地平を拓いたとして、98年ギャラクシー35周年記念賞(城戸又一賞)を受賞した。
2002年より母校・早稲田大学で「大隈塾」を開講。塾頭として未来のリーダーを育てるべく、学生や社会人の指導にあたっている。

-----<出演>-----

『朝まで生テレビ!』
(TV朝日、毎月最終金曜25時?)

『サンデープロジェクト』
(TV朝日、毎週日曜10時?)

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