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2007年1月31日

パワフルでチグハグな上海の魅力

わずか2泊3日だったけれど、上海滞在は刺激的な旅だった。何しろ今の上海は高層ビルがバカバカ建てられている。それも無秩序に。こんなにおっ建ててどうするんだ、と思うくらい。銭もうけのパワーが横溢しているのが実感として伝わってくる。その一方で、いまだ古い古い上海も残っている。旧植民地時代の租界の欧風建築物とか、古い中国の民家・寺院などがあって歴史の重層を感じさせる。その新旧のチグハグさが同居しているところが面白いので「上海学」というジャンルも成立しているらしい。同道したTさんによると、「今の中国はヨーロッパとアフリカが同居してるんだよな」との解説。そのTさんに連れられて浦江飯店という古いホテルのカフェ(La Vie En Rose)で茶を飲んだ。とても趣のあるホテルだ。ロビーには古い写真が飾ってあって、1920年にこのホテルに滞在したというバートランド・ラッセルに加えて、1922年に滞在したアインシュタインの写真もあった。古いお寺で真剣に祈る若い人たちがたくさんいるのをみて、これが中国の現実なのかなと奇妙な気持ちになった。上海の日本学者と話をしたら、湖南テレビという局がとても人気があって、中国版の「スター誕生」=『超級女生』とかが大人気だとか。ああ、それから韓流ドラマも大変な人気で、あの『チャングムの誓い』(中国語で「大長今」=ターチャンチン)とかも、すごい人気とのこと。上海は人とモノで溢れかえり、パワフルでチグハグで面白いぞ。

2007年1月26日

キッシンジャーと周恩来が飯を食った大公館で

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世界最初の営業用高速リニアモーターカー(トランスラピッド)。
上海龍陽路駅-浦東国際空港駅間で2002年12月から運用されている。

上海に来ている。東京よりもずっと寒い、寒い。空港からリニア・モーターカーに乗った。これが速いのなんの。車両内に速度がデジタル表示されているのをみていたら、どんどん加速していって、17時35分頃には最高時速431キロ(!)にまでなった。こんなに速い地上の乗り物に乗ったのは生まれてからこの方ないもんね。上海人民と触れあおうと、引率役のTさんが言い出して、その後地下鉄2号線と1号線を乗り継いでホテルに投宿した。くたびれた。何しろ地下鉄の混み方が尋常じゃなかったので。人民広場駅で乗り換えたときも、同行の全員が乗り切れなかった。こちらの人は降りる人がいても道を譲らない。降りるのも命がけである(大げさか)。T氏ご推奨の大公館で夕飯を食べた。この由緒あるホテルは、その昔(1971年頃)、ニクソン政権の大統領補佐官ヘンリー・キッシンジャーが周恩来首相と飯を食いながら密談した場所だという。翌年、ニクソンの電撃的訪中の下準備でもしていたのだろうか。趣のある建物である。上海の街はモノと人で溢れかえっている。良くも悪くもこれが人民中国の現実なのだ。世界は広い。ただ上海の第一印象は不思議なことに閉塞感は感じられないのだ。

2007年1月25日

猫好きで小説好きにはたまらない本

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『作家の猫』
2006年6月、平凡社

納豆とかバラバラとかいじめとか、ヤな話ばかりがニッポンの世間を覆っていても、猫たちはそのような俗界を超越して生きているのだ。もの書きにも猫好きの人が多いけれど、超有名作家たちと猫の関わりをムック本にして儲けようともくろんで出版社が出している本がある。それで僕は、そのもくろみに進んで盲従することにした。『作家の猫』(平凡社コロナブックス)は、猫好きで小説好きの人にはたまらない本だ。作家たちを籠絡した猫たちの可愛いこと、この上なし。この本の表紙になっているのは、今は亡き中島らもの愛猫・とらちゃんで、裏表紙の方は、室生犀星と愛猫ジイノ。これらの作家たちの傍らに鎮座している猫どもの写真をみていると、自然とこころが和んでくる。オウム事件の頃だったか、吉本隆明さんのご自宅にお話を伺いに訪ねた際、猫たちが吉本家に自由に出入りしているのをみて、なんだかホッとした記憶がある。町田康の『猫にかまけて』は涙なしには読めなかった。ますむらひろしの東北弁を話すアタゴオル猫。赤瀬川原平、金井美恵子とか猫好きの作家も大好きだしなあ。僕自身と猫とのつきあいはもう12年目になるけれど、書き出したら止まらなくなるので、この辺にしとこう。 

2007年1月22日

S・ソンタグ 根源的な思考と強靱な言葉

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『他者の苦痛へのまなざし』
2003年7月、みすず書房

今年のこの欄は、サダム・フセインへの死刑執行のことから書き始めた。そのことにこだわりを持っていることもあり、スーザン・ソンタグの『他者の苦痛へのまなざし』(みすず書房)や遺稿となった『他者の拷問へのまなざし』を再読してみて、あらためて彼女の根源的な思考の実践と強靱な言葉を生み出した力に打たれた。これらの文章からは、根源的(ラディカル)であることの誠実さがひしひしと伝わってくる。と同時に知識、知性の力が決して死なないこと(彼女が没した後も彼女の書物は光彩を放っている)を証明してみせてくれるのだ。彼女が亡くなった時に、米C-spanが追悼番組を放映したが、視聴者からのどのような(ヒドい中傷もあった)質問にも誠実に答える姿が感動的でさえあったことを記憶している。サダム処刑に関する論考は別の箇所に少し長めのものを書く予定だ。

ところで話は変わるけれど、納豆ダイエット効果を誇張するため、データをねつ造していたとして某民放が非難されている。相当の逸脱があったのだろう。だが、ただ非難するだけでは何も変わらない。誰も否定できないことだが、飽食グルメ情報とそれと対になった強迫的ダイエット情報が、日本のテレビ番組を覆い、まるでjunkyardと化しているのではないか。飽食は飢餓を隠し、ダイエットはこころの荒廃を隠す。つまり現実を隠蔽・逃避するためのメディアと化す。少し考えると、それがいいと思っている人は、本当は少ないのではないか。根源的な思考の入り口に立つとはそういうことかもしれない。

2007年1月18日

細江英公の濃密なる写真空間

遅まきながら東京都写真美術館で開催中の『写真家・細江英公の世界 球体写真二元論』をみた。何しろ、被写体だ。三島由紀夫、土方巽、大野一雄と来ると、強烈な臭いが写真から発せられて、みているこちらがハラハラしてしまう。この濃密な空気が漂っていた時代があった。なかでも土方巽。『鎌鼬』『土方巽舞踏大鑑 かさぶたとキャラメル』のなかの土方は、まるで異世界から日本の土着へ降り立ってきた侵入者だ。芦川羊子の姿が懐かしい。細江の写真は、その個性に真っ向から関係を取り結ぶ。1986年1月22日の土方巽の葬儀にて撮られた棺に横たわる遺体。21年前のこの葬儀の場に、当時32歳だった僕は、テレビ記者として取材に訪れていたんだものなあ。しかもニュースの取材と称して。その場には、すでに声を失った澁澤龍彦とかがいた。何と時間の流れるのは早いんだろう。アスベスト館はもうないのだろうな。時間感覚が大いに揺らいだままだったからか、美術館のKさんに会いたくなり訪ねる。

2007年1月17日

『硫黄島からの手紙』の本当のすごさ

NYから来日した旧知と話していたら、話題が『硫黄島からの手紙』のことになった。彼曰く、「『父親たちの星条旗』もすばらしいが、『硫黄島からの手紙』はアメリカ人にとってはとても意味のある作品だと思うよ」と。「CNNのラリーキング・ライブに、クリント・イーストウッドがゲストで出た時も、渡辺謙も出てきて、英語は決して上手ではなかったが、とても存在感があり意味のあることを発言していた。それよりも何よりも、この映画のものすごいところは、台詞のほとんどが日本語というハリウッド映画を作り上げ、それに英語の字幕をつけたものをアメリカの普通の映画館で上映して、僕ら普通のアメリカ人に観させたことだよ」。その後、話はNBCの人気番組『Heroes』に出てくる日本人Hiroのことに及び、彼がとても好感をもってアメリカの視聴者に受け止められていることを興奮して話していた。アメリカ人の彼が言うのだから、それはウソではないだろう。こないだパリに行ったときに聞いたのだけれど、フランスでも日本のアニメ・キャラクターが大人気だということだが、日本人がフランスのテレビドラマに普通に登場してくることなんかはないだろうなあ。クリント・イーストウッドの硫黄島二部作については、蓮実重彦の『合衆国海軍の衛生兵をめぐる長年の疑問について』(『UP』1月号)という短文をきのう読んだが、相変わらず、何て面白い映画評を書き続けているんだろう。

2007年1月15日

天才が天才に稽古をつける迫力

何気なく見ているテレビで、ごくごく稀にだけれども、とんでもなく上質の番組にでっくわすことがある。『バレンボイムのべートーベン・プロジェクト』という番組(NHK)である。中国出身のピアニスト、ランランはワシントンのケネディ・センターでその生演奏(確かラフマニノフのピアノ協奏曲だったっけ)を聴いた記憶があるけれど、その時は天才少年ピアニストという感じで、まだあどけなさが感じられた。今、テレビ画面に現れたランランは、当時の姿よりもかなり大人びている。それにちょっと太り気味だ。ジーンズにセーター姿というラフないでたちでピアノの前に座っている。そのランランにベートーベンのピアノソナタの稽古をつけているのが、ダニエル・バレンボイムだ。一通りランランに好きなように演奏させた後、短い言葉でその技量を褒めたあとのバレンボイムの稽古のつけ方が凄まじかった。褒め言葉がどこかに吹っ飛んでしまうほど、完膚無きまでにランランの奏法に注文をつける。曲の解釈、音符から音符への移行の意味をめぐって厳しいやりとりがバレンボイムとランランのあいだで交わされる。その抜き差しならない真剣勝負に、みている僕らはどんどん引き込まれてしまう。天才が天才に稽古をつけるとこのような迫力になるのか。こういうテレビ番組だってまだまだ成り立ちうることに希望を感じる。

2007年1月12日

チョムスキーとマスメディア

『Manufacturing Consent』。この映画は1992年製作のカナダの作品だ。だから、もう15年にも前の作品なのだが、ちっとも古く感じない、どころか、より切迫してくるのだ。チョムスキーほど精力的にメディアのありようを根源的に批判し、発言し、行動し続けている知識人は、アメリカには他にいないのではないか。メディアで仕事をしている人間のひとりとしては、彼によって突きつけられているものの重さ、大きさに、まずは沈思黙考するしかない。作品のなかで、強く心に焼き付いているシーンがある。1975年、東チモールにおけるインドネシア軍の残虐行為を報じていたオーストラリアのテレビ記者グレッグ・シャックルトンの姿だ。彼はその後、インドネシア軍によって殺害された。市民の自立を説くチョムスキーを神聖化するのは、もっともやってはならないことのひとつだろう。このメディア状況を直視することからしか何も始まらない。

2007年1月11日

映画『Babel』その後わかったこと

パリの映画館でみて衝撃を受けた映画『Babel』のことを、いろいろな人に話したら、こちらもいろいろとわかってきた。監督は『21グラム』の人だったんだ。メキシコ人のアレッハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥという人。あの日本パートに出演していた女子高校生役の菊地凛子は、何と米ゴールデングローブ賞助演女優賞候補になっているんだそうだ。ショーン・ペンのファンだとか。

話は変わるけれども、映画『ダーウィンの悪夢』のフーベルト・ザウパー監督が去年の11月来日した際、記者会見で『グローバリゼーションというコンテキストのなかで、その仮面を剥ぐことに使命を感じています』と発言していた。そのなかのやりとりで、まさに『Babel』に通じる発言があった。

(質問者)この映画のなかでとても悲劇的だと思ったのは北側に経済的な富が流れているのにもかかわらず、精神的には豊かで幸せではないという点です。日本には自殺・うつ病が多く、ある日、職を失い、その日に回転寿司でナイルパーチを食べて、次の日に自殺をする、ということも起こりえます。ヨーロッパも同様だと思います。そんな北側の精神的状況をどう思いますか?

(ザウパー監督)非常にいい意見を聞かせてくださりありがとうございます。……ある意味では、ヨーロッパの現実を考えるためにタンザニアでこの映画を撮ったと言えます。……(中略)……
日本、ヨーロッパ、アメリカは巨大な富を集めてきて、城壁を建てて住んでいます。いつかその奪われた人たちがやって来て、その城壁を壊して報復するときがあるに違いありません。それを怖れて移民を制限したり、非人間的な法律を作ったりして自己防衛をはかっているわけですが、いつか奪ったものは取り返されるし、……(後略)……

『Babel』は、とにかくすばらしい作品だと思う。果たして日本でこの映画はどのように観られるのだろうか。

2007年1月10日

モネの浮世絵コレクションってすげえや。

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Le pont japonais
Claude Monet(1840年11月14日 - 1926年12月5日)

パリのブーローニュの森近くにあるマルモッタン美術館は、クロード・モネの絵画が展示されていて、それはそれは見る価値があった。有名な『睡蓮』とか。けれども、お目当ては、モネが所蔵していた相当量に及ぶ日本の浮世絵、錦絵のコレクションの展示だった。モネは日本の浮世絵から大きな影響を受けていたといわれている。彼の作品には『Le pont japonais』という作品もあった。モネこそ、いわゆる日本贔屓の走りだったのかもしれない。その浮世絵コレクションの素晴らしさと言ったら。北斎の『赤富士』とかをこんなに間近にしみじみと見たのは初めてだ。絵のモデルになっている江戸時代の人の顔がいい。それが時代を経て、近世の錦絵あたりになってくると、日本人の顔がどんどん怖くなってくるのだ。例えば、歌川広重の『本山』に出てくる当時の日本人の顔の優しさといったらない。それが1884年の中村秋香『平壌激戦之図』とか、水野年方『大日本帝国万々歳平壌激戦大勝利』(それにしての何で平壌=ピョンヤンなんだろう?)に現れる日本人の顔は、ずいぶんとおっかない容貌に変わってきているのだ。まあ戦争の錦絵なのだから仕方がないのだろうが。マルモッタンはとても混み合っていたが、美術館としての見やすさは相当に配慮が行き届いていた。

マルモッタン美術館
住所:2, rue Louis-Boilly 75016
Tel:01 44 96 50 33
URL:http://www.marmottan.com/
メトロ:ラ・ミュエット(La Muette)
開館時間:10時〜18時(月曜休館)
入館料:7ユーロ

2007年1月 8日

イーストウッドの戦争へのまなざしの深さ

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遅ればせながら『硫黄島からの手紙』をみた。レイトショーだったので映画館はそれほど混んでいなかった。前作『父親たちの星条旗』がアメリカ編であって、日本編にあたるのがこの作品である。前作とあわせてみて、あらためて戦争の悲惨さが「敵-味方」の両側からひしひしと伝わってくる。クリント・イーストウッドの壮大な試みに深く感動する所以だ。ただ、僕は、どちらかと言うと、前作の方が好きだ。日本人であるので、この『硫黄島からの手紙』のなかに描かれる「国に殉じること」「自決」といった究極的には理不尽な悲劇が、生きることのリアリティにおいて、今現在のニッポンの漂流する生との対比で、「リアルな生」と捉えられかねない、という危惧さえ覚えてしまうのだ。つまり、死を賭した戦場での行動には生きることのリアリティがあったのだ、というような絶対的な矛盾が生煮えのまま受容されてしまわないか。そんなことは杞憂にすぎないのかもしれないけれども。きっと『Babel』をみてしまったからだろう。そんなことを考えるのは。ともあれ、イーストウッドの戦争に対するまなざしの深さに、さまざまなことを考えさせられる。

話は全然変わるが、僕は大体のファッションというのは自由だから何でも着るけれど、どうしても着たくない種類の服がある。それは迷彩服柄のパンツだ。若い人たちが穿いてるのをみても何かイヤ~な感じがする。まあ、どうでもいいか。もちろん『硫黄島からの手紙』と、ニッポンの3流戦争モノ映画を一緒に論じる気なんかはない。ただ、迷彩柄を身に着けて表参道あたりを闊歩してる若者への嫌悪と、3流戦争モノに対する感じはどこかでつながっているような気がするのだ。

イーストウッドが戦争を直視したように、僕ら日本人が戦争をまともに見据えることとは、例えば、アメリカ国民さえ、もはや「大儀なき戦争」と位置づけだしたイラク戦争と日本の関わり方を考えることであったりする。そんなことをぼんやり考えながら映画館を出た。

(追記)
イーストウッドは日本向けのインタビューで次のように発言している。
『(朝鮮戦争のあと)すぐにベトナム戦争となり、湾岸戦争、そしてイラク戦争がまだ続いている。私は戦争が大嫌いだ。この映画を手がけたのは、戦争が与える影響を描きたかったからで、戦争映画とは思って欲しくない。たまには優れた作品もあるが、多くの戦争映画はプロパガンダの役を果たしたりと危険な要素をはらむものが多いからね。』(『硫黄島からの手紙』日本版プログラムより)

2007年1月 7日

シルヴィ・ギエム&ラッセル・マリファント

休暇先のパリで幸いなことに、シャンゼリゼ劇場でのシルヴィ・ギエム&ラッセル・マリファントのコンテンポラリー・ダンスをみることができた。『Push』という前評判の高い演目。大晦日の開演90分前に劇場に飛び込んだら幸運にも当日売りのチケットを買えた。95ユーロの席はSold out。仕方なく75ユーロの席を購入。悪くはない席だった。シャンゼリゼ劇場はキャパシティが大きくないのでとても具合がいい。いきなり1曲目にシルヴィ・ギエムのソロ。フラメンコ風の曲を舞う。まるで少年のようだ。2曲目の『Shift』はラッセル・マリファントのソロ。照明の妙味。自分のシルエット(単数および複数)が背景に映し出され、その影との共演。美しい音楽(シーリー・トンプソン)で幻想的で禁欲的な舞い。3曲目はうって変わってテンポの速い曲でデュエット。日本の勅使川原三郎を思いだした。すさまじい拍手に2人は包まれた。休憩後の『Push』は期待したほどではなかったが、75ユーロに見合った舞台だった(かな?)。

それにしても、パリでのギエムの人気は、もはや不動という感じ。実際に舞う姿をみられる幸福。

Sylvie Guillem:公式ページ(English)
http://www.sylvieguillem.com/

2007年1月 5日

映画『BABEL』のグローバルなまなざしに驚嘆する

パリですごい映画をみた。ワシントン勤務時代に知り合ったアメリカ人がパリに来ていて「今、パリで上映しているから絶対にみなきゃダメ」と強く奨めてくれた映画だ。手元に資料が全くないので、監督の名前もメキシコ人であること以外には記せないが、とにかく、アメリカ、メキシコ、モロッコ、東京という世界の4つの場所で同時進行するドラマの連鎖から浮き上がって見えてくるグローバルな構造。こういう映画をつくる人のグローバルな普遍をもとめるまなざしに、ただただ驚嘆するのみ。僕らが日本人であるから強烈に感じるのだろうが、東京パートのストーリーの痛々しいまでの切迫感。女子高校生役の女優(キクチリンコ?)の存在感は際立っていた。それとモロッコ・パートの子役が敢然と銃をとるシーンの美しさ。不勉強なことに、日本でこの映画のことをよく知らなかったので、もう古い旧聞に属することなのかも知れないが、映画館にいたフランス人は見終わって、絶賛の表情を僕に向けてきた。何だかうれしい気持ちになった。

2007年1月 4日

「人道に対する罪」を裁く側の非人道

今、パリにいる。この年末年始は海外にいた。サダム処刑の一報を知ったのはイタリアのヴェネツィアのホテルでだった。処刑を報じるCNNの一報は緊張感に満ちていた。その一報から1時間余りたって、何と処刑の模様を撮影したビデオ映像がテレビ画面から流れているではないか。一体これは何が起きているのか。激しい衝撃に襲われた。今、眼前で流れている映像の意味するところの重大さにである。サダム・フセインは「人道(Humanity)に対する罪」で裁かれていたはずだ。処刑者たちは覆面で顔を覆っていた。この既視感。そうだ。イラクで外国人らを誘拐・処刑した彼らのビデオ映像。欧米・日本政府が「テロリスト」と呼んだ彼らと同じ装いを、今度は新生イラク政府の司法当局者がまとっている。後世の人々はこの記号論的な「符合」をどのように論じるのだろうか。CNNのアンダーソン・クーパーの電話インタビューに答えたイラク政府のSecurity adviserなる人物の主張。彼は処刑に立ち会っていたのだという。「この処刑は国際的基準にも、イスラム世界の基準にも、イラク人の基準にもすべて合致している。全くの正当な処刑だ。処刑はアメリカ政府も有志連合国も当事者ではない。イラクの司法当局が処刑を断行したのだ」と。その興奮気味の語感から伝わってくる「人道(humanity)」の無残な解体。どこの国際基準に死刑執行の一部始終をビデオカメラで撮影させることを正当と認める基準があるというのか。

後日、今度は処刑に立ち会っていた警備担当者が携帯電話のカメラで撮影していたサダム処刑の映像がインターネットを通じて流出した。人はインターネットを通じてどこまで卑劣になれるのか。人道の解体を促すものが、匿名性を武器とするインターネットの暴力的な伝播力にあるという現実と、僕らがどう向き合っていくのか。2007年という年は、この「不都合な真実」に向き合う年になるだろう。

英紙『GUARDIAN』は2日付けのコラムでサダム処刑をshamefulと批判していた。日本のメディアがどのようにこの処刑を報じたのかはわからないが、少なくともここヨーロッパのメディアは驚きと怒りを隠していない。

Profile

田原総一朗(たはら・そういちろう)

-----<経歴>-----

1934年、滋賀県彦根市生まれ。
早稲田大学文学部卒。
岩波映画製作所、テレビ東京を経て、77年フリーに。
テレビ東京時代の連続番組「ドキュメンタリー青春」で、取材対象者に肉薄する独特のインタビュー手法で注目を浴びる。
現在は政治・経済・メディア・IT等、時代の最先端の問題をとらえ、活字と放送の両メディアにわたり精力的な評論活動を続けている。
テレビジャーナリズムの新しい地平を拓いたとして、98年ギャラクシー35周年記念賞(城戸又一賞)を受賞した。
2002年より母校・早稲田大学で「大隈塾」を開講。塾頭として未来のリーダーを育てるべく、学生や社会人の指導にあたっている。

-----<出演>-----

『朝まで生テレビ!』
(TV朝日、毎月最終金曜25時?)

『サンデープロジェクト』
(TV朝日、毎週日曜10時?)

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