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2006年12月26日

今年、最後の配信なので。

読者の皆さん。06年も、『業務外日誌』を愛読頂きまして、誠にありがとうございました。

おかげさまで、《ざ・こもんず》の中では、最もアクセスの多いブログとして、この数ヶ月をすごさせて頂きました。皆さんからのご意見には、勇気づけられることも多く、感謝に堪えません。

もともとこの『業務外日誌』は、高野孟さんの「インサイダー」が主宰していた『東京万華鏡』の中の1アイテムとして出発したものです。きっかけは実に些細なことなのですが、ワシントン勤務期間に、勤めている会社の運営していたホームページで、「業務日誌+業務外日誌」的なものを連載していたところ、「会社批判をした」「けしからん」云々と言い出す輩が出て、そのページが閉鎖されたことでした。会社批判云々とは、小泉訪朝が韓国紙にスクープとしてすっぱ抜かれたことについて、僕が「日本の政治メディアはだらしないな」と指摘したことでした。呆れてものが言えません。それを端でみていた高野さんが、「それじゃあ、俺んとこでやってみなよ」と言われたのです。僕はそのような「義理・人情」には弱いので、「業務外日誌」と銘打ち連載を始めたわけです。今も僕は自分をひとりの記者だと思っているので、「業務内」で知り得たことは、それは、それは、ディープで、メチャクチャに面白いのですが、そのことは敢えて書かない。「業務外」のことを書くことで、時代の空気のようなものを活写できればいいのではないか。そのように思い直して連載しているのが本欄です。やってみると、これが結構たいへんなのですね。何しろ一番おもしろいことは書けないんですから。でも、業務外の引き出しをたくさん作ることは、楽しいことでもあります。今後とも、引き続きよろしくお願い致します。皆さんも建設的なご意見をどんどんお寄せください。では、よいお年を!

2006年12月25日

06年の極私的ノンジャンル・トップ10

この1年。個人的にはヒドい年だったなあ、と思う。早く過ぎ去ってしまえ。というわけで、この欄に記したこと記さなかったことも含めて、ジャンルを越えて「業務外日誌」トップ10。

『打ちのめされるようなすごい本』(米原万里、文藝春秋)
今年5月の彼女の死後に発売されたこの本で、不在の重さを思い知らされた。命がけの書評というものがどのようなものかを見せて彼女は逝った。今年は身近の親しい知人を亡くした年だった。

『超・格差社会・アメリカの真実』(小林由美、日経BP)、『アメリカよ、美しく年をとれ』(猿谷要、岩波新書)、『現代アメリカのキーワード』(矢口祐人・吉原真里編著、中公新書)
今年はアメリカに関する本の収穫が多かった。上記の3冊はなかでもとても充実していて面白く読んだ。『現代アメリカのキーワード』は一応事典の体裁だが読み物として実に面白く、あっという間に読み切ってしまった。「ノラ・ジョーンズ」「ヴァイアグラ」「ミシェル・ウィー」「インテリジェント・デザイン」などを事典の項目にあげるセンスのよさが光る。

③『麦の穂を揺らす風』
ケン・ローチ監督のこの映画が僕にとっては06年のベスト1作品。来年はもっともっと映画をみよう。

④『ダーウィンの悪夢』『ザ・コーポレーション』『蟻の兵隊』
06年にみた映画ではドキュメンタリーの当たり年だったような気がする。『ダーウィン‥‥』のナイルパーチの残飯を漁るストリートチルドレンの映像はしばらく脳裏に焼き付いた。日本の回転寿司店にはこの貧困の中心地から輸入されたナイルパーチが並ぶ。僕らの国のテレビはどこもかしこもグルメもどきの醜悪な番組が並ぶ。

⑤丸山真男ムック本(KAWADE道の手帖)での小熊英二インタビューで言及された見田宗介の言葉。
「強い父親に反抗する少年の姿には美しさがあるが、その少年が二十年後も年老いた父を打ち続ける姿は醜い。<戦後民主主義>は今論壇の老父である。威勢のいい若者たちが、右から左から、まわしげりにする」。この<戦後民主主義>の箇所に、憲法九条なり教育基本法を入れてみると、06年になるのかも。

⑥ピナ・バウシュ&ブッパタール舞踏団の『春の祭典』
これを初めてみてからおよそ10年くらいになるけれど、供犠=sacrificeという言葉を、またもや強烈に意識させられた。ピナ・バウシュを見続けてこられてよかったなと思う。

⑦こまつ座『紙屋町さくらホテル』の再演
大滝秀治の初版よりも今回の方がジンと来たのは何故だろう。単純に歳をとったということか。

⑧『シカラムータ』LIVE
CD『生蝉』もよかったし、バリアントのユニット、ジンタラムータのLIVEも久しぶりに生で聴けて堪能した。日本の音楽シーンが退化に退化を重ねていくなかで、頑張っているのは、おっさん、おばはん世代。いまだに最先端だよね。

⑨マドンナのNYマディソン・スクエア・ガーデンでのコンサート
一番安いチケットでみたマドンナのコンサートはパワーが漲っていて、元気をくれた。果敢なメッセージを送り続ける勇気。

⑩NHKでの『チャングムの誓い』の再放送
去年、ワシントンから帰国するまで、僕は韓流ドラマなるものを一度もみたことがなかったが、今年NHKで土曜日夜に再放送されていた『チャングムの誓い』の40何回目くらいのを偶然みていたら、あまりに面白くて、以降土曜日には欠かさず見るほどハマってしまった。わははは。

2006年12月22日

フリーター・ニート時代の演劇の新展開

ここのところ、南司郎とか本谷有希子とか全く未知だった人たちの小説作品を読んで、フリーター、ニート、ひきこもり時代の新しい表現に出会ったように思っていた。テーマや文体に異質な新しい部分を感じるのと、切迫感のただならぬ強度に触れて、実はニンマリしていたりした。岡田利規という作家の劇をみるのはこれが初めてだったけれど『ENJOY』(新国立劇場小ホール)は、南や本谷の作品に通じるものを感じながら、同じくニンマリしながらみていた。演者たちの発する台詞とバランスを失したからだの動きのなかから生じる、<コミュニケーションの不可能性>という事態を、これほど有効に表現したケースをあまり知らない。台詞の発話の大部分は、実は自分自身に向けられた納得と確認のためのモノローグであって、コミュニケーションが崩壊しかかっているのだ。そしてそのような発話こそが、フリーター、ニート、ひきこもり時代の発話の姿なのである。途中、山崎ルキノ、村上聡一、南波典子という3人の演者のあいだで交わされるフリーターの社会的位置への自覚をめぐる対話の壮絶なシーンには、思わず息を飲んだ。中央スクリーンに映し出されたフランスの新雇用法をめぐる若者たちのデモの映像も実に象徴的だった。フランスの若者たちの方にある行動することの希望。片や、行動に至る経路さえない絶望。その絶望を小説や演劇という形で対象化しようとする新しい展開が芽生えている、と実感した。

2006年12月21日

2006年のベスト・ムービーは?

今年の映画の収穫と言っても、あまり思い浮かばない。『麦の穂を揺らす風』『不都合な真実』『ザ・コーポレーション』が自分にとってはベスト3か。がっかりしたものも多かった。なかでもオリバー・ストーンの『ワールド・トレード・センター』は、時間が経過するにつけ疑問符がどんどん大きくなる。期待が大きかったからだろう。同じ「9・11」をテーマにした映画でも、日本では今年の5月にようやくDVD化された『ランド・オブ・プレンティ』(ヴィム・ベンダース監督 2004年)は、何度みても心が強く揺さぶられる。レナード・コーエンの主題歌がとてもいい。9・11版『タクシー・ドライバー』と言ってもいいのかも。アメリカ人の監督があのような作品を手がける可能性が皆無なのだったら救いがない。邦画の方は、はじめから観る気が失せるようなものばかりだった。評判の『有頂天ホテル』とかもみたら無惨だったものなあ。興行収入との関係で言えば、自分は少数派で、あまりいい映画の観客ではないのだろう。それはそうと、どうも、ノロウィルスとかやられちゃったみたいで、おとといは食べたものを夜中に吐いてしまった。ヤバいなあ。

2006年12月19日

鬱小説の現在性 本谷有希子『生きてるだけで、愛』

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2006年7月、新潮社

今年もあと12日で終わる。言うまでもないかもしれないが、今のこの時代を覆っている気分を最も端的に表している言葉は「鬱」ではないか。文学作品のなかにも、この気分に敏感に呼応している部分がある。「鬱小説」とでも言ったらいいか。僕は、本谷有希子という作家のことは何も知らない。ただ、この小説『生きてるだけで、愛』は、ただならぬ切迫感が漂っていて、読んでいてどんどん引き込まれてしまった。ラスト近くのマンションの屋上のシーンなんかは、大昔の若松孝二の映画(タイトルを失念したけれど、屋上のシーンがあったなあ)を思い出した。鬱は、人間の魂が他者とのつながりを求めるヒリヒリするほどの叫びなのかもしれない。後から考えてみて結果的に「時代のカナリヤ」となっているかもしれない作品というものがある。村上龍の「コインロッカー・ベイビー」のように。この作品もそうなるのかもしれない。

2006年12月18日

井川博年『幸福』を読み、胸がつまる

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『幸福』
2006年6月、思潮社

今日で53歳になった。あっという間だな。自身を顧みてみると、ヤバい時は猛烈に本を読んでいたことがわかる。ここのところがそうだ。本に逃げ込んでいるのだろうか。いや、本に救いを求めているのだろうか。井川博年という詩人の本では『そして、船は行く』という詩集が大好きだった。この『幸福』という詩集は今年の6月に出たそうだ。読み進むうちに胸がつまった。こたえた。大昔に読んだ藤枝静男の最晩年期の私小説みたいだ。あるいは、帯文を書いているつげ義春の漫画のようでもある。日常と幸福。井川の詩のテーマはここに発している。だから、仕事とか住まいをめぐる雑事が記されているようでいて、実は、僕らが生きていることの深淵がそこに描かれている。親しい身近な人が死んでいくことのかなしみ。家族があることのささやかな喜び。やはり、詩人はテレビになど出てはならぬ。

2006年12月17日

虐殺を扇動したラジオを実際に聴いてみると

先月のことだが、創立25周年を迎えた「ドキュメンタリー・ジャパン」の歩みの一部を辿った連続上映会が開かれた。時間の都合がつけば全てみたい作品ばかりがラインナップされていた。けれどもなかなか時間が取れず、実際に上映会に行けたのは初日の、しかも前半だけだった。その作品は大昔の日本テレビ『11PM』で放映されたドキュメンタリー作品だった。そのほか坂上香さんの『ジャーニー・オブ・ホープ』ももう一度みたかったが叶わず。最終日に上映された『なぜ隣人を殺したか~ルワンダ虐殺と扇動ラジオ放送~』は、是非ともみなければならないと思い、DVDをお借りしてみた。メディアの影響力と受け手である民衆の行動が難なく結合し、凍りつくような惨劇をもたらした例がそこには記録されていた。ルワンダ虐殺だ。虐殺の火付け役となった当時のラジオ放送の内容を聴いてみる。ツチ族を「ゴキブリ」を呼ぶ。ゴキブリに死を! ラジオはフツ族に武器をもってツチ族を殺すように扇動していた。ラップ音楽のようなBGMが、そのラジオ放送局『千の丘ラジオ』からは流れ人気を博していたのだという。この作品からこそ、僕らは「メディアの公共性」とは何かを考えなければならない。アメリカでは「トーク・ラジオ」が全盛をきわめている。そして、現在の日本にも『千の丘ラジオ』のような役割を果たしている<彼ら>がいることを想起すべきだろう。その場は、ネット空間であったり、活字空間であったり。『なぜ隣人を殺したか~ルワンダ虐殺と扇動ラジオ放送~』は、さまざまなことを考えさせてくれる。

2006年12月15日

旭川を舞台にした少女漫画的不可思議小説

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少女七竈と七人の可愛そうな大人
2006年7月、角川書店

桜庭一樹の『少女七竈と七人の可愛そうな大人』(角川書店)を読む。旭川という地名は僕にとっては、生まれ故郷でとても気になる記号なので、ついついこの小説を読んでしまったのだ。村上春樹の『ノルウェーの森』とか、野沢尚の『破線のマリス』に登場してくる旭川の記号は、とてもネガティブなもので、ひとり憤慨したりしていたこともあった。で、この『少女七竈……』だけれども、何というか、これは長編少女漫画だよね、例えば、『ガラスの仮面』とかを読んだ後の感覚に近い。少女漫画独特のあのドライブ感に溢れたストーリー・テリング。でも、この小説の読者層は一体どういう人たちなんだろうか。あんまり健康じゃないよな。まあ小説なんか読んでるのは、もともと健康じゃないか。

2006年12月11日

オレサマ時代の心象風景を描ききった快作

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恋愛の解体と北区の滅亡
2006年6月、講談社

こういう新しい文体・感覚をもった小説作品に出会ったのは、かつての町田康以来のような気がする。前田司郎の『恋愛の解体と北区の滅亡』(講談社)。読み出したら止まらない。パワーをもった作品だと思う。肥大化したエゴはいつの時代でも、悲劇的でありかつ喜劇的だ。この小説の主人公のエゴは、ひきこもり・ニート時代の先鋭化したオレサマとでもいったらいいか。意識の疑似自動筆記、内奥の実況中継みたいな文体は、ネット上にたまにみられるけれど、どれも醜悪で、ここまで作品として完成させた例を知らない。笑い出しそうになりながら読み進むうちに、この笑いの質の虚無感の深さに畏れをなす。『ウンコに代わる次世代排泄物ファナモ』もラディカルなことこの上なし。この作品を読了して、この本の装幀写真の素晴らしさを思い知らされる。でも、ちょっと手にしているの、大きすぎませんか?

2006年12月10日

あのとき、きみは若かった

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『沸騰時代の肖像』

古い肖像写真をみる楽しみは、自分の記憶の皮膜が引き剥がされて、過去に吸っていた空気と現在の空気が混ざり合って起こる化学変化のような感覚に浸れることだ。強烈な追憶に襲われる楽しみ。写真家・石黒健治の『沸騰時代の肖像』の表紙を飾っているのは1967年に撮影された女優・加賀まり子の肖像だ。何と美しいことか。「沸騰時代」とは1960~70年代初頭の日本のことを指している。登場する著名人たちの肖像写真に満ち溢れる若さ・暴力性・エネルギーのほとばしり。本当に何かが沸騰していたのだ。僕が中高校生のガキだったあの頃は。どれもこれも、今みてみると、とんでもなく貴重な時間が記録されていると思う。女優・嵯峨三智子(1970年撮影)、女優・吉永小百合(68年)、カルメン・マキ(72年)、石橋蓮司+緑魔子(72年)、ピーター(69年)、鈴木いづみ(70年)、唐十郎(73年)、李礼仙(73年)、鰐淵晴子(72年)、ああ、書き出したらキリがない。そして、それらの肖像写真は、こんなふうに語っているように思うのだ。いつまでも追憶に浸ってんじゃねえよ、おメエたち。

2006年12月 4日

オーストラリア現代美術の先端性

僕はオーストラリアの現代美術については何も知らない。何の知識もない。だから、かえって衝撃を受けたのかもしれない。きのうまでブリジストン美術館で開催されていた『プリズム オーストラリア現代美術展』の作品群から感じられる同時代性というか、先端部分に触れた思いは大きい。見てよかった。先住民アボリジニーの美術感覚や、自然への畏敬、環境破壊への告発、移民の混合ナショナリティからくるアイデンティティへの強烈な希求といったことどもが、展示されている作品からは伝わってくるような気がした。なかでも、パトリシア・ピッチニーニの一連の作品には衝撃を受けた。≪自然の小さな救済者-耐鉛害ポッサムの子孫≫なる精巧なオブジェや、ロボットのような小動物オブジェ、ビデオ・インスタレーション≪私の赤ちゃんが‥‥≫は「生命の絶滅」という近未来を予感させる恐ろしい作品だ。キャサリン・ペチャリの≪山魔王トカゲのドリーミング≫は、草間弥生の作品をみているような気にさせられた。ジュディ・ワトソンの≪博物館に展示された祖先の皮膚≫≪博物館に展示された祖先の髪≫に込められた告発のメッセージをどのように読めばいいのか。例えば、日本において、≪北大に収蔵された祖先の頭骨≫という「美術」が果たして成立するのかどうか。

2006年12月 2日

多和田葉子のカフカ的世界

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『アメリカ 非道の大陸』
2006年11月、青土社

おそらくヨーロッパからみたアメリカ合衆国ののっぺらぼうさ、文化の欠如ぶりについて、ここまで面白い不条理小説に仕立ててくれる日本人作家はいないのではないか。ベルリン在住の作家・多和田葉子の『アメリカ 非道の大陸』(青土社)。ホントによくこんなタイトルをつけたもんだ。面白い! アメリカを訪れて、その地において徹頭徹尾<異邦人>として旅をし続ける主人公は、あの国特有の徹底的な合理主義という名の不条理のなかで摩擦を起こし続ける。その居心地の悪さの描き方の見事なこと。この小説を読んでいて、自分自身のさまざまな記憶がよみがえってきた。なぜ、アメリカでは、食事にあれほど大量の食物が盛られるのか。なぜ、アメリカでは、あれほど究極的な車社会が当たり前になっているのか。なぜ、アメリカでは、パーティーで快活に振る舞わなければならないのか。なぜ、アメリカでは、貧富の差が決定的なのか。合理主義が不条理を強いる時がある。読者は、この小説でによって、その不条理さのまっただなかに置き去りにされてしまう。面白い作品集だ。無関係だが、ついでに言えば、なぜカフカ賞受賞の日本人作家はあれほどテレビカメラを忌避するのか。

2006年12月 1日

旭山動物園・小菅園長のお話は面白いぞ!

生まれ故郷の北海道旭川市で、数少ない最近の「嬉しいニュース」のひとつは、旭山動物園が菊池寛賞を受賞したことだ。本当によかった!素直に喜びたい。その授賞式のために上京した小菅正夫園長が日本記者クラブで講演&記者会見をした。その何と面白いこと!

かつては廃園の危機に直面したが、入園者と動物との「いのち」の触れあいの新しいスタイルを創り出し、「入園者日本一」にまで育て上げたことは、ひとつの奇跡だ。

この小菅園長の講演が実に魅力的で、懐かしい旭川弁に引き込まれて聞いている内に、何度も大笑いさせられ元気が沸いてきた。「行動展示」という考え方に加え、「環境教育の場としての動物園」というしっかりとした考え方に感心させられた。「ヒョウの頭上展示」、「オランウータンの空中散歩」が実を結ぶに至ったエピソードや、ペンギン館に来たオヤジたちが思わずアッと感動の声を漏らしたエピソードなど、どの話も、いじめや家族・共同体の解体といった殺伐とした空気に覆われてる日本の人間社会が失ってしまったもの、一言で言えば「生き物らしさ」に満ち満ちていて、何だかほっとさせられるのだ。

旭川は、旭川ラーメンも美味しいし、男山といううまい日本酒もあるし元気になって欲しい。ジャズ・ピアニストのチック・コリアと旭川の高校生との交流を描いたテレビ番組を先日NHKでみたばかりだが、いろいろなものが創出される場となってくれれば。

旭山動物園公式ホームページ
http://www5.city.asahikawa.hokkaido.jp/asahiyamazoo/

Profile

田原総一朗(たはら・そういちろう)

-----<経歴>-----

1934年、滋賀県彦根市生まれ。
早稲田大学文学部卒。
岩波映画製作所、テレビ東京を経て、77年フリーに。
テレビ東京時代の連続番組「ドキュメンタリー青春」で、取材対象者に肉薄する独特のインタビュー手法で注目を浴びる。
現在は政治・経済・メディア・IT等、時代の最先端の問題をとらえ、活字と放送の両メディアにわたり精力的な評論活動を続けている。
テレビジャーナリズムの新しい地平を拓いたとして、98年ギャラクシー35周年記念賞(城戸又一賞)を受賞した。
2002年より母校・早稲田大学で「大隈塾」を開講。塾頭として未来のリーダーを育てるべく、学生や社会人の指導にあたっている。

-----<出演>-----

『朝まで生テレビ!』
(TV朝日、毎月最終金曜25時?)

『サンデープロジェクト』
(TV朝日、毎週日曜10時?)

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