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2006年11月27日

格差の出所を見事に解明する『悪夢のサイクル』

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『悪夢のサイクル ネオリベラリズム循環』
2006年10月、文藝春秋

「格差本」が花盛りである。格差社会、下流社会をタイトルにした本が売れている。現実の日本の社会が壊れかかっているのだから。「いざなぎ景気」を越えただと? ただ、格差の出所の本質を解明した作業はあるようでいて、これがないのだ。以前、この欄で日経BP社から出ている小林由美『超・格差社会 アメリカの真実』という本を紹介したが、あれはアメリカの現実を見事に分析した本だった。今回の本は日本の現実と真っ正面から取り組んだ本だ。内橋克人の『悪夢のサイクル ネオリベラリズム循環』(文藝春秋)。この本、今年読んだ本の中でも5本の指に必ず入れたい本だ。金儲けをすべてに優先させる市場原理主義、その考え方の思想的な波動としてのネオリベラリズム、教条的な規制緩和論が、どのような荒廃を日本にもたらしているのか。その解明作業を成し遂げようとする勇気に敬服するとともに、メディアがそのような現実に取り組んでいないことを深く恥じ入る。先日没したミルトン・フリードマンの思想の20年遅れのクローン・コピーのような醜悪な経済学者、政治学者、社会学者らに是非とも読んで欲しい本だ。

2006年11月26日

『メセニー/メルドー』『ギター・ルネサンスⅢ 翼』

今年もあと1ヶ月あまりになってしまった。今年の収穫CDは何だろうか、と考えてみたら、2人のギタリストの名前が思い浮かんだ。ひとりはパット・メセニー。いい歳になっているんだけれども、いつも新しい。現役バリバリ。そのパット・メセニーが相当歳が違う気鋭のピアニスト、ブラッド・メルドーと2人で組んで作ったCD『メセニー/メルドー』は何度聞いても心地よいのだ。来年は世界ツアーで来日するんだろうから絶対に聴きに行こう。パット・メセニーは自分のグループの方も活発に活動し続けていて、常に刺激的な音を与えてくれている。

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『ギター・ルネサンスⅢ 翼』

さて、もうひとりのギタリストは、日本の渡辺香津美。『ギター・ルネサンス』の3作目は故・武満徹に捧げられたCDだ。武満の手になる僕の大好きな曲『翼』が吉田美奈子のヴォーカルで入っている。いろんな人の『翼』を聴いてきたが、この作品もとても良い出来だ。ツェッペリンの『天国への階段』もいいし。

2006年11月24日

なぜ、詩や小説のことばを渇望するのか

テレビ番組。国会質疑。新聞紙。週刊誌。インターネット。チラシ。いろいろなメディアを通じて溢れている言葉があまりにもおぞましいので、そうではない<ことば>をさがしに出かける先がたまたま本屋さんだったり、詩の朗読会だったり、酒場だったりする。今年もっとも考えさせられたことのひとつは、病床にある作家の辺見庸が述べたある言葉だった。さる高名な詩人が生命保険のテレビCMにことばを提供していることを捉えて「恥辱」を語ったのだ。

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『われら猫の子』
2006年11月、講談社

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『傘の死体とわたしの妻』
2006年11、月思潮社

何ものにも隷属しない<ことば>への渇望。星野智幸の短編小説集『われら猫の子』、多和田葉子『傘の死体とわたしの妻』は、そのような<ことば>の感触を味あうために衝動買いしたような本だが、これがとてもよかった。星野智幸の短編は物語の空間が現実の場に一応設定されてはいるけれど、むしろ幻想小説、観念小説というジャンルに近い。『紙女』『チノ』『トレド教団』『われら猫の子』『砂の老人』『ててなし子クラブ』『エア』。どれもこれも濃密な幻想空間に張りつめた緊迫感が持続する。
 
多和田葉子の詩集『傘の死体とわたしの妻』は、さらに<ことば>の持つエロティシズムを起動させる実験に満ち満ちたもので、まちがっても何ものかに隷属するような種類の<ことば>とは異質なものだ。

2006年11月20日

『シルク・ド・ソレイユ』と『蛇女』

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サーカスが本来持っている「見せ物」として禍々しさを保持しながら、幻想芸術の域にまで達したスペクタクルを創りあげるのは至難の業だ。ただ例外的にそれを成し遂げて観客たちを魅了し続けている集団がいる。カナダのモントリオールに本拠を置く『シルク・ド・ソレイユ』だ。彼らの新作『コルテオ』のビデオがアメリカの知人から送られてきた。見てぶったまげた。『バラカイ』をワシントンDCでみたのはもう数年前だが、今回の作品も素晴らしすぎて生半可の言葉ではその格別感を表現できない。これでワシントンDC公演では最も高いチケットが190ドルちょっと(カクテルドリンク付き)というのだから安いもんだと思う。死んだクラウン(ピエロ)が天に召されるまでの葬儀の形式をとったさまざまなイメージの去来がショーの進行になっている。中空に浮遊する背に翼の生えた天使。曲芸と異次元の見せ物と修練の技がごった煮になっていて、なおかつストーリーとしての統一感がある。大昔見たE・クストリッツアの映画『アンダーグラウンド』のなかの結婚式の幻想的なシーンを思い出した。それにしてもこれだけの魅力あるスペクタクルの演者たちを世界中から集合・参加させる目利きがいるとは。『シルク・ド・ソレイユ』万歳だ。もういちど生の公演をみてみたい。

ココから『コルテオ:Corteo』が少し観られます。

ところで「見せ物」は日本では絶滅寸前だが、先日、新宿の花園神社でその絶滅寸前の見せ物小屋で『蛇女』をみた。禍々しさという点ではとんでもない猥雑なエネルギーをもった「見せ物」だったが、街から路地か消え、除菌クリーナーが社会と人の心に装備されてしまった現代にあっては、久しぶりに強烈な異物感が感じられた。木戸銭を払ってもよかった気になった。アメリカの金に換算するとわずか8ドルだったけれども。

2006年11月17日

『ルバイヤート』ってこんなに面白かったんだ

人から薦められて『ルバイヤート』を読んだ。『ルバイヤート』は、今から千年近くも前にペルシア人オマール・ハイヤームによって書かれた四行詩だ。それが今、通勤電車の中で読んでいても、その面白さのあまり降りるべき駅を乗り過ごしてしまうほど。もっと早く読んでいたらなあ。岩波文庫版の初版は何と1949年1月に出版されているのだから、戦後まもなく訳出されていたことになる。ところがこの岩波文庫版、翻訳が口語調のどこかモダンなもので、『ルバイヤート』の魅力が十分に伝わってくる。イスラム世界の文学といっても、イスラム教の教えとは全く異なって、多分に涜神的な内容や世界の無常を嘆く内容が多く含まれている。そう、何だか鴨長明の『方丈記』を読んでいるような気持ちになってしまう。で、どんな詩かというと、ちょっといくつかを紹介すると、

よい人と一生安らかにいたとて、
一生この世の栄耀(えよう)をつくしたとて、
所詮は旅出する身の上だもの、
すべて一場の夢さ、一生に何を見たとて。

われらは人形で人形使いは天さ。
それは比喩ではなく現実なんだ。
この席で一くさり演技(わざ)をすませば、
一つずつ無の手筥(てばこ)に入れられるのさ。

この「だもの」とか「夢さ」「天さ」「現実なんだ」の言い回しがいいのだ。もうひとつ、これはとても深い寓話的世界。

或る淫れ女(たわれめ)に教長(シャイク)の言葉―――――気でも触れたか、
いつもそう違った人となぜ交わるか?
答えに―――――教長(シャイク)よ、わたしはお言葉のとおりでも、
あなたの口と行いは同じでしょうか?

酒をどんどん飲め、そしてこの世の苦しみを忘れろ、とかかなりアナーキーな詩がたくさん含まれていてアルコール賛歌みたいな気もする。

何でこんなに心に沁みてくるのか。

念のため追記すると、これは相田みつをなんかとは全く次元の異なるものですからね。

2006年11月11日

新しい写真家には希望がみえる

東京都写真美術館の『写真新世紀』は、キャノンの文化支援プロジェクトだが、新人写真家の公募展としてはすっかり定着している。今年のはどんなんだろう、と毎年楽しみなのだけれど、今年の作品にも新しい息吹が感じられた。なかでも、山田いずみという人が撮った母親のポートレートは、選者が荒木経惟だけあって、とてもアラーキー的な官能に満ちている。女性の写真家が自分の母親(およびその痕跡)を被写体に据えた例は、石内都さんのMotherを先日みたばかりだけれど、女性が女性としての母親をみる視線は、明らかに男の視線とは異なるのだと思う。山田いずみさんの被写体になっている母親=女性はどのような思いで娘が構えるカメラのレンズをみているのだろうか、と無闇に想像が広がる。

高木こずえという人の双子を撮った組写真もとても面白い。本当に新しい写真家には希望がみえる。

2006年11月10日

目から鱗の面白さ。『超・格差社会アメリカの真実』

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2006年9月、日経BP社

日本で出版されている本の中には、「アメリカ本」とでもいうべき分野があって、超大国アメリカとはこんな国なんだ、というさまざまな本が出ている。そんな「アメリカ本」のなかでも、小林由美『超・格差社会アメリカの真実』(日経BP)は、在米26年の日本人経営戦略コンサルタント・アナリストの広い経験と深い洞察に裏打ちされた、アメリカという国家の原理に関するみごとな報告になっている。こんなに面白い「アメリカ本」は本当に久しぶりだ。並行して読んでいた柄谷行人『世界共和国へ』(岩波新書)の方が、何だか霞んでしまう。一体どちらが、この世界の構造を読み解いているだろうかという点で、だけれども。富のすさまじい偏在や、固定化された階層社会というアメリカの実相をデータに基づいてしっかりと分析する手並みが本当にみごとなのだ。アメリカという移民国家の原理を通覧しているという意味では、一種のアメリカ史にもなっている。『それでもなぜアメリカ社会は「心地よい」のか?』(第7章)と自問するあたりは、明らかに僕の考え方とは異なる。急激な勢いでアメリカ化する日本の社会のありようをみていて、僕は「心地よい」とは誰にとって?と問い返さざるを得ないのだ。自由はもちろんだが、平等こそは捨て去ってはならない人類の「希望」だと未だに思う。まあ、とにかくこの本は今年読んだ本の中でも確実にベスト10に入るかなあ。

2006年11月 8日

笠井叡のこどもたち

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笠井叡の舞踏『花粉革命』のステージをみたのはもう5年も前のことになってしまった。凄まじい舞台だった。その笠井の愛弟子たちが笠井の振り付けで踊った。『透明迷宮』と銘打たれたパフォーマンスの会場には、結構、観客が詰めかけていた。何でこんなに若い人がいるんだろう。つば付きキャップをかぶった悪戯っ子のような格好のピアニスト・高橋悠治と弦楽四重奏の生演奏に合わせて舞う。なかでも、上村なおかという女性の踊り手が突出して素晴らしかった。笠井叡がのりうつったみたいな。いきなり冒頭で、その上村が高橋悠治のインプロヴィゼーションにあわせて踊った。さらに、ラストのシュニトケの弦楽四重奏曲にあわせても。これが素晴らしかった! 笠井叡のこどもたちは確実に育っている。

2006年11月 5日

遅刻の贅沢、午睡の快楽~ジョアン・ジルベルト

東京国際フォーラムでジョアン・ジルベルトのコンサート。きのうは1時間15分遅れだったというから、今日はまだ少しはマシなのかもしれないが、それでも1時間の遅刻。場内アナウンスで、「ただいまホテルを出発致しました」「ただいま当ホールに到着致しました」などと言い訳するくらいだから、何というか気分は南米なのだ。それもコンサートが終わってみれば贅沢の一種かもと思えてくる。75歳のジョアンは、囁くように呟くように生ギターをつま弾きながら歌う。気がついてみると、観客のかなりの部分は眠りに落ちている。気持ちがいいのだ。午睡(昼寝)に入る直前のぼんやりとしたあの快感。一体何十曲歌ったかな。30曲以上は歌ったと思う。前回の来日時には、最終日に45曲、3時間45分歌ったというから、これぞ「ボサノバの神様」という実感だ。大枚1万2千円も惜しくなかった。聞くところによると、宿舎の高輪プリンスホテルさくらタワーが大変気に入っているとのこと。チラシにあったように「最後の奇跡」なんかにならないように。

2006年11月 3日

『父親たちの星条旗』と戦争プロパガンダ

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クリント・イーストウッド監督の『父親たちの星条旗』をみる。第二次大戦の激戦、日本軍が「玉砕」した硫黄島の戦いにおいて、米軍勝利の象徴ともなったあまりにも有名な写真がある。擂鉢山に星条旗を立てる6人の米兵。この写真は当時の米国民の戦意高揚のために大いに使われた。9・11直後の現場でもこの写真のイメージを再現したようなシーンがみられたことは記憶に新しい。不屈のアメリカ。旗を立てるとは勝利を意味する行為だ。『父親たちの星条旗』は、硫黄島のその写真に映っているとされた米兵の戦中・戦後のストーリーなのだが、見終わったあとに映画から地続きになっているのは、現在のアメリカであろう。イラク戦争が泥沼化するなかで喘ぐ現在のブッシュ政権下のアメリカ。戦争プロパガンダに使われた個人の運命はどのような道筋をたどるのか。僕らは、例えば、電撃救出作戦で一時ヒロインに祭り上げられたジェシカ・リンチ元上等兵がマスメディアの表舞台からいつのまにか消し去られたことを知っている。日本にも爆弾三勇士の物語がある。『ミスティック・リバー』『ミリオンダラー・ベイビー』と大作を世に問うているクリント・イーストウッド監督。かつての社会派オリバー・ストーン監督の9・11映画よりも、よほど現在に迫る映画をみる思いがする

Profile

田原総一朗(たはら・そういちろう)

-----<経歴>-----

1934年、滋賀県彦根市生まれ。
早稲田大学文学部卒。
岩波映画製作所、テレビ東京を経て、77年フリーに。
テレビ東京時代の連続番組「ドキュメンタリー青春」で、取材対象者に肉薄する独特のインタビュー手法で注目を浴びる。
現在は政治・経済・メディア・IT等、時代の最先端の問題をとらえ、活字と放送の両メディアにわたり精力的な評論活動を続けている。
テレビジャーナリズムの新しい地平を拓いたとして、98年ギャラクシー35周年記念賞(城戸又一賞)を受賞した。
2002年より母校・早稲田大学で「大隈塾」を開講。塾頭として未来のリーダーを育てるべく、学生や社会人の指導にあたっている。

-----<出演>-----

『朝まで生テレビ!』
(TV朝日、毎月最終金曜25時?)

『サンデープロジェクト』
(TV朝日、毎週日曜10時?)

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