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2006年10月29日

電子時代のポエジーの視覚化

渋谷で坂本龍一とカールステン・ニコライ(アルヴァ・ノト)のパフォーマンスをみる。電子時代のポエジーということを考えてしまった。詩人の松井茂が「純粋詩」と呼んでいるものを連想したのだ。たとえば松井の「純粋詩」において、一定の規則に従って配列された数字の朗読からポエジーが立ち上がるように、現在のような電子時代には、古典的な意味での詩のことばが死滅し、代わりに無機質な記号がポエジーを構成する。古典的な意味での詩人のことばが生命保険会社のCMに奉仕しているのが今という時代なのだ。アルヴァ・ノトのミニマルなビジュアル・アートと坂本さんのピアノ音の共同作業は、どちらかが主でどちらかが従という関係のものではない。アンコール曲で線香花火のような画像と共振して奏でられる坂本さんの繊細なピアノ楽曲を聴いて見て、坂本さんの飽くなき探求への旅への強固な意思を思った。本当に坂本さんは一カ所には決してとどまっていない遊牧民タイプの人だと思う。

2006年10月27日

草間弥生さんが元気でよかった

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今から5年も前に取材したアーティスト・草間弥生さんに随分久しぶりにお会いした。10月18日に行われた世界文化賞の受賞パーティーでのことだ。真っ赤なヘアメイク。相変わらず突っ張っているなあ、と感心してしまう元気さ。草間さんは最近も創作意欲がますます盛んで、去年から描きだしたF100号のキャンバスへのドローイングを、10月12日からNYで開催中の個展で発表したとか。http://www.yayoi-kusama.jp/j/information/index.htmlで、その模様の一部をみることができる。前衛という言葉がまだ死語になっていなかった時代に、その言葉を体現していた草間さんの生き方は、前衛が後退してしまった今のようなひどい時代には、ますます光を増してきている。

2006年10月15日

『ブラック・ダリア』はちょっと怖い

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ブライアン・デ・パルマの『ブラック・ダリア』をみる。この手の映画はどちらかというと苦手だ。1947年に実際にロスで起きた猟奇殺人事件=ブラック・ダリア事件は今でもアメリカの犯罪史のなかで語り継がれているのだとか。何だかこの映画に出でいる俳優はみんな見覚えがあるような気がする。『ロスト・イン・トランスレーション』のスカーレット・ヨハンソンが何と言っても魅力的。『パール・ハーバー』のジョシュ・ハートネットが主役の警官を好演している。『ミリオンダラー・ベイビー』のヒラリー・スワンクが鍵を握る富豪家族の娘を演じている。これら登場人物には誰一人として「正義の味方」がいない。そこがいい。何しろこの映画には謎がたくさん鏤められていて、それが終末に向けて一気につながっていく過程が推理小説を読んでいて加速度がついていくような感じ。個人的には、この富豪一家の母親役の鬼気迫る演技がとても怖くて、この映画の怖さの大部分を占めてしまっている印象。

2006年10月14日

『あなたは……』ラディカルなドキュメンタリーのスタイル

ちょうど40年前のテレビドキュメンタリー『あなたは‥‥』をみる機会があった。何というラディカルなドキュメンタリーだろうか。作・寺山修司と演出・萩本晴彦と村木良彦。このような作品を世の中に問いかけるこころざしが、当時のテレビ界にはあったのだ。まだ当時は白黒フィルムの時代である。東京オリンピックからわずか2年後の「日本人論」を突きつけられた気分だ。それにしても、インタビューという手法が何と新鮮なこと。無機質に浴びせられる質問内容が何と哲学的なこと。「人に愛されていると感じることはありますか?」「それは誰にですか?」「祖国のために戦うことはできますか?」「あなたにとって幸福とは何ですか?」「あなたは今幸福ですか?」「最期にお聞きします。あなたは一体誰ですか?」インタビューされている人たちの表情がとてもいい。顔がいい。当時の日本には本当に希望があった。無機質なインタビュアーが最後に国鉄(JRではない!)の国電の駅構内で、まるで独り言を言うように質問を発し続けるシーンは、質問者が自己解体を遂げていくという恐ろしいシーンであり、これこそが日本のドキュメンタリー史に残るようなラディカルなスタイルだとみた。この続編『あなたは‥‥アメリカ編』の内容は、思潮社の『寺山修司の戯曲3』に収録されている。その解説文を書いていた東由多加も寺山修司ももう死んでしまった。萩本晴彦も。村木さんは健在で、ブログなんぞをやっておられることを「テレビマンユニオンニュース」で知った。それにしても、村木さん、『あなたは‥‥』はラディカルですね。

2006年10月13日

30年前のデジャヴュ『ザ・キムラカメラ』

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『ザ・キムラカメラ』
2006年7月、パロル舎

木村恒久のフォト・モンタージュ作品150点を集大成した『ザ・キムラカメラ』(パロル舎)をみて驚くのは、まるで「9・11」を予知していたかのように、崩壊のイメージを30年前に幻視していたことだ。「都市はさわやかな朝を迎える」(1975年)は、NYの摩天楼が滝の流れに打たれる。激しいデジュヴュ(既視感)に襲われるのは、滝の急流の落下のイメージが明らかにビル崩落のイメージに重なるからだ。あるいは「パニック」(1981年)では、NYの摩天楼に豪華客船が突っ込み火炎が吹き上がっている。豪華客船が航空機に重なるデジャヴュ。「ニューヨークの晩鐘」(1981年)は、ミレーの「晩鐘」がワールドトレードセンターのツインタワービルを背景とした荒野に空間移動し、そこで農夫の祈りが執り行われている。9・11後の犠牲者の追悼であるかのように。これらの木村恒久のイメージの幻視は、発表当時はおそらく余裕のある微笑をもって迎えられていたに違いない。30年が経過して、その微笑は完全に消え去った。ここまで来ると、僕は本書に収められた「アメリカニズム」(1982年)という作品がデジャヴュにならないことを祈らずにはいられない。

2006年10月10日

死者から届いた2冊の本

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『打ちのめされるようなすごい本』
2006年10月、文芸春秋

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『他諺の空似』
2006年8月、光文社

今年5月に他界した米原万里さんから、2冊の新刊本(没後出版)が手元に届いた。死者からの献本というのも奇妙な感じだ。『打ちのめされるようなすごい本』(文藝春秋)と『他諺の空似』(光文社)の2冊。後者にも紹介されていて、本人からも生前聞いたことのある小話を、会社関係のあるパーティーで披露したが、満場の罵声を浴びてしまった。TPOを弁えない下手な話し方は、オリジナルのストーリーの豊かさを台無しにしてしまうことを身を以て知った。関係者の皆さん、ごめんなさい。それはこんな話だった。

ある仲のよい夫婦がなかなか子供にめぐまれず、専門医に相談に訪れた。器質的にも全く正常。妻が席を外した隙に医師が夫にアドバイスする。「どんな方法でもいいから奥さんが一番予期していない瞬間を狙って、アレを仕掛けると受胎率が高いらしいですよ」。4ヶ月後にその夫婦が医師を訪れ、満面の笑顔でお礼を述べる。「先生が仰った通りでした。妊娠しました。」医師が、こっそり夫に聞いてみた。「で、どうやったんですか?」「いや、それほど奇想天外な方法ではありませんよ。女房が冷蔵庫の扉をあけて何かを一生懸命さがしていたんです。それで僕は後ろから忍び寄ってスカートをめくって」「うーむ。そりゃ奥さんは驚かれたでしょうなあ」「いやあ、女房はそれほどでもなかったみたいです。ただ、スーパーマーケットの店員やお客さんたちが驚いて、あやうく警察に通報されそうになりまして」。

こんな話、いきなりパーティーでされたら戸惑うよなあ。

さて、問題は、『打ちのめされるようなすごい本』である。米原さんの10年間にわたる書評集成。この世のなかに、「いのちがけの書評」というものが実在することを読者は知ることになる。この本自体が、まさに「打ちのめされるようなすごい本」なのだ。その読書の幅と目利きの鋭さ、売れ筋ではない隠れた名著をしっかりと位置づける能力。創造者と批評家の関係は、本であれ、映画であれ、音楽であれ、よい批評家がいなければ、創造的な仕事というものがなくなってしまう。特に今のような時代は、「売れるが勝ち」のような絶望的な状況にすぐさま陥りかねない。例えば、高田里恵子『文学部をめぐる病い-教養主義・ナチス・旧制高校』(ちくま文庫)とか『南京戦 閉ざされた記憶を尋ねて』(社会評論社)のような本は、マスメディアの書評からは、いつのまにか排除されていたりする。『うちのめされるようなすごい本』の圧巻は、自らのガンの闘病の手だてを読書によってさぐり検証していく、文字通りのいのちがけの書評『癌治療本を我が身を以て検証』(その1~3)である。あらためて、女史の<不在>の大きさを想う。

2006年10月 8日

誰がアンナ・ポリトコフスカヤを殺したのか?

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『チェチェン やめられない戦争』
2004年8月、NHK出版

滞在先の旭川で北海道新聞の朝刊を開いて驚いた。ロシアの著名なジャーナリスト、アンナ・ポリトコフスカヤ記者が自宅アパートのエレベーター内で何者かによって4発の銃弾を受けて殺害されていたというのだ。これは間違いなく政治的暗殺=テロであろう。ロシアのプーチン政権のチェチェン政策をジェノサイド(民族殲滅)と徹底的に批判していた彼女の記事は、ロシア政府にとっては、映画のタイトルをもじって言えば、まさに「不都合な真実」(Inconvenient Truth)だった。真実が暴露されることを恐れるのは、どこの地域であろうと独裁権力に共通する性向だ。彼女のかつての著作『チェチェン やめられない戦争』(NHK出版)は、権力者が暴露を恐れる真実に満ちていた。誰が彼女を殺したのか? 何者が彼女を葬ることに利益を見いだしていたのか? 多くの心あるロシア人たちはとっくに知っているだろう。勇気あるジャーナリストの死をこころから悼むとともに、彼女を政治テロによって葬った<彼ら>に対する心底からの不服従を誓うこと。<業務外>日誌からは、いささかはみ出してしまう記載になってしまった。

2006年10月 3日

半世紀以上にわたる「知米」派の良心の書

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『アメリカよ、美しく年をとれ』
2006年8月、岩波書店

こういうまともな本に出会うと、つくづく、深く長く知ることの力というものを感じる。猿谷要『アメリカよ、美しく年をとれ』(岩波新書)は、薄っぺらな言葉が溢れかえっている今のメディアのなかで、実体験に裏打ちされた誠実な言葉がどのようなものかを示したお手本のような本だ。

私はアメリカとのつきあいに、一生をかけてきたような気がする。

終章でさらりとこう書き出す猿谷氏のアメリカとのつきあいは、「鬼畜米英」の1940年代初めに遡る。以降、氏は、半世紀以上にわたって、実際にアメリカに住み、アメリカ人たちと交流し、アメリカという国の<変化>をしっかりと見据えてこられた。この<変化>を知っているが故に、なぜ今のアメリカがこれほど嫌われる国になってしまったのかを語ることができるのだ。2006年の調査で「世界で最も悪い影響を与えている国はどこか?」の質問に、イランに次いでアメリカが二位、前の年は第一位だったというのだから。9月29日のこの欄で記した松山幸雄さんの『自由と節度』の紹介でも触れたことだけれど、「反米・親米」の二分法による論議ほど不毛なものはない。猿谷氏のように、反米でも親米でもなく、もっともアメリカをよく知る「知米」派の良心を、この本から十分に汲み取ることで得るものは、今のような時代のなかではあまりにも大きい。

Profile

田原総一朗(たはら・そういちろう)

-----<経歴>-----

1934年、滋賀県彦根市生まれ。
早稲田大学文学部卒。
岩波映画製作所、テレビ東京を経て、77年フリーに。
テレビ東京時代の連続番組「ドキュメンタリー青春」で、取材対象者に肉薄する独特のインタビュー手法で注目を浴びる。
現在は政治・経済・メディア・IT等、時代の最先端の問題をとらえ、活字と放送の両メディアにわたり精力的な評論活動を続けている。
テレビジャーナリズムの新しい地平を拓いたとして、98年ギャラクシー35周年記念賞(城戸又一賞)を受賞した。
2002年より母校・早稲田大学で「大隈塾」を開講。塾頭として未来のリーダーを育てるべく、学生や社会人の指導にあたっている。

-----<出演>-----

『朝まで生テレビ!』
(TV朝日、毎月最終金曜25時?)

『サンデープロジェクト』
(TV朝日、毎週日曜10時?)

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