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2006年3月26日

タケダワイナリーのワインがおいしい

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東京を離れて、山形県上山市、蔵王連峰のふもとにあるタケダワイナリーhttp://www.takeda-wine.co.jp/)を訪ねる。「すごい人がいるものだ」。ワイナリー見学ツアーで語る社長の岸平典子さんの言葉を聞きながら、僕は、この情熱がどこから生まれてくるのだろうか、とずっと考えていた。地に足の着いた人間の強さというんだろうか。タケダワイナリーは1920年に創業。典子さんは5代目だという。まだ37歳の若さだ。急逝したお兄さんのあとを継いだ。土壌改良にこだわり、ブドウの品種に応じたこまやかな製法を工夫してきたありようを聞くにつけて、<継続>ということの大切さを思わずにはいられなかった。このワイナリーの絶品「キュベ・ヨシコ」というスパークリング・ワインの製法を聞くだけでも、どれだけ細やかな創意が込められているかがわかる。そして実際にその味の素晴らしさと言ったら! 
上山市も多くの地方都市が抱えるのと同じ悩みをもつ。地域をいかに活性化させていくか。その大きなヒントは、やはり「文化」という二文字にあるような気がしてならない。そんなふうに考えるのは、僕が今、東京で仕事をしていて、そこから発信される「文化」があまりにも貧相だからという実感を日々持っているからでもある。地域にはポテンシャルがある。消費する文化ではなく、生産する文化。いや、文化は本来、生産する場所でしかホンモノは現れないものだと思うのだ。生産という強い位置にいるタケダワイナリーのワインはほんとうにおいしい。

2006年3月23日

「描き文字」こそが人生だ

昨夜、神楽坂のシアター・イワトという所でとても面白いイベントに出会った。『演劇とタイポグラフィ』。タイポグラフィという語がどう翻訳されているのか知らないが、第1部の平野甲賀と川畑直道のトークのなかでは「描き文字」(カキモジ)とさらりと訳されていた。本を選ぶとき、装幀に魅了される時があるでしょ。
特に書名のタイトルがどんなふうにデザインされているかは、その本の中身とシンクロしていて、決定的だったりする。今から30年ほども前、赤瀬川原平の装幀した『無知の涙』(永山則夫)という本は、装幀自体が抜き差しならぬ緊張感を漂わせていたし、その赤瀬川自身の著書『オブジェを持った無産者』(現代思潮社)は、本の装幀自体が裁判所の押収領置物件を意識した忘れがたいデザインの本だった。だからそれらの本は今でも決して手放すことができない種類の本だ。
平野甲賀の装幀した本、特に、描き文字は、決定的で忘れがたいものが多い。ちなみに自宅の本箱をちらっとみると、あった、あった、平野甲賀のあの文字の本が。なかでも好きなのが『ロシア・アヴァンギャルドⅡ演劇の十月』(国書刊行会)と、『となりに脱走兵がいた時代』(思想の科学社)。描き文字にはデザインした人の想い=人生が現れる。ちなみにこの日のイベントの第2部、和田誠の『映画とタイポグラフィ』も実に面白くて、満席の観客席の人たちは、自分も含めてなぜか顔をほころばせながらシアター・イワトを後にした。

2006年3月21日

王貞治さん、おめでとうございます。

こんなに野球は面白い。最近、本当にいいニュースがなかったので、このカタルシスの大きさと言ったら相当なものだ。イチローは、王監督には「品格がある」と言っていたが、僕らの世代にとっては、王と長嶋は別格=特別な存在なのだ。そのうちのひとり、王貞治が率いたチームが世界一になったことを素直に喜びたい。僕自身には特別な思い出がある。今勤務しているテレビ局に入社した年、1977年、報道局のド新人だった僕は、社会班の半人前の記者として連日、後楽園球場に通った。王貞治がハンク・アーロンの記録を抜く世界新756号ホームランを打つ瞬間を取材するためだ。2週間ほど通っただろうか。何しろ王は固め打ちで1試合3ホーマーの可能性だってあったのだから。忘れもしない77年の9月3日、僕らはライトスタンド外野席でその瞬間を迎えた。ピッチャーは鈴木康二朗。僕らの座っていた観客席の4メートルほど前にその大記録の白球はやってきた。心底興奮した。当時の報道局の先輩たちは、ド新人によくこんな大仕事を与えてくれたものだ。翌朝、王貞治の自宅は大変な数の報道陣に包囲されていた。朝、自宅から出てきた王さんの言葉を取材するために僕もその報道陣の渦の中にいた。迂闊なことにその時、僕は初めて、彼が自宅の表札に「Wang」と掲げていることに気づいた。彼の本名はWang Chen-Chih である。中華民国国籍。早稲田実業時代にピッチャーとして優勝しながら、当時の国籍規定で国体に出場できず涙を流したという。王監督が、今回のWBC世界一になったあとのインタビューで何気なく語った「僕は国際大会には出ていなかったので……」という何気ないフレーズの重みを僕ら日本人はどれだけ感知しただろう。彼が日の丸を背負って日本チームを率いた素晴らしさを素直に喜びたい。そしてこの快挙が偏狭で排外的なナショナリズムに回収されないように願う。王貞治さん、おめでとうございます。

2006年3月20日

なぜ今、エドワード・サイードなのか

イラク戦争開戦から今日で3年がたった。日本のメディア状況のなかで、イラク戦争はすっかり風化している感がある。そうであってはならない。なぜならば今なおイラク戦争は続いているのだから。最近みたドキュメンタリー映画に『エドワード・サイード Out Of Place』がある。日本人監督・佐藤真さんがつくった映画だ。イラク戦争が始まった03年の9月に亡くなったあのエドワード・サイードの痕跡を何とか追体験しようとした一種のロードムービーだ。妻の母国レバノンにあるサイードの別荘と墓、イスラエルのキブツ、パレスチナ難民キャンプなどを歩いて丹念に話を聞く。マリアム夫人やバレンボイムのインタビューなどもある。アメリカのマスメディアには、日本ではある意味でとても「有名」な、チョムスキーやソンタグ、サイードらはほとんど登場していなかった(少なくとも僕がワシントンに滞在していた02〜05年は)。直感的に言えば、彼らは「排除」され「黙殺」されていた。9・11後の彼らの発言にもっとも耳を傾けていたのは、ある意味で日本やヨーロッパの人々だったのではないか。そのことが、日本でエドワード・サイードを追体験する映画が制作されたことの遠因なのかもしれない。僕はこのロードムービーをみながら、四方田犬彦の『見ることの塩』のことをずっと思い出していた。あの本を映画にしたみたいだな、と。サイードが『オリエンタリズム』以来、鋭く告発していた西欧メディアの視線については、この映画ではあまり触れられていないが、それは僕ら自身が本当は考え尽くさなければならない問題だ。

2006年3月19日

ロシア映画の「傷だらけの天使」系列

もう8年も前のロシア映画だが、日本では未公開だったらしい。『ぼくたちでなければ』。1998年のモスフィルム。佳品である。僕はこの映画のワレリー・プリエムイホフ監督のことは何も知らない。けれどもロシア映画の瑞々しい感覚がこの映画にはみなぎっていると思う。ソ連崩壊後の時代の変わり目のなかで、子供たちがどのような価値観の崩壊のなかに放り出されているのか。音楽の使い方がいかにもロシア映画だ。ブルース・スプリングスティーンの『ボーン・イン・ザ・USA』を意識して作られた『ボーン・イン・ザ・USSR』(ロシア語の原タイトルは『РОЖДЕННЫЙ В СССР』(ソ連に生まれて)という曲がロシアにはある。この映画でも効果的に使われていた。DDTというロシアの人気ロックバンドが歌っていた。この曲、僕はモスクワ勤務時代にコンサートで聞いていたが、当時は、ソ連→ロシアの時代の急激な移り変わりのなかで、ロシア的なアイデンティティーの拠り所を確認するような形で人々に受容されていたような気がする。ロシア映画(正確にはソ連映画も含む)のなかで、子供たちの運命を通して時代状況を見据えた映画群がある。ヴィタリー・カネフスキー監督の3部作、『動くな、死ね、甦れ』(1989年ソビエト映画)、『ひとりで生きる』(1991年フランス・ロシア合作)、そして『ぼくら、20世紀の子供たち』(1993年フランス映画)も、そういった「傷だらけの天使」系列の映画だ。最後のカネフスキー作品の「ぼくら」の語は、この『ぼくたちでなければ』の「ぼくたち」と明らかに連結しているのだと思う。いまさらながら日本映画の衰退を実感してしまう。

2006年3月17日

ルイ・ヴィトンと虎壱

今日たまたま乗ったタクシーの運転手さんの話がちょっと面白かったので記しておこう。その運転手さん、フランスの老舗ブランド「ルイ・ヴィトン」のデザイナーたちを客として乗せる機会があったのだそうだ。日本のファッションに好奇心旺盛らしく、その一行がある場所に行って、大量に購入していったものがあったそうだ。「虎壱」(http://www.toraichi.com/)のニッカボッカだ。それと指が二股に分かれている地下足袋。彼らは鳶職現場のファッションを激賞して買い求めていったんだという。運転手さんは興奮しながらこの話をしていた。そう言われれば、あのファッションは機能的だし、フランス人の感覚からすると、ヨーロッパにはないセンスの服装なんだろう。むかし清志郎たちがタイマーズを結成した時に、着ていたよね。この「虎壱」は業界に確固たる実績を誇っていて、ニッカボッカも色々な種類があって実にカラフルだ。なかでも「超超超ロング八分」というニッカボッカは、とてもポップだ。そのスタイルには、さむらい=武士の服装の趣があるようにもみえる。ヨーロッパあたりからこのファッションがヴィトン・ブランドのタッグをつけて日本に逆流してきたら一体どうなるんだろう?

2006年3月12日

全身ドキュメンタリスト・木村栄文

RKB毎日放送のL氏からDVDが送られてきた。闘病中の木村栄文さんを取材したNHK福岡放送局のドキュメンタリー『もういちどつくりたい』だ。わずか30分の小品である。だが、栄文さんを知る身にとっては濃密すぎる30分だ。木村栄文と言えば、日本のテレビのドキュメンタリー史を少しでも紐解けば、途轍もない映像作家であることを否が応でも知らされる人物だ。いま70歳。その人が今、病いと苦闘している。原一男の映画で『全身小説家』という秀作があるが、井上光晴が全身小説家であるならば、木村栄文さんこそは、まさに全身ドキュメンタリストである。『アイ・ラブ・優ちゃん』『まっくら』『飛翔』など、その作品群は現在も強烈な光を放っている。このNHKの作品のなかで、栄文さんは驚いたことに自分をドキュメンタリーの素材として晒している。正確に言えば、素材として「演じている」のだ。そこに現れている表現への強い強い執着。この作品のなかで栄文さんは言っていた。『仕事という逃げ場があった』と。優ちゃんにしっかり向き合わなかった、と悔いて述懐しているなかでの言葉だ。奥さんが入院中の栄文さんの見舞いに訪れる。体調を崩しているなかで無理を押して見舞いに来たのだ。奥さんがちょっとのあいだ病室を出て行った時に、取材しているNHKのディレクターが、入院中の栄文さんに伝える。奥さんは体の具合が悪くて今日は病院に泊まるのがつらいと言っていた、と。それを聞いて、病床の栄文さんが静かに涙をぬぐうシーンがある。このNHKのディレクターの所作を非難するのは容易なことだろう。だが、この所作があってこそ、この作品は辛うじてドキュメンタリーになりえているのだと僕は思う。ドキュメンタリーとは取材を通じて自らを晒すことである。全身ドキュメンタリストの強度の一端をあらためて思い知り、自戒する。

2006年3月10日

フラメンコ。生命のほとばしりとしての。

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遅きに失した感があるが、カルロス・サウラ監督の『イベリア』『イベリア』をみる。この筋立てのない映画を不満に思う人がいるかもしれない。現に、帰りのエレベーターのなかで一人のおばさんが「何か前の『カルメン』の方がよかったわ。いろんなこと、やらせすぎだわよ」と愚痴っていた。確かに筋のある映画じゃない。これは一種のドキュメンタリー映画だ。ただし、筋立てのある映画よりもはるかにパワーがある。「エロティシズムとは死にまで至る生の称揚である」。フランスの文学者ジョルジュ・バタイユの言葉だが、フラメンコと闘牛に代表されるスペイン文化の神髄にある、根源的な生への称揚。どんなにフラメンコ文化がエロティックで素晴らしい「生命のほとばしり」そのものであるかをこの映画はよく表現している。個人的には『El Puerto』を奏でたピアニストらの演奏がすごくよくて、得をした気がした。今度二度目の来日をするアイーダ・ゴメスの舞台が楽しみだ。

2006年3月 5日

『かくも激しき希望の歳月』を懐旧的に読む

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『かくも激しき希望の歳月』
著者:海老坂 武
2004年5月、岩波書店

おそらく、この本をそういうふうに読んでしまっては、著者の海老坂武は怒るだろう。けれども読み進めば読み進むほど、自分が追いかけて行ったあの時代の風景が浮かび上がってくる。懐旧に浸るな、とは、この本に込められた海老坂武のメッセージであるはずなのだが。下北沢のジャズ喫茶「マサコ」。レボルト社の「世界革命運動情報」。竹内書店の「パイデイア」。ベトナム脱走兵の支援組織JATEC。その活動に加わっていたMさん。東大闘争時の学生たちによる壁の落書きを収集していたデビュー仕立ての立花隆。岩波書店「世界」に腹を立てて執筆拒否をした海老坂武。時代の息吹を報じ続けた「朝日ジャーナル」。三島由紀夫と高橋和己。永山則夫の「無知の涙」。寺山修司の「書を捨てよ街へ出よう」。ATG映画「初恋・地獄篇」。こういった記号群は確かに同時代のものとして、僕自身が後を追いかけていた記号たちだ。海老坂が懐旧を拒否している証左として次の部分を引用しておきたい。それは高橋和己の葬儀に、当時二千人から三千人の若者たちが涙を流しながら参列していたことに触れた箇所だ。

あなたがたはどうしてあの葬儀に行ったのですか、どうしてそこで涙を流したのですか、一人の作家が死んだときに千人を超える未知の読者がつめかけて涙を流すなどというのは希有なこと、いやあとにも先にも高橋和己以外、日本では聞いたことのない話ですよ、だとすればあなたがたは、百年に一度あるかないかのイヴェントに列席した特権的当事者、いったいどうしてだったのですか? 高橋が若くして死んだから? 高橋がいい時期に死んだから? 高橋の死が<予告された死>だったから? いやいや、そんな軽薄な理由であるはずがない、あなたなりの理由があるはずだ、それを聞かせてもらえませんか、もし覚えていればの話だけれど・・・・(同書252ページより)

このように書く自分は、やはり、正直に告白すれば懐旧的に、懐旧的にこの本を読んでいる。

2006年3月 3日

『イノセント・ボイス』と『キリング・フィールド』の違い

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評判のメキシコ映画『イノセント・ボイス』をみる。ベルリン映画祭で児童映画部門の最優秀作品賞を受賞したというのだが、これって児童映画なんだろうか? 12歳の少年兵を主人公にしたこの映画はさまざまなことを想起させてくれる。戦争が何を人間から奪ってしまうのか。エル・サルバドル内戦が舞台だが、この戦争は日本も実は無縁ではなかった。FMLN(ファラブンド=マルティ民族解放戦線)成立以前に、日系インシンカ社の松本社長が誘拐されたという出来事もあった。エル・サルバドル内戦に関する映画と言えば、オリバー・ストーンの『サルバドル』という佳作があった。米メディアの腐敗を告発した映画だったが、この『イノセント・ボイス』は構造的には大昔の『キリング・フィールド』を彷彿させる。ポル・ポト政権下の大虐殺。少年兵ならぬ少年らによる大人の「大粛清」。それらの歴史的な事実の証言者の脱出先がアメリカであるという一致。『イノセント・ボイス』のストーリーは、エル・サルバドルからアメリカに逃れたオスカー・トレス(脚本)の実話に基づく。ただ『イノセント・ボイス』が決定的に違うのは、アメリカへの視線である。内戦の背後にあるアメリカの意志。わずかなシーンではあるが、この映画でのアメリカ兵の描かれかたは、米映画にはないものだ。メキシコ映画でなければこのようには描けないだろう。中国映画でなければ『鬼が来た』の日本兵が描けなかったように。主人公のカルロス・パディジャの演技に大いに感動した。

2006年3月 1日

赤瀬川原平さんの「老人力」攻撃にあう

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筑摩書房の松田哲夫さんの出版記念パーティー(『本に恋して』新潮社)に出かける。松田さんとは『ガロ』が取り持つ縁でもう知り合ってから長い。大変な数の人がパーティーに来ていた。そのなかで懐かしい『ガロ』人脈の人たちがいて、こちらも懐かしくなって思わず声をかけてしまう。南伸坊さんや林静一さんらだけれども、ふとみると、赤瀬川原平さんがいる。ずいぶん長い間お会いしていなかったのでご挨拶をする。赤瀬川さんとは、オウム事件の際に、シリーズ企画『オウムを語る』というのを当時の『NEWS23』で放送していた時に参加していただいたことがある。そのときは「上祐追っかけギャル」なるものを2人で見に行った。まさに終末的な風景だったのだけれども、そのことを赤瀬川さんはよく覚えていて「そうだったですねえ、そうだった」と懐かしがっていたりした。それで一息ついた際に、赤瀬川さんは僕に『ところでウマはまだやってるんでしょ?』と聞いてきた。えっ?『いや、ほら、ウマをずいぶん買ってたじゃないですか』えっ? どうも僕が競馬で馬券を買っていたと思いこんでいるらしいのだ。それで話をしているうちに納得した。よく間違われるのだ。人間にはこの世によく似ている顔の人がいるものだ。なぜか僕もよく間違えられる人が2人いて、ひとりは宗教学者・作家の植島啓司さん。もうひとりはドキュメンタリスト・作家の森達也さんだ。赤瀬川さんはどうも植島さんと一部混同しているようなのだ。それで、そのことに気づいてもニコニコしている。そうか、このニコニコがまさに「老人力」だ。「老人力」攻撃に直面して、それでいいのだと、思わずこちらもニコニコしてしまった。パーティーは苦手だが、こういうパーティーはいい。

Profile

田原総一朗(たはら・そういちろう)

-----<経歴>-----

1934年、滋賀県彦根市生まれ。
早稲田大学文学部卒。
岩波映画製作所、テレビ東京を経て、77年フリーに。
テレビ東京時代の連続番組「ドキュメンタリー青春」で、取材対象者に肉薄する独特のインタビュー手法で注目を浴びる。
現在は政治・経済・メディア・IT等、時代の最先端の問題をとらえ、活字と放送の両メディアにわたり精力的な評論活動を続けている。
テレビジャーナリズムの新しい地平を拓いたとして、98年ギャラクシー35周年記念賞(城戸又一賞)を受賞した。
2002年より母校・早稲田大学で「大隈塾」を開講。塾頭として未来のリーダーを育てるべく、学生や社会人の指導にあたっている。

-----<出演>-----

『朝まで生テレビ!』
(TV朝日、毎月最終金曜25時?)

『サンデープロジェクト』
(TV朝日、毎週日曜10時?)

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